セックスが淘汰された世界で、唯一の『クソオス魔装鍛冶師』   作:北川ニキタ

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13話 洗礼

 学院の食堂は、朝もバイキング形式だった。

 焼きたてのパン、数種類のスープ、卵料理、果物、ハム、チーズ。

 昨晩の夕食に続いて、師匠の工房時代では考えられない豪華さだ。師匠の朝食は黒パンと白湯。以上。曜日による変化なし。あれに比べたら、ここは毎食が祝祭である。

 トレイに料理を盛って席についた。

 隣にはフィーネ。昨晩の「角」事件のことは、触れてこない。そのままでいてくれ。あの話を蒸し返されたら、パンが喉を通らない。

 

 

◆◆◆

 

「ねえ、今日から授業でしょ。どうするの」

 

 フィーネがスープをすすりながら聞いてきた。

 

「どうするって、出るだろ普通に。学院に編入したんだから」

 

「……あのね」

 

 フィーネがスプーンを置いた。

 

「七席は、授業に出なくても卒業できるのよ」

 

「……は?」

 

「七席には特別な権限がある。学院の全施設を自由に使えて、授業の出欠も問われない。極端な話、まるごとサボっても卒業証書が出る」

 なんだそのVIP待遇。

 前世の大学で単位に怯えて徹夜でレポートを書いていたオレの魂が泣いている。

「えー……」

 

 とはいえ、気になるものは気になる。

 

「授業の一覧とか見れないか?」

 

「受付で時間割をもらえるはずだけど」

 

 食事を終えて、受付で時間割の冊子を受け取った。

 ぱらぱらとめくる。

 ――魔素制御基礎。近接戦闘実技。魔装戦術論。集団戦闘演習。魔素応用・中距離射出。対魔獣戦闘実践。

 全部、戦闘だ。

 どのページをめくっても、戦い方。戦い方。また戦い方。

 鍛冶の「か」の字もない。

 素材学も、魔脈紋の理論も、炉の扱いも、工具の手入れも。何一つ載っていない。

 ……あれ?

 てっきり、鍛冶師として編入したのだと思い込んでいた。リーゼに連れてこられた経緯を考えれば、「工房の腕のいい鍛冶師見習いを、学院の設備で育てる」的な話かと。

 違った。

 ここは戦士を育てる場所だ。

 そして七席とは、戦士の中の上澄みに与えられる称号。

 戦えないオレが、戦士の学院で、戦士の最高位を与えられている。

 犬がドッグショーに出るんじゃなくて、犬が騎馬戦に出場している。種目が根本的に違う。

「フィーネ、これ――」

 

 振り返ったが、もういなかった。

 

「わたしは授業あるから。じゃ」と言い残して廊下の向こうに消えていく明るい髪の後ろ姿が、角を曲がって見えなくなった。

 残されたオレは、時間割の冊子を手に、廊下の真ん中で突っ立っていた。

 心細い。

 圧倒的に心細い。

 昨日まではフィーネという「知っている人間」がいた。不機嫌で口が悪くて、オレのトイレを覗いてくる問題児だが、それでも唯一の知り合いだった。

 その唯一がいなくなると、オレはこの学院で完全な孤立無援になる。

 しかたない。ひとまず、歩こう。

 施設の把握くらいはしておかう。

 

 

◆◆◆

 

 

 学院は広い。

 昨日の夕方に駆け足で通り過ぎた印象以上に、敷地が巨大だった。

 中庭を囲むように教室棟が並び、その奥に訓練場が三つ。さらに裏手に図書館、研究棟、武器庫、そして寮棟。全部石造り。重厚で、歴史の匂いがする。

 廊下を歩くだけで、すれ違う生徒たちの視線が刺さる。

 昨日と同じだ。

「男?」「本物?」「ちょっと見て」

 ひそひそ声の周波数にはもう慣れた

 

 訓練場の横を通りかかった。中から金属のぶつかる音と、掛け声が聞こえる。模擬戦をやっているらしい。覗きたい衝動に駆られたが、やめておく。「男が訓練場を覗いていた」と噂になったら面倒だ。

 地図によると、このまま進むと研究棟のようだ。こっちなら人が少ないかもしれない。

 石壁の廊下。窓から差す朝日が、床に四角い光を落としている。静かだ。足音がよく響く。

 角を曲がった。

 次の角も曲がった。

 もう一つ曲がった。

 ――あれ、ここ、さっき通ったか?

 迷った可能性がある。石壁の廊下は全部同じに見える。目印がない。

 もう一歩、踏み出した――瞬間。

 

 ぎゅん。

 

 両腕が、引かれた。

 何かが手首に巻きついた。細い縄。それが一瞬で両腕を背中側に引っ張り、壁に縫い止めた。

 罠だ。

 廊下の石畳の一枚が起点になっていたらしい。踏んだ瞬間に魔法陣が起動し、壁の穴から縄が射出されて、腕を拘束する仕掛け。

 身動きが取れない。引っ張っても、縄はびくともしない。魔素を帯びた素材だろう。オレの腕力では千年かけても切れない。

「――ふぅん」

 声が、正面から降ってきた。

 廊下の影から、一人の女子生徒が現れた。

 壁に寄りかかるようにして立っている。最初からそこにいたのか、今来たのか。気配がまるでなかった。

 長い髪。目元が涼しい。唇の端だけが持ち上がった、計算ずくの微笑み。

 手に持っているのは――斧。

 正確に言えば、戦斧。片刃の三日月型。柄が短く、刃渡りが広い。接近戦用の、肉を断つための魔装。

 その刃が、オレの首筋に当てられた。

 冷たい。

 金属の冷たさが、喉仏の横をなぞる。

 ぴりっ、と痛みが走った。皮膚が薄く切れている。首を伝う温かい感触。血だ。少量だが、確実に出ている。

「あなたが、新しい七席ね」

 

 低い声。芝居がかった抑揚。舌舐めずりしそうな響き。

 

「この程度の罠に引っかかるなんて。たいしたことないのかも?」

 

 刃がほんの少し深く食い込んだ。呼吸がしづらい。

 

「いいの? 抵抗しなくて。このままだと、あなたの首――ちょん切っちゃうよ?」

 

 彼女が顔を近づけてきた。息がかかる距離。黒い瞳が、猫が獲物をいたぶる時のそれだ。

 

 ――怖い。

 

 客観的に見れば、怖い状況だ。

 拘束。首に刃。殺気。

 恐怖を感じるべき場面。

 なのに。

 オレの脳は、まったく別の情報を最優先で処理していた。

 

 服装エッッッッロ。

 いや、服装と呼んでいいのかすら怪しいか。

 彼女の上半身を覆っているのは、布という概念に対する冒涜だった。

 ビキニだ。

 上半身にビキニ。

 戦闘用の学院制服の上着を完全に脱ぎ捨てて、代わりに身に着けているのが、乳首だけを申し訳程度に隠す三角形の布切れ二枚。紐で首の後ろと背中で結んでいる。それだけ。

 それだけだ。

 鎖骨から腹筋まで全部出ている。肩も出ている。脇も出ている。おへそも出ている。

 しかし問題はそこじゃない。

 

 胸だ。

 美しい球体。

 滑らかな曲面。

 ガルドラほどではないが、確実に、大きい。

 その凶悪な質量を、三角形の布切れ二枚で支えている。

 支えきれていない。布の面積が圧倒的に足りない。上から溢れ、横から溢れ、下からも溢れている。

 三方向同時決壊。ダムに穴が三つ開いた状態。

 

 三角形の布は乳首の頂点をかろうじて覆っているだけで、それ以外の情報が全公開されている。

 肌の色と質感が、朝日に照らされて、もう全部見えているのと実質同じだ。布があることで逆に「ここに隠されているものがありますよ」と矢印で示されている。目隠しじゃなくてハイライトだ。

 

 しかも呼吸のたびに揺れる。

 彼女がオレに顔を近づけるたびに、重力に従って、左右非対称に、ぷるん、と。

 ぷるん。

 ぷるん。

 駄目だ。

 首に刃が当たっているのに、視線が吸い込まれて戻ってこない。ブラックホールだ。光すら逃げられない重力場が、鎖骨の下に二つある。

 

「ねえ、聞いてる?」

 

 聞いてない。

 一文字も聞いてない。

 さっきから彼女が何か喋っているのは音として認識しているが、言語として処理される前に、全部おっぱいに上書きされる。

 脳内のメモリが完全に占拠されている。タスクマネージャーを開いたら「oppai.exe」がCPU使用率99%だ。残り1%で呼吸と心臓を動かしている。言語処理に回すリソースがない。

 

「このままだと本当に切るわよ?」

 

 何か脅されている気がする。

 気がするだけだ。

 だって今、あ、布の端が――

 呼吸に合わせて三角形がずれた――。

 右側。

 ほんの二ミリ。

 二ミリだが、さっきまでギリギリ隠れていたラインを、超えた。

 

 見えた。

 

 乳首の輪郭が、見えた。

 布の端から、ほんの少しだけ。ピンク色の曲線の始まり。完全には見えていない。だが始まりが見えた。始まりが見えたということは、そこに全体があるということだ。あと一ミリで全貌が明らかになる。

 頭が、真っ白になった。

 そして――身体が、反応した。

 下半身が。

 反応した。

 完全に。

 不可逆的に。

 待て。

 頼む、待ってくれ。

 

 タイミングが最悪だ。首に刃が当たっている状態で勃起するな。どんな性癖だよ。

 首を切られて興奮する変態みたいになっているだろうが。違う。首は関係ない。胸だ。全部胸のせいだ。

 

 しかし彼女がそんなオレの下半身の反乱に気づくはずもない。

 この世界に「男の生理現象」への理解はない。昨晩のフィーネの「角」発言が証明している。仮に気づいたとしても「ああ、なんか突起が大きくなってる。男の体って変なの」で終わるだろう。

 終わるだろうが、オレの尊厳は終わらない。終わらせてたまるか。

 中腰になった。

 反射的に。ガルドラのフィッティングの時と同じ対処法。困ったら中腰。人類最後の砦。

 

「……ふぅん」

 

 彼女が、何かを感じ取った顔をした。

 刃が、首から離れた。

 ひゅんと弧を描いて、背中の縄を一刀で断ち切った。

 両腕が自由になる。

 

「流石ね、七席」

 

 は?

 

「普通なら、恐怖で体が固まるところよ。それなのにあなた、微動だにしなかった」

 

 え? おっぱいがなんだって?

 

「首に刃を当てても、表情一つ変えない胆力。男だと聞いて侮っていたけど――見直したわ」

 

 表情を変える余裕がなかったんだ。顔面の筋肉もおっぱいに持っていかれていたんだ。

 

「殺気を浴びせても揺るがない精神力。認めざるを得ないわね」

 

 何の話だ?

 ああ、そうか。

 首に刃に押し当てられたんだ。すっかり忘れてた。

 ただおっぱいに集中していただけなのに、なぜか彼女の中では「恐怖に屈しない鋼の意志を持つ男」が完成しつつある。

 勘違いの城が、また一つ建った。

 しかし訂正する暇がない。なぜなら彼女が髪をかき上げたからだ。

 その動作で上体がわずかにひねられ、ビキニの三角形がさらにずれた。

 左側も限界を超えた。

 もう両方見えている。

 いや見えていない。見えていないことにする。光の加減だ。朝日が生んだ幻影だ。五十年分の願望が網膜に焼きつけた残像だ。

 中腰が深くなった。膝が震えている。別の理由で。

 

「ようこそ、七席へ」

 

 彼女が手を差し出した。

 

「わたしの名は、ヴァルトラウテ・カイエンベルク・ドライツェン。七席の第四席を預かっているわ」

 

 大事な自己紹介だ。

 同僚の名前だ。覚えなければならない。

 ヴァル……なんだっけ?

 入ってこない。

 一文字も入ってこない。

 脳内再生されるのは名前じゃなくて、さっきの二ミリ。布の端から覗いたピンクの曲線。右と左。二つ分。高画質で無限リピート。

 映像記憶の才能が、最悪の方向に全力稼働している。

 見たものを写真のように記憶する能力。普段は鍛冶に活きる。騎士の動きの記憶に活きる。今この瞬間は、乳首の輪郭を4K解像度で脳に焼きつけるのに活きている。

 消せない。

 一生消えない。

 この映像を抱えて、オレはこれからこの女と同僚として顔を合わせ続ける。

 

「あなたを、歓迎するわ」

 

「ど……どうも。ディート、です」

 

 声が裏返った。中腰のまま自己紹介した。

 ズボンの前面は隆起。全身から体液と欲望が漏出している。人体の危機管理システムが全方位で崩壊している。

 ヴァル……なんだっけ。

 名前、もう一回言ってくれないかな。

 いや、言われても多分覚えられない。彼女が喋るたびに呼吸で胸が揺れて、揺れるたびに布がずれて、ずれるたびにオレの脳がフリーズする。永久ループだ。

 七席の洗礼、終了。

 首の傷より、脳の傷のほうが深かった。

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