ドロイド・コンチェルト【毎週日曜20時更新】 作:SOYA-001
スタジアムを出た瞬間、巨大ホロディスプレイの光が2βの視界へ飛び込んできた。すっかり夜の帷となった会場を、ホログラムのキラついた映像で電子的に照らしている。
『機械少女は人類再生の夢を見るか――伝説の一夜!』
舞台映像の切り抜きとともに、姉さまとルディアと、自分の姿が映し出されている。演出上におけるSNS上の反応も、数えきれないほど流れていた。
大成功。最高の演技。今夜いちばん輝いていた3機。
どの言葉も間違っていないはずなのに、2βの胸部フレームは軋むように重かった。
SNSの反応をプロデューサーはあまり見せてはくれなかった理由は、自分の奥底をズキズキと刺してくる情報にしか見えないことを踏まえると、なんとなく察しがついてしまう。
「見ないほうがいいよ、今は」
アイコが2βの前へ回り込み、ディスプレイを背中で隠した。
「成功したんですよね、ワタシたち」
「したよ。だから、あの子はあんなに怒ったんだ」
理解できない答えに、2βはゆっくりと顔を上げた。
「……どうして、ワタシを止めなかったんですか」
「んー?」
2βが足を止める。顔面ディスプレイに、ピリピリと細いノイズが走った。
もう耐えられなかった。
「アイコさん、分かってたんですよね。アプリコットさんが怒ってるって。ワタシが行ったら、こうなるかもしれないって。なのに……どうして止めなかったんですか!」
「止めなかった?」
アイコは動じなかった。
ただ、いつもの軽い笑みだけが、ほんの少し薄くなる。
「止めることはできたよ。でも、ベータちゃんが自分で謝りたいって決めたことまで、アタイが取り上げるのは違うと思った」
「だったら、せめて教えてくれれば……!」
「アプリコットが機嫌悪いことは言ったじゃん」
「あんなふうになるなんて、言ってません!」
2βは必死に語調を強めていく。それだけ、彼女の精神プロセスは逼迫していた。
「あんなふうに……ワタシを、突き飛ばすなんて」
「突き飛ばす」
口をついで出た2βの告発に、アイコは流石に軽口を叩ける状態ではないと察する。
「そっか……そこまでやってたとは。さすがのアタイも思ってなかったよ」
初めて、アイコの声から軽さが消えた。
「えーと。確認だけど、破損はない?」
「あ、えっと……それは、大丈夫です。無事です。すみません」
「謝ることないよ。むしろ、謝るべきはこっち」
アイコの目は、いつになく真剣なものになっていた。こればかりは、彼女も予想外の出来事だったのだろう。次いででてきた言葉は、さらに真剣なものとなった。
「行っても怒鳴られるくらいは覚悟してた。間違っても、他の子に手を出すような性格じゃないのは知ってたから。……でも、突き飛ばして追い出すところまでは読めなかった。そこはアタイの見込み違い。悪かったね」
「じゃあ……」
「でもさ」
神妙な面持ちだったアイコは、すぐにいつもの調子へ戻った。深刻過ぎる空気を維持できるほど、アイコも強くないのだろうか。
「でもさベータちゃん。そもそも、舞台は成功したんだ。成功した以上、演者としてはそこを喜んでいい。アプリコットが何を抱えて、何に傷ついたかまで、ベータちゃんが全部引き受ける必要はないよ」
「…………」
2βは何も答えられなかった。
アイコの言葉は正しいように聞こえる。けれど、正しいからといって、胸部に残った痛みが消えるわけではない。
「さすがに突き飛ばした件は、後でアタイから言って聞かせておくけど……」とアイコも気を使って付け加えているが、それでこの痛烈な痛みが癒える気もしなかった。
「なんで……」
声が震える。
「なんで、そんなふうに言えるんですか……。カードキーを渡さなければ、それで済んだじゃないですか。ワタシは、ただ謝りたかっただけなのに……それなのに、ワタシ、ワタシは……っ」
膝から力が抜ける。
「うぅっ……ひぐっ……」
「もー、ベータちゃん無理しすぎ」
アイコは崩れかけた2βの身体を支え、その頭部ユニットから、後頭部へ伸びるスタビライザーにかけて、ゆっくりと撫でた。
「アプリコットに申し訳ないって思うのが悪いとは言わないよ。アタイだって、あの舞台でアイツがどんな気持ちになったか、分からないわけじゃない」
「だったら……」
「だからこそ、切り分けないとダメなんだ」
アイコの手が止まる。
「ベータちゃんが台本から外れたこと。アプリコットの脚本が演者に追い越されたこと。アプリコットが昔から抱えてきたもの。あの子がベータちゃんを突き飛ばしたこと。全部、別々の話なんだよ」
「別々……」
「そ。ひとまとめにして『全部ワタシが悪い』って背負ったら、ベータちゃん、いつか潰れるよ」
その言葉は軽くなかった。
姉さまと交響機を目指すこと。
姉さまの夢を支えること。
そのために、自分はどう振る舞えばよいのか。
2βは、それらを考えるたび、姉さまの痛みも、周囲の失敗も、自分の責任として抱えようとしていた。
アイコは、それを見抜いている。
けれど、だからといって、彼女のやり方を今すぐ正しいと思えるほど、2βの傷は浅くなかった。
「アタイが止めなかったのは、ベータちゃん自身が決めたことだったから。それと、失敗しないように守られ続けるだけじゃ、この先しんどいと思ったから」
「交響機を、目指すから……ですか」
「そ。姉ちゃんと一緒にね」
アイコは人差し指を立てる。
「でも、傷つけられることまで我慢しろって意味じゃないよ。今回のは、アタイにも責任がある。そこは間違えないで」
「…………」
2βは、ぐしゃぐしゃになった思考回路をまとめようとした。
アイコは、自分を傷つけたかったわけではない。
けれど、自分を守り切れたわけでもない。
その両方が、同時に本当なのだ。
「あ、あはは……アイコさんって、すごいですね。そんなところまで、考えてたなんて……」
「まねー。ダテにアプリコットとつるんでないからさ」
軽々しい声が戻ってくる。
2βはその言葉を聞きながら、ひとつの疑問を抱いた。
どうしてアイコは、アプリコットの怒りを予想できたのか。
どうして自分の性質まで、こんなにも正確に見抜けるのか。
「でも……どうして、そこまで……」
「んー、そうだねえ」
2βが問いを言い切る前に、アイコはその先を読み取った。
「ベータちゃんはさ。前に話した『運営送り』のこと、覚えてる?」
「え? あ、はい……確か、ドロコンに出られなくなったドロイドが受ける措置、ですよね」
「うん」
アイコは夜道の先へ視線を向けた。
「あれねー、誰が最初になったと思う?」
もったいぶらせた言い回しに、2βは首を傾げる。
「アプリコットだよ」
「え……」
しかし、流れは間延びしない。アイコの答えた名前を聞いて、2βは困惑を隠せなかった。
だが、その一言だけで、どこか腑に落ちてしまう自分もいる。
アプリコットもドロイドだ。ドロコンの会場にいること自体は、不思議ではない。
それなのに彼女は表舞台へ立たず、演出制作室に閉じこもり、他のドロイドたちを舞台へ送り出している。
その理由としては、確かに筋が通っていた。
「それって、本当なんですか」
「ここでウソ言う意味ってないっしょ」
「それは、その……そうですけど。でも、どうしてアプリコットさんが」
「まー、それにも深ーい事情があんのよ」
アイコの声は、いつものように軽かった。
けれどその横顔には、ホロディスプレイの光が届いていなかった。
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かつて、
だが、それも今は昔の話。
1989年に結成されたその小さな劇団は、2029年。ある出来事を境に、40年の歴史に幕を閉じることとなった。
――アプリコットは、その劇団の生まれだった。
『世界初の自律成長型ロボット劇団員の開発が始まる フランス』
世間的には、そんなAIニュースが一面を飾った。
それは、今の時代から見れば大した話ではないのかもしれない。オーロラ・グループの提供するアーキテクチャを使い、フランスの小劇団が1機のドロイドを団員として形作り、迎え入れた。その始まりのニュース――ただそれだけのことだと片づけることもできるだろう。
だが、当時は違っていた。
「こんにちは、ドロイドさん」
アプリコットの最初の記憶は、一人の女性劇団員に迎え入れられる姿から始まった。それが劇団員の団長であることを知るのは、もう少し後のことだった。
「成功したのか」
「おお、これがドロイド……!」
「ちゃんと起動できてよかったですね!」
背後から、他の劇団員たちの歓声が聞こえてくる。
アプリコットは団員たちに囲まれ、その
「あなたは、この劇団で愛されるために、そして、みんなに愛されるために生まれてきたのよ」
女性は、アプリコットの小さな身体を抱き寄せるようにして微笑んだ。
「愛されて、前を向いて、世界中の人たちに元気と物語を届けてほしい。だから、あなたの名前は――アプリコットよ」
「ア、プリ、コット……アプリ、コット……ぼくの、なま、え……」
アプリコットの誕生は、喜びの中にあった。
オーロラ・グループの提供するアーキテクチャを搭載した「ドロイド」は、この頃には既に、ある程度社会へ浸透していた。
精神医療の現場では、人間の医師や臨床責任者の監督下に置かれながら、患者対応や治療計画の調整を担う認証ドロイドが現れ始めていた。犯罪捜査においても、旧来の捜査支援ロボットと併用され、映像解析や証拠整理を統括する実務責任機として運用される例が増えていた。
最終的な法的責任は人間や所属組織が負っていたものの、ドロイドが高度な判断を伴う仕事を任されること自体は、もはや特別な光景ではなくなりつつあった。
ちょうどその頃、デトロイトで開催された第1回ドロイド・コンチェルトが成功を収める。
ドロイドたちが歌い、踊り、自らの言葉で観客へ語りかける姿は大きな反響を呼び、サブカルチャーを中心に一大旋風を巻き起こした。
2027年は、そんな社会変革の後半へ差しかかる時代でもあった。
ゆえに、その年に生まれたアプリコットは、本来であれば、その恩恵をもっと受けられるはずだった。
ある問題が、急速に加熱する間までは。
「え? ダメ、って……そんな。で、でも、もう契約は済んでいるじゃないですか!」
「契約書の規定に基づいた解除だ。悪いが、公演の話はなかったことにしてくれ」
パリにある、とある劇場の事務所。2028年の春先のことだった。
月光劇団の団長が劇場の運営責任者と話しているのを、廊下を通りかかったアプリコットは、閉じきっていないドアの向こうから聞いていた。
「解除って……こちらは出演者の情報も、機体の安全証明も、すべて事前に提出しました。劇場側からも問題ないと回答をいただいたはずです!」
「事情が変わったんだ。保険会社が、自律型ドロイドの舞台出演について補償対象外と判断した。法務からも、事故が起きた場合の責任主体が不明確だと指摘されている」
「アプリコットの動作試験は何度も行っています! 舞台設備への接続もありません。必要なら追加の保険料だって――」
「金だけの問題じゃない」
責任者は、机上の書類を指先で叩いた。
「契約書第14条。出演内容が劇場の安全基準、法令、保険条件、または社会的信用に重大な影響を与えると判断された場合、劇場側は公演を中止できる。違約金は規定どおり支払う。それで終わりだ」
「社会的信用って……アプリコットが出演することの、何が問題なんですか!」
「そもそも、君たちのほうがおかしいんじゃないのか」
責任者の声が低くなる。
「劇場にロボットだぞ。観客が演劇に何を求めていると思っている」
「それは、演劇でしょう! 人間かドロイドかなんて関係ない。うちのアプリコットの演技を、あなたも審査映像で見たはずです!」
「見たさ。だから問題なんだ」
責任者は眉間に皺を寄せ、団長の言葉に聞く耳を持とうとしなかった。
「観客は、人間の表現を見に来るんだよ。プログラムに従って動く機械の踊りを見たいわけじゃない」
「アプリコットは自分で考えます。稽古をして、脚本について意見を出して、自分で演技を組み立てているんです」
「そう見えるように作られているだけだろう」
「違います!」
「何が違う。どれだけ演技がうまかろうと、それは君たちの指示やプロンプトの作り方が優れていただけだ。機械が感動しているような顔を作ったところで、それが本物の感情になるわけじゃない」
「そんな……」
団長は狼狽える。だが、それを気にすら掛けず、責任者はさらに切り捨てていく。
「舞台演劇は、人間の身体と人生を使って作るものだ。人間の創作性が物を言う、神聖な場所なんだよ。人工的なまがい物に取って代わられるような場所じゃない」
責任者は椅子へ座り直し、手元の書類を閉じた。
「本気でやりたいなら、他を当たってくれ。少なくともうちは、〝人間の〟演劇が生み出す表現以外を扱うつもりはない」
「ですが……」
「違約金の振り込みについては、後日こちらの担当から連絡する。話は以上だ。私は忙しいんでね」
「……」
アプリコットは、やるせなかった。
このパリの劇場で予定されていた公演は、アプリコットにとって初めての晴れ舞台になるはずだったからだ。
団員たちと一緒に行うレッスンは楽しかった。
シナリオを考え、台詞の意味について話し合うことも面白かった。
衣装パーツをみんなで作り、それを身につけて演技を試す時間も好きだった。
月光劇団で過ごしてきた日々の成果として、ついに自分が観客の前へ立てる。
アプリコットは、その日を心から楽しみにしていた。
「アプリコット。聞いてたの」
事務所から出てきた団長が、廊下に立つアプリコットに気づいた。
「……うん」
「ごめんね。ここもダメだった」
「いい。また次、探さないとね」
「そうね……」
団長は笑おうとしていた。けれど、その表情には隠しきれない疲労が滲んでいた。
このときのアプリコットは、薄々気づいていた。
既にいくつもの劇場や興行主から、公演を断られていること。
安全証明を提出しても、演目を変更しても、出演時間を短くしても、最後には必ず自分の存在が問題にされること。
そして今回は、一度は取りつけた契約を解除し、違約金を支払ってまで出演を拒絶されたこと。
――その中心点に、自分がいたこと。
劇団員たちは、誰もアプリコットを責めなかった。
だからこそアプリコットは、自分がいなければ、みんなはこんな思いをしなくて済んだのではないかと考え始めていた。
これは、その事実を突きつけられる出来事にほかならなかった。
だが、それでもまだ、世間はアプリコットへ拒絶を突きつけるだけでは足りなかった。
2029年。オーロラ財団は、第2回ドロイド・コンチェルトをドイツ・ミュンヘンで開催することを発表した。
だが、その開催は政治的にも制度的にも、決して容易なものではなかった。
同年、欧州人工知能管理責任法――通称「新AI法」が成立したためである。
この法律は、2024年にEUで施行されたAI規制を拡充し、高度な自律型AIを芸術・創作・興行へ利用する場合の責任主体を明確化するために制定された包括法だった。
表向きの目的は、観客や創作者の権利保護、事故発生時の責任明確化、そしてAIによる創作物の透明性確保にあった。
しかし、その適用を受ける団体には、次のような義務が課された。
公演ごとの人間責任者の登録。
使用するアーキテクチャと学習・調整履歴の提出。
自律生成された脚本、演技、音声、動作についての事前申告。
公演中に行われた判断や生成過程を追跡できるログの保存。
第三者機関による安全性および権利関係の審査。
さらに、自律型ドロイドが観客や他の演者へ損害を与えた場合に備えた、高額な責任保険への加入――。
法律そのものは、ドロイドによる芸術活動を禁止してはいなかった。
だが、すべての要件を満たすには、膨大な費用と専門人材が必要だった。
大企業であれば、法務部門や技術監査部門を使って対応できる。
しかし、小規模な劇団や個人の芸術団体にとっては、公演を続けること自体が困難になるほどの負担だった。AI関連の技術資産を持つオーロラ・グループが出資し、財団が運営するドロイド・コンチェルトも、この新法の影響を免れることはできなかった。
第1回大会には13団体が出場した。しかし、第2回大会への正式な出場申請を完了できたのは、わずか8団体。残る団体の多くは、監査費用、保険料、権利証明、責任者登録といった条件を満たせず、参加を断念していた。
――当然、月光劇団も、その8団体のうちの一つに含まれる。
はずだった。
「なんで……」
アプリコットは、その言葉に、これまでで一番深いやるせなさを滲ませた。
パリ市内の病院。白く無機質な病室で、彼女は自らのマニピュレーターを強く握りしめていた。
「すまない。もう、私たちにもどうにもできないんだ」
「団長が倒れてしまった以上、出場の手続きを続けるのは……」
「まさか、こんな土壇場で……」
「どうして、がんのことをもっと早く言ってくれなかったんですか……」
ベッドを囲む劇団員たちの声も、アプリコットと同じように憔悴していた。
無念、混乱、後悔――どの感情も置き場所を失い、病室の白い壁のあいだを漂っている。
「団長……団長っ!」
アプリコットはベッドへ駆け寄った。団長の身体には、点滴のチューブや心電図モニターのコードがつながれていた。呼吸を補助する酸素カニューラの向こうで、彼女は浅く息を繰り返している。
その瞳が、ゆっくりとアプリコットを捉えた。
「ごめん、ねぇ……アプリ、コット……」
団長は途切れ途切れに声を絞り出す。
「私……少し、無理を……しすぎちゃったみたい……」
「無理なんて、そんな……!」
どうして団長が倒れたのか。それは、ほかの劇団員からすでに聞かされていた。
新AI法へ対応するため、団長が自分のわずかな資産まで劇団へ注ぎ込んでいたこと。
高額な責任保険や監査費用を工面し、必要な書類を揃え、病を隠したまま各所との交渉を続けていたこと。
世間の逆風に抗って、どうにかしてアプリコットを舞台へ立たせようとしていたこと。
その無理が、とうとう彼女の身体を限界まで追い込んだこと。
事情を知ったうえで見る団長の姿は、アプリコットにはあまりにも痛々しかった。
「こんなの……あんまりだよ」
声が震える。
「団長、僕は……僕は、こんなことまでしてほしかったわけじゃ……」
「アプリコット……」
団長が、かすかに首を横へ振った。
「あなたは……私たちの……最高の、宝物よ……」
「団長……」
「舞台に立てるかどうかなんて……本当は、それで……あなたの価値が、決まるわけじゃない……」
細い指が、アプリコットへ伸びる。
アプリコットは両手で、その手を包み込んだ。
「でも……あなたが、立ちたいと願うなら……」
団長は、ほんのわずかに微笑んだ。
「きっと……立てるわ。あなたの、舞台に……」
「一緒に立つんでしょ……? 僕が舞台に立つところ、みんなで見るって……」
「ええ……見てるわ……」
団長の声は、もう息とほとんど変わらなかった。
「どこに、いても……ずっと……」
その指先から、少しずつ力が抜けていく。
「愛してる、わ……アプリコット……」
「団長?」
心電図モニターの音が変わった。
「団長……ねえ、団長っ!」
警告音が病室に響き、劇団員の1人が慌ててナースコールへ手を伸ばす。廊下から足音が近づいてくる。
けれどアプリコットには、何も聞こえなかった。
「団長っ! 起きてよ! 僕、まだ……まだ、何も返せてないんだよ!」
団長の手を握ったまま、アプリコットは声を張り上げる。
「僕はまだ、舞台にも立ってない! 物語だって、届けてない! だから――だから、まだ行かないでよ!」
答えはなかった。
病室に伸びる単調な警告音さえ、アプリコットの号哭に呑み込まれていった。
第2回ドロイド・コンチェルトは、2029年12月26日、無事に閉幕することとなった。出場団体数は7団体、出場辞退は1団体。この年の交響機も、前会期に引き続きCLX-01P――今に続く連覇を飾るシェルディが勝ち取った。
この年、出場辞退となった唯一の団体である月光劇団。その辞退の理由としては、代表者の死去に伴う経営難による解散が原因だった。したがって、出場ドロイドであったAP-R3・アプリコットは、ドロイド・コンチェルト出場規定に基づき、団体都合による辞退として運営側が回収、オーロラ財団が管理を行うことが決定された。
こうして、アプリコットは名実ともに、初の〝運営送り〟のドロイドとなった。
―――――――――――――――――――――――――――――――
「ま、全部アプリコット本人から聞いた話なんだけどね。アタイには、あいつが本当はどう思ってたのかなんて、よく分かんないよ」
話を聞くだけでも耐えきれそうになかった2βを見て、アイコは意識的に声の温度を下げた。
「そんな……運営送りって。それじゃあ、やっぱりワタシ、アプリコットさんに……」
「まあまあ。あんまり深入りしすぎないこと」
アイコは2βの肩を、軽く撫でる。
「アンタは幸い、舞台を大成功させた側じゃん。アプリコットの昔と、今日アンタたちがやったことは別の話だよ」
「で、でも!」
「それとも、これ以上アプリコットを傷つけたい?」
「え……」
「アタイから昔の話を聞いたなんて、あの子に知られてみな。今度こそ、本当に戻れなくなるよ」
真剣さと軽口の境界を、アイコは器用に行き来する。
先走ろうとする2βの気持ちへ、言葉で次々と行き止まりを作っていく。その手際のよさが、2βには少し怖くも感じられた。
「……ごめんなさい」
「いいって。謝んなくても」
アイコはもう一度、2βの頭部をゆっくり撫でた。
そうして
話に夢中だった2βは、アイコが最初から帰路を選んでいたことに気づいていなかった。夜はすでに深い。2αもオーティマも、今頃は心配しているだろう。
そこまで見越したうえでの、アイコの采配だった。
「何にしても、アンタたちはよくやってるよ」
管理棟の入口が見えてきたところで、アイコはそう言った。
「アプリコットやアタイ、ピクストみたいな、もう舞台にこだわんなくてもいい
軽く笑ってから、2βの背中を押す。
「ほら。今日はもう休みな」
「……はい」
「アンタたちには明日がある。アタイたちは、それを見守る側」
アイコは人差し指を立てた。
「姉ちゃんと一緒に、あのシェルディをぶっ倒せるくらいには頑張んなさいよ」
「う、うぅ……ありがとう、ございます」
2βは管理棟へ向かいかけた。けれど、数歩進んだところで足を止め、振り返る。
「……最後に、一つだけいいですか」
「んー? いいよ」
「どうしてアプリコットさんは、運営送りになったのに、あんなに大きな舞台を企画できたんですか」
「お。それはなかなか、いい質問だねえ」
アイコは楽しそうに、にぃ、と口元を歪めた。
「運営送りになったからって、何もかも悪いほうへ転がるとは限らないってことさ」
「……どういうことですか」
「特に、オーロラ財団の一番上にいる人はね。運営送りを、ただの処分で終わらせたくなかったらしいよ」
「一番上の人……」
「ま、アタイから言えるのはここまで」
アイコは肩をすくめる。
「期待の新人に、余計な先入観を植えつけるわけにもいかないし」
「……そう、ですか」
歯切れの悪い答えしか受け取れなかった2βを残し、アイコは自分の休める場所へ戻っていく。
果たして、本当にこれでよかったのだろうか。
謝りたいという気持ちを伝えられないことを、そのまま受け入れてよいのか。
自分の言葉が届かなかったからといって、もう何も言わずにいるべきなのか。
今の2βには、答えを出せなかった。
アプリコットの仮眠室で見つけた、古い一枚の写真。
その映像をメモリから呼び起こしながら、2βは小さく息を吐いた。
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運営ビルは、ドロイドたちの居住する管理棟に隣接している。
最上階にある理事長執務室の窓からは、管理棟の入口と、その周辺を見下ろすことができた。
ポラリス・オーロラ統括理事は、ブラインドの細い隙間から、夜更けの敷地を見下ろしていた。
アイコに見送られ、一機の小さなドロイドが管理棟へ戻っていく。
「ポラリス」
間接照明だけが灯る薄暗い執務室で、ローラが少し離れた場所から呼びかけた。
「ポラリス」
「ローラ。聞こえてるわ」
「じゃあ、どうして返事をしなかったの?」
「……様子を見てたからよ」
ローラはポラリスの隣まで歩いてくる。
カシャ、カシャと小さな歩行音が響く。人間よりもずっと小柄な、真っ白いドロイドだった。
ローラもまた、両手の指先でブラインドをわずかに押し広げる。
「ああ。あの子を見てたんだね」
「うん」
「今日の舞台で活躍した子」
「うん」
「久しぶりだったよね。あそこまで派手に、みんなを楽しませた舞台」
「うん……」
ポラリスは単調に頷いた。
ローラは少しだけ間を置いてから、彼女の横顔を見上げる。
「ポラリス。もしかして、アプリコットのことが心配?」
「……」
「図星だね」
ローラは淡々と続けた。
「でも、あの子に舞台を任せるって決めたのはポラリスだよ。今日のことは、その決断の延長にある」
「分かってる。分かってるよ」
「あの人の顔に泥を塗ったら、もう戻れないかもしれないのに。きみはすごいよね」
ローラの言葉に、ポラリスは父――ルクレーゼの冷たい視線を思い出した。
息を吸い、深く吐く。
「またため息。いつものやつ」
「ローラ」
「ごめん」
「……いいよ」
少しいじりすぎたと思ったのだろう。ローラは素直に謝ったものの、声音からいつもの調子が消えることはなかった。
「でも、ぼくは本当にすごいと思ってるよ」
ローラはポラリスの手を握る。
「本来ならアプリコットは、廃棄されていてもおかしくなかった。きみが止めなかったら、今夜の舞台もなかったんだから」
「……でも、その判断のせいで、ほかのドロイドや来場者を危険に晒したら」
「現実には晒さなかったでしょ」
「そういう問題じゃ――」
「ポラリス」
全高1メートルほどしかないローラは背伸びをし、ポラリスの唇へそっと指先を置いた。
「きみは、何のためにドロコンを続けてるの?」
「……また、その質問?」
「大事な質問だよ」
ローラは指を下ろす。
「お父さんとの約束を、忘れないため」
「……」
父との約束。
ポラリスは、それを忘れたことなど一度もなかった。
忘れたくなかった。
だからこそ、言葉にすることも、思い返すことも、なるべく避けていた。
約束を思い出せば、今のドロイド・コンチェルトが本当にその願いに沿っているのか、目を背けられなくなる。
舞台を与えること。競わせること。企業に所属させること。
運営送りとなったドロイドたちへ、別の道を用意すること。
それらが本当に彼女たちのためなのか、改めて問い直さなければならなくなる。
――そんなことを、ポラリスは口にできなかった。
「まだ、その時じゃないんだね」
「……ごめん」
「いいよ」
ローラは、謝ったポラリスへ穏やかに笑いかける。
「今日はもう遅いから、休んだほうがいいよ」
「うん。……そうする」
「ベッドの準備は終わってるから。ほら、行こう」
「うん」
ローラに手を引かれ、ポラリスは窓辺を離れた。
ブラインドがゆっくりと閉じられる。
管理棟から届いていた細い光も、そこで見えなくなった。