ソシャゲの話が長すぎる長文三人衆がお茶会を開いたらどうなるか? 作:異常長文構築者
───それは、宇宙の摂理か、あるいは悪魔の悪戯か。
次元と因果の境界線が再び融解し、陽だまりの庭園に設えられた白亜のサロンに三つの魂が結集していた。
豪奢な円卓を囲むのは、キヴォトスにおけるトリニティ総合学園ティーパーティーの元ホストにして元予言者の百合園セイア。
ロドス・アイランドの医療部門総責任者であり、底知れぬ知識と威圧感を放つ医師ケルシー。
そして、星を巡る軌跡の果てから訪れた、あらゆる事象を愛と浪漫の叙事詩へと変換してしまう乙女キュレネ。
前回のお茶会において、ティーポットの枯渇を迎えるまで果てしない言語の濁流で空間を支配した三者。彼女たちが再び一堂に会したということは、すなわち新たな『言葉という名の鈍器の応酬』が幕を開けたということに他ならない。
しかし、今日この空間には、前回の会合には存在しなかったイレギュラーな存在が一人、端の席にちょこんと座らされていた。
トリニティ総合学園、正義実現委員会に所属する二年生・仲正イチカである。
(……セイア様に頼まれて来てみればもう帰りたいっす……セイア様以外誰っすかこの二人……なんで私が……)
ニコニコとした愛想の良い糸目を崩さぬよう必死に理性を保ちながら、イチカは内心で盛大な血の涙を流していた。
事の発端は数時間前。
『ちょっとした知人との茶会に同席してほしい。ただでとは言わない。君の持つ特有の『要約能力』と『傾聴の才』を見込んでの指名だ』
と、百合園セイアから直々に名指しされたのである。ティーパーティーの権力者からの直接の要請となれば、一介の委員会所属生徒であるイチカに拒否権などあるはずがない。
「お任せあれっす」と引き受けたが最後、気づけば次元の澱みとも呼ぶべき謎の庭園へ連行され、正体不明の二人の女性とテーブルを囲む羽目になっていた。
テーブルの上には、イチカが気を利かせて持参したトリニティで今一番人気の洋菓子店の限定フルーツパウンドケーキが切り分けられて並んでいる。
「さて、今日は私が君たちに一つ『特効薬』を用意したと言ってもいい。紹介しよう。彼女は我がトリニティにおける優秀な調停者であり、無軌道に散らばる言葉の意図を掬い上げ、短くまとめる才能に長けた仲正イチカだ。前回我々は、言葉という概念に依存しすぎたあまり時間という有限のリソースを少々非効率に消費してしまった感があるからね。そこで本日は、我々の見解を彼女に要約してもらうことで、コミュニケーションの最適化と相互理解の迅速化を図ろうというわけさ」
セイアが勿体ぶった仕草でティーカップを持ち上げながら、イチカを紹介する。
イチカは立ち上がり、完璧な作り笑いで頭を下げた。
「初めまして。セイア様と同じトリニティ総合学園、正義実現委員会のイチカっす。その、至らぬところもあるかもっすけど、よろしくお願いしますっす」
「ロドス医療部門の責任者、ケルシーだ。君の所属する組織『正義実現委員会』という名称の定義には極めて強い政治的思想と矛盾を感じるが、その社会的役割と治安維持という機能的側面に置いては一定の評価を与えよう。言語のデフラグとコンテキストの最適化を担うプロセスとして君が介入するというセイアの提案だが、情報の意図的・あるいは非意図的な欠落リスクを鑑みれば諸刃の剣だと言わざるを得ない。しかし、テラの各国中枢会議においても有能な書記官の存在が紛争抑止に繋がった過去のデータもある。ドクターでなく君のような他者が第三者の視点で分析することで生じるバイアスの是正には興味がある。観察対象として歓迎しよう」
「ふふっ、はじめましてイチカちゃん! キュレネよ! まあ、なんて可愛らしいのかしら! 太陽の光をたっぷり浴びて咲いた、恥じらいを知る向日葵みたい! 言葉をまとめる妖精さんが来てくれたおかげで、今日のお茶会はもっともっとロマンチックな詩の朗読会になりそうね♪ あなたが紡ぐ言葉のリボンで、あたしたちの愛のブーケをぎゅっと結んでくれるのを期待しているわ!」
(……既に挨拶長ぇっすよ……そして妖精さんでもブーケでもねぇっす……)
開始五分。早くも情報の多さに脳内のキャッシュが悲鳴を上げ始めるイチカだったが、そこは生粋の苦労人であり、治安の悪いトリニティを渡り歩いてきた実力者である。彼女はニコリと笑い即座に要約を試みた。
「えっと、お二人とも『よろしくっす』ってことっすね。 嬉しいっす。じゃあ、まずは私が買ってきたケーキからいかがっすか? これ、最近生徒の間でめちゃくちゃ並ぶって評判のケーキで、手に入れるの結構大変だったんすよ〜」
それは、場の空気を和ませ、ごく自然に話題を一つに絞るための見事なトークコントロールだった。並の生徒相手ならば「美味しい!」の一言で数分は持っただろう。
しかし、彼女が対峙しているのは常軌を逸した「長文生成機構」を持つ三体の化物であった。
イチカの用意したパウンドケーキを一瞥し、セイアがゆっくりと口を開く。
「ふむ……。行列に並ぶという行為によって獲得された『限定』という名のフルーツパウンドケーキ、か。イチカ、君はこのケーキの真の価値が、含有された果実の糖度や小麦の質の良さにあると考えているのかい?それとも『手に入れることが困難である』という社会的ハードルの高さにあると解釈か。だが、それは行列に並ぶという身体的苦痛と時間の浪費は、手に入れた瞬間の報酬系を劇的に書き換えるスパイスに他ならないよ。それはあたかも、砂漠で一滴の水を求めて彷徨う旅人が、泥水をすら神の甘露と錯覚する現象に似ている。つまり、私が言いたいのは……このケーキの表面を覆うアイシングの甘さの正体はパティシエの技量のみならず、君が費やした『苦労』という無形の付加価値によって構成されているということだ。市場経済が生み出した限定という名の虚栄……それを享受し消費することで、我々もまたシステムに組み込まれた歯車であることを肯定しているにすぎない……。しかし、この芳醇なオレンジピールの香りは、そんなシステムへの反逆すら忘れさせるほどの暴力的な誘惑を秘めているね」
「あ、はい……要するに『限定品で価値が上がってて、美味しそう』ってことっすね……?」
「短絡的だな、イチカ。市場経済の構造的欺瞞に気づいたセイアの指摘は一部同意するが、彼女は根本的な代謝のメカニズムと生態学的観点を閑却している。このパウンドケーキと呼称される小麦粉、バター、鶏卵、そして多種の乾燥果実を用いた複合炭水化物および脂質の塊。一口に『フルーツ』と形容するが、使用されている果皮──オレンジやレモンの類には特有のソラレンが含まれており、光毒性の懸念をゼロにすることはできない。無論、経口摂取かつこの程度の量であれば表皮のメラニン色素に与える影響は微細だがな。さらに、乾燥果実への加工段階で投入される亜硫酸塩の抗酸化作用と、バターに含まれる短鎖脂肪酸が大腸に到達した際の腸内フローラへの影響。これらの成分は摂取後三十四分で君たちの血中濃度を上昇させ、ドーパミンの放出を促すだろう。それを単なる『美味しい』という二進法の概念に還元して処理することは、複雑な生化学的カスケードを無機質な言語のゴミ箱へ破棄するのと同義だ。君はドクターに状況報告をする際にも、バイタルデータから心拍の揺らぎに至る詳細な経緯を省き、『死んではいない』という言葉だけで片付けるのか? 情報にはそれを保持するべき質量が存在する。理解したなら、まずはフォークで一口分のサイズに切断した際のカロリー効率から考え直すことだ」
「いやいやいや……いや! たかがケーキ一個にソラレンやらカロリー効率やら大げさっすよ! ……えっと、つまりケルシーさんの見解は『美味しいの一言で片付けず、使われてる成分や体への影響もちゃんと噛み締めろ』ってことっすよね?」
必死に情報の洪水から「結論」の瓦礫をかき集め、笑顔の裏に冷や汗をかきながら要約するイチカ。そこへ、待ってましたとばかりにキュレネが目を煌めかせながら身を乗り出してきた。
「イチカちゃんの言う通りよ、ケルシー先生! 体への影響だなんて野暮なことを考えるのは、月明かりの下でのダンスをステップの物理計算で語るくらい味気ないわ! ……見て、このケーキの断面! 赤や黄色、緑のフルーツが星屑のように散りばめられているわ。これはね、パティシエさんが私たちに見せてくれている小さな宇宙図なのよ。長い年月をかけて太陽のキスを一身に浴びた果実たちが、この小さな生地という名の舞台に集められ、永遠の友情を誓い合った証。口に入れた瞬間にほどけるこの食感は……きっと、彼らが別れを惜しんで流した嬉し涙なんだわ! あたしはこの一切れから、生命が寄り添い合うことの愛しさを教えてもらったの。イチカちゃん、あなたがこれを買うために費やした時間はね、経済の歯車なんかじゃなくて、『大好きな誰かを笑顔にしたい』っていう魔法の詠唱だったのよ♪ さあ、あたしたちの舌先で彼らのフィナーレを祝福しましょう! 愛の賛歌と共に……!」
(なんだこのポエマー……いや待て、冷静になれ仲正イチカ。カスミ相手にしてる時よりマシだろ、うん……)
イチカはテーブルの下で自身の太ももをつねり、意識を明瞭に保つ。そしてふうと息を吐いて言った。
「なるほど……。キュレネさんの言いたいことはつまり、『私の気遣いに感謝しつつ、この見た目も綺麗なケーキの味を楽しみたい』ってことでオッケーっすか?」
見事に30秒以内のセンテンスへと圧縮してみせたイチカ。
「よし、次に行こう」と場を仕切ろうとした彼女の耳に、三者三様の重苦しい溜め息が被さってきた。
「……ふむ。言語とはコミュニケーションにおける解像度をいかに担保するかというゲームだが。イチカ、君のその変換処理はもはやデータの『非可逆圧縮』に近いね。たしかに君の出した文字列は私の提示した結論の座標の近くを指し示しているが、そこに至るまでの『限定品であることの社会的欺瞞に対する問題提起』というエッセンスが完全に喪失している。真に味わうべきはケーキそのものではなく、『これを有難がっている自分という存在の滑稽さ』なのだがね。過程を無視して結果だけを摂取する姿勢は、私の求める対話とは少しズレがある」
「同意する。要約という行為の危うさが露呈した好例だ。君の報告には、一切の具体的定性・定量のデータが内包されていない。『ちゃんと噛み締める』という情緒的修飾語に私の主張をすり替えたな。ロドスにおいて、ドクターへの提出報告書にこのような文学的逃避を用いれば、即刻差し戻しの対象となる。私が言いたかったのは果実の生化学的作用によるメリットとデメリットをトレードオフとして認識した上で咀嚼しろということであり、『楽しめ』とは一言も発していない。君のその無意識の結論誘導は、情報の歪曲に等しい行為だ」
「イチカちゃん……。文字数を削るということは、そこにあるはずだった誰かの『想い』を削り取ってしまうのと同じことなの。愛は省略できないのよ? 三行の恋文が美しいのは、その後ろに百行分の熱情が隠されているからだけど、あなたがしたのは私のポエムを機械の取扱説明書にしちゃったようなものだわ。もっと自由に! もっと豊かに!宇宙のロマンスを感じて!」
(……ダメだ、この人ら面倒くさすぎるっす!!)
ギリリ、とイチカの理性の奥深くで何かが音を立てた。
『―――だったら最初っから結論だけ端的に喋れやっす!!』
という叫びが喉元まで出かかったが、彼女はそれを飲み込んだ。トリニティの外交と調停のスペシャリストたる者、ここで爆発してしまってはツルギ先輩の部下としての面子が立たない。彼女は深く息を吸い、さらに完璧な笑みを作る。
「い、いやぁ、私のような若輩者の未熟な語彙力じゃ、皆さんの深い見識を的確に言語化するのは難しかったっす! 失礼したっす。だったら、ケーキの味に対する意見はさておき……今お話になっていた『言葉の短縮の是非』について、もう一度ちゃんと話し合ってみてはどうっすか?『情報を省略することの危険性』。これについて意見を交わせば、私にとっても非常に良い勉強になるっすから」
イチカのこの提案は、一見すると謙虚に教えを乞う態度である。
だが彼女の脳内の戦術レイヤーにおいては―――。
『私はもうまとめるのを放棄するから、お前らだけで勝手にテーマ一つで一生潰し合っててくれ。私はただ愛想笑いをしながら頷きマシーンになる』
という一種の撤退宣言であった。
見事な議題のすり替えとパス。これに食いついたのはセイアだった。
「ふむ。『言葉の短縮』、ひいては要約の哲学性についてか……面白いテーマを投げてくれるね。イチカ、君が先ほど放棄した『言語による精密な観測』だが、これを考える上でそもそも『言語』とは何かという原点に回帰する必要がある。ヴィトゲンシュタインの言葉を借りるまでもなく、私の言語の限界は私の世界の限界を意味する。もし私たちがリンゴの赤さを説明する時、『赤い』という単語一つで要約してしまうなら、夕暮れに染まる緋色も、傷口から流れる鮮血の赤も、全て同じ色相として乱暴に一つの箱に詰め込まれることになる。これは認識の死だ。君たちが要約と呼ぶ行為は、情報の抽出に見せかけた『理解の放棄』ではないか? もし私が夢の中で見た破滅の情景を、ただ『悪いことが起きる』という言葉だけで完結させてしまったら、あの残酷で美しいガラスが割れるような未来の細部は、永遠に暗闇に葬り去られてしまう。要約とは他者の人生をあらすじに変えてしまう行為。そこに物語は宿らない。つまり、私が言いたいのは……人間が長い言葉を重ねるのは相手に対して自己を開示するための誠意であり、長ったらしい弁解にこそその人物の生の不完全さと尊さが宿っているという……」
その独白を打ち破るように、ケルシーがMon3trの骨格めいた背中に置いた端末の画面をスクロールさせながら反駁する。
「セイア、それは人間の処理能力に対する非現実的なまでのロマンチシズムだ。言語学的および脳科学的データがそれを否定する。短期記憶において人間が一度に保持できる情報はマジカルナンバー4、すなわち4チャンクから7チャンクの間に制限されている。それ以上の複雑な情報を未整理のまま垂れ流せば、聞き手の側は認識過負荷を起こし結果として情報はゼロになる。これを防止するために構築されたのが『プロトコル』であり、『フォーマット』だ。要約とは情報の殺害ではなく、極限の戦場における生存術だ。私の場合を例に挙げよう。私は通常、目の前のオペレーターの練度、作戦遂行における戦術的有利不利、予測される敵対組織の援軍到達時間といった百を越えるパラメーターを分析している。だが、アーミヤやドクターに対してはその結果得られた『最適解となるただ一つの手段』のみを抽出して伝えるのが基本だ。……まあ、時に彼らが安易な判断を下しそうになる場合、事前の警告として数百文字の周辺情報を足すことはあるがな。あれは私の自己開示ではなく、彼らの判断ミスがロドス全体にもたらす致命的な結果を事前に予防するためのアラートだ。要約しないという行為自体が他者の有限な時間を簒奪しているという視点を欠いている。イチカの行おうとしている短縮化自体は組織防衛の観点からは評価に値する。彼女の翻訳精度にバグがあっただけの話だ。それに、キュレネのように不必要なメタファーや暗喩で情報をラッピングする行為に至っては情報通信上のスパムと等価と言える。ただのノイズだ」
名指しでスパム呼ばわりされたキュレネは、怒るどころかポツリポツリと溢れんばかりの涙を瞳にためて両手で頬を押さえた。
「ひどいわ、ケルシー先生! 愛の歌をスパムだなんて!でも、その厳しい論理の棘すらもあたしは受け止めてみせるわ!……ねえ、言葉を削ぎ落として事実だけを語ることが生き残るための術だっていうなら、世界は骨と皮だけの枯れ木になっちゃうじゃない! あのね、長ったらしい言葉はあたしにとってはリボンなの。大切なプレゼントを贈る時に無地の一番小さな箱に詰め込んで『中身だけ』を渡されたら寂しいでしょう? 赤くて大きな箱に入れて金色のリボンを何十重にも巻いて、時間をかけて結び目を解いていく過程こそがドキドキを育てるの! もしもあたしの開拓者さんが一言で『好き』って言っただけで満足して帰ってしまったら……あたしはその先の世界を見失ってしまうわ! 彼はね、ただ無言で寄り添う時でさえ無数の銀河と同じ数の情熱を目の中で語っているの。言葉を削るということは愛おしい時間を捨てるということ。要約して結論に急ぐなんてまるで映画を倍速で見て結末だけ知ろうとするくらい愚かだわ!」
「なるほど、キュレネ。リボンの多さこそが箱の解読の喜びを増幅させると。一理ある。しかしリボンが絡まって永遠に開かない箱を渡されることもまた暴力だということに君は気づくべきだね。現に私は今君のポエムのリボンの先が見えなくて少し途方に暮れているところだよ」
「私の解見を示そう。リボンではなくチェーンソーを用いて箱ごと切断するのが最適解となるケースだ。中身がケーキであろうが敵の起爆装置であろうが、解析不可能に装飾されたオブジェクトは総じて破棄すべきだという事実を彼女は直視すべきだな。だからこそ無駄を省き要点を伝える必要性が」
「いやよ! チェーンソーで両断するなんてデリカシーのかけらもないわ! 開ける時間そのものが、その空間を温めて……!!」
三者が三様のマイクポジションを確保し、もはや誰の耳も貸さず自分たちの持論という弾幕を展開し始めた。
それはイチカにとって、まさかの展開であった。
自分が身を引き、「勝手にやっててくれ」と放り投げた結果どうなったか。
三人それぞれの「無駄の多さ」「長ったらしく、めんどくさい語彙」が複雑に干渉し合い、『要約は必要だ』と言っているケルシーすら全く要約された発言をしておらず、『要約は悪だ』と言うキュレネとセイアの論理武装が永遠に螺旋階段を駆け上がり始めていた。
(終わった……! この無限ループ、温泉開発部がぶつかり合った時よりもタチが悪いっす! 終わりがない分!!)
しかも、最悪なことにここはただの空間ではない。「お茶会」の席である。三人が言葉の銃火器を乱射し合いながら、時折ふとした瞬間にイチカに話題を振ってくるのだ。
「──ところで、第三の観察者たるイチカ。言語的真空空間を回避するためのコミュニケーションを論じたとして、君なら先ほどの私の比喩をどう展開する?」
「……!! えっ、私っすか!? そ、そうっすね、言葉というナイフは多めに包んでおかないと危ないみたいな!?」
「……見当違いの反例だな。刃物を例に出すならばイチカ、正義実現委員会という暴力的行使も厭わない集団に所属する君ならば、長々と装飾したナイフなどという玩具ではなく、明確に殺傷力のみに特化したタクティカル・ダガーの実用性を肯定するだろう?」
「ええっ!? タクティカルって……そりゃ実践的かもしれないっすけど……」
「──やめて二人とも、物騒なものを例えないで! イチカちゃんを困らせちゃダメよ。ねえイチカちゃん、その正義って言葉の裏にはトリニティの青い空と生徒たちを守りたいっていう乙女の熱情と無私の愛が……ふぅん、涙が出ちゃう! 要約なんかできなくて当然よね!?」
「ああ、ははは……(もう私が誰で何しに来たか誰も理解してないんじゃないっすかこれ……)」
時計の針が進む。三十分、一時間。紅茶の残量も半分、お菓子の残量も少しずつ減ってはいるが、物理的な摂取時間よりも三人の口が動き続ける時間のほうが圧倒的に長かった。
イチカの疲労感は既に、一ヶ月間無休でデモ隊の鎮圧に当たった時のそれを上回ろうとしていた。視界の隅がチカチカとし、彼女の隠された高い狂暴性が蓋を押し上げてこようとしている。
(うるせえぇぇ……!! うるせぇっす! みんな大したこと言ってないのに語彙で無駄な装飾つけすぎっす!! ケーキ! 限定品! 美味そう! これだけで終わる話を小一時間引っ張りやがって! これならまだカスミと二人っきりで過ごす方がマシっす!!)
ピシ、とイチカのこめかみで音がしたような気がした。
「結局のところ……我々は言語の迷路を楽しみたいという欲求において一致しているという皮肉だ。君たちという対話者は退屈という名の暗闇から私を救うランタンにはなるよ。もっとも油を差すのをサボれば一酸化炭素中毒になりかねないほどの火力だけれどね。イチカ、君はこの高カロリーな情報火力の中心に身を置いて、改めてどう考える?」
「待て、セイア。私をランタン扱いするならば燃焼効率の話に終始してしまう。イチカの評価にはもっとデータ・オリエンテッドな総括が求められる。ドクターならここで何と言うか、というシミュレーションも兼ねて、私からの回答だと思え」
「ドクターの話じゃなくて今ここで同じテーブルを囲んでるイチカちゃん自身のお花がどう咲くかを知りたいのよ、ケルシー先生ってば本当に固いわ!」
三つの狂気的なベクトルが、再び「イチカ」の一点へ向かって収束していく。彼女たちは一見すると喧嘩しているように見えるが、互いの面倒な特性を完全に受け入れた上でのセッションを楽しんでいるのだ。セイアが思い出したようにイチカへ視線を向けた。
「そういえば、イチカ。君のような優秀な調停者が、日々どのような『余白』を過ごしているのか興味がある。予定のない休日、君はいったいどのように世界と関わっているのかい?」
「えっ、わ、私っすか? そうっすね……強いて言えば、たまに当てもなく散歩したり、ぼーっとしたりするくらいっすかね。趣味もあんまり長続きしないんで……」
特にオチもない、女子高生としてごく普通の模範的な回答。しかし、イチカは己の過ちを即座に悟ることとなる。三人の目の色が変わったのだ。
「ふむ……『当てもない散歩』か。なるほど。目的地を設定せずに空間を放浪するという行為は、社会的役割や運命という確定したレールからの逃避であり、自己解放の極致と言える。私たちは常に『どこかへ向かわねばならない』という強迫観念に縛られているが、君の歩みは『ここではないどこか』を求めながらも、その過程の不確実性そのものを享受しているわけだ。まさに都市を彷徨う遊歩者―――フラヌールの美学。君が虚無感を抱えているというのも頷ける。それは『何も持たないことの贅沢』を既に知ってしまっているが故の……」
「補足しよう。歩行運動は第二の心臓と呼ばれる下半身の筋肉ポンプ作用を促し、脳内のセロトニン分泌を活性化させるという医学的根拠がある。しかし、目的地やタイムスケジュールを持たない散歩は、戦術的観点から言えば完全なるリソースの浪費だ。消費カロリーに対する対価が精神的なプラシーボ効果のみであれば、極めて非効率と言わざるを得ない。さらに市街地を無目的に移動するということは、予期せぬ交戦やテロリズムの標的になるリスク計算の放棄を意味する。ロドスにおいてオペレーターが非番の際に『当てもなく徘徊』した場合、私は直ちに精神的ストレス値の再計測とカウンセリングを手配するだろうが……君の所属組織のメンタルケアはどうなっているんだ?」
「あらあら、ケルシー先生は心配性ね! 当てもないお散歩なんて、星空の中で星座を紡ぐようなロマンチックな冒険じゃないの! 風の囁きに身を任せて右へ曲がり、花の香りに誘われて左へ……そうやって自分の心という名のコンパスだけで世界を歩く。その足跡にはきっと、偶然という名のキューピッドが愛の種を蒔いているに違いないわ! 何気ない曲がり角の先で、落としたハンカチを拾ってくれる運命の人が待っている……イチカちゃんが歩く道はね、愛と奇跡に出会うための長くて美しいランウェイなのよ♪」
(……ただコンビニ行って近所の猫見て帰ってきただけっす!! 頼むから勝手に哲学と戦術とラブコメに巻き込まないでほしいっす!!!)
「あのっすね……」
ついにイチカは顔を上げた。糸目だった彼女の双眸がわずかに開き、どこか薄暗い紫色の眼光がチロリと覗いた。それは直属の上司である剣先ツルギに近い何かであったかもしれない。
張り付いていた笑みが一瞬だけ消えかけ、口元がピクついている。
「三人とも……めちゃくちゃ長々と喋って、ポエム読んだり論文にしたりしてましたけど。全部私の最初の言葉、あるいはそれに似た程度の二・三行で片付くことばっかりっすよ!っていうか! このテーブルの上にずっと放置されてて乾きかけちゃってるケーキ!! ソラレンやら限界の味だかロマンスだかなんだか知りませんけど!! はよ食えってことっす!! ティーパーティーでもロドスでも知ったことじゃないっす、私が並んで買ったフルーツパウンドケーキなんだからつべこべ言わずに四の五の言わず紅茶で一息に入れろってことっす!!!」
突如として、優雅なティーパーティーの会場にドスの効いた咆哮が響き渡った。
しん、と静まり返る空間。
イチカははあ、はあ、と肩を上下させている。
―――言ってしまった。いくらセイア相手だからって、調停者としての振る舞いを捨てて、内心のブチギレを素直に出力してしまったのだ。これこそ究極の「言葉の短縮」であった。
(や、ヤバいっす……やってしまった……セイア様のみならず客人にまで。明日には左遷? 謹慎? これハスミ先輩にマジで怒られるパターンっす……)
急激に冷えていく思考と反省の波。
だが、その空間の支配者たる三名からの反応は、イチカの予想とは少し違っていた。
セイアが目を見開いたまましばらく固まった後、プッと吹き出し、堪えきれないように声を出して笑い始めた。
「ふふっ……ああ、なんとも爽快だね。 これだ、この根源的な欲求の発露と、論理武装を叩き割る本質的衝動の顕現。私が数百の文字を連ねて論証しようとした『結果ではなくそこに至る生の美しさ』を、イチカ、君はたった十数秒の『激怒』という物理攻撃で証明して見せた。これぞ最高の解。要約するでもなく無視するでもなく、盤面をちゃぶ台ごとひっくり返すストロングスタイル。なるほど……やはり君を呼んだ私の見立ては正しかったようだ。ミカにこれだけの言葉を並べたらテーブルどころか建物ごと物理破壊されるところだからね。ふふ、楽しい茶会になった」
「……イチカ、その心肺機能の急激な活性と交感神経の働きを視覚的に提示したプレゼンテーションは評価に値する。これほど非効率的な会話リレーに対し、我々よりも年若く地位という制限の強い立場の人間が閾値を突破してエラーを排出するまでの時間は一時間二十四分……これは私の予測値よりも三十分ほど粘ったことになる。その耐ストレス性こそが君の『要約係』としてのポテンシャルであり限界点だ。たしかに君の指摘通り乾燥は焼き菓子の食感を損なうファクターだ。……いただこう。フォークで摂取することで糖分の血糖スパイクを多少和らげ……いや、黙って食べるべきだろうな」
「まあっ、すごいわイチカちゃん! なんて雄叫び! あたし鳥肌が立っちゃったわ! 建前のおりこうさんっていう皮を脱ぎ捨てて、『自分の時間を無駄にするな、早くお茶をしよう!』っていう本気の愛を叩きつけてくれたのね! あたし達への本音のラブレター、しかと受け取ったわ。そうだわ! せっかく綺麗にフルーツが並んでるんだから、一切れ目はイチカちゃんから選ぶ権利があるべきよ。ねえ、さあ食べて! ロマンチックなんて飾りをすっ飛ばした野生の乙女の情熱、最高よ♪」
―――褒められた、のか?
呆然とするイチカの前に、三人は綺麗に態度を切り替えそれぞれのフォークを手にフルーツケーキを相変わらずの長台詞を付与しながらぱくりと口に含んだ。
「あ……はい……じゃあ、いただきますっす……」
疲労困憊で座り直すイチカ。パウンドケーキを口に運ぶ。
舌に広がるフルーツの香りと、バターのしっかりとした重みが、限界に達していたイチカの脳に直接染み渡っていく。
「……悪くないね。小麦という退屈な台本に、果実の酸味が見事に彩りを……」
「咀嚼した際の反発係数がやや高いが、口腔内酵素のアミラーゼが早期に作用して……」
「果物たちの星空がいっせいにきらめいて……ああ、甘いキスね……」
(だから一口ごとに解説すなや!!! まとめて「美味い」でいいだろっす!!!)
言葉の応酬と無駄な装飾。彼女たちがおとなしくただ静かにお茶をすする時間など、やはり一秒たりとも訪れなかった。
そして次の議題はイチカが少しばかり喉の渇きを覚え、手元の紅茶にミルクを注ごうと小さなピッチャーに手を伸ばした、ほんの些細な瞬間の出来事だった。
「──待つんだ、イチカ」
セイアの制止の声は、まるで世界の崩壊を予見した預言者のように鋭く、そして重々しかった。
ビクリと肩を震わせ、イチカはピッチャーを持ったまま硬直する。
「え、あ、はい? なんでしょうかセイア様。私、ただミルクティーにしようかと……」
「『ただ』ミルクティーにする、か。……君はその行為が不可逆的な変質をもたらすという事実を、あまりに軽んじてはいないかい? 見たまえ。その琥珀色の液体は、今の純粋な状態においてのみ『ダージリン』としてのアイデンティティを保っている。そこに異物である乳白色の濁流を注ぎ込むということは、完全なる世界への侵略であり、あるいは調和という名の混沌を招き入れる儀式だ。一度混ざり合った白と黒は、二度と元の姿には戻らない。君はそのピッチャーを傾けることで、一つの小宇宙の終焉と再生のトリガーを引こうとしているのだよ。……その覚悟が、果たして今の君にあるのかい?」
「か、覚悟……っすか? いや、あの、ちょっと味変したいなーくらいの軽い気持ちなんすけど……」
イチカの引きつった笑顔を無視し、今度はケルシーが手元のタブレットで何やら成分表を表示させながら、冷徹な口調で追撃を加える。
「セイアの哲学的懸念はさておき、化学的反応の観点からも警告が必要だ。イチカ、その茶葉に含まれるタンニンと、牛乳に含まれるカゼインタンパク質の結合プロセスについて理解しているか? 君が安易にミルクを投入した瞬間、タンニンはカゼインに取り込まれ、その渋み──抗酸化作用を持つポリフェノールの効能は著しく阻害される。さらに言えば、液温の急激な低下は香気成分の揮発を妨げ、本来の風味を損なうリスクファクターとなる。英国式かインド式かという文化的議論をするつもりはないが、ロドスの食堂において推奨される栄養摂取効率の観点から言えば、まずはストレートでの摂取による抗酸化作用の最大化を図るべきであり、カルシウム摂取を目的とするならば別途チーズやヨーグルトを経口摂取する方が合理的だ。つまり、味覚の快楽のために栄養学的損失を許容するという君の判断は、非効率的と言わざるを得ない」
「い、いや……栄養とか効率とかじゃなくて……私、ただマイルドな味が好きで……」
ピッチャーを持つイチカの手がプルプルと震え始める。ミルクを一滴垂らすだけの行為に、なぜこれほどの承認プロセスが必要なのか。
助けを求めるように視線を彷徨わせた先で、キュレネがうっとりとした瞳で両手を組んでいた。
「もう、二人とも野暮なんだから! ダメよイチカちゃん、そんな理屈で紅茶さんをいじめちゃ! ……でもね、あたしにはわかるわ。そのミルクは『純白のウェディングドレス』なのよ! 熱い紅茶という情熱的な新郎のもとへ、冷たくて甘いミルクの花嫁が飛び込んでいく……。注がれた瞬間に広がるあのマーブル模様は、二つの魂が絡み合い、溶け合い、一つになっていく愛のダンスなの! 決して戻れない? 効率が悪い? それがどうしたの! 戻れないからこそ燃え上がる、破滅的なロマンスがそこにあるんじゃない! さあイチカちゃん、恐れないで! その手で二人の禁断の結婚式を執り行ってあげて! 祝福の鐘を鳴らすのはあなたよ!」
「け、結婚式……!?」
イチカの理性が、限界点を超えて軋みを上げた。
哲学、科学、ポエム。三方向からの集中砲火を受け、彼女の右手にある小さなミルクピッチャーはもはや核のボタンか何かのように重く感じられた。
(……入れるなと言われたり、入れろと煽られたり、なんなんすかこの人たち……!! たかがミルクっすよ!? これ入れただけで宇宙の終焉だの成分の阻害だの結婚だの……うるせえぇぇぇ!! 私はただ! 普通の!ミルクティーが!飲みたいだけなんすよぉぉぉ!!!)
イチカは深く、深く息を吸い込んだ。
そして、顔面に完璧な「営業用スマイル」を張り付かせたまま、その声音だけを氷点下まで冷やして言い放つ。
「……なるほど、皆さんのお考えはよぉーく分かったっす。不可逆な変化、栄養素の結合、愛の逃避行……どれも素晴らしいご意見っすね」
カチャリ。
イチカは無表情のまま、勢いよくピッチャーを傾けた。ドボドボと白い液体が紅茶に混ざり、茶色がマイルドなベージュへと変貌していく。
「──でも、私の喉は今、『牛乳のコク』を求めてるんで。哲学も科学も愛も、全部胃の中で混ぜて消化させてもらうっす。……文句、ないっすよね?」
そのあまりの潔さと、背後に立ち昇る鬼気迫るオーラに三人の論客は一瞬だけ言葉を失い──そして、満足げに頷いた。
「……ふむ。自らの意志で混沌を選び取ったか。その『蛮勇』、嫌いではないよ」
「……個人の嗜好による栄養素の選択的摂取か。まあいい、君の消化器官の責任は君にある」
「きゃあ! 強引な仲人さん! その強引さもまた、ドラマチックな愛の形ね!」
(……とっとと飲んでもう帰るっす。絶対帰るっす……)
白く濁った紅茶をスプーンでかき混ぜながら、イチカは遠いトリニティの空を思い浮かべ、心の中で泣いた。
「……すいません、ちょっとお手洗い行ってきていいっすか?」
この場から離れたくて、ミルクティーを即飲み干したイチカはトイレ休憩の申請した。お手洗いに行くふりをしてそのまま帰ってしまおうか―――そう思い、席を立とうとする。
しかし、このテーブルにおいてはそれすらも「議題」となる。
「……排泄行動か」
ケルシーが真顔で頷く。
「生体恒常性を維持する上で不可避なプロセスだ。だがイチカ、君の水分摂取量と経過時間から算出するに、膀胱の充満率はまだ限界値の60%程度と推測される。このタイミングでの離席は、生理的欲求よりも、この場の高密度な会話からの『戦略的撤退』の意味合いが強いのではないか? 逃避行動としての排泄ならば、精神衛生上推奨はするが、根本的な解決にはならないぞ」
(なんで私の膀胱の容量まで計算されてるんすか……!?いや、怖いっす!!)
「ふむ。席を立つ、ということだね」
セイアが空になったイチカの椅子を見つめるような視線を向ける。
「君がこの場を離れれば、そこには『不在』が生まれる。今まで君が占めていた空間、君が聞いていた音、君が放っていた体温……それらが一時的に失われることで、我々の対話というシステムに微細なバグが生じるかもしれない。君はトイレに向かう道すがら、考えることになるだろう。『私がいない間、彼女たちは私の悪口を言っているのではないか?』あるいは『私が戻った時、世界は変わってしまっているのではないか?』とね。排泄とは、自己の中の不要物を捨て去る行為だが、同時に自分が座っていた場所というアイデンティティを一時的に放棄する行為でもあるのだよ」
(なんでただトイレ行こうとするだけでアイデンティティ放棄とか言われたくないっす!)
「行ってらっしゃい、イチカちゃん!」
唯一、キュレネだけが笑顔で送り出してくれた。かと思いきや。
「でも、寂しいわ……! あなたが戻ってくるまでの数分間が、あたしには数千年の孤独に感じられるかもしれない。だから約束して? 必ず、必ず戻ってくるって! 流れる水に想いを馳せながら、あたしたちの愛の巣へ帰還するって、その瞳で誓って!!」
「……」
イチカは無言で立ち上がり、深々と頭を下げた。
「……必ず戻るっす。誓うっす。だから、今は行かせてくださいっす。限界なんで」
―――トイレの個室に逃げ込んだイチカが、鍵をかけた瞬間に「はぁぁぁぁ……」と魂の抜けるようなため息をついたことは言うまでもない。
終わらない「1の話題から始まる100の脱線」はまだまだ夕暮れまで止まる気配は無さそうだ。
『絶対にもう二度とセイア様に呼ばれても断ろう……』
と心に固く誓った、そんな受難の彼女の休日の午後であった。