ドロイド・コンチェルト【毎週日曜20時更新】 作:SOYA-001
こうやって施設内を歩き回るのだって、もはや彼女にとっては日課になりつつあった。
ドロイドに睡眠は必要ない――それは半分は当たっていて、もう半分はそうじゃない。
人間のように眠らなければ活動そのものが維持できないわけではない。けれど、夜ふかしを続ければ心殻には負担がかかるし、ブループリントだって休息なしに動き続けられるようにはできていない。
昼間に蓄積された感情の揺らぎや、膨大な感覚情報――その整理のためにも、本来ならば決められた時間に休止状態へ移行するべきなのだ。
そんなことは、2βだって分かっている。でも、そんな理由をつけてしまえば、足を止める理由にはならなかった。
2βにとって、
警備ドローンが巡回するルートも、少しずつ分かってきた。
このタイミングなら見つからない。ここなら巡回は薄い。ここなら監視の死角が十二秒ほど生まれる。このタイミングなら見つからない――そういった経験知がメモリに蓄積されていくことさえ、2βは密かな楽しみにすらなっていた。
今夜も警備ドローンの光が曲がり角の向こうへ消えたのを確認してから、2βは音を立てないよう廊下を抜けた。
「今日も来たんだね、ベータ」
いつもの場所。スタジアムの北側、一般来場者用のラウンジ。
昼間は観客の休憩スペースとして使われているそこも、この時間には照明が最低限まで落とされている。
大きな窓の向こうには、眠りについたつくばの街が広がっていた。
ここに来ると、あの子がいる。
「ええ。こんばんは、ロアさん」
窓際のソファに腰掛けていた小さな白いドロイドが、いつものように顔を上げた。
「きみもわるいドロイドだね。もう1週間になりそうだけど、バレてないの?」
「……お陰様で」
「そっか」
ロアはニッコリと笑ってみせたあと、片手に持っていた端末にまた視線を移した。
初めて会った夜と変わらないままだ。何かを詮索するでもなく、来たことを咎めるでもない。なのにまるで、2βがここへ来ることを最初から知っていたかのように、毎晩そこにいる。
実際のところ、ロアが毎晩ここにいる理由を2βは知らなかった。
聞こうと思ったことはあるけれど、聞かなかった。自分だってここへ来る理由をちゃんと言葉にできないのに、相手の理由までそのまま聞ける気もしなかったから。
そう思っていると、ロアはケラリと笑った。2βを見て笑ったのではない。手に持っていた端末の画面を見ながらのことだ。
「ええっと」
「ああ、これ。見る? いまドロコンで一番話題のある子。その配信アーカイブ」
「い、いえ……」
ロアは端末をこちらへ向けてくる。
ドロイドなら、わざわざそんなものを使わなくても良いはずだ。HUDからブラウザを開けば、それで済む。なのに、どうしてわざわざ人間みたいに端末なんて。
――なんて、そんな疑問を抱きながらも、見えた画面に映っていたものへ、2βの視線が止まった。
その黒い軍服のドロイドには、確かに見覚えがあった。
「あ、もしかして知ってる子だった?」
「ええ、まあ。一度一緒の舞台に立ったことがあります」
「そうなんだ」
ロアがもう一度、画面へ目を落とす。
「この子、ルディアってドロイドはね。最近すごいんだ」
「すごい……?」
「うん。もともとYouTubeの登録者数の伸び方もすごくてね。最初はパッとしなかった子なんだけど、今じゃ期待の新人だってウワサがいっぱい。けど、この前の配信でもっとすごくなったんだ。ほら」
ロアは端末の画面を向ける。
ミゴール社の公式YouTubeチャンネルは、今じゃすっかり「軍服の機皇姫」「紅鉄のルディア」の色一色となっていた。
サムネイルを埋め尽くすのはルディアの顔。ステージ映像にショート動画、ライブ配信の切り抜き。その中には、見慣れない表情を浮かべた彼女の姿があった。
大きく目を見開いて、いつもの尊大な笑みなど跡形もない。むしろ、何かから必死に逃げているらしいことだけは分かる、自分の知っている彼女のイメージからは似つかわしくないような、素っ頓狂な顔をしていた。
そしてなにより、その動画の再生数の桁は、他のものより明らかに多かった。
「もしかしたら、今期こそ本当に、あたらしい交響機が生まれちゃうかもね。どんな子が、交響機になれるんだろうね」
「…………」
最近、その言葉を聞くたびに、ほんの僅かだけ処理が遅れてしまう。一度や二度の話じゃないから、2βは少しうつむかざるを得なかった。
「ねえベータ。きみはさ」
「うん」
「きみは、交響機になって見える景色って、どんなものだと思う?」
「え?」
思わずロアを見る。けれど、彼女はいつもと変わらない顔でこちらを見ている。
「交響機……そんなの、なったことないから、わからないです」
「うん。そうだよね。そうだと思う」
「じゃあ、なんでそんなことを?」
「んー」
ロアは少しだけ首を傾げた。
「なんとなく?」
「な、なんですか。からかってます?!」
「あははっ、そんなことないよ」
軽く笑われ、2βは頬を膨らませる。
初めて出会った頃なら、こんな反応はしなかったかもしれない。
毎晩――ほんの少しだけ、誰にも言わずに会って、話をする。
1週間という、長いようでとても短い期間を過ごすうちに、ロアはもはや「知らないドロイド」ではなくなっていた。
「……だって、交響機になんて、誰もなったことないもの。あの子以外は」
「シェルディ、さんですよね」
「そ。シェルディ。あの子は、とっても強いからね」
2βは、ドロコンの初日の出来事を思い返す。列でぶつかった時の微笑む顔、楽屋での冷淡で、こちらを試そうとするあの口ぶり。未熟な姉さまを言葉で詰めていくのを、なんとかかばおうとして必死だった、あの逃げ場のない感覚……。
たった2ヶ月弱前のことだというのに、その苦い経験がずいぶん遠くのことのようにさえ思えてしまった。
「それだけ強いから、あの子にしか、この質問は答えられない」
「なら、なんでワタシに……ワタシなんか、全然なのに」
「ううん。全然、なんて言葉は、きみは言うべきじゃないよ」
「どうして?」
きょとんとした
「だって、きみは交響機になるために、頑張ってるみたいだから」
「……それは、姉さまと共になるべきことです。ワタシだけでなるものじゃない」
「そっかー。おねえさんのこと、やっぱり大事なんだね」
「…………」
〝大切に決まっている〟――なんて自明の回答が、なぜか喉につっかかる。その先に続くはずだった言葉が、うまく出てこない。
「ロアさんは、どうしていつもそんな……」
「……?」
言いかけて、2βは口を閉じた。
「い、いえ。すみません」
ロアはそれ以上聞かなかった。
ただ、ほんの少しだけ目を細める。
「まあ、心配しなくていいよ。きみはがんばってるほうだから」
「……」
――〝がんばってる〟というロアの言葉が、やけに鉛の玉を抱えさせてくるかのように思えた。
「ほら。そろそろ巡回来るからさ。今日は、ここまでにしよっか」
その重みをまだ飲めないうちに、ロアが「パンッ」と手を叩いて、出入り口のほうへ視線を向ける。
数秒遅れて、2βの聴覚センサーも微かな駆動音を拾った。それが警備ドローンだと理解するまでに、そう時間など掛かるわけもなかった。
「……はい」
2βは立ち上がる。来たときと同じように、誰にも見つからない道を通って戻ればいい。
そう思いながら振り返ると見える、月明かりに照らされたロアは、やっぱり優しい顔をしていた。
「おやすみ、ベータ」
「……おやすみなさい、ロアさん」