その刹那に愛を──   作:星乃 望夢

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第十一話

 

窓の外、どこまでも透明で無機質な校舎の壁。そこに反射する陽光を背負いながら、俺は足元で無垢なフリをしている白い獣を見下ろした。

 

「勘違いするなよ、インキュベーター。俺はお前たちを『悪ではない』と定義した覚えなんて、一度もないぞ」

 

低く、けれど芯の通った声。それは俺の意志であると同時に、俺の魂の『主』であるほむらちゃんが、幾星霜のループの中で積み上げてきた憤怒の代弁でもあった。

 

「年頃の女の子に、何でも願いが叶うと囁いて魔法少女に仕立て上げる。魔女という化け物と戦わせ、命を削らせる。その過程で、お前たちは『聞かれなかったから』という卑怯な逃げ口上で、肝心なことを何一つ話さない」

 

キュゥべえは足を止め、長い耳を揺らしながら俺を見上げた。その瞳には相変わらず、良心の呵責など微塵も存在しない。

 

「魔法少女の正体。ソウルジェムが魂そのものの固形化であり、抜き取られた肉体はただの動く死体(ゾンビ)に過ぎなくなること。そして、希望を抱いて戦った末にソウルジェムが濁り切れば、彼女たちは絶望と共に魔女へと成れ果てる……」

 

俺は一歩、キュゥべえへと詰め寄った。

『形成』されたこの小さな身体から、覇道神の萌芽たる威圧感が、漆黒の陽炎となって立ち昇る。

 

「ヤクザも真っ青な詐欺師だよ、お前たちは。人間の尺度に当てはめるなら、それは十分に『悪』だ。いや……宇宙の延命という大義名分のために、一方的に目を付けた少女たちを苗床にして、感情という名のエネルギーを搾り取るその手口は、『悪』を通り越して『邪悪』そのものだ」

 

『……合理的だと言ったはずだよ。僕たちは宇宙の寿命を延ばそうとしている。個人の感情や倫理観で宇宙全体の損失を語るのは、知的生命体としてあまりに近視眼的だと思わないかい?』

 

キュゥべえの言葉は、どこまでも平坦だ。あいつにとっては、何十億の少女が絶望しようと、宇宙という巨大な機械を動かすための潤滑油を確保したに過ぎないのだ。

 

屋上へと続く階段の踊り場で、俺は足を止めた。

窓の外には、どこまでも広がる青空と、整然とした街並み。だが、俺の視界には、その美しさの裏側で静かに、けれど確実に蝕まれていく宇宙の「寿命」が透けて見えていた。

 

「……そもそもの話をしようじゃないか、インキュベーター」

 

俺の声は、狭い階段室に低く響き渡った。キュゥべえは踊り場の手すりに飛び乗り、無機質な瞳で俺を見つめ返す。

 

「宇宙のエントロピーなんてものは、その宇宙が持つ宿命だ。寿命そのものと言ってもいい。それを避けることは、本来なら不可能なはずなんだよ」

 

キュゥべえは何も答えない。俺は自嘲気味に口角を上げた。

 

「お前たちのやっていることは、死に逝く身体に無理やり新しい血を輸血して、生きながらえさせているだけだ。フランケンシュタインも真っ青な、死体の延命処置だよ。……なぁ、そんなことを一体誰が頼んだんだ?」

 

『……僕たちは、知的生命体の義務として、宇宙の存続を選択しているだけだよ。崩壊を待つのは、非合理的だ』

 

「お前たちが救おうとしているのは宇宙じゃない。自分たちの都合でしかないシステムの維持だ。……宇宙そのものからすればさ、さっさと死なせて欲しくて、ビッグバンによる再誕……新たな宇宙への転生を望んでいるかもしれないとは考えないのか?」

 

俺は一歩、白い獣に詰め寄る。

 

「そもそも、宇宙の終焉なんて途方もない時間の果ての果ての話だ。そんな結末に、お前たちはどうしてそこまで醜く抗おうとしたんだ? ……避けようもない結末に対して、自分たちの技術ではどうにもならないから、こんな宇宙の片田舎にある星の、さらに年端も行かない少女たちの感情に頼るしかない。……そんな時点で、お前たちはこの宇宙の『敗北者』なんだよ」

 

『敗北者……。僕たちが、かい?』

 

キュゥべえの声に、僅かなノイズが混じった気がした。

 

「そうだ。自力で法則を超えられず、他者の魂を燃料にして場を繋ぐ。それが敗北でなくて何だと言うんだ。……宇宙の終焉、アポカリュプシスが訪れようと、アカシックレコードに滅びが刻まれていようと、それを覆せるのは意志と生命の輝きだけだ。どんな絶望の淵に立とうが諦めず、藻掻き、足掻き続ける人間……その可能性の輝きだけが、運命を変えられる」

 

俺の魂の奥底で、ほむらちゃんの想念が共鳴する。

 

彼女が繰り返してきた孤独なループ。それこそが、インキュベーターには決して真似できない「運命への反逆」そのものだった。

 

「その『可能性』の種である人間を、ただの消費財として使い潰している時点で、お前たちインキュベーターはこの宇宙の救世主なんかじゃない。……宇宙の健全な代謝を妨げ、成長の芽を摘み取る『癌細胞』そのものだよ」

 

『……君の主張は、あまりに主観的で感情論に過ぎないね』

 

「ああ、感情論だよ。……そして、その感情が煮詰まった先に、お前たちの理を焼き尽くす『覇道』が生まれるんだ。……覚えておけ、インキュベーター。癌細胞を駆逐するのは、宇宙の自浄作用じゃない。お前たちが踏みにじってきた、少女たちの『怒り』だ」

 

俺はキュゥべえに背を向け、屋上へのドアを力強く押し開けた。

 

吹き抜ける風が、ほむらちゃんと同じ色の黒髪を激しく揺らす。

 

彼女の魂と一つになった今の俺にはわかる。

 

この宇宙がどれほど残酷で、どれほど救いようがなくても。

 

一人の少女が抱く「愛」という名の非合理が、インキュベーターの薄っぺらなロジックを叩き潰す瞬間は、もうすぐそこまで来ている。

 

俺は青空を仰ぎ、魂の底から静かな、けれど苛烈な殺意を解き放った。

 

屋上のフェンスに背を預け、吹き抜ける風に黒髪を遊ばせながら、俺は白い獣へ向けて最後通牒のような言葉を投げかけた。

 

「ああ、これも付け加えておこうか。『敗北者』」

 

キュゥべえの無機質な耳が、ピクリと揺れる。

 

「お前たちが掲げる、この宇宙を延命させるという大義名分……。その本当の正体は、実はお前たち自身が滅びるのを怖がっているだけなんじゃないのか?」

 

『……わけがわからないよ。僕たちに個体としての死の概念はない。全体としての存続は、ただの合理的な選択だ』

 

「そう言うと思ったよ。なら、感情を持たないお前たちにもわかりやすく、お前たちの言語で説明してやろうか」

 

俺は振り返り、その赤い瞳を真っ直ぐに射貫いた。

 

「全宇宙規模のネットワークの完全消去。何をしても再起動も再構築も不可能な、致命的な破損。思考も計算も二度と行えない、絶対的な無……。システムだって、エラーが発生すれば自己診断プログラムを走らせて、必死に打開策を探すだろう? それはプログラムされた『自己修復』だ」

 

俺は一歩、また一歩と、フェンス際で佇むキュゥべえへと歩み寄る。

 

「お前たちは、インキュベーターという名のシステムが損なわれることを認めない。それを人間の言葉に置き換えるなら、死を恐怖し、何が何でも生き延びようとする『生存本能』、あるいは『恐怖』というヤツに他ならないのさ。お前たちは、自分たちが定義できない感情の檻の中に、自分たち自身が閉じ込められていることにすら気づいていないんだよ」

 

キュゥべえは微動だにせず、ただ俺を見上げている。その演算回路は、今この瞬間に俺が突きつけた「矛盾」をどう処理しているのだろうか。

 

俺は両手を広げ、極上の皮肉を込めた笑みを浮かべてみせた。

 

「どうだ、インキュベーター」

 

逃げ場のない論理の刃を、感情を持たないはずの白い悪魔の喉元に突きつける。

 

「お前たちは、己が完全に滅びるという『結末』に対して一切の恐怖がないと豪語するのならば。……今すぐ、綺麗さっぱりこの全宇宙から、お前たちのその全ネットワークを自壊させてみろ」

 

キュゥべえは、ピクリとも動かない。ただ、そのルビーのような無機質な瞳で俺をじっと見つめ返しているだけだ。

 

柔らかな日差しの中、俺たちの間にある空間だけが、絶対零度のように冷え切っていた。

 

「それで完全に消滅しても、システムとして何の未練も『恐怖』も感じないって証明できるなら……その時は、俺も潔く負けを認めてやるよ」

 

挑発。あるいは、ただの詭弁かもしれない。

 

だが、感情という不可解なエネルギーを搾取しながら、自らはその感情から最も遠い高みにあると信じて疑わない彼らの『絶対的な優位性』を引きずり下ろすには、これで十分だった。

 

沈黙が降りた。

 

数秒か、あるいは数十秒か。インキュベーターの途方もない演算能力をもってしても、このイレギュラーなバグからの問いに対する最適解を導き出すのに、わずかな時間を要したらしかった。

 

やがて、キュゥべえはパタリと尻尾を揺らし、どこまでも平坦な声で答えた。

 

『……君の提案は、極めて非合理的だ』

 

それは、言い訳のようにも、ただの演算結果の報告のようにも聞こえた。

 

『僕たちが今ここで自壊すれば、宇宙の延命という至上命題が達成できなくなる。それは感情や恐怖の問題ではなく、純粋なエネルギー損失の計算結果だよ。君のその無意味な要求に応じるメリットは、僕たちには一つも存在しない』

 

「ほら、またそうやって『宇宙のため』と言い訳を並べる」

 

俺は鼻で笑い、フェンスからゆっくりと背中を離した。

 

「それが『死への恐怖』じゃなくて、あくまで『合理的な計算結果』だって言い張るなら、好きにすればいいさ。……でもな、インキュベーター」

 

俺は踵を返し、その白い悪魔に背を向けたまま、肩越しに冷たく言い放つ。

 

「俺たち人間は、そういうのを『負け惜しみ』って呼ぶんだぜ」

 

『…………』

 

キュゥべえからの返答はなかった。

 

ただ、俺の背中に突き刺さるような、底知れない観察の視線だけがしばらくの間まとわりついていた。

 

――キーン、コーン、カーン、コーン。

 

その緊迫した空気を打ち破るように、見滝原中学校のチャイムがのどかに鳴り響く。どうやら、ほむらちゃんの授業が終わったらしい。

 

俺の言葉で完全に論破(というか詭弁で完封)されたキュゥべえは、これ以上の接触は無意味だと判断したのか、俺が振り返った時には既にその姿を掻き消していた。

 

「……意外とあっけなかったな」

 

誰もいなくなった屋上、俺は微かに残っていた白い悪魔の気配が完全に消え去ったのを確認し、一つ小さく息を吐き出した。

 

全宇宙規模の広大なネットワークを持ち、俺たち地球の人間からすれば、それこそ『魔法』と呼ばれるような奇跡すら平然と起こせるほどに文明が発達しているはずのインキュベーター。

 

その高位知性体が、蓋を開けてみればどうだ。

 

「この宇宙の辺境、片田舎の星に生まれた人間一人に理詰めで反論されて、完全に黙り込んだ挙句に逃げ帰ったんだからな」

 

俺は窓の外、見滝原の平和な街並みを見下ろしながら、皮肉げに鼻を鳴らした。

 

結局のところ、奴らは『宇宙の存続』なんていう大層な大義名分を隠れ蓑にしているだけで、その実、自分たちのシステムが消滅する(死ぬ)ことを絶対に認められないのだ。

 

そして、その生存本能とも呼べる根源的なバグから目を背け続け、自分たち自身の基本演算すら覆すことができない。

 

「全宇宙の管理者気取りの割には、とんだ『ポンコツ』だって自ら証明したようなものだぜ」

 

文明がどれほど発達しようとも、奇跡をどれほど安売りしようとも、自らの消滅を認めた上でなお「それでも」と前を向く意志を持たないあいつらは、俺たちから見ればただの壊れた計算機だ。

 

己の保身を宇宙の存続と言い換える、その浅ましさ。それを「邪悪」と呼ばずして、何と呼ぶ。

 

インキュベーターという理不尽なシステムに対する、完全な勝利宣言。

 

強大な敵のメッキが剥がれた瞬間に立ち会い、俺の胸の奥底にあった一抹の緊張感は、心地よい優越感と安堵へと変わっていた。

 

キーン、コーン、カーン、コーン――。

 

俺の言葉を肯定するかのように、再びのどかなチャイムの余韻が校舎に響き渡った。

 

 

◇◇◇

 

 

キュゥべえを言い負かしてお昼どうしようかと屋上から降りた廊下の向こうから足早に歩いてきたのは、見滝原中学校の制服に身を包んだ、俺と背格好も顔立ちも瓜二つの少女。

 

暁美ほむらだ。

 

周囲の生徒たちが、転校初日からどこか人を寄せ付けない冷ややかなオーラを放つ彼女を遠巻きに見つめる中、ほむらちゃんは一直線に俺の元へと向かってきた。

 

その紫の瞳には、いつもの氷のような冷たさはなく、どこか熱を帯びた、抑えきれない感情の色が滲んでいた。

 

「お疲れ、ほむらちゃ……」

 

俺が呑気に挨拶しようと右手を軽く挙げた、その瞬間だった。

 

「……よく、やったわ。まどか」

 

すっ、と。

 

彼女の白く細い手が、俺の挙げかけた右手にするりと滑り込んできた。

 

ただ触れるだけじゃない。彼女は周囲の生徒たちの目を盗むように、けれど確かな意志を持って、俺の指と指の間に自分の指を深く絡ませてきたのだ。

 

完全に、恋人繋ぎの形だった。

 

「ひゃっ!?」

 

俺は変な声を出して、全身を硬直させた。いや、ちょっと待って?

 

マミさんの家のテーブルの下で見せたような、俺の骨を砕きにかかる「万力の刑」でも、弾丸を挟み込んだ「物理的制裁」でもない。ただ純粋に、体温と体温を重ね合わせる、柔らかくて優しい、本物の恋人繋ぎ。

 

そんな、デレ度100パーセントの、ストレートな好意を叩きつけてくるような真似を、あのクーデレの極みである暁美ほむらが、真っ昼間の学校の廊下で堂々とやってのけるなんて。

 

俺は少し、いや、かなり動揺して、完全に石像のように固まってしまった。

 

「え、あ、あの、ほむら、ちゃん……?」

 

「…………」

 

彼女は何も言わない。ただ、少しだけ顔を伏せて、俺の手をきゅっと強く握りしめている。その耳の裏が、ほんのりと赤く染まっているのが見えた。

 

(いや、俺、なんかやったっけ!? さやかちゃんと話したことで怒られるかと思ったのに、この反応は一体……!?)

 

俺が内心でパニックに陥り、頭の中で「ほむらちゃんデレイベント発生条件」を必死に検索していると、繋がれた手を通して、彼女の呆れたような、けれどどこか弾むような声が『魂通信』で直接脳内に響いた。

 

(……自覚、ないのね。本当にバカなんだから)

 

(えっ?)

 

(さっきの、あのインキュベーターとのやり取り。……あなたの魂が昂りすぎて、私の方に全部、一言一句漏らさず筒抜けだったわよ)

 

(えええええええええええっ!?)

 

俺は心の中で絶叫した。

 

あの、俺がインキュベーター相手に、ちょっと、いやかなりドヤ顔で、厨二病全開で「人間の心の底値を無礼るなよ」とか「お前たちは敗北者だ」とか「負け惜しみって呼ぶんだぜ」とか、めちゃくちゃイキって啖呵を切っていた、あの一連のやり取りが。

 

全部、愛しい恋人にリアルタイムで生中継されていた、だと!?

 

(……嘘だろ……)

 

「Oh……」

 

思わず口から、情けない呻き声が漏れた。

 

そこはかとなく、いや、深々と、取り返しのつかないほどに恥ずかしい。

 

穴があったら入りたい。いや、むしろ今すぐエイヴィヒカイトで自分の周りに塹壕を形成して、そこに埋まりたい。

 

(でも……)

 

魂通信の向こう側で、ほむらちゃんの声が不意に柔らかくなった。

 

それは、彼女がどれだけの時間を一人で孤独に戦い抜いてきたかを知る俺にとって、胸が締め付けられるほど愛おしい響きだった。

 

(あの忌まわしいインキュベーターの論理を、あんな風に真っ向から、ぐうの音も出ないほどに叩き潰してくれたのは……あなたが初めてだった。だから。その……ありがとう、まどか)

 

最後に繋がれた手にきゅっと力が込められ、その瞬間に伝わってきたのは、彼女の偽りのない深い安堵と、不器用な愛情だった。

 

俺は完全に毒気を抜かれ、顔から火が出るほど恥ずかしいという感情も、彼女のその温もりに溶かされていくのを感じた。

 

「……おう。まあ、俺に任せといてよ」

 

照れ隠しに、俺は繋がれていない方の手で後頭部を掻きながら、小さく笑い返した。

 

 

 

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