遺体の入っていない棺桶
眩しい笑顔の遺影
参列者の後が絶たない葬式で、お父さんはずっと泣いていた
遺品も全て実家に…轟家に押収され、残った結婚指輪を握り締めて、泣き崩れていた
兄さん達はお父さんに寄り添ったり、退院したばかりの私に寄り添ってくれていた
…そういえば、兄さん達は、葬式でもそれ以外でも…母さんの死で泣いたところを見たことがなかったな
なんでなのか、聞いたこともなかったけど
母さんが死んで、お父さんときょうだい四人になって、生活には困らなくても家庭内にはぽっかりと穴が開いてしまった
その穴はもう埋めることはできなくて
…穴は…埋められないはずで…
………あれ?
お父さん…どうして…そんな、怖い目で、私を見てるの?
2021年12月13日
14時30分
「それじゃあパーシー、また来るわね~」
「えー!またっていつになるんだよ、前は五日前だったよな?」
「もう、甘えたなんだから~」
空きテーブルを拭いていると、そんな甘ったるい会話が聞こえてくる
予め言っておくと、これは決してカップルの会話ではない
でもかなり日常的に聞こえてくる会話でもある
…女性側が毎日違う事を除けば、大体同じ
視線を上げ、カウンター横のレジを見る
もう帰る女性客と親しげに会話しているパーシーは、さすがは欧米人と言うべきか…女性の扱いは慣れっこのようだ
でも、お客様と親睦を深めるのはいいけど、それに熱が入りすぎて仕事が疎かになるのは勘弁してほしいなぁ
という意味を込めて、強めに睨む
その視線に気が付いたパーシーが、不敵に微笑んで手を振る
いや違う、仕事しろって訴えかけてるんです
「えー?なにー?あの店員さん怖いわぁ」
「妬いてるんだよ、ほら、俺達が仲いいから」
「やだ~も~!」
それも違う!一切妬いてません!それはそれとしてお客様を怖がらせるのは駄目でしたね!すみません!
遠くの席でエリーゼとアーチャーが微笑ましそうに(してるのはアーチャーだけでエリーゼは呆れてるけど)眺めている
てか本当に今日もいるんですけど
「はぁ…」
「なんだなんだモエちゃん、溜息なんて吐いちゃって~
幸せが逃げちゃうぞ~」
「あ…ははは、スミマセン…」
近くの席の若い男性が、ニヤニヤしながら話しかけてくる
接客業だから仕方がないが、笑顔を張り付けて対応する
本音を言うと、私はこのお客様が苦手だ
私が出勤すると高確率でいるし、ずっと視線を感じるし、話しかけてくる内容が…こう…セクハラじみているのだ
「一昨日急に休んでたから、俺心配しちゃったよ~…でも元気そうでよかった!」
「は…はは…少々肋骨をやってしまいまして…」
「肋骨!?大丈夫!?折れたりしてないよね?困ったことがあればいつでも俺を頼ってくれていいからな!」
「大丈夫です~…」
テンションが追いつけなくて距離感が近い…今のところ直接接触されたわけでもないし、本当にただの苦手な客でしかない
いつも通り、なるべく塩対応して興味を失わせればそのうち絡まれなくなるはず…
「…ひっ」
「本当に大丈夫?俺はモエちゃんのこと心配してるんだよ~…?」
とか思ってたら、手を、掴まれた
片手で掴み、もう片手で撫でてくる
その手つきや否や、どこかねっとりしていて…いやホント無理だ!気持ち悪いです!
「そうだ、今日こそ連絡先交換しようよ!言ってくれたら送り迎えだってするし、どこにでも連れて行ってあげられるよ?
モエちゃん、バス通勤だよね?」
「いえ、ほんと、結構なんで…!」
今日に限って押しが強い、今までこんなことなかったのに
ていうか、なんで私がバスで通勤してるのを知ってるの
どうしよう、どうしよう、どうしよう…こ、
男の人の手で、男の人の声で、男の人の顔で…
これくらいの力なら、普段なら余裕で抜け出せる
でも…どうしよう、怖い、どうしようもなく怖いの
男の人に、
ただの好意ならなんともない、でも、本能的に拒絶してしまうものがある
その好意が、恋愛的意味になった時…私は心の底から畏怖してしまう
男性から向けられた恋愛的好意が、私は怖くて怖くて堪らない
どうしよう、震えて手を振り払うことも出来ないし、そもそもパニックになってしまってまともな対応方法も思いつかない
誰か、誰か…助けて…!
「ちょっとちょっとお客さーん、うちそういうサービスやってないんで
そーいうのは専門のパブにでも行ってくれません?」
「は…?い、だだだだ!」
怯えて動けずにいると、パーシーが男性客の腕を掴み上げ、私から引き離してくれた
その顔は笑顔を浮かべているけど、凍てつく威圧感を漂わせてる
昨日の、ランサーと対面した時とは違う…あれよりももっと、侮蔑の意を込めた…軽蔑の目
「な、なんだよお前…!俺は今カノジョと喋って…」
「なになに、どうしたの」
「あ、店長ー、コイツ出禁でいいですよね?」
店長も奥から出てきて騒々しくなってきたが、パーシーは有無を言わさず男性客を引きずって出入口へ進んでいく
…お、怒ってる…あのパーシーが…
「いて、いてぇ!放せよ、クソ!なんだよ、ただ店員と楽しく喋ってるだけじゃねぇか!」
「怖がって抵抗できない女の子に無理矢理触るのが楽しいお喋り?アンタ、俺の国じゃ大物になれるかもなぁ
ま、大物になっても普通に嫌われるけどな
俺の親父だってそうだったし」
激高した男性客が暴れるも、パーシーは微動だにしない
力量差が明確に表れている…恐ろしい…
出入口の目の前まで来たところで、ベルを鳴らして扉が開いた
「お」
「…」
ランサーが、私の退勤時間に合わせて迎えに来た
修羅場を目前に、世界が一瞬停止する
「な、だ、誰なんだこの美人は…!」
「おー、萌恵サンの彼氏サンじゃねーの!」
「へ…?も、もも、モエちゃんの…恋人…?」
「違うって!」
パーシーはどれだけ否定しても未だ私達を恋人と勘違いしてるの!?いや絶対わざとだよね!
「彼氏サン、コイツ萌恵サンにちょっかいだしやがってさ
嫌がってるのに手を握ってたんだぜ、イマドキセクハラだよなぁ」
「セクハラ…?」
ハラスメントという概念はまだランサーに教えていないから伝わらないと思うけど(聖杯からそんな知識も授かるのかな?)、ランサーは静かに私の方へ視線を向ける
目が合った瞬間、ランサーの瞳から穏やかさが消えていく
「…彼女を怖がらせたのが、君なんだね」
「な…か、彼氏がいるなんて一言も…!」
「違いますし…」
ランサーもなんで否定してくれないの、ほんとに
「二度と、彼女に近付かないでくれるかい
僕の大切な人なんだ」
うわぁー!!ランサーの素直さでストレートな物言いがかえって事態を拗らせてるぅー!!
「だとよ、諦めな」
「そ…そんな…俺とカノジョは…運命なんだ…!」
「アンタも執拗いなぁ
ほら、出て行きな、二度とうちの看板娘に近付くんじゃないぞ」
一体いつから看板娘になったのか
パーシーが男性客を追い出し、扉を閉める
その一連の流れに意識を向けることも無く、ランサーは一目散に私の元へ歩み寄った
「大丈夫だったかい」
「う、うん…パーシーが助けてくれたから…」
「やっぱり僕も常に傍にいるべきだ、君は愛らしい女性なんだから、言い寄ってくる男は後を絶たないだろう」
「いや、ほんとたまたまだから、そこまで多くないから
あとランサーまでずっと職場にいられると働きづらいから絶対やめてね…」
心配そうに顔を覗き込んでくるランサーを落ち着かせるため、何とか冷静さを取り戻す
いや本当に…パーシーがいてくれて助かった
多分エリーゼ達も様子を伺ってくれていたみたい、ずっと見ていたから
「店長、顔覚えてるよな?もう二度と店に入れんなよ」
「う、うん、わかったよ…」
気の弱い店長も、パーシーの圧のある言葉に気圧されてしり込みしている
でも…ちょっとだけ見直した
いつも女性客とキャッキャと話をして、仕事には半分不真面目な態度をとってばかりいたものだから
「パーシー、本当にありがとう…助かりました」
「ん?いいっていいって、こういう時に動かなきゃ男が廃るってもんだろう?
でもそうだなぁ、どうしてもお礼がしたいって言うなら〜…」
いや、そこまで言ってないんだけど、おかしいな
「俺も、アンタのこと「モエ」って呼び捨てにしていいかい?」
パーシーの口から飛び出してきたのは、案外アッサリとしたお願いごとだった
「…え、そんなこと?」
「昨日彼氏サンが呼び捨てにしてたのを聞いて、いいなーって思ってたんだ!仲良しって感じがしてさ」
この距離の詰め方、歴戦のレディキラーらしい手練手管だ
「……それくらい、別にいいよ」
「やった!つーことでヨロシク、モエ
彼氏サンもな」
「…」
相変わらず、ランサーとパーシーの間にはなんだか居た堪れないような、肌がピリピリするような空気が漂っている
呼び捨てにするのはいいけど、何故そこでランサーにまで挨拶するのだろう
あといい加減ランサーは彼氏というのを否定してくれないかな、私ずっと違うって言ってるの聞いてるよね?なんで否定しないの?
後で問いつめてやる
「モエちゃん、今日は疲れたろう
少し早いけど、上がってしまいなさい」
「え、そんな、いいですよ
昨日も早々に帰らせてもらっちゃったし…」
「店長がこう言ってるから、甘えなよ
じゃ、お疲れ!」
店長とパーシーに気を遣われ、少し申し訳なく思いつつも…その厚意を無下にするのも如何なものかと思い、ありがたく上がらせてもらった
ランサー(とエリーゼ達)には表口で待っててもらい、スタッフルームで着替えて裏口から出る
散々な目に遭った…とまではいかないけれど、ちょっと気疲れしたのは確かだ
現状、聖杯戦争の方は説明会から二日経とうとしてるけれど、街に異変が起きた様子もなくランサーも何も変化を感じ取っていないから、まだいい方なのだろう
本来夜に開戦するとされる聖杯戦争だけど、今回はルールが異なる
日中だって、何が起こるかわからない…気を張らないといけな
「…モエちゃん…」
「え」
肩を 掴まれた
「一体どうしてなんだい、俺と君は運命じゃないか
なのに君は俺の知らない間にあんな人間離れした美人と恋人になっていたなんて、許されるはずがないんだ…君の仕事中も、家へ帰る道も、君を見守っていたのに…いつの間にあんなのと出会っていたんだ!俺達の仲を邪魔するなんて到底許せないよね、君だって俺の傍にいるべきなのに、どうせ顔に釣られたんだろなぁそうなんだろ!?俺の方が君をわかってあげられる君の好きな物もわかってる、この店自慢のアップルパイが美味しそうだからって理由でバイトに来てたまに期限が切れそうなスイーツを持ち帰って食べたりして、勉強もして夜どこかにふらっと出掛けたりああでも年頃の女の子が夜道を一人で歩くなんて危険だから俺も付き添ってあげようとしたんだ、でも君は家から出た瞬間瞬く間にいなくなってるから不思議で不思議で堪らなくて、でも朝になると家に帰ってるしこの店にバイトに来るんだもんね、君が出勤するタイミングを見計らって見守っていたし仕事中も他の男が寄り付かないよう警戒していたのに、一体いつからなんだ?俺の知らない奴が君の隣を独占しているなんて認められない認められるはずがないんだ!昨日か?一昨日か?その前日にはいなかったよね?俺が目を離した隙に君は浮気したんだ、ああそうだ許せない、認められない、信じることは出来ない、だって俺達は運命だから、俺達の赤い糸が引き裂かれていいはずがないんだ!君だってそう思うだろ?今はあの男か女かもわからない奴の美しさに目を焼かれてるだけ、本質は中身だ…俺は君と初めて出会った日から理解していた、俺が生きてきたのは君に出会うためだって!君の優しさも幼さも責任感の強いところも全部理解してる俺こそ君の隣に相応しい男なんだって、どうしてわかってくれないんだ…!!」
なん、なんで、追い出されたあと、待ち伏せしていた…?
スタッフ用の裏口から、私が出てくるのを、待って…?
どうしよう、脚が動かない、声も出せない
怖い、恐い、こわい、こわいこわいこわいこわい
この目、私、知ってる
あの時の…お父さんと、全く同じ
一度喪失を経験した人が、もう二度と同じ気持ちを味わいたくない故の…恐怖と執念
恋情が行き過ぎた、妄執の果て
私はこの目を、知ってる
「ゆっくり距離を縮めようと思ったのに…君が他の誰かのものになるのなら、もう手段は選ばない…
一緒にいよう?俺の方が君を愛してあげられる…」
「……ぁ……ぇ…」
「…なんで頷いてくれないんだ…俺は!こんなに!君を!愛してるのぶぉッ」
恐怖で動けない私を掴んで離さない男性客が、突然壁に打ち付けられた
横から伸びてきた白い手に頭を押さえつけられ、気を失う程度に殴打される
「…あ…らん、さ……」
「大丈夫?マスター」
駆け付けてくれたランサーが、助けてくれたんだ
「この男の気配がまだ近かったから、危ないと思って…君は表口で待つように言ってたけど、こうして来てみれば、どうやら予想は当たっていたみたいだね」
「…ごめん…ありがとう…」
「謝る必要は無いよ、マスターを守るのがサーヴァントの務めだ
さて…彼は一般人だけど、どうしようか」
「それなら、警察に任せればいいじゃない
殺してないんでしょう?この国じゃストーカーは違法だもの」
後から駆けつけたエリーゼが、そう助言する
その背後では、既にアーチャーが警察に連絡していた
何かと仕事が早い
「この人、捕まるの…?」
「まぁそうでしょうね、牢屋に放り込まれるのは確実だと思うわよ」
「それは…」
「まさか、一方的に自分を害した相手にまで情けをかけるつもり?
呆れたものね」
言い淀む私の意図を汲み取ってか、エリーゼは肩を竦めながら続ける
「貴方がその気色悪い男を見逃したとして、もし他の誰かがターゲットにされて、同じ悲劇が繰り返されたらどうするの?
見逃され、罪に問われなければこういう輩は付け上がって繰り返す
温情は秩序を崩壊させる危険性を孕んでいるものよ」
「……」
エリーゼの言う通りだ
謝って終わるのなら警察は必要無いし、私が許してこの人が司法から罰を受けなければ…そうすることで、私以外の誰かが怖い思いをしてしまったら
それこそ、次は取り返しのつかないことになってしまうかもしれない
「五分ほどで警察が到着するそうです」
「アンタも事情聴取を受けるでしょうね
それまで待ってるから、せいぜい素直に話すことね」
「…なんで待ってるの…?」
「あら、今日は何も予定がないの?てっきりこの後、どこかへ調査に赴くのかと思って」
エリーゼはエスパーか、探偵なのかもしれない
一体どうしてそれを、と聞きたかったけれど…私が着替えている間、どうやらランサーから聞いていたらしい
そう、私達はこの後調べる用事がある
昨晩、色葉に連絡した際に、佐久間が拠点としている施設を割り出してもらったから
今日は仕事終わりにそこへ行くつもりだったんだけど…事情聴取は受けなければならないよね
ああ、遠くの方からパトカーのサイレンが聞こえる
「あれ、アンタら何やってんだ?」
丁度上がってきたパーシーもまた、この惨状を見て首を傾げていた
拘束時間にして、凡そ二時間
気絶してる男性客は捕縛され、私と…ついでに手を上げたランサーも一緒に近くの警察署へ連行される
といっても、私達は本当に話を聞き出されただけで直ぐに解放され、ランサーも正当防衛ということで軽く注意を受けていた
警察に指導される英雄…あまりのシュールさに真面目に考えることを放棄した
まぁ今回は私が原因なところがあるし、別に逮捕されたわけじゃないし…さすがに警察に捕まったサーヴァントなんて存在しないよね
ランサーと一緒に警察署の待合室まで出ると、壁に貼り付けられた指名手配書を眺めていたエリーゼがいる
本当に待っていてくれたんだ
「お、お待たせ…」
「ええ、随分待たせてもらったわ」
エリーゼが眺める指名手配書に、私も少しだけ視線を移す
凶悪そうな人相から、穏やかそうな人相まで…多種多様な指名手配犯が張り出されている中、一つだけ顔の映っていないものがある
バイク用のヘルメットを被った、シルエットのブレている写真
下の詳細欄に書かれた罪状は、無差別殺人
顔もわからない殺人犯というのは、なんとも恐ろしいもの…しかも無差別となると、被害者に共通点は無いということ
いつ自分が狙われるかわからない、物騒な世の中だ
「さて、行くべきところに向かうわよ」
「本当に一緒に来てくれるの?」
「何?私達がいては邪魔だとでも言うのね?」
「いやいや、そういうのじゃなくて…」
真意はわからないけれど、エリーゼはよく私についてきてくれる
負けた相手に従う、という理由なら、なんとも漢らしいと言うか、騎士道や武士道に倣った誠実な精神だ
「エリーゼって、優しいね」
「は?いきなり何を言ってるのかしら」
辛口なのは相変わらずだけど
警察署を出て駐車場へ行くと…駐車範囲から大きくはみ出ているリムジンが停車していた
普通の駐車場にリムジンは、縦に狭すぎるもんね…
「さて、住所はどこかしら」
昨日と同様、メイベルさんがドアを開けて中へ誘導してくれて、全員乗り込んだところでエリーゼが切り出した
「中央区六番街…有数のタワーマンションの36階フロア
その階丸々工房に仕立てあげた佐久間の家の人達の安否を確認しに行く」
「昨日言ってた、連絡の取れない家ね
本当なら貴方と協力すべきマスターなんでしょう?」
「そのはず…なんだけど、私実家のほとんどの人達から嫌われてて…」
「ああ、なんだか納得だわ」
エリーゼは備え付けのお高そうなジュースを飲みながら鼻で笑った
あまりにも失礼、私そんなに嫌われるような要素あるのかな…
「マスターは外見も性格も素敵な人格者だ
強いてあげるなら、気まずくなった時に視線が泳ぐのは印象としてマイナス作用があるね」
「だから分析して要らんことまで言わんでいい」
リムジンを走らせて約二十分…街並みが近代化していき、どこもかしこも高層ビルが並ぶ中央区へ入っていった
正確な住所をメイベルさんへ伝えると、幾つかの通りを曲がり、目的のタワーマンションへ辿り着いた
メイベルさんを除く全員が降り、そのマンションへ入っていく
すると、ランサーが何かを感じ取ったようだった
「マスター、ここには結界が張られていた痕跡がある」
「結界…じゃあ当たりかも
…ん?張られていた?」
「今では結界は分解し、霧散している
術者が意図的に解除したものじゃない、自動的に解除してしまった魔力の流れだ
恐らく、術者の魔力が絶たれた可能性が高い」
それは、つまり…何らかの出来事により結界の魔力を維持できなくなったってことだ
只事ではない気がする
「小娘、上だ
上から、死の匂いがする」
無二が、私の耳元で呟いた
無二が感じ取ったのなら、それは正しい
生命体から魂が抜け、ただの有機物質になった時…つまり
多くの人はそれを感じ取ることはできないけれど、無二はそれを「匂い」で感じ取る
動植物は魂が宿る肉体に残る情報は多くない…けど知的生命体である人間は、魂の名残が肉体にも多く残される
余燼のような残滓が、生命活動が停止し腐り行く肉体と混ざり合い、独特な死の匂いを醸し出す
無二は、それを嗅ぎ分けたんだ
もしかしたら、その匂いの根源は…
「…行ってみよう」
私達はエレベーターに乗り、36階まで登る
魔力の流れとか、そういうのは私には全然わからない…けれど、なんだか、空気が重い気がする
嫌な予感、ただの直感…それが、高レベルの危険警報を鳴らしているような
「血の匂いだ」
ランサーが、呟いた
36階へ到着する
自動的に開くエレベーターのドアの向こうから、匂いが漂う
「…腐敗臭だ…」
「…本当に?臭うの?」
師匠に鍛えられた五感のうちの嗅覚が、その異常な匂いを感知する
エリーゼはまだわからない様子だが、フロアの廊下に降り立った時点で確かに臭う
幾つかの部屋があるけれど…半分以上の部屋から、その匂いは感じ取れる
「ここにも結界が張られていた痕跡はある
けど、この匂いから察するに…術者が死んだから、自動解除されたのかもしれないね」
どうやら予感は的中していたみたいで、もう全て手遅れだったみたいだ
でも、確認するまではわからない
誰か…生き残りがいるかもしれない
「…入ってみよう」
まず、手前の部屋から
ここと、最奥の一室…そこから漂う血と腐敗臭の正体を確認するため、私は扉に手をかけた
幸い鍵は開いており、鈍い音を立てて扉は開いていく
まず見えたのは…血痕
滴り、道なりに続いていく、固まった血の跡
「…これは」
「エリーゼ…悪いけど、他の部屋を見てきてもらっていい?
多分…同じだ」
部屋の奥を見据えたまま、エリーゼに声を掛ける
エリーゼはそのまま静かにこの部屋から出て、奥の部屋へ向かってくれた
私はランサーと共に、血の跡を辿って…個室らしき部屋の前へ辿り着く
「ランサー、どう?」
「生者の気配はない
中にあるのは…死体だけだ」
ハッキリと言い切ったランサーに、私は脊髄から体温が消えていくような感覚がして…一度だけ、深呼吸をして、ドアノブを握る
ゆっくり扉を開けると、電気の付いたままの個室の中には、一際大きな血溜まりと…既に一週間は経過してるであろう、腐敗した男の死体が転がっていた
「……っ!」
少し大きめの、曰く付きの品々が多く並ぶ部屋の中
血溜まりに隠れた赤い線画の召喚陣は、紛れもないサーヴァントを召喚するためのもの
「ぅ…っ…」
「マスター、無理のないように
辛かったら、部屋から出てもいいんだよ」
死体があることはわかっていたけど、覚悟をしていたとしても実際に目の当たりにすると、やはり苦しいものがある
充満する鉄の匂いと、腐敗臭が鼻腔から喉奥へ侵入し、嗅覚と視覚からなる生理的な拒絶反応から胃液が込み上げてくる
それを無理矢理呑み込み、数度深呼吸する
「…大丈夫
これは、私も関係する問題だから、向き合わないわけにはいかない」
「…そう」
心配してくれるランサーの困った表情を眺めつつ、遺体の下敷きになってる召喚陣に目を向けた
「これ、サーヴァントの召喚陣だよね
起動の痕跡はある?」
「…微弱ながら、魔力が残っている
恐らくはサーヴァントの召喚に成功していたんだろうね」
「じゃあ、これは…召喚されたサーヴァントがやったの…?」
「…いや、腐っているけれど、傷口に魔力の痕跡はない
魔力のない現代兵器による殺害…胴体に数発の弾丸
これは、第三者による襲撃と見ていいだろうね」
ランサーが死体に触れるか触れないかくらいの距離で解析している…スキャン、みたいなものだろうか
調べていると、エリーゼ達が戻ってきた
エリーゼの方も、険しい顔をしている
「…駄目だったわ、こっちも死んでた
奥の三部屋、合わせて六人
貴方の言うサクマって人達?」
「…うん、爛れてるけど、見覚えはある
多分、この人は佐久間の代表の実弟だ
一家総出でサポートする為に集まってたみたい、だけど…」
「召喚した瞬間に襲撃されたようだね
右手がない、きっと手ごと令呪を回収されたんだろう」
そう言うランサーの視線の先には、
「大人はおろか、子どもの遺体もありました
一族郎党皆殺し…と言う感じですかね」
代表一家と、マスターとして参加するはずだった代表実弟と、その他の佐久間の家族…暖房機器で腐敗が早かったのか、肉が溶け落ちた有様が、全部で七人
子供までまとめて、なんて…あまりにも惨すぎる
「聖杯戦争の参加権を強奪、ね…
でも徹底的すぎるわ
参加権だけなら、この召喚者だけ殺せばいいもの」
「…一族を狙った犯行…?佐久間は企業競争で恨まれててもおかしくないけど…」
「争った痕跡は少々ありますが、激しいものではありません
恐らくは、勝負にならなかった…実力差に圧倒されたのでしょう
力無き女性や子供もいますが、これほどの人数を殺したのであれば相当の手練れでしょう」
アーチャーの分析は、恐らく正しいのだろう
佐久間の人間は、力量差こそあれ由緒正しい魔術家系だ
私なんかよりもずっとずっと魔術に長けている
そんなマンションの入り口、フロアにも二重に結界を仕掛けるほどの用心深さもありながら…犯人は七人全員殺し、召喚されたサーヴァントと令呪を奪っていった
この部屋は派手に散らかった様子もなく、この人も倒れた姿勢から見て恐らくは即死
こんなに手際良く一連の犯行をやってのけるなんて…只者じゃない
「情報はインプットした
痕跡の気配を辿ることはできるよ、どうする?」
それは…佐久間の人達を殺した犯人を、追える…ってこと?
冷や汗が額を伝う
ここにいる三人の視線が、私に向けられる
決定権は、私が握っているんだ
…それなら
「……ランサー
捜して、くれる?」
こんなことをする危険な誰かを、放っておくことはできない
次に何をしようとしているのか、少しでも探れるのなら、そうした方がいいはずだ
ランサーは静かに魔力を大気中に浸透させる
空気の粒子一つ一つが、音の波が、光の速度が…存在するあらゆるものがランサーに情報を伝達させる
そして、ランサーが伏せていた目蓋を上げた
「…見つけた
これは…ここから東の方角、サーヴァントもいるけど…」
「けど?」
不穏に続く台詞の先を催促すると、ランサーは淡々と、嫌な事実を申告してきた
「
魔術師とサーヴァント、二人ずつ…民家に集まっている」
「マスターとサーヴァントが、二組…それは、単独犯ではないってこと?」
「どうでしょうか、少なくとも殺害の手口は同一ですが」
たった一人で犯行を遂行したにしては確かに鮮やかでスムーズすぎる
実行犯は一人と見ても…協力者がいてもおかしくないんだ
「…どうするの、萌恵
貴方の身内がこんなに殺されているんだから、敵討ちをする名分はあるわ
ただ…相手の実力、サーヴァントの性能が未知数な中すぐに襲撃するのは得策とは言えない
でも、私のアーチャーなら、単独行動スキルがある
単独で調査に行かせるくらいなら、出来るわよ」
エリーゼからの提案に、私は思い悩む
サーヴァントと、そのマスターである主犯格…そして恐らく協力者含めて四人を相手に、アーチャー一人で行かせてしまっていいものなのだろうか
不安が勝り、アーチャーに問いかける
「アーチャー…エリーゼはああ言ってるけど、貴方はいいの?」
私の問いに、アーチャーはただ柔らかに微笑み、精錬とした所作で頭を下げる
「私は曲がりなりにもサーヴァントですから、ご安心ください
こんな惨状を生み出すような者は、我がマスターにとっても危険ですからね
仮に、敵に見つかって戦闘になってしまったとしても、何とか逃げ延びて見せましょう」
「アンタ、そこは全員倒すくらいの気概を見せなさいよ」
「ははは、自信家ではありませんので」
思ったよりも余裕そうな態度に安堵しそうになる
違う、朗らかに見せることで、私の不安を和らげようとしてくれたんだ
でも…ここまで言ってくれるアーチャーの覚悟を無駄にするのも、きっと良くないのだろう
よし、私は決めた
「アーチャー、斥候として、この惨状の犯人を調べて来てくれないかな」
私の頼みに、アーチャーは快く受け入れ、部屋を後にした
視察報告はエリーゼが教えてくれるだろう、私達ももうこれ以上この場にいる必要はないのだけど…
「彼らはどうしようか
このまま放置しては、彼らの魂も浮かばれないだろう」
「聖杯戦争が絡んでる以上、警察に通報するわけにはいかないわ
こういう時は、監督役に報告しましょう
聖堂教会だって神秘が露見してしまうのは防ぎたいはず、だからこその監督役だもの」
一昨日の説明会の時にいたシスター・ジャンヌ…監督役である彼女の顔が浮かび、なるほど、事後処理は監督役に任せるのかと納得した
聖職者なら、彼らの魂が迷わないように丁寧に弔ってくれるだろう
「それなら、ここを出る前に一つだけ、良いかな
すぐ終わるから」
エリーゼとランサーは承諾し、私達は廊下に出た
善部屋に通じる廊下から、私は両手を組んで目を閉じた
私の実家…轟家という膨大な血族には、いくつもの独自の風習がある
冠婚葬祭全てに独特な習わしが存在し、血縁者が死んだ時は葬儀の場で喪主がある言葉を言うことが取り決められている
私は喪主になったことはないけれど…当時園村家の長男たる嘉威兄が、これを覚えさせられ、長々と唱えていたのを見ていた
母さんの葬式の日、本来なら火葬中に唱えるものだけど、母さんの遺体は戻ってこなかったから魔術的価値のあるもの以外の私物を燃やした際に兄さんが唱えていた言葉
「主なる母よ、遠き星の果てに
ここに、命の営みを終えたもの、七つ
是等御霊の往く道を照らし、導き、御身の元へ還ることが叶いますようお頼み申し上げます
彼の魂、邪悪に非ず
彼の魂、卑劣に非ず
彼の魂、貧困に非ず
彼の魂、精錬で在り
彼の魂、高潔で在り
彼の魂、無垢で在ることをここに示すことをお許しください
痛みは過去に、苦しみは砂に、悲しみは凍てつく大気となって貴方様の元へ集いましょう
大いなる血脈の一滴として生まれ落ちた我らに、ひとときの別れの後に母の御許にて再会できることを願っております
主なる母よ、遠き星の果てに
彼の七つの御霊が、その人生を終えた先に己が生を見つめ、やがて安寧へ辿り着くようお守りくださいませ」
唱え終え、一息吹きかける
こうすることで、彷徨う血族の魂が行くべきところへ行けるようになるのだと、兄さんは言っていた
真実かどうかはともかく、迷信だとしてもこういう風習は大切にした方がいいと思う
何より彼らは、葬儀が行われるかどうかもわからない
ならば今、言っておいた方が…死んだ血縁の皆が、少しでも安らぐかもしれないから
「…終わったのかい」
「うん、ごめんね、待たせてしまって」
静かに待っていてくれたランサーとエリーゼに向き直り、皆でこの場を後にする
どうか、あの人達が無念に苛まれ、苦しまずにこの世を去ることができますように