病院上空に到着し、ランサーはゆっくり降下する
そのまま一通りの少ない建物の影の地点に降り立っては、私を丁寧に下ろしてくれる
「ありがとう、重くなかった…?」
「マスターは羽のように軽いから安心して」
そしてナチュラルスマートにこんなことを言う
世の女は一発で骨抜きにされること間違いなしだろう
…と、それどころでは無い
病院の正面口前を覗くと、時間帯が時間帯なので退勤者が次々と病院を出ていく
裏口も同様で、車が何台か出ていく
現状は何も起きていないみたいだ
「ランサー、さっきの気配の位置は…」
「まだ距離はあるけど、こちらに向かってきているね
このままなら、恐らくあと十分ってところだろう」
十分…余裕はあるけど思ったよりも早い
この猶予あるうちに、私達にできることは何があるだろう
まずはかごめくんに連絡しないといけない
スマホを取りだし電話をかけると、さすがと言うべきか、すぐに出てくれた
『はいはいもしもーし!姉さんから連絡してくれるなんて嬉しー!
何があったんすか?』
「今そっちにアンちゃんを殺そうとする敵が向かってる
私も病院に着いたけど、恐らくあと十分で襲撃される」
『へ!?しゅ、襲撃!?なんでっすか!』
「いろいろ説明したいけど、落ち着いて話が出来る状況じゃないの
簡単に言うと佐久間は全滅、マスター権限を奪った犯人がサーヴァントと協力者と一緒に病院を狙ってる
かごめくんはアンちゃんのそばにいて、守ってあげて」
『わ、わかりました!』
簡単に言い残し、電話を切る
バーサーカーとかごめくん…そして彼のサーヴァントのアサシンがいれば、裏を掻いて奇襲されても多分大丈夫
問題は…正面からそのまま襲撃された場合
もし無関係な人達が攻撃されるような事があれば…それは絶対に阻止しなければいけない
せめて、退勤中の人達が全員病院から出てしまえば、広い駐車場が使える
とすれば…
「…やってみるか」
「何を?」
「人払いの結界
一応、師匠から教わってはいる…けど、私自身魔術の才能ないから、どこまで効果が出るかわからないけど…
時間が無い、術式の起点となるポイント四箇所を抑えたいけど、病院の敷地が広いから私の脚でも間に合うかどうか…」
残り七分、多少の増減を見積もっても、術式を書くのに一分、外周を三分で回れるかはギリギリだ
「僕が抱えて飛ぼう
上から見た感じだと、三秒で回れる」
「ならお願い!」
私は早速近くの木の陰になっているコンクリートの隅に、術式用インクを取り出して指で術式を描いていく
力ある術者は用いる道具を選ばないが、力なき術者は用いる道具が限られるとは師匠の談
このインクは墨と私の血液を混ぜた独自のもので、師匠曰く効果は短いが純度が高く強力な効果が得られる、とのこと
だから起動した後は、手早く敵を追い返すか…戦闘不能にさせなければいけない
サーヴァント相手は、ランサーに任せよう
とすると、マスター相手には…?
先の惨状から推察しなくても、戦闘の得意な人間で、しかも銃撃戦が主だろう
駐車場に誘導したところで遮蔽物の少ない場所で銃撃戦をするのは中々難しいけれど、師匠に鍛えられた私だって戦えないわけじゃない
というか、やるしかないんだ
「ランサー、次の場所に行こう!
裏口付近までお願い」
「わかったよ」
ランサーは再び私を軽々と抱え、飛び上がる
本当に瞬く間に裏口まで到着した
入退場のゲートの脇に同じように術式を描き、また次のポイントへ
「…よし、最後は正面入り口だ
そこで術式を描いて、迎撃しよう」
ランサーはすぐに私を抱え、正面口まで運んでくれた
残り凡そ二分…大丈夫だ、もう既に三回も術式を描いているから、慣れた手つきで素早く描ける…
あと少し、そんな折に、ランサーが動いた
「マスター!」
ランサーの呼び声と共に、衝撃が走る
轟音と共に広がる衝撃波に、吹き荒ぶ魔力の波形
鍔競り合う金属音は、ランサーの腕から…変形した剣から放たれていて
その腕の剣と押し合っている、本物の鋼の剣
「ものの一秒で距離を詰めてくるなんて、素晴らしい脚力だね」
「ちっ、防がれちまったか!」
ランサーが振り払うと、剣の持ち主…赤い鎧を身に纏った男が、数歩離れた地点に下がっていく
襲撃だ…敵のサーヴァントの!
「マスター、術式の方は」
「あ…あと一節…これで!」
ランサーが守ってくれたから、私は術式を描ける
ランサーが守ってくれなければ、私は死んでいた
その事実に気が付き、神経に雪でも詰め込まれたかのように指先まで冷えていく感覚がする
走る緊張感に震えるも、微かでも歪ながらに術式を描ききって…
「
術式に魔力を流し詠唱を唱える
描いた術式は蒼色を帯びて起動し、結界は完成した
ただし…設計者が私だから、効果は持って十五分と言ったところなんだけど
「なんだぁ…?結界か
マーリンみてぇなことしやがるな」
赤い剣士は剣を肩に抱えながら、宙を見る
魔力の流れが隔絶されたのを視認できるのか、神秘にはそれなりに詳しい英霊の様だ
…というか、マーリンって…まさか、アーサー王伝説の魔術師マーリンのこと?
それって…かなり真名のヒントになるんじゃ
「セイバー、余計なことを口にするな」
「おっと…申し訳ありません、マスター」
セイバー、と呼ばれた赤い騎士の背後から、黒尽くめの大男が現れる
体格からして、200センチ近い…威圧感と冷徹さが混ぜ合わされた風貌は、思わず生唾を飲み込むほどに恐ろしい
「先のネズミの仲間か
あのパーティーにいた奴らだな
先回りし、人払いの結界を用意する…判断力、実行力は称賛に値する」
男は静かに拍手し、私を見る
光の宿らない漆黒の瞳が、底なしの沼を体現しているようで、身の毛がよだった
周囲に他の人は見当たらない…結界が起動してる今、魔術に理解のある魔術師以外は病院の敷地外に出たか、院内にいるはずだ
協力者は別行動か
「ランサー」
「もう一組は裏に回った
こちらは陽動、囮のようだね」
「ほう、そのサーヴァントはそんなことまでわかるのか
これは、なかなか骨が折れそうだ
…だが、囮と言うのは誤りだ」
男が、懐から拳銃を取り出す
銀色の銃身、スライド式の自動拳銃、50口径の銃口…最強と名高い、デザートイーグル…!
「俺の前に立ち塞がる障害、その全てが標的だ
そして、聖杯を狙うマスター、その全て」
佐久間の遺体に残っていた弾丸は、50AE弾
あの拳銃に装填可能な銃弾と同一
つまり、この男が…!
「マスター!」
ランサーの声に、ハッと気が付く
銃弾の発砲音が響くと同時に、セイバーが踏み出す
その力強い踏み込みは、瞬く間にランサーの目前に迫り、同時に金色の弾丸もまた私の視界の中心に迫りくる
およそ、コンマ0.5
人間が認知できる速度ではない
それでも私はそれを目で追うことができる
弾丸の撃たれる流れ、その始まりと終わりは、私の目に映る
「…ほう」
私は最小限の動作、半歩横へ踏み込むことで飛び込んでくる弾丸を回避した
弾丸は私の背後を一直線に突き進み、やがて駐車場を囲む並木の中心に着弾した
「弾丸を視認してから回避するとは、反射神経はそれなりに良いみたいだな
度胸もある、期待しても良いかもしれんな
セイバー、ランサーを任せる」
「御意」
男がセイバーに指示を出すと、再び斬り込んできたセイバーの剣をランサーが受け止める
サーヴァントにはサーヴァント、マスターにはマスターで、分断して戦わせるつもりか!
「マスター!」
「おっと、お前の相手は俺だ!」
ランサーはセイバーの妨害により、私から距離を離される
私を気にしてくれているけど、セイバーの攻撃は重く、そして戦い慣れているからか的確に動いている
「ランサー!こっちはいいから、セイバーに集中して!」
私がそう叫ぶと、ランサーは一瞬だけ頷き、セイバーの方へ向き合った
ランサーはいざとなれば確実に私を助けてくれる、そこに疑いはない
だからこそ、私が危険になる瞬間まで…私は私にできる戦いをする
この男の目的はアンちゃんだけでなく、アンちゃん含めた病院を守る私だ
聖杯を狙う者として他のマスターを狙うなら、目の前の男も私を殺したいはず
もう一方の協力者の方が迫っていることをかごめくんに伝えたいけど、余裕がない
どうにか隙を生まなくちゃ
「ほう、ただサーヴァントの影に隠れるマスターではないのだな」
男は先程と一寸も違わないフォームを維持している
デザートイーグルはその威力に相応しく、反動も大きい…それを片手で、射撃後も微動だにしないなんて
「貴方が、佐久間の人達を殺したんですね」
そう問いかけると、男は静かに口を開いた
「答える義務はない
だが、隠す必要もない
そうだ」
一切の揺らぎのない視線、銃口
殺すことに躊躇いのない、殺したことに罪悪感のない、殺戮者の目
私はこれを見たことがある
人は誰しも、命を奪うことに心を痛める
小さな虫や動物から始まり、それらを殺すことに一度でも心を痛めたのなら、自分と同等の人間を殺すことに多大なストレスを感じる
でもこの人の目は、それがない…最初から、命を奪う事への業を感じない人だ
それは…私の師匠と同じ
あの人も、時折同じ目をしていた
「聖杯が必要だというのに、枠は埋まったという
ならば、奪う他あるまい」
「人を殺してまで叶えたい願い…なんで、そんな」
「それは語る意味がない
騙るという事は、理解を求めること
殺害の事実を理解してもらうことは言い、だが理由まで理解を求めることはない
だから、貴様も不要だ、娘」
弾丸が、射出される
私は眉間に狙われたそれを右に踏み込むことで回避し、近くの車の影に身を隠した
今の
銃を射撃するのに、指先に力を籠める必要がある
指先へ力を込めるためには、腕に力の伝道があるはず…それなのに、一切筋肉の動きがなかった
魔力の流れも恐らくなかったと思う…まさか、引き金を引くほんの僅かな直前のまま姿勢を維持してるっていうの?
あのデザートイーグルで…?
そんな脳筋プレイ、さすがに変態すぎてドン引きなんだけど…!?
「隠れてばかりではどうしようもない」
隠れていた車の窓ガラスが頭上で粉砕される
降り注ぐガラス片をフードで遮り、ひとまずかごめくんに連絡する
声を出したらバレるから、文面で「交戦中、もう一組が裏からそっちに向かってる!」と送信する
この状況で見ないことはないだろうから、ひとまずスマホを仕舞う
(無二、今ある武器で戦えそうなやつ出して)
影の中の無二に呼び掛けると、コートの袖口の影からいくつかの武器が吐き出される
無二は私の影を通じて立体化する
それと同時に、影は無二の領域であり、腹の中でもある
影に通じる無二の体内には、様々な武器を蓄えてある
今無二が出してきたのは最近搬入したばかりでまだ試し撃ちすらできていないリボルバー…パイソンだった
「こ、これであの変態射撃に対抗しろと…!?」
「なにをぶつぶつと言っているんだ」
発射された弾丸三発が、車のボンネットを突き破り、エンジンフートに着弾する
熱を持った弾丸がエンジンの中に侵入すれば、起こることはただ一つ
「…!」
咄嗟に車から離れるも、瞬く間に爆発が起き、私の身体は爆風に煽られ吹き飛ばされる
若干肋骨が痛むが、これくらいは大したことで…はあるけれど、大したことない
爆炎と煙のお陰で視界は遮られているだろう、私からもあの男の姿は見えないが、あの男からも見えないことなんだから…
「うわ!?」
そんな事を思っていると、足元に弾丸が着弾する
コンクリートの地面が抉れる威力、オーバーキルの合理性のない銃として嘘はない
くぅ、かっこいいなぁ…!じゃない、違う違う
今の私の声を聴き分けてか、近いポイントに弾丸を撃ってくる
数歩退がるとさっきまでいた位置に弾丸が着弾する
彼、相当耳がいい…気配を消すのは得意だけど、より一層物音に気を付けないといけない
今は爆炎を纏う車の向こうから撃っているけど、こちらに歩み寄ってきているだろう…今のうちにまた身を顰めないといけない
私はコンクリートに残る砂、自分の呼吸にまで意識を集中させ、次の車両の後ろに身を隠した
一方、ランサーはセイバーの剣をいなし、同時に自身の魔力を練り上げて作り出した複数の剣の模造品を射出する
土塊から生まれても性能は同一である武具の散弾を、セイバーは真正面から切り伏せ薙ぎ払う
「ほう、面白れぇ芸当だ
見たところ固有の武器は持たないようだが、武器を作れるスキルでも持ってんのか?」
「いや、宝具の一環だ
ただ、僕の魔力だけで作っているから数も強度も劣るけどね」
「おいおい、そんなに簡単に喋っていいのか?真名がバレちまうぜ」
「先程君も知人の名を出していたから、これくらいがフェアじゃないかい」
「
猛るセイバーは瞬間的な魔力の出力を上げ、ランサーに斬りかかる
ランサーも冷静にそれを防ぐが、先程よりもぶつかり合うエネルギー量が格段に上がっている
ランサーにとって、決して不利な戦いではない
この街の仕組み、マスターとのパスによるステータス…様々なデバフはありながらも、ただ「殺す」だけならば結界が解ける前に終えられる
しかし、自身のマスターがそれを受け入れるかどうか、それが問題だった
ランサーはマスターに従順なサーヴァントであり、マスターの安全、マスターの願いを叶えることこそ本命である
どこまでも機械的で、
そんなランサーにとって、マスターのこれまでの行動からみて、殺生は本意ではないことを理解している
それでいて不可解でもある
先程死体を目撃したのに、ショックを受けていながらも極めて冷静に近かった
死を初めて目の当たりにしたようには見えない…恐らくは、いくつか見てきたからこその忌避
であるならば、マスターの望まない結果はなるべく避けたい
既に死した英霊であれ、今を生きる人間のように接する彼女が…英霊の死を見たらどう思うか
幻滅されるのは、嫌だと
何故かそう思う
おかしい、なにかが…この街に召喚されたランサーは、ところどころズレが生じているようだった
しかし今はそれに思考を裂いている状況ではない、目の前のセイバーを対処すべきだ
得られる結果で最良なのは捕縛、現状可能性として期待できるのは敵の撤退だ
裏に回り込んだもう一組は、かごめが対処しようと動いているのをランサーも感じ取った…侵入するという事は、正面からの戦闘が不得手と言う証拠
派手に動くセイバーと、ひそかに動くもう一組…残るサーヴァントからして、キャスターかライダーのどちらか
かごめらが無事迎撃に成功してくれれば、セイバーとそのマスターも身を引くかもしれない
問題は、今相手している彼らが協力者を見捨てて戦闘続行した場合
結界の効力は見積もって残り十分、効果が切れれば騒動に気が付いた聖杯戦争に無関係な人間が出てきて、巻き込まれるかもしれない
それだけは回避しなければならない
ランサーは鎖を用いるサーヴァントで、こと捕縛においてはあらゆるサーヴァントに右に出る者はいない
だが、神秘の無い時代に生きたであろうアーチャーは抵抗できなくても、このセイバー相手には恐らく通じない可能性がある
ランサーの鎖は、神を縛るもの
神性が高ければ高いほど、その拘束力は増す
だが神性の持たない相手にはその特殊な効果の発揮されないただの鎖に過ぎない
そして何より、このセイバーは特殊な条件で発動可能なバフスキルを用いている
それにより今直接縛ったとしても、力技で抜け出されるだろう
さらには、セイバーは恐らく神秘の残る時代を生きた英霊だ
時代はかなり違えど、神秘への対応に慣れている者では恐らく縛られる前に凌ぎきられる可能性が高い
幾度か剣を交え、ランサーは確信している
まずは戦闘を繰り返し、決定的な隙を生んでから…捕獲する
「しゃらぁぁあ!」
セイバーの剣が更に重くなる
瞬間的な筋力増加か、魔力で形成したランサーの腕から伸びた剣が砕かれる
そのまま頭を砕かれるほどの強力な一撃…だがランサーは軽やかに身を翻し、瞬発的な加速でセイバーの胴体を真横から蹴り入れる
瞬く間にセイバーは吹き飛び、並木に突っ込んでいった
幹が折れ、倒れ往く木に謝罪の気持ちを持つランサーだが、次の瞬間には再び警戒する
「だっはっはっは…!いいないいな、こういうのだよ…!
正真正銘タイマンでの決闘!これが俺の望んだ戦だ!」
土埃から姿を現したセイバーは、口の中に残った血を吐き出しながら立ち上がり、豪快に笑った
「オイお前!どういう仕組みかわからんが相当古い時代の英霊だな!
俺はセイバー!獣を追い戦いを求める騎士だ!お前は!?」
「…ランサーのクラスのサーヴァントだ」
「槍兵だぁ!?槍なんざ持ってねぇじゃねぇか!本当に面白れぇ奴だなお前!」
「良い意味で、そう言ってくれているのだと受け取るよ、ありがとう」
少なくともセイバーは豪傑で気分のいいサーヴァントだ
病院の襲撃は、マスターの意向が主だろうか
ランサーは自身のマスターを見習って、交渉に出てみることにした
「何故、病院を襲うんだい」
「あん?ここに他のマスターがいるからだな
俺としても聖杯は欲しい、マスターがいるという事はサーヴァントもいる
強い奴とタイマンしたいんだよ、俺は
ただ、力のない民草を無差別に襲うわけにはいかねぇ
これでも王だからな、俺は」
どうやら、セイバーも一般人を傷つける意図はないらしい
「しかし君のマスターはそうもいかないみたいだ
血の匂いが強い、多くを殺してきた人間の様だ
君ほどの英雄が、付き従うものなのかい」
「あー…まぁ、そうだな
召喚されたときには、もう本来のマスターだったであろう男は死んでいた
俺には叶えたい願いがある、そのためにはろくでなしにも付き合うさ
俺だって、ろくでなしだからな」
そう語るセイバーの目に、微かな淀みがあった
願いを持つ者が、聖杯戦争に参加できる
ランサーには持ち合わせないそれを、セイバーだって携えている
それを諦めろ、という事はしない…ただ、引き下がることもしない
「そうか、君がどうしても願いを叶えたいというのなら僕も立ち塞がるまでだ」
ランサーは手を掲げた
ただそれは、セイバーに対してではなく…異なる方角
「…?なにを…
まさか…!」
「僕も、マスターが大切だからね
君の期待に応えられないことには、謝罪しよう」
「…」
セイバーのマスター、ゼブラムは燃え盛る車の横を通り、その陰に回り込む
さすがにもうその場にランサーのマスターたる少女はおらず、煙と炎で視界が遮られている隙に他の車の影に身を顰めたか
彼は耳に自信があったが、そんな彼の耳にも拾えないほどの小さな物音で移動することが可能な人間がいるとは、彼にとっても驚きだった
「お前のことは調査済みだ
ランサーのマスター、園村萌恵
日本の名家、轟一族の分家の末端
かの鬼才、轟心の末娘だが、魔術回路は少なく魔術の才は無し
父は殺人未遂により逮捕、兄三人は轟一族の本家と分家それぞれへ引き取られ、一人残され園村の跡継ぎとなった」
ゼブラムは口滑らかに彼女の経歴を事細かに語っていく
彼は裏社会に生きる殺し屋で、その情報収集能力はいかに神秘の秘匿を掲げる魔術師でも筒抜けである
彼は、聴力に秀でている
数百メートル先の音を聞き分けられるし、防音癖や結界など彼にとっては妨害にならない
その他、裏社会特有の情報網を駆使し様々な極秘情報を入手してきた
経歴を語るこの行為も、彼女の動揺を誘うため
冷静さを欠かせ、集中力を削り、物音を出したその瞬間…ゼブラムのマグナム弾が車の壁を貫通し、彼女の肉体を破損させる
「孤独となった貴様はとある殺し屋に拾われた
俺と同じ、同業者…左京侑魂
どこに行ったのかと思えば、日本にいたとはな
左京から殺しの技術を叩き込まれた貴様は、轟家の命令で聖杯戦争に参加
なるほど、因果応報というわけだ
貴様の母親も、日本の冬木で行われた第四次聖杯戦争の参加者だったからな」
その瞬間、足音がした
コンクリートの凹凸と、そこに並んだ砂利を踏むことで鳴る摩擦音
ほんの微かな摩擦音すら聞き分けたゼブラムは物音の下方向へ銃口を向け、引き金を引く
その間に要した時間は僅か0.2秒、車体を貫通し車の向こう側へ着弾するまで0.15秒
合計0.35秒で回避出来る人間など存在しない
撃ち抜いた手応えがあった
ポタポタと滴る音もあった
相手に負傷を負わせた確信を持って、ゼブラムは撃ち抜いた車の方へ歩いていく
反対側まで回り、確認すると…そこには、誰もいない
赤黒い液体が地面に散らばっているだけである
ただそれは、確実に血液であり、血液ではないもの
それは…鉄の匂いの混じる、インク臭
そして液体の上に広がる、粉々になったガラス片の煌めき
ゼブラムが撃ち抜いたもの…それは、彼女が所持していたインク瓶
結界の術式を描くために使用していた、彼女の血液を混ぜた代物である
目の前に広がっているものが本物の血液ではないことを悟ったゼブラムは、周囲の音を警戒する
だが…彼女は遠くへ逃げていたりなどしていない
すぐ真横にいたのだから
ゼブラムが車体の上へ銃口を向けるよりも先に、こめかみに冷たい銃口が突き付けられる
形からして、リボルバー銃…こちらもまた強力な弾丸を放つ、パイソン
視線のみを横へ向けると、障害物となっていた車体の上に降り立ち、低姿勢から完璧な姿勢で銃を向ける彼女…ランサーのマスター、園村萌恵がいた
引き金には指がかけられており、あと一ミリ指を引けば弾丸は放たれることだろう
銃口を向ける途中の姿勢のまま動くことが許されないゼブラムは、一本取られたことを自覚する
そして、ありのままの賞賛を口にする
「素晴らしい、さすがは左京の仕組んだ娘だ
動く動作に一切の音も気配もない…生来の気配の薄さか?
否、気配が薄い所の話ではない…これは、気配が無いに等しい
そこに存在しているのに、存在していないかのような…逆だな、存在していないのに存在している、そんな風に錯覚する」
「思ったより饒舌なんですね、貴方
私の事どれだけ調べたか知りませんけど…師匠とまるで知り合いみたいな口振りで」
「みたいな、ではない、実際に知人だ
俺が如何に裏社会で名を上げようとも、彼奴には叶わなかった
知っていると思うが、彼奴はこの業界において
依頼した次の日にはターゲットを殺す、どれほど重圧な防護すらも潜り抜けて瞬殺する…稲妻のような御業
母国の言葉から、神話における最強たる雷神を冠して与えられた二つ名だ」
彼女は師と仰ぐその男の話を聞いて、微かに表情筋を強ばらせた
「あの男が鍛え上げた後継者…確かに、動きの速さと正確さは見事と評せざるを得ない
だが…心の方は、戦場ですぐに殺される半人前以下だ」
ゼブラムが迷わず腕を再び動かし、手にしたデザートイーグルの銃口を彼女の頭部の中心へ向けた
その動きに即座に反応できない彼女ではない
だが…師の話を聞いて、微かに精神に隙が生まれたのは確かだった
弾丸を撃ち出すも銃口を避けようとした動きでその軌道はほんの僅か、2ミリの誤差を生み、弾丸が撃ち出された瞬間にはゼブラムもまた回避のため僅かに頭の角度をズラした
それにより弾丸は確かに彼の頭部の中へ侵入したが、脳と頭蓋の隙間を直線に貫通することで、脳への損傷を回避させた
パイソンが撃ち出した357マグナム弾は初速が早く、貫通力に優れているが、弾丸が破壊力を持つタイミングに到達する前にターゲットを貫通してしまう
殺傷力の低さを利用し、致命傷を回避したゼブラムは銃の引き金を引く…のではなく、咄嗟の回避というコマンドと射撃を同時選択したが故に生まれた隙を利用し、もう片方の腕で彼女の腕を掴む
そのまま銃口を逸らさせるのと同時に地面へ引きずり下ろし、腕を後ろにして組み敷く
細身の少女の腕を捕縛し、その上に跨り、後頭部に銃口を突き付ける
鮮やかな身のこなし、腕が握り潰される程の剛腕の力…少女は早く動けても、筋力がそれほど無い
その為、この筋力に捕まってしまえば抵抗する術がない
「チェックメイトだ」
「…!」
「メンタルが脆いのは戦場では致命傷となる
左京はそれを咎めなかったのか?
技術だけはあるが、それを行使する心構えが足りていない
左京の後継としては不十分
失格だ、残念だよ」
体が重い、腕と頭が痛い、胸が痛い
この男は師匠をよく知っている
師匠は一部の人以外、交友関係を教えてくれなかったし…裏社会の殺し屋だって言うのも知ってた
殺すことで有名になった人だって、知ってた
だから師匠が私に教えてくれたのも、その技術
でも…師匠が私にそれを教えてくれたのは、人を殺すためじゃない
人を守るために、誰かを助けるために教えてくれた技術なんだ
確かに私は弟子としてまだまだ未熟かもしれない
師匠の期待に応えられているのか、ずっとわからなかった
家族がみんないなくなって、ひとりぼっちになった私を受け入れてくれた師匠の期待に応えたかった
「お前に教えるのは人を殺す技だ
だが、その技術は何も人を殺す為だけに使うもんじゃねぇ
人を守ることだって、助けることだって出来る
要は使い方次第ってことだ、何もかもな」
師匠はそう言ってくれたけど、私、弟子失格だったみたい
この人は強い、私より体格もあって、筋力もあって…経験もある
初めから殺すつもりなんてなかった…弾丸に仕込んだ
やっぱり実力の差は明白だ
魔術を起動させる前に先手を打たれて、このザマだ
師匠、師匠…ごめん
私、やっぱり上手く戦えないみたい
師匠が鍛えてくれたのに、ここぞという時に戦えないんじゃ意味が無い
全部私の心が弱いから
相手の話術にハマって、隙を読まれた
師匠…どうして、私の心を取り戻してくれたの
いっその事、あのまま殺してくれれば良かったのに
「!」
殺される、そう直感した瞬間に男は飛び退いた
その次の場面では遠くから飛来してきた黄金の鎖が男のいた場所、私の真上を通過し楔が真横に突き刺さる
鎖の檻に囲まれ、私は護られる
この鎖は…ランサーの鎖だ
セイバーを相手にしながらも、助けてくれたんだ
「何…鎖?貴様のサーヴァントか?」
まだ数本の鎖が飛び回り、男を追う
相手もまた銃撃で鎖を撃ち落とそうとするが、高威力の弾丸が撃ち放たれたその瞬間…どこからともなく飛んできた別の弾丸が垂直に真横から激突し、起動を逸らした
「なんだと…!」
今の弾丸は、確実に意識の外からの狙撃手…きっとアーチャーだ!
アーチャーの横槍弾丸に動揺したその隙をついて、鎖は男の周囲を旋回する
瞬く間に鎖に囲まれた男は、瞬く間に縛り上げられてしまう
「ぐっ…!」
ギチギチという音が、男の体から発せられる
完全に捕縛され、逃げられない様子
「マスター、大丈夫かい」
「ランサー…ありがとう!」
気がつけば瞬く間にランサーが私の傍らに降り立った
私の周囲を囲む鎖を撫で、感謝を伝える
「相手のサーヴァントは?」
「セイバーには悪いことをしたと思っている
でも、マスターの危機だったからね…許してもらえなくても仕方ない
それより、怪我は無いかい」
「全然大丈夫」
私の周囲を取り囲む鎖だけが消え、男を捕縛する鎖は残っている
「マスター!」
セイバーが駆け付けるも状況を瞬時に理解したようで、縛られた自身のマスターの安全を危惧して身動きが取れずにいる
「僕らを分断して各個撃破するつもりだったみたいだけど、僕には通用しない
手数だけなら多いからね」
「マスターを離せ、俺と決闘中だっただろう」
「それは出来ない
純然な決闘なら僕も応じていたところだけど、同盟相手…ましてやマスターの命が危ぶまれている中、最優先はマスターの保護、そして敵の無力化だ
ここで君のマスターを殺してしまってもいいけれど…」
一度、ランサーの視線が私に向けられた
きっと、人を殺してしまえば私が悲しむと…そう考えてくれているのだろう
「僕のマスターは、それを望んでいない
今回は撤退を選択してくれるなら、君のマスターも解放しよう」
セイバーは縛られたマスターを見て、悩んでいる様子だった
いや、多分迷うまでもないのだろう…セイバーの心の中でも、どう決断するのが最善かは理解しているはずだ
「…わかった、撤退しよう
マスターも、それでよろしいですね」
「ああ、思ったより強力な防壁だ
そこのランサーは、現状我々だけでは倒しきれぬだろう
向こうも旗色が悪いらしい、セイバー、回収して来い」
「仰せのままに」
指示されたセイバーは霊体化して消え、ランサーも目線でもうこの場にいないことを教えてくれた
向こう…恐らくかごめくん達も守備良く守れているのだろうか
でも、セイバーが向こうに加担して戦闘に参加してしまわないだろうか?
撤退と見せ掛けて、油断を誘うためじゃ…
「セイバーは愚直な男だ
俺の命令に背きはせず、また命令外の行動を取ることもない
安心しろ、今はただ時期尚早だったに過ぎない
お前達の実力を測るいい機会となった」
男は私の不安を読み取ったかのように疑問に応えてくれた
この人もまた、ランサー相手だと敵わないことを悟っているのだろう、殺意はパタリと消え去った
せっかく捕縛して動けない、危険の少ないタイミングだ…多少交渉の余地はあるだろうか
あと、聞きたいこともある
「あの、私達と協力する気は…」
「ない
怪物退治など不確定な方法よりも、確実に聖杯を獲れる手段を選ぶ方が現実的だ
協力し怪物を殺したとて、MVPが聖杯を得て、それで全員が納得するのか?
俺なら、殺してでも奪い取る」
「…」
あらゆる願いを叶える機会が目の前にあるのに、黙って指を咥えて見ているだけなんて…本当なら、出来るはずがない
結局は奪い合いになる、誰もが善良なわけでもなく、譲り合う精神を尊ぶわけがないのだから
決別も、仕方の無いこと
なら私は、私達は徹底的に、彼らと戦う
ただそれは、関係の無い人々を巻き込んでいいものでない
「わかりました
それと…貴方、師匠のこと知ってるんですよね
今、師匠がどこにいるか知っていますか?」
高校卒業と共に、パタリと姿を消した師匠
卒業おめでとうの手紙を残し、連絡先も全て消されて、行方知れずとなった恩師
その人のことを知る数少ない人物が、現れてくれた
どうか、どうか知っていてほしい
「…残念だが、知らんな」
「そんな…何か、何かちょっとした手掛かりだけでも」
「答えなければ?」
答えなければ
今私が行っているのは、明らかな尋問
鎖で縛り、質問を投げかけている…これに答える義理はこの男にはない
どうしても情報を聞き出したいのなら、脅しをかけるしかない
でも、この男に通じる脅しなんて…私では到底できない手段ばかり
令呪を切り取る?首に付いているものを、どう切り剥がせばいいの?魔術的な剥離なんて高等な技術、私には持ち合わせていない
物理的に切り取るのならば、それは首ごとということになる…この人を殺してしまう
…人の命を軽々しく奪うような人間だと言うのに、私はこんな外道でさえ、殺したくはないと思ってしまう
質問に答えて貰うための手段は…私には一切思いつかない
「…本当に、あの男の教え子とは思えん優柔不断さだな
さぁ、この拘束を解け
俺は撤退しよう」
なにも言えずにいると、男は呆れた様な視線を私に向けた
期待外れ、失望、そんな嫌悪感が直にぶつけられ、後退る
「マスター」
ランサーは私の判断を待っている
今ここで、この男を殺すことはしたくないし…仮に殺してしまえば、約束を破られたと知ったセイバーが病院内で暴れでもしたら大変だ
「…ランサー、解放してあげて」
「うん」
男の体を締め上げていた鎖が消滅し、男は衣類の土埃を払いながら立ち上がった
結界の効力はとうに切れ、疎らに人が見え始めた
破損し炎上している車を見て、慌てて消防隊に連絡している
本当に申し訳ないことをしてしまいました
「今回は俺達の敗北だ
だが、次こそリベンジマッチとさせてもらう」
「次また関係ない人を巻き込もうとしたら、容赦しない」
「ほう?今回はただの手抜きだったと
ならば、貴様の容赦の無い戦いを楽しみにしていよう」
男はコートの裾を翻し、立ち去って行った
…ひとまずは、撃退出来た、ということでいいのかな
「…ごめん、ランサー…助けてもらったね
ランサーの足を引っ張らないようにしなきゃって思ったのに」
私が俯き、申し訳なさから謝罪を口にすると、ランサーは私の肩に手を添え、緩やかに首を横に振る
「気にする必要は無いよ
僕は君のサーヴァント、マスターである君を守ること、君の願いを叶えることが僕の役割なんだから
今回は相手が悪かった、と思うことにしよう
君は弱くない、最低限自分の身を守る術を持っていることは僕も理解している
それでも敵わない時こそ、僕は君を守ろう」
「ありがとう…ランサーの負担にはならないの?」
「負担なんてありはしないさ
矛と盾、両方を兼ね備えていなければ…神々の兵器なんて呼ばれたりはしない」
ランサーの優しさに、思わず甘えそうになる
ランサーの強さに頼り切りになってしまうと、いつか絶対取り返しのつかないことになってしまう気がする
だからできる限り、自分の身は自分で守れるようにしたい
その為に…守り助けるために、私は師匠からあらゆる術を教わったんだから
それを活かせるように、今日の失敗を反省しよう
「気負いすぎないで、マスター」
「え」
ランサーは私の目を見て、心配そうに呟く
人の心を未だ理解しきれないと言うランサーが、私のことを案じている
契約者としてのパスが影響しているのか、はたまたランサーの観察眼が成長しているのかはわからない
けれど、自分を追い込みすぎる私の特性を理解して、言葉をかけてくれる
…それがどうしようもなく、もどかしい
「うん…わかってるよ
かごめくん達のところに急ごう」
私達はもう一組を相手していたであろうかごめくん達の安否を確認するため、急ぎ病院内へ駆け込んだ