ずっと昔、と言うほどでもないくらい過去
私が生死の境を彷徨い、一年も昏睡して…目が醒めて暫くした頃
その男の人は私の前に現れた
真夏日に関わらず厚手の黒いコートを着て、病院内なのに煙草を吹かす非常識な男の人は、私の目を見て気味悪そうに呟いた
「なんちゅー目だ、アイツとは似ても似つかない」
その言葉に、私は心の靄を微かに払われたような気がした
「そう?伯母さまとそっくりじゃない?まぁ、性格は全然違うけど」
その後ろから病室に入ってきた色葉は中学の制服を着ていて、今よりも血色も良くて体ももっとふくよかだった
「アイツの旦那がやらかしたって聞いたけど…なるほど確かに、あの執念野郎の気を狂わせるほど顔立ちは似てる
だが、目は駄目だ、元の素材を歪めさせられている」
「きっと伯母さまの実験の後遺症だね
いや、成果…って言った方が正しいのかな」
「それで?この小娘を俺に押し付けるって?」
「そんなひどい言い方しないでよ~、もう貴方しかこの子が頼れる人はいないんだし
お兄さん達はそれぞれ秀でた才能を伸ばせる家に引き取られたけど、この子だけは誰も受け入れてくれなかったの
「死神ねぇ…」
どうやら私の身元を引き受けてくれる人は轟家のどこにもいなかったらしい
だから兄さん達は各分家に行ってしまっても、私は「園村」のままだった
男の人は吸い殻を簡易灰皿に捨て、私を見た
鋭い目つきは蛇のようで、全身の金繊維が痺れ多様だった
「おいガキ、俺を覚えてるか
…って、覚えてるわけねぇか、お前が赤ん坊の頃以来だもんな」
この目が見たその男の人の成り立ちは、始まりも終わりも等しく寂しいものに見えて…その孤独は彼の背に酷くのしかかっている
「俺は
侑魂、と名乗ったその人の名前は、轟一族の名簿には無かった
完全なる部外者、でも、私を知っている大人
「お前、生きたいか?アイツの娘だっつーよしみだ、お前に生きる気があるなら面倒見てやらんこともない」
無愛想に、ベッドに横たわる私に目線を合わせることもなく、立ったまま見下ろしてそう問いかけてきたその人…それが、私と師匠の出会いだった
2021年12月11日
病院に訪れるたび、あの時の記憶が蘇る
潔癖なほどに汚染のない清潔な空間、消毒液の匂い、忙しなく行き交う看護師達…検査を終えた待合室で、私は周囲を見渡した
なぜか、そんなの決まってる
私達の近くを通る人達が、軒並みランサーを見ているから
ランサーには怪我をした私について一緒に病院に来てもらってるが、やはりその美しさは一般人の目を惹くものである
女の子なのか男の子かわからないから、どちらでもいいような服を見繕って着てもらったけど…そもそもの素材の良さからか、地味な服でもよく映えている
人目を惹く容姿の美人が隣に座っている、なんともいたたまれないものである
「現代の医療技術は素晴らしいね
あらゆる神秘が解析され、死の病も多くが治療可能だと聞く」
「全部治せることはないけどね、それでも人間の技術の発展はすごいと思うよ
百年後には本当に治せない病気なんてなくなるんじゃないかな」
そう話すと、ランサーは優しく微笑んだ
知り合って一晩…厳密には顔を見て会話したのは数時間程度なのだが、イマイチ感情の読み取れない笑みだ
「すごいね、それでこそ人間の叡智だ、僕は称賛するよ」
「そう、だね?」
私の検査は全て終わり、今は会計と処方箋待ちである
レントゲンを撮ってもらったが、左肋骨一本に小さなヒビが入っていただけで、大事には至らないらしい
痛みの訴えのない私を訝しんでいた技師さんとお医者さんのあの顔を忘れられそうにない
「ソノムラモエさん、受付までお越しください」
呼び出されたので支払いをしようと鞄から財布を取り出したが…その時、全身から血の気が引いたような気がした
動きの止まった私に気が付いて、ランサーが顔を覗き込んできた
「マスター?どうかしたかい?」
「…な、い」
「何が?」
「…家の、鍵」
病院を出るとき、家は確かに鍵を閉めてきた
鍵は勿論、鞄の中に入れたはずだ
どこかに落としたのか?可能性があるとすれば病院に来るときに乗ったバスの中とか、院内…?
検査に行くとき、終わった時とかスマホを取り出した時に落ちてしまったりとか?それならまだ希望はある、探しに行く価値はある
「ランサーちょっと支払いしててくれない!?私鍵探してくる!」
鞄ごとランサーに押し付け、私は急いで立ち上がった
「え、マスター」
「ソノムラさーん」
私の名前を呼ばれ、早くしろと催促される中私はランサーを置いて検査室があった廊下の方へ足早に進んだ
ごめんランサー、あとでお礼はするから
検査室が並ぶ棟を行き来しながら、廊下を探す
家の鍵には可愛いマスコットのキーホルダーをつけてある、大きさもそこそこあるので落ちてたらすぐに気が付くはずだ
それでもベンチの下や消火器の影を覗き込んでも鍵は見つからず、焦りと共に絶望感が私の脳内を占領する
「ど、どうしよう…バスの中なら、乗ってた番号のバスの停留所に連絡する…?」
「道端に落としていたらもう見つからんかもな」
「やめてよ無二!もっと希望のあることを言ってよ!」
私の影に潜む無二が揶揄うように口を挟むが、鍵を無くしたなんて借家の管理人さんに言えばなんて顔をされるか…
そもそも住人を勝手に増やしてしまった(?)こともどう説明すればいいか…あれ?この場合、ランサー分の家賃も支払わなきゃいけなかったりする?
いや今はそれはどうでもよくて、鍵だ鍵
もしかしたら誰かが拾ってくれたのかもしれない、そんな一縷の希望を抱えて病院のスタッフか誰かに声を掛けようと人を探していると、廊下の奥からガシャン、と何か物音がした
何か、重いものが倒れたような音だ
無視することも出来ない私は、気になって音のする方へ向かう
外来棟から続く、リハビリ棟…その長い廊下の奥で、誰かが倒れている
傍らには車椅子も一緒に倒れており、よく見ればそれは小さな女の子だった
状況から察するに、車椅子から転倒した様子だ
「だ、大丈夫!?」
慌てて駆け寄ると、女の子は痛いのか青い顔を歪ませ、脚を押さえている
その両足は包帯を巻かれ、力の抜け方から本当に足に力が入らない様子だった
こういう場合、一般人の私が勝手にこの子を車椅子に戻すのは大丈夫なのだろうか?ヒヤリハット?事故?とか、そういう関係で看護師さんとかお医者さんとか呼んだ方がいいんじゃ…
「あ、あの…」
誰か呼んでこようか悩んでいると、女の子が私のコートの袖を掴んだ
弱々しい力に、息を切らしたまま女の子は訴えかける
「誰も、呼ばないでください…お願いします…」
「え、で、でも…」
「一人でこっそりリハビリしてたのがバレたら、もう病室から出してもらえない…それは、嫌なの…」
小さな声で懇願する女の子の言葉に、私は少し悩んだ
こんな時、どうするのが正しいかなんてわかりきってるはずだ
でも…私は、正しいこともしたいけれど…今目の前の女の子が困っているのを見放してまで、正しいことをしようとは思えない
車椅子を起こし、女の子を抱きかかえて車椅子に座らせる
見た感じ目に見える怪我はなさそうで、女の子もやっと呼吸が落ち着いてきたようだった
「…ありがとう、お姉さん」
「どういたしまして
でも、やっぱり看護師さんとかには転んだことは報告した方がいいと思うな、今は大丈夫でも後からどこか悪化するかもしれないし…」
「ううん…でも…」
ブラウンの髪をおさげに編んだ女の子は、愛らしいそばかすを鼻先に並べて、浮かない顔をしている
「助けてあげたお姉さんとの約束
お姉さんも一緒にお話ししてあげるから…ね?」
「…うん」
一緒に行ってあげる、と言うと女の子はようやく納得したのか小さく頷いた
鍵のことや置いてきたランサーのことも気がかりだけど、目の前の子の方が何より大事だ
「私は萌恵っていうの、君は?」
「わたしは、アンです」
「そっか、アンちゃんね」
自己紹介を終え、私はアンちゃんの車椅子を押しながら彼女の案内に従い、病院内を散策する
アンちゃんの入院している第三棟の五階は、特別な入院患者がいる病棟らしく、アンちゃんも脚に重篤な症状を持っているらしい
一切動かない脚だけど、アンちゃんは諦めず毎日リハビリをしているのだとか
「アンちゃんは毎日頑張ってるんだ」
「うん、お父さんは無理するなっていうけど、早く歩けるようになって学校にも行きたいしお友達も作りたいし…」
「そっか、やりたいことがたくさんあるんだね
それじゃあ頑張らなきゃだ」
エレベーターに乗り込んで会話してると、すぐに五階に到着して扉が開く
僅か数センチの隙間が開いた瞬間、白い指が扉を掴んだ
「う、わぁーーーーっっ!!?」
ホラー映画さながらに扉をこじ開けようとする手に私は驚き、悲鳴を上げる
というかこれ自動ドアだし開きかけてるのに、無理矢理こじ開けようとするとか何!?
「フローラ!」
アンちゃんの呼び声と共に、エレベーターの扉の隙間から深紅の鋭い眼光が見えた
完全に開ききった扉の向こうからは、病院のスクラブを着たスタイルの良い女性が現れた
きっと看護師なのだろう、しかしその殺気溢れるオーラからは想像する看護師とはかなり掛け離れている
「アン…どこへ行っていたんですか…無断で病室からいなくなるなど…
誰も見ていないところで容体が急変したらどうするのですか」
威圧的な空気と眼光に震える私とは対照的に、アンちゃんは叱られた子供として反省の色を見せる
「ごめんなさい…それで、リハビリ棟の廊下で転んじゃったんだけど…」
「転んだ!?外傷は!?患部の状態は!?どこかぶつけたりはしていませんか!
ああなんてこと、私というものがいながら患者に危険を及ぼしてしまうなんて…!
やはり、貴方の治療の為に貴方の脚を切除した方がよろしいですね
安心してください、現代の技術力は舌を巻くほどです
貴方の患部が貴方の身体に重篤な損害を与える前に、貴方の脚を斬り落とし高性能な義足を用意してみせましょう
ドクターに今すぐ手術の計画を進言しましょう」
有無を言わせない圧倒的な圧に、アンちゃんは耳を塞ぎ大きく声を出した
「あーもう!フローラはいっつも一方的なんだから!大丈夫よ、お姉さんが助けてくれたんだから!」
アンちゃんの紹介にフローラ、と呼ばれた看護師はその赤い目を私に向けた
狂気的とも思えるその瞳に見抜かれ、私は思わず生唾を飲み込んだ
「貴方が…アンを?」
「え…と、は、はい…」
「アンを助けていただいたことには感謝いたします
ですが、患者の転倒転落現場を発見したらまずは当院のスタッフを呼んでいただけますか
素人が手を出しより事故が複雑化してしまったらどう責任を取るおつもりですか」
「はい…すみません」
「ちがうのフローラ!わたしが頼んだの!」
混沌とする状況、乱れる修羅場
泣きべそになりかけたところで、私の前に誰かが割り込んだ
「そこまでにしてくれないかな」
その声は、そう、外来受付に置いてきてしまったランサーの声だ
私を守るようにフローラさんの前に立ちはだかるランサーは、穏やかながらにひりついた雰囲気を纏っている
「貴方は?」
「彼女のサーヴァントだ
君もそうだろう?狂化のクラス…バーサーカーだね」
ランサーが看破したフローラさんの正体に、彼女は微かに眉を下げた
どうやら本当らしく、サーヴァントということに一切気がつけなかった私は驚きの余り口を半開きにしてしまう
昨日の強襲…はともかく、こんな短時間にぽんぽんサーヴァントと遭遇してもいいものなのだろうか?
「…なるほど、敵のサーヴァントとそのマスターが私のマスターを殺しに来た、ということですね
これは由々しき事態ですね、アン…彼らは我々の健康を脅かす外的要因、病原菌です
即刻排除しましょう」
一方的な猪突猛進ぶりに臨戦態勢をとるフローラさんに対抗するように警戒レベルを上げた様子のランサーだが…私と、恐らくアンちゃんも戦う意思はない
「待って待って!今ここで戦うのはやめよう!?病院だよ?」
「フローラ、この人達はきっと大丈夫よ!だから何もしないで、お願い」
互いのマスターの静止を聞き、二人はその戦う手を下げる
ひとまず、院内での暴力行為はお控え願いたい