赤い彗星の原点 ―赤いコスモス― ~ 何も知らずに、いられたなら   作:交差の魔導士

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父の封印

『父の封印』

「入れ!」

 

やがて二人は、鉄の扉が閉ざされた狭い牢へと押し込められた。

 

父ジオンは、壁に背を預け、先ほどからずっと黙っていた。彼は、息子と少女の間に起きたあまりに純粋な共鳴を、肌で感じ取っていた。

同時に、この施設を満たしているザビ家の気配をも感じていた。

 

ジオンの脳裏に、凄惨な未来の断片が過ぎる。明日、ギレンの手下たちがキャスバルを「最強の検体」として解剖に近い実験にかけることを。

そのジオンの予感は、キャスパルにも伝播していた。キャスパルは恐れ慄いていた。

 

「済まない、キャスバル。……お前の未来を、私が消す」

 

「え……?」

 

ジオンの瞳が、青白い燐光を放った。ニュータイプとしての全存在を賭した、精神への干渉。

ジオンは息子の精神の深淵に触れ、戦慄した。幼いキャスバルの中に眠る力は、自分をも凌駕するほど巨大だった。

 

(この力は、あまりに美しく、あまりに危険だ……。ザビ家の手に渡してはならない。決して、闘争の道具には……!)

 

ジオンは己の命を削り、その強大な「知覚」を幾重にも分断していく。

キャスバルの脳裏から、色彩が消え、ララァの気配が遠ざかり、世界が平坦な「物質の塊」へと変貌していく。それは、神の眼を潰すに等しい残酷な儀式だった。

 

「いいんだよ、父さん……。父さんは、悪くない……」

 

封印の苦痛の中、キャスバルは微笑んだ。父が自分を救おうとしていること、そして、この「力」を失うことが、父にとってどれほどの絶望であるかを理解していた。

 

やがて、ジオンは精根尽き果てたようにその場に崩れ落ちた。その髪は一瞬にして白く褪せ、もはやまともに立つことすらままならない。

 

「……済まない、キャスバル。……済まない……」

 

父の慟哭を聞きながら、キャスバルの意識は深い闇へと沈んでいった。

それは、一つの「ニュータイプ」の死を意味していた。

 

 

 

『思想、墜つ』

冷たい金属音とともに、牢の扉が開いた。

「立て。息子の番は終わった。次はお前の番だ」

その声にジオンは目を覚ます。

銃を構えた警備兵たちが、壁際で力なくうずくまるジオンを見下ろしていた。

 

その少し前。

別のフロアにある真っ白な検査室では、冷たい検査台に横たわるキャスバルのデータを前に、分析官が首を傾げていた。

「……脳波、感応波、すべてにおいて、ニュータイプとしての適性は完全に『ゼロ』です」

 

ガラス越しにその報告を聞いていたギレン・ザビは、不快げに眉をひそめた。

「ゼロ、だと?」

「はい。血筋としては不可解ですが、ただの凡庸な子供です」

「閣下、如何致しましょうか」

側近の問いに、ギレンはしばし沈黙した。彼の鋭い直感が、微かな警鐘を鳴らしていた。あのジオンの息子が、何の力も持たないなどという都合の良い話があるだろうか。

「うむ……。一旦、ここでの記憶は全て消去しておけ。その後の処置は考える」

言葉ではそう濁したが、ギレンは腹を決めようとしていた。

(ここは念の為、始末しておくべきか……)

ギレンの冷たい視線が、眠り続けるキャスバルを見下ろした。

 

その瞬間だった。

牢から連行されていたジオンの脳裏に、強烈なビジョンが閃いた。

冷たい検査台。ギレンの冷酷な目。そして、キャスバルの心臓が薬物によって止められる未来――!

 

「……っ!!」

ジオンの目が、見開かれた。

枯渇していたはずのニュータイプとしての力が、息子の危機に呼応して最期の炎を上げる。

「おい、どうした。早く歩け」

背後から銃で小突こうとした警備兵に向かって、ジオンはゆっくりと振り返った。

その白濁した瞳を見た瞬間、二人の警備兵の動きがピタリと止まる。

 

「……私の手枷を外せ。そして、お前たちはここで眠れ」

掠れた、だが呪詛のように重い声。

信念を持たぬ凡人の精神など、ジオンの強烈な意志の前では粘土のようなものだった。

警備兵たちは虚ろな目のまま手枷を外し、操り人形の糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。

だが、代償は大きかった。ジオンの鼻孔から一筋の血が流れ落ち、激しい目眩が彼を襲う。脳の血管が焼き切れるような激痛。

 

(急がねば……キャスバルが殺される……!)

 

よろめきながら廊下を駆け出そうとしたジオンの脳内に、澄んだ声が響いた。

『……右です、ジオン様。その先の角を左へ。そこにキャスパル様がいます』

別の独房から感応を繋げたララァだった。彼女は施設内の監視カメラの死角と、警備の薄いルートをテレパシーでナビゲートしていく。

「……恩に着る、ララァ……!」

 

ジオンは迷路のような研究所を駆け抜け、ついに検査室の裏口へ到達した。

扉の向こうでは、処分のための注射器を手にした研究員がキャスバルに近づいていた。

「……させんッ!」

ジオンは扉を蹴り破り、驚愕して振り向く研究員たちに再び「暗示」の牙を剥く。

「動くな!!」

研究員たちが金縛りに遭ったように硬直する中、ジオンは検査台のキャスバルを抱き上げた。息子の体は温かかった。間に合ったのだ。

 

だが、非常ベルが鳴り響く。ギレンの部隊が異常に気づいたのだ。

「逃がすな! 撃て!」

研究所の裏搬入口。雪の降る暗闇に向かって飛び出したジオンの背中を、無数の銃弾が襲った。

「ぐぅっ……!」

一発の銃弾が、ジオンの脇腹を深く抉る。血しぶきが舞い、雪を赤く染めた。

それでも、ジオンはキャスバルを落とさなかった。薄れゆく意識の中、ララァのナビゲートを頼りに、用意されていたダストシュートから外部の市街地へと身を投じる。

 

吹雪の夜。

ムンゾの旧市街地。主を失い、静まり返ったダイクン私邸の門前。

キャスバルが、レイリアと最後に言葉を交わしたあの場所。

 

「……ここまで、か……」

邸宅の冷たい石壁に背を預け、ジオンは崩れ落ちた。

出血は酷く、もはや視界は真っ暗だった。だが、腕の中の息子が静かに寝息を立てているのを感じる。自らの手で力を封印し、ただの子供に戻した愛息。

 

そこに、雪を踏みしめる荒々しい足音が近づいてきた。

ジオンとキャスパルの行方を血眼になって捜索していた男――ランバ・ラルだった。

「閣下!?、しっかりしてください!!」

血まみれのジオンを見つけ、ランバ・ラルは悲痛な声を上げた。

 

ジオンは、ピクリとも動かない。

だが、その凍りついた唇が、最期の力を振り絞って微かに動いた。

 

「……息子を、頼む……」

 

それだけだった。

宇宙の革新を唱えた偉大なる思想家、ジオン・ズム・ダイクンは、愛する息子を抱いたまま、雪の中で静かに息を引き取った。

その腕の中で、キャスバルはまだ何も知らず、深い眠りに落ちていた。

 

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