二周目のおっさん   作:雄魔雌

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第5話 型落ちスーツと手作り装備

 仕事のない水曜日だった。

 特に行くあてがあったわけではない。気がついたら電車に乗っていて、気がついたら上野にいて、気がついたら博物館の入口に立っていた。

 

 行き場がなかっただけだ、とカフカは思った。

 不合格通知は引き出しの奥にしまって、テレビは二日間つけなかった。怪獣8号という名前を、もう聞かされたくなかったのだ。

 自分がかつて持っていた名前が、別の何かに渡った。別に誇るような称号ではない。だから何だという話ではあるのだが……それなのになぜか、逃げるように家を出て、足が勝手にここへ向かった。

 

 平日のせいか、それとも怪獣という存在の不人気のせいだろうか、展示室にはほとんど人影がない。

 照明が落とされた通路の先には、標本にされた怪獣が並んでいた。骨格標本なら前回の研究施設でも見たが、こうして生体標本をまじまじと見るのは初めてかもしれない。それでも、目の前の怪獣のことは手に取るようにわかった。核がどこにあって、外殻がどの厚さで、弱点がどこか。防衛隊としての経験と、清掃業としての経験。解体の知識と戦闘の知識が、一つの標本の上で完全に重なっている。

 ガラス越しに覗き込んでいると、不思議な感覚があった。怪獣がこちらを見返しているような。もちろん標本に目はない。あるのは空洞だけだ。それでもカフカは、しばらくその場を動けなかった。

 

「気になりますか?」

 

 声をかけられて振り返ると、白衣姿の女性が立っていた。髪を後ろで一つに縛り、丸い眼鏡をかけている。化粧っけのない、見知らぬ女性――のはずだが、首から下げたネームプレートを見た瞬間、記憶が弾けた。

 つくばの怪獣研究施設にいた、国立科学博物館の職員。

 

「……あ」

 

 カフカは「森さん」と言いかけて、寸前で止まった。

 危ないところだった。「今回」の森は、カフカに会ったことがない。前回の記憶の中に森がいるだけで、この人にとってカフカは初対面の見学者だ。名前を呼んだら、説明がつかない。

 

「熱心にご覧になられているようでしたので」

「あ、いえ」

 

 カフカは咳払いをして、気持ちを切り替えた。

 

「森です。その標本、随分長く見てますね。好きなんですか、怪獣」

「自分は日比野といいます。好き、というか……仕事で何年も解体してるんで」

「ああ、怪獣解体業の方ですか」

 

 森がカフカを見る目が少し変わった。来館者の中に同類を見つけたときの、少しだけ嬉しそうな目線に。

 

「珍しいですね。そういう職業の方が、休日まで怪獣見学とは。標本の見え方も違うでしょうね」

 

 森は一歩、標本に近づいた。ガラスケースの縁に指先を添えて、中の怪獣を示す。

 

「あれ、どこから解体したか、わかります?」

「頸部の第二継ぎ目から入ってますね。体液管の走行を避けながら、修復層を先に剥がしてる。丁寧な仕事だ」

 

 試されている、とカフカは思った。しかし悪い気はしない。

 一拍の沈黙があった後、森が標本に視線を戻し、「……そうですね」と小さく言って笑った。眼鏡の奥の目が、嬉しそうに細くなった。

 

「よくわかりましたね。うちのスタッフが作った標本ですよ。外部委託じゃないんです」

 

 二人でしばらく標本を見た。

 森が核の位置について質問すると、カフカがすかさず即答する。楽しい時間だった。

 

「外殻の断面の積層構造から内部構造を推測する方法、ご存じですか」

「あぁ。怪獣の成長段階の判定に応用できると聞きましたね」

「さすが。解体に携わっている方だけあって、さすが知識も最新ですね」

「あ、これは分析の……専門部隊に知り合いがいて」

 

 二人の話は最終的に、個体ごとの外殻硬度のばらつきと討伐効率の相関についてまで話が及んでいた。

 かつて「分析支援部隊小隊長」だったカフカにとって、これは久々の心躍る時間でもあった。「前回」のミナの言った通り、博物館の人は本当に博識だ。

 一般人とこれだけ踏み込んだ会話ができることに森は驚いているようだったが、不快そうではない。むしろ会話が進むにつれて、声に熱がこもっていった。

 

 そのとき、カフカは気づいた。

 森が身振りを交えて説明するたびに、上着の袖が少しずつめくれていく。その下から、見慣れた光沢が覗いていた。怪獣繊維特有の、あの独特の質感。光の角度によって微かに色が変わる、生き物の皮膚のような光沢。森は白衣の下に、何かを着込んでいる。

 

 カフカは視線を標本に戻した。何も言わなかった。

 しかし、カフカが気づいたということに、森も気がついたのだろう。説明する声が不自然に途切れ、袖を引き下ろす仕草が入った。少しの沈黙の後、森は気まずそうに口を開いた。

 

「もしかして……見ました?」

 

 カフカはあえて視線を標本に残したまま答えた。

 

「防衛隊の試験で俺も着たんで、すぐわかりました。怪獣素材のスーツ……博物館の職員さんにも出回ってるんですね」

「いえ、そのー……これは、実は」

 

 森が目線を上着の袖に落として、声が小さくなっていく。

 

「廃棄されそうな部位を使って、見よう見まねで自作したというか……」

「自作!?」

 

 思わず声が大きくなった。展示室の天井に反響して、カフカは慌てて周囲を見渡したが、平日の博物館には運良く他の客がいなかった。

 森が人目を気にしながら上着の袖を少し引き上げると、怪獣繊維を改造したアームカバーが装着されていた。縫製は正直なところ相当に粗く、手作り感が否めない。だが怪獣繊維の弾力は確かに生きていて、触れなくても表面の微かな脈動が見て取れた。

 

「廃棄されるところだった素材を、機能を残したまま別の形に作り直してるんです。出雲テックス製のスーツみたいな、戦闘用としてはとても使えません。でも、怪獣繊維の機能は生きてる。まぁなんというか……クラフトスーツ、といいますか」

「それは研究用途で?」

 

 森は目を逸らし、袖を戻した。

 

「趣味です」

「なんと……」

「棄てるのが惜しかった、というのが正直なところです。磨けば使えるものを、不要だからといって棄てる。それが納得できなくて」

 

 カフカは少し黙った。前回、この人から聞いた言葉が、頭の中で重なった。

 ――棄てるだけのゴミに見えたとしても、彼らだって磨けば歴史の証言者になる。

 森は、自分の言葉通りのことをしていたのだ。あれは、裏で本当に実践している人間の台詞だったのだ。

 

「森さん。今見たことは、全部秘密にします。これ絶対バレたらやばいやつですよね?」

「めちゃくちゃヤバイっす。クビになりかねないっす」

「ですよね……ただ、それなら。ひとつだけお願いが」

 

 カフカの言葉に、森が一歩だけ後ずさった。警戒の色が顔に出ている。

 

「あの、お金とかは、その、困ります」

「いやいや、そうじゃなくて。……俺にもそれ、一つもらえませんか?」

「……え?」

「防衛隊試験で着たときに思ったんですよ、これがあったら、もっと仕事が楽になるのにって……」

「……わかります。これがあるとないのとじゃ、残業時間が全然変わりますんで」

「やっぱり! いいなぁ!」

 

 森が驚いたような目で、少し考えた。標本を見て、カフカを見て、また標本を見た。何かを天秤にかけているような間があった。

 

「……今日は人が少ない日でよかった。ちょっと、待っててください」

 

 森は奥の作業室に消えた。

 カフカは標本の前に一人残された。ガラスの向こうの怪獣が、相変わらず空洞の目でこちらを見ている。

 しばらくして森が戻ってきた。手に持っていたのは、小さな紙袋だった。中を覗くと、手袋が一組、膝当てのようなサポーターが二枚、そしてベルト状に再構成された腰部の素材が一本。

 

「これ、マジで内密にお願いしますね。日比野さんが信用できると思ったから、個人的な趣味の品を譲渡しただけです。決して裏取引とかじゃないです。転売とかしないでくださいよ!」

「しませんって!」

 

 カフカは紙袋を受け取り、中の素材を一度握り直した。それはキコルに貰ったスーツとはまた違う、やや滑らかさに欠ける、ごわごわとした手触りだった。

 

 

 

 

 アパートに帰ったカフカは、脱ぎ散らかした服とゴミ袋まみれの自室を見渡して、まず溜息をついた。床が見えない。掃除していない自分が悪いのだが。

 仕方なく最低限のスペースだけ確保して、まずはキコルにもらったスーツを手に取った。

 

 畳んだ状態のスーツを手に持ったとき、本当にこれが自分の体に収まるのか不安になった。キコルの体格に合わせて成形されていたはずの型落ち品だ。しかし袖に腕を通した瞬間、その不安は消し飛んだ。怪獣繊維がみるみるうちに体に吸い付いていく。皮膚の一部であるかのようにフィットしていき、何の素材でできているのか見当もつかないジッパーが、するすると自動で締まっていった。

 

「おいおい。これのどこが型落ちだ」

 

 腕を上げると、思った以上によく動く。何の違和感もない。関節の可動域が広がったような感覚がある。思わず床に散らばるゴミをかき集めて、ビニール袋にポイポイと詰め込んだ。いつもより体がよく動く。五分もしないうちにフローリングの板が見えた。

 怪獣素材のスーツを着て最初にやることが部屋の掃除というのは情けないにもほどがあるが、効果を実感するには十分だった。

 

 次に、森からもらったクラフト品を重ね付けしてみた。膝当て、手袋、ベルト。スーツの上から装着すると、手作り感のある縫製が妙にゴツい印象を与える。

 

「……重ねるのは、いまいちだな」

 

 キコルのスーツだけで十分な気がした。森のクラフト品は、スーツの出力を底上げするようなものではないらしい。用途が違うのだ。カフカはそっと手袋を外した。

 

「防衛隊から落第印を押されて、おさがりのスーツをもらって、いい年して自宅で防衛隊のコスプレとはな……」

 

 自嘲的な笑みがこぼれた。少しだけ綺麗になった自室の床に座り込む。窓の外では夕陽が沈みかけていて、フローリングの上に長い影が伸びていた。

 

 前回の戦いは基本的に怪獣8号の力で押し切る戦い方が主で、知識は補助だった。今回、もしも戦うようなことがあれば、それは逆になる。力が足りないから、知識が主役になる。

 もしも今回の自分が、スーツを着て怪獣の前に立ったら、何ができるだろうか。

 核の位置を知っている。外殻の継ぎ目を知っている。神経節がどこにあるかを知っている。体液管の主幹がどこを走っているかを知っている。力で勝つのではない。構造を知っている人間として、解剖するように戦う。メスの代わりに解体刃を持って、必要な場所だけを、必要な順番で壊していく――

 

「なんてな」

 

 ちょっとした夢くらい、見させてくれよ。今回の俺。

 

 スーツ姿のまま、カフカは横になった。

 怪獣繊維が、体温に馴染んでいく感覚があった。まるで生き物に抱かれているような、不思議な温もりだった。

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