2021年 7月2日
梅雨も明けて湿度の残る初夏の朝
暑いのは苦手だから、可能な限りの軽装で出勤ラッシュの電車に乗り込みバスに揺られて辿り着く
この先は長い階段を登ることになる
鬱屈な気持ちになりながらも、私は階段を一段ずつ登った
石造りが木々の隙間から差し込む日光を反射させ、照り返しの熱気と突き刺さる紫外線に焼かれそうになる
これでまだ七月なのが最悪だ、毎年思うが日本の夏はどうかしている
流れる汗を拭いながら、ようやく階段の一番上に辿り着く
朱色の鳥居を抜けた先…夏御神宮の境内が見えた
平日の朝に参拝する人は少なく、掃除をする巫女が二人ほど見える程度
私はそのまま巫女にお辞儀をし、本殿横を通り抜けて先へ進む
ご神木の横に建つ大きな日本家屋の屋敷…そこがこの神社を管理する轟一族の本家の家
屋敷の土間を抜け、広々とした玄関では取次の上に一人の女性が立っている
外国の血筋で、白く長い髪をツインテールにして赤い目を伏せてお辞儀をする
まるでウサギのような容姿の女性は、古風な日本家屋とは似つかない黒いロリータ…俗に言うゴスロリを着ているため、さらに背景と一致しない
「お待ちしておりました、園村
奥のお座敷で、当主様がお待ちです
どうぞ、お上がりください」
様相こそ浮いているがその所作は美しく、丁寧な物腰に圧倒される
負けるな私、この苦手な家にも何度か来ているんだから、ここで怖気づいてはいけない
「お、お久しぶり…です、チェリーさん
色葉は元気ですか…?」
「当主様に会えばわかります」
恐る恐るの質問に素っ気なく返され、さすがの私も物悲しくなる
屋敷に上がり、チェリーさんの後ろについて歩く
玄関以上に広大な屋敷の中は案内がなければ迷子になってしまうほどで、私も何度か来て入るが未だ完全に屋敷内の地図を把握はしていない
縁側を歩き、内池を超える橋を渡り、どんどん奥へと進んでいく
道中で多くの人とすれ違い、その度に冷たい視線が私を貫く
…いくら呼び出されたとは言え、いつになってもこの冷遇はきつい
「萌恵!」
その時、不意に後ろから呼び止められた
振り返るとそこには、黒髪の男性が立っていた
「
「久しぶりだな!元気だったか?
「ううん、今日は私だけみたい
園村の代表として…」
この人は私の実の兄のひとりで、長男の嘉威兄さん
戸籍上は遠く離れてしまったので、元…と言わざるを得ないけれど
嘉威兄は上位の家、しかも第一位の家に引き取られたので安定した生活を送れているようで、安心する
「そう、か…あいつらも俺も代表ではないからな…
今回の緊急会議には参列できないから、お前には大変な思いをさせてしまうかもしれないが」
「いいんだよ、気にしないで
緊急会議で系外追放された園村が呼び出されるってことは、きっとうちの家系に関係することだし…腹は括るよ」
私の言葉に未だ不安の色を拭えていない嘉威兄だけど、「はやくしろ」と言わんばかりの無言の圧力がチェリーさんから感じられる
惜しくはあるけれど、ここで切り上げないと
「そ、それじゃあ兄さん、また後で話そ!」
「お、おう…」
これ以上は嘉威兄でも踏み込めない、一族の領域
チェリーさんについて進むほど、屋内の空気がその通り重くなり、喉は乾燥地帯で三日も飲まないかのように乾ききっている
ひしひしと伝わる重圧感に慣れず生唾を飲み込むけれど、先程流れた汗とは確実に違う冷や汗が背中を伝う
絢爛豪華な龍の絵が描かれた襖を前に、チェリーさんは正座する
私もそれに続き、膝を廊下の床につけ額を下げる
「当主様、各家代表の皆様方
大変長らくお待たせ致しました、園村の家の代表者がお見えになりました」
恭しく述べた後、チェリーさんは襖を開けた
頭は下げたまま、視線だけを前に移せば…襖の向こうの大座敷、その両端には五十人程並んだ老若男女が正座をして私の方を注視している
膝の前で揃えた手の指先が震える、今すぐ帰りたい
そんな願いを口にすることもできず飲み込み、最奥の座椅子に座る女性から声を掛けられる
「萌恵!久しぶり〜!元気にしてた?」
この場の九割の人がぶつけてくる冷ややかな圧を取り払うように、彼女は明るく軽快に私へ手を振って見せた
チェリーさんは立ち上がり、中央を避けながらその女性の隣へ歩み寄る
隣へ座れば、彼女へ小さく耳打ちをして
「いけません色葉、ここは正式な轟一族議会場です
当主たる貴方は礼節を弁え厳格を保たねば」
と苦言を呈した
注意された当の本人はケラケラと笑うばかり
「いいっていいってそんな堅苦しいもの!あたしだってお飾りの当主だし、萌恵は従姉妹なんだし気にしない気にしない!
ね、萌恵!入っておいでよ、大事な話があるんだ」
艶やかな黒髪を流して、色葉は私を手招きする
私は顔を上げ、議会場の敷居を跨ぐ
ここにいる多くの代表達の機嫌を少しでも損ねれば私の首はない
暑かった外の空気なんて遠い昔のように、今は末端から冷たく冷えていく
緊張の糸が張り詰めながら、私は色葉から数歩先で止まり、再び正座をして頭を下げる
「園村家代表、園村萌恵…招集に応じ不躾にも轟家へ踏み入らせていただきました」
「だから、そういうのいいって」
「いけません、貴方様は轟家七十八代目現当主、彼女は轟家末席…系外の者です
立場を弁えるのは当然のこと、子供じみた我儘はよしてください」
「むぅ、皆堅苦しいんだからぁ」
色葉は寝間着の襟元をはためかせ、唇を尖らせて不満そうにしている
…こうは言っているが、色葉の気遣いには感謝しかない
立場上弱い私を、こうして気にかけて他の家系に潰されないよう守ってくれている
「それでね萌恵、今回君を呼んだのは重要な任を与えるためなんだ
あたしは反対したんだけど元老院のジジイ達が…」
「色葉」
始まって早数分で三度もチェリーさんに忠告されている色葉は、相変わらずと言っていいのか
「コホン、まぁ今回わざわざ系外五十二位である園村家を呼んだのは…まぁ、少なからず…というか、思いっきり関係してるからなんだよね」
「…もしかして、母が関与していますか」
私の問い掛けに色葉は苦笑し頷き、チェリーさんから受け取ったタブレットを私に見せた
私は少し前に出てタブレットを受け取り、その画面を覗き見る
そこには海外の都市が映し出され、恐らくは西の方の街並みだと思われる
「南ドイツにある近代発展人工都市バーシュウィンデン
そこで今度、聖杯戦争が行われる」
その言葉に一部はどよめき、一部は知っていたかのように黙認する
対する私は…よくわからない
聖杯戦争というものは初めて聞いたし、この都市にも…恐らく、きっと…見覚えはない
「聖杯戦争っていうのは、過去の英雄を使い魔…サーヴァントとして召喚して、万能の願望器である聖杯を巡る魔術師達の争いのこと
魔術世界において魔法の顕現すら確認された大儀式だよ」
過去の英雄を召喚して行う、戦争
魔術世界でも名前の通る大儀式
規模が大きいなんてものじゃないし、まるで夢物語みたいな、フィクションみたいな話に唖然とする
過去の英雄と言うと、あれですか?アーサー王とか織田信長とか…そういう人達が?魔術師の使い魔として召喚…?昨今のゲーム設定か何かでしょうか
「それと、母が何の関係が…?」
「そのバーシュウィンデンで起こるであろう聖杯戦争を仕組んだのが萌恵のお母様だからだよ」
思わずタブレットを手から滑り落としそうになった
私の母は故人だ、私が小学生の頃に飛行機事故で死んでいる
同行していた私は奇跡的に助かったが、ショックからかそれ以前の事があまり記憶にない
ぼんやりとしている母は…破天荒で、無茶苦茶だったが、優しくて太陽のような人だった気がする
そんな母は当然轟家の魔術師だったのだが…噂で聞くには、それはもう歴代の中でも鬼才と評される程の大魔術師で、ある時にやらかして轟家正当の嫡子でありながら勘当され一族の末端も末端…一族から冷遇される「系外」に落ちぶれた
そんな母が、やばい戦争に関与している、何それ私全然知らない
「心さんは系外に落ちてからも魔術の研究に力を入れていた
やがては海外渡航を繰り返し、外で何かやってることを危険視した上位の家が調べたけど、聖杯戦争を仕組んでいたって報告されたんだ」
心、というのは私の母の名前だ
「母は、その…聖杯戦争を仕立て上げ、何をしようと…?」
「それはお前がよく知っているんじゃないのか?」
端に控えた家系の代表者が口を挟む
とても不服そうな顔をしている
「記憶が無いとしらばっくれるのもいい加減飽きた
当主殿、魔術解剖の許可を
我々の秘術であれば脳を解析し記憶を読み取ることなど造作もありません」
おお、という感嘆の声と賛成する言葉が飛び交う
いつも決まってこうだ、私という人間の人権は尊重されず勝手に話を進められる…それがこの家の、当たり前の在り方
「黙りなさい、今は当主たる色葉と園村家代表が話をしているのです」
そんな野次を更なる威圧で黙らせたのは、チェリーさんだった
彼女の深紅の眼光は発言した代表を黙らせ、その場の空気すら再び凍りつかせる
…良くも悪くも、彼女は公平だ
色葉には甘い部分はあるものの、一族の中の優劣など彼女には関係ないのだろう、流石は色葉が拾ってきた側近と言うべきか
「うん、普通にそれは許可出来ないなぁ
だって貴方のところ、八十年も進歩してなくて脳解体した被験者は廃人になってるじゃない?」
「…それは」
「心さんの目的はわからないけど、今重要なのはそこじゃない
起こるとされている聖杯戦争をどうするか、そこを考えなきゃいけない…でしょ?」
色葉の笑顔にさらに言葉を失った彼は縮こまり、悔しげに膝の上の拳を握っている
「問題は心さんの目的よりも、現状どうするか
…って言っても、結論は出てるんだけどね
萌恵、バーシュウィンデンに行って聖杯戦争に参加し、聖杯を勝ち取ってきて欲しいの」
まぁ、わざわざこんな話をするのなら十中八九そうなのだろう
優勝賞品である願望器の獲得、その為に私が呼び出された
戦争と言うくらいだから、聖杯の奪い合いになるけれど…それなら魔術的な戦いに強い人を派遣するべきでは?という疑問が湧いてくる
けど私を採用したのは、単に
勘当され聖杯戦争を作った天才魔術師の娘、系外であり没落一家の代表である私のことが
「園村心改め、轟心様は以前日本の地方都市で起こった聖杯戦争に参加し、惜しくも聖杯獲得を逃しています
その尻拭いのためにも、貴方様が今回派遣されることとなりました」
「でも…私は母のような優秀な魔術師ではありません
それどころか、魔術らしい魔術はそれほど扱えません」
「そんなとこないよ!萌恵は強いものを持ってる
一族の中でも破格の運命力に、お師匠さんのところで鍛えられた戦闘技術、それ以外にも…ね?」
色葉の橙色の目は、爛々と輝いている
病に伏せ日に日に弱っている身体とは思えないほどに、その瞳には零れんばかりの生気に満ち溢れていた
「もちろん、タダでとは言わない
聖杯を持って帰ってきた暁には、相応のお願いも叶えちゃう」
「お願い…って言われても」
「功績を見るに次の家系議会を待たずして家系位は鰻登り、今後の生活の工面や…
魔術刻印、その名前が上がった瞬間、大座敷にいた家系代表者達全員の間にどよめきが拡がった
狼狽したのは色葉の側近であるチェリーさんも同様で、大きな目を更に見開きながら色葉に抗議している
「何をご冗談を仰ってるのですか色葉!それは正当な轟家の後継者…次期当主に与えられるもの!何よりそれがないと貴方は…」
「正当な後継者なら、萌恵こそそうでしょ
本来ならあたしやお姉ちゃんじゃなくて、心さんが第一後継者だったんだから
あたしはあるべき人へ返すだけ…こんな体じゃ子供も産めないしね」
「御当主様、些か独断が過ぎます
いくら当主とは言え、そんな勝手は元老院様達も御納得しないのでは?」
「いくら近しい血筋の者への情があれど、刻印を易々と明け渡すなど…」
「我ら轟一族1400余年の秘術の総決算、それをまさか…回路本数が十五にも満たない、母君から神秘の引き継ぎすらされていない小娘に譲り渡そうなどと」
口々に不平不満を垂れ流す各家代表者達
しかし、私も没落一家とはいえ家系の代表者だ、色葉が言ってることがどれほど危ないことか理解はしている
魔術刻印とは、魔術師の家系が研究してきた秘術を全て刻んだ家宝そのもの
それを移植するだけであらゆる知識を得ることも活用することも可能…膨大なデータの入っている極秘ファイルのようなもの
しかし本来の魔術と違い解析し、会得する過程をすっ飛ばして呼吸をするかのように自然と「我が身我が物」になるという破格の代物
しかも私達の一族は飛鳥時代から続いているらしいから、その刻印の歴史も尋常じゃない…歴史的に見ても価値の高い、下手をしなくても今の轟家で一番価値あるものだ
それを…よりにもよって色葉は、当主は、落ちこぼれの私に譲ろうと言うのだ
「そ、そんなの要らな…じゃなくて、おおお、恐れ多いです…!」
私は魔術の道へ進もうとは思わない
記憶の薄い母さんも、私を引き取った師匠も、魔術を教えこんだ形跡はない
神秘というものに興味は無いし…回路の本数の少なさから見ても、私に才能はない
刻印なんて渡されても無用の長物だ、豚に真珠もいいところ
「そう?あると結構便利だよ?」
誰もが声を荒らげる中、色葉は刻印をただ「便利」と評するだけ
以前から図太いというか無神経というか…とにかく破格な性格をしているとは思っていたが、流石の私でも静止を呼びかけてしまう
「ともかく、何が欲しいかはまた改めて教えてよ
それで…引き受けてくれるね?」
これまた強い色葉の目に見つめられ、喉の奥が再び鳴った
…戦争、戦争か
戦争と呼ぶだけあって…しかも、
腹を括ると兄に豪語したが、流石に一瞬の躊躇いが生まれてしまう
けれど…断ったところで色葉は受け入れてくれても、一族の殆どには後ろ指を指されるだろう、これ以上肩身が狭くなるのも困りものだ
何より、私を守ってくれている色葉の顔に泥を塗りたくないし…幼い頃に先立った母が遺したものを知りたい
母が何を思い、この戦争を作ったのか
怖いし、嫌だし、躊躇うけど…断る理由が存在しない
「…わかっ……りました」
小さく返事し、頷く
その挙動を見た色葉は一瞬だけ悲しげに眉を下げ、次の瞬間にはいつもの天真爛漫な笑顔を見せた
ふらつく体を立ち上がらせ、私の前まで駆け寄っては私の手を両手で包み込んで大きく縦に振る
「ありがとう〜!!これは萌恵にしか出来ないと思ってたんだ!
あ、もちろん可能な限り手伝うから!ヨーロッパ圈に派遣されてる家系は皆招集して…誰がいたっけ?」
「第二十位の佐久間と第三十五位の望月です」
「あれ?第二位の和津未は違うっけ?輪廻んとこの」
「色葉、和津未はNASA本部です
アメリカですよ」
「あぁそうだったそうだった」
「当然我々にも参加権限はございますよね、当主様」
佐久間、望月と呼ばれた家の代表が名乗りを上げる
「そこな娘だけでは勝算は低いのではありませんか
轟家の参加者が多いほど、聖杯を勝ち取る確率も上がるというもの」
「ん〜、まぁ参加できそうならしてもいいけど」
「寛大な判断、ありがとうございます」
先程までブーイングしていたのに、この掌の返しように感嘆すら感じる
「佐久間からは実弟を、望月からは我が息子をマスターとして参戦させましょう」
そして自分達が戦うんじゃないのか
さすがの色葉も呆れながら肩を竦めている
魔術師とは元来こういうものだ、と半ば諦めている様子
「わかったけど、貴方達もちゃんとサポートすること!
それじゃあ本日の緊急議会はここまで、詳しい内容は追って連絡させるからね」
色葉はチェリーさんの手を取って立ち上がり、奥の座敷へ下がっていく
…とんでもないことになった気がするけれど、これで色葉に恩返しが出来るのならいいのかもしれない
各家の代表者達は私を一瞥しては素知らぬ顔で大座敷から出ていく
一人残った私は、ようやく聞こえてくる蝉の鳴き声に呼び戻されるまで動けずにいた