セックスが淘汰された世界で、唯一の『クソオス魔装鍛冶師』 作:北川ニキタ
ガルドラが帰った後、オレは作業台に突っ伏した。
……毎回これだ。
毎回こうなる。
そして毎回、彼女たちは何も思わない。
おっぱいを触った。
仕事で。業務として。正当な理由をもって。
ガルドラ本人にオレの手を押し当てられて。
それでも彼女の目には「鍛冶師に患部を見せた」以上の意味がない。
あの柔らかさが、まだ掌に残っている。
インナー越しの弾力。体温。心臓の鼓動。
あれを「胸の魔素確認」としか認識しない世界。
おっぱいを揉んで「フィッティングですね」で済む世界。
天国か地獄かわからない。
改めて整理しよう。
オレはこの世界に転生して十八年が経ち、この世界の「性」に関する構造をかなり理解できるようになった。
まず前提として、この世界の女性は魔素による単独生殖が可能だ。
これは誰もが知っている常識だ。
しかし、最初からそうだったわけではない。
歴史書によれば、千年以上前――正確な年代は諸説あるが――この世界にも男女の性交による繁殖が存在した。
古い文献には「交合」という語が残っている。男女が体を重ねて子を成す行為。
つまり、オレたちの体のつくりがこうなっていること自体は、その時代の名残だ。
男にはモノがあるし、女にもそれを受け入れる器官がある。生物学的な構造としては、今もちゃんと存在している。
退化していない。機能としては生きている。
使われていないだけだ。
千年ものの未使用品。箱から出されたことのない限定フィギュアみたいなもんだ。
ちなみに、この辺の話は歴史の授業で普通に習う。
だからこの世界の女たちも、知識としては知っている。大昔は男と女が交わって子を成していた時代があったことを。
別に隠された禁断の知識でもなんでもない。教科書に載っている。「古代の繁殖」という章で、図解つきで。
ただし、知っているのと理解しているのは別だ。
前世の人間が「古代ローマでは公衆の場で吐いてまた食べるのが宴会のマナーだった」と知識として知っていても、その感覚に嫌悪感を覚えるのと同じだ。
この世界の女たちは「昔は男女で子を作っていた」と知っている。しかし、そこにどんな感情が伴っていたのか、それは実感として一切わからない。
歴史上の奇習。そういう扱いだ。
そもそも、人間以外の動物には今でも普通にオスとメスがいる。
犬にも鳥にも馬にも、オスがいて、メスがいて、交尾して子を残す。
この世界の女たちはそれを日常的に目にしている。牧場で馬の交配を見ても「ああ、繁殖期ね」と眺めているだけだ。
しかし、それを自分たちに結びつける発想がない。
動物のオスメスと、人間の男女が、かつて同じ仕組みだったという事実は知っている。だが「じゃあ自分もそうしたい」とは一ミリも思わない。
前世で言えば、魚がエラ呼吸している映像を見て「人間もかつては水中で暮らしていた」と知識として知っていても、自分もエラ呼吸したいとは思わないのと同じだ。
遠い。あまりにも遠い。
さて、性交が廃れた話に戻る。
千年前、魔素を用いた繁殖法が確立されたことで、性交は繁殖手段としての役割を失った。
最初のうちは文化的な習慣として残っていたらしいが、数百年かけてゆっくりと廃れた。
理由は単純だ。必要ないからだ。
魔素繁殖は安全で、確実で、一人で完結する。相手を探す手間もない。体調を崩すリスクも低い。
合理的な選択肢が出てきたら、非合理的な方法は淘汰される。
歴史の授業ではこの転換期を「大淘汰」と呼んでいた。まるで自然災害みたいな名前だが、実態は逆だ。誰も困らなかった。困る理由がなかった。
そして、性交が淘汰されると同時に、男が減った。
これは偶然じゃない。構造的な必然だ。
まず前提として、この世界では女のほうが圧倒的に魔素量が多い。
これは交合時代の頃からそうだったらしい。魔素は生命力の根幹であり、子を宿す側――つまり女の体に、より多くの魔素が蓄えられるように進化した。
で、魔素繁殖というのは、母体の魔素から新しい命を生み出す仕組みだ。
母体の魔素だけで完結する。
当然、生まれてくる子は母体の魔素を色濃く受け継ぐ。
魔素量が多い体質が、そのまま次の世代に引き継がれる。
つまり、女が生まれやすくなる。
男というのは、もともと魔素量が少ない側だ。魔素繁殖で生まれる子は魔素量の多い体質に偏るから、魔素の少ない体質――男が生まれる確率は、世代を追うごとにどんどん下がっていく。
性交による繁殖では、男の遺伝子が半分入るから、男が一定の割合で生まれ続けた。
しかし魔素繁殖に切り替わった瞬間、男の遺伝子を混ぜる機会が消えた。
結果、数百年かけて男の出生率は激減した。
最初の数世代はまだ男が相当数いたらしい。しかし百年経ち、二百年経ち、魔素繁殖が完全に主流になる頃には、男は「珍しい存在」になっていた。
五百年後には「数世代に一人の突然変異」になった。
今では、歴史の教科書に「稀に魔素を持たない突然変異(オス)が生まれることがある」と一行書かれているだけだ。
性交がなくなり、男が減り、男が減ったことで性交の記憶がさらに薄れ、記憶が薄れたことで男の存在意義がさらになくなる。
縮小再生産のループ。
千年かけて、男は社会から静かに消えていった。
絶滅はしていない。突然変異で、ごく稀に生まれる。
でも「いてもいなくてもいい存在」になった。
オレはその「いてもいなくてもいい存在」だ。
重要なのは、性交が廃れると同時に、それに付随する概念が丸ごと消えたことだ。
恋愛感情。性的欲求。性的な羞恥心。嫉妬。独占欲。
これらは千年の時間をかけて、文化から、言語から、そして本能のレベルから風化した。
ただし――ここが面白いところなんだが――消えたのは「性的な」文脈に限られる。
全てが均一に消えたわけじゃない。
例えば「美人」という概念は普通にある。
「かわいい」もある。
なぜか。
これはオレなりに考えた結論なんだが、「美しい」「かわいい」という感覚は、そもそも性欲とは別の回路で動いている。
前世の生物学でも言われていたことだ。
人間が「美しい顔」に惹かれるのは、性的な欲望だけが理由じゃない。
整った顔立ちを好むのは、「この個体は病気をしていない、栄養状態がいい」という健康のサインを無意識に読み取っているからだし、大きな目や丸い輪郭を「かわいい」と感じるのは、赤ん坊の特徴に対する保護本能――ベビースキーマと呼ばれるやつだ。
つまり「美しい」「かわいい」は、異性を求める回路ではなく、「健康な個体を識別する」「幼い個体を保護する」という、もっと根っこの生存本能に紐づいている。
性欲が消えても、生存本能は消えない。
だからこの世界でも、顔の整った相手を見れば「美しい」と感じるし、小さくて丸っこいものを見れば「かわいい」と感じる。
花を見て綺麗だと思うのと同じ回路だ。
そこに「抱きたい」「独占したい」が乗っかっていないだけ。
性欲という上部構造は千年で崩壊したが、美醜の識別という下部構造は、消えていない。
この世界の女たちは、誰が美しいとか、誰の顔が整っているとか、そういう話を普通にする。服や装飾品にこだわる文化もあるし、デザイナーという職業もある。街には仕立て屋が並んでいるし、季節ごとに流行りの色や形が変わる。
モデルも存在する。新しい衣装や魔装のデザインを広めるために、美しい者が身につけて人前に出る。人気のモデルには追いかける者もいる。
じゃあそれって恋愛感情なんじゃないか? と思うだろう。
違う。
これはオレが十八年かけてたどり着いた重要な理解なんだが、この世界における「美しさへの憧れ」は、前世で言う「推し活」に近い。
推しが美しい。推しの新しい衣装が見たい。推しと同じ装飾品が欲しい。
でもそこに「推しと付き合いたい」「推しに触れたい」という感情は発生しない。
前世のオタクが二次元キャラに対して抱く感情――いや、前世のオタクは普通に「嫁」とか言ってたからこの比喩は不適切か。
もっと正確に言うと、前世で美術館に行って美しい彫刻を見た時の感覚だ。「美しい」と思う。「もっと見たい」と思う。でも彫刻を抱きしめたいとは思わない。彫刻とデートしたいとは思わない。
この世界の「美しい」は、その純度で止まっている。
性的な引力がそこに乗っからない。千年かけて、配線が切れたのだ。
だから、面白いことが起きる。
この世界のモデルは、堂々と肌を見せる衣装を着る。胸元が大きく開いたデザインも、太ももが丸見えの意匠も、この世界では単に「美しいデザイン」として評価される。
誰もエロいとは思わない。
「大胆な曲線の見せ方が素晴らしい」「肩のラインが映える裁断だ」。そういう審美的な評価しか出てこない。
前世の感覚で言えば、ファッションショーの観客全員がプロのデザイナーの目で見ている状態だ。そこに「エロい」というノイズを感じているのは、オレだけ。
オレだけが、この世界で唯一のスケベな観客。
さて、ここまでが上半身の話だ。
胸を含む上半身に関しては、性的な文脈が完全に消えている。
見られても恥ずかしくない。触れても気にしない。
前世の男同士で考えればわかりやすい。男が男の胸板を見て動揺するか? しない。筋肉すごいなとは思っても、性的な意味は感じない。
この世界の女から見た男の目は、それと同じだ。
ガルドラがオレの手をおっぱいに押し当ててきたのは、前世で言えば友達に肩を組まれた程度の感覚だったのだろう。
オレは肩を組まれて勃起した男。
しかし、股間は少し事情が異なる。
排泄器官としての認識があるためだ。
性的な羞恥心は千年で消えた。だが排泄に関する羞恥心は消えなかった。汚いもの、人に見せるものではないもの、という感覚だ。これは性の文化とは別の軸――衛生観念や社会的マナーの軸に属する感覚なので、性交の淘汰とは無関係に残り続けた。
だからこの世界の女性も、股間を見られることには抵抗がある。ただしそれは「エロいから恥ずかしい」ではなく「汚いから恥ずかしい」だ。
前世で言えば、他人にトイレの最中を見られるのが嫌なのと同じ感覚。性的な意味は一ミリもない。
結果として、こうなる。
温泉文化みたいなものがこの世界にもあるが、女たちは上半身は普通に見せ合う。しかし下半身には布を巻く。「見せるのが恥ずかしい」のではなく「汚い部分を見せるのがマナー違反」だから。
この区別は重要だ。
胸は隠さないが、股間は隠す。
上半身は無防備だが、下半身にはある程度の羞恥心がある。
その境界線が、前世の常識とはまったく別の場所に、まったく別の理由で引かれている。
同じ体のパーツでも、文化が変われば「恥ずかしい」の定義が変わる。
千年という時間は、本能すら書き換える。
もっとも、書き換えられなかったやつが一人だけいる。
前世の本能を丸ごと持ち込んでしまった、哀れな転生者が。
つまりオレだ。
この世界でオレだけが、胸に興奮する。
この世界でオレだけが、肌の露出にドキドキする。
この世界でオレだけが、採寸のたびに下半身の反乱を鎮圧しなければならない。
孤独だ。
性欲の孤独。
誰にも理解されない欲望を一人で抱えて、プロの顔をして採寸をし続けている。
前世で三十二年、今世で十八年。合計五十年分の性欲が、この体に詰まっている。
タイムカプセルかよ。開けるな。中身が危険物だ。
◆◆◆
工房を閉めた後、道具を片付けながら考えた。
愚痴を言いたいわけじゃない。
オレの状況は五年前よりずっとマシだ。
鍛冶師としてそこそこ認められ、常連客に名前を覚えてもらい、「男の割には」という但し書きつきではあるが、仕事を任されるようになった。
でも。
「男の割には」を取り払いたい。
「男の割にはいい鍛冶師」じゃなくて、ただの「いい鍛冶師」になりたい。
そしてその先に、オレを――男であるオレを、特別だと思ってくれる誰かがいると信じたい。
モテたい。
五十年経っても、この一言は変わらない。
作業台の上に、今日ガルドラの胸当てを調整した時に使った工具が残っていた。
メジャー。
微かにガルドラの体温の余韻が――あるわけない。金属製だし、もう三時間経ってるし。
何を感傷的になっているんだ。
オレは道具を棚に戻し、工房の灯りを落とした。
明日も仕事がある。
明日もフィッティングがある。
明日もオレは、誰にも理解されない欲望を抱えて、プロの顔をして仕事をする。
――まあ、悪くない人生だ。
前世に比べたら。
少なくとも今、オレには「男の割にはできるやつ」と言ってくれる人がいる。
それは、前世にはなかったものだ。