セックスが淘汰された世界で、唯一の『クソオス魔装鍛冶師』 作:北川ニキタ
1話 魔装鍛冶師
モテたかった。
モデルみたいな美人じゃないと付き合いたくないとか、そんな高望みはしない。
笑った顔がちょっとだけ愛嬌のある、まあまあかわいい女の子。オレのくだらない話に「なにそれウケる」と笑ってくれて、冬の帰り道に自分から手を繋いでくれる。そういう子と、普通に出会って、普通に付き合いたかった。
それだけだ。
それだけのことが、三十二年間、一度もなかった。
享年三十二歳。彼女いない歴イコール年齢。死因は風呂場で足を滑らせて後頭部を強打。搬送先の病院で死亡確認。
最期の瞬間、薄れていく意識の中でオレが思ったのは「死に方までカッコ悪いのかよ」だった。
人生で一度も女に求められることなく、風呂場で滑って死んだ男。それがオレの三十二年間の全部だ。
◆◆◆
だから転生した時、オレは神に――正確にはこの世界の何かに――感謝した。
なぜなら転生先は、男がほとんどいない世界だったからだ。
勝った、と思った。
希少価値。需要と供給。経済学的に考えて、少ないものには価値がある。男が少ない世界に男として生まれた。これはつまり、モテるということだ。前世三十二年分の敗北を、ここで取り返す。
そう確信して、十三年が経った。
結論から言う。
モテない。
一ミリもモテない。
は? と思うだろう。オレも思った。十三年間ずっと思っている。
説明する。
◆◆◆
この世界には、恋愛がない。
いや、正確に言えば「恋愛」に相当する概念が存在しない。
男と女がくっつくという発想自体がない。
なぜかと言えば、この世界の女は魔素――マナと呼ばれるエネルギーで子を産めるからだ。
単独で。
男いらず。
つまりこういうことだ。
女性だけで完結する社会が数千年続いた世界。
男は数世代に一人、突然変異的に生まれることがあるらしい。
らしい、というのは、オレはこの十三年間、自分以外の男を見たことがないからだ。
歴史の教科書の隅っこに「稀に魔素を持たない突然変異(オス)が生まれることがある」と一行書かれているだけ。
ツチノコかよ。
だが、ツチノコのように珍重されるわけではない。
なぜなら、生まれたところで何の役にも立たないからだ。この世界における能力の絶対基準である魔素量が、オレには女の数百分の一しかない。
ほぼゼロ。
戦えない。産めない。なにもできない。
結果として、この世界で数少ない男であるオレがどういう扱いを受けているか。
『人権のない欠陥品』である。
これが冗談でも何でもない。男は法律上、単独で財産を持つことが許されていない。「自立して生きていけない哀れな保護対象」であり、事実上のペットか家畜扱いだ。
たまに村の外れや街を歩けば、女たちはオレを見て、珍獣と汚物を同時に発見したような顔をする。
「なにアレ?」
「……図鑑で読んだことある。男ってやつじゃない?」
「うわ、生きてるの初めて見た。魔素がスッカラカンって本当なんだ。気持ち悪っ」
陰口ですらない。聞こえる距離で堂々と言われる。
ツチノコならば、まだ愛される。オレの扱いは、言うなればアルビノのゴキブリだ。
「うわっ珍しい! でもキモい!」である。
SSRどころか、ステータスが全部マイナスの呪いの装備。誰もデッキに入れないし、引いた瞬間に売却推奨のハズレ枠。
この世界で、オレという存在は完全に底辺だった。
◆◆◆
十歳ぐらいのとき、オレは本気で絶望した。
きっかけは些細なことだった。
村の女騎士が、訓練の後に井戸端で水を浴びていた。
鎧を脱いで、下着一枚で。
いや、この世界の「下着」は前世基準で言えばほぼ布一枚だ。背中も腹も腕も全部見えている。
汗で布が張り付いて、もう何もかもが――
これ以上の描写はオレの精神衛生上やめておく。
問題はそこじゃない。問題は、その女騎士がオレの存在に気づいた時の反応だ。
前世の感覚なら、悲鳴を上げて隠すか、「覗き魔!」とビンタが飛んでくる場面だ。
「あ、男の坊やじゃん。……ねえ、そこ突っ立ってないで水汲んでくれない?」
それだけ。
隠さない。恥ずかしがらない。「見るな」とも「変態」とも言わない。
さらには、オレが水を汲んで持っていくと、彼女はオレの目の前で濡れた布を絞り始めた。
見えている。色々と、完全に見えている。
「なにジロジロ見てんの。ああ、魔素が珍しいのか。魔素がないと水浴びも冷たいままで可哀想ね。ほら、お駄賃。飴玉でも舐めてな」
彼女の目には、羞恥心どころか警戒心すら皆無だった。
なぜなら、見られて困る理由がないからだ。
この世界の女にとって、男に体を見られるのは、道端の虫や通りすがりの犬に体を見られるのと同じなのだ。
男に体を見られることに性的な意味がない。
オレはそもそも『異性』として認識されておらず、『無害で哀れな小動物』としてしか処理されていない。
飴玉を押し付けられ、オレは「……どうも」と言って、その場を離れた。
走って家に帰って、壁に頭を打ちつけた。
違う。
オレが見たかったのは、こういうのじゃない。
いや、見たかったけど。死ぬほど見たかったし眼福だったけど。
でも違うんだ。
オレが欲しいのは「見せてもらえる」じゃなくて「見られたら恥ずかしい」なんだ。相手がオレを同じ人間として意識してくれることなんだ。オレの視線に意味が生まれることなんだ。
この世界では、オレの視線は空気以下だ。
犬が吠えている程度の価値しかない。
◆◆◆
でも、オレは諦めなかった。
諦められなかった、というのが正しいかもしれない。
前世で三十二年間モテなかった男が、転生先でもモテないからといって「じゃあ諦めよう」となると思うか?
ならない。なぜならオレには前世の記憶がある。恋愛を知っている。キスを知っている。手を繋ぐ意味を知っている。知っているのに、この世界の誰一人としてそれを知らない。
オレだけが知っている。
この孤独が、オレをモテたいという欲望に縛り続けた。
だから考えた。
この世界で、オレが女たちの「特別」になる方法を。
恋愛がないなら、別の軸で特別になるしかない。「男なのにすごい」と言われる何かを手に入れるしかない。
しかし選択肢は絶望的に少ない。
戦士? 無理だ。この世界の戦闘は魔素を使う。オレの魔素量は測定器の針がぴくりとも動かないレベル。一応ゼロではないらしいが、女戦士の百分の一もない。使えないのと同じだ。
学者? 可能だが、この世界の学問は魔素理論が基盤だ。魔素をほぼ持たないオレが魔素理論を語っても「体感がないのに何を言ってるんだ」で終わる。
政治家? 男が政治をやった前例がない。門前払い。
そうやって消去法で潰していった末に、一つだけ残った職業がある。
魔装鍛冶師。
女戦士が使う魔素と共鳴する武器や防具を作る職人だ。
なぜこれが男にもできるのか。
この世界の仕事はだいたい魔素を使う。
戦士は自分の体内の魔素を爆発的に放出して戦うから、膨大な魔素量がいる。
しかし鍛冶は根本的に仕組みが違う。
素材――鉱石や魔獣の骨、特殊な木材――の中にもともと眠っている魔素を、叩いて、炙って、冷やして、引き出す仕事だ。
自分の魔素で素材をねじ伏せるんじゃなくて、素材が持っている力を形にしてやる。
だから術者自身の魔素量はさほど問われない。
必要なのは素材の中の魔素の流れを感じ取る感受性と、手先の器用さと、根気。
男にもギリギリ就ける、この世界で数少ない専門職。
実際、過去にも男の鍛冶師がいなかったわけじゃないらしい。伝承程度の知識だが。
――と、これが表向きの理由だ。
本当の理由は別にある。
魔装鍛冶師は、女戦士の装備を作る。
装備を作るには、使い手の体に合わせる必要がある。
つまり。
採寸する。
体の動きを観察する。
装備のフィッティングで至近距離に立つ。
「ここ、動きにくくないですか」と言いながら、鎧の可動部に手を当てる。
合法的に。業務として。正当な理由をもって。
……実にいい。
最低だとわかっている。
動機が不純であることは自覚している。
しかしオレは前世で三十二年、この世界で十三年、合計四十五年間モテなかった男だ。清廉潔白でいられるほど心は強くない。
オレは魔装鍛冶師になることを決めた。
女に近づくために。
◆◆◆
で、師匠を見つけた。
村から二つ山を越えた先にある工房街。そこで四十年鍛冶を続けている老女、ホルダ師匠。
白髪を後ろで一つに結んだ、痩せた老婆だ。目が鋭い。手は節くれだっているが、指先だけは妙に繊細な動きをする。
オレが「弟子にしてください」と言った時、ホルダ師匠はオレを頭からつま先まで見て、こう言った。
「男が鍛冶をやりたい?」
「はい」
「理由は」
「……女戦士の役に立ちたい、と思いまして」
嘘は言っていない。
役に立ちたいのは本当だ。
ただし「役に立つことで距離を縮めたい」という続きは飲み込んだ。
「ふぅん」
師匠は少しだけ目を細めた。信じてはいないが、嘘を追及する気もないという顔だった。
「手が足りてないのは確かだ。最近は若い者はみんな戦場に出たがってばかりで、魔装鍛冶師になろうと思う者はいないからね」
師匠はそこで一拍おいて、オレの手を取った。
ひっくり返して、掌を見る。指の付け根。爪の形。関節の柔らかさ。品定めするように、じっと。
「……まあ、使ってやる。壊すなよ」
こうしてオレは魔装鍛冶師の見習いになった。
◆◆◆
見習い初日。師匠に最初に任されたのは、工房に持ち込まれた女騎士の剣の手入れだった。
「刃こぼれの修復と、柄の革の巻き直し。道具はそこ。やり方は一回だけ見せる」
師匠がやって見せたのは、ほんの三十秒ほどの作業だった。
砥石の角度、革を巻く時の引きの強さ、最後に刃に沿って指を滑らせて状態を確認する手つき。
「はい、やれ」
短い。説明がない。見て覚えろ方式。
オレは作業台に向かった。
剣を手に取る。片手半剣。柄に巻かれた革は使い込まれて色が変わっている。刃こぼれは三箇所。
砥石を構えて、刃に当てた。
角度は……さっき師匠が見せてくれたのは、だいたいこのくらいだった。
オレは前世から目で見たものを覚えるのだけは得意だった。
テスト勉強は教科書を写真みたいに記憶するタイプ。計算や思考力が問われる問題は全くダメだったが、暗記科目だけは強かった。
その癖がここで出た。
師匠の手つきが、映像として頭に残っている。
同じ角度で砥石を滑らせる。一回目は少しブレた。二回目は少しマシになった。三回目は、すっと刃に馴染む感触があった。
次に柄の革。巻き方は――あの引きの強さは、指三本分の力加減で、間隔は革幅の三分の二が重なるように――
黙々と巻いた。
最後に刃を確認する。
師匠がやったように指の腹を刃に沿わせると、三箇所あった刃こぼれのうち二箇所は滑らかになっていた。
残り一箇所は深すぎて、砥石だけでは直しきれない。
「……師匠、この一箇所は砥石では厳しいです。削り直しが必要だと思います」
工房の奥から返事はなかった。
振り返ると、師匠がオレの作業台のすぐ後ろに立っていた。いつからいたのかわからない。
「師匠?」
「…………」
師匠はオレの手元を見ていた。巻き直した柄の革。研ぎ直した刃。それから、オレの手を。
「お前、鍛冶の経験があるのか」
「いえ、今日が初めてです」
「…………」
師匠は何か言いかけて、やめた。
代わりにオレの巻いた柄の革を指で押さえ、巻きの強さを確認した。それから刃のラインを爪先でなぞった。
「七十点」
「は?」
「初日で七十点なら上出来だ。ただし残りの三十点を甘く見るな。七十点までは誰でも行ける。そこから先が鍛冶師だ」
師匠はそう言って、工房の奥に戻っていった。
背中越しに、小さく何かを呟いていた。聞き取れなかった。
◆◆◆
こうしてオレの魔装鍛冶師見習い生活が始まった。
動機は女に近づくため。
目標はこの世界で「特別な男」になること。
前世の記憶と、四十五年分のモテない執念を武器に。
――まあ、武器としては心許ないにもほどがあるけれど。
少なくとも、今日からオレは「何もできない男」じゃなくなった。
「何もできないけど工房にはいる男」になった。