二周目のおっさん   作:雄魔雌

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第4話 怪獣8号

「かっ、怪獣が、復活している!」

 

 受験者たちが一斉に散らばった。

 本部からの通信が途絶えた今、避難指示もない。指揮官もいない。あるのは、討伐したはずの怪獣が再び動いているという事実だけだった。

 復活した余獣が来る。閉鎖された演習場の中で、その事実を突きつけられたほぼ全員の足がすくんでいた。受験者の一人が腰を抜かし、別の一人が悲鳴とも呻きともつかない声を漏らした。

 最初に動いたのはキコルだった。

 

「なんなのよ……っ!」

 

 一度仕留めたはずの本獣に、再び銃撃を叩き込んだ。着弾の衝撃で地面が割れ、粉塵が舞い上がる。だが、どういうわけか一度目のようにいかない。明らかに強度が上がっており、核を覆う外殻は銃弾を弾いて火花を散らすだけだった。一撃での破壊は、叶わなかった。

 周囲を暴れ回る余獣たちも同様だ。動きが速く、一つ一つの攻撃が復活前よりも重い。余獣の尾が地面を薙ぐたびに、コンクリートの破片が礫のように飛び散った。受験者たちが叫ぶ。

 

「どうなってんだよ、これ!」

 

 それに加えて、未知の怪獣が増えていた。

 人型に近い輪郭。菌糸類を思わせる頭部。部分的に青く光る外殻。怪獣の形をした何かが、演習場の中心に立っていた。周囲の喧騒には目もくれず、ただ佇んでいる。

 

「あいつは何!?」

「なんだかわかんねーが、まとめて倒すしかねーってことだろ!」

 

 キコルの問いに答えるでもなく、伊春が飛び出した。銃撃。

 

「っ!」

 

 弾かれた。いとも簡単に。弾丸は外殻に触れた瞬間、軌道を逸らされて演習場の壁面に突き刺さった。

 

「俺がやる!」

 

 葵が横から撃ち込んだが、新種にはまるで届かない。攻撃を受け流されて、思わず舌打ちをした。

 

「クソ、軽く弾き飛ばしやがった……!」

 

 その瞬間、カフカが走り出していた。

 

「お前ら全員下がれ! こいつは普通の怪獣じゃない!」

 

 シールドの内側から叫ぶ声が、演習場に響いた。半透明の膜越しに見る怪獣の輪郭は、歪んで揺れていた。

 

「全員後退! 俺が食い止める!!」

 

「おっ」

 

 突如、怪獣が口を開いた。

 受験者の数人が足を止めた。怪獣が喋った。その事実だけで、動けなくなっている。

 

「今、しゃ、喋っ……!?」

「それよりも撤退、早く!」

 

 市川が動揺している受験者の腕を掴んで、引きずるように走った。

 そこへ、本獣を追っていたはずのキコルがカフカの前に立った。額に薄く汗が滲んでいる。さっきまで涼しい顔をしていたキコルが、初めて見せる表情だった。

 

「あんたなんかに任せられるはずないでしょ!?」

「俺には遠隔シールドが貼られてる!」

 

 カフカが、キコルの両肩を強く掴んだ。スーツ越しでも伝わるほどの力だった。

 

「急いで指揮をとって、全員を逃がしてくれ。あとついでに、本獣の撃破と余獣の殲滅指示も頼む」

「でも、ここであんたに何が……」

「確かに俺には何もできない。でも指揮はお前にしかとれない」

 

 キコルが、何かを飲み込むような顔をした。

 

「悪いな、心配かけて。でも大丈夫だ」

「……」

 

 それだけだった。踵を返して、走り始めた。

 

「全員、私に続け! 余獣を各自で処理、本獣は隙を見て私がやる!」

 

 受験者たちが動いた。

 

 

 

 

 カフカと、不可解な怪獣だけが残った。

 演習場の中央。砕けたコンクリートの破片が散乱する地面に、二つの影だけが向き合っている。どういうわけか、怪獣は動かなかった。攻撃すらしてこない。頭部にある茸のかさのような部分が、ゆっくりと揺れている。風のない空間で、それだけが生き物のように脈動していた。

 

「よぉ、エリンギ野郎」

 

 カフカが言った。

 目の前にいる怪獣のことは、嫌でも記憶に残っていた。

 

「あー……君か」

 

 すると、怪獣が答えた。

 気の抜けた声で、再会を確認するような。そういうトーンだった。

 遠ざかる足音の中で、伊春の声が聞こえた。ハルイチが余獣と交戦する金属音が響いた。葵が指示を出していた。

 怪獣は、それらを見ていた。戦闘に割り込むこともなく、ただ眺めているかのようだった。

 

「君、だと? お前……」

「安心してほしい。これでも結構、反省していてね。ボクは平和主義者だから」

 

 その瞬間、光とも熱とも言えない何かが、演習場を駆け抜けた。空気が震えるでもなく、音がするでもない。ただ、薄い膜のようなものが波紋のように広がり、受験者たちの体を一人ずつ通り抜けていった。

 

「な、何だ?」

「なんか、身体が、軽い……」

 

 演習場にいる、ほぼ全員の動きが変わった。

 苦戦していたはずの余獣が、いとも簡単に仕留められていく。全員の動きが速い。

 

「お前、何をした!?」

「大丈夫。人間をただ殺すより、ずっといい方法を知ったんだ」

 

 体が動く。スーツが馴染む。さっきまでとは別の何かが、受験者たちの中にある。

 

「君たちとは、共存したいと思ってる」

 

 それだけ言って、怪獣は薄れ始めた。輪郭が揺らぎ、外殻の青い光が明滅する。菌糸のような頭部が最後まで残り、それもやがて空気に溶けるように消えた。

 

「今日はこの辺で」

 

 残されたのは、静寂と、復活した怪獣たちと、なぜか体のよく動く受験者たちだった。

 

 

 

 

 ミナと保科が演習場に踏み込んだのは、通信が回復してから三十秒後だった。

 ミナのブーツの底が、砕けたコンクリートの破片を踏む。二人は周囲を見渡した。怪獣の残滓はある。地面に染み込んだ体液と、空気中に漂う微かな腐臭。あの規模なら何かが残るはずだったが。フォルティチュード9.8の怪獣は、いない。

 

「消えた?」

 

 保科が呟いたが、ミナは黙って周囲を警戒していた。

 演習場の奥で、余獣が討伐されていく音がする。受験者たちが、残された余獣と戦っていた。

 だが、ドローンの映像をモニター越しに見ていたときとは、明らかに動きが違う。一人一人の判断が速く、連携が噛み合い、スーツの出力が底上げされたかのような機動を見せている。

 そしてキコルが本獣に向かった。一撃。核が砕けた。今度は、復活しなかった。

 その瞬間、小此木から通信が入った。

 

「受験者全員の解放戦力が……5%以上、上昇しています!」

「5%!? この短期間で、全員!?」

「いえ。受験番号2032と2026を除いた、全員です」

「……2032と、2026」

 

 ミナは呟いた。

 2032はカフカだ。そして2026は、解放戦力0%を叩き出した、あの。

 

「本獣、撃破。試験終了……」

 

 試験は、終わった。

 

 

 

 

 試験が終わっても、誰もすぐには動かなかった。あの場所で何が起きたのか、それぞれが飲み込めないままだった。

 

 帰り支度を済ませたカフカは、市川と共に駐車場の端に立っていた。

 西の空が赤い。夕陽が駐車場のアスファルトに長い影を落としていた。周囲には同じように呆然と立ち尽くす受験者たちの姿がまばらにあった。

 結局、シールドの中で何もできなかった。動こうとしたが動くこともできず、怪獣を見逃し、ただ立っていた。情けなさすぎる結果だが、飲み込むしかない。

 

「日比野カフカ!」

 

 声がした方向を振り返ると、仁王立ちのキコルが使用人と共に立っていた。腕を組んで、カフカを見下ろしている。試験の疲れなど微塵も感じさせないような、不遜な顔だった。

 

「どうせ落ちてるだろうけど、最後に一言だけ言わせてもらうわ」

「……なんだ?」

「これ、あげるわ」

 

 放り投げられたものを、反射的に両手で受け取った。それは防衛隊スーツ――キコルが試験会場に入る前に着用していたはずの、プライベートスーツだった。

 

「型落ち品のお古。処分に困ってたのよ。捨てるくらいなら誰かが使ったほうがいいでしょ」

「お、おい。これ」

「私のお下がりよ。ありがたく受け取りなさい」

 

 キコルが半歩引いた。

 

「ありがたいけど、さすがにサイズが合わん気がするな……」

「スーツは着用者に合わせて変形するでしょ。試験で着たんなら肌感覚で理解しときなさいよ」

 

 キコルは肩をすくめた。

 

「もっとも、今日みたいな化け物が出るなら、型落ちのそれで何ができるかは知らないけど」

「……」

「後で絶対吠え面かかせてやるつもりだったのに、そんな状態で落ちたんじゃ張り合いないわ。どうせ着るって言うんなら、これで練習でもしてなさい」

 

 言い捨てて、キコルは背を向けた。今度は振り返らなかった。靴音が遠ざかる。

 

「練習、か」

 

 キコルは知らないのだ。カフカにとって今回がラストチャンスだったということを。

 隣で市川が呟いた。

 

「なんで先輩に渡すんですかね」

「さぁな。貴族の道楽とかのつもりじゃねぇか」

 

 カフカはスーツを見た。それは確かに型落ち品らしく、今日試験で着たスーツに比べると縫い目がほつれていて、素材の光沢も均一ではない。指先で表面を撫でると、怪獣繊維特有の微かな弾力が返ってきた。

 怪獣繊維を何層も重ねて作られたスーツが、民間に出回ることなどまずない。その希少さを、カフカは知っていた。型落ち品であっても、これは本物だった。

 

「ん、待てよ。キコルのやつ、サイズは関係ないって言ってたな?」

 

 カフカの脳裏に、適性検査前の出来事が一瞬だけよぎった。

 スーツが着用者に合わせて形状を変えるなら、あのとき、一人どこかぶかぶかのスーツを着ていた「あいつ」は、どうして……

 訊こうとして、やめた。なぜやめたのか、カフカ自身にも分からなかった。

 

「カフカさん!」

 

 そこへ、エリの声が響いた。

 その笑顔には屈託がなく、試験の最中に何かがあったような様子は欠片もない。白金色の髪は夕陽を反射して、もはや発光体に近い。数時間前にあれほどの事態があったとは思えない佇まいだった。

 

「試験で助けていただいたお礼を、ちゃんと言えてなくて」

「あー、いや、別にいいんだけど……」

 

 ずっと、頭の片隅に引っかかっていたことを、口にした。

 

「なぁ。俺が助けたあと、どこにいた?」

「? いましたよ、ずっと。会場に」

 

 即答だった。一拍も置かずにそう言った。カフカはもう一度エリを見た。その笑顔には嘘が混じっているようには見えなかった。

 

「……そう」

 

 追及しようとして、やめた。そのことがなんとなく、居心地悪かった。

 

「カフカさん」

「え?」

 

 すると、エリが突然、異様にスムーズな足取りで一気に距離を詰めてきた。

 

「ちょっ、待って。近い近い」

 

 歩幅にして三歩分が、二秒で消滅した。

 

「また、会えますよね?」

「あの、ちょっと、絹糸さん。パーソナルスペースってご存知かな?」

「エリですよ」

 

 訂正の優先順位がおかしい。ぐいぐいと距離を縮められたかと思うと、エリがそっと、カフカの両手を握った。柔らかく、だが確実に。

 

「あのー……放してもらえるかな」

「はい」

 

 素直に放した。放したが、距離は詰めたままだ。カフカがそっと半歩退くと、エリもそのまま半歩を詰めてきた。物理法則のように正確だった。

 

「今日はこの辺で」

 

 そのままエリは優雅に一礼すると、くるりと回って、夕陽の中へと消えていった。白金色の髪が赤みを帯び、まるで映画のラストシーンのような美しさ。それをカフカは綺麗だと思ったし、確かに目を離すこともできなかった。が、その事実がどことなく……気持ち悪かった。

 が、残されたカフカの心境はそれどころではない。

 

「なぁ、見たか、今の」

「見てましたよ。すごいっすね」

「あの子の距離感、完全にアレだよな……プロの手口だよな」

「はい?」

 

 カフカは両手を広げた。法廷で証拠を突きつける弁護士のような勢いだった。

 

「変じゃん、なにあの距離の詰め方!?」

「はぁ、それは、まぁ」

「花の女子大生が! 清掃業のおっさんに! これ美人局以外に理由があるか!?」

「いや……あるんじゃないですか? そういう趣味の人とか」

「ないないない! カモがネギ背負って歩いてるって目だった! いいか市川、これが都会の罠だ。お互い勉強になったな……」

「勉強にはなりましたね。先輩の鈍感さについて」

「なんか言った?」

「先輩が若い子に変な気を起こさない良識ある大人でよかったですと言いました」

 

 カフカも、それ以上は聞かなかった。

 

「もう全部忘れて、試験結果を待ちましょう」

「結果……」

 

 特別な力を持たずに挑んだ試験の、結果。防御シールドを貼られて、ほぼ不合格確実の。

 

 カフカは手の中のスーツを握り直した。型落ち品の、ほつれた怪獣繊維。たった1%の解放戦力。二周目の記憶。それが今の自分の全てだった。

 37番の区画に停めた車に乗り込んだ。助手席の市川が、ドアを閉める。エンジンをかけた。

 

「ところで先輩。突然現れた新手の怪獣のこと、ご存知だったんですか」

「……あぁ」

 

 カフカはハンドルを握り直した。

 

「できるなら、今日のうちに何とかしておきたかったやつだ」

 

 車が基地のゲートを抜けた。春の夜の空気が、窓の隙間から入り込んできた。

 

 

 

 

 エリは一人、車を走らせていた。

 窓の外に光がある。人間の街の光だ。数百年、数千年以上、怪獣と共に存在してきた国の、夜の光。信号が赤に変わり、ブレーキを踏む。フロントガラスに、対向車のヘッドライトが白く反射した。

 

 今日はうまくいった。防衛隊の試験に潜り込むために選んだ器は、思ったより都合が良かった。

 討伐大で基礎を学んだ、防衛隊を志望する若い女性。事務職希望だったようだが、そこはまぁいい。解放戦力の素地もある。扱いやすい。

 

 ただ、一つだけ誤算があった。

 スーツの力が、うまく引き出せなかった。

 怪獣の力が戦力の解放を阻害するとは予想外だった。怪獣繊維は人間の脳波と筋肉に応じて伸縮する。人間の、だ。あのまま試験を続けていれば、解放戦力0%では、それだけで不合格になっていたかもしれない。

 

 だから急遽、記憶に従って動いた。電波を遮断。討伐された怪獣たちの復活。

 そうやって試験官たちの意識を逸らしたうちに、スーツ着用者たちの力を引き上げた。

 それで良かった。今日の受験者たちは、あれで少し強くなった。スーツをうまく使えるようになった。

 

 防衛隊に入れば、もっと彼らと近くなれる。

 全ては「今回」の目的のために。

 

 信号が青に変わった。アクセルを踏む。人間の体で行う運転操作にも、だいぶ慣れた。

 エリは窓から視線を外して、手元を見た。今日の試験で確認した受験者たちの解放戦力のデータが、頭の中にある。名前と数値と、伸びしろの推測。

 そして思考が、ある名前で止まった。

 

 日比野カフカ。「前回」の、怪獣8号。

 

 

 

 

 後日。

 アパートの一室で、カフカはテレビのスイッチを入れた。ニュースが流れている。ソファに腰を下ろして、画面を眺めた。

 台所のシンクには昨夜の食器がそのまま残っていて、テーブルの上には勤務表が広げてある。日常だった。何の変哲もない日常。

 テーブルの端に、一通の封筒がある。届いてから三日、開けられないままそこにある。

 

「防衛隊は本日、立川基地内の演習場に出現した個体に対し、正式な識別番号を付番したと発表しました。当該個体は――」

 

 カフカは右手を強く握りながら、息を呑んだ。

 

「――怪獣8号と命名されました」

 

 テレビの中で、アナウンサーが淡々と原稿を読み上げた。

 カフカはゆっくりと封筒を手に取り、封を切った。何度も握り直した跡のついたしわくちゃの紙が、中から出てきた。

 

 不合格のお知らせ、と書かれていた。

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