ダンジョン・エロイカ〜男女比1:100の世界でもダンジョンを攻略したい〜   作:サク

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一話

 

百年前――世界は、静かに終わりの入口を開いた。

 

ある日、前触れなく出現した“門”。

 

世界各地の都市、山間、海底、廃墟の只中に、空間を歪めるようにして現れたそれは、後に「ダンジョン」と呼ばれることになる。

 

門を潜った先には、地下へと続く異質な構造が広がっており、自然でも人工でもない空間。階層を持ち、内部には未知の資源と、見たこともない生物――魔物が存在していた。

 

人類は混乱したが、同時に適応した。

 

ダンジョンの出現と前後して、人間にも変化が生じ始めたからだ。

 

“レベル”の概念。

“ジョブ”という適性。

そして、“スキル”という個々の力。

 

それらに目覚めた人類は探索者となり、ダンジョンへと挑み始めた。

 

資源は新たな産業を生み、魔物は新たな戦闘体系を生み、世界は再び均衡を取り戻していくかのように見えた。

人類は順調に攻略を進めていた。

 

――ある時までは。

 

転機は、最初は取るに足らない存在から始まった。

 

サキュバス。

 

それは人型の雌の魔物であり、古い神話に語られる淫魔の名をそのまま与えられた存在だった。

 

直接的な戦闘能力は低く、探索者の間では初心者でも対処可能な魔物として扱われていた。

 

彼女たちは“精気”を吸い、自身を見た者を魅了する能力を持つ。

精神と肉体を同時に侵す快楽。それは致命的ではなく、回避も可能であり、対策も確立されていた。

 

だが――。

 

人間の側に、快楽に魅了された者たちが現れた。

 

彼らはサキュバスの戦闘能力が低いことを理由に侮り、利用を試みた。交配によって、新たな魔物を生み出そうとしたのだ。

 

そして、不幸にもそれは成功してしまった。

生まれたのは、従来とは異なる存在だった。

 

男に対して絶対的な影響力を持ち、抵抗を許さない魅了を有し、接触のみで精気を奪い尽くす能力を持つ個体。

 

対処は後手に回った。

 

討伐が本格化する頃には、被害は取り返しのつかない領域に達していた。

結果として、世界人口の構成は崩壊した。

 

男性が受けた損失は致命的だった。

出生比率は急激に歪み、やがて世界平均で――男女比1 : 100。

 

それが、新たな現実となった。

人類は滅びなかった。が、しかし人類の在り方は、もはや以前のものではなくなっていた。

 

男という存在そのものが、“希少資源”へと変質したからだ。

国家は方針を転換した。

男を守るべき対象として、管理すべき資源として、未来を繋ぐ存在として保護対象に定めた。

 

男性は制度の中へ組み込まれていった。

保護法が制定され、婚姻制度は再構築され、出生と遺伝は国家の管理下に置かれた。

 

 

 

――そして現在。

 

春のやわらかな日差しが庭を照らしていた。冬の冷たい空気はすでに薄れ、風にはわずかな暖かさが混じり始めている。庭の木々には小さな芽がつき始めており、季節が確かに進んでいることを静かに知らせていた。

 

神代蒼真は縁側に腰を下ろし、庭の景色をぼんやりと眺めていた。木の床はまだ少し冷たいが、差し込む陽射しは穏やかで心地よい。隣にはもう一人、同じように縁側に座る少女の姿があった。

 

黒江凛。

 

黒髪を高く結んだポニーテールが背中で揺れている。姿勢はきちんと伸び、どこか隙のない雰囲気を漂わせていた。蒼真の隣に座ってはいるが、その距離感にはどこか主従の関係らしい慎みが残っている。

 

二人の間の床には一通の封筒が置かれていた。すでに開封されており、中から取り出された書類が数枚重ねて置かれている。

 

高校の入学許可通知だった。

 

来週から、蒼真と凛は同じ高校へ通うことになる。

 

しばらく黙って庭を見ていた蒼真が、小さく息を吐いた。

 

「いよいよだな」

 

凛はその言葉に視線を落とし、静かに頷いた。

 

「はい。来週です」

 

短い返事だったが、その声にはわずかな緊張が混じっているようだった。

 

もっとも、二人の関係を考えればそれも当然かもしれない。

 

黒瀬家は代々、神代の家に仕える家系だった。神代の家は古くから続く家であり、黒江家が従者として仕えている。

 

そのため凛は、幼い頃から蒼真の付き人として育てられてきた。

 

年齢が同じだったこともあり、物心がついた頃から二人は常に同じ場所にいた。勉強も、訓練も、外出も、ほとんどの時間を一緒に過ごしてきたと言っていい。

 

そして高校もまた、同じ場所へ進むことが最初から決まっていた。

 

蒼真は封筒の中の書類を一枚手に取る。

 

学校案内の冊子だった。

 

表紙には学校の校舎と、その背後にそびえる巨大な建造物の写真が印刷されている。普通の学校にはまず存在しないもの――ダンジョンの入口だ。

 

蒼真はその写真を見ながら、自然と口元を緩めた。

 

この世界に生まれて、十六年になる。

 

だが彼には前世の記憶があった。

 

それは断片ではなく、かなりはっきりとしたものだった。別の世界で生きていた人生の記憶。そこにはダンジョンも魔物も存在せず、レベルやスキルといった概念もない、ただの普通の世界だった。

 

最初にそれを自覚したのは、まだ幼い頃のことだった。

 

赤ん坊の頃にはただ漠然とした違和感のようなものしかなかったが、成長するにつれて記憶は少しずつ形を持ち始めた。そして気付いた時には、自分が別の人生を生きていたことを完全に理解していた。

 

そして同時に、この世界がその記憶とはまったく違う世界であることも知った。

 

ダンジョンが存在する世界。

地下へ続く謎の構造物。

そこに現れる魔物。

それを討伐する探索者。

 

最初にその話を聞いた時、蒼真はかなり驚いた。前世の常識で考えれば到底ありえない話だったからだ。

 

だがこの世界では、それが当たり前だった。

 

ニュースではダンジョンの攻略状況が報じられ、街では探索者用の装備が売られている。学校の授業でもダンジョンについて学ぶ。社会そのものがダンジョンを前提に作られていた。

 

そしてこの世界では、高校生になるとダンジョンへ入ることが許可される。

 

もちろん誰でも自由に潜れるわけではない。講習や登録が必要であり、最初は危険度の低い階層から始めなければならない。それでも、ダンジョンへ入ることができるという事実は変わらない。

 

蒼真は冊子を閉じ、軽く伸びをした。

 

「やっとか」

 

思わずそんな言葉が漏れる。

凛が隣でこちらを見る。

 

「待ち遠しいのですね」

 

淡々とした声だった。

蒼真は肩をすくめる。

 

「まあな」

 

正直な気持ちだった。

危険なのは分かっている。ダンジョンで命を落とす探索者もいるし、無理をすれば怪我では済まないこともある。

 

それでも、そんな世界に生まれたからには一度は潜ってみたいと思っていた。

 

魔物がいる世界。

レベルが上がる世界。

スキルが存在する世界。

 

そんな場所に入れるのだから、多少わくわくしてしまうのは仕方がない。

蒼真は庭の木を見上げながら言った。

 

「高校から行けるんだろ。ダンジョン」

 

凛は静かに頷いた。

 

「ええ。授業の一環として許可されています」

 

「最初は浅い階層だけですが」

 

「十分だろ」

 

蒼真は笑った。

前世では絶対に存在しなかった世界。

だが今、自分はその世界で生きている。

 

その事実を改めて実感すると、胸の奥が少しだけ高鳴った。

蒼真は縁側に手をつきながら立ち上がる。

 

「まあ、とりあえず高校だな」

 

新しい生活が、もうすぐ始まろうとしていた。

 

 

 

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