赤を手にしてヒーローは   作:海雫

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毒と勇気

 様々な時代の建造物がひしめき合う街、バンカラ街。

 澄み渡った空の下では、今日も多種多様な生き物たちが街の広場を賑やかしていた。

 ただぼんやりと空を見上げているクラゲ、誰かと楽しそうに話しているインクリング、武器を両手になにやら嬉しそうな様子で店から出てきたオクトリング……。

 そんな希望と活気に溢れたこの街で、とある若者もまた、期待を胸にその場所に佇んでいた。

 逆立った髪をオールバックにした頭、耳につけられたエンペラフックHDP、アロメテックTブルー、エギング3アオクロシロの靴が特徴のインクリング。

 ダンボールが積まれた店の前でその少年、カイはどこか落ち着きなく周囲を見渡していた。

 

「緊張してる?」

 

 カイの隣で並んで立っていた少女が微笑ましそうに話しかけてくる。

 彼女はカイの姉の友人であり、名をキリカという。彼女とは数年前からの顔見知りだったが、カイが最近ナワバリバトルを始めたのをきっかけによく目をかけてくれるようになったのだ。

 

「少しだけ……でも、それよりも、楽しみの方が大きいです」

 

 カイの答えに、キリカは「そっか」と嬉しそうに笑う。

 そんな彼女に自然と頬を緩めながらも、カイはここに至るまでの経緯を思い返していた。

 それは遡ること、二日前。キリカとナワバリバトルを共に楽しんだあとの帰り道。彼女は、突然ある提案をしたのだ。

 

「ねえ、私の幼なじみにすっっごいバトル強い人がいるんだけどさ、その人も誘って一緒にバトルしてみない?きっと色々教えてくれると思うよ」

 

 彼女からの提案は、そう悪くないものにカイは思えた。四日前にバトルを始めたばかりのカイにとって勝敗はそれほど重要ではなく、ただ純粋にナワバリバトルを楽しむ気持ちの方が大きかったのだが、それでも強くなれるに超したことはない。それに、やっぱり勝負は負けるよりも勝つ方が気持ちがいい。

 だからカイは、快くその提案を受け入れた。

 一体どんな人が教えてくれるのだろう。優しいのだろうか。それとも厳しいのだろうか。優しいキリカの友人なのだから、きっといい人なのだろう……。

 

 

 

 

 

「嫌だけど」

 

 まるで風のような速さの拒絶だった。

 有無を言わせぬ口調と態度に、カイは思わず己の耳を疑う。

 今、何を言われたのだろう。

 困惑をあらわにするカイになど目もくれず、目の前に現れた彼は冷ややかな表情で再び口を開く。

 

「あのさ、順序って知ってる?朝から事情も説明せずに人を呼びつけておいて、しかも会って早々知りもしない初心者と一緒にナワバリバトルやれなんて。本気で言ってるならあまりにも常識がなさすぎるから考え直した方がいいよ」

「あはは……ごめんごめん。多少強引じゃないと来てくれないかと思って」

 

 彼の口から飛び出してくる辛辣な言葉に、キリカは苦笑いを浮かべながら答えている。

 そんな彼女を不服そうに見る、名も知らない彼。

 キャップを深く被ったマッシュヘアーの頭に、半袖の青いシャンブレーシャツ、白と灰色の靴……。

 顔は童顔でカイよりも小柄ではあるが、先程の毒舌と纏っているオーラのせいで、取っ付きにくさが満載だった。

 彼は露骨にため息をつきながら、疲労したかのように顔を伏せる。

 

「来て損した」

「そんなこと言わずにさ。この子に色々と教えてあげてほしいの、お願い!」

「なんで僕なんだよ。教えるだけなら他にも色々いるだろ。大体、僕に何のメリットもないんだけど」

 

 彼の言葉に、カイの視線は自然とコンクリートの地面へと落ちた。

 言われてみれば……確かにそうだ。相手への見返りなんてカイは何一つ考えていなかった。だけど、今の自分が返せるものなんてたかが知れているのも事実だ。彼の言うとおり、メリットを提示することなんてできる気がしない。

 ……でも。それでも、せっかくキリカがこの場を設けて紹介してくれたのだ。お願いする側の自分がここで黙っていたらそこで終わりではないのか。

 なら、今の自分がやるべきことは一つだけだ。

 

 (───やってみよう)

 

 カイは思い切って顔を上げると、改めて彼に向き直った。

 

「……あの」

 

 彼が被っているキャップの下から、冷たい視線が突き刺さる。それでも、ここで怯んではいけない。

 カイは意識して背筋を伸ばすと、いつもよりも少しだけ声を張った。

 

「確かに、ちっぽけなオレにできることなんてほとんど何もありません。あなたにメリットなんて何もないし、多分、めちゃくちゃ足も引っ張ると思います。でも……それでもオレはあなたと楽しくバトルをやりたいし、そのためなら強くもなりたいです。だから……お願いします」

 

 頭を下げて、自分にできる精一杯の誠意を見せる。

 見返りも策も何も提示できない、ただの懇願。自分がいかにわがままで相手の善意に縋った発言をしているかはわかっていた。

 

 (……それでも)

 

 言えることは言ったのだ。

 もしここで断られたとしても、きっぱりと諦められるように。あとは、相手の返事を待つだけだ。

 ……そうして、求めていた返事が降ってきたのはおよそ十秒ほどの沈黙が流れた頃だった。

 

「……わかったよ」

 

 呆れたようなその声色に顔を上げ、期待の眼差しを彼に向けた。

 

「ほ……本当ですか!?」

「別にバンカラマッチじゃないならいいよ。ナワバリで足を引っ張られようと負けようとどうでもいいしね」

「あ、ありがとうございます!」

「……それに、断ったらキリカに粘着されそうだし」

「ちょっと、カイくんの前でそういう言い方しないでくれるー?」

 

 頬を膨らませるキリカとは対照的に、カイは表情を明るくさせていた。断られる可能性を考えていたので、その分嬉しさが大きかった。

 

「はいはい。……で、僕は何を教えればいいわけ」

「あ、その前にさ。とりあえずお互い自己紹介しない?」

 

 キリカの提案に、あ、と気がつく。そういえばまだお互いに名乗っていなかったし、彼の名前を知らないままだ。

 ここは先に自分が名乗るべきだろうと思い、カイはすぐさま口を開いた。

 

「えっと、オレはカイっていいます。四日前にナワバリバトルを始めた初心者です。よろしくお願いします」

 

 カイの自己紹介に、特に何か反応を示すでもなく今度は彼が口を開く。

 

「僕はシグレ。先に言っておくけど、初心者だからって優しくしたりはしないから」

「は……はい」

 

 彼……シグレの容赦のない言葉にカイは少しだけ怯みかける。分かってはいたが、やはりスパルタになる覚悟はしておいた方がいいらしい。

 

「そうやって人を怖がらせるのはよくないと思うなー」

「いちいちうるさいな」

 

 キリカとシグレの小言に小言で返すやり取りに、仲がいいんだな、とカイには少しだけ微笑ましく感じられた。

 

 

 

 ■

 

 

 

 ロビーのロッカールームには、カイたちの他にも何人かのインクリングがそこにいた。

 バトルの準備をしたり、休憩をとっていたり、ロッカーにステッカーを貼っていたりと皆思い思いに時間を過ごしている。

 ざっと並べられた色とりどりのロッカーを見渡してから、カイは自分のロッカーへと視線を向けた。

 一枚だけステッカーの貼られた、灰色のシンプルなロッカー。もちろん中は何も装飾されておらず、持ち武器であるわかばシューターしか入れられていない。本当は自分も皆のように彩ってみたい気持ちはあるのだが、まだまだ金銭的にあまり余裕がないのだ。

 だけどいつかは自分も……と、そんな思いを馳せながらカイはわかばシューターを手に取る。それからふとシグレが開けている隣のロッカーに視線を向け……そこで思わず固まってしまった。

 灰色のロッカーに、ベタベタと満遍なく貼られた色とりどりのステッカー。それはロッカーの装飾を楽しむ若者そのものを体現していた。

 てっきりシンプルなロッカーを想像していたカイにとってはそこそこの衝撃であり、思わずギャップを感じてしまった。

 そんなカイの様子に気がついたのか、シグレは鬱陶しそうな視線を向けてくる。

 

「……何」

「あ、いや……先輩ってステッカー貼るタイプなんだなって」

「……僕がやったわけじゃない」

 

 シグレの答えを聞いてカイは納得した。

 なるほど、通りで。

 

「あ、そうなんですね。キリカさんとかですか?」

「さあ。忘れたし、どうでもいい」

「え?」

 

 パタンと、音を立ててロッカーが閉められる。ステッカーだらけのその扉を見る目がどこか翳りを帯びているように見えたのは、カイの思い違いだろうか。

 彼はそれ以上何も語ることなくロッカーから出した赤い武器を手にすると、何事もなかったかのようにロッカールームを出ていってしまった。

 一瞬ぽかんと呆気にとられていたカイだったが、自身も行かなければと慌てて後を追っていく。

 その様子をすぐそばで見ていたキリカは、少し複雑そうな表情を浮かべていた。

 

 

 

 

「……バトル始める前に聞いておくけど」

 

 ロビーに出ると、自分の背を追いかけてくるカイにシグレがふと声をかけた。

 

「何か聞いておきたいことはある?」

 

 彼の言う聞いておきたいこととは、もちろんバトルでのことだろう。そんなものは山ほどあったが、カイはひとまず真っ先に思いついた悩みを口にしてみる。

 

「ええっと……オレ、どうしても敵が倒せなくていっつもすぐやられちゃうんですけど、どうすればいいですか」

 

 毎試合キルがほぼ取れずにデスだけが多いのは、カイなりの悩みだった。

 そんなカイの疑問に対し、返ってきた答えはカイの考え方を根底から覆すものだった。

 

「敵が倒せないなんて当たり前でしょ。君は初心者なんだし、そもそも君の持ってる武器はキルする武器じゃないから」

「え、そうなんですか?」

「武器にもそれぞれ向き不向きがあるんだよ。塗りに特化してる武器、キルがとりやすい武器、相手のヘイトを買って戦う武器だったり色々あるわけで、その中でも塗り武器のわかばでキルを狙うのがそもそもの動きとして間違ってるから」

「そうなんだ……」

「まあ、ボムを使えばキルは狙えるけど初心者のうちはそんなこと考えなくていいよ。とにかくその武器を使うなら塗ることだけを意識して。そもそもナワバリバトルは塗るゲームなんだし」

「なるほど……」

 

 思っていたよりも具体的な説明に内心驚きつつも、内容の説得力にカイは酷く感心させられた。

 あとでメモをとっておこう、と考えを巡らせながら、視線は自然とシグレの手元に吸い寄せられる。

 彼の両手にあるのは、真っ赤な色合いの二丁武器。いつかのバトルで見たことがあるような気がするが、名前が思い出せない。

 

「先輩の武器は、どういう武器なんですか?」

「デュアルスイーパー……マニューバー系統の武器だよ。一応キル向き」

「マニューバーって、あのシュッシュッてスライドする武器ですよね。いいなあ、かっこいい……」

 

 改めてよく見てみると、デザインも形もカイの好みで思わず惹き付けられた。

 これを持って、シグレは一体どういう戦い方をするのだろう。カイは想像に胸を躍らせる。

 

「……なーんだ、なんだかんだちゃんと教えてくれてるじゃん」

 

 先程から二人のやり取りを見ていたのだろう、キリカは歩み寄ってくるなり満足そうにシグレに声をかけた。そんな彼女の言葉に、シグレは不服そうな表情を浮かべる。

 

「教えないと君がうるさいだろ」

「あはは、わかったわかった。そういうことにしておきます」

「ほら、撃ち合いの基礎も教えておくからこっちきて」

「は、はい!」

 

 キリカの言葉をスルーすると、シグレはカイを呼びつけて歩いていく。そうしてバルーンを使った予行練習を十分近くやらされたあと、実戦としてナワバリバトルへ行くことになったのだった。

 

 

 

 一戦目のステージはキンメダイ美術館。回転するオブジェクトが特徴のステージだ。その割にはあまり複雑さがないためカイはそこそこ好きなステージだった。

 マッチの人数が揃い、カイたちはスポナーからステージを見下ろす。右隣のシグレはデュアルスイーパー、左隣のキリカはスペースシューターをそれぞれ構えている。もう一人の味方は……とても大きなローラーを担いでいた。重くないのだろうか。

 そんな疑問を解消する間もなく、バトルが開始され一斉にカイたちは飛び出した。

 シグレに言われた通り、まずは塗りに徹しようと心に決めて自陣にインクを広げていく。他の三人はカイに自陣を任せたのか、前の方で戦いに行ってしまった。

 自分も参戦しにいきたいのをぐっと堪え、カイはひたすらエリアを塗り広げていく。自分がこれをするかしないかで、勝敗に大きく関わってくるのだ。そう考えると、勝利に貢献しているという実感がカイの中に湧いてきて悪い気はしなかった。

 そうして一分ほど時間をかけて自陣を塗り、そろそろ真ん中のエリアへ降りてみようとした時だった。

 不意に視覚外からインクを撃たれたかと思えば、そのまま為す術もなくカイの体はその場で弾け飛んだ。

 

「!?」

 

 その場に僅かに留まった意識の中で見えたのは、真ん中のエリアにある回るオブジェクトの上に登っていた敵が、カイのいる自陣に降り立ったところだった。

 

 (……まずい)

 

 せっかく時間をかけて塗った自陣が、このままでは敵に荒らされてしまう。カイの中で焦りの感情が芽生え始め、思考が「あの敵を何とかすること」で埋め尽くされていく。

 自分がなんとかしないと。

 

 (でも……)

 

 できるだろうか。

 わかばはキル武器じゃない上に相手よりも射程が短い。いや、ボムを使えばなんとかなるだろうか。

 考えを巡らせながら、スポナーから飛び出し再び先程の敵と対面する。ボムを投げつけるが、相手はひらりとかわしてしまうとカイめがけてインクを撃ってきた。

 堪らず後退するも、相手はしめたとばかりにカイを追いかけ壁際まで追い詰めていく。

 

 (やばい、また死ぬ……)

 

 一発、二発とインクがカイの体を穿っていく。悔しさと苦痛にぎゅっと目をつぶっていると、不意に誰かの悲鳴が耳に届いた気がした。

 しばらく待っていたが、体の弾けるような衝撃はなかなかやってこない。不審に思い、恐る恐る目を開ければ、先程の敵が立っていた場所には自分たちの色のインクが散らばっていた。

 

「あ、れ……」

 

 辺りを確認すれば、敵のいた付近に見覚えのあるデュアルスイーパーを構えたインクリングの姿がそこにあった。

 

 (……先輩、だ)

 

 どうやら、あの敵はシグレが倒してくれたらしい。

 彼は敵の溺れたインクから顔を上げると、ちらりとカイの方を一瞥する。しかし目が合ったのは一瞬のことで、彼はすぐに興味なさげにカイから視線を外すと何も言わずに真ん中のエリアへと再び向かっていってしまった。

 

「……あ、ありがとうございます!」

 

 カイはあわてて声を張りお礼を口にする。彼に届いたのかはわからないが、とにかく感謝せずにはいられなかった。

 それから敵に塗られた自陣を塗り替えし、最後に自身も真ん中のエリアで塗りに徹していれば、やがて時間切れのホイッスルが鳴らされた。

 結果発表の時間になり、猫のジャッジが旗を上げる。結果はカイたちのチームの勝利となり、カイはキリカともう一人の大きなローラー使いと一緒になって喜んだ。

 初戦で見事、カイたちは勝利を手にしたのだ。

 

 

 

 ■

 

 

 

「見事九割の勝率を誇った私たちの強さに、カンパーイ!」

 

 空からの日差しが強く降り注ぐ広場に、活気のいい少女の声と缶をぶつけ合う軽やかな音が響き渡る。

 広場にある自販機の前にて、カイとキリカは缶ジュースを手に互いの労をねぎらいあっていた。

 そしてその輪に加わっていないシグレはといえば、二人が期待の眼差しを向けた瞬間鬱陶しそうにそっぽを向いてしまった。

 

「あー、ノリわるーい」

「そんなくだらないノリには付き合わない」

「くだらなくないですー。今度からやっぱりやりたい、とか言ってももうやってあげないんだからね」

「言うわけないだろ」

 

 キリカは不満そうに口を尖らせる。しかし大して気にしていないのか、彼女はすぐに表情に笑みを浮かべると隣にいたカイに話しかけた。

 

「ねえ、どうだった?今日のバトル」

 

 振られた問いに、カイは今日のバトルのことを思い返す。およそ四時間にわたって戦っていたが、どれも白熱したバトルで気が付けばあっという間に時間が過ぎ去っていた。

 

「すっごく楽しかったです!やってるうちにだんだん動き方がわかってきたし、ちょっとだけキルもとれるようになって!」

「おお、すごいじゃん!しかもカイくんが一人でいっぱい塗ってくれたおかげで勝てた試合もあったよねー、ほんとすごい良かったよ」

「ほんとですか!」

「ね、シグレくん」

「まあ、最初に比べたらそこそこ動けるようにはなったんじゃない」

「もー、そこはもっと褒めてあげるとこじゃない?」

 

 相変わらずドライな評価を口にするシグレをキリカが呆れたように咎める。しかしカイは首を振ると、やんわりと彼女を宥めた。

 

「いいですよ。そこそこでも上手くなれたんだって嬉しいです、オレ。それも全部お二人のおかげで。特に先輩からは、色んなことを教わりましたし……。だから今日のこと、すごく感謝してるんです。本当にありがとうございます、オレのために付き合ってくれて」

「……だってさ。よかったね、シグレくん」

「……あっそ」

「この人こんなにツンツンしてるけど、内心すごい喜んでるから」

「そうなんですか?」

「喜んでない。余計なこと言わなくていいってば」

 

 シグレがキリカを睨みつけ、キリカが楽しそうに笑う。それを見て、カイもつられて笑顔を浮かべていた。

 

 

 それからしばらくは三人で今日のバトルを振り返っていたが、そこそこの時間が経過してしまい名残惜しくも解散の流れとなった。

 

「あの……今日は本当にありがとうございました」

 

 カイは改めて礼を口にする。そろそろ聞き飽きたと思われそうだが、それでもそれほど感謝はしていたし伝えておきたかったのだ。

 

「先輩さえよければまた、色々と教えてください」

「今日限りって話だったはずだけど」

「それはそうなんですけど……」

 

 カイは少し躊躇いがちに口を開く。

 

「今日一緒に戦ってて、楽しかったので……また一緒にバトルしたいです。……だめですか?」

 

 これはお世辞でもなんでもなく、カイの心からの本心だった。

 今日一日、バトルを楽しめたのはシグレのおかげといっても過言ではない。最初の自己紹介の時点で優しくしないと宣言しておきながらも、わからないことを彼は最後まで丁寧に説明してくれた。それだけでなく、バトルが終わったあとにこうしたほうがいい、というアドバイスもしてくれて、そのおかげでカイは自分でも実感できるほどに成長していったのだ。

 態度や口調はどうであれ、カイにとってシグレが教えてくれたことは間違いなくためになるものだった。それに、実際関わってみてわかったのは、シグレは案外そこまで怖い存在ではないということだ。

 なんだかんだ、自分に与えられた役割はきちんと全うするタイプなのだろう。キリカが彼を紹介してくれたのもわかる気がした。

 と、そんなふうに、彼への評価が「ちょっと怖い人」から徐々に「思ってたよりいい人」に変わっていき、その結果カイの中で欲が沸き起こったのだ。

 もう少しだけ、関わってみたい。

 今日だけという約束なのは、もちろん分かっている。それでも、せっかくの出会いが一日限りなことに寂しさを感じてしまっていた。

 カイの懇願にシグレは何か思わしげに目を細めていたが、やがて彼は、容赦のない問いをカイに投げかける。

 

「それって僕になにかメリットはあるわけ?」

「え……ええっと」

 

 何か言わなければと必死に思考を巡らせる。

 

「あ……話し相手になら、」

「いらない」

 

 ズバリと両断されてしまい、カイは言葉に詰まる。それでも諦めず、今度は大胆に攻めてみることにした。

 

「なら……言うことはなんでも聞きます!」

「……例えば?」

「代わりにジュースとかパンとか買ってきますし、ナワバリ百戦やるまで帰るなって言われたらします!」

「それじゃヌルい」

「えっ」

「例えばだけど、僕が一日中語尾に「ゲソ」をつけて会話しろって言ったら君はできるの?」

 

 突拍子もないその問いかけにカイは一瞬たじろぐ。だが、なんでもすると言った以上は答えはひとつしかなかった。

 

「で……できます!」

「逆立ちしながらナワバリバトルやれって言ったら?」

「や……やります」

「稼いだお金は全部僕に渡せって言ったら?」

「う……それは……」

「ちょっとー、あんまりいじわるしないの」

 

 見かねたキリカが口を挟む。

 一方で、言葉を詰まらせてしまったカイを見て興味を失ったのか、シグレはこちらに背を向けてしまった。

 どうやら、カイの願いは聞き届けてはもらえないらしい。それもそうだ。彼の言うとおり、この関係を続けることになんのメリットもない。今日付き合ってもらっただけでもまだいい方なのだ。

 無力感と落胆がカイの胸を占め、思わず項垂れてしまう。

 

「……明日の午後二時」

「……え?」

 

 突然時刻を告げてくるその背中に、カイは疑問を浮かべて顔を上げる。

 

「僕はバンカラマッチに参加するけど、その前にナワバリに行くつもりだから。来たけりゃ勝手に来れば」

「え、はい……?」

 

 言葉の意図がすぐには掴めず、カイは首を傾げる。そんなカイを置いてきぼりにするように、シグレはそのまま広場を去っていってしまった。

 

「えっと……今のって……?」

「また一緒にナワバリバトル行ってくれるってことじゃない?やったじゃん!」

「え!?」

 

 信じられなかった。彼の言い方は確かにそういう風に捉えることはできるが……本当にいいのだろうか。

 嬉しさと実感のなさでいまいち情緒がはっきりとしなかった。

 

「あ!でも……」

「どうしたの?」

「言うことなんでも聞きますって言っちゃった……大丈夫ですかね?語尾にゲソなんて、本当はすごく嫌なんですけど」

 

 予想していなかったカイの杞憂に、キリカは堪えきれずに吹き出していた。

 

 

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