セックスが淘汰された世界で、唯一の『クソオス魔装鍛冶師』 作:北川ニキタ
勝ったほうが七席。リーゼの放った条件。
シンプルだった。
あまりにもシンプルだった。
審査も、書類もない。ただ「勝ったほう」。
……いや、待て。
「リーゼ様、それ、オレが負けたら七席にならないってことですよね」
「うん」
「じゃあ別にそれでいいんですけど」
オレは七席になりたくてここにいるわけじゃない。そもそも三十分前まで七席という単語すら知らなかった。負けて「残念でしたー」で終わるなら、むしろ都合がいい。
ボコられるのは痛いが、骨が折れない程度なら耐えられる。師匠の工房の裏で何十回と吹っ飛ばされてきた実績がある。打たれ強さだけは一人前だ。
「…………」
フィーネが、黙ってオレを見ている。
その目に、微かな困惑が混じった。
たぶん、オレの反応が想定外だったのだろう。
彼女の反応を見るに、普通、七席の枠を賭けた勝負を持ちかけられたら、必死に食い下がるか、あるいは怖気づくか。どちらかなんだろう。
「別にそれでいい」と言う人間は想定していなかったらしい。
「……舐めてるの?」
「いえ、舐めてないです。本気で、負けると思ってるので」
「…………」
フィーネの目が細くなった。
怒りの質が変わった気がする。しかし、何がどう変わったのかは読み取れない。
「……いいわ」
フィーネが一歩、後ろに退いた。
距離を取ったのだ。戦闘のための距離を。
背中の盾を下ろして地面に置いた。腰の剣の鞘に手をかける。
――そして、魔素を纏い始めた。
空気が変わった。
文字通り、空気が変わった。
フィーネの体から放出される魔素が、周囲の空気を震わせている。オレの肌がびりびりする。フィッティングで何百人もの魔素を感じ取ってきた掌が、本能的に情報を読み始めている。
密度が高い。
軽鎧の上から魔素が薄い膜のように全身を覆っていく。身体強化。筋力、反射速度、耐久力、全てが魔素によって底上げされる。
この世界の戦士の基本中の基本。
そしてオレには絶対にできないこと。
剣を抜いた。
片手剣。刀身が淡く光っている。魔素が刃に流れ込んでいるのだ。
構えた。
右足を前に、半身に。切っ先をオレに向けて。
隙がない。五年間で何百人もの構えを見てきたが、フィーネの構えは上位に入る。重心の位置、足幅、剣の角度。全部が理にかなっている。
本気だ。
手加減する気はないと、構えが語っている。
「ディート」
リーゼの声が、横から飛んできた。
ベンチに座ったまま、足をぷらぷらさせながら。
「あたしと戦った時みたいにやれば、大丈夫だよ」
あたしと戦った時みたいに。
……あの、リーゼ様。
あの時オレは一合で吹っ飛ばされて砂利の上を転がったんですが。
「大丈夫」の定義がオレとこの少女で根本的にズレている。
しかし。
戦わないという選択肢もなかった。
フィーネは構えている。リーゼは「やれ」と言っている。
逃げたら――逃げること自体はできるだろう。しかし、逃げた先に何がある。
リーゼに連れてこられた意味がなくなる。
師匠に「送り出す」と言われた意味がなくなる。
……違うな。
そんな大層な理由じゃない。
オレは、リュックの中から試作十四号を引き抜いた。
手に馴染む重さ。短めの片手剣。見た目は地味で、フィーネの剣のように光ったりしない。魔素を流し込めないから当然だ。
この剣を作った理由を、思い出す。
モテたかった。
女に認められたかった。
「男の割には」じゃなくて、ただの「すごい」と言われたかった。
そのために鍛冶師になった。
そのために、この世界のルールをひっくり返す武器を考えた。
魔素を外から吸い上げて、読んで、返す。
欠陥を長所にする剣。
さっき、リーゼとの一合で「何か」が動いた。
吸い上げた魔素が、回路の中で方向を持った。
一瞬だけ、手応えがあった。
結局吹っ飛ばされたが――手応えは、確かにあったのだ。
それが本物だったのか、錯覚だったのか。
試すなら今だ。
構える。
右足を半歩前に。重心はやや後ろ。何百人分の映像記憶から組み上げた、「受ける」ための構え。
自分から攻めるつもりはない。攻めても勝てないことは百も承知だ。
受ける。吸う。読む。返す。
十四号の回路に全てを託す。
「…………」
フィーネがオレの構えを見て、一瞬だけ目を細めた。
何かを感じ取ったのかもしれない。あるいは、男が剣を構えているという事実に対する嘲りかもしれない。
どちらでもいい。
集中しろ。
掌の感覚に意識を集める。
フィッティングと同じだ。
ガルドラの胸に手を当てた時と同じだ。
相手の魔素を感じ取る。流れを読む。
違うのは、素手じゃなくて剣越しだということ。そして相手がじっとしていてくれないということ。
――来た。
フィーネが踏み込んだ。
速い。
リーゼほどじゃない。しかし、工房の常連騎士より明らかに速い。
上段からの振り下ろし。正統派の一撃。力と速度を両立させた、教科書通りの斬撃。
教科書通りだからこそ、五年間で何百回も見た軌道だ。
映像記憶が体を動かす。
十四号を斜めに構えて、受ける。
刃と刃が触れた――
瞬間。
来た。
掌に、振動が流れ込んでくる。
フィーネの魔素だ。
剣と剣の接触点を通じて、フィーネの魔素が十四号の回路に吸い込まれていく。
激流のような勢い。リーゼの時より、読みやすいような。
魔素の質が違うのだろう。リーゼの魔素は読もうとした瞬間にこぼれ落ちるような、掴みどころのない質だった。フィーネの魔素はもっと素直で、力強くて、流れの方向がはっきりしている。
読める。
フィッティングの触診と同じだ。
フィーネの魔素が体のどこを通って、どう流れて、どこに集中しているか。掌に伝わる振動が、全部教えてくれる。
結節点。
魔装の回路が集中する一箇所。魔脈紋が交差するポイント。ここに魔素を逆流させれば、共鳴が途切れる。
フィーネの結節点は――右の肩。
肩当ての内側、鎖骨の下あたり。
ガルドラの胸当てを調整した時と同じ要領で、場所が「見えた」。
吸って。
読んで。
――返す。
十四号の回路が、魔素の方向を反転させた。
吸い上げたフィーネの魔素が、回路の中で向きを変える。掌の中で、水が逆流するような、奇妙な感覚。リーゼとの一合で感じた、あの手応えと同じだ。
しかし今回は、吹っ飛ばされる前に、方向を定められた。
右肩に向けて。
フィーネの結節点めがけて。
叩き返す。
――刃を通じて、魔素がフィーネの剣に流れ戻っていく。
何が起きたのか。
正直、オレ自身よくわかっていない。
ただ、結果だけが目の前にあった。
フィーネの剣が、弾かれた。
オレが弾いたのではない。フィーネの手の中で、剣が勝手に暴れたのだ。
魔素の逆流。回路の共鳴が乱れて、剣に込めた魔素が制御を離れた。
フィーネの握力が一瞬だけ緩む。剣先がぶれる。構えが崩れる。
同時に、身体強化が途切れた。
一瞬だけ。ほんの一瞬だけ。
しかし、その一瞬で、フィーネの体が本来の重さを取り戻す。
魔素による強化が消えた生身の体。それでも女のほうが男より強いこの世界だが――不意に自分の体の重さが変わったら、人間はバランスを崩す。
フィーネがよろめいた。
前のめりに、一歩。
そしてオレは。
五年間で見てきた、何百人分の映像記憶の中から。
「崩れた相手に追撃を入れる動き」を、反射的に再生した。
十四号の腹で、フィーネの剣を横から叩いた。
落ちた。
フィーネの手から、剣が落ちた。
乾いた金属音が訓練場に響いた。
「…………」
静寂。
フィーネが、自分の空になった手を見ていた。
オレも、自分の手を見ていた。
十四号を握ったまま。
構えたまま。
何が起きたのか、まだ頭が追いついていない。
……え?
勝った?
いや。待て。
今の、何だ?
吸い上げた魔素を返して、相手の共鳴を乱して、身体強化が切れた隙に叩き落とした。
……それ、設計通りじゃないか。
試作十四号に仕込んだ「叩き返し」の回路が、今、この瞬間、初めてまともに動作した。
リーゼの時は吹っ飛ばされた。
フィーネの時は、成功した。
違いは何だ。
相手の魔素の質か。リーゼの魔素は掴みどころがなかったが、フィーネの魔素は素直で読みやすかった。回路が対応できる範囲だった。
……いや、そんな分析は後でいい。
今、目の前の事実。
フィーネが武器を落としている。
オレが武器を持っている。
これは――勝ち、なのか?
「…………」
フィーネが、地面に落ちた自分の剣を見下ろしていた。
それから、オレを見た。
その目に浮かんでいたのは怒りでも悔しさでもなかった。
純粋な、理解不能。
「……な、何を、した……?」
声が掠れていた。
「え、えーと」
何をしたのか。正直に言えば「よくわからない」だ。
しかし「よくわからないけど勝ちました」は人としてどうなんだ。
もっとも、嘘をつくのも無理だ。仕組みを説明しようにも、オレ自身がまだ原理を完全には理解していない。
「あはは」
笑い声が降ってきた。
ベンチの上。リーゼだ。
足をぷらぷらさせたまま、手を叩いている。
「やっぱりね。おもしろいでしょ、この子」
フィーネはリーゼの方を見た。それからオレを見た。また剣を見た。
三点を行ったり来たりする視線が、状況を処理しきれていないことを物語っている。
「じゃ、決まりだね」
リーゼが、ベンチからぴょんと飛び降りた。
「ディート、七席確定。おめでとー」
おめでとー、じゃない。
オレもまだ何が起きたかわかってない。
フィーネは立ち尽くしている。
訓練場に、乾いた風だけが吹いていた。
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