セックスが淘汰された世界で、唯一の『クソオス魔装鍛冶師』   作:北川ニキタ

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6話 連れていかれる男

「ねえ、ホルダ。この子、うちに連れて帰ってもいい?」

 

 ……は?

 

 一瞬、自分の耳がバグったかと思った。

 連れて帰る?

 この子?

 オレのこと?

 

 女の子は、にこにこと師匠を見上げている。まるで道端で拾った子猫を「飼っていい?」と親に聞く子供のような顔だ。

 いや、比喩じゃなくて、たぶん本当にそういう感覚で言っている。

 この世界における男の扱いは、だいたいそのレベルだ。

 

「……いや、あのさ」

 

 オレは少女に向き直った。

 

 落ち着け。

 相手は十歳の子供だ。

 さっき一合で吹っ飛ばされた十歳の子供だが、それはそれとして、子供だ。

 子供の突拍子もない発言にいちいち動揺していたら大人が務まらない。前世込み五十歳の余裕を見せろ。

 

「えっと……連れて帰るっていうのは、ちょっと困るかな。オレ、ここの見習いだから。師匠の工房で仕事があるし、勝手にいなくなるわけにはいかないんだよ」

 

 我ながら完璧な対応だ。穏やかに、しかし毅然と。子供を傷つけず、しかし現実を伝える。これが大人の余裕。

 

「……ふぅん」

 

 少女はオレの言葉を聞いて、小さく首を傾げた。

 それから、師匠のほうを向いた。

 

「ホルダ、いいよね?」

 

 師匠に聞いている。

 オレの返答は華麗にスルーされた。

 大人の余裕、不採用。

 

「――せめて理由を言ってくれ」

 

 師匠が言った。

 

 え。

 師匠、「なに馬鹿なことを言ってるんだ」じゃないんですか。

 「理由」を聞くんですか。

 検討するんですか。

 

 この展開はおかしくないか?

 

 普通、十歳の子供が「この人もらっていい?」と言ったら、大人は「何を言ってるの」と笑って流すものだろう。

 なのに師匠は至って真剣な顔をしている。白髪を一つに結んだ横顔に、冗談を聞いた気配がない。

 いつもの、魔導炉の火加減を見ている時と同じ目だ。

 

「うん、あのね」

 

 少女が石の上で足をぷらぷらさせながら言った。

 

「うちの子たちにも、そろそろ新しい刺激が必要かなって。この子、ぴったりだと思うんだよね。それになにより、おもしろそうだなって」

 

「うちの子たち」

「ぴったり」

「おもしろそう」

 

 何の話をしている?

 誰の話をしている?

 なぜオレが「ぴったり」なんだ?

 

 そして「うちの子たち」って何だ。この子、十歳くらいだろう。「うちの子たち」がいる十歳児。

 そうか。この子、ペットを多頭飼しているんだ!

 くそー、やっぱり男ってのはペットと同列なんだ!

 

 いや、問題はそこじゃないか。

 問題は、師匠が真剣にこの提案を検討しているように見えることだ。

 

「……お前がそう言うなら、つれていけ」

 

 出た。

 許可が出た。

 即答で。

 検討時間、三秒。

 オレの五年間の奉公、三秒で決裁。

 

「ちょっと待ってください師匠!!」

 

 声が裏返った。情けないが、裏返る場面だ。

 

「なんで!? なんで許可するんですか!? オレはここの弟子でしょう!? 五年間ここで働いてきたんですよ!? それを、今日初めて会った子供に――」

 

「子供じゃないんだけど」

 

 横から刺さる訂正。無視する。

 

「師匠、オレ何かやらかしましたか? 朝の掃除サボりましたか? 魔導炉の火加減間違えましたか? 言ってくれればいくらでも直します。だからこんな、こんな――」

 

 犬を捨てるような真似やめてください。

 この言葉は飲み込んだ。言ったら本当に捨て犬になってしまう気がした。

 

「あはは、泣きそうじゃん」

 

 少女が笑った。

 石の上からオレを見下すような視線で、くすくす笑っている。

 

「男って初めてみたけど、みんなこんな感じなの? おもしろーい」

 

 おもしろくない。

 オレの人生がかかっている。

 五年かけて築いた居場所が、子供の一言でひっくり返されようとしている。

 

「師匠」

 

 オレは声を整えた。冷静に。論理的に。交渉だ。

 前世のIT企業時代に学んだ唯一の有用なスキル、「自分の市場価値を主張するプレゼンテーション」を今こそ発揮する。

 

「オレがいなくなったら、工房どうするんですか」

 

 これだ。

 お前を捨てるわけじゃないと言うなら、実務的な問題をぶつける。

 常連客の対応。フィッティング。魔脈紋の彫り直し。在庫管理。掃除。下準備。五年間オレがやってきた仕事の全てを、師匠一人で回せるのか。

 

「……確かに」

 

 師匠が顎に手を当てた。

 来た。効いている。実務の話は効く。感情論には流されない人だが、仕事の話には弱い。

 

「お前がいなくなると、回らんな。常連の対応と在庫管理を同時にやるのは、一人では厳しい」

「でしょう!?」

 

 オレは食い気味に言った。

 

「オレがいないと困るんですよ! 五年間かけて、オレはこの工房に不可欠な存在になったんです! 今さらいなくなったら――」

 

「じゃあさ」

 

 少女が口を挟んだ。

 石の上で足をぷらぷらさせたまま、何でもないことのように。

 

「うちの知り合いの鍛冶師、一人派遣してあげようか? 腕は確かだよ。ホルダの工房なら喜んで来ると思う」

 

 は?

 

「ほう」

 

 師匠の目が光った。

 

「腕は?」

 

「まだまだ見習いだけど、筋は悪くないよ。実務は一通りこなせるし、即戦力としては問題ないんじゃないかな」

 

「……だったら、いいか」

 

「よくない!!」

 

 オレは叫んだ。

 

「よくないですよ師匠! 代わりがいるからいいって、それ、オレの五年間なんだったんですか!? 替えの利く部品扱い!?」

 

「前世と同じじゃないですか!」と言おうとして、飲み込んだ。

 前世のIT企業。マルチタスク地獄。誰がやっても同じ仕事。お前の代わりはいくらでもいると暗に言われ続けた三十二年間。

 

 それがここでもか。

 五年かけて「男の割にはできるやつ」まで登り詰めて、やっと居場所を見つけたと思ったのに。

 代替要員を一人派遣すれば解決。

 オレの存在価値、鍛冶師一人分。

 ……いや、鍛冶師一人分の価値はあるってことか?

 ダメだ、前向きに解釈しようとするな。問題はそこじゃない。

 

「ほら、決まりだね。じゃあ出発しようか、おにーさん」

 

 少女が石からぴょんと飛び降りた。

 

「ちょっ……出発って、今すぐ!?」

 

「うん。日が暮れる前に街道に出たいんだよね。歩きだし」

 

「そんな!?」

 

 目の前が暗くなった。比喩じゃない。一瞬本当に視界が暗転した。貧血か? ストレス性の一時的な血圧低下か?

 十歳の子供に人生を決められている。

 

 何が起きている?

 なぜこうなった?

 三十分前まで平穏に素振りをしていたオレの午後はどこに行った?

 

「師匠……」

 

 オレは最後の望みをかけて、師匠を見た。

 泣きそうだった。実際、目の端が熱かった。前世込み五十歳の男が、十歳の子供に連れ去られることに泣きそうになっている。情けないにもほどがある。しかし情けなさを自覚した上で、それでもオレは師匠に聞かずにはいられなかった。

 

「……ほんとうに、いいんですか」

 

 声が掠れた。

 五年間。

 七十点から始まって、毎日少しずつ、少しずつ上を目指してきた。

 初めて常連客に名前を覚えてもらった日。「男の割には」が「意外とちゃんとやる」に変わった日。ガルドラが「おっ、調子いいな」と笑った日。

 全部、この工房での出来事だ。

 ここがオレの居場所だった。

 前世にはなかった、初めての居場所。

 師匠は、ぶっきらぼうに工具を棚に戻していた手を止めた。

 振り返る。

 その目が、いつもと違った。

 五年間で見たことのない目――いや、さっきも一度見た。少女の短剣の欠けを見た時の目だ。

 しかし今度は、それよりもさらに。

 

「ディート」

 

 師匠の声に、普段の素っ気なさがなかった。

 

「これはチャンスだ」

 

「……チャンス?」

 

「この方の申し出を受けることが、お前にとってどれほどの意味を持つか。まあ、わからんだろうな、お前には」

 

 この方。

 師匠が少女のことを「この方」と呼んだ。

 十歳の子供を――?

 

「それに」

 

 師匠は一拍置いて、続けた。

 

「貴様には、もっと広い世界を見たほうがいいと、前々から思っていた」

 

「…………」

 

「七十点を百点にするのに必要なのは、この工房の中にはもうない。少なくとも、お前が自分で思っている以上に、お前は育った」

 

 師匠の目がまっすぐオレを見ている。

 鋭くて、しかし冷たくない目だ。

 あの初日、オレの掌を見た時と同じ目だ。品定め――じゃない。あの時はそう思ったが、今ならわかる。

 見ていたんだ。ずっと。

 オレがどこまで伸びるか。いつ送り出すか。

 

「お前を捨てるのではない。送り出すんだ。その違いがわからんほど馬鹿だとは思っていない」

 

 ……ずるい。

 それを言われたら、何も言い返せない。

 師匠は不器用な人だ。褒める語彙の九割が「まだまだ」で構成されている人だ。「悪くない」が最上級の賛辞だと五年間信じてきた。

 その師匠が、今、はっきりと言った。

 お前は育った、と。

 鼻の奥がツンとした。

 泣くな。前世込み五十歳。人前で泣くな。

 

「ほらほら、おにーさん! 早く準備してよ!」

 

 少女がオレの袖を引っ張った。小さい手。しかし妙に力が強い。さっき一合で吹っ飛ばされた手だ。

 

「日が暮れちゃうよ。荷物、まとめてきなって」

 

「あ、ちょっ、引っ張るな……わかった、わかったから!」

 

 オレは慌てて工房の中に駆け込んだ。

 自分の部屋――工房の二階の、六畳もない板張りの小部屋。五年間ここで寝起きした。

 リュックを引っ張り出す。

 鍛冶師に必要なもの。鏨のセット。携帯用の砥石。魔脈紋を確認するためのルーペ。細い罫書き針。採寸用のメジャー。魔導炉が使えない場所でも最低限の修理ができる携帯工具一式。

 生活に必要なもの。着替え。タオル。水筒。

 それと、試作十四号。

 リュックがパンパンになった。

 閉まらない。

 工具を詰めすぎた。しかし、どれも削れない。鍛冶師が工具を減らすのは、騎士が剣を置いて戦場に行くようなものだ。

 ……いや、騎士は魔素があるから素手でも戦えるか。オレは魔素がないから工具がなかったら本当にただの荷物だ。

 なおさら減らせない。

 無理やりバックルを留めて、リュックを背負った。重い。魔素で身体強化できないオレには、この重さがそのまま肩にくる。

 部屋を見回した。

 何もない部屋だ。ベッドと、小さな机と、窓。

 それだけの部屋が、五年間のオレの全てだった。

 階段を降りる。

 工房に師匠がいた。いつもの場所に。魔導炉の前に。

 

「師匠」

 

「なんだ」

 

 師匠は振り返らなかった。

 いつもの背中。白髪を一つに結んだ、痩せた背中。

 

「……今まで、ありがとうございました」

 

「……顔を上げろ」

 

 師匠の声がした。いつもの声だ。素っ気なくて、短くて、感情の読めない声。

 

「鍛冶師ってのは、頭を下げる商売じゃない。手を動かす商売だ」

 

 一拍。

 

「だから、次に会うときには、頭じゃなくて腕を見せろ」

 

 泣いているオレに「泣くな」とは言わない。「頑張れ」とも言わない。

 ただ「腕を見せろ」と言う。

 お前は鍛冶師だろう、と。それだけで全部伝わるようにする。

 

 オレは袖で顔を拭って、顔を上げた。

 

「……必ず、見せに来ます」

 

 師匠は何も言わなかった。

 ただ、魔導炉に向き直った。

 いつもの背中。白髪を一つに結んだ、痩せた背中。

 

 その背中を目に焼きつけて、オレは工房の扉を開けた。

 外で少女が待っていた。

 

「おっそーい。こんなに支度が遅いのって男だから?」

 

「……うるさい」

 

 目が赤いのはバレているだろう。ツッコまれたら終わる。

 

「泣いてたでしょ」

 

「泣いてない」

 

「うそだー。目、真っ赤じゃん。やっぱり男ってのは、泣き虫なんだー」

 

「うるさい……」

 

 うるさい。

 マジでうるさい。

 

「それじゃ、行こっか」

 

 少女が歩き出した。

 ぶかぶかの旅装。長い髪を揺らして、とてとてと。

 

 オレはパンパンのリュックを背負い直して、その小さな背中を追った。

 

 

◆◆◆

 

 

 ホルダは、二人の足音が完全に聞こえなくなると、作業台のほうへと歩いた。

 

 布に包まれた短剣がそこにある。

 あの少女から預かったものだ。

 

 包みを開く。

 短剣を手に取り、刃を灯りにかざした。

 

 欠け。

 刃の中ほどに、小さな、しかし明確な欠けが一つ。

 

 ホルダの指先が、欠けの断面をなぞった。

 

 一流の戦士が魔素を流した刃は、どんな鋼鉄よりも硬くなる。

 あの少女が魔素を流して振った剣が、欠けた。

 

 あの少女の剣が。

 

「…………」

 

 ホルダは短剣を置いて、工房の裏口に目をやった。

 さっきまでディートが立っていた場所。地面に、尻もちをついた跡が残っている。

 吹っ飛ばされた、と少女は言っていた。

 

 吹っ飛ばされた。

 

 あの少女に打ち込まれて、吹っ飛ばされただけで済んだ。

 立ち上がって、砂利を払って、「背中が痛い」と言っていた。

 

 背中が痛い程度で済んだ。

 

 あの男は、自分がどれほどのことをやったのか、気づいていないだろうな、とホルダは思った。

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