セックスが淘汰された世界で、唯一の『クソオス魔装鍛冶師』   作:北川ニキタ

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7話 お姫様だっこ

 少女が先を歩いている。

 オレが後をついていく。

 ぶかぶかの旅装を着た少女と、パンパンのリュックを背負った男。端から見たら何の組み合わせかわからない二人組だ。

 

 師匠の工房は山の中腹にある。

 一番近い村までは歩いて二十分ほど。

 五年間、この山と村がオレの世界の全てだった。

 その世界から、今、引き剥がされようとしている。

 

「ねえディート、あたしたちこれから王都に行くから」

 

「え?」

 

 その名の通り、この国の首都だ。

 騎士団の本部がある。ガルドラも所属している。

 人口は――正確には知らないが、この辺りの村とは比較にならない規模なのは確実。

 

「知ってるけど……ここから王都って、馬車でも三時間はかかるぞ」

 

「うん」

 

「歩きだって言ってたよな」

 

「うん」

 

「……歩きで三時間以上ってことか」

 

「もっとかかるんじゃない? おにーさん、足遅そうだしね」

 

 足が遅いんじゃなくてリュックが重いんだ。

 魔素で身体強化できない人間が、鍛冶道具一式を詰め込んだリュックを背負って山道を歩いているんだ。肩が千切れそうだ。

 この世界の女は荷物を持っても魔素で脚力を鍛えられるから、このオレのつらさを理解できないのだろう。

 贅沢な話だ。

 前世で引っ越し業者のバイトをした時、四階までエレベーターなしで冷蔵庫を運んだことを思い出す。あの時の絶望感に近い。

 しかもあの時は時給千二百円が出た。今回は無報酬だ。

 

「ねーえ、もっと早く歩けないの?」

 

 少女が振り返った。

 煽っている。完全に煽っている。十歳児の顔で、大人の男を煽っている。

 

「無理だって。魔素がないんだから。身体強化もできない、ただの生身なんだよオレは」

 

「ふーん。不便だねー」

 

 二回目だ。

 クソっ、腹は立つが見返すことはできないから、より虚しい。

 

「じゃあ仕方ないか」

 

 少女がため息をついた。

 何が仕方ないのか。

 まさか置いていく気か。連れて帰るって言ったのそっちだろ。

 

「ディート、荷物おろして」

 

「は?」

 

「いいから、おろして」

 

 言われるままにリュックを下ろした。

 肩が軽くなって一瞬天国を見た。

 

 少女がリュックを片手でひょいと持ち上げた。

 片手。

 オレが肩を軋ませて運んでいたリュックを、片手で、ひょいと。

 この世界の理不尽が、また一つ。

 

 少女はリュックを自分の背中に引っ掛けた。ぶかぶかの旅装がさらにぶかぶかになった。リュックのほうがでかい。

 

「よし」

 

「……ありがとう。それだけで全然――」

 

 言い終わる前に、視界が回転した。

 足が地面を離れた。

 背中に腕が回っている。膝の裏にも腕がある。

 体が、持ち上げられている。

 横向きに。

 少女の腕の中に。

 

「え」

 

「よっと」

 

「ちょっ、おま――」

 

「しっかり掴まっててね」

 

 お姫様だっこ。

 十歳の少女に。

 十八歳の男が。

 お姫様だっこされている。

 

「待って待って待って」

 

「なにー?」

 

「降ろせ! 降ろしてくれ!」

 

「えー、でもこのほうが早いじゃん」

 

「そういう問題じゃ――」

 

 風が爆発した。

 

 少女の足が地面を蹴った瞬間、景色が後ろに吹っ飛んだ。

 木々が線になった。風が顔を叩く。息ができない。

 速い。

 馬車どころじゃない。

 前世の高速道路を走る車の窓から顔を出したらこんな感じだろう。いや、それより速い。

 

「ひっ……!」

 

 情けない悲鳴が出た。

 反射的に少女の首にしがみついた。

 しがみつかないと落ちる。この速度で落ちたら死ぬ。風呂場で滑って死んだ前世に続いて、今世は少女の腕から落ちて死ぬ。死因のグレードが上がっているのか下がっているのか判断がつかない。

 

「あはは、すごい力で掴まってくるじゃん」

 

「死にたくないからな!!」

 

「大丈夫だって。落とさないよ」

 

 落とさないよ、じゃないんだ。

 問題は落ちるかどうかじゃないんだ。

 

 十歳の少女に抱えられて、首にしがみついて、悲鳴を上げながら運ばれている。

 この状況を客観的に見てくれ。

 18歳の男が、十歳の女の子にお姫様だっこされて「きゃー」と叫んでいる。

 どこの世界に、こんな絵面がある。

 いや、この世界にはある。男は弱いから。こういうことが普通に起こりうる世界だ。

 でもオレの中の前世の常識が全力で拒否している。

 

 男がお姫様だっこされる側。

 それも、子供に。

 

 プライドの残骸が風に吹き散らされていく。

 

 山道が一瞬で過ぎた。

 森を抜けた。

 平地に出た。街道らしき道が見えたが、三秒で通過した。

 遠くに街の輪郭が見えた。

 近づいてくる。

 恐ろしい速さで近づいてくる。

 

 およそ三十分。

 

 馬車で三時間の距離を、三十分。

 

 

◆◆◆

 

 

 王都の城門が見えた瞬間、少女は速度を落とした。

 門の手前で立ち止まり、オレを地面に下ろした。

 足が地面についた。

 膝が笑っている。ガクガクしている。立てない。地面に手をついた。

 

「…………」

 

 五十年の人生で。

 前世三十二年、今世十八年、合計五十年の人生で。

 これほどの屈辱があっただろうか。

 いや、あった。いくらでもあった。モテない人生は屈辱の連続だ。

 

 でも、種類が違う。

 今までの屈辱は「相手にされない」系だった。無視される。見下される。存在を認識されない。

 今回の屈辱は「お世話される」系だ。

 

 赤ちゃんだ。

 赤ちゃん扱いだ。

 歩けないから抱っこして運んであげる。泣いてるから「大丈夫だよー」と言ってあげる。

 

 オレは十歳児の赤ちゃんだ。

 

「…………」

 

 涙が出た。

 

 屈辱の涙だ。師匠との別れで流した涙とは成分が違う。

 あれは感謝と寂しさの涙だった。

 これは純度百パーセントの惨めさの涙だ。

 

「ディート、泣いてるの?」

 

「泣いてない」

 

「また泣いてるじゃん。今日二回目だよ?」

 

「うるさい」

 

 もう、これ以上話しかけないでくれ。

 

「あーあ、おにーさんってほんとおもしろーい」

 

 少女はオレの隣にしゃがんで、膝を抱えてこちらを覗き込んでいる。

 くすくす笑っている。

 完全に楽しんでいる。

 オレの屈辱が、この子の娯楽になっている。

 

「男って、こんなにも泣き虫なんだねー」

 

「……そうだよ」

 

 前世だと、そんなことはなかったが、肯定しておく。

 言ったところで通じない。

 

 この世界に「男のプライド」という概念はない。

 「男がお姫様だっこされるのは恥ずかしい」という感覚は、オレの中にしか存在しない。

 

「……何でもない。行こう」

 

 立ち上がった。膝はまだ少し震えていたが、歩ける。

 王都の城門が、目の前にそびえている。

 でかい。

 石造りの門。高さは十メートル以上ある。門の上には騎士団の紋章が掲げられている。

 門の両脇に女騎士が二人、槍を持って立っている。

 

 門番の一人がこちらを見た。

 少女を見て、それからオレを見て。

 何か言いかけて、やめた。

 少女に向かって、深く頭を下げた。

 

「……お通りください」

 

 もう一人の門番も少女に頭を下げている。

 深く。丁寧に。

 師匠が少女を「この方」と呼んだ時と、同じ空気だ。

 

「うん」

 

 少女は何でもないようにひらひらと手を振って、門をくぐった。

 オレは慌ててその後を追った。

 門番たちの目がオレに向いた。「……男?」という小声が聞こえた気がしたが、今さらだ。

 

 門をくぐると、街が広がっていた。

 広い通り。石畳。両側に建物が並んでいる。

 人が多い。

 女ばかりだ。当然だが。

 鎧姿の女騎士。商人風の女。職人風の女。子供。老女。

 女、女、女。

 

「ねえ、ディート」

 

「……なに」

 

「泣き止んだ?」

 

「う、うるさい…」

 

「はいはい」

 

 少女はくすくす笑いながら、雑踏の中を歩いていく。

 

 オレはその後を、とぼとぼと追いかけた。

 

「リーゼ様!」

 

 声が飛んできた。

 雑踏の向こうから、一人の女がこちらに駆けてくる。

 軽装の戦闘服に腰の剣。背中に小さな盾。

 動きが速い。走り方が素人じゃない。足運びに無駄がない。

 背はオレより少し低いくらい。明るい髪を結んでいて、目つきが鋭い。

 年齢は――オレと同じくらいか。

 

「あれ? リーゼ様、お帰りが早いですね。明後日の予定では――」

 

「ん、急いで帰ってきちゃった」

 

 冒険者の女がオレに気づいた。

 

「……男?」

 

 本日三回目の「男?」だ。門番で二回、これで三回。

 この先、何百回聞くことになるんだろう。

 

「あ、紹介するね。ディート。あたしの、うーん、なんだろ。ともかく、今日連れてきた」

 

「今日……?」

 

 冒険者の女が、少女とオレを交互に見た。状況を理解しようとして、理解できていない顔だ。気持ちはわかる。オレも理解できていない。

 

「リーゼ様、連れてきたというのは、いったいどこから?」

 

「ホルダの工房にいたの。おもしろい子だよ」

 

 おもしろい子。三回目だ。オレの評価基準が「おもしろい」しかない。

 

「……はあ」

 

 冒険者の女は納得していない顔のまま、それでも頷いた。少女が連れてきたなら、という判断らしい。

 

「あ、そうだ」

 

 少女がぽん、と手を打った。

 何かを思いついた顔。

 嫌な予感がする。今日一日でオレの嫌な予感センサーはかなり精度が上がった。

 

「ねえ、ちょうどいいや。今からこの子と戦ってよ」

 

「……は?」

 

 オレと冒険者の女の声が重なった。

 ハモった。初対面で見事なユニゾン。共通の困惑が生んだ奇跡のハーモニーだ。

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