赤を手にしてヒーローは   作:海雫

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温もりと決意

 

 ナワバリバトルを目的とした若者たちが多く集うバンカラ街のロビー。

 朝から夜まで人が絶えることのないそこは、今日も多くのインクリングやオクトリング達によって活気に包まれていた。

 バトルを終えて感想を話し合う声、ロビーに流れ続ける軽快な音楽、バルーンの乾いた破裂音。それらは騒がしいほどではないのに、不思議と賑やかさが途切れることはない。

 その一方で、端にある練習スペースにて黙々とバルーンを割っていたインクリング……カイは、武器を下ろすとゆっくりと息を吐いた。長い間ここでエイム練習をしていたためか、気づけば体がだいぶ温まっている。

 カイは懐から携帯端末を取り出すと、画面に表示された時刻を確認した。

 ……午後二時前。そろそろだろうか。

 ある人物に思いを馳せながら待っていると、やがてエレベーターの扉が開いて誰かがロビーに入ってくる気配がする。

 振り返るとそこに見覚えのある小柄なインクリングの姿を見つけ、カイは彼に手を振って駆け寄った。

 

「先輩!」

 

 先輩と呼ばれた少年……シグレは、カイを見るなりどこか呆れたような視線を向ける。

 

「……また来たんだ」

「はい、待ってました」

 

 シグレの反応など意にも介さず、カイは素直に彼の言葉を認めた。

 しかし言われた方が見せた表情は、喜びでも照れでもなく、複雑そうなものだった。

 

「君、僕以外に遊んでくれる人いないの?」

「いますよ。でも、オレは先輩と遊びたいです」

「……理解できないな。普通の人は僕と関わろうなんて思わないはずだけど」

「そんなことないと思いますけど……」

 

 彼の言葉がいまいち腑に落ちず、カイは首を傾げる。

 シグレと関わる人がおかしいなら、彼と幼なじみであるキリカはどうなるのだろう。他にもきっと、彼にフレンドはいるはずだ。

 確かに多少毒を吐くところはあるかもしれないが、それにしたってバトルが強くてかっこいいのだからそこまで卑屈にならなくてもいいのではないのだろうか。

 

 (……なんて、さすがに言えないけど)

 

 伝えるのはすこしだけ照れくさいし、彼にどんな反応をされるのか分かったものじゃないのでカイは心のうちに留めておくことにした。

 

 

 

 

 およそ一週間前。カイがシグレと出会ったのは、キリカによる紹介がきっかけだった。

 一日限りの出会い。最初はその約束のはずだった関係はカイが無理を言った結果変わり、その後も一緒にバトルをするまでのものになった。とはいえ、バトルに誘うのはいつもカイからでシグレには毎度それに付き合ってもらっているのが現状だ。それでも、カイにとってはそれだけで十分嬉しいことだった。

 それに、なんだかんだ彼もカイを拒絶することはせず、それどころか負けた時に自分の悪いところを尋ねた時はわざわざメモリープレイヤーを見返してアドバイスをくれることもあった。おかげで最初は少し怖いと感じていたシグレに対する印象も、今では尊敬に近いものとなっていた。

 なんだかんだ初日限りの関係で終わらずに済んで良かったと、今では心からそう思っている。

 いずれ、彼には何らかの形で恩を返すつもりだ。だけど今は、もう少しだけその面倒見の良さに甘えていたかった。

 

「あ、そうだ先輩。見てください!」

 

 カイはふと思い出し、手に持っていたシャープマーカーを掲げる。まるで自慢のおもちゃを見せびらかすかのように、気分は誇らしかった。

 

「武器を新しく買ったんです!」

「……へえ」

「これでオレも前に出て一緒に戦えますよ。練習もいっぱいしたので!」

「なら、どこまで通用するのか見せてみなよ」

「ま……任せてください!」

 

 少し強気に言いすぎただろうか。

 彼に失望されたくなくてつい咄嗟に答えてしまったが、これでだめだったらそれこそ呆れられてしまうのではないだろうか。少しだけ後悔の感情が芽生えてくるも、こういうのは気持ちが大事なのだと自分に言い聞かせてすぐに持ち直すことにした。

 

 

 

 

 

 波の音を運ぶ潮風が、海に浮かぶ白い船体を撫でては通り過ぎていく。

 船の甲板を昼下がりの日差しが照りつけ、上空を飛ぶカモメの影がその上を彷徨っていた。

 港に停まった帆船、マンタマリア号。

 今日のナワバリバトル一発目のステージだ。 

 インクリング達はスポナーの上で武器を構えると、それぞれ開始の合図を待つ。カイはこの開始を待つ間の僅かな時間が好きだった。ほどよい静けさと緊張感に包まれた空気感が、いつも胸を躍らせるのだ。

 やがて開始の合図が鳴ると、両チームは一斉にスポナーから飛び出した。

 自陣を塗る味方もいれば我先にと先陣を切る味方もいて、行動はそれぞれバラバラだ。その中で、カイはある程度自陣を塗ってから前線へと行く選択をとった。スペシャルを貯めてから戦うという、最近お気に入りの戦法だ。

 今回もシャープマーカーでインクを塗り広げつつスペシャルが溜まったのを確認すれば、真ん中のマストが立ったエリアへと移動を始める。

 遠くの方の敵陣ではシグレが敵と撃ち合いを繰り広げている様子が見えた。自分もカバーに行くべきだろう。そう考え、カイも前線へと移動する。

 と、そこまでは順調だった。

 唐突に「それ」が起こったのは、真ん中のエリアを通過している時のことだ。

 不意に手足に広がった、じんと痺れるような感覚。次いで体を襲いかかる異常なまでの倦怠感に、カイは思わず足を止めた。

 心当たりのある症状に、思わずどきりとする。

 

 (……こんな時に、どうして)

 

 全身を駆け巡る嫌な予感に、背筋がひやりと冷たくなるのを感じた。

 バトルの高揚感が嘘のように無くなり、焦りと不安が厚い雲のように胸を覆い尽くす。

 しかし、今はそれに気を散らしている余裕はない。

 足元に転がってきた敵のスプラッシュボムを慌てて避けると、カイは改めて自分の置かれた状況を思い出した。

 そう、自分は今戦場の真っ只中なのだ。そんな時に自分の不調を憂いていても、戦いは待ってはくれない。

 今はとにかくどこかに隠れるべきだろう。まだ冷静だった頭でそう判断を下すと、カイは急いで後ろの自陣へと下がる。

 あちこちから戦闘の音が聞こえてくる中で、今自分がするべきことをなるべく冷静に考えた。

 もちろん第一優先すべきは、誰にも迷惑をかけないことだ。ならばやはり、バトルを続行するべきだろう。幸いにも、体の状態は全く動けないほどではない。大丈夫だ。

 自分にそう言い聞かせると、カイは重苦しい体を無理やり動かして自陣へと引き返すことにした。

 

 ───遠くでそんなカイの状態を見ていた視線など、まるで気づくこともできずに。

 

 

 

 

 単刀直入に言うと、バトルの結果はカイ達の負けだった。とはいえぼろ負けというわけでもなく、僅差なものだったが。

 カイが不調でなければおそらく勝てていた試合だろう。それほどまでにシグレを含めた味方は善戦してくれていた。ゆえに、彼らに対する申し訳ない気持ちは大きかった。

 バトルが終わったあとにカイは味方に謝罪をしたのだが、「全然大丈夫だよ」と笑って許してもらえたのがまだ救いだった。

 しかし、今日はきっとこのまま無理をしても同じような結果になってしまうだろう。実際、手足に広がっていた痺れは気づけばじんじんと響くような痛みに変わっていて、動くのも辛かった。体の倦怠感も相変わらずだ。バトルを続けるべきではないのは明白だった。

 仕方ないが、少しだけ休ませてもらおう。そう判断した矢先に、カイはある壁にぶつかってしまい頭を悩ませた。

 

 (……先輩に、なんて言い訳しよう)

 

 なるべく彼に心配はかけたくない。だから正直に申告したくはないというのが本音だ。とはいえまだ一戦しかしていないのに、疲れたという言い訳も怪しまれるだろう。

 どうするべきかとひたすら考えを巡らせていれば、やがて思考の外から声をかけられた。

 

「……ちょっと」

 

 顔を上げると、シグレの青い瞳と目が合った。こちらを見透かすような、射抜くような強い視線に思わずたじろぎそうになる。

 

「来て」

 

 有無を言わせぬ様子でそれだけ言うと、彼はロッカールームへと足を踏み入れてしまう。

 なんだか少しだけ嫌な予感を感じながら、カイもぎこちない動きで彼の背中について行きロッカールームの中へと踏み込んだ。

 

「……先輩?」

「座って」

「は、はい……」

 

 圧のある指示に思わず萎縮しながら、おずおずとベンチに座る。シグレに見下ろされる形で向かい合うのは妙な感覚で、同時にこれから親にでも叱られるような気分で落ち着かなかった。

 

「あのさ、何か隠してるよね」

「……」

「隠してるよね」

「……はい」

 

 彼の尋問に、カイは十秒も持たずに観念してしまった。

 悪いことをしたわけでもないのに責められているような気分で、つい言い訳を口走りたくなってしまう。

 だけどそれも空回りして余計に怒られてしまいそうで、結局カイが口にできたのは謝罪の一言のみだった。

 

「……すみません」

「別に責めてるわけじゃないけどさ」

 

 ため息混じりにそう言うと、彼は片膝をついて視線を合わせてくる。彼の言葉通り、その表情から怒りは感じられなかった。

 

「で、何?正直に話して」

 

 帽子の下で、真剣な眼差しがこちらを射抜く。それを見た瞬間、カイの「隠し通したい」という意思は揺らぐどころかすっかりと剥がれ落ちてしまった。嘘をつくのも隠すのもやめようと、そう思わせるだけの何かがそこにあった。

 心配されているのに、ここで彼に向き合わずにいるのは不誠実だ。

 だからカイも、正直に打ち明けることを選んだ。

 

「……オレ、実は早期不適応症なんです」

 

 カイの告白に、シグレは怪訝そうな表情を浮かべる。

 

「早期不適応症って……君、いくつなわけ」

「十一歳です」

 

 表情が固まり、彼が驚くのがわかった。

 

 通常、インクリングという生物は十四歳を境に人型に変身できるようになるという決まりがある。個人差はあれど、大体のインクリングはその基準に該当している。

 しかし稀に、彼らの中には十歳、十一歳といった早い段階から人型に変身を遂げるインクリングも存在した。

 早熟個体。通常よりも成長が早いインクリングをそう呼ぶことがある。カイもそれに該当するインクリングで、人の姿に変身できるようになったのは十歳を迎えた頃だった。

 成長が早いということには様々な利点が伴うが、その一方で成長の前倒しにより早熟個体の体には何かしらの異常をもたらすこともあった。手足の痺れ、痛み、吐き気、息苦しさ、倦怠感。酷い時は動けなくなることもある。それが早期不適応症だ。

 これにより、カイは今まで幾度となく体の不調に悩まされてきた。薬で症状を抑える方法も試したことはあるが、それは気休め程度にしかならず完全に防ぐことはできなかった。

 しかし完全に望みがないわけではなく、医師が言うには通常のインクリングと同じように十四歳を迎えれば自然と症状も落ち着くのだそうで。どうしようもない現状の中ではその事実が唯一の救いだった。

 だからカイは思い通りにいかない体を忌まわしく思う時はあっても、悲観的にはなることはなかった。あと三年、辛抱すればいいだけのことだ。

 

「……とりあえず、事情はわかった」

 

 はぁ、と少し困ったようにシグレがため息をつく。彼にも症状に対する知識はあったようで、詳しい説明をしなくても理解を示していた。話が早いのはカイとしても大いに助かる。

 だがそれよりも、事情を打ち明けたことによりカイの中である懸念点が芽生えてしまった。

 

 (……めんどくさいって、思われたらどうしよう)

 

 不安が顔を覗かせて胸を締め付ける。実際、今も迷惑をかけてしまっているゆえに浮かんだ可能性は否定しきれなかった。

 もしめんどくさいからと、見放されてしまったら。もう遊べなくなってしまったら。

 嫌な想像が脳内を占めて、カイの表情は影を落としていく。

 そんなカイの心情など知る由もなく、シグレはただ淡々と問いを投げかけた。

 

「で、どうするの。医者が必要なら呼ぶけど」

「だ、大丈夫です。そこまで酷くないし、ちょっと休めばまたバトルにも行けますから」

「……この期に及んでまだバトルに行くとか正気?」

「だ、だって……今日まだ一戦しか遊んでないのに」

「別に今度でも遊べるだろ」

「でも、せっかく先輩も一緒なのに」

「……だから、別にまた今度来れば……」

 

 どこか言いづらそうなシグレの言葉を、カイは聞き逃さなかった。

 

「また遊んでくれるんですか?」

「はいはい、それでいいよ。わかったら今日はもう終わりだから」

 

 前のめりで尋ねれば、シグレはうんざりしたような表情を浮かべて顔を逸らした。

 その言葉を聞き、自然と肩の力が抜けていくのを感じた。

 どうやら要らぬ心配をしてしまったらしい。そのことに安堵したカイの表情はみるみるうちに明るさを取り戻していった。

 

「ありがとうございます、先輩!」

「……聞き分けがいいんだか悪いんだか」

 

 呆れたように小声で何かを呟くシグレに、カイは首を傾げる。

 

「何か言いました?」

「別に。で、具合はどうなの。動けるの?」

「座ってたらちょっぴりマシになってきました。足はまだ痛いんですけど……頑張れば歩けると思います」

「……そう」

 

 シグレは立ち上がると懐から携帯端末を取り出した。

 

「とりあえず、僕の連絡先に住所送ってくれない?」

「え?なんで……」

「家まで送ってくから」

「えっ」

 

 唐突な申し出に思わず虚を突かれる。

 

「い、いいですよ!さすがにオレ一人で帰れますから!」

「歩くのもやっとの病人に対してじゃあ頑張って一人で帰ってください、なんて放ったらかしにするほど僕も鬼じゃないんだけど。万が一倒れられてもこっちが困るし」

「それは……でも、本当にいいんですか?」

「いいから言ってんじゃん。さっさと住所教えて」

「は、はい」

 

 ここまで来るとカイは彼の言葉に従う他なかった。

 彼の連絡先に住所の座標を送っているうちに、なんだか「こんなに面倒を見てもらえて本当にいいんだろうか?」という疑問が湧いてくる。かといって、今更彼の申し出を断って関係を悪化させるような真似もしたくはなかった。

 

「ほら、行くよ。イカになって」

「……はい?」

 

 どうしてイカ状態に?

 唐突な指示に疑問符が浮かぶ。

 

「イカになってくれないと運べないだろ」

「え……運ぶんですか?オレを?」

「当たり前でしょ。というかその前提で話してたんだけど」

「え、でも……それはちょっと」

「何?病人の分際で文句あるの?」

「……あ、ありません」

 

 有無を言わさぬ強引さにカイも躊躇いの言葉を飲み込んだ。この歳になって小さな子供のように抱き抱えられることに多少の抵抗感はあるが、ここまで来ると従うしかないのだろう。

 大人しくイカ状態に変身すれば、シグレはそっと手を伸ばしてカイを抱き上げた。

 白い腕の中に収められると、少しの温もりと柔らかないい匂いに包まれてなんだか落ち着かない気分になってしまう。彼とここまで接触したのは初めてのことだった。

 そんなカイの心情など知る由もなく、シグレは歩き出すとロビーを出る。

 すれ違ったインクリングたちの視線が突き刺さりいたたまれなかったが、仕方ないことだと割り切って耐える他なかった。

 

 そうしてしばらく腕の中で揺られているうちに、日差しのポカポカした陽気に当てられたせいか、瞼が次第に重くなっていくのを感じた。

 

 (眠い……)

 

 眠ったら怒られてしまうだろうか。けれどまだ家まで距離があるし、少しだけなら。

 耐え難い眠気に抗えず、瞼を閉じればカイの意識はあっという間に闇へと沈んでいった。

 

 

 

 ⬛︎

 

 

 

 目的の場所に着くまで、さほど時間はかからなかった。

 とある一軒家の前で立ち止まったシグレは、腕の中で寝息を立てるカイを起こさないように携帯端末を取り出す。示された座標はまさに目と鼻の先だった。

 ここがカイの住む家……目的地に間違いないことを確認し、再び住宅を見上げる。

 白と黒の外壁が特徴的な、何処にでもある普通の一軒家だ。併設した車庫には白い車が泊まっている。

 シグレは少しだけ考えて、門扉にあるインターホンを押してみた。一人でここに住んでいるとは考えづらい。ゆえに、誰かがいる可能性に賭けてみた。

 少しの間待っていると、やがて玄関の扉が開かれる。中から出てきたのは背の高い少女だった。おそらくシグレよりも僅かに年上だろう。

 

「はーい、どちら様?」

「……シグレと申します。知り合いのカイ……くんが体調を崩されたみたいなので送り届けにきました」

「あらら、そうなの?ごめんねーわざわざ」

 

 少女はシグレの腕からイカ状態のカイを受け取るが、それでもなお彼は未だに眠りこけていて起きる様子がない。

 そんな彼をぼんやりと見ているとふと視線を感じ、顔を上げれば興味深そうに自分を見る少女と目が合った。

 

「ねえ、疲れたでしょ。せっかくだしちょっとうちで休んでいったらどう?」

「いえ、僕は……」

「いいからいいから!」

 

 少女に背中を押されてシグレは流されるように家へと入れられる。

 その強引さに戸惑いながらも、無理やり拒絶する気も起こらなかったのでとりあえずは受け入れることにした。

 リビングに通されてソファーに座れば、彼女はシグレの隣にカイを寝かせ、テーブルの上にジュースとお菓子を置いていく。もてなされる気などさらさらなかったのでどうにも居心地が悪かった。

 

「ありがとね、ここまで来てくれて。あの子重かったでしょ?」

「それなりには」

「ふふ、そうよね。お疲れさま」

 

 マグカップを手にした少女はシグレの斜め向かいに座ると、湯気を漂わせるココアに息を吹きかける。

 そんな彼女の顔をじっと観察していると、どことなくカイの面影を感じられる気がした。彼女がカイの姉であり、キリカの友人でもある少女なのだろう。

 

「シグレさんて、最近カイとよく一緒に遊んでくれてるんでしょ?あの子から話は聞いてるよ」

「……まあ、そうですね」

 

 勝手についてくるから好きにさせてるだけなのだが。

 そう思ったが口にはしなかった。

 

「厳しいけど強くてかっこよくて優しい人だって。あの子、あなたのことベタ褒めしてたよ」

「随分過大評価ですね」

「そう?でも、あたしはそこまで間違ってないと思うな。実際、わざわざここまでカイを送ってくれたんだもの」

「……知り合いとして当然のことをしただけですから」

「知り合いねえ……」

 

 少女はシグレに意味深な目を向ける。

 彼女の言いたいことがなんとなく分かってしまい、シグレはその視線から逃げるように目を逸らした。

 

「シグレさんからしたら、カイは友達とは言えないの?」

 

 その問いかけは概ね予想していた通りで、同時に答えたくもないものだった。

 ここで友達だ、と答えて場を凌ぐのは簡単だ。

 だが、シグレはそうはしなかった。

 

「友達ではないですね」

 

 はっきりと意志を口にする。

 例え嘘でも、その関係を認めることだけはできなかった。

 どれだけ失望されようとも、求められようとも、シグレの答えは変わらない。

 友達はもう二度と作らない。

 それはある過去を経てから、シグレが心に決めたことだ。

 だから、自分への戒めをそう簡単に曲げるわけにはいかなかった。

 

「……そう。まあ、友達の基準は人それぞれだものね」

 

 気を遣うような彼女の言葉が、静かに胸に突き刺さる。それがじわじわとシグレの内部を侵食しては責め立てて、息苦しさに沈んでしまいそうだった。

 

 黙り込んでしまったシグレに対し、彼女はなおも明るい声で話しかける。

 

「ねえ、シグレさん。あたしからひとつ、お願いがあるんだ」

「……なんですか」

「友達にはなれなくても、これからもカイと仲良くしてあげてほしいの」

 

 これからも、仲良く。

 誰かを遠ざける生き方しかできないシグレにとって、それはまるで呪いのような言葉だと思った。

 そんな心情を知ってか知らずか、彼女は明るく言葉を続ける。

 

「知っての通り、あの子、素直で無邪気で真っ直ぐでしょ?それがいいところなんだけど、ちょっと真っ直ぐすぎるっていうか……それで昔、友達とトラブルになっちゃったことがあって」

「……そうなんですか」

「ええ。それきり、その友達とは縁も切れちゃったらしくて。今もそのことを引きずっているのかはわからないけど……でも、あたしはそのせいであの子が人に遠慮がちになったり、自分の意見を出せなくなったりしたら嫌だなって、そう思ってるの。だから、距離が近いとか鬱陶しいとか思うこともあるかもしれないけど……それでも、これからもあの子と仲良くしてくれると嬉しいな」

 

 シグレは、その願いにすぐにはいと頷くことはできなかった。

 代わりに、逃げるようにカイへと視線を落とす。

 ソファーの上で穏やかな寝顔を晒す、自分よりいくらか年下の子供。シグレの抱えるものなど何も知らずに呑気で、無邪気で、明るくて。それを鬱陶しいと、忌々しいと遠ざけることは簡単なのに、それもできなくて。

 

 (どこまでも、中途半端だ)

 

 今ならまだ、選ぶことができる。彼と名前のつけられない関係である今なら。

 ……関係を断ち切るべきだ。それが自分のためでも彼のためでもある。

 だけど、わかっているはずなのに、気づけばシグレの頭は矛盾した答えを見つけてしまっていた。彼を遠ざける理由ではなく、関わり続ける理由を。

 

「……正直に言うと、彼と今の関係を続けられると言い切ることはできません。僕は過去に、多くの人と縁を断ち切ってきましたから」

「……」

「それでも、彼が望むならこれからもこの関係を続けたいとは思っています。……彼がまた動けなくなった時、家に送り届ける人も必要ですから」

 

 それがシグレの出した結論だった。

 彼と友達になることはできない。だから、あくまでそういう理由でこれから彼と付き合っていくのだ。

 それは、己に課した使命でもあった。

 

 シグレの言葉を最後まで静かに聞いていた少女は、やがてゆっくりと頷くと嬉しそうに柔らかい笑みを浮かべていた。

 

「……シグレさん、やっぱりあなたはいい人ね」

 

 

 

 

 

 

 

「…………ん、あれ……」

 

 微睡んでいた意識が浮上し、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。

 見慣れた天井と背中を包む柔らかなソファーの感触に、自分がいつの間にか眠りこけていたことを悟った。

 人へ変身すると体を起こし、辺りを見渡す。今いる場所が自分の家のリビングであることはすぐに理解したが、何故ここで眠っていたのかわからず頭が混乱した。

 

「あ、起きた?おはよう」

 

 覗き込むように視界に入ってくる少女の顔に、カイはもう一度瞬いた。

 

「姉ちゃん?オレ……いつの間に……」

「シグレさんがあんたをここまで届けてくれたのよ」

「え……」

 

 ようやく思い出し、はっとする。

 

「そうだ、オレ先輩に運んでもらってて……」

 

 ……そのまま、眠ってしまったのだ。

 

「先輩は!?」

「ついさっき帰ったわよ」

「ええ!」

 

 ショックで思わず大きな声が出てしまう。そんなカイの心情など他所に、彼女はもくもくとテーブルにあるお菓子をつまんでいた。

 

「なんで起こしてくれなかったの!」

「だって体調悪いみたいだったし、よく眠ってたしいいかなーって」

「うぅ……」

 

 確かに眠ってしまった自分が悪いので、カイもあまり強くは言えなかった。

 

「そういえば、具合はどうなの?平気?」

「あ、うん……だいぶマシになってる」

「そう、よかった。あんた、シグレさんに次会った時お礼言いなさいよ」

「うん……ねえ、先輩と何か話した?」

「まあ色々とね」

「色々とって、例えば?」

「内緒ー」

「なにそれ、ずるい!」

 

 

 

 少女の朗らかな笑い声がリビングに響く。茜色の夕日が窓から差し込み、二人の空気を和やかに包み込んでいた。

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