契約
私の夢は真っ黒で、何も無い
歩いても道は無いし、見上げても空は無い
温度も無い、音も無い、ただ私だけが存在している
私だけがいる、私の夢
悪夢から身を守る、心の檻
目を覚ます
意識が突如として浮上して、瞼を開けば見慣れた天井が見える
少しだけぼんやりとして天井を眺めていれば…少しずつ、昨日の記憶が蘇ってくる
確か私は夜に帰宅しようと道を歩いていると、黒い騎士に襲われて…逃げ延びた森の中にあった屋敷で追い詰められた時に、強い光と共に…そう、サーヴァントを…私のサーヴァントを召喚した
今までうんともすんとも言わなかった召喚が、いきなり成功した?ともかく私が召喚したサーヴァントにより黒い騎士を追い払うことに成功して…それから…それから、どうしたっけ?
ここは見慣れた部屋で、私が借りているアパートメントの寝室だ
ここで寝ているということは…無事に帰って来れた、ということなのかな?
…そういえば、彼は?
「目が覚めたようだね」
声がした方を向けば、扉を開いて噂の人物が姿を現し、近くにあった椅子に腰掛ける
絶世の美人と呼べるほどに、美しい緑の…ひと?
このひとが、私のサーヴァント…なん、だよね?
「あ、えっと…」
「起きない方がいい、怪我をしたんだ
君の勤め先にも連絡させてもらったよ
大丈夫、階段から落ちた、ということで説明してあるから」
「え?あ、うん…ありがとう…?」
仕事が出来すぎている
確かに「黒い騎士に襲われて怪我をしました」、なんて言ったところで信じてもらえないだろうし、何より神秘は秘匿が第一
聖杯戦争だって魔術儀式の一環で、神秘を含んでいる…一般人から隠すことが大切だから
…というか、いつの間に連絡なんて入れたんだ、どうやって勤務先を知ったんだ
よく見れば時計は午前10時…とっくに出勤時間を過ぎていた
起き上がろうとした体を静止され、私は大人しくベッドに横たわる
確かに胸に違和感がある、そういえば肋骨にヒビが入ってるって言ってたっけ
「昨日のことは覚えているかい?」
「あ…ええっと…敵のサーヴァント…?に襲われて、貴方を召喚して…」
「そう、君が僕を召喚し、僕は君と契約した
僕はランサーのサーヴァント、真名は必要ならば教えるよ」
ランサー、槍兵のクラス
それが彼に割り振られたクラスであり、真名というのは彼の英雄としての名前…本当の名前のこと
基本、聖杯戦争は過去の英雄を戦わせる殺し合い…真名を隠すのは相手から見て弱点を気取られないようにするため
真名を知れば何を為した英雄か、どんな武器を使うのか、そしてどうやって死んだのか…強みや弱点も予測し対応しやすくなる
それを防ぐために、基本はクラスで呼ぶのだとか
でも、聖杯戦争に挑むマスターとサーヴァントは一蓮托生…マスターにだけは真名を明かすのもまた基本中の基本
私のサーヴァント…ランサーは、見たところ槍どころか武器すら持っていないし、裸足だし、簡素な布の服だけだし…何を為した英雄なのか、見た目だけでは何もわからない
真名を教えてくれるのなら、それに越したことはないのだけど…
「…今はいい、誰かに聞かれていないとも言いきれないから」
「賢明な判断だ
周囲に魔術や電子機器による盗撮盗聴が、少なくとも三つあるからね」
「えっ怖、いつから…?まさか他の二家…?ほんとに盗聴されてたんだ」
「排除するかい?」
「うーん…いや、拗れると面倒だからそのままでもいいよ
やましい事は何もしていないし…貴方のことを秘密にしようとしても今更だろうから」
まさか私生活を見られていたなんて、最悪だ、寒気から鳥肌が立つ
でもあの二家とは少なくとも協力関係を築かないと…多少の不快感、嫌悪は飲み込まなければ
「昨夜、契約を交わした後マスターは気を失ったんだよ
極度の緊張状態から解放されたからかな」
「そっか、気絶しちゃったんだ…ここへは、どうやって?」
「それは、君の片割れから聞いたよ」
ランサーが私を指さした
厳密には、私の影
私の影が揺らぎ、深い黒に染まっていき…そこから黒い黒い蛇が姿を現した
「そうじゃ、感謝せい小娘
妾がいなければ今頃あの辛気臭い屋敷で一晩過ごすところじゃったぞ」
「無二」
この蛇は私の…なんて説明すればいいかわからないけれど、私の片割れのような存在である、無二
自立した自我を持ち、昨日も何度か私に呼びかけてくれたのも無二だ
「その子は不思議な存在だね、マスターと同じ気配だけど…」
「えっと…まぁあまり深く気にしないで、皮膚から伸びた爪みたいなものだと思ってもらって
使い魔?的なものだから、うん」
「厳格なる世界蛇を爪呼ばわりとは!なんとも態度が図々しくなったものじゃのう!」
無二に小突かれながら、私は考えた
サーヴァントの召喚には…紆余曲折あったが、成功した
なら次はどうするか
一度、他の二家と会ってみる?協力すれば聖杯を勝ち取る可能性は高くなる…けれど佐久間と望月が私を除外して共闘する可能性は大いにある、期待はあまりできない
私とランサーの単独陣営で、勝てるものなのだろうか?戦力図が把握出来ていない状態でどこまで二人でやれるか…
…そもそも私は、どうやってこの聖杯戦争を勝ち抜く?他陣営と協力関係を結んだところで、結局聖杯を勝ち取れるのは一組だけ…最後には協力相手を倒す必要もある
結局私は…勝ち残る覚悟が、あるのかどうか
「マスター」
ランサーが、私を見つめる
その透き通る瞳に見抜かれ、思わず背筋が伸びる
「君は、聖杯に何を望む?」
当然の質問だ
サーヴァントとマスターは聖杯で叶えたい望みがあるから、どんな人物であれ協力する必要がある
ランサーも、まだどんな人物なのかわからないけれど…互いの聖杯への願いを聞くことは当たり前だろう
ただ、私は聖杯そのものへ願うことは…無い
そもそも私は轟家に聖杯を捧げるために参加したのだ、万能の願望器なるもので叶えたい我欲は、正直なところ一切思いつかない
「私は…一族に聖杯を献上するために、聖杯戦争に参加した
私個人で願うことは、何も無いんだ」
「本当に?」
「本当だよ…そういうランサーは、何か無いの?叶えたい願いは」
質問を返せば、ランサーは困ったように眉を下げた
「僕は、道具だ
人に使われる為の兵器に過ぎない
道具はあくまで道具、そこに生命として当たり前にある願いというものは、持ち合わせていないんだ」
ランサーは、自身を「道具」と呼んだ
それは…マスターの命令に従う使い魔としての比喩表現なのだろうか?
だとしてもそれは…なんとも、物悲しい言い方をする
「ランサーが道具なわけ、ないでしょ
だって貴方は、人の姿をしてるし…ちゃんと動いてる、生きている」
「マスター、僕の身体は泥で出来ている
神々がかの大地の土を捏ねて僕を作った、兵器としてね
だから僕自身が何かを望むのではなく、誰かに望まれて使われる方が正しい
それに、生きてはいないよ、この身体は今よりもはるか昔に機能を停止させた
僕の体は座に押し上げられ、こうしてマスターの道具として再利用されている」
「……」
真名を明かさずとも、ランサーは身の上のことを私に説明してくれる
神々、と言ったくらいだから…神様が存在していたずっと昔の英雄なのだろう、けれどやはり…どうにも釈然としない
だってランサーは、こんなにも穏やかに、柔らかく微笑んでくれる
その手も足も、人のものにしか見えない
それに…確かにサーヴァントは、かつて死んだ英霊を基に召喚されている存在…既に死んだ死人であるとはいえ、今こうして私の目の前で息を吸って、動いて、存在している
それは…生きていることと、何が違うのか
「…わかった」
私は体を起こし、布団から出る
靴を履く私を、ランサーが止めようとする
「いけない、マスター
十二分前にも言ったけど、君は休むべきだ」
「大丈夫、ちょっとキッチンに立つだけ
そもそも助けてくれた恩人に、なんの
「もてなし…?僕には必要ない、君の道具なのだから」
「私がそうしたいの、だから静かにリビングで待ってて」
まだ本調子ではないためか、足元がふらつく
そんな私の体をランサーが支えてくれるけれど、私は逆にランサーを誘導してリビングに案内した
辛うじて二つ用意していた椅子のひとつにランサーを座らせる
「無二、そこでランサー見張ってて」
「仕方がないのう」
私の首に巻きついていた無二はリビングテーブルの上にとぐろを巻き、ランサーの目の前で鎮座する
ランサーには悪いけど、大人しく座っていてもらわないと私の気が済まない
これは、ランサーが人とか道具とか生きてるとか死んでるとか関係なく…私個人がやりたいこと、私の自己満足
そこに効率とか合理性とか一切鑑みない、私がそうしたいからするだけの、人として当たり前の作法
キッチンに立ち、収納スペースから調理器具や食材を用意して…
「よし、作るか」
胸の違和感も足元のおぼつかなさも知らぬ振り、私は調理を開始した
まず、ボウルにホットケーキミックスの粉をふるいにかけてキメ細やかにする
そこに牛乳、溶き卵を入れダマが残らないようにしっかりと混ぜる
フライパンに弱火で火を通し、バターを引いて…ちゃんと熱が通ったら、おたま一杯分を均一に素を流す
フライパンに蓋をして、三分蒸し焼きにして…素の表面に気泡の穴が見えたら、フライ返しでひっくり返す
再び三分蒸し焼き…これを繰り返して焼いていく
「マスターは何をしているんだい?」
「まぁまぁ、黙って待っておれ
小娘の手料理は美味いぞ〜貴様も舌鼓を打つこと間違いなしだわい」
「料理?僕は兵器だし、そもそもサーヴァントにはそんなもの必要な…」
「そうじゃな、貴様はただの魔力で作られし使い魔じゃ、わざわざ食事なぞせんでも魔力さえあれば問題なかろう
…その魔力が足りていれば、の話じゃが」
ランサーと無二の会話を聞き流しながら、何枚か焼き終えたホットケーキを三段ほど重ね、一番上には手頃にカットしたバターを載せる
ホットケーキの皿をテーブルに並べ、お好みでメープルシロップ、フルーツジャム、ホイップクリームを並べる
簡素だけど美味しい、園村萌恵お手製ホットケーキの完成だ
ティーパックだけど紅茶も用意して、私もランサーの向かいの席に座る
「はい、召し上がれ」
目をぱちくりと開いたランサーが、ホットケーキと私の顔を見比べる
「マスター、何度も言うけれど僕は道具でありサーヴァントだ
君の資源を無駄に消費してまでこのような素敵な手料理を振る舞ってもらう必要性がない」
「まぁいいから、食べてみてよ」
私の言葉に折れてくれたのか、カトラリーを手に持ち、どこから食べようか迷っている様子でホットケーキを眺めている
「こうやって食べるんだよ」
私は右手にナイフ、左手にフォークを持ってランサーにお手本を見せるようにホットケーキを一口大に切り分ける
そうするとランサーも見たままの動作を真似て、ホットケーキにナイフを突き刺した
現代の知識は聖杯から提供される、と聞いていたから…カトラリー自体は問題なく使えているけれど、どうにも不慣れそうだった
一口サイズに切り分けたホットケーキは黄金の蜜を絡ませ、その輝きがランサーの瞳に反射する
数秒それを見つめた後、ランサーは流れるようにそれを口へ運んだ
「…!」
口内へケーキを放り込んだ途端、目を僅かに見開いて驚いたリアクションを見せた
「どう?」
「…これは、美味しい、ね
僕の好きな都市で祝い事の時に巫女達が作った、バターケーキにも似てるけれど、違う…」
「味変でこっちの苺ジャムつけてみてよ
ジャムっていうのは、果物を砂糖で煮込んだものでね」
「…これは、果物の風味がするけど、とても甘い…
なるほど、遥か先の未来ではこのように食文化が発展しているんだね」
先程までの拒絶気味な反応と打って変わって、今では自ら進んで食べてくれている
バターケーキ、というのがどんなものかわからないけれど(そのまんま、バターで作ったケーキなのかな?)、やはりランサーはよほど昔の時代の英雄らしい
「ごめんね、ランサーにとっては不必要なことを強制される理不尽を与えることになってしまって」
私がそう謝ると、ランサーは手を止めて首を横に振った
「いいや、僕の判断に少し誤りがあったみたいだ
不必要ではある、けれど…これは、素晴らしいものだ
食べてみなければ、この感動は味わえなかった
マスターに感謝するよ
それで、もてなしの真意を聞いても?」
重ねたホットケーキの一番上の段を別の皿に移し、無二へ差し出す
すると無二は待ち侘びていたかのように勢いよくケーキを食べ始め、口の周りにはメープルシロップがべったりと塗りたくられている
そんな様子を眺めながら、私は紅茶のカップを手に取った
「ランサーは、食事をどういうものと認識してる?」
その質問に、ランサーは機械的な回答を返してきた
「有機生命体が生命活動を維持するためのエネルギー補給だね
活動すればその分エネルギーは消費される、それを補うのが食事だ
そして、サーヴァントはエーテル体で構成されている…契約のパスが繋がったマスターからの魔力供給さえあれば、問題なく活動可能だ」
「そうだね、生きるために必要な行為…でも私は、それだけじゃないって思ってるんだよ」
私の言葉を理解できないのか、ランサーは微かに首を傾けた
次の言葉を待っているその忠実な姿勢に、大人しい犬を想像してしまう
「私は…食事には、他の意味もあると思う
それは、誰かと共にする食事…語り、楽しみ、味を共有する…一種のコミュニケーションだと思ってるの」
「コミュニケーション…」
「そう、食事を囲み話をしたり、あれが好き、これが苦手ということを知れたり…美味しいものを一緒に食べて、嬉しくなったり
そういうことが簡単に出来るのが、食事だと思うの
だからこれは…私なりの、これからよろしくという意思表示
これから一緒に聖杯戦争に臨む相棒として、仲良くなっていけたらいいなって」
机の上で左手を差し出す
手の甲に描かれた令呪が仄かに魔力を帯び、ランサーとの魔力のパスが繋がっていることを証明している
ランサーは私の手を見て、その長い睫毛を微かに伏せながら…私の手を握り返す
「うん、こちらこそよろしく、マスター」
冷たくも温かくもない、体温の感じられないその手の感触は…確かに人の手そのものにしか思えなかった