セックスが淘汰された世界で、唯一の『クソオス魔装鍛冶師』   作:北川ニキタ

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2話 フィッティング

 十八歳になった。

 前世と合わせて五十歳。半世紀を生きた男。

 彼女、いまだゼロ。

 いや、この世界に「彼女」という概念自体がないのだから、正確にはカウントすらできない。ゼロですらない。ゼロは「数えた結果がゼロ」だが、オレの場合は数える土俵がない。

 不戦敗。試合が組まれない。

 

 ――さて。

 十三で見習いを始めて、五年が経った。

 結論から言おう。

 オレは、どうやら魔装鍛冶師に向いていたらしい。

 

 

◆◆◆

 

 

「ディート。三番棚の蒼鉄鉱、あと何本ある」

 

「六本です。うち二本は端に巣が入ってるんで、短剣くらいにしか使えません」

 

「……聞く前に答えが出てくるようになったな。まあいい、在庫は頭に入れておけ」

 

 師匠のホルダは、今日も工房の奥で魔導炉の調整をしながら、背中でオレに話しかける。

 魔導炉というのは、炉に埋め込まれた魔石――魔素を凝縮した鉱石――を起動させて高温を生む鍛冶専用の炉だ。普通の炭火では魔装の素材は加工できない。素材の中に眠っている魔素を叩き起こすには、炉自体が魔素を帯びた炎を出す必要がある。

 点火は炉の側面に取り付けられた起動盤で行う。ダイヤルを回して魔素の供給量を調整し、起動キーを押し込むと魔石が励起して炎が灯る。前世で言えばガスコンロに近い。ただし火加減の調整がシビアで、ダイヤルの目盛り一つで炎の魔素濃度が変わり、素材が死ぬ。師匠は毎朝この調整に一時間はかける。

 五年前と変わらない。白髪を一つに結んで、痩せた背中を丸めて、青白い炎を見ている。

 

 この五年でオレが学んだのは、鍛冶の技術だけじゃない。

 自分という人間の適性だ。

 

 前世のオレは、IT企業の下っ端だった。

 マルチタスク地獄。メールを返しながら電話を取り、会議の資料を作りながらチャットで質問に答え、上司に「あれどうなった?」と聞かれて「すみません今やります」を一日八回は言っていた。

 毎日が綱渡りだった。何をやっても中途半端で、何もちゃんと終わらせられない自分が嫌で、日曜の夜になると胃がキリキリした。

 あれは地獄だった。

 自分が無能だと思っていた。

 いや、実際無能だったのだろう。あの環境では。

 

 しかし鍛冶は違った。

 一本の剣と向き合う。素材を選び、火を入れ、叩き、冷やし、削り、磨く。

 一つのことに集中して、手を動かし続ける。

 今日やった作業の結果が、目に見える形で手元に残る。

 昨日より今日、今日より明日、少しずつ良くなっていくのが自分でわかる。

 

 ――なるほどな、と思った。

 オレは前世の三十二年間、自分が無能だと思って生きていた。

 でも違ったのかもしれない。ただ、合わない場所にいただけなのかもしれない。

 コツコツと一つのものに向き合い続ける職人気質の仕事が、オレには合っていた。

 前世でこれに気づいていたら――

 いや、やめよう。死んだ世界のことを嘆いても仕方ない。

 

「師匠」

 

「なんだ」

 

「オレ、成長しましたか」

 

「は?」

 

「いや、五年経ったんで、ちょっとこう……自己評価が聞きたいというか」

 

 師匠は魔導炉の青い炎から目を離さずに言った。

 

「自分の仕事を自分で評価できないうちは半人前だ」

 

「……はい」

 

「ただ」

 

 少しだけ間を置いた。

 

「一人で任せて壊される心配はなくなった。それだけだ」

 

 翻訳すると「一人前として任せられるくらいにはなった」だと思う。

 多分。師匠の辞書では褒め言葉のはずだ。五年間師事してわかったことだが、この人は褒める語彙の九割が「まだまだ」で構成されている。残りの一割が「悪くない」。

 今の発言は「悪くない」のさらに上位互換だ。

 たぶん。

 そう信じたい。

 

 実際、最近は工房に来る常連客の対応をオレ一人で任されることも増えた。

 もちろん、最初は大変だった。

 

「え、男? 男が鍛冶やってるの? 大丈夫なの?」

 

「魔素がないのに武器の調整なんてできるわけないでしょ。ホルダ師に替わって」

 

 まあ、こういう反応はデフォルトだ。

 男が鍛冶をやっている。

 これはこの世界の住人にとって、犬が蕎麦を打っているくらいの違和感があるらしい。

 いや、犬が蕎麦を打っていたら珍しくて微笑ましいか。

 どちらかと言うと、ゴキブリが蕎麦を打っている。衛生面が心配。

 うっ……。

 比喩のたびに自分をゴキブリに例えるのはやめたい。自己肯定感がすり減る。

 

 ただし、常連になってくれた人たちの反応は少しずつ変わってきた。

 

「ああ、ホルダのとこの男の子ね。意外とちゃんとやるのよ」

 

「男の割にはって思ってたけど、前に頼んだ剣の柄の巻き直し、ホルダ師と遜色なかったわ」

 

「男の割には」。

 この枕詞がつくのが悲しい。

「男の割には」は褒め言葉じゃない。「犬の割には賢い」と同じ構造だ。

 でも、五年前の「キモい」「近づくな」からは確実に進歩している。

 犬扱いから賢い犬扱いへ。

 進歩……進歩か? これ。

 

 

◆◆◆

 

 

 その日、常連客が工房にやってきた。

 ガルドラ。

 王都騎士団所属の魔装騎士。師匠の工房の古くからの得意先で、月に二度はメンテナンスに来る。

 

 工房の扉が開いた瞬間、冬の朝の冷たい外気と一緒に、ガルドラが入ってきた。

 

 背が高い。オレより頭半分は大きい。

 肩まで伸ばした金色の髪を、無造作に後ろで束ねている。

 切れ長の目。鼻筋が通っている。とんでもなく美人。

 鎧の上からでもわかる、鍛え抜かれた体。

 

 そして――胸がでかい。

 いや、でかいという表現では足りない。

 この世界の女性は基本的に身体能力が高く、鎧の下は筋肉質な人が多い。ガルドラもそうだ。腕も肩も引き締まっている。だからこそ、その「引き締まった体」と「胸」の落差が暴力的なのだ。

 物理法則に挑戦しているかのような存在感。

 鎧の胸当てが、明らかに標準型から改造されている。改造しないと収まらないのだ。これは職人として断言できる。あの曲面を出すのに、師匠は毎回「あの鉄板の無駄遣いが」とぼやいている。

 

「よう、ディート。元気にしてたか」

 

 ガルドラはオレの頭をぐしゃっと撫でた。

 犬扱い。もう慣れた。

 

「元気です。今日はどうしました」

 

「肩当てと胸当てに違和感があるんだ。フィッティング頼める?」

 

 魔装騎士の装備は、ただの鎧ではない。

 この世界の鎧――魔装は、素材に含まれた魔素が着用者の魔素と共鳴することで性能を発揮する。

 共鳴率が高いほど防御力が上がり、身体強化の効率も良くなる。

 そして共鳴率を左右するのが「フィッティング」だ。

 体に合っていない魔装は共鳴率が落ちる。サイズが合わない靴で走れないのと同じだ。

 ただし、魔装のフィッティングは服のサイズ合わせとは根本的に違う。

 魔装の内側には「魔脈紋」と呼ばれる魔素の通り道が刻まれている。着用者の体内を流れる魔素が、この魔脈紋を通じて装備全体に行き渡ることで、鎧が「ただの金属板」から「魔素で強化された防壁」に変わる。

 魔脈紋は着用者の魔素の流れ方――量、質、癖――に合わせて調整する必要がある。

 体のサイズが変われば当然ズレるし、訓練で魔素の出力が上がったり、体調や季節で魔素の巡りが変わったりしても、調整が必要になる。

 つまり魔装鍛冶師の仕事は、物理的な採寸と、魔素的な調律の二本立てだ。

 装備側の魔脈紋を直すこともあれば、着用者の体に直接触れて魔素の流れを読み、それに合わせて紋を彫り直すこともある。

 だから魔装騎士は定期的に鍛冶師のもとを訪れる。

 魔装鍛冶師というのは騎士にとって「かかりつけ医」のようなものだ。体の変化と魔素の変化、その両方を把握し、装備を最適な状態に保つ。信頼関係が重要で、一度決めた鍛冶師を何年も使い続ける騎士が多い。

 ガルドラも、師匠のもとに十年以上通っている。

 

「ホルダ師は?」

 

「奥で魔導炉の調整中です。肩当てはオレが見ましょうか」

 

「ああ、頼む。――あと胸当ても頼む」

 

「それもオレが……」

 

 言いかけて、止まった。

 胸当て。

 胸当てのフィッティングは、胸当てを外してもらう必要がある。

 外した上で、装備側の魔脈紋を確認し、それでも原因がわからなければ――体に直接触れて魔素の流れを読む。

 胸周りの魔素を。

 手で。

 触れて。

 

「ディート」

 

 工房の奥から師匠の声が飛んできた。

 

「全部お前がやれ。私は今日中に魔導炉の魔石を替えなきゃならん」

 

 師匠。

 師匠、あの、それは。

 

「はい」

 

 返事をした。プロだから。オレはプロの魔装鍛冶師だから。

 五年やってきた。何度もやってきた。

 でもガルドラの胸当ては毎回ヤバい。

 物量が違う。

 

「よし。じゃあ外すぞ」

 

 ガルドラが鎧のパーツを外し始めた。

 背面のベルト、側面のバックル、肩の接続部。手慣れた動きで肩当てと胸当てを外していく。

 胸当ての下は、薄手のインナーだけだ。

 この世界のインナーは機能性重視で、要するに体にぴったり張り付く薄い布一枚。

 その布が。

 張り付いて。

 形が。

 輪郭が。

 重力に従って。

 

 オレは作業台に目を向けた。

 プロだから。

 

「……では、肩当てから見ますね」

 

 まず肩だ。肩からだ。胸じゃない方から。落ち着け。

 

 肩当てを手に取り、内側の魔脈紋を確認する。

 案の定、紋の一部にひび割れが入っていた。ここが途切れると、肩から腕にかけての魔素の流れが滞る。違和感の原因はこれだろう。

 細い鏨で紋を彫り直し、ラインを繋ぎ直す。

 修正を終えた肩当てをガルドラに渡した。

 

「はめてみてください。魔素、肩周りに流してもらえますか」

 

「ん」

 

 ガルドラが肩当てを装着し、魔素を流す。

 数秒ほど肩を回して確認する。

 

「……ああ、違和感消えたな。いいぞ」

 

「よかった」

 

 ここまでは良い。金属と魔脈紋に集中している間は、余計なことを考えずに済む。

 問題は次だ。

 

 胸当てを手に取り、内側の魔脈紋を確認する。

 指先で紋を丁寧になぞっていく。摩耗は……ない。ひび割れも、歪みもない。紋の状態は良好だ。

 ベルトの伸びは多少あるが、これは締め直しで済む程度。

 

 魔装の側に問題がない。

 装備に異常がないのに違和感がある場合、原因は一つだ。

 着用者の側。体の魔素の流れが変わった。

 そうなると、体に直接触れて魔素の流れを読んで、それに合わせて魔脈紋を彫り直す作業が必要になる。

 

「ガルドラさん、胸当ての魔脈紋には問題ありませんでした」

 

「じゃあなんで違和感があるんだ?」

 

「たぶん、ガルドラさん側の魔素の巡りが変わったんだと思います。……体の魔素の流れを直接確認させてください」

 

「ああ、そういうことか。やってくれ」

 

 ガルドラはあっさり言った。

 あっさり言うな。

 オレにとってはあっさりじゃないんだ。

 

 深呼吸を一つ。

 ガルドラの前に立つ。インナー一枚の、ガルドラの前に。

 

 まず鎖骨の下あたりに手を当てた。ここは安全地帯だ。

 掌に微かな振動が伝わってくる。魔素量がほぼゼロのオレでも、他人の体を流れる魔素を感じ取ることはできる。見えるわけじゃない。流れの強弱が、振動として皮膚に届く。

 鎖骨周りは問題ない。

 次は、もう少し下だ。

 

 手を、ゆっくりと下ろしていく。

 胸の上部。

 インナー越しに、ガルドラの肌の温度が掌に伝わってくる。

 

「…………」

 

「おい、ディート。なんで止まる」

 

「い、いえ、慎重に確認してまして」

 

「お前、毎回思うけど胸周りになると急に遅くなるよな。肩の時はテキパキやってたくせに」

 

 それはそうだ。肩は肩だから。胸は胸だから。

 この二つを同列に扱えるのはこの世界の住人だけだ。

 

 手を少しずつ動かす。胸の外側を、慎重に触れていく。

 布越しの弾力が、掌に――

 だめだ。集中しろ。魔素を読め。仕事だ。

 

「遅い」

 

 ガルドラがオレの手首を掴んだ。

 

「ここだろ、違和感があるの。この辺」

 

 そう言って、ガルドラはオレの手を掴み、自分の胸の中心に押し当てた。

 おっぱい。

 これはおっぱいだ。

 掌の下にあるものを、職業的な用語で表現する余裕が脳にない。

 おっぱいだ。

 柔らかい。

 掌全体で受け止めた弾力が、指の間から溢れるようにこぼれている。重い。密度がある。なのに柔らかい。この矛盾した二つの情報が同時に掌に流れ込んできて、脳の処理が追いつかない。

 温かい。心臓の鼓動が、布と肉越しに掌に伝わっている。

 ガルドラの呼吸に合わせて、掌の下のものが微かに上下している。生きている。当たり前だが、おっぱいは生きている。

 

「ほら。この辺の流れが前と違う気がするんだよ」

 

 ガルドラは自分の胸にオレの手を押し当てたまま、平然と言っている。

 平然と。

 なんの躊躇いもなく。

 前世だったら今ごろ警察を呼ばれている。

 だがこの世界では業務だ。かかりつけ医に患部を触らせているのと同じだ。

 同じなんだよ。頭ではわかっているんだよ。

 しかし掌が感じているものは業務を超越している。

 柔らかさ。温度。弾力。呼吸に合わせて微かに上下する感覚。

 ずっと触っていたい。

 一生このままでいい。

 老後はここがいい。

 

 ――落ち着け。

 仕事をしろ。

 

 オレは歯を食いしばって、意識を掌の「振動」に集中させた。

 魔素の流れを読め。読むんだ。

 

 掌を、胸の中心からゆっくりと動かす。

 魔素の流れを追うには、指先を這わせるように、少しずつ位置をずらしていく必要がある。

 

 中心から右へ。

 指が布越しにおっぱいの曲面をなぞっていく。頂点に向かって、緩やかに盛り上がっていく感触。指先に圧が増す。柔らかさが、指の腹を押し返してくる。

 魔素の流れは――右側は問題ない。前回と同じだ。

 指先を頂点の手前で止める。ここから先は行かなくていい。仕事上、行く必要がない。行きたいけど。死ぬほど行きたいけど。

 

「反対側も見ます」

 

「ん」

 

 手を中心に戻し、今度は左へ。

 左のおっぱいに指を滑らせていく。右と同じ曲面。同じ柔らかさ。同じ温度。

 しかし、魔素の振動が違う。

 左の中腹あたりから、流れに微かな乱れがある。本来まっすぐ流れるはずのラインが、僅かに蛇行している。

 

 正確な場所を特定するために、指をさらに丁寧に動かす。

 おっぱいの外側から内側へ、ゆっくりと。布越しに、指の腹が柔らかい肉を押して、沈んで、戻る。その繰り返し。

 一往復ごとに少しずつ位置をずらして、流れが乱れている箇所を絞り込んでいく。

 

 ガルドラは腕を上げたまま、じっとしている。

 この状況に何の感情も抱いていない顔。

 医者に聴診器を当てられている患者の顔だ。

 オレの手がおっぱいの上を這い回っていることに、一片の感慨もない。

 

 それがわかっているから余計につらい。

 オレだけだ。この柔らかさに意味を見出しているのは。

 オレの指だけだ。仕事と欲望の境界線の上で震えているのは。

 

「……ここだ」

 

 左の胸、中心からやや外側。ちょうどおっぱいの一番膨らみが大きい場所の少し下。

 魔素の流路が、前回の確認時より明らかに太くなっている。中心から脇にかけてのラインが変わったせいで、ここに魔素が集中して流れるようになっている。

 

「ディート、わかったか?」

 

「はい。胸の中心から脇にかけてのラインが太くなってます。出力が上がったせいで、魔素の主流路が変わったんだと思います。胸当ての魔脈紋を、新しい流れに合わせて彫り直せば解消します」

 

 我ながら、よくもまあこんな冷静に喋れたものだ。

 三秒前まで掌がおっぱい天国にいたとは思えない口調だ。

 

「……わかりました。魔素の流路が変わってます。最近、出力上がりましたか」

 

「ああ、先月から新しい訓練法を試してるんだ。そのせいかもな」

 

「それですね。胸当ての魔脈紋を彫り直します」

 

 オレはガルドラから離れ――ようとして、気づいた。

 中腰になっている。

 いつからだ。

 たぶん胸に手を当てた瞬間からだ。

 胸当てを作業台に持っていき、魔脈紋の修正にかかる。中腰のまま。

 鏨を取る。中腰のまま。

 紋のラインを確認する。中腰のまま。

 

「……ディート? なんでずっと中腰なんだ? 腰でも痛めたか?」

 

「いえ、この、この角度のほうが作業しやすくて……」

 

「嘘だろ。さっきまで普通に立ってたぞ」

 

「急に、腰が」

 

「男ってのは体も弱いな。無理するなよ」

 

 ガルドラは心配そうにオレの背中をぽんぽんと叩いた。

 優しさが痛い。そこじゃないんだ。問題の箇所はもっと前面なんだ。

 オレは中腰のまま魔脈紋を彫り直しながら、魔装鍛冶師としての尊厳について考えた。

 いや、尊厳はもうない気がする。

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