月見ヤチヨの共犯者   作:ムーンサルト25

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スタート

 

その夜、統真はほとんど眠らなかった。

──いや、その言い方は少し違うかもしれない。頭の中で先ほど体験したことを反芻していたために、眠れなかったのである。端末に残されたファイル。《Eidolon》の失敗点をクリアした骨格、そして、ヤチヨと名乗ったあの少女。自分がかつて諦めたその場所に、まだ手が届くかもしれない。その可能性は統真の胸に、確かに熱を灯していた。

 

さて。まずは俺も、一つ目の勝負といくか。

 

自分は今、年甲斐もなくワクワクしている。それを自覚して、統真は薄く笑った。

 

 

/

 

その小さな会議室は、一般フロアとは別の空気を持っていた。遮音性が高く、外の音がほとんど届かないことに加え、窓すらも存在しない。機密性の高い重要な案件に関わる話し合いのときのみ、使用される部屋だった。

 

その部屋に統真が入ると、すでに四人は揃っていた。

 

研究開発統括の榊。セキュリティ統括の三坂。医療デバイス部門責任者の有馬。法務顧問の冬木。いずれも極めて有能であり、統真がまだ社長になる前からの部下たちだ。彼らの顔つきは揃って硬い。緊急招集の理由を知らされていないまま呼ばれた警戒と、呼んだのが統真だという緊張が、それぞれの表情に薄く重なっている。三坂は腕を組んでいた。冬木はタブレットを開いているが、画面は見ていない。

統真は全員の顔を一度だけ見てから、会議卓の端末へタブレットを接続した。主モニターに、昨夜のファイルから抜き出した設計図が映る。

 

「まず前提を共有する。昨夜二十三時過ぎ、閉鎖区画の完全隔離端末に、外部接続ログなしでファイルが保存された。物理アクセスの痕跡もなし。セキュリティ上は何も起きていないことになっているが、現実にはデータが残っている」

 

三坂が即座に答える。

 

「その通りです。侵入経路が見えないなんて──私の力不足です。最も恥ずべきセキュリティの破られ方を」

「それについて責めるつもりはないさ。三坂で無理なら対抗できる者はいまい。それに今日の議題は、そこではないからな」

 

統真がそう言った瞬間、空気がまた一段と硬くなった。統真は気にもとめず続ける。

 

「昨夜、私はセキュリティに侵入した犯人と接触した」

「は!? それなら何で通報してないんです。即刻対応を──」

「落ち着け。私が通報しなかったのは、する必要がなかったからだ」

「……?どういうことですか」

『ヤチヨ』と名乗る奴の要求は、金でも情報でもなく、事業協力の提案だったんだよ」

「協力……まさか、侵入者は」

 

驚きに固まる3人に、畳み掛けるように統真は続ける。

 

「恐らく想像通りだ──三坂、昨夜送信したあのファイルの中身は見たか」

「……ええ。あれは、『劇薬』ですね」

 

三坂は、表情を苦々しくしてそう答えた。そして、三坂がそう答えたと同時に、他の二人もこの会議の目的をうっすらと感じとったようだった。

 

「私も見ましたよ。出来が良すぎて、あれは気味が悪いレベルだ──」

 

榊が画面を見つめながらそう呟く。慎重に、というより、何と言えばいいか測っているように見えた。

 

「しかし、あまりにも荒唐無稽なアイデアです。要件整理か事業要請が行われた跡がまるで見えない。そして、仕様の優先順位がビジネスの考え方からは程遠い。どうやらあれを作った人間は、相当なロマンチストですね」

 

榊に続いて、有馬が画面の一部を指差す。

 

「私も……興味深いアイデアではあると思いました。認知制御について、普通は再現精度を上げる方向へ行きます。しかしこの構想では逆で、認知のズレを抑えることに重きを置いている——面白いアプローチに感じました」

 

3人の意見を聞き終わり、統真は心の中でニヤりと笑う。概ね反応は予想通りだった。

ここから、ギアを上げる。

内心でそう呟いて、統真は怪訝な顔をする3人に『本題』を切り出した。

 

「さて──昨夜、この劇的なアイデアを私に提示した侵入者、ヤチヨは私にこう切り出した。自らが作ったこの仮想世界、『ツクヨミ』を、世に出したい。そのためにアマギに、表向きの開発主体となってほしいのだと。そして、『ツクヨミ』にアクセスするためのログイン機器を我々に開発して欲しいと」

「な……」

「それは……」

「そして、私はその話に、乗ろうと思っている」

 

会議室の空気が、また一変するのがわかった。

 

「……社長。私はビジネスマンとしてのあなたを信頼しているし、尊敬もしている。あなたには一見無茶に思える数々のプロジェクトを成功に導いてきた実績もある。確かに、ですがその上で、あり得ません」

 

最初に口を開いたのは有馬だった。それに続くように、三坂も言う。

 

「あれが価値あるアイデアであることは否定しません。ただ、それを提供してきたのは誰です? 社内ネットワークに侵入した相手ですよ。経路も手段も不明。機密へどこまでアクセスしたかも分からない。たとえどれだけ優れたものだとしても、出所がこれでは話になりません」

 

当然の反論だ。社内ネットワークに侵入してきた正体不明の相手に乗る──どう考えても正気の沙汰ではない。

 

「今ここで要求を突っぱねたところで、もうネットワークに侵入された後だ。何をされるかわからん。むしろ接触可能性を残したほうが、奴のことをこちらがある程度コントロールできるだろう」

「それは詭弁です!」

「それにだ。私は昨日、侵入者……『ヤチヨ』と会話を交わした。そのファイルのこと、奴の仮想空間への思想などについてだ。それを経て、私は確信している。奴にこちらを害そうとする意思はない」

「はい!? 何を根拠に──」

「私がそう判断した。それ以外の根拠が必要かい?」

 

4人は推し黙る。統真が数々のプロジェクトを成功させ、社長という地位にまで上り詰めたのは、その"人を見る目"が異常だったからだと知っているからだ。そして自分たちもまた、統真に見出されてここにいるのだから。

だが、その一言で黙殺されるほど、この会議室にいるのは無能な人物ではなかった。

 

「《Eidolon》のことを、忘れたわけじゃないですよね?」

 

榊がゆっくりと、口を開く。

 

「あの案件が頓挫して、会社には大きな損害が出ました。あなたの唯一の失敗であり、汚点です。関わった人間もただじゃすまなかった。あなたと、あなたが引き上げてくれた私たち以外はね。百歩譲って、その『ヤチヨ』の話に乗るとしても──とても困難な計画になるでしょう。それこそ前のように、頓挫する可能性が限りなく高い。そうなれば、あなたは──」

「失脚するだろうな。当然のことだ」

「!………ええ、そうです! 私たちも無事ではすまない。それに、こうしている間にも損失は発生している! こんな与太話のために、社長と社の中枢を担う4人が時間を使っているんだ。計画を進めれば、もっと大きなリソースが動き、失敗した時のリスクは膨れ上がる。リスクとリターンがまるで釣り合っていませんよ!」

「まったくその通りだ」

「っ……ならどうして!」

 

その答えは決まっている。

 

「──夢が。夢があったんだよ。私たちが、かつて夢見たものが」

 

再び、部屋に沈黙が降りた。

 

「かつて、私はその夢を途中で諦めた。投資家に説明できる言葉に直し、法務を通る形に整え、最後には誰にでも分かる看板をつけた。その結果、何もかもが失われてしまった……。私は熱を失い、同じ轍は踏むまいと合理的に仕事をこなし続け、ここまで来た」

 

「だが。奴が提示した『ツクヨミ』を見たとき、私は熱を感じたんだ。失われた夢の続きが、そこにはあった気がした。話に乗ろうと思った理由は、それだけだ。合理的な理由もないし、勝算も不明瞭。だが、やりたいと思った。それだけなんだ」

 

「……君達の言い分は正しい。合理的に考えれば、こんな話に乗るなどあり得ない。正体不明の侵入者が持ってきたアイデアに乗る。現実の見えていない馬鹿のやることだ。私自身も思っている。これは、今まで私が下してきた中でも最も狂気的な決断だと……」

 

統真は、こちらを見つめる4人の顔を見る。ここが分水嶺だと、統真の勘が告げていた。

 

「これは命令ではなく……頼みだ。榊、三坂、有馬、冬木──俺の狂気に賭けてくれ」

 

沈黙が部屋に降りる。どちらに転ぶかは、統真もわからなかった。そして統真はこの会議に臨む前に決めていた。この熱に、どうしても従ってみたい。ただ、4人に否定されればそれまで。計画実現には、間違いなくここにいるメンバーの助けが必要になる。自分が誰よりも信頼していて、誰よりも自分のことを理解してくれている4人を納得させられなければ、それまでのアイデアであり、熱だったということだ。

結果がどうなろうと、後悔はなかった。

 

永遠にも思える沈黙が経って。

榊が、ふう、と溜息をついた。眉間に皺が寄っている。

 

「……わかりましたよ。乗ってやろうじゃないですか。あなたが本当に腹を括っているなら──いいですよ」

 

 有馬もやや間を置いてから続いた。

 

「医療側も同意します。このアイデアの実現可能性は、決してゼロではないでしょう。ただし、損害は最小限に、です。行き詰まった時点で、切り捨てる判断をした方が賢明かと思います」

「……同じく。ひとまず着手には同意しますが、判断は慎重に行ったほうがいい。もう、あの頃とは状況が違うのですから」

 

冬木が最後に口を開いた。

 

「私も同意します。他でもないあなたがそう言うのなら、少なくともある程度"先"が見えているのでしょう。前回との違いが本当に担保されるかどうか——それは、この案件が進む中で確認していくことにしますよ」

 

ほう、と統真は息を吐くとともに、先ほどよりも柔らかな声で呟いた。

 

「……すまないな、お前たち」

「何を今更。私たちは、あなたを支えるのが仕事ですから。それに、失敗するつもりはないんでしょう」

 

榊の言葉に、統真は力強く頷いた。そうだ──失敗するつもりはない。今度こそ、あの続きへ辿り着く。

 

「プロジェクト名は《ツクヨミ》。本日付で新規極秘案件として扱う」

 

主モニターの表示を切り替える。昨夜ヤチヨが提示した、レンズ状の概念図だ。

 

「第一段階は二系統並行。空間側の骨格評価と、入口デバイスの成立条件の抽出だ」

「入口、またコンタクト型を前提に?」

 

有馬が確認する。

 

「そこはこれから擦り合わせる予定だ。だが、可能性のひとつとしてはある」

「そうなったら、リベンジですか」

「ああ……そういう形になるな」

 

そう言うと、榊は肩をすくめた。

 

「榊、骨格の分解と技術翻訳。有馬、生体適合と装用安全性の初期検証。三坂、侵入経路調査は続行しておけ。『ヤチヨ』が何なのかは探り続ける。冬木、対外説明の論点整理を頼む」

「スケジュールは」

「四十八時間で一次整理を出せ」

「相変わらず無茶ですねえ」

「まあ、いつものことでしょう」

「やりますか……久々に、ハードな仕事だ」

 

久しぶりの空気だな、と4人は思った。無茶。高リスク。生きるか死ぬか。あの頃を思い出す空気──悪くはない。4人は同時に、そう感じていた。

 

/

 

会議が終わったのは、夕方をかなり回ってからだった。

統真は棟を出る前に、榊を呼び止めた。廊下には人気がない。遠くの空調だけが鳴っていた。

 

「率直に言え。どう見てる」

 

榊は少しだけ間を置いて答えた。

 

「怖いですよ。失敗したときの絵が、鮮明に想像できる。あのときのことを思い出して……恐怖しています。今は、より多くの部下たちを預かる立場ですから余計に」

 

統真は何も言わず、続きを待った。統真は、今榊が感じていることが手に取るようにわかった。なぜなら、自分も同じだったからだ。高揚と、それと同じほどの恐怖。

榊は少し言いよどんだ様子で口を開いた。

 

「……聞きたいことがあります。あの時のようにはなりませんよね?」

 

榊の声に、責める色はなかった。ビジネスの世界に『絶対』がないことは榊も理解している。ただ、それでも『絶対』の言葉が欲しかった。この計画に乗るのは、それほどのリスクだった。

 

「あのときは──」

 

統真は、語りかけるように言う。

 

「あの頃、今思えば私は未熟だった。理想ばかりが先行し、仮想世界の魅力を外に正しく表現することができなかった。投資家に、法務に、社会に——この世界が何であるかを、伝えられなかった。直せないなら、そうやって、少しずつあの世界は、別のものに変化していってしまった」

「今回は、それが起きないと言える根拠が——」

「あるさ」

 

統真は遮るように言う。

 

「あのとき、私は、自らが仮想世界に込めた思いを守ろうとしなかった。守り方を知らなかった。守れるだけの力がなかった」

「今は違うと?」

「違うさ。現実を知ったからな。俺も、お前たちも。その上で、理想を目指すのだから」

「……ですが、ビジネスの世界に絶対はない」

 

空気が、ぴんと張り詰めているような心地がした。統真は何も反論しなかった。それは統真も理解している、この世界の絶対的な事実だったし、榊がかつて、自分の夢に誰よりも共感してくれていたことを強く覚えていたからだ。榊もまた、しばらく口を閉ざした。廊下の向こうで、エレベーターの扉が開いて閉まる音がした。

 

「……ひとつだけ、誓ってください」

 

榊はどこかを見るようにして言った。

 

「決して、理想を曲げないと。あの時のように、迎合はしないと」

 

統真の中で、何かが静かに動いた。

矯正したのは自分だ。理想を曲げたのは自分だ。

その榊の言葉がどんな意味を持っているのかということは、すぐに理解できた。

 

「ああ。必ず」

 

榊は返答はせず、ゆっくり頷くと、背を向けて廊下を歩き出した。統真はその背中を一人見送った。失敗はできない。その決意をまた、強く胸に刻み込んだ。

 

 

/

 

 

夜十時を過ぎてから、統真は執務室へ戻った。

通常案件の承認を終え、明日のスケジュールを確認する。ペンを書類の上に走らせる間も、頭の一部はずっと別のところにあった。

最上位秘匿端末を開く。受信はない。だが、『いる』気がした。奴が真に理想を想っているならば。統真は新規ウィンドウを開き、短く打ち込む。

 

『来い』

 

送信。数秒の沈黙の後、端末の画面がふっと暗くなった。

 

「ちょっと、呼び出すにしても雑すぎない?」

 

画面の向こうに、ヤチヨの姿が浮かぶ。

昨夜と同じ登場の仕方だが、今夜は現れるまでの間がなかった。暗くなった、と思った瞬間にはもうそこにおり、ラグがない。ネットワークに慣れたのだろうか。つくづく恐ろしい奴だ、と統真は内心で呟いた。

 

「端的に言ったつもりだが。それに、気を遣う必要もないだろう」

「……社長さん、そういうところあるよねー」

 

ヤチヨが指を鳴らすと画面の中にソファが現れ、ヤチヨはそれに腰かけた。

 

「そういえば、提案書作ったから見てみてよ。昨日よりブラッシュアップしたやつ」

 

ヤチヨが指先を動かすと、端末に新しいファイルが着信した。

 

『TSUKUYOMI / proposal_draft_02』

 

統真はすぐにそのファイルを開く。目的、中核機能、入口設計、想定ユーザー、公開段階、必要技術、運営主体、対外説明方針(暫定)——項目は揃っているが、中身の密度にばらつきがあった。詳しく書かれた箇所と、まだ言語化が不十分な箇所が混在している。

 

「項目の立て方は悪くない……が、まだ粗いな」

「うへ、キビシー!」

「まあ、昨日よりはマシだ。これから……」

 

一段と主張の強い文字が、統真の目に入る。

 

『目的:人が、現実とは別の輪郭として生きられる、繋がれる世界を作る』

 

その一文を、統真はゆっくりと噛み締めた。

投資家の前では通らない言葉だ。だが、別の言葉に直す気にはなれなかった。かつて自分も、これに近い言葉を書いたことがある。正式な資料に残る前の、誰にも見せるつもりのなかった言葉として。

統真は感情を悟らせないように、表情を引き締める。いくつか聞きたいことがあった。本格的にプロジェクトを始めるにあたって必要なことだ。

 

「昨日聞けなかったことがある。入口をコンタクト型にこだわる理由はあるのか? 俺がかつてそれを選んだのには、明確な理由があるが──お前の理由を聞いていなかった」

「あぁ……うん、あるよ。社長のアイデアがいいなって思った理由」

 

ヤチヨは少しだけ考えてから話し始めた。

 

「……人が仮想世界に入るにあたって、何か器具を使わなきゃいけないわけだけど。やっぱりそれがヘッドセットとかだと、装着した瞬間にちょっと構えちゃうと思うんだよね。気持ちの準備が入るというか。ヘッドセットをつけたら、もうその時点で"これから別の場所へ行く"って意識になっちゃうというか。……でも私の好みとしては、そうやって過度に意識せずとも踏み入れられる世界がいいんだ。抽象的な話になるけど……私は『ツクヨミ』を、より自然な世界として認識してもらいたいの。別の輪郭で生きられる世界ではあっても、"特別な虚構"にしたくないというか──ごめんね、わかりにくくて」

 

統真は遮るように呟く。

 

「……いや、わかるよ。コンタクトのような日常的な存在が入口であることで、境目が薄くなる……そういうことだろう」

「! そうそう、そういうことだよ!さすが社長さん!」

 

ヤチヨが弾けたように笑う一方で、統真は酷く驚いていた。まさか、ここまで同じとは、と。

 

「昨日も言ったことだが……難度は分かっているか」

「もちろん。今の技術では、実現までには時間がかかるでしょう」

「時間がかかる、どころではない。むしろ、ここが一番の難所になるだろう。角膜上に長時間乗せる前提なら、素材だけで年単位の話になる。電源、表示精度、視線追跡。それぞれが単独で事業になる難題だ。認知同期はその先にある」

「大丈夫! ヤッチョ、待つのは慣れてますから! ……それに、私は必ず実現させるって信じてるからね」

 

ずいぶんあっさりと言うものだ、と思う。こいつはどうやらあり得ない超技術のアイデアだけはあるが、それの実現がどれだけ難しいことなのかについてはあまり詳しくないらしい。だが、その言葉の芯には妙な確かさがあった。丸投げではない。これだけのものを動かせる場所を、探して来た。そういう重さが、短い一文に含まれていた。否定できなかった。それが余計に腹立たしかった。

 

「……同期仕様を出せ。許容できる遅延、感覚の優先順位、アバター反映で切っていいものと切ってはいけないもの。そこが決まらないと設計できない」

「もちろん。でも、ひとつ頭に入れておいて欲しいのは、スペック第一にはしないってこと」

「何? 理由は」

 

ヤチヨはまた、少し言葉を探した。

 

「社長さんはゲームやったことあるかな。……すごくちゃんと作られたキャラクターが画面の中にいるとして、動きも表情も精巧なのに、何かの拍子に急に人形に見える瞬間がある。逆に、少し動きがぎこちなくても、そこに誰かがいる感じがする場合もある。その差って、スペックの話じゃないんだよねえ」

「理解できるが、主観的すぎるな。それをどうやって仕様書に表す?」

「わかってるよ。それは私でも難しい……だから、あなたたちと一緒に決めたい」

「具体的には」

「実際に入ってみて、確かめるしかないと思う。ツクヨミの中にいる私を、社長さんたちが見て──どこで不自然になるか、どこで『そこにいる』と感じるようになるか、それを繰り返しながら積み上げていく」

 

統真は少し間を置いた。

 

「……ということは、まずコンタクトが先か」

「そうなるね。結局は人間の感覚に依存するから、その方法を取るしかないと私は思ってる」

 

統真は追記メモを入れながら、その言葉を反芻した。《Eidolon》でも、最後まで解けなかったのはそこだった。測れない部分に、人間がいるかどうかの本質がある。解こうとして解けなかったものを、ヤチヨは解こうとするのではなく、積み上げながら近づいていく方法を取ろうとしている。

 

「公開段階はどこから始める」

「最初は宣伝も兼ねて、少人数の招待制にしたい。創作や配信をしてる人に声をかけて、そこから一般公開に移行する形だね」

「インフルエンサー戦略か? なぜその業種だ」

「ここで何ができるかを、最初に見せてくれる人が要るから。マニュアルじゃなくて、実際の体験を見て『ツクヨミ』の本質を理解する──そういう広がり方をしてほしいの。創作の人は表現の幅を作ってくれるし、配信の人はそれを外へ繋いでくれる」

「招待の基準は」

「ツクヨミの中で、別の輪郭を持つことを面白がれる人。それだけ」

「また曖昧だな」

「曖昧だけど、その基準しか設けられない。ここは絶対譲りたくないの。数字を持ってるとか、影響力があるとかじゃなくて……重要なのはそういうことだと思うから」

「反論はない。その選定は共同になるな。視点が偏ってはコンセプトが破綻する」

「私もそのほうがいいと思う。そうしてくれると、すごい助かりマス」

 

 

統真にとって聞きたいことは粗方聞き終えた。残るは最後のひとつだ。

 

 

「そして最後に、運営主体について──『ツクヨミ』の中で、お前をどう位置づけるかだ」

「それは……実は、私もまだ決めかねてるんだ」

「何? そこは重要なポイントだろうが」

「ゴメン! わかってるんだけど、まだ考えがまとまらなくて。私に肩書きをつけるとしたら、何になるんだろうって。入口は社長さんたちに任せるわけだから完全な開発者ともいえないし、それに私は……」

 

ヤチヨは少し言いよどんだ。それから、こちらを探るように続けた。

 

「でも、何となくの理想像はあるの。世界が開いたとき、ユーザーに声をかけて、ここではこういうことができるって教えたり……そういうことを外から説明するんじゃなくて、たとえばNPCみたいな、内側にいながら示せる存在になりたいなって──」

 

統真はその言葉を聞きながら、一つの像を結んでいた。内側にいる存在として、外から来た人間を迎え入れる。こいつは気づいていないようだが、うってつけのアイデアがあるじゃないか。

それを形にするために、統真は決定的な一言を問いかけた。

 

「確認しておきたいんだが──お前は結局どういう存在なんだ?」

 

ヤチヨが、言葉を呑むのがわかった。

 

「全てを明かさなくてもいい。ただ、お前が一個人なのか、何かしらの集団の代表なのか……そもそも人間なのか。それとも、AI のような機械的な存在なのか。そこだけは明確にしておきたい。それによって計画が大きく変わるからだ」

「それは……」

 

沈黙が長い。表情からも、どこか迷っていることが読み取れる。統真はそこに違和感を感じた。やけに渋るが、そこが『ヤチヨ』の弱みなのか? そう思ったが、口に出すことはしなかった。ここで引かれては、ただ今日一日を無駄にしただけになる。統真は沈黙の中、ヤチヨの返答を待ち続けた。

数分は経っただろうか。ヤチヨは息を吸い込むと、覚悟を決めたように口を開いた。

 

「明確には言えないけど、私は……電子的な存在なの。AIのように機械的なものではない。でも人間ではない。そういう、中途半端な存在」

 

統真はすぐに続ける。

 

「そうか。ならお前は──」

「……ちょちょちょ! それだけ!?」

「……急にどうした」

「いやいや、普通はもっと驚いたりとか、いろいろ……」

「お前がどのカテゴリーに属しているのかが重要なだけで、本質的な正体に興味はない。正体が何であれ、お前に意思がある時点で、お前と俺は対等だ」

 

その言葉に、ヤチヨは目をぱちくりとさせると、トーンを落としてもにょもにょと呟いた。

 

「そう、そうなんだ。そっかぁ……」

「何だその態度は……何もないなら続けるぞ」

「はいはーい! うん! めちゃくちゃ続けて! 朝までだっていけるよ!」

 

こいつの情緒がよくわからん。そう思いながらも、統真は表面上冷静に次の言葉を紡いだ。

 

「ヤチヨ。お前がツクヨミの中で配信をすればいい。電子的存在というのは都合がいいな──寿命も長いだろう。お前は、真の意味での生きたVTuberになれる」

 

ヤチヨはわずかに目を瞬いた。

 

「……私が?」

「正体不明の電子存在を企業開発物の顔にするのはリスクが高いが……まあ今更だ。そこは何とかするさ」

「できるかな。私に……」

「できるできないではなく、やってもらう。顔となる存在がいるのといないのとでは雲泥の差だからな。それに、個人的にもお前の情緒というか、性格は配信者向きだと思うが」

 

統真はこの世界の最初の顔を務めるとすれば、それはユーザーではなくヤチヨであるべきだと思った。仮想空間の住人として最初に立ち、文化の雛形を作る。それができるのは、本当にその世界の内側から来た者だけだ。ヤチヨが人間ではないのは好都合だった。

統真は続ける。

 

「ただし、言っておくことがひとつある。お前が表に立つのは宣伝のためだけではなく、『ツクヨミ』という世界がどういうものかをユーザーに示すためだ。その二つは似ているようで違う。『ツクヨミ』という言葉を聞いた瞬間、人々の頭にはまずお前の存在が浮かび上がる……そういう存在、ツクヨミの象徴にお前はなるんだ。お前が世界に込めた理念を、まずお前自身が体現してみせろ」

「…………」

 

しばらく、ヤチヨは何も言わなかった。

昨夜は感情がよく動く存在だと思っていた。今夜もそれは変わらないはずなのに、今この瞬間だけは、その動きが静かだった。何かを本当に受け取ったときの、人間の沈黙に似ていた。電子的な存在の感情が演算だとしても、統真はいま、それを演算と呼ぶ気にはなれなかった。

 

「……わかった、やるよ。私がやってみせる。私が──ツクヨミを世界に示してみせる」

 

やがてヤチヨは、少しだけ笑った。昨夜の弾けるような笑い方とは違う薄い笑みだった。いい顔だ、と統真は思った。やはりこいつは、俺のビジネスパートナーに値する。

 

「それでいい。その時までに訓練はしておけよ。……さて。提案書は、項目の立て方は悪くない。次はもっと中身を詰めろ。同期仕様と感覚再現の優先順位、アバター表現の自由度、公開初期ユーザーの条件——空の項目も全部埋めてこい」

「了解! 次は完璧って言わせてみせるから!」

「それと……今日の会議で決まった。こちらもプロジェクトを正式に動かす」

 

ヤチヨはその言葉を聞くと、ぽかん、とした表情を浮かべた。

 

「……それって」

「正式に組む、ということだ。お前は設計責任者、私は事業責任者として」

「……うん。うん! ありがとう、社長さん! う〜、握手できないのが恨めしい……」

「は。それは、"中"で会ったときにとっておこうか。……これから忙しくなる。今日はここまでだ」

「……うん!」

 

ヤチヨはまた、目を輝かせる。

 

「社長さん、私頑張るから! 全力の全力で、頑張るから! だから……これからよろしく!」

 

それだけ言い残して、ヤチヨの輪郭がゆっくり薄れていく。部屋の中には、さっきまでそこに誰かがいたような気配だけが残った。

端末に、新しいファイルが届いている。

 

『TSUKUYOMI / proposal_draft_02_revised』

 

統真はそれをしばらく眺めて、それから、秘匿回線を開いた。

 

『本日付でフェーズ1を開始する』

 

その一言を送信して、統真は椅子の背へ体重を預ける。ここからだ──自分に言い聞かせるように、そう呟いて。

 

 

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