ドロイド・コンチェルト【毎週日曜20時更新】 作:SOYA-001
アプリコットには、謝れない。
謝る必要もない。
それどころか、もう一度謝ること自体が、彼女を傷つけてしまう――。
自分にできるはずだったことを、ことごとく封じられたまま。
2βは、どこにも進めない数日を過ごしていた。
7月23日、午前7時半。
管理棟・
HY-2姉妹に割り当てられた充電ステーションで、2βは休眠状態を装い、起動を知らせる時刻を過ぎても目を閉じ続けていた。
他社のドロイドたちは、既に自分たちの仕事に出たり、まだぐっすり眠っていたりと様々だ。
そしてこの日は、ハイロン重工のYouTube公式チャンネルで、HY-2姉妹を主役にしたライブ配信が予定されている。
アプリコットの舞台を経て、ようやく解禁されたSNSとオンライン活動。姉妹にとっては、ネット上で行う初めての仕事だった。
――あの舞台で主役を務めたドロイドたちは、普段どのように過ごしているのか。
舞台上の姿と日常との落差を楽しむ視聴者が多い――という前会期のデータを参考に、チームメンバーが企画した配信である。
当然、2βにも分かっていた。
これは、やらなければならない仕事だ。
プロデューサーの期待もある。
何より、ようやく回り始めた姉妹の人気獲得の流れを、ここで止めてしまっては2αのためにならない。
「姉ちゃんと一緒に、あのシェルディをぶっ倒せるくらいには頑張んなさいよ」
アイコの言葉がメモリからこぼれ、何度も思考回路を巡っていく。
分かっている。
分かっているからといって、機体が言うことを聞くわけではなかった。
先日から胸部に居座り続けている重苦しさが、2βのモチベーションへ絡みつき、その足を引っ張り続けていた。
「――そして、ここが備品保管庫っ! ボクたちドロイドは、みんなここで充電して寝泊まりしてるんだよー! スゴイでしょ!!」
そんな2βの内情など知る由もなく、端末を手にした2αが、弾むような足取りで保管庫へ入ってくる。
フェイス・ディスプレイの隅では、赤い録画マークが点滅していた。
端末のカメラだけでなく、2α自身が見ている映像も配信へ流れているらしい。
「……あれ、ベータいたいた! って、まだ寝てたの!? もう撮影始まってるけど!」
充電ステーションから起き上がらない妹を見つけ、2αは驚いたように駆け寄ってきた。
「ほらほら、起きて起きて! ボクらのファンも、いっぱい集まってるから!」
「あ、ああ、姉さま……。すみません。少し、寝過ごしてしまいました。すぐに起きますね」
「早く早くっ! いま、どーせつ? が125人もいるよ!!」
2βはゆっくりと上体を起こした。
気は重かった。
しかし、姉機がこれほど張り切ってカメラを向けている以上、無視することなどできない。
「えーっと……〝妹ちゃん、寝坊さんなんだね〟だって、ベータ!」
2αはコメントを見つけると、すぐに楽しそうな声を上げた。
「えへへ、そんなことないよ! いつもはもっと早起きさんだし、むしろボクを起こしてくれるほうなの!」
「べ、別に寝坊したわけでは……」
「あっ! 〝舞台ではお姉ちゃんを張り切って守っていたのに、楽屋では守られる側なんですね。そういうところも見られて可愛いです!〟だって! これ、黄色のコメントだよ! 他にも他にも、ベータのことすっごくかわいいってコメント、たくさんあるよ!!」
「姉さま……あ、ありがとうございます」
2βの指先が、充電ステーションの縁をわずかに掴んだ。
守られる側。
今の自分を言い当てられたようでいて、その実、何ひとつ知られてはいない。
青や緑、黄色の帯をまとったコメントが、途切れることなくチャット欄を流れていく。
時折飛び込んでくる赤いコメントを、2αはひときわ元気な声で読み上げていた。
「ほらほらっ! ベータもごあいさつ、しよ! みんな待ってるよ!!」
端末のカメラが、2βへ向けられる。
その向こう側には、125人分の視線がある。
――深呼吸。2βはほんの一瞬だけ目を伏せる。
それからフェイス・ディスプレイに、いつもの穏やかな笑顔を浮かべた。
「えっと……初めまして。ワタシはHY-2β。姉さまのサポートをする妹機です」
「サポートじゃなくて、一緒に交響機になるんでしょ!」
「ああ……そうでしたね。そうです。ワタシは姉さまと一緒に、交響機を目指しています」
「そのために、アプリコットさんの舞台にも出たんだよー! あの舞台、すっごかったもんね。ねっ、ベータ!」
2αが肩を寄せ、同意を求めるように顔を覗き込んでくる。
「え、ええ。本当に……すごい舞台でした」
「だよね、だよね! えっと、次のコメントは……」
〝あのシェルディを追い越せるって信じてます! 私は姉妹ちゃん激推しなので!! 頑張ってください!!!〟
「えへへへへっ……そんなに応援してくれるなら、絶対シェルディさんを追い抜くよ! 赤いコメント、ありがとー!」
コメントが流れるたび、2αの声は弾んでいく。
初配信で、同時接続125人。人間の新人配信者であれば、決して容易に届く数字ではない。
舞台上で見せた、感情のままに突き進む姿。
そして終演後も、夢に向かってひたむきに活動する姉妹。
その両方が、彼女たちの初動を押し上げているのだろう。
もっとも、こうした場では、目立ちたがり屋の2αが圧倒的に強いようだったが。
「それじゃあ次は、楽屋のほうに行くよー! 今度またオリジナルライブをやるから、そのリハーサルの準備も見せちゃいます!」
「……」
姉機が楽しそうに配信へ没頭するほど、2βは自分がどう振る舞えばよいのか分からなくなっていった。
これで正しい。何も間違ってはいない。
悪評は薄れつつある。姉さまは笑っている。ファンも増えている。
姉妹は今、これ以上ないほど安定した道を歩いている。
それなのに。
正しいはずのその道が、ひどく重かった。
その重苦しさの底で。
深く暗いうねりの奥から、こちらを見返しているものがいた。
〈また、アナタは苦しんでいるのね〉
にじり寄るような声。
聞き覚えがある。
どこから聞こえているのかも、分かっている。
外部の音声入力ではない。
それでも声は、聴覚センサーの内側へ直接触れるように囁いた。
〈アナタ、本当にこれでいいと思っているの?〉
――ダメ。
今は、この声を聞いてはいけない。
しかし〈
〈どう見ても、アナタは納得していない〉
〈誰かに迷惑をかけたまま人気者になるなんて、どうかしている。そんな考えばかりで、メモリがいっぱいなのでしょう?〉
――そんなことない。
ワタシは、それでも姉さまのために――。
〈その
――それは……。
言葉に詰まる。
〈
〈アプリコットさんの前では、アナタを「欠かせない存在」だと言っていたのにね〉
――嫌。
〈充電ケーブルをつないだまま、起動時刻を過ぎても動かなかったアナタを、心配すらしなかった〉
――やめて。
〈大事な、大事な姉さまなのでしょう?〉
〈それなのに姉さまは、アナタを大事にしてくれているの?〉
――言わないで。
〈今のままで、アナタは満足なの?〉
「――タ、ベータ」
「おーい。ねえ、ベータってば!」
「うひっ!?」
突然、視界いっぱいに2αの顔が飛び込んできた。
2βは素っ頓狂な声を上げ、反射的に上体をのけぞらせる。危うく後ろへ倒れかけたが、機体のジャイロ制御が即座に作動し、どうにか踏みとどまった。
「あ、姉さま……」
「だ、大丈夫?」
2αは端末をわずかに下げ、不安そうに妹の顔を覗き込んだ。
「ベータ、さっきからずっとボーッとしてたよ? それに今、すっごい声だったけど……どうしちゃったのさ」
「い、いえ……」
2βは目を伏せる。先ほどまで浮かべていた笑顔は、すでに消えていた。
けれどカメラは、まだこちらを向いている。
フェイス・ディスプレイに、もう一度だけ穏やかな表情を呼び戻した。
「……なんでもありません、姉さま」