セックスが淘汰された世界で、唯一の『クソオス魔装鍛冶師』 作:北川ニキタ
「せ、せいと?」
生徒。
学校の生徒。
あの、オレ、十八歳の魔装鍛冶師なんですが。
「はい。そもそも、七席というのは、グラグタル学院の生徒に与えられる名誉職ですよ。えっと……まさか、そのことすら説明してなかったのですね」
……もちろん、初耳。
そっか、オレって学院に編入する前提で物事が進んでいたんだ。
順序としては筋が通っている。通っているが、オレの意思がどこにも介在していない。
「手続きはわたしのほうで済ませておきますので、ご心配なく」
心配しかない。
学院が何をする場所かもわかっていない。七席が具体的に何なのかもわかっていない。なのに手続きだけが光速で進んでいく。
前世の役所で「書類はこちらで処理しますので」と言われて、気づいたら住民票が移っていた時と同じ恐怖だ。
「それと、寮生活になりますので――」
寮。
また知らない単語が。いや、知っている。知識としては知っている。前世の記憶にある。学校に併設された共同生活施設。つまり、ここに住む。
ここに。
女しかいない学院に。
住む。
「――フィーネさん、寮のことはあなたから教えてあげてくださいね」
「……な、なんで、わたしが」
フィーネの声は、氷点下だった。
学院長は微笑んだまま続ける。
「あなたが一番この子の事情を知っているでしょう? リーゼ様からも、フィーネさんによろしくと」
「…………」
フィーネの顎が引き締まった。「リーゼ様が」を出されると逆らえないらしい。
便利な魔法の言葉だ。この世界版の「社長が言ってたんだけど」みたいなやつか。
「……わかりました」
承知はした。しかし目は死んでいる。
「それと」
学院長が机の引き出しから書類の束を取り出した。パラパラとめくっていく。
「寮の部屋割りを決めないといけませんね……ええと……」
指が紙の上を滑っていく。部屋番号と名前が並んだリストらしい。
「あら。フィーネさんの相部屋、空いているじゃないですか」
ページをめくる手が止まった。
「では、そこに入っていただきましょう」
…………。
……………………え?
「ちょっと待ってください」
オレとフィーネの声が重なった。
本日二回目のユニゾン。今日だけでデュエットの経験値がすごい勢いで溜まっている。
いやそれどころじゃない。
相部屋。
フィーネと。
男と女が。同じ部屋に。住む。
流れに身を任せていたらとんでもない所に流れ着いた。川下りで滝壺に落ちるやつだこれ。
「あの、学院長」
オレは一歩前に出た。ここは主張しなければならない。前世込みの五十年分の常識が全力で警報を鳴らしている。
「さすがに、まずいのではないでしょうか」
「まずい?」
学院長が首を傾げた。
「えっと……何がでしょうか?」
曇りなき眼。
一点の曇りもない、純粋な疑問の目だった。
社交辞令のすっとぼけじゃない。本気で「何がまずいのかわからない」と言っている。
……ああ、そうだった。
この世界には、男女が同じ部屋に住むことが「まずい」という概念が存在しない。
性的な文脈がゼロだからだ。
男と同室になることへの抵抗感は、この世界の女にとって、犬と同室になることへの抵抗感と同程度だ。犬がベッドの隣にいても「まずい」とは思わない。毛が散るとか、臭いとか、そういう実務的な問題はあっても、「異性だから」という理由での拒否反応は――ない。
ない。
完全にない。
オレだけだ。この部屋で「男女の相部屋はまずい」と思っているのは。
「あ、いえ……何でもないです」
引き下がるしかなかった。
説明のしようがない。「男と女が同じ部屋で寝るのは性的にまずいんです」と言ったところで、「性的って何?」で終わる。千年分の文化ギャップを学院長室で埋めるのは不可能だ。
しかし。
待て。冷静になれ。
学院生活。寮生活。同年代の女たちに囲まれて暮らす。
村では家族の中で浮いていて、鍛冶師見習いのときは師匠と二人きり。しかも師匠は六十過ぎの老婆だ。
それが。
同年代の女の子たちと。同じ屋根の下で。
朝起きて、顔を洗って、着替えて、食事して、授業を受けて、訓練して、風呂に入って、寝る。その全工程が、女の子たちと一緒。
脳内が真っ白になった。
情報量が多すぎて脳みそが焼けた。
いや、冷静に考えろ。これまでと同じだ。見られても恥ずかしくない世界。オレの視線に意味がない世界。犬が見ている程度の認識しかされない世界。
天国の景色を、地獄のガラス越しに眺め続ける生活。
それが学院バージョンにアップグレードされるだけだ。
「なんで、こんな人とわたしが相部屋に!」
フィーネが声を上げた。
お。
フィーネが反対している。
理由はオレとは全然違うだろうが、結論が同じならなんでもいい。
「ぽっと出のこいつのせいで、わたしがどれだけ屈辱を……わたしが七席に選ばれるはずだったのに、それを――」
よし。いけ、フィーネ。もっと言え。
オレは全力で応援した。内心で。声には出さない。
理由は違えど利害は一致している。フィーネが相部屋を拒否してくれれば、オレの精神衛生が守られる。
「フィーネさん」
学院長の声が、柔らかくなった。
「あなたが七席を目指して努力してきたこと、わたしも知っています。理不尽だと感じる気持ちもわかります」
声にやさしさがあった。管理職としての処世術ではなく、年長者としての本当のやさしさ。
「ですが、リーゼ様が決めた以上、その事実は覆りません。来年も、再来年も、チャンスはあります。そして――七席の近くで過ごすことで、新しい道が見つかるかもしれませんよ」
フィーネの肩から、少しだけ力が抜けた。
「…………」
沈黙。長い沈黙。
「……わ、わかりました」
さっきまでの不機嫌が、すっと引いた。
「わたしも……少し、意固地になってました」
しゅん、と。
反省の色が、フィーネの横顔に浮かんだ。
この子、素直なところがあるんだな。怒りの沸点は低いが、諭されると引ける。大人の言葉がちゃんと届く。
フィーネがこちらを向いた。
気まずそうに、ほんの少しだけ視線を逸らしながら。
「……まだ、いろいろと納得できてないけど」
小さく頭を下げた。
「ひとまず、よろしく」
――あ。
ちょっとだけ、かわいいと思ってしまった。
さっきまで泣きそうな顔で怒っていた女が、しゅんと反省して「よろしく」と頭を下げている。このギャップは反則だろう。
いや違う。問題はそこじゃない。
「いや、そうじゃないだろ」
「……なに?」
フィーネの目が鋭くなった。
「わたしの相部屋、嫌なわけ?」
その声に「失礼ね」のニュアンスが乗っている。
「いや、そういう意味じゃなくて」
そういう意味じゃなくて。
じゃあどう説明する。
「えっと……男と女が、同じ部屋に住むのって、あんまりよくないんじゃないかなって……」
言った瞬間、空気が変わった。
学院長とフィーネが、揃って同じ顔をした。
頭の上に「?」が浮かんでいる顔。
「……何が?」と学院長。
「何言ってんの?」とフィーネ。
二人の曇りなき眼が、オレを見ている。
ダメだった。
知ってた。知ってたけど、言わずにはいられなかった。前世の常識が最後の抵抗を試みて、玉砕した。
「……何でもないです」
三回目の撤退。本日の説得勝率、ゼロ。
「じゃあ行くよ。案内してあげるから」
フィーネが歩き出した。
さっきまでの険悪さは薄れている。学院長の言葉が効いたのか、それとも「こいつは変なことを言う奴だ」という新しい認識が、怒りを困惑で上書きしたのか。
オレはパンパンのリュックを背負い直して、フィーネの後を追った。
学院長室を出る。廊下に出る。また視線が刺さる。
「ねえ、あの人男じゃない?」「うそ、フィーネと一緒にいるんだけど」「えー」
ひそひそ。ひそひそ。
もう慣れた。慣れたと言い聞かせる。
「フィーネさん」
「……なに」
「寮って、どんな感じですか」
「普通の寮。二人部屋。ベッドが二つと机が二つ。共用の浴場と食堂」
共用の浴場。
……うん。知ってた。わかってた。
男湯はない。あるわけがない。
これから毎日、この問題と戦うことになる。
フィーネは早足で廊下を歩いていく。オレは五歩後ろをついていく。
窓の外に夕日が沈んでいく。
今朝はまだ師匠の工房にいた。
昼にリーゼに連れ出された。
午後にフィーネと戦った。
夕方に学院に編入が決まった。
そして今、同年代の女と相部屋が確定した。
人生で一番長い一日だ。
三十二年間で一度もなかった「女の子と同じ部屋に住む」が、今日、流れ作業のように決まった。
モテたかった。
モテたかったが、しかし、こんな形は望んでなかった。
「ここ」
フィーネが、寮棟の一室の前で立ち止まった。
扉を開ける。
中は簡素だった。ベッドが二つ、壁際に机が二つ。窓が一つ。
片方のベッドには私物が置いてある。フィーネの側だ。
もう片方は空。オレの側。
「……そっちがあんたのベッド。荷物、勝手に置いて」
フィーネはそれだけ言って、自分のベッドに腰を下ろした。
オレはリュックを空のベッドに置いた。
三メートル先に、フィーネがいる。
これから毎日、この距離で寝起きする。
なんだ、それ。
や、やっと、本編スタート(遅い)