その刹那に愛を──   作:星乃 望夢

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第十話

 

眩い朝の光の中、俺はほむらちゃんとマミさんの二人に挟まれるようにして通学路を歩いていた。

 

「……うん、どこからどう見ても見滝原中学校の男子生徒だね、俺」

 

鏡を見るまでもない。この学校の制服のデザインは「物語」の知識として完璧に把握している。魂の欠片を物質化の応用を使えば、サイズから質感に至るまで本物と寸分違わぬ制服を仕立てるなんて、今の俺には造作もないことだった。

 

もっとも、正式な転入手続きなんてまだ一切通していない。だから今日は、ほむらちゃんたちが授業を受けている間、適当に校内をぶらぶらして時間を潰すつもりだ。

 

校舎に足を踏み入れると、改めてその近未来的な建築デザインに圧倒される。壁一面がガラス張りの、文字通り「スケスケ」な校舎だ。

 

(よくもまあ、こんな場所で落ち着いて勉強できるもんだよ。これ、高い階層まで行くと高所恐怖症には普通にキツいだろ……)

 

そんなことを考えながら、俺は一人、静まり返った廊下を歩き出す。

 

さて、インキュベーターの動きはどうだろうか。

 

昨日の今日だ。あいつだって馬鹿じゃない。いや、馬鹿じゃないからこそ、「人は自分自身で光になれる」なんて啖呵を切った俺というイレギュラーな存在と、未知の『永劫破壊(エイヴィヒカイト)』という術式について、今頃は全ネットワークを駆使して必死に再計算を回しているはずだ。

 

「……ま、せいぜい知恵熱でも出してなさいな、白い詐欺師」

 

俺は購買で「拝借」……もとい、後でお金を払うつもりで確保してきたフルーツオレのストローをズズズーっと啜りながら、今後のチャートを頭の中で組み立てる。

 

この街に残っている魔女で、今の俺たちが警戒すべきなのは――初見殺しのギミックを持つ「お菓子の魔女」くらいか。

 

問題は、人間関係のバランスだ。

 

(本来のシナリオ通りなら、マミさんが『マミら』ないと、杏子はわざわざ見滝原にはやって来ない。……いや、杏子も強いけど、純粋な火力だけならマミさんの『ティロ・フィナーレ』の方が上なんだよなぁ)

 

巴マミという魔法少女は、表面上は完璧な「正義の味方」を演じているけれど、その内側はガラス細工のように脆い。真実を知れば一瞬で壊れてしまう危うさがある。

 

その点、過酷な環境を生き抜いてきた佐倉杏子の精神的なタフさは、今の俺たちにとって非常に魅力的なんだけど……。

 

「……ま、俺とほむらちゃんがいる限り、マミさんを死なせるなんて選択肢は最初から無いし」

 

既知の物語をなぞるだけなら簡単だ。でも、俺たちが介入したことで、この世界はもう「既定路線」なんて言葉が意味を成さないほどに混迷を極めている。

 

行き当たりばったりすぎて、もはや攻略チャートもクソもない。

 

「……あ」

 

ふと、魂の繋がりを通じて、授業中のほむらちゃんから「真面目に歩き回ってないで大人しくしていなさい」という、呆れたような念話が届いた気がした。

 

「わかってるって、ほむらちゃん。俺はただの、怪しい不審者じゃない『双子の兄』として、この平和な風景を眺めてるだけさ」

 

俺はフルーツオレを飲み干すと、窓の外に広がる、偽りの、けれど美しい見滝原の街を見つめた。

 

ここから先は、俺たちだけの完全オリジナル・ルート。

 

どんなに不格好な展開になろうとも。

 

俺はあの孤独な少女の隣で、この狂った物語をハッピーエンドへと強引に引きずり回してやるんだ。

 

空になったフルーツオレのパックを指で弄びながら、スケスケの廊下をのんびり歩いていた時だった。

 

「……あれ。君、見ない顔だね」

 

不意に背後からかけられた快活な声に、俺は足を止めた。振り返ると、そこには見覚えのある、ボーイッシュな短髪を揺らした少女が立っていた。

 

美樹さやか。

 

物語の中では、誰よりも真っ直ぐで、それゆえに誰よりも脆く崩れてしまった「正義」の魔法少女。

 

彼女は俺の顔をまじまじと見つめると、不思議そうに首を傾げた。

 

「今日転校してきたのって、暁美さんだけじゃなかったっけ? もしかして、彼女の弟さん……とか? まあいいや! 私は美樹さやか。よろしくね」

 

屈託のない笑顔。まだ何も知らない、ただの元気な女子中学生としての彼女がそこにいた。

 

「ん、よろしく。……なあ、さやかちゃんって呼んでもいいかな? その方が俺としては呼びやすいんだけど」

 

「えっ、いきなり下の名前!? 君、見た目の割に結構グイグイ来るねえ」

 

さやかは一瞬驚いたように目を丸くしたが、嫌そうな顔はしなかった。むしろ、その距離感の近さが彼女のオープンな性格に合致したらしい。

 

「いいよ、別に! 堅苦しいのは苦手だしね。それで、君のお名前は?」

 

「俺は暁美まどか。……さやかちゃんの予想通り、ほむらちゃんの双子のお兄さんだよ」

 

「えっ……まどか? 暁美……まどか?」

 

俺が名乗った瞬間、さやかの表情にさらに大きな驚きが走った。無理もない。彼女の親友であり、この物語の「もう一人の主人公」と同じ名前なのだから。

 

「あはは、驚いた? ほら、俺たち双子だからさ。妹が『ほむら(炎)』なら、兄貴の方は『まどか(円)』がいいんじゃないかって、親がテキトーにつけた……のかもね」

 

俺は適当な嘘を混ぜながら、親しみやすさを演出する。

 

実際のところ、俺の意識の中では彼女のことはずっと「さやかちゃん」だった。アニメやゲームで彼女の壮絶な生き様を見届けてきた俺にとって、今更「美樹さん」なんて他人行儀な呼び方をするのは、どうにも座りが悪かったんだ。

 

「へえ、暁美さんにこんな……なんていうか、話しやすそうなお兄さんがいたなんてね。あ、ちなみに私の親友にも同じ名前の子がいるんだよ! 運命感じちゃうかもね」

 

「へえ、そうなんだ。それは奇遇だね」

 

俺は知らぬ存ぜぬを決め込んで、フルーツオレのパックをゴミ箱に放り投げた。

 

「……まあ、これからよろしく。さやかちゃん。ほむらちゃんはああ見えて不器用だからさ。学校で何かあったら、君みたいな明るい子が近くにいてくれると助かるよ」

 

「任せときなって! こう見えて面倒見には自信あるんだから」

 

さやかちゃんは俺の言葉を聞いて得意げに胸を叩いた。

 

「ところでさやかちゃんは、今何してるの? 授業中じゃない?」

 

俺は少し首を傾げ、この時間に廊下をフラフラしている陽キャな中学生に声を掛けた。

 

「あ、えっとね! 先生にちょっとプリントの移動を頼まれてお使い中なんだ。あんたこそ、転校初日なのにこんなところで油を売ってていいわけ?」

 

「俺はまだ書類が通ってないから、今日は自由見学みたいなものなんだよ」

 

気さくに笑い合って言葉を交わしながら、俺の脳内では凄まじい速度で作戦会議が行われていた。

 

(さやかちゃんが、幼馴染の上条恭介に想いを寄せていること。……それは、画面の向こう側の『原作知識』として、既に俺の頭の中に入っている)

 

だが、出会って数分の得体の知れない男子がいきなり「君の好きなあいつのことだけどさ」と切り出すわけにはいかない。

 

まずはさやかちゃんと自然に仲良くなり、あわよくば警戒されることなく『好きな人』の話題を引き出し、的確なアドバイスを送る恋バナへと発展させる。……控えめに言って、超高難易度のミッションだ。

 

(でも、やらなきゃいけないんだよな)

 

たとえ無事に恋が実り、彼女の精神が一時的に安定したとしても。

 

あのインキュベーターの仕組んだ『魔法少女の真実(ソウルジェムの正体)』を知ってしまえば、正義感が強く潔癖なさやかちゃんは、自らの在り方に絶望して魔女へと堕ちてしまう。

 

等身大の、ただ優しくて明るいだけの中学生の女の子が、残酷な運命にすり潰されて心が壊れていく姿。それをただ黙って見過ごすなんて……原作の悲劇を知っている身としては、あまりにも辛すぎた。

 

(……こんなこと知られたら、またほむらちゃんに『あなたには関係ないでしょ!』ってこっぴどく怒られるんだろうな)

 

隣で授業を受けているはずの、愛しい不器用な魔人の顔を思い浮かべて、俺は内心で苦笑する。

 

ほむらちゃんからすれば、まどか以外のイレギュラーな人間関係に首を突っ込むのはリスクでしかない。

 

それでも。

 

もし、さやかちゃんがインキュベーターの甘言に乗って魔法少女になってしまって。あの暗く冷たい破滅への道を再び転げ落ちそうになってしまったら。

 

(――その時は、俺が全力で支えてあげよう)

 

目の前で「暁美さんのお兄さんってことは、やっぱり頭良かったりするの?」と無邪気に笑いかけてくる彼女を見て抱いたその決意は、決して同情や義務感だけじゃない、嘘偽りのない俺の本心だった。

 

「ま、そこそこかな。それよりさやかちゃん、お使い中なら邪魔しちゃ悪いね。プリント運び、手伝おうか?」

 

俺がそう提案すると、さやかちゃんは「えっ、本当!? 助かるー!」とパッと表情を輝かせた。

 

 

◇◇◇

 

 

「ありがとう、助かっちゃった! じゃあね、暁美くん!」

 

そんな屈託のないさやかちゃんの声と、パタパタと遠ざかっていく軽快な上履きの足音を見送る。

 

見滝原中学校の、やけに日当たりの良いガラス張りの廊下。

 

再び一人きりになった俺は、窓枠に軽く背中を預けながら、さて次はどう動くべきかと思考の海に潜った。

 

(マミさんの『ぼっち』フラグはへし折って同盟を結んだ。さやかちゃんへの自然な接触も済ませた)

 

盤面は、俺とほむらちゃんの手によって、本来辿るはずだった原作の絶望的なレールから少しずつ、けれど確実に外れ始めている。

 

中学生の女の子たちが背負うにはあまりにも過酷な運命を、俺たちの規格外の力で片っ端から叩き潰してやるための下準備だ。

 

ふと、校庭の木陰や、あるいは別の階の廊下の隅あたりに、じっとこちらを観察しているであろう『白い悪魔』の気配を幻視した。

 

直接姿は見えなくとも、あの感情を持たないインキュベーターが、イレギュラーである俺たちの動向を注視していないはずがない。昨日の今日で接触してこないのは、俺という『計算外のバグ』の処理にCPUをフル稼働させているからだろう。

 

だから俺は、誰もいない虚空に向けて、薄く口角を上げて言葉を紡いだ。

 

「……だから言ったろ? インキュベーター」

 

それは独り言のようでありながら、明確な『旧き宇宙の理』へと向けた宣戦布告。

 

「人間の心の底値を無礼(なめ)るなよって、ね」

 

感情をただのエネルギーの搾取対象、あるいは消耗品としか見ていない連中には、一生理解できないだろう。

 

絶望の底からだって、人は誰かを想って立ち上がれるということ。中学生の女の子たちの友情や恋心が、時に宇宙の寿命すら凌駕する熱量を持つということ。

 

そして――その『想い』そのものを燃料にして駆動する俺たち魔人が、どれほど理不尽で厄介な存在かということを。

 

廊下の角から、滑り込むようにしてその「白い影」が現れた。

 

『……君の言う通り、人間の感情は非合理的で面白いね。特に、君の魂の「純度」は、僕たちの観測データに照らしても極めて異質だ』

 

キュゥべえは無機質な赤い瞳を俺に向けたまま、音もなく歩み寄ってくる。あいつのテレパシーは、相変わらず感情の機微を削ぎ落とした、絶対零度の平坦さを保っていた。

 

「これでも高次次元の時空生まれの人間だからね」

 

俺は窓枠に背を預け、あえて傲慢とも取れる笑みを浮かべて見下ろした。

 

「低次元からすれば、魂の純度がそれなりなのは当然の帰結だよ。君たちの物差しで測れるような、ありふれた霊的規模だと自惚れないで欲しいな」

 

さも当たり前だと言わんばかりの返答。

 

だが内心では、キュゥべえが俺の魂を「高純度」と判断したことに、静かな確信を得ていた。

 

(……好都合だ。あいつが俺を「価値ある観測対象」だと認識すればするほど、まどかへの執着を分散させられる)

 

元々は、どこにでもいるただの人間だった。

 

けれど今の俺は、鹿目まどかに匹敵するほどの因果の糸が絡み合った「暁美ほむら」という少女の魂の一部だ。

 

彼女の聖遺物である『砂時計の盾』――あの狂おしいまでの執念と愛憎を何百回というループの中で浴び続けてきた呪物に宿った瞬間、俺の魂は彼女の因果によって、文字通り「劇的なビフォーアフター」を遂げてしまったのだ。

 

軍勢変性(レギオン)。主神であるほむらちゃんの性質が、配下である俺の魂を塗り替え、最適化していく。

 

俺がどれほど「男」としての自己意識を保とうとしても、この世界に肉体を形成すれば、彼女と背格好も声も瓜二つの器が出来上がってしまうのは、もはや必然だった。

 

(キュゥべえに教える必要はないが……俺のこの姿こそが、ほむらちゃんの自己愛と執着の深さを証明しているようなものなんだろうな)

 

「さて。まだ授業が終わるまでには時間がある」

 

俺は再び歩き出し、足元をついてくる白い獣を視線で促した。

 

「しばらく暇なんだ。どうだい、インキュベーター。もう少し、この宇宙の管理者様との会話を愉しむのもまた一興じゃないかな? お前たちがどれほど効率を重んじ、どれほど無情に世界を剪定しているのか……その薄っぺらな正義論を聞いてあげてもいい」

 

『興味深いね。君が僕たちのことを「悪」ではなく「効率主義」と捉えているのは。……いいだろう、情報の交換には常に価値がある』

 

キュゥべえの尻尾が、計算を完了したかのように微かに揺れる。

 

「覇道」を征く神の欠片として、そして物語の筋書きをすべて知る観測者として。

 

俺はこの真っ白な詐欺師を相手に、言葉という名のチェスを続けることにした。

 

あいつのロジックを一つずつ論破し、その冷徹な演算を狂わせていく。

 

それが、まどかやさやかちゃんたちが「魔法少女」という絶望に呑まれないための、俺なりの防衛線だった。

 

 

 

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