ドロイド・コンチェルト【毎週日曜20時更新】 作:SOYA-001
午後6時32分。ミゴール横浜本社にて。定時を迎えてなお、オフィスにはまだ明かりが灯っている。
井野川はルディアを後ろにつけ、どこか気まずそうにエントランスへと歩いていた。
ルディアのPに任命されて以来、ドロコン期間中はほとんど彼女につきっきりだ。本社へ戻ってきたところで、今の井野川にできる仕事はそう多くない。
「…………」
それ以上に、今の彼には社内の視線が痛かった。
児崎からは散々褒められたものの、当初ちらつかされていた昇進の話が改めて出ることはなかった。
それどころか、先ほどの100万人祝いに振り回された社員たちからは、社長のご機嫌取りに付き合わされたと言わんばかりの、どこか冷ややかな視線すら向けられている。
「ユキオ、大丈夫か」
「ん? ああ……気にしなくていい。いつものことだからな……」
「そうか」
普段の仕事ぶりを気に入られているのか、それとも単に都合よく使われているだけなのか。
児崎から妙に近い距離感で仕事を振られる井野川は、社内でも時折、社長の汚れ役を押しつけられているかのように扱われていた。
ルディアは、そんな井野川の姿を
だから知っていた。
彼の言う「大丈夫」は、いつだって額面通りに受け取っていい温度ではない。
それを、ルディアはシリコンの肌で感じ取っていた。
「今日は、どうする?」
「どうする、とは?」
「いや、その……なんだ。会社にいるのも、もうあまり慣れてないだろうし。登録者も100万人いるわけだから、休める時には休んだほうがいいというか……」
「ユキオ」
「ん?」
「すまぬが、要点をもう少しわかりやすく教えてはくれまいか」
「あ、ああ……すまん」
どうにも会話がぎこちない。
やはり井野川は妙に肩へ力が入っている。
言葉の選び方。間の取り方。視線。普段とは微妙に違うそれらを、ルディアは会話の節々から拾っていた。
ふと気になる。
自分が席を外していた間に、児崎と井野川は何を話していたのだろう。
だが、それを今ここで尋ねることが適切なのかどうかまでは判断がつかない。
結局、問いは口に出されないまま、ふたりの間へ再び沈黙が落ちた。
「……いやあ。俺の家で休むか?」
「え?」
エントランスゲートを抜け、社外へ出たところで、井野川がようやく切り出した。
そして言った本人が、真っ先に固まった。
――いや待て。
その言い方、大丈夫なのか?
「あぁ、いや、すまん。なんか変な言い方だったな……」
「いや……そうなのか? 余はむしろ嬉しいが」
「いや、そうじゃないなら別にいいんだけどさ」
「……?」
ルディアが首を傾げる。
――ああもう! どうしてこんなに空気が重いんだ!!!
井野川は内心で頭を抱えた。
まるで付き合いたての彼女を、自宅へ誘っているような言い回しではないか。
しかも相手は、自分が起動当初から育ててきたドロイドだ。
その事実まで意識した途端、なんだか余計に変なことを言った気がしてくる。
慌てて誤解を解こうとした結果、そもそも何を誤解すればいいのか分かっていないルディアに、ただ首を傾げさせただけだった。
そしてその「……?」について説明するとなれば、
――いや今のは男女がどうこうという意味じゃなくてだな。
などという、言わなくてもよかった話を自分から掘り起こすことになる。
無理だ。尋常ではなく難しい。
しばらくして、ようやく多少の理性が戻ってきたのだろう。
肩を落としていた井野川は一度息を吐き、盛大にこじらせた会話を最初から組み直すことにした。
「……まあ、要するにな。俺たちは明日にはつくばへとんぼ返りだろ?」
「うむ」
「それまで一晩過ごす場所として、会社にいるより俺の家のほうが居心地いいんじゃないか、って話」
「あぁ」
ようやくルディアの表情に理解が浮かぶ。
「そういうことならば、先にそう言えば良いではないか!」
「す、すまん。ちょっと疲れてんな俺、ハハハ……」
「まったく。我がPを自負するならば、もっと自分を気遣いたまえ。余と違い、パーツで換えが効く身体ではなかろうが」
「そ、そうっすね……」
話を受け止めたルディアは、いつも以上に気丈だ。不敵に笑いながらも、軍帽のつばを右手でつまみながら心配の言葉を口にするなり、井野川は苦笑で返すしかなかった。
とはいえ、ルディアの内心では悪い気など一切していなかった。井野川の自宅に誘われたこと自体嬉しいことではあったし、むしろ久しく彼の自宅へ訪れられるなら尚更良かった。
ドロコンにつきっきりで長期間帰れていなかった井野川が休める環境に戻れるなら、そのほうが良いだろうし、という気遣いも内に秘めてもいたところだった。
「それじゃあ、行こっか」
「安全運転で頼むぞ? 疲労で運転がおぼつかなくなるのは困る」
「こう見えてゴールド免許だよ……」
地下駐車場に到着したふたりは、軽口をたたき合いながらも、停めていた自家用車へと乗り込んだ。
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横浜市保土ケ谷区峰岡町。西区にもほど近いこの一帯に建つ、築数十年ほどの古びたアパート。それが井野川の根城だった。
「着いたぞ、ルディア」
「おお! なんとも久しいな!」
近くの月極駐車場から歩き、外階段を上る。
井野川が玄関を開けるや否や、少し埃の積もったワンルームへ、ルディアがカシャカシャと楽しげな足音を響かせながら入っていった。
少し遅れて井野川も靴を脱ぐ。
テンションの差こそ相変わらずだったが、本社を出るまでふたりの間にまとわりついていた重たい空気は、いつの間にかすっかり霧散していた。
「なんだ! 余が前に訪れた時から、何ひとつ変わっておらんではないか!」
「そりゃあ、ずっと会社に缶詰だったし、そのままドロコンにも出てたし……」
「だとしてもだ! 斯様な汚れた皿を流しに放置したまま仕事へ赴くとは、衛生的にどうなのだ!?」
「あー……うん。それは、すまん。だらしなくて」
井野川は気まずそうに、いつからそこにあるのか分からない、水に浸かった皿へ目をやった。
「これは後で余が片付けておく」
「ありがとう」
そう答えながら、井野川はふとルディアを眺めた。
――そういえば、昔もこんなふうに家事を手伝ってくれてたっけな。
ルディアを育てていた頃。まだ「紅鉄のルディア」なんて大仰な肩書きも、軍服の機皇姫なんてキャラクターもなかった頃。
今よりずっと柔らかな表情で、この狭い部屋を行き来しながら、井野川と生活を共にしていた。
児崎はことあるごとに、「会社が何百万円も投資して育てたドロイドだ」と言いたがる。もちろん、それ自体は間違いではない。
だが蓋を開けてみれば、起動してからドロコンへ出場するまでのほとんどを、ルディアは井野川と過ごしてきた。
食事こそ必要ないが、生活の仕方を覚え。
人との話し方を覚え。
嬉しいことも、嫌なことも、少しずつ覚えていった。
井野川にとっては、仕事として始まったはずの時間だった。
それがいつからか、仕事だけでは片付けられない年月になっていた。
「……何をそんなに感慨深そうに余を見ておるのだ?」
「え?」
我に返る。
「あー……いや。すまん」
「何を謝る必要がある!」
座椅子へ腰を下ろした井野川の前に、ルディアが膝をついた。
じっと顔を覗き込んでくる。
両側に表示された黄色い瞳が、わずかに細くなる。
眉間に皺を寄せたような、いかにも不満げなエモートだった。
「余とお主、せっかく久しく城へ舞い戻ったというのに。先ほどからそんな顔をして……」
そこで、少しだけ声が柔らかくなる。
「どうしたのさ、ユキオ。今日、ずっとそんな感じだったよ」
「ルディア……」
――近い。
いや、近い近い近い。
思っていたより、ずっと近くまで顔を寄せてくる。
井野川は思わず背筋を固くした。
自分が起動当初から育ててきたドロイドに、今さらこんな距離まで詰め寄られるとは思ってもみなかった。だが、それ以上に驚いたのは。
井野川自身ですら、うまく言葉にできていなかった違和感を、ルディアが真正面から拾い上げていたことだった。
今日一日。会社での視線。児崎との会話。帰り際の沈黙。
自分でも気づかぬうちに滲み出していたものを、彼女はずっと見ていたのだろう。
「……」
ルディアがさらに少しだけ顔を近づける。
その拍子に、頭に載せていた軍帽がするりと滑った。
――ぽすっ。
ふたりの間の床へ落ちる。ルディアは拾おうとしなかった。
「ねえ、ユキオ」
「え、っと……なんだ?」
その声にはもはや、あの機皇姫らしい尊大さなど欠片も滲ませてはいなかった。
「ユキオにとって、私って、何?」
「えっ」
井野川は目を瞬かせた。ルディアは、少しだけ悲しそうな顔をしていた。
「それって……どういう意味の質問かな」
「ユキオは、私のこと、どんなドロイドだと思ってるの?」
「……」
「ユキオ」
黄色い瞳が、まっすぐ井野川を見る。井野川は、すぐには答えられなかった。
彼にとって、それは途方もなく難しい質問だったからだ。
「私は、本当に、このまま進んでいいのかな」
「それは、そうじゃないのか? だって、ルディアは――」
「100万人の登録者がいるドロイド。会社が大事にしてるドロイド。舞台で頑張ったドロイド。……ユキオが何年も育ててくれた、とってもカッコいい、軍服のドロイド」
ルディアが食い気味に重ねて言う。
「私、本当は、私がどんなドロイドでいるべきなのか、ずっとわからなくて。でも、ここまで頑張れたのは確かにユキオのお陰で……でも、そのユキオが、どう思ってるのか、私には……わからなくって」
「ルディア……」
「だから、聞いた。ユキオにとって、私は、どんなドロイドなの? どんなドロイドでいるのがいいの?」
声色が涙ぐんだように震えている。
井野川は、そんなにも抱え込んでいるものが多かったのかと、今になって気づく。
ブループリントを読むための、借りたはずのモニターはトランクの中だ。
「俺は……」
井野川は、ルディアの頭をなでながら、身体を寄せて言う。
「俺にとってルディアは、ルディアだよ。それしか、言いようがない」
「……」
「そんな目で見ないでくれよ……本当に言いようがないんだ。それだけ、俺はルディアのことが大事だと思っている。一言で片付けられるような存在じゃないんだ」
「ユキオ……」
「そりゃあ、会社が無茶振りしてくるのは俺だって嫌だし、どうにかしてお前を守ってやりたいと思ってる。それは本心だ……」
「……だから、やっぱり言わないわけにはいかない」
「え?」
井野川は、もはや黙っていられなかった。
「ルディア。実はな」
「うん」
「児崎から、少し今後の方針について会議をしてたんだ。ルディアのな」
「それが、今日の私がいなかった会議?」
「ああ」
姿勢を正し、身を寄せていたルディアを横に座らせる。
「児崎は、お前にゲームをプレイさせたいみたいなんだ」
「ゲーム? 実況ってこと?」
「ああ。本当はこれをルディアには言うなって、あのクソ社長から口止めされたんだが……ルディアには、このあたりのゲームをプレイしてほしいらしい」
そう言って、井野川は自分のスマートフォンを取り出し、いくつかのゲームタイトルを並べた。いずれも、ルディアからするとあまり見慣れない、薄暗い雰囲気が漂うものばかりだった。
「このゲームって……?」
「なんというか。ううん……」
「ユキオ?」
「要するにホラーゲームだよ」
「ホラーゲーム?」
ルディアは首を傾げた。自分ではあまり触れてくることのなかったものを突きつけられて、理解が一歩遅れていたのだろう。
「そう、ホラーゲーム。ホラゲー。怖い要素のあるゲームのこと」
「怖……そ、それ大丈夫なの?」
「大丈夫かわからないから、確認したんだ」
「あぁ、そういう……」
ルディアも、このタイトルから見る限りでは、どんなふうに怖いゲームなのかまではわからなかった。だが、あの社長の〝秘密の提案〟を事前に打ち明けてまで気を遣ってくれたのだから、相当の内容であることは推して知る理由があった。
しかし、そんなことよりも何よりも、ルディアはひたすらに嬉しかった。
自分に危険が及ぶ可能性。
そういった、不確定要素を隠したまま、自分によくわからないゲームをさせようとする流れを、自分から壊してくれた。
ルディアからすれば、彼自身が「守る」と言ってくれた言葉を、その場で実行してくれたと思うに足りる十分な理由だった。
「……」
「ルディア?」
「ふふっ、ふははははっ!」
「えっ……?!」
ルディアは立ち上がり、軍帽を被り直した。
そして、軍剣を高く掲げて叫ぶ。
「良いだろう、ああ、良いとも! そのホラゲーとやら、この軍服の機皇姫――紅鉄のルディアが先陣を切って切り込んでやろうぞ! 100万と1機の大軍勢を前にすれば、余の辞書メモリーに敗北の2文字は刻まれぬ!!!!!」
「ルディア……」
高らかな宣言は確かな覚悟を伴っていた。井野川の心の底からの気遣いに応えるだけのことはしたかったからだ。
だが、井野川はそんな士気を高めたルディアに冷静な言葉を投げかけた。
「そ、そう言ってくれるのはとっても嬉しいし、無理はしないでほしいんだけども……」
「どうした? 余に掛かれば、怖いものなどないのだぞ?」
「いや、そうじゃなくて――」
――ドンッ!!!!!!!!!!!
「ぅひいぃっっ!!!??」
ルディアが自信満々に立つ位置のすぐ後ろの壁から、重く鳴り響く衝突音。
ほかでもない、隣人の警告だった。
「うちのアパート、壁薄いからさ……それに、もう8時を回ってるし……」
「す、すまん……少し、声を抑えさせてもらうぞ……」
ほんの数時間前と同じように、帽子のつばをつまんでうつむくルディア。
どこか気恥ずかしそうにも見える様子に、井野川はほんの少し、おかしそうに笑ってみせた。