サルカズ傭兵が幸せになろうとする話
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『俺とお前がする唯一の約束事だ。どっちかが先に死んだら生き残った方が、死んだ奴の分まで大地を這ってでも生きるってな。俺? そうだなぁ……俺が生き残ったら、何処か人の少ない所で畑でもやって、自給自足生活ってのをやってみるかね。今は殺すばかりの生活だが、何かを育てるって事をやってみてぇんだよな。柄じゃねぇってか? ほっとけよ』
『お前も何か考えとけよ。生き残った方が空っぽだったら、死んだ方も報われねぇ』
『……お前、約束、忘れんなよ。お前が生きて行くんだ』
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ロンディニウムのどんよりと濁った空の下、1人のサルカズ傭兵が火の番をしている。手にした棒の先で火種を調整しつつ、仲間の帰りを待っていた。じっとしているよりも動いている方が、考える事が少なくて済むので自身も行きたかったのだが、仲間の一人に火の番を押し付けられ、こうして座り込んでいる。火種が安定した所で棒を手放し、何をするでもなく空を見上げる。今後の行く末を示すかの様に空は濁りきっており、『ここ最近はずっと青空を見ていないな』とサルカズ傭兵はぼんやりと思った。占拠された通りは戦闘の痕跡が多く残り、本来そこに居たであろう人々は完全に姿を消している。戦争が始まってから、多くの人々は何処かへと追いやられ、ある者は抵抗して殺され、ある者は労働者として使われていた。そんな光景を何度も見ている。
暫くそうした後、横に置いていた荷袋の中から封筒を取り出す。その封筒は随分と草臥れた状態になっていたが、中にある紙の束だけはしっかりと保護出来るように補強されている。書物や文献に関心を示さない事が多いサルカズ傭兵には珍しく、彼はそっと中身を取り出すと紙の束を捲って行った。その動作を何度も繰り返した後で、表紙に刻まれた文字を見つめる。暫くそのまま動かなかったが、やがて封筒の中に戻すと、それを火の中に放り込もうとする。そのまま手を離せば、あっさりと燃え上がると言う所まで来て固まる。手放したいのに手放せないと言った様に震える腕を見て、大きな息を吐き出すと諦める様に荷袋の中にそれを戻した。
封筒についた微かな焦げ跡は、この様な事を何度も繰り返して来た事の証だった。
何度も何度も燃やそうとして、結局出来ずに持ち歩いている。
それはある種の呪いの様に、このサルカズ傭兵を縛り付けていた。
サルカズ傭兵は頭を抱えて呻き声を上げる。
「……こんな事、何時まで繰り返す気だ?」
その声は誰にも届きはしない。
この始まりは、ずっと前の事だった。
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豊かな山の中、サルカズ傭兵は狩りの獲物を背負いながら歩いていた。
傭兵業の相棒が自分を庇った事で死に、生き残ってしまった自分は約束に従って戦場を離れた。かなりの時間が経過していたが、自分自身がやりたい事は見つかっていない。結局、戦場から逃げる様にあちこちを彷徨って、ただ生きているだけだ。目的も目標も無く、ただ生きている。そんな死んでいるのと殆ど変わらない生活を暫く続けた後、死んだ相棒の夢をせめて叶えてやろう思いついた。それなりに環境が良好で尚且つ人の出入りが少ない山の中に住み込み、自給自足生活とやらを目指して生きている。しかし残念ながらサルカズ傭兵として生きて来た中で、それに関する知識を得られる機会は殆ど無く、生活の大半を狩りに頼っている。相棒の夢を叶えてやる事すら出来ない自分に、サルカズ傭兵は苛立ちと焦燥感を募らせていた。
住処として使っている洞窟の傍まで戻って来た時、付近に人の気配を感じた。何者かも分からないまま飛び出すのは、自殺行為なのは傭兵として過ごした身として分かっている。自身の持つ武器に手を掛けつつ、そっと洞窟の方を伺えば、何かの荷物を背負った人物が洞窟の中を見ていた。その人物以外は居る様子も無く、一先ず戦闘になった際の危険度は低そうだと判断する。更に様子を観察していると、あちこちでしゃがみ込み地面を触っては何かを呟いている様だった。さっさと何処かへ行ってくれと願う一方で、自分の畑が踏み荒らされている事に段々と我慢が出来なくなる。武器に手を掛けたをままゆっくりと移動し、背後から声を掛ける。
「おい、そこで何してやがる」
不意に声を掛けられたから、悲鳴を上げて分かり易いまでに体が跳ねる。
慌ててこちらの方を振り向いた人物が、荷物を背負ったリーベリの女だった事に初めて気が付いた。
「……サルカズ。貴方が、こ、この洞窟に住んでる人ですか?」
「質問してんのはこっちだ。そこで何してる」
「私は調査の為に山の中を散策していて、偶然この場所を見つけたんです。それで調べてみたら妙に地面が掘り返された形成があったのと、獣ではなく人の足跡が残っていたので、誰かが住んでいるのかなと……」
「それで気になって、人様の住処を物色してたって訳か」
「まだ洞窟の中には入っていませんよ」
「そうかい、それは良かったよ。それよりも先に、さっさと俺の畑の上からどきやがれ」
「……畑?」
リーベリの女は驚いた様に地面を見渡す。
さっさとその場を動かない事に苛立ちを覚え、再度声を上げる。
「てめぇが踏みつけてるそこだよ」
「……」
リーベリの女は足元へ目を落とし、後ろへ3歩程下がった。
「そっちに行くんじゃねぇ、まだ荒らす気か」
「……ごめんなさい」
「あぁ?」
「此処の何処に畑があるのでしょうか?」
「なんだと?」
「私の足元に広がっているのは不必要にひっくり返された土と、そこに生えている雑草達だけです。貴方が示す所には、畑の条件を満たしている場所は何処にもありません。まさかとは思いますが、適当に土をひっくり返してそこに何か生えてきたら、そこが畑である……と言う事ですか?」
「……」
「もしかして、荒れた土壌に対しての作物成長の実験観察の場所だとか?」
「……」
「あの……?」
「ああそうだよ、悪かったな!! 何も知らない素人が、ひっくり返して荒れただけの地面を畑だとか言ってよ!! うだうだ言ってねぇで、さっさと出て行かねぇと殺すぞ!!」
「!!」
情けなさと恥ずかしさで思わず声を荒げてしまう。そのまま背中に背負った狩りの獲物を片付ける為に、洞窟の中に入って行く。その時に見たリーベリの女の顔には怯えの表情が浮かんでいた。ようやっと落ち着いて暮らせる場所を見つけたと思ったら、訳の分からない女に見つかり、その上自覚していた事を正面からぶつけられてしまった。何処に住んでいるのかは知らないが、逃げ出した女は助けを呼び、自分を排除する為の連中がやってくるに違いない。戦場から離れたにも拘らず、またしても戦いの気配が近づいている事にこの世の理不尽さを感じる。サルカズと言う種族は、結局何処へ行っても迫害される存在なのだ。その事に対して諦めの様な感情が胸中で大きくなっていた。
そう思っていたが気配は消えず、未だ洞窟の外に残っている。腰が抜けたのか、立ち竦んでしまったのかは知らないが、どちらにせよ自分の関わる事では無い。そのまま放っていたが、暫く経っても居なくならない。聞き耳を立ててみれば、何やら外で地面をひっくり返している様な音が聞こえる。やがてその音も聞こえなくなったが、まだ居なくなる気配がしない。どうやら洞窟の入り口をウロウロとしている様だった。何をしているのか知らないが、流石に鬱陶しくなって来て武器を片手に洞窟の外へと向かう。
そこには先程よりも多少汚れた姿のリーベリの女が立っている。
「お前─」
此方が何かを言うよりも相手の言葉が遮った。
「ごめんさい、怒らせるつもりは無かったんです。初対面なのに、とても失礼な言い方をしてしまいました」
「あぁ?」
「そのですね。貴方が示した畑を調べてみたのです。やはり土自体が不向きである事、そこに植えられた種が相性が良くない事が分かりました。つまり、このまま畑として活用するのは難しそうなんです」
「だから、何だってんだ? 諦めて出て行けってか? 言われなくても俺は─」
「なので、私の所で一緒に働きながら、勉強してみませんか?」
「……」
「どうでしょうか?」
何を言われたのか、さっぱり分からなかった。
働きながら勉強する? 誰が? 俺が? この女の下で?
元傭兵が、こんな世間知らずなリーベリと?
「はぁ!?」
気が付けば、ここ最近で一番大きな声が出ていた。
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「お前、自分が何言ったのか分かってんのか?」
「はい、勿論です!!」
「恐怖で頭が変になっちまったのか知らねぇが、時間稼ぎならしなくて良いぜ。俺はここから出て行くからよ」
「……出て行って、それからどうするんですか?」
「どうって……どうもしねぇよ」
「だったら、此処に残っても良いと言う事ですよね」
「あぁ?」
サルカズはこのリーベリの妙な押しの強さに困惑していた。逃げだす事も無く、逆にここに留まる様に言ってくるともなると、怪しいを通り越して不気味ですらある。ここに居残らせた上で、後で大勢で襲ってくる可能性も無い訳ではない。だがこのリーベリからは、言葉の裏に含まれる悪意等を感じ取れない。真っ直ぐに此方を見てくる眼は真剣そのもので、先程一瞬見えた怯えの表情は消えている。此処を出て行って、何処か別の場所を探すのが面倒だと言う事もある。だから此処に残れると言う選択肢は、助かると言えば助かる話なのだ。
「お前、何で俺にそんな提案をする? 何か裏でもあんのか?」
「貴方が、本気で取り組もうとしていたのが分かったからです」
「何?」
「先程、貴方が示した範囲を改めて調べてみて分かりました。”畑”としての条件は殆ど満たせていないのは事実ですが、それでも知らないなりに考えて環境を作ろうとした事は確かです。だったら、ちゃんと知識を付けて本気で取り組むべきだと思います」
「……俺が感染者のサルカズでもか?」
「貴方が感染者のサルカズでもです」
「……」
「やりたい事がある、やる気もある、やる為の環境もある。だったら悩まずやりましょうよ」
「……」
「もしかして、お金を気にしたりしていますか? それだったら心配いりませんよ。勉強代と言って、何かを請求する事はありません。逆に畑を手伝って貰いながら学んで頂く事になるので、少ないですがお給金を出す事も出来ます。お金が不要と言う事であれば、生活な必要な物を渡すと言うのでも大丈夫です。他には─」
聞いてもいない事を慌てて話し出すリーベリをサルカズは黙って見ていた。それを不満点や不信感を持たれていると思ったリーベリは、更にあれこれを話していたがサルカズにその内容の半分も届いていない。サルカズは目の前の人物が、何の偏見や差別も無く接している事が信じられなかったのだ。これまでの傭兵生活の中でも、それ以降の流浪生活の中でも、こんな事は一度だって無かった。だから本気で自分に対して提案している事を信じる事が出来ないでいる。しかし、ある種の図太さを備えているとも言える発言の数々に、サルカズは折れる事となった。
「……分かった、分かったよ。やれば良いんだろ」
「本当ですか!?」
「あぁ。けど、俺の事は絶対に誰にも話すな。お前は何も思ってないみたいだが、他の奴はそうじゃねぇ。きっと面倒な事になる」
「分かりました」
「言っておくが、この話を持ち掛けて来たのはお前の方だからな。俺を騙したり、途中で投げ出す様な真似しやがったら─」
「大丈夫です、安心して下さい」
言い切る前に、自信満々にリーベリは返事を返す。
(全く安心出来る気がしねぇ……)
「今はまだ信じて貰えないかもしれませんが、貴方との約束は必ず守ります」
「……そうかい」
「貴方の事は何とお呼びすれば良いでしょうか? 私はゼ─」
「俺に名前なんて無ぇよ。大体のサルカズがそうさ。だから、お前の名前とかも興味が無い。俺の事は適当に呼べ、俺もそうする」
「……分かりました。では、サルカズさんと呼ぶ事にします」
「好きにしろ」
「それではサルカズさん、明日迎えに来ますので、ちゃんと休んでおいて下さいね」
「来るのは勝手だが、俺の許可無しに洞窟の中に入って来るんじゃねぇぞ」
「はい。それでは明日の朝に」
それだけ言うとリーベリの女は道を下って行った。
サルカズはそれを黙って見送る。
短い時間の間に、あまりにも多くの事が起き過ぎていた。
「なんか知らねぇが、凄く疲れた……」
サルカズはそう呟くと、寝床代わりに敷いてある布の上で眠りについた。
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「おはようございます、サルカズさん」
朝日が昇って暫く経過した頃、約束の人物はちゃんと現れた。
(本当に来やがったぜ)
洞窟の中から様子を伺っていたサルカズは、本当に現れた事に驚いていた。相手が言い出した事とは言え、実際に来るかどうかについては半信半疑であったのだ。もしも厄介な方向になった時に備えていたのだが、不必要な事だったと理解する。既にリーベリからは、自身に対する警戒心がすっかりと抜けている事を感じ取ったのである。手に握っていた武器をそっと元の場所へと戻し、最低限の荷物だけ持って洞窟の外へと出て行く。律儀にも言いつけ通り、洞窟には入らず入り口から数歩離れた所にリーベリは立っていた。
「おはようございます」
「……あぁ」
「それでは行きましょうか。ちゃんとついて来て下さいね」
「……おう」
先導する女を追ってサルカズは山道を下って行く。彼女からサルカズに対する警戒心は消えていたが、サルカズから彼女への警戒心は残っている。それ故に挨拶もせず、短く返事をするのみに留まっていたが、リーベリの方は特に気にする事も無く先導している。それは無警戒とも言い切っていい程で、背後から刃を振るえば簡単に殺す事が可能であると確信出来る。その事が逆にサルカズの警戒心を高めているのだが、彼女は全く気が付く事は無い。当の本人はサルカズが、ちゃんと待っていた事に大喜びだったのだから。
「そう言えばサルカズさん」
「何だ」
「朝食は取りましたか?」
「いや、食ってねぇ。昨日、どっかの誰かが押しかけて来た所為で心配事が増えちまったからな。残念ながら、朝の仕込みをする時間が無かったんだよ」
嘘である。
今後の事や万が一の備えをしていた為に、水しか飲んでいない。
更に言えば、このサルカズに料理等と言う上等な能力は備わっていない。
そして『口に入ればそれで良い』を地で行くタイプであった。
これをかつての相棒が聞けば、大笑いしたに違いなかった。
「それは……ごめんなさい」
(大丈夫かこいつ……よくこんなので今迄何事も無く生きて来てこれたな)
その嘘をあっさりと信じたリーベリは、素直に謝罪する。
此方の言葉を疑う事の無さ、純真さをサルカズは心配になって来た。
「宜しければ、此方をどうぞ」
「あ?」
差し出された包みを受け取り、中を見ればサンドイッチの様な物が複数入っている。
「もしも料理をされない方だったらと思って用意したのですが、持って来ておいて良かったです」
「……」
「変な物は入っていませんよ。私の所の畑で採れた物や外で売られている物ばかりですから」
「……そうかよ」
先導するリーベリの後姿を見ながら、貰ったサンドイッチを口に放り込む。サルカズは口の中に広がる味を噛みしめると、久し振りにまともな食事をとった気がした。1つ食べてしまうと次から次へと食欲が湧いてくる。気が付けば受け取った分を全て食べ終えていた。人と言うのは強欲でまともな物を食べると、次はまともな物が飲みたくなる。そんな欲求が湧いてくるのを見越してあったかの様に水筒が入っていた。サルカズは少しだけ悩んだが、結局中の水を全て口の中に流し込む。これもまた、普段飲んでいた水とは違った美味しさがあった。
「おい、これ返すぜ」
「もう食べ終わったんですか? ゆっくり食べないと体に良くないですよ」
「お前が気にする事じゃねぇよ。ま、中々美味かったと思うぜ」
「そうですか、それは良かったです。サルカズさんもこの位、直ぐに作れるのでしょうね」
「……どうだかな」
「もう直ぐ、着きますからね。そこを抜ければ到着です」
(こいつ、もしかして……)
木々を抜けた先に小さな家と畑が見えた。
決して大きくは無いが手入れされた家と広めの畑。
既に多くの物が植えられていて、それぞれが思い思いに成長している。
サルカズにとって、これまでの生活とは程遠い理想郷がそこにあった。
「……ここ、お前の家だったのか」
「近くまで来た事があったんですか?」
「この山に何があるか調べてた時に見かけただけだ。家があるのは知ってたがデカい畑があるとは思わなかったな」
「成程、そう言う事でしたか。ここで色々な事を学んで行って下さいね」
「……そうさせて貰うさ」
またしても嘘である。
サルカズは以前ここに来た事があった。
先程の話の通り、調べていた時に見つけたと言うのは本当である。
ただその時、幾つかの食材を黙って持って行った事は口が裂けても言えなかった。
盗みを働いた事のある相手から家に招待され、そこで学びを得ると言う奇妙な話。
(これからどうなっちまうのやら……)
サルカズは色々な意味で不安で一杯になっていた。
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日が高くなった頃、サルカズは極度の疲労感から日陰で倒れていた。
(体が重い……それにあちこち痛てぇ……畑仕事ってこんなに大変なのかよ)
リーベリの家と畑についてから、簡単にこれから何をするかの説明を受け、実践作業に移る事になった。畑を拡張すると言う事で、道具の扱い方から名前等を教えられ、更に土の扱いや特徴、どの様な種類があるのか等、数多くの事を簡単に教えて貰う。一度で覚える事は出来る筈も無く『ぼんやりで良いから覚えて下さいね』と、かなり嚙み砕いて教えてくれたのだと思う。いざ道具を手に土に触れてみれば、全く思う様に行かず疲労感ばかりが蓄積していく。サルカズは体力には自信があったし、体の使い方も剣を振るうとの大差ないと思っていたのだが、全く上手く行かず土を整える所かまき散らすだけの結果になっていた。やっとの思いでちょっと出来たと思えば、リーベリは数倍以上のペースで進めており酷くショックを受けた。
一通り教えを受けて、簡単そうだと思っていたのに上手く行かない事ばかりだった。
『この道具、刺さったは良いが抜けねぇ』
『それは力の入れ過ぎです』
『こいつ……全然土を掘れねぇ』
『それは力の抜き過ぎです』
『クソ、加減が分からん』
『慌てなくて良いので、まずはゆっくり着実にやりましょう』
『畜生、背中痛てぇな……』
『姿勢が崩れてますよ。こうです、こう』
『……あぁ? 俺とどう違うんだよ』
『よく見て下さい。そこをもうちょっと降ろして、そうです、そう、良いですよ』
『……こう、か。何となく掴めて来たぜ』
『もう分かって来たなんて、凄いですよ』
『大丈夫ですか? 無理せず休憩して下さいね。初日なんですから、ゆっくりやって行きましょう』
『……俺は、まだ、やれる』
『お言葉ですが足と腰が震えてますよ。一旦休憩にしましょう、ね? いきなり体を壊したら元も子もありませんよ』
『……お前も休むのか?』
『いえ、私はまだやりますよ。そうしないと目標まで進まないので』
『……マジかよ』
『私の事は気にせず、休んで下さい』
驚愕の声を上げた後、情けない事に足腰の限界を感じ、そのまま日陰に倒れ込んだ。
ようやっと体を動かせるようになった頃、半身を起こして畑の方を見ればリーベリが柵を作って立てているのが見えた。結局実作業の8割以上を1人でこなしていた事に、サルカズは驚きを覚えずにはいられなかった。あの細い体の何処に、この重労働をこなしきるだけの体力があるのか不思議でならない。武器を振るうのとは全く違う体の使い方、力の加え方を覚え、更に経験やコツの熟知と言った部分が大きく関わっているのだが、それをサルカズが理解するのはもう少し先になってからの話だ。作業の様子を眺めていたサルカズは、リーベリが道具を使わずに小さな金具を曲げているに気が付いた。
「お前、アーツが使えたのか」
急に声を掛けられたからか、リーベリの肩が少しだけ跳ね上がった。
「サルカズさん、もう起きても大丈夫なんですか?」
「……お陰様でな。結局少しだけ作業をして昼寝してただけだが」
「誰だって最初はそういう風になりますよ。むしろサルカズさんは長く作業出来た方です」
「俺への憐れみのつもりか」
「本当の事ですよ」
そう言いながらもリーベリは手元の作業を止める事はしていない。
「お前のアーツ、物に力を加える系列か」
「どうなんでしょう。私は基本的なアーツの勉強しかやった事がないので、分類までは分かりません。私に出来る事は、こうやって小さな金属の形を少しだけ変えたり、凹みが出来たお鍋とかを元の形に戻したりする程度です」
「対象は金属類だけなのか?」
「いえ、基本的に何でも。やわらかい物であれば、それなりの大きさになっても使う事が出来ます。あそこに置いてある塵等は私が小さく圧縮したモノですね」
「どおりで不自然に正方形になってると思ったぜ。人に対しても使えんのか?」
「人にはマッサージ程度の力にしかなりませんよ」
「ま、それ位の方が良いと思うぜ。特にアーツってのはな」
その言葉を聞いて、リーベリは作業の手を止めてサルカズを見た。
「そうなんですか?」
「強けりゃ強い程良いって奴も居るが、お前みたいな戦場や暴力とは無縁の奴には必要ねぇだろ。力を持ってるって事は争いの中で生き残る事が出来るが、同時に力を持ってるって事は争いに巻き込まれる原因にもなる。ある日突然、強力なアーツを使えるからって理由で命狙われたら、たまんねぇだろ?」
「それは、そう……ですね。私にはそんな大きな力は必要無いです。生活の中でちょっと便利に使えるだけで十分です」
「だろうな。元々アーツってのはそう言う類のモンだったと思うが、何時の頃からか力の象徴とかと同一視される様になってったと言う訳だ」
「お詳しいんですね、アーツの話」
「サルカズってのは、源石やアーツとかと縁が深い種族だからな」
「……成程」
「だからこそ、感染者になる奴が多いし差別もされるって訳だ」
「……」
「お前が気にする様な事じゃねぇだろ。ま、お前が世間知らずであると同時に差別意識も無ぇってだけで、俺としては楽なもんさ。あぁ、そうだ。感染者になった途端、身の丈に合わねぇ力を持っちまう奴がいる。元が単純なアーツである程、制御がイカレちまった時にぶっ飛んだ力を発揮する事が多いんだってよ。ま、お前には縁のは無い話だとは思うがな。一応覚えておけよ、もし─」
サルカズは色々な話をする。それはこれまで”誰かと話す”と言う事から離れていた事の反動なのか、リーベリが聞き上手だったからなのかは分からない。何時の間にかリーベリは作業の手を止め、サルカズの側で真剣に話を聞き質問をした。それに対しサルカズも嫌がる事も無く、これまでの生活や戦場の出来事、見聞きした事を話し続ける。それは静かで穏やかな時間だった。特別親しくも無いこのリーベリに対して、どうしてこんなに話をしたくなるのかは分からない。彼女が差別の意識を持っていないからか、無意識の内に今迄会って来た誰よりも善良であると感じ取ったからなのか。
それから色々な話をした。
「生き方や種族について、そんなに複雑に考える必要は無いと思いますよ。確かに、今迄の歴史や行い等はありますが……皆この大地に生きているのですから。きっとお互い手を取り合う事が出来ます。それにほら、まだ小さな始まりですが、私達がその一例じゃないですか」
「はん、お前みたいに夢見がちな奴ばっかりだったらなら、その内にそうなるかもしれねぇな」
「何があっても、私達は仲良くやっていきましょうね」
「ふん、勝手に言ってろ」
サルカズは土を触りながら、ぶっきらぼうに答えた。
何が理由なのかは分からない。
だがきっと、サルカズは己の内に抱えている物を誰かに話したかったのだ。
誰かに話して、分け合いたかったのだ。
何故なら、このテラの大地は独りで生きて行くには広すぎるのだから。
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初日は結局、長い話の後でちょっとした作業をしただけになった。大した手伝いも出来ていなかったのだが、リーベリからは随分と感謝され、大きめの寝袋とランプセットを贈られた。サルカズは必要無いと最後まで反抗していたが、出会いの時と同じく謎の押しの強さに負け、最終的に夕食と一緒に受け取る事になった。そのまま別れを告げサルカズは洞窟へと戻り、今日の出来事を振り返る。今日の様に誰かと関わりながら1日を過ごすと言う事は、相棒が死んでから随分と経験していない。誰かと共に目標をもって作業をする。その事はかなりの疲労感の中でも、確かな充実感を得る物だった。
『夕食、ここで食べて行っても良いんですよ?』
『会って間もない。大して親しくも無ぇ女の家で飯を食う趣味は持ってないんでな』
『そうですか……一緒に働いたなら大丈夫だと思ったんですが』
『なんでお前が残念そうなんだよ。本当によく今迄無事だったな』
『?』
『分かってねぇなら、それで良いさ。じゃあな』
『あ、そうだ。作り置きしてあるのを良かったら、持って帰って食べて下さい』
『……分かったよ』
『では、また明日』
『─あぁ。明日からは迎えに来なくて良いぜ。道も分かったし、勝手にそっちに行く』
『分かりました、お待ちしています。今日はゆっくり休んで、また明日も頑張りましょうね』
『じゃあな』
サルカズは貰った料理をつまみながらぼんやりと思った。
(感染者でもサルカズでも無い相手から、”また明日”なんて言われる日が来るとはな)
(不思議な事になったもんだ……けどまぁ、悪い気はしねぇな)
その夜、サルカズは不思議と苛立ちと焦燥感を覚える事は無かった。
あるのは充実感に伴う疲労感、そして明日の事を考える余裕だ。
”明日”と言う未来の事について考える。
この様な感覚は、とっくの昔に無くなっていたと思っていた。
「俺はようやっと、新しい一歩ってやつを踏み出せたのかもしれないな」
サルカズは無意識にそう呟くと、貰ったばかりの寝袋にごそごそと潜り込んで行く。
ただ寝る為だけの道具であったが、その中は今迄のどの寝床よりも快適だった。
(明日は何すんだろうな……)
心地の良い疲労感を抱えて、サルカズは寝袋の中であっさりと眠りに落ちる。
その寝息はとても穏やかだった。
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初日以降、サルカズは朝早くに目覚めると山道を降りて畑で働き、日が暮れる頃に洞窟に戻ると言う生活をしている。大体決まった時間に起きて、何かに取り組むと言う事はこれまでの人生の中で一度も無かった。毎日毎日、決まった目標に向けて体を動かし学びを得ると言う事に対して、存外楽しいと感じるのはサルカズにとっても意外な事だったのだ。農具や道具を振るって汗を流し、日々作物の成長に喜びを感じる。命を奪ってばかりだった自分が何かを育てていると言う事に、不覚にも涙が出そうになったものだ。幸いにもリーベリに悟られる事は無かったが、その日は気恥ずかしさから妙に距離を取ってしまい、随分と心配をされてしまった。
サルカズはリーベリの女からは数多くの事を教わった。畑に関する多くの知識、作物を育てる為の知識、数多くの道具の使い方や作り方。それらを重ねて畑を手伝っている内に、何時の間にか多くの事が出来る様になっていた。始めたばかりの頃は毎回リーベリに確認しなければいけなかった事も、自然に1人で出来る様になっている。その事をリーベリに指摘されるまで、自分で全く気が付かなかった事に驚いた。その日は逆に不安になってリーベリに作業結果を確認してしまい、笑われたりもしていた。十分に出来ていると褒められた時も、照れ隠しの為に変な態度になってしまった。
「気が付けば、此処も随分と快適な場所に変わっちまったな」
夜、サルカズはそう呟く。
サルカズが住んでいる洞窟は当初の姿からすっかり変わり、立派な生活環境が出来上がっている。寝床代わりに使っていた布は片付けれられ、そこには組み立て式テントと寝袋が設置されている。更にキャンプ椅子と机、照明代わりのランプ等数多く取り揃えられている上に、自作の作業机や棚までも増設されている。これらの多くはリーベリから給与代わりに贈られた物で、『あったら便利ですよ』と次々に押し付けられている。サルカズは既にリーベリの押しの強さに屈しており、受け取る事以外の選択肢を失ってしまっていた。リーベリの仕事の多くを手伝える様になった事に対する、正当な対価だと本人は主張していたが実際に釣り合っているのかは分からない。
サルカズはリーベリによって数多くの事を習得させられる事になる。
「おい、持ってきたは良いが、この袋のここ何が書いてあるんだ?」
「成分、使用時の分配等についてですね」
「……内容が分からねぇから、悪いがこれは手伝えないな。自分でやってくれ」
「サルカズさんは読めないんですか?」
「俺みたいなサルカズは、読み書き出来る奴の方が珍しいぜ。簡単な文字を読む事は何とかなるが、書いたりするのは無理だな」
「そうですか……」
「じゃあ、此処に置いとくからな」
「サルカズさん、それも勉強をしてみませんか?」
「はぁ?」
「貴方は飲み込みが早いですし、きっと直ぐに出来るようになりますよ」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ、出来る訳ねぇぜ。それに読み書きが出来なくたって困らないだろ」
「つい先程困ってたじゃないですか。それに読み書きが出来ると世界が広がります。言い方を変えると、勉強や読み書きは出来なくても生きていけますが、出来ると生きて行く上での選択肢を増やせるんです。学び得た事は貴方を裏切る事はありません」
「……気が向いたらな」
「興味のある分野と結び付けてみると、楽しく習得する事が出来ますよ」
こうしてリーベリから教材を押し付けられる事になった。全くやる気は無かったのだが、教材と一緒に渡された図鑑が眺めていると思いの外興味深く、その内容をちゃんと理解したいと思った。気が付けば読み書きの練習を始めて、辞書を片手に図鑑を見る様にもなっていったのだ。書くのは得意ではなかったが、意外にも読むのは面白かった。畑仕事を終えて、洞窟で寝るまでの間に読み書きの練習をする様になって暫く経過した時、サルカズはふと気が付いた。
「まんまと、あの女の思惑に乗せられてるじゃねぇか!!」
思惑も何も、自身が勝手に始めたのだが、その日はそう叫んで悔しさのあまり即座に寝袋に飛び込んだものだ。
こうしてサルカズは読み書きを習得させられたのだった。
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また別のある日、収穫した野菜をその場で食べていた時の事。
「やっぱ美味いな、これ」
「サルカズさん、採りたての野菜とか全部そのまま食べてますよね」
「そのままでも美味いからな」
「料理で味を加えたりとかはされないんですか?」
「あー……面倒くせぇだろ」
「あれ? でも確か、最初の日に─」
「言ってねぇよ」
「え?」
「”料理が出来る”とは言ってねぇよ。”仕込む時間が無かった”とは言ったがな」
「じゃあ、サルカズさんは料理出来ないんですね?」
「まぁな。とは言っても、口に入ればどんな物だって同じだろ。必要な栄養素が取れれば、手間が掛かっていようがいなかろうが大差ないって─」
サルカズはそこで、盛大に失言をした事を悟った。この女の前で”○○が出来ない”と言ったが最後、習得させられるに決まっている。決して強要はしてこないが、妙な押しの強さに負けて最終的にやるしかないのだ。今迄もそうだった。サルカズは密かに、生活水準が以前に比べて上がり過ぎている事に恐怖している。上がり過ぎた生活水準を経験してしまうと、逆に下げる事が難しい。快適な睡眠、以前に比べて確実に肥えた舌、読み書きに伴う読書と言う趣味。これに加えて料理まで覚えてしまったら最後、今迄の様な雑な食生活に戻れない確信があったのである。
「おい、俺は─」
「サルカズさん、料理やってみませんか?」
(─不味い、遅かった!!)
「そのまま食べても美味しい物を、もっと美味しく食べてみたいと思いませんか?」
「それは良いかもしれねぇが、流石に向き不向きってのがあるだろ? デカい剣振り回すならまだ良いが、お前が使ってる様な小物を繊細に扱える気がしないぜ。それに出来なくても困んねぇだろ」
「それ読み書きの時も同じ事言ってましたよ。それが今ではすっかり色々な本を読む様になってるじゃないですか。同じですよ、同じ」
即座に逃げ道を潰された事を悟る。
(どうやっても、回避方法が見つからねぇ)
「……」
「少し前に食べた、あの美味しいお肉覚えてますよね」
「あれは確かに美味かったな。俺が以前、火で炙って食った肉と同じとは思わなったぜ」
「あれを自分で作れる様になって、好きな時に食べたくないですか?」
「……」
「サルカズさんは狩りがお上手ですし、一度覚えてしまえば色々な物を作れる様になりますよ」
「それはそうだろうが……」
「料理の本も読んでみると面白くて、色々な発見がありますし読み書きの勉強にもなると思います。それに貴方は多分、ご自身が思っている以上に真面目で努力家です」
「……」
「材料もありますし、今からやってみませんか?」
「分かった、分かったよ!! 出来る様になりゃ良いんだろ!?」
サルカズがこの手のやり取りで、リーベリに勝てた事はこれまで一度も無い。結局、今回も押し切られ外に用意した調理器具の前に立たされていた。それぞれの説明を受け、まずは手本としてリーベリが一通りやって見せる。それを見様見真似で行い、適宜指導を入れられていた。刃物の扱い自体は慣れた物である為か、食材の加工等は手早く行う事が出来た。手順についても、用意されたメモに従っていれば間違う事は無い。リーベリの言った通り、サルカズは本人が思っている以上に真面目で努力家であり、新たに習得しようとする技術についても、基本的にちゃんと取り組んでいた。
料理とは基本的に、手順通りに従えば素人でも、ちゃんと出来るのである。
そう、手順通りに従っていれば。
それはリーベリが道具を取りに、少しばかり目を離した時の事だった。
(薄く油をひいて、肉単体を弱火でゆっくり焼く……と)
(弱火でゆっくり焼くって事は、油多めにして強火にしたら早く焼けるんじゃねぇのか?)
(取りあえず、試してみるか)
閃きと好奇心、ほんの少しの面倒臭さを加えて。
サルカズは一気に火の勢いを限界まで強めた。
その結果として、燃え上がる肉、立ち昇る火柱。
「おわぁぁぁぁぁ!?」
想像以上の火勢に思わず叫ぶサルカズ。
「わぁぁぁぁぁぁ!?」
その光景を見て、持って来た道具を放り投げて駆け寄るリーベリ。
即座に火は止められ、黒焦げになった調理道具と肉が出来上がった。
「な、なに、何をしたんですか!?」
「……弱火でゆっくり焼くと書いてあったから、強火にしたら早く焼けるのかと思ってな」
「……その気持ちは分かります、気持ちは分かりますけど、料理の手順は理由があってそうなっているんです。手順のアレンジや自由な発想で料理をするのは、ちゃんと基本に従って出来る様になってからにしましょうね……」
「今、それを身をもって理解した所だ……」
「怪我とかはありませんか?」
「それは大丈夫だが……悪かったな色々と駄目にしちまって」
「誰だって失敗はします。慣れて来た頃に事故を起こすより、一番最初にこう言った経験をしておく方が良かったりしますよ」
「……次はやる前に確認を取るさ」
「私も目を離していたのにも問題があります、そんなに落ち込まないで下さい」
「別に落ち込んでねぇよ」
似た様なトラブルを何度か経験しながらも、多くの経験を積まされる事となった。
こうしてサルカズは料理も習得していった。
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とある日、サルカズは以前から気になっていた事をリーベリに聞いた。
「前から気になってたんだが。なんでこいつだけ、区切られた場所に植えられてんだ?」
「それは私の研究対象だからです。私がここで1人生活しているのも、それについて調べてる為ですね」
「へぇ、これ食うと美味いんだよな。ここに来る前、食えそうだからその辺に生えてるのをつまんだ事あるぜ」
「”食べられそうだから食べた”で今迄よく無事でしたね……これはこの近域の固有種なのですが、人の手の栽培が難しく、自然に生えているのを集めるのも大変なんですよ」
「知らなかったな」
「そのまま食べても栄養価が高いですし、保存食としても使えます。他には痛み止め薬の原料にもなったりします。ですが安定した供給が得られないので、その事を知っている人はあまりいません。なので私はこれが多くの人の手に渡る様にしたいと思って、安定した栽培方法を研究しているんです」
「なんでお前がこんな所で1人で生活してるのか気になってたが、そんな理由だったとはな」
「そう言えば話していませんでしたね」
「そりゃ、聞いてねぇからな」
サルカズはそこに植えられている物を眺めて言う。
「確かに、ここで育ってるのは実も小さいし痩せっぽちだ」
「そうなんです。人の手ではここまで成長させるのも難しい上に、自然の中で育っている物よりも更に小さくなってしまって……本来の半分以下の要素を持った実しか付かないんです」
「へぇ、そいつは大変だな。こいつそこら中に生えてたから、これがそんな貴重な奴だとは思わなかったが」
「……え?」
思わず作業の手を止めてリーベリはサルカズを見た。
「実もデカくて多かったし、袋詰めにして持ち歩いてたんだ。今思うと知らなかったとは言え、悪い事しちまったかもな」
「……実が大きくて、袋詰め出来る程に沢山あった?」
「あぁ、これより遥かにデカかったぜ。最初ここで見た時は、同じ種類だと思わなかった位だ」
「サルカズさん」
「あん?」
「それ何処で見たんですか?」
「あー? 山の上だよ」
「どこの山ですか!?」
「……急にデカい声出すなよ。ここから2つ3つ山を越えた所だ。お前が知ってるかどうかは分からないが、しょっちゅう雷が鳴ってる山だよ」
「その山の事は知っています、落雷も多く登る事自体が難しいと。その山頂付近で見たんですね?」
「そうだな。ま、確かに酷い環境だったぜ? 雨は良く降る、雷は五月蠅ぇし、住み着いている獣も狂暴だったしな。人が寄り付かないってのは良いが、あそこに住もうって気にはならなかったな」
「……」
その話を聞いてリーベリはその場所へ案内出来ないかと頼んできたが、サルカズはその場所の危険さから嫌がり断った。そもそも断ったのは、あの危険地帯にリーベリを行かせたくなかったからなのだが、単独で向かうと言い出したので結局一緒に行く事になってしまった。危険な事には変わりないが、一緒に行った方がまだ安全だと言う判断によるものだ。それなりに長い期間の調査になると言う事で、準備期間を置いてからの出発となる。
「山を登るだけなのに、お前は何でそんな重装備なんだ?」
「危険な山を登るのに、サルカズさんは何故そんな軽装なんです?」
当日そんな種族差によるちょっとしたトラブルがあったのだが、ともあれ無事に出発した。
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道中何度も危険な目に遭いながらも登山を続け、山頂付近に到達する。そこにはサルカズの言った通り、雷が鳴り響く山の中に目的の物が大量に生息していた。そしてこの山以外で見られるのよりも、遥かに大きく成長している。あまりの個体差にリーベリは驚きの声を上げ、幾つかのサンプルを採取したり環境データを収集していた。その間サルカズはする事が無く、周囲をうろうろしながら時間を潰している。単純な作業等であれば手伝う事も可能であったが、研究分野の内容を含まれる場合、流石に出来る事は無かった。
リーベリは数日かけてサンプルデータの収集を行っていたが、何故ここの個体が大きく成長しているのかと言う点は解明出来ずにいた。土の性質が特殊な訳でも無く、環境が特別良い訳でも無い。それなのに妙に成長が早く、そして高品質である事が謎だった。山頂付近は落雷の影響で焼けている所も多く、植物が成長する環境としてはむしろ悪いまである。同じ環境に生息している他の植物等は目立った成長はないのだが、観測地点のそれらは日々大きく成長して行く。その理由についてリーベリはずっと頭を悩ませている。
「おい。ここに来てそこそこ日数が経ったが、まだ終わんねぇのか?」
「はい、残念ながら……」
「分かってると思うが、もうそこまで食料の余裕は無いぞ」
「分かっています……」
「俺はそろそろ退屈で死にそうだぜ」
「先に帰られますか?」
「1人で帰って、お前に何かあったら目覚めが悪いだろうがよ」
「ありがとうございます」
「……礼を言う所じゃねぇだろ」
明らかに詰まっている様子のリーベリに、サルカズも何と言うべきか困っていた。
「……サルカズさんは、何か気が付いた事とかありませんか?」
「あぁ? 俺みたいな素人に聞いてどうするんだよ」
「そう言わずに、何でも良いのでお願いします」
「と言われてもなぁ……」
「……」
「─本当に何でも良いんだな?」
「はい」
「お前が調べてるやつ、あれは別に山頂付近にだけじゃなくて割と色んな所に生えてたよな。俺の見間違いじゃなければ、下の方程小さく山頂付近のやつ程デカくなってる。んで、上の方程荒れた環境になってるのは間違いないだろ?」
「そうですね」
「暇だったから歩き回ってた時、雷が落ちて来てな。丁度その下にあった奴が燃え上がったんだ。俺はてっきり落雷に耐えられるから、ここいらのはデカくなってるのかと思ってたんだが違った訳よ」
「それは私も思いました。気になったので調べてみたのですが、特別頑丈と言う訳でも無いみたいですね。大きく成長している分、多少丈夫と言う程度でした」
「なんだよ、やっぱり気が付いてたのか。まぁ雷ってのは関係ある様に思えて、実は直接的には関係ないのかもな」
「と言うと?」
「あれだよ、獣とかと同じだ。雷の音とか光とかを感じると、身を寄せあって守る為に集団になるってやつ。案外植物にも、そう言ったのを感じ取る器官があったりしてな」
「─え?」
「だから、耳とか目とかそんな感じの、似た様な器官があるのかもなって話だよ。それで雷の音とか光とかを感じ取ってるから、身を守る為の反応で大きく育つ……なんてな、そんな訳ねぇか」
リーベリは驚いた様にサルカズを見ていた。
「……」
「何だよ、そんなにこっち見やがって。どっかにゴミでもついてんのか?」
「サルカズさん」
「あ?」
「さっきの話ですが、もしかしたら正しいかもしれません」
「どの話だよ。まさか植物にも目と耳があるってやつか? 本気かよ」
「そうです。確かにそうであれば辻褄があいます。どうして私にはその発想が無かったんでしょう……植物の成長過程の事を考えれば、その様な器官が発達している種があったとしても、不思議じゃありません」
リーベリはノートを広げると、色々な事を呟きながら何かを書き記していく。
今迄停滞していたのが嘘かの様に動き出した彼女を、サルカズは呆気に取られて見ている。
「……難しい事は分かんねぇが、解決したなら良かったな」
サルカズはそう呟くと、この退屈な時間がもう少しだけ続く事を予感していた。
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サルカズの言葉から着想を得てから、リーベリは凄まじい勢いで調査を進め再現環境の為のデータを集めた。流石のサルカズも手が足りていなさそうだったので協力を申し出、サンプル回収の為に山の中を走り回る事となった。設置された機器の数字の読み取りや書き込み等、単純作業故にサルカズでも十分にこなす事が可能だった。リーベリによって、これまで習得させられた様々な知識や技術が役立だったのだ。結果として退屈な時間は一切存在せず、機器観測の為に寝ずの番をしたりと、ここに来てから特に忙しい日々を過ごした。2人の頑張りによりデータの収集は十分に行え、大きな成果を上げた後に帰る事が出来た。
2人は家への帰路の途中、日が落ちた山の中でキャンプをしている。
リーベリが焚火の火種を突きながら唐突に言う。
「サルカズさん、貴方が居てくれて本当に良かったです」
「急になんだよ」
「貴方が居なかったら、私はあの山に行く事も出来なかったでしょう。仮に行けたとしてもこの短い時間であの発想に至る事が出来ず、何の成果も無いまま帰る事になっていたに違いありません。でも貴方が居たから、私は研究を一気に進められるかもしれないんです」
「そりゃ良かったな。まぁ別にお前なら時間を掛ければ、1人でも同じ様な所まで行けたと思うがな」
「もしそうだったとしても、きっと長い時間が掛かるでしょう。早く研究を進めて論文に纏められたなら、それだけ多くの人を早く助ける事が出来ます。助けられたかもしれない人達、必要としている人達を全て救う事は出来ないでしょう。ですが取りこぼす数を減らす事は必ず出来ます」
「……お前はそればっかりだな」
「え?」
「前から思ってたが、お前は”誰かの為、皆の為”そればっかりだぜ。そんな必死になって、誰かを助ける必要がお前にあんのか?」
「……」
「別に悪く言うつもりはねぇけどよ。俺も助けて貰った身として言うのもあれだが、何がそこまで駆り立てるんだ?」
サルカズの問いに、リーベリは黙り込んでしまった。
囲んだ火がパチパチと音を立てている。
「─やっぱり、そう感じますか?」
「まぁな。出会った当初は分からなかったが、それなりに長い時間を同じ所で働けば気が付くさ」
「元を辿れば、なんて事の無い話です。ただ何も出来なかった子供が、今も失った物を探しているだけなんです」
「……」
リーベリはその話を聞いてくれとは言わなかった。
サルカズはその話をしてくれとは言わなかった。
片方がただ話をして、片方がただ話を聞く。
それは在り来りな昔話だ。
「私は本当の両親の顔を覚えていません。覚えているのは、育ての親と言うべき人達に拾われてからの事だけです。私は旅商人であった2人に、荒野で倒れていた所を保護されました。2人はとても善良な人で、何処かの町で孤児院にでも入れられた筈なのに、名前を与え自分達の子供の様に接してくれたんです。赤の他人である私に空いた時間で読み書きを教え、生活の為の知恵や技術を習得させてくれました。拾われてから少し成長した頃、聞いた事がありました」
『どうして私と一緒に居てくれるの?』
『子連れに見えた方が、面倒事に巻き込まれないからさ』
『……』
『それと、君からは未来の匂いがするからね』
『?』
「何を言っているのかは、私には分かりませんでした。ただ私に何かを期待してくれている事は、子供心なりに感じたんです。それから大きな町に着いた時に、親しい人に預けて私を学校に行かせてくれました。その頃は頻繁に会う事は出来ませんでしたが、様子を見に来てくれた時は沢山話を聞かせてくれましたし、私の頑張りを褒めてくれました。そして話の終わりに必ずこう言ったんです」
『貴方が多くの事を学んだのなら、今度は貴方が誰かを助けてあげてね』
「私はそれからも、その言葉を果たせる様な人間になろうと努力しました。大人になったら、2人と一緒に人々を助けるのだと疑っていなかったんです。そして学校を卒業して、町の中で色々な仕事を手伝いながら、2人が会いに来てくれるのを待っていました。帰って来た時にきっと私の事を褒めてくれると、次は一緒に行こうと言ってくれる筈だと思って」
リーベリはそこで話を一旦切った。
サルカズは相槌を打つ様な事はしなかったが、静かに聞いている。
「でも、私はもう二度と会う事はありませんでした」
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「月に1回必ず送られてくる連絡が途絶え、2人が行方不明になったと聞いたのは随分前の事です。生きているのか、死んでいるのかも分かりません。捜査依頼は出していましたが、手掛かりも無く、時間も経ちましたし打ち切られています。私も出来る範囲で調べたりはしましたが……元々目的地も特に決めず、直感と気分で決める人達でしたし、何の情報も得られません。この広い大地で、たった2人を探し出すのがどれほど大変なのか、私は理解しています」
「……」
「2人が生きていると信じたいですが、その可能性はもう無いのも分かっているんです。ですが、生きているにしても、死んでいるにしても、2人に恥じない自分でありたい。そう思って生きてきました。この地域に来たのだって、僅かな足跡を追いかけた結果で、研究を始めたのも偶々見つけた資料があったからです。でも結局、私は得られなかった望んだ未来……2人の幻を追いかけているだけなのかもしれませんね」
「……」
「誰かの為に、皆の為に、これらはきっと私が、この大地で生きて行く為の言い訳なんです。だから誰に対しても優しく、助け合おうと振舞っています。そうしないと、私は2人の望んだ事を果たせているかすら分からない。2人に恥じない自分でありたいと言っていても、本当は自信が無いんです」
「それで、俺に対して最初から妙に構って来てたって訳か」
サルカズはそこまで聞いてようやく口を挟んだ。
リーベリは申し訳なさそうに言葉を続ける。
「そうです。困り果てていた貴方を見て、昔の自分と重ねていたのかもしれません。2人の様に誰かを助けて、多くの事を与えたかったのか、満たされていなかった何かを、貴方を使って埋めようとしたのかもしれませんね……」
「別に気にする事は無いと思うぜ」
「え?」
「お前にどんな過去があったかとか、何を考えてたとか、俺にはあんまり関係ねぇし興味もねぇよ。結果として俺はお前のお陰でこうして生きているし、多くの事を学ばせて貰ってる。お前が託された”誰かを助ける”ってのは、これで十分に達成出来てるじゃねぇか」
「……」
「そんで今もこうして、”皆の為”に役立つ研究をしてる訳だろ? さっきも言ったが、そこにどんな思いがあったか知らねぇし、今も何を考えているかなんて知らねぇけどよ。”誰かの為に、皆の為に”って目標に突き進めてんなら、お前の育ての親だって手放しで褒めるだろうさ」
「─そうでしょうか? 褒めてくれるでしょうか?」
「俺が知るかよ。お前の知ってるそいつらがどう言う奴だったかなんて、お前の方が詳しいだろうが」
「……そうかも、しれませんね」
「お前のこれまでの妙な押しの強さは、きっとそいつらから学んだ事だろうさ」
「─ありがとうございます」
「……ふん」
サルカズは焚火に燃料を追加し、火の勢いを少しだけ強めた。
「皆、私達の様にちゃんと向き合って話し合えれば良いのに」
「急になんだよ」
「種族も鉱石病も関係無く、全ての人達が話し合えればきっと争う事も差別も無くなるのに、と思って」
「そいつは無理な話だろうさ。俺とお前みたいにこうして同じ所にいる方が珍しいと思うぜ」
「……」
「お前も分かってんだろう? 分かり易い所で言えば、お前も知っている山の麓の連中なんて差別意識の塊じゃねぇか」
「確かにあそこの人達はそうですが、それでもきっと……」
「話せば分かるって? そう思うのも自由だし、信じるのも自由だ。けどな、お前が誰かを助けたい、誰かにでも優しくしたいって思っていても、相手はそうじゃないかもしれないって事も覚えておきな。その内、そのお前の優しさにお前自身が殺されるかもしれねぇぞ」
「……」
「ま、そうは言っても……そう願う事や行動する事自体は悪くないと思うけどな。俺とお前がこうして話しているって事も、ある種の奇跡みたいなものだろ」
それを聞いて、リーベリは嬉しそうに話題を切り出した。
「実はそうでもないかもしれませんよ?」
「あん?」
「サルカズさんはミノスについてお詳しいですか?」
「行った事は無いが、あそこも戦争が多発してるから傭兵業としては良い稼ぎ場所になってる。そう言う話以外の内容は殆ど知らねぇな」
「実は十二英雄殿の祭司様の中に、サルカズの護衛が就いている方がいらっしゃるそうです」
「は、随分と変わり者が居たもんだ。そいつは相当な変人だろうさ。きっと1日中酒を飲んだくれて頭が変になっちまってるから、そんな事が出来るんだろうな」
「……つまり、つまりですよ? そんなミノスの偉大な祭司様の御傍にサルカズがいらっしゃるなら、私と貴方がこうして一緒に居る事って、実はそんなに特別な事じゃないと思いませんか?」
「そんな立場が特例中の特例みたいなのと、俺らを一緒にすんじゃねぇ」
「そうやって否定から入る所為で、物事は進まないんですよ。何時かきっと私達の様に、サルカズの人々とその他の種族の人々が、手を取り合って並び立つ日が来ると信じる事から始めないと。だから今度、遠くの町に出る時は一緒に行きましょう」
「何しれっと言ってやがんだ。そんな事をした日にゃ、トラブルに巻き込まれるに決まってる。行くなら1人で行けよ、俺はごめんだな」
サルカズとリーベリ、2人は火を囲み、暖を取りながら共に空を眺めた。
そこには数多くの星々が輝いている。
──────────────────────────────────────
山から戻った後、リーベリは大急ぎでデータ収集の為の環境を整え、経過を見守った。仮定を実証する為に、多くの時間と様々な条件が必要となる事から、研究対象に掛かり切りになってしまう。その間、サルカズが畑の殆どの管理と調整を行ってくれる事となり、データ収集及び論文執筆に集中する事が出来た。そして数多くの検証と積み重ねから、少々粗削りではある物の無事に論文を書き上げる事に成功する。書き上げた直後、喜びと疲労からそのまま倒れる様に眠ってしまっていたが、起きた時にもしっかりと論文は机の上に鎮座しており、夢ではない事をリーベリに示している。彼女は1ページを引っ掴むと外に飛び出して行った。
畑ではサルカズが小屋で飼育している獣と遊んでいた。
「サルカズさん、聞いて下さい!!」
「何だよ、五月蠅ぇな。お前髪が凄い事になってんぞ」
「私の髪の事はどうでも良いんです。無事に論文を書き上げる事が出来ました。少々粗削りかもしれませんが、ちゃんと書き上げる事が出来たんですよ」
「ほーん、そいつは良かったな。ずっとデータと睨めっこしながら、部屋に引き籠ってた甲斐があったって訳だ」
「はい、そうです。これもサルカズさんの協力のお陰です」
「俺はお前が放り出してた間、畑の面倒を見てただけだぜ。痛んでた所は差し替えたし、収穫と次の仕込みも終わってるから、当分はこのままで良い筈だ」
「本当にありがとうございます。貴方が居なければ気が付く事も出来なかったし、こんなに早く論文を完成させる事も出来なかったと思います」
「こいつ、俺の話聞いてんのか、聞いてないのか分かんねぇな……」
リーベリはサルカズの話をきちんと聞いて居るのだが、今はそれよりも大事な事があった。
「それでですね、サルカズさんに是非書いて欲しい所があってですね」
「あぁ?」
「ここです、ここ」
リーベリはサルカズに持っていた紙を差し出す。
サルカズは汗を拭きながら、差し出された紙を覗き込む。
「何だ……? 論文執筆者、ゼ……ゼラ・アゲラタム? 誰だそいつ」
「私の名前ですよ」
「そういや、そんな名前だったっけな」
「そこじゃなくて、その下です」
「これか、えーと、研究協力者?」
「そうです、そこに、サルカズさんの名前を書いて欲しいんです」
「なんで、そんな事しなきゃなんねぇんだよ」
「サルカズさんがあの山で言ってくれた事が、この論文の本筋になっているからですね。それに貴方が沢山の事を手伝ってくれたから完成したので、これはもう研究協力者と呼ぶに相応しいでしょう」
「……お前、今すぐ寝た方が良いと思うぜ。絶対に気分がハイになってるだろ」
サルカズは若干憐れみを込めて言う。
「名前を書いてくれたら、今すぐ寝ますよ」
「……あのな、俺に名前が無いのは知ってるだろ」
「はい、知っています」
「だったら、ここに書く名前なんてある訳ねぇよな?」
「だから、自分で名前を考えて、ここに書きましょうよ」
「自分で名前を考える?」
「そうです。今迄名前が無いまま生きて来たからと言って、名前が無いまま生きないといけないと言う決まりはありません」
「……」
「名前が無くても生きていけます。でも名前があると、自分が生きた証として分かり易く残ります。どんな小さな事でも、どんな小さな内容であっても、誰かの記憶や記録に残って行くんです。それらは決して消される事はありません」
「生きた証、ね……」
「これは半分以上、私の我儘である事は間違いありません。でも私は心の底から、ここに名前を書いて欲しいと思っています。貴方が、1人のサルカズとして、多くの人の助けになる事をしたと言う証の為に」
「名前を書いた所で、その名前がサルカズのだなんて分からねぇだろ」
「私が分かっていますし、覚えています。そして何時の日か、多くの人が分かる時が必ず来ます」
「─お前がお得意の、夢見がちな願望か」
「……」
「はぁ、分かったよ。良い感じのが思いついたら書いてやる。何時になるか分からないけどな」
「そう言うと思ってですね。私これをトランスポーターに託すのではなく、直接研究所の方に投函しに行こうと思っているんです。なので、そこに辿り着くまでが期限になります」
「何? 俺がこのページを持ってたら出せねぇだろ」
サルカズが最もな疑問を口にするが、リーベリは気にせず話を続ける。
「此処からだと結構距離もありますし、色々な物を見て回る論文完成記念旅行も兼ねるつもりなんです。だから寄り道する余裕もありますね。と言ってもあまり長い間、論文を持ち歩いたままでいるのも怖いので、寄り道の大半は投函後の折り返しになると思います」
「んん?」
「ある程度のメインルートは決めるつもりですが、サルカズさんも行きたい所があれば遠慮無く言って下さいね」
「─待て、待て」
「準備もありますし、明日から直ぐに出発と言う事は無いので安心して下さい」
「お前、最初からそのつもりで!!」
最初から手の上で転がされていた事に、気が付いたサルカズは天を仰ぐ。
良い天気で、雲が風に流されてゆっくりと移動している。
サルカズは大きな、本当に大きな溜息を吐き出した。
「……あぁ、クソ。分かったよ、偶には遠出も悪くねぇ」
「そうでしょう?」
「お前、本当にお優しい馬鹿野郎だよ」
「どうしても思いつかなかったら、一緒に考えましょう」
「それはお断りだな」
「何故ですか!?」
サルカズはリーベリが何故この様な提案をしたかを理解している。彼女が自分の事を思って、考えて行動している事を分かっている。これまでに多くの物を与えて貰ったが、この優しさについては未だ素直に受け取れない。彼女の過去を知り、何を思っていたかを知った今でも、サルカズである自分に向けられる善意と言うのが夢の様なのだ。かなり長い間、共に働いて来たとしても中々に変わる事は無かった。ある意味で”サルカズ”である事に、一番の諦めを持っていたのは自分自身だったのかもしれない。サルカズはリーベリをあしらいながら、そう密かに思う。
(相棒、お前のお陰で俺はこうして生きてる)
(お前の事を忘れた事なんてねぇし、これからもそうだろう)
(俺はお前の願いを背負って、ちゃんと生きているって自信を持って良いのかね?)
『どれだけ苦しくても、地を這ってでも生きてれば、そいつが一番偉いんだよ』
『その苦しみを抜けて、立ち上がって、目標見つけて生きれたなら拍手喝采万々歳ってもんさ』
サルカズはかつての豪快に笑う相棒の言葉を何故だかこの時、久しぶりに思い出したのだった。
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リーベリ、ゼラは旅行の為の資金調達の為に輸送用車両を利用し、定期的に出稼ぎに行く町に滞在していた。決して大きくは無い町だが、多くの物があり生活している人達も善良だった。ここではゼラの様にアーツを使える人は貴重で、ちょっとしたアーツであっても重宝されている。出稼ぎの際、ゼラはこの町の”何でも屋”と言うべき店で働いている。その店にはちょっとした物の修理や、作業手伝いの依頼等分野を問わず仕事が舞い込んでくる。内容も千差万別で出来る事と出来ない事は勿論あったが、この町の中で一番手早く稼ぐ事が出来る。地道な信頼の積み重ねと、仕事の正確性からゼラを指名しての依頼も貯まっている。
「はい、全部直し終わりましたよ」
「いやー、悪いね。新しい物を買ったら良いんだが、やっぱり手に馴染んだ物が一番でね」
「その気持ちは分かります。ですが、もう少し丁寧に使った方が良いかもしれません。アーツの力で歪みや凹みが戻ったとしても、蓄積されたモノはずっと残っていますから」
「耳が痛い話だ。今の言葉を刻んで、扱い方を少し変えてみるよ。ありがとうな!! はい、お代」
「はい、確かに。ありがとうございます」
ゼラは客が去った後、大きく息を吐き出した。
「量が多かったから、流石にお疲れかい?」
「そうですね。アーツを連続使用すると……ちょっと疲れました」
「修理屋のあいつが腰をやって倒れて皆困ってたんだ。自分でやる奴もいたんだが、結果はお察しさ。ゼラが来てくれて本当に助かったよ」
「私がやったのは応急処置の様なものですから、後でちゃんと本業の方に確認して貰う必要がありますが……」
「それは勿論分かってる筈だよ。言われた通り、依頼掲示板にもそう書いておいたしね」
「この数日で殆ど完了させる事が出来て良かったです」
「本当にあんたは働き者だね。それに出来る事も幅広いと来たもんだ。専門的な道具の修理に機材の取り扱い、読み書きの代理やトランスポーター宛て荷物のラベル貼り、畑の収穫の手伝いに動物の世話。一体何が出来ないんだい?」
「沢山ありますよ。私のは幅広く出来ると言うだけで、専門でやっている人達には劣るものばかりです。ですので、何時も通り”ちょっとした手伝い”しか出来ませんよ」
「謙遜しちゃって」
「真面目な話です」
「はいはい。でも、皆が貴方に感謝している事は間違いないからね。そこは自信をもって頂戴」
「ありがとうございます」
ゼラは手帳に書いておいた依頼リストに線を引いて行き、殆どの内容が片付いたのを確認すると道具を片付ける。
「定期的に出稼ぎに来るけど、今回は結構長めだったね。お金が沢山必要になったのかい?」
「はい。元々用意していた分で大丈夫だとは思ったのですが、少し多めに余裕を持たせておこうと思ったんです」
「おや珍しい、何処か遠出でもするの?」
「えぇ、ちょっとした旅行をしようかなと」
「それは良いね。あんたは健康で若いし、どんどん色々な所に行った方が良いよ。こんな小さなコミュニティじゃなくて、もっと広い世界を歩いてみる方が学べる事も多いだろう」
「私はこの町の事好きですよ。皆さん優しいですし」
「なら、この町に住んでくれって言うお願いを聞いてくれても良いんじゃないかい?」
「それは……」
「冗談だよ、冗談。あんたにはやりたい事が沢山有るだろうから、選択肢の一つとして覚えておいてくれたらそれで良いよ」
「はい、ありがとうございます」
「明日、山に帰るんだろう? 帰ったらすぐ旅行に行くのかい?」
「そうですね、準備の方に問題が無ければそのつもりです」
「だったら、今日はここでご飯を食べて行きな。他の連中も話したい事が沢山有るだろうしね」
「お言葉に甘えて、そうさせて頂きます」
その夜、ゼラは明日の帰り支度をしながらサルカズの事を考えた。出会った最初の頃は出来ない事の方が多かったが、今では1人でしっかりと生活出来る位に成長している。畑の土作りから作物の育て方、日々の手入れから収穫までもう立派に行える。別の土地に移っても自分自身で生活環境を作り上げる事も可能だろう。彼は口は少しばかり悪いかもしれないが、真面目で勉強家だった。だから彼が話していた彼の故郷に戻ったならば、きっと多くの助けになるに違いない。今の彼には話の中に出てきた何もない大地に、何かを生み出す事が出来る力があるのだから。2人から私へ、私から彼へ、受け継がれるモノは確かに存在しているに違いない。
(私から彼へ、彼から別の誰かへ……そうして何かが繋がって行ったなら)
(それはきっと素晴らしい事に違いないわ)
(もし、彼が故郷に戻り何かをすると言うならば、私も出来る限りの手助けをしましょう)
ゼラは未来への希望を持って、眠りについた。
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翌日、必要な物を買い揃え帰りの輸送用車両を待っている時に、雑貨屋の前に積まれている幾つかの箱が目に入った。聞けば山の麓の町への荷物らしく、受け取り日になっても普段取りに来る人が来ず困っていたらしい。ゼラは家に帰るついでに持って行く事を提案すると、『迷惑じゃ無ければお願いしても良いかしら?』との事だったので快く引き受ける。1人で抱えて持ち運ぶ事は流石に出来ないので、雑貨屋の方で使われている荷車を貸し出して貰った。返却時期に関してはどれだけ遅くなっても構わないし、何なら貰ってくれても構わないと言う事だった。旅行から帰って来た時に帰す事を約束すれば、『真面目だねぇ。旅を楽しんできな』と見送られた。
運送車両を降り、荷車を押しながら道を進むと目的の町が見えて来た。町と言うよりかは多少発展した村と言った様相なのだが、住人達はここを町と呼んでいる。ゼラは今回の様にここに荷物を運んだ事は何度かあるが、正直に言うとこの町の雰囲気は山に住み始めた当初から苦手だった。何と言うか、ここに居ると妙に視線を感じ落ち着かない。町の誰かと話している時でも、別の所からまるで監視するかの様な視線を感じるのだ。家の中から、畑で働いている人から、道を歩く住人から、まるで異物を見る様な視線を感じる。山に住み始めてからこの町へ一番最初に挨拶に来た時の、あの纏わりつく様な視線の数々。あの時は感染者では無いか、感染者と関わる様な事はしていないか等としつこく聞かれた事をよく覚えている。
ゼラは知らない事、分からない事を恐れるのは悪い事では無いと思っている。知らない事、分からない事は時間を掛けて理解していけば、恐れの感情は消え物事を正しく捉える事が出来るから。鉱石病や感染者に対する偏見や差別等はその最たる例で、それらを少しでも和らげる事が出来たならと当初持っている知識で誤解を取り除こうとしたのだが、自身を異物の様に見る眼と言葉を聞いてからは控えた。この町の住人達の中にある、徹底的な差別意識の改善は部外者には今は出来ないのだと理解したからだった。これまでの彼女に出来たのは、他の町との余計な衝突を避ける様にする事、感染者があの町に行く事が無いのを祈るだけだった。
ゼラが町の中に入った時、様子が何か違う事に気が付く。
(……人が居ない?)
訪れた時は大体外に誰かが居たのだが、今は誰も居ない。畑の方に姿も無く、道具があちこちに放置されているだけだった。この町の中を勝手に歩き回る事は出来ればしたくなかったのだが、ずっと入り口で立っている訳にも行かず、誰でも良いから住人を見つける為に町の奥へと進んで行く。奇妙な事に普段なら感じるあの監視の様な視線も無い。そして以前来た時に住人が居た筈の家が、まるで何かを閉じ込めるかの様に、ドアや窓が厳重に封鎖されている事に気が付いた。ドアの取っ手は破壊され、板が何枚も打ち付けられており、窓も同じ様に中の様子が全く見えない様になっている。何が起きているのか分からず、町の住人達を探す。もしも良くない事が起きているのならば、助けを呼ぶ必要があると思い始めた時だった。
「お前、”変わり者”のゼラか? そこで何をしている」
急に声を掛けられ、振り向けばそこには何度か話した事のある青年が立っている。
「良かった、誰も居ないのかと」
「そこで何をしているのか聞いているんだ」
「……向こうの町の雑貨店の方で、ここへの荷物を誰も取りに来ないと困っていらしたので私が代わりに持って来ました」
「……荷物? あぁ、定期的に頼んでいるやつか。あいつが……クソ、厄介な事になった」
「あの、何かあったんですか? 私に─」
「何でも無い、余所者が関わるな」
そう言われてゼラは黙る事しか出来なかった。
この町の住人以外に対して、高圧かつ排他的な所も苦手だった。
相手は何かを考えるかの様にブツブツと呟いている。
「あの、荷物は指定の場所が無いのなら、ここに置いておいて良いですか?」
「……いや、待て」
「?」
「むしろ都合が良いかもしれないな。うん、そうだ、そうに違いない」
「はい?」
「こっちだ、来い」
そう言うと青年は町の奥の大きな建物に向かって歩き出す。
有無を言わさぬその態度に、ゼラは着いて行くしかなかった。
「荷物はまとめてそこに置いておけ。置いたらお前はそのまま待っていろ」
「……分かりました」
青年は中へと入って行き、扉が乱暴に閉められる。
それを見た後、ゼラは荷物を言われた場所に丁寧に並べると大人しく待つ。
勝手な事をすると、何か良くない事が起きそうな予感があった。
町の中は本当に静かで、誰も居ないかの様だった。
耳を澄ましてみれば、中から声が微かに聞こえてくる。
何かについて大勢で話し合っているのかもしれない。
その時、ゼラはあの視線を感じた。
慌てて周りを見渡しても誰も居ないが、確かに自分を見ている。
閉じられた家の中から、建物の陰から、多くの場所から見られている。
それらは今迄に感じた事の無い、明確な敵意か何かが含まれている気がした。
ゼラはこの町が苦手ではあったが、これまで恐怖や不安を感じた事は無い。
だがこの時、ゼラはこの町に、姿を見せない住人達に確かな不安を抱いたのだった。
扉が開き、中から先程の青年が現れる。
「お前に話がある、入れ」
ゼラの腕を乱暴に掴むと、引き摺るかの様に中に連れて行く。
中にいた人々がゼラを見る。
その視線にゼラの中にあった不安は、確かな恐怖に変わる。
そして2人が中に入ると扉が閉まった。
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先に入った青年が扉とゼラの間に立つ。
部屋の中に居たのは町の重役とも言える人達だった。
良く言えば、年を重ねて人を束ねる立場にある人々。
悪く言えば、凝り固まった思考の持ち主である人々。
「……あぁ、”変わり者”のゼラか。久しぶりだな」
「……はい」
「わざわざ荷物を届けてくれたらしいな。それについては礼を言おう」
「……いえ」
「本来であれば、”アレ”が取りに行く決まりだったがもう居なくてな。その処理に追われて、すっかり後任を決めるのを忘れていた」
("アレ"? 居ない?)
「だが、まぁ、都合良くお前が来たのは、我々にとっては幸運だったかもしれないな」
会話をしている様で妙に噛み合っていない。
ゼラはこの町に来てから感じていた事を尋ねる。
「─あの、この町で何かあったんですか? 人は居ませんでしたし、空き家も増えていて……」
「余所者が勝手に町の中を歩き回ったのか?」
「それは謝ります。決まり通り入り口で待っていたのですが、誰も居なかったので」
「まぁ良い。お前には何度か世話になったから、特別に教えてやろう」
「?」
「町の外れの洞窟、その一角で新たな横道が見つかってな。そこに豊富な源石の鉱脈があったと言う訳だ。源石は貴重な資源で財源となり、それらは全て町の共有の物となる。だが、偶に欲に目が眩んだ愚か者が単独で採掘を行う事がある。勝手に感染者になる奴もいるが、そうでない者にもルールを破った際の罰が必要になると思わないか?」
「……まさか」
「感染者になった者は使えるだけ採掘に使い、そうでない者は不慮の事故で感染者になり同様の道を辿る。そして最後には暗がりの中で塵と消える」
「あの封鎖した家の中に、鉱石病になった住人を閉じ込めているって言うんですか!?」
「鉱石病、感染者はもはや人ではない。新たな病原菌の巣だ。それをどう処分しようと悪く言われる筋合いは無い」
「……何て事を。感染者は、鉱石病の患者は安静にしていれば、進行は急激には進みません。それに人と人との接触では感染しないんです。助け合えば共に生きて行く事が出来るのに、何故見殺しにする様な事をするんです!?」
「人と人との接触では感染しない。……それが本当だとしても、いずれ鉱石病が進行し、破裂・崩壊を引き起こす。結果が同じであれば、早めに処理しても良いではないか」
「良い筈がないでしょう!? この先も生きられた人達を使い潰して良い筈がありません。決められた事を破る事は良くないかもしれません、ですがその代償として無理矢理感染させた上に閉じ込めるだなんて……今迄一緒に暮らしてきた人達なんですよ!? こんなの人殺し以外の何でもないじゃないですか!!」
「”アレ”らは感染者だ。そして私達は感染者ではない。感染者とはそう言う”モノ”であって人ではない、人である我々にはその権利がある」
「……そんな、余りにも身勝手過ぎます」
ゼラは自身の理解の範疇を超えた主張に言葉を失う。これまで共に暮らしてきた住人に対しても、この様な仕打ちが出来る事が信じられなかった。サルカズから聞いた感染者差別による迫害、まさかそれと同等に酷い行いがこんな近くで行われていた。その事実にゼラの脚が震え、気が抜けば座り込んでしまいそうだった。差別意識があると言う事は理解していたが、こんな簡単に人を”モノ”扱いし、躊躇いなく殺す事が出来る人達だとは思ってもいなかった。そしてその事に対し、何の罪悪感も持っていない事が一番恐ろしかった。
『人ってのは、表面上まともに見えても裏で何してるか分かったもんじゃないぜ。お前は夢見がちな理想主義者で、俺らなんかより遥かにまともな人間だ。けどな、そうじゃ無い奴らから見れば、お前みたいな奴の方が理解不能な異常者に見える事がある』
ゼラの不運は、サルカズの言葉を聞いても確かに人の善性を信じていた事だった。
ゼラの不幸は、本来尊ぶべき考え方や意思を簡単に踏みにじる人がこの大地には大勢居る事だった。
「”変わり者”のお前には分かるまい。だが、今はそんな事はどうでも良いのだ」
「……今の話がどうでも良い?」
「何故、こんな話を部外者であるお前にしたと思う? お前の話や主張を聞く為だと思うか?」
「……」
「今日、お前がここに現れた事は実に幸運だった。確かに何度か助けて貰った事はある。それは事実で感謝もしている。だからこそ、これまでお前の世迷言に関しても聞き流して来たが……こればかりは許しておく事が出来ない」
そこで言葉を切り、ゼラを見る。
視線に含まれるのは、明確な敵意。
「お前の家がある山、そこに感染者のサルカズが住み着いているだろう。お前とも接触があった筈だ。そして、その事をずっと隠して生活していたな。あの悪魔は何処に居る?」
「私は何も知りません」
ゼラは一瞬の動揺も無く、毅然として言い切った。
『俺の事は絶対に誰にも話すな』、それは彼女とサルカズの約束だったから。
これまでの長い生活の中で、それは一度として破られた事は無い。
そしてこの先も、彼女の信じる全てに誓って破られる事は無い。
ゼラの破滅は、彼女が強く正しい意志を持った人間であった事だった。
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他人に対して嘘をつく人間は、他人の嘘に対して敏感である。
それがこれまで誰かに対して、嘘をつく事が無かった相手なら尚更である。
そう言う相手には暴力を行使する事に、住人達は躊躇が無かった。
直後、加減無しで振るわれた拳がゼラを襲う。
「嘘だな」
「嘘と言われても、私は何も知りません」
床に倒れたゼラを見下ろす様に声を掛けられる。
「嘘をついてまで、悪魔を助ける必要がお前にあるのか?」
「何度でも言います、私は知りません。それに相手が誰であったとしても、貴方達の行いを知った以上話す事は何もありません」
必死に涙を堪え、否定の言葉を出す度に容赦のない暴力が振るわれる。
「……残念だ。正直に言えば、お前は助けられたのに」
「それは嘘です……馬鹿な私でも、今なら分かります。貴方達はもう暴力と言った力に頼らなければ、外部の誰とも関わり合う事が出来ないんですね」
「私達は、私達のやり方がある。お前に何かを言われる必要は無い」
「……私達は、人は、本来、暴力に頼らなくても良い様に、関係を築いてきました。それを貴方達は自ら手放しているんです」
暴力の雨の中を彼女は耐え続ける。
耐え続ける事も、何かを問う事も既に意味は無い。
この町の住人から見れば、ゼラはもう都合良く暴力を振って良い対象でしかないのだ。
「……」
「あの山で生活しているだけあって、小柄な割に頑丈だな。以前、迷い込んで来た感染者は脆かったぞ」
「……そうやって、感染者を差別し暴力を振って来た貴方達は、人として大事なモノを手放している事に気が付かないんですか? この大地の上で生きる者同士、そこに何の違いも無いのに」
「残念だが、同じではない」
「─彼らが貴方達に何かをしましたか? 貴方達に害をなしましたか? 懸命に生きようとしていた人達を、貴方達はただ追い詰めて殺したんです。感染者を差別し、化け物と呼ぶ貴方達の方が、遥かに怪物に思えます」
ゼラは誰かを否定する様な事は言いたくなかった。
生きている人々には色々な考え方がある。
だが、これはあまりにも間違っている、間違っていると思う。
こんな事は止めなければいけないと思う。
しかし、ゼラには、もうどうする事も出来ないのだ。
「実に立派な考えだが、もう喋る必要はない」
重い暴力の一撃が加えられ、脳が揺れ視界が大きく歪む。
「そんなに感染者の味方をしたいなら、同じ様に扱ってやろう。連れて行け。山に住む変わり者1人が居なくなった所で、気にする奴もいまい。どの道、あの悪魔は見つけ出して必ず排除する。感染者の悪魔と言う存在は、不幸をまき散らす害悪でしかないのだからな。近くに存在する事すら許されない。お前の家を焼けば、向こうから現れるだろう。”変わり者”のお前は、感染者と悪魔の味方なのだから」
ゼラは町の中を引き摺られ、厳重に封鎖された地下室の入り口まで連れてこられた。辛うじて通れる隙間の分だけ扉を開けると、彼らは荷袋を取り上げた後、その中にゼラを放り込む。部屋の底に倒れ込んだゼラの周りで粉塵が巻き上がり、入口から入る微かな光を浴びて粉塵はキラキラと光っていた。やがてゆっくりと扉が閉められる。傷ついたゼラは体を起こすのが精一杯で、それを止める事等出来る筈も無い。
唯一の地下室の扉が閉められる。
暗闇の地下室、そこは感染者達の遺体の無い墓場だった。
他所からやって来た感染者達は、ここに死ぬまで閉じ込められ、やがて粉塵になる。
床に積もった粉塵だけが、彼らが生きた証であり殺された証だ。
そんな所に非感染の人間が入った場合、どうなるか言うまでもない。
頑丈な地獄の門が完全に閉じ、地下室は暗闇に包まれた。
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少々時は遡り、雑貨屋にて。
「あれ、ここに置いてあった荷物はどうした?」
「それならゼラちゃんが持って行ってくれるって言うから頼んだわ」
「そうだったのか、また手間をかけちまったな。今度会ったらしっかり礼を言わないと」
「それにしても……」
「うん?」
「やっぱり心配よね。こんな事言うのは良くないけれど、あの町の人達って凄く感じが悪いじゃない?」
「……偶に物売りに来たり、定期的な発注があるから、この町とも多少縁があるが良い印象は正直な所、俺は無いな」
「ゼラちゃんに甘えてしまってる私達が言うのも変な話だけど、あそこで嫌な目に遭ったりしてないかしら」
「あの子は優しいからな……1人なのに良くやっているよ、本当に。余所者に厳しい彼らでも、そこは認める所なのかもしれない。流石に誰にでも優しく協力的な彼女に対して、悪辣な真似はしないだろう」
「だと良いけど……あの子は本当に良い子よ、今時珍しい位にね。そうそう、あの子、暫く旅行に行くらしいのよ。ずっと取り組んでいた研究が、ようやっと実を結んだんですって」
「成程、記念旅行と言う訳か。楽しんで来て欲しいな、誰かの為ばっかりで動いていたからね。自分の時間も大事にして欲しいよ」
「うんうん。まだ若いんだから、好きな事を沢山しないとね」
「本人からすれば、いらん気遣いかもしれんがな」
「そうだ、旅と言えば」
「旅と言えば?」
「あの人達、元気にしているかしら? ほら、あの愉快な2人組の旅商人さん」
「あぁ、彼らか。懐かしいよ、もうずっと会って居ないな。確か何かを必要としているかもしれないからと言って、彼らもあの町に向かったんだっけか」
「そうそう。ゼラちゃんとあの人達、少し似ている気がするわ」
「言われて見ると、確かに」
「彼らは、今は何処にいるのかな」
「風の様な人達だったわね。きっと何処かで、商売と言う名の人助けをしてる筈よ。あの人達やゼラちゃんの様な存在は、この世界にとって必要だもの」
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目覚めた時、ゼラは源石の粉末を撒かれた地下室に閉じ込められて、どれ程の時間が経過したのか分からなかった。閉じ込められた当初、口に布を当てて吸い込まない努力をしたものの、防塵対策が施されていない物では効果はたかが知れていた。密室による息苦しさ、恐怖による動悸、じわじわと体内に蓄積されていく源石の毒素。出入り口である扉を叩き、声を上げたが当然何の反応も無く、傷ついた体を余計に消耗しただけだった。真っ暗な地下室を動き回り得た物は、幾つかの擦り傷と切り傷だけ。その内、暴行による体の負担、更には酸欠にも似た症状と精神的疲労から、倒れ込む様に意識を失ったのだ。
(……私、感染者になったのね)
体の内側に感じる違和感と燃える様な熱さから、ゼラは自分が感染者になった事を悟った。意識を失っている間に口に当てていた布は外れて、その間に更に大量の源石の粉末を吸い込んだのだろう。息をする度に呼吸器官が悲鳴を上げるのを感じる。吸入による急速感染、自分の感染レベルがどの程度なのか分からない。だが、きっと楽観出来る様な状態ではない。自分自身が感染者になった事に対する恐怖はそこまで無かった。ゼラの中にあったのは、『どうして、こんな事になってしまったのか』と言う深い悲しみだけだった。ただ静かに、自分に出来る事をして生きて来ただけだった。この町の人達の為にもなる研究をしていただけなのに、何故この様な仕打ちを受けなければいけないのか。一体何が、彼らをあそこまで変えてしまったのか。
(私が、貴方達に何をしたって言うの?)
悲鳴を上げる体をゆっくり起こし、何とか立ち上がる。部屋の中を見渡せば、何故か意識を失う前よりもはっきりと、何があるかを感じ取る事が出来る。暗闇に目が慣れたのか、感染者となった事による変化なのかは分からない。よろよろと体を引き摺りながら、唯一の出入り口である扉の前に立つ。彼は感染者になると、アーツの力が急激に増す人も居ると言っていた。そしてその力を制御出来ずに体の限界を超え、自滅する感染者も大勢居ると。私は果たしてその様な状態になっているのかは分からない。何も変わっていないかもしれないし、力が増しているかもしれない。そしてそれが、自身の命を削る事になるかもしれない事をよく理解していた。
(……彼を助けないと。彼に山から離れる様に伝えないと)
ゼラの胸中にあったのは、あの不器用で心優しいサルカズを助ける事だけだった。
多くの時間を過ごし、多くの事を教えた。
そして多くの事を、私は彼から学び、教えて貰った。
世界の事、戦場の事、差別の事、サルカズの事。
ただ1人で生きて行くだけでは、知る事の無かった大切な事。
彼には出来れば、戦場に戻る事なく生きて欲しい。
口には出さないが、土に触れ畑で成長を感じている彼は幸せそうだった。
サルカズと言う種族や感染者なんて関係ない。
安らぎを求めて生きる権利や自由は、誰にだってあるのだから。
固く閉じられた扉に向かってアーツを放つ。
意識を失う前はビクともしなかった扉が、音を立てて捻じ曲がる。
驚く程簡単に、悲しみの底へと叩き落した扉は道を開けた。
『感染者になった途端、身の丈に合わねぇ力を持っちまう奴がいる』
『元が単純なアーツである程、制御がイカレちまった時にぶっ飛んだ力を発揮する事が多いんだってよ』
『ま、お前には縁の無い話だとは思うがな。一応覚えておけよ、もし─』
ゼラは彼の話していた事を微かに思い出していた。
この話には続きがあった筈なのに、ぼんやりとした頭では思い出せない。
思い出させないと言う事は、きっとそんなに大事な事では無いのだろう。
体の至る所が悲鳴を上げている、呼吸も上手く出来ていない。
今はそんな事は問題では無い。
今、私がするべき事は、彼を、あの優しいサルカズを逃がす事なのだから。
(彼に、山を離れる様に伝えないと……)
1人の感染者が、地獄の扉を開けて地上に戻って来た。
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地下室を出たすぐ先で、取り上げられた自分の荷袋を見つけた。震える腕でそれを持ちあげ、苦労しながらも背中に背負う。荷袋は以前に比べれ随分と重さが増した様に感じる。既に中身を確認する余力は残っていない。ただ帰る事だけを考えて歩き出す。1歩前に進むだけでも呼吸が乱れ、視界が歪む。ズキズキと痛み続ける胸を押さえながら、ゆっくりと確実に家に帰る為の歩みを進める。他の何かに構っている余裕も猶予もないのだから。
「お前、どうやってあそこから出て来た」
耳障りな声が聞こえた方に顔を向ければ、自身を殴りつけ地下室に放り込んだ人物が立っている。そして手に持った鉄棒を脅す様にこちらに向けている。しかし、ゼラにとって既にそれらはどうでもいい事でしかない。兎に角、時間が無いのだ。余計な事に構っている余裕は一切無い。返事をする事も無く、視線を外し帰る為に歩みを進める。後ろから何か言っている様な気配を感じるが振り返る事は無い。そのまま無視を続けていると、突如として視界が回転し地面に倒れ込む。先程の人物に殴り倒されたのだと理解するのに、少しばかり時間が掛かった。頭から血か流れるのを感じる。
声を聞いたのか、住人達が集まってくる。
感染者となった自分に対し、石を投げつけ蹴り飛ばし、踏みつけて罵声を浴びせる。
罵声の大半は既に聞き取る事が出来ていない。
きっと私や彼に対して、理不尽な言い掛かり等をぶつけているのだろう。
土を握りしめ、体を起こし顔を上げる。
歪み続ける視界の中で、鉄棒を振り上げている人の姿を捉える。
彼女は、ゼラは優しい人間であろうとした。
実際に彼女は優しい人間だった。
助けを求められれば、手を差し伸べる。
誰かを恨む事、争いや暴力はあまり好まない。
多くの人々が彼女の様であれば、解決する問題も多いだろう。
しかし、そんな彼女の中でこの瞬間に沸き上がって来たのは憎悪だった。
怒り、憎しみ、そして殺意。
それらは全てこの瞬間まで、全く縁の無いモノ。
脳が焼き切れそうな痛みの中、彼女は心の底からこの場の人々を憎いと思ったのだ。
次の瞬間、鉄棒を振り上げていた人物は跡形も無く破裂する。
まるで凄まじい圧力を掛けられたかの様に、水風船の如く弾け飛んだのだ。
先程まで人だった存在の残骸が地面へと落ちる。
血が後ろへと飛び散る事で、その力が何処から加えられたのか分かる。
その力は間違いなく、地面に倒れ込んだ感染者から放たれた物だった。
その血を浴びた住人が悲鳴を上げる。
それを合図にその場にいた住人達は一斉に逃げ出した。
何かを喚き散らしながら、散り散りになる。
化物と、死にたくないと叫ぶ人々。
水風船が割れる様な音が鳴る。
鈍く潰れる様な音が鳴る。
捩じり切れる様な音が鳴る。
不快な音が鳴る、鳴る鳴る鳴る。
ゼラは呆然と地面に座り込んだままだった。
彼女には既に人を殺したと言う意識すらない。
自身がアーツを放ったと言う自覚すらない。
彼女には憎いと思った人々が、急に消えた様にしか見えなかった。
極度のストレス、極度の恐怖、極度の緊張状態。
それらにより本来、人に備わっている制御機能は壊れてしまっている。
彼女はもう壊れてしまったのだ。
やがてゆっくりと立ち上がると、再び歩き出す。
今度はそれを止める人物は誰も居ない。
流れ落ちて来た血が口の端に溜まる。
それを無意識に舐めとった。
『知ってるか? 血の味って鉄と同じなんだとさ』
『同じって事は、鉄を食った事がある奴が居るのかね?』
「……苦い」
それが生まれて初めて、彼女が人を殺した時の感想だった。
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サルカズは何かの気配を感じて目を覚ました。住処としている洞窟の近くに何かが近づいている。武器を手にしてゆっくりと外に出て辺りを伺うが、そこにはまだ誰も居ない。だが何かが迫ってくるのは間違いない。それはあの女の気配ではないのは確かだった。あの女は夜にここに来る事は無いし、ここ暫くは出稼ぎに行って留守である。そもそもこの様な、重苦しく感じる気配を持ってすらいない。ここで生活する様になってから初めて感じるこの空気に、嫌な汗が出てきた。迫りくるその気配の正体を探る為に、サルカズは油断無く武器を構えながらその方向へと進んで行った。暗い道を音を立てずにゆっくりと進んで行く。傭兵として活動していた時に染み付いているその技術は、今でも衰える事は無く、同じ様に戦場に居た事のある人物でなければ、接近に気が付く事も出来ないだろう。
(─近いな)
サルカズは木の陰に隠れて様子を伺う。
すると向こうから何かが近づいて来る。
”それ”は体を引き摺る様にゆっくりと歩みを進めている。
そして”それ”からは、強い死の匂いを感じたのだった。
月明かりが”それ”を照らす。
サルカズは身を隠していた事も、武器を持っていた事も忘れて飛び出した。
あまりにも、あまりにもボロボロなリーベリの女の姿に言葉が出てこない。
「すみません、帰ってくるのが随分と遅くなってしまって」
此方の姿を確認すると同時に、その場にへたり込んだ女を支えてやる事も出来ない。
血を流しながら座り込む女を前にして、立ち尽くす事しか出来なかった。
「……」
「間に合って良かった。サルカズさん、今すぐ─」
「─誰にやられた」
「……私の事はいいんです。それよりも早く」
「誰にやられたって聞いてんだ!!」
「……」
サルカズがリーベリの女に対してここまで声を荒げたのは、初対面の時以降一度も無い。多少大きな声を出したり、苛立ち交じりで話す事は何度もあったが、ここまで明確な怒りを滲ませた声を出したのは、これが初めてだった。その声を聞いて彼女は驚いた様な表情をした後、全てを諦めてしまった人間の様に微かに笑う。その表情を見た時にサルカズは恐怖を覚える。それはかつて相棒が、死に際に見せた表情とよく似ていたからだった。死ぬ筈がない、この女が死ぬ筈がない。この善良な女が死んでいい筈がない。洞窟に戻り傷の応急処置をする為に、立ち上がらせる為に近づいた所でサルカズは、重苦しく感じる気配の正体がこの女である事に気が付いた。
「……お前、何で」
ゴホゴホと咳をする姿を見下ろしながら、サルカズは声を絞り出した。
「何でお前が、鉱石病に感染してやがる」
苦しそうに胸を押さえる様子から、病巣は呼吸器官にあるのだろう。それ自体は珍しい事では無い。源石発掘の現場等ではよくある事例だからだ。だが、この女はその様な場所とは縁が無い。ならばどう言う事か、答えは分かりきっている。この手のやり方は、差別意識の強い場所で何度も見た事があった。対象を密室に閉じ込め、そこに源石の粉末を撒き散らす。逃げ出す事も出来ずに感染するしかない。そして感染者になったら追放するか、そのまま死ぬまで閉じ込めるかだ。この女はそこから脱出し、その過程で多くの傷を負ったと言う事。サルカズは女を抱えると洞窟に向かって走り出す。
「意識を失うんじゃねぇぞ。取りあえず応急処置だけはしてやる」
「……」
「クソ……なんでこんな……」
走っている途中、後ろを振り返った時に、山の一部が妙に明るくなっている事に気が付いた。その方向と位置は、この女の家と畑がある所だった。揺らめく様に明るさが変わるそれは、燃え上がる火を示している。
「……なんてこった」
全速力で道を駆け上がり、洞窟の中に戻ると広げた布の上に乗せ、見える範囲に包帯を巻き、体を落ち着かせる為に横にする。鉱石病の進行があまりにも早く、あまり猶予は残されていないのは明らかだった。だが、ここのまま何もしないまま連れ出すわけにもいかない。あの家に戻り、回収しなければいけない物がある。
「おい、お前はここでじっとしてろ。良いな? 俺が戻ってくるまで絶対に動くなよ」
「……」
「俺は一度お前の家に行って、大事な物を取って来てやるからな」
そう言って動き出そうとしたサルカズの服を女の手が掴む。
「……そんな事よりも、人が来ます、大勢。ここから早く逃げて下さい」
「馬鹿言ってんじゃねぇ。それに、そんな事ってなんだよ。お前が長い時間費やして来て、ようやっと書き上げた論文があんだろうが」
「……いいんです、もう」
「いい訳ねぇだろ!! お前が積み上げて来た物を、お前自身がそんな簡単に手放していい筈が!!」
「……私は大丈夫ですから」
「─駄目だったらすぐ戻ってくる。お前は大人しくここで待ってろ」
サルカズは自分の服を掴む手を振り払うと、山の中を駆け下りて行く。
大事な物がこれ以上失われる事の無い様に、唯々必死だったから。
「─待って、行かないで」
だからこそ、絞り出されたその小さな声がサルカズの耳に届く事は無かった。
──────────────────────────────────────
サルカズがようやっと家に辿り着いた時、既に半分は火に包まれていた。火の勢いは強く、自然発火では無いのは明らかだった。慣れ親しんだ畑も燃えており、既に大半は焼け落ちている。更に燃え上がる小屋の中から獣達の鳴き声が聞こえてくるが、サルカズには既にどうする事も出来ない。大剣を使って壁を突き破り、家の中に強引に飛び込む。火と煙に包まれながら、家の中を突き進み目的の部屋を目指す。あの女の私室は、幸運にもまだ火に包まれてはいなかった。しかし残されている時間は多くは無い。
(何処に置いてあんだ?)
机の上や棚の中にそれらしい物は見つからず、引き出しをひっくり返してみたが、関係の無い紙の山が出て来ただけだった。立ち込める煙と上がり続ける室温に焦りが募る。部屋のあちこちをひっくり返している内に、段々と探し物をしているのか火事場泥棒をしているのか分からなくなりそうだった。かなり頑丈なサルカズと言えど、火に包まれ瓦礫に挟まれてたら死ぬ。そう遠くない所まで迫っている火に対する潜在的な恐怖、死への想像が冷静さと視野を狭めている。吹き出る汗をぬぐい、落ち着きを取り戻す為に顔を叩く。
(落ち着け、あの女は何処かに隠すタイプじゃねぇ。どっちかと言うと大事な物は、目に見える範囲に置いておく方だ。思い出せ、何か言ってなかったか? 何処に置いているとか、この先どうするかとか)
一旦考える為に部屋の中で動きを止める。
火は部屋の直ぐそこに迫ってきている。
(早く思い出せ、時間がねぇ!! まさか、この部屋じゃねぇのか? だったらもう手遅れに……)
一番嫌な想像をしてしまい、頭の中が真っ白になりそうだった。
その時、出かける前に言っていた事を思い出した。
『私が帰って来たら、論文を投函しに行きましょうね。忘れない様に、既に遠出用の荷袋に封筒をしまってあるんですよ』
ハッとして壁を見れば、幾つかの荷袋が吊るされている。
大急ぎでそれを引っ掴み、中を確認していくと既に荷物が入れられたのがあった。
そしてその中に大きめの封筒を見つけ、中を確認すれば大量の紙の束が入っている。
数枚抜き出してみれば、小難しい内容の文章が書かれている。
「見つけた、これだ!! あの女、もっと分かり易い場所に置いとけよ!!」
理不尽にも非難の声を思わず上げ、その荷袋を抱える。火は既に部屋の中に入って来ており、煙が溢れ返っていた。常人ならばとっくに倒れていてもおかしくない環境だったが、サルカズは火の熱さと煙によって喉を焼かれそうになりながらも、しっかりと意識を保っている。そしてこの家の中に飛び込んだ時と同じ様に、今度は内側から壁を破壊して強引に外に飛び出した。勢い良く外に飛び出し、地面に落下して転がりながらもしっかりと荷袋を抱え込んでいる。回転が収まった所で起き上がり、大きく息を吸った。喉は多少焼けた様で痛みが僅かにあったが、自分はしっかりと生きていて大事な荷袋もこの手の中にある。それを確認して、サルカズは大きく息を吐き出した。
「……なんとかなったな。ガワはちょっと焦げちまってるが、中は問題無いだろ。なんなら、俺の方が焼けてる位だぜ。クソ、水が飲みてぇな」
何とか目的を達成した事と、死が迫る中から生還出来た安心感から座り込んで少しばかり脱力して独り言ちる。だが、そう長い時間こうしてもいられない。やるべき事は山積みなのだ。ここからまた急いで洞窟へと戻らなければならない。あの女を連れて医者へ行く必要があるが、隣町へ行くだけでもかなり遠く、どうにかして足を手に入れる必要がある。更にサルカズと鉱石病の患者となれば、医者に辿り着けたとしても診て貰えるかどうかも分からない。最悪暴力で脅す方法もあるが、後々の面倒事を考えれば出来ればそれは避けたい。自分1人であれば逃走劇は何とかなる自信がある。しかし、あの女が一緒の場合は間違いなく無理だ。
(この近くに都合よく、感染者を助けてくれる連中なんて居る訳ねぇ。取りあえずここを離れて医者に診せる。そこで繋ぎの薬を手に入れて、何とかして感染者を助けてる奴を探すしかない……どうしたってリスクはついて回るが、選択肢が他に無い。結局はどんな手段であれ、やれる事は全部やって行くしかねぇか)
サルカズはそう短く考えをまとめると、荷袋を背負って立ち上がる。家は既に完全に燃え上がり、もう少し手間取れば自分もあの中で焼け死んでいた事、そしてあの女が長い時間を掛けて、積み上げて来た全てが無くなってしまった事を示していた。畑の方も全て焼け落ち、どれもこれも使い物にならない。更に小さな小屋の方から獣が焼け死んだ臭いが漂っている。それら全てが、この場所がもう”終わってしまった”と言う事を嫌でも理解させた。
(すまねぇ、助けてやれなかった。恨めよ)
サルカズは共に畑で働いた、小さな獣達に謝罪をする。
そうしてこの場を去ろうとした時、多くの視線が自分を見ている事に気が付いた。
その視線に籠められているモノ。
それは憎悪、嫌悪、敵意、殺意、差別……その他の悪感情。
ここ暫く浴びていなかった、サルカズとして慣れ親しんだ視線達。
「─俺に言いたい事があるなら、出て来いよ」
その声音は間違い無く戦場に立つ傭兵の物だった。
──────────────────────────────────────
「それともこのまま黙って見送るか? 俺はそっちの方が楽で良いけどな」
サルカズは敢えて挑発的に言う。あまり時間を掛けたくないが、正確な人数も把握出来ないまま背を向けるのは得策ではない。相手が誰であるかはある程度予想がついているが、このまま大人しくしているとは思えない。放っておいても洞窟迄ついて来るだろう。そして必ず襲い掛かって来る筈だ。あの女の側で戦闘をするは避けたい、だからこそ、この場所で決着をつける必要がある。この戦う為の思考は久しく使っていなかったが、長年の経験から次にどうするべきかを正確に導き出していた。サルカズは正確に状況を分析する中で、同時にこの戦う為の思考を使う事になった現実に悲しみを覚えている。
様々な武器を持った人物達が暗がりから姿を見せる。
その眼は爛爛と暴力の色に染まっていた。
「……本当にサルカズが来るとは」
「お前らが余計な事をしなけりゃ、俺も来なくて済んだんだがな」
軽く返事をすると口々に喋り出す。
「やはりゼラはサルカズと繋がっていたか。ずっと隠し通せるものでも無かっただろうに」
「だから前にサルカズと一緒に居るって言ったんだ。もっと早く動くべきだったんだよ」
「あの悪魔と一緒にいたなんて、あの子もうおかしくなってたのよ」
「俺達を騙しながら、1人だけ良い暮らしをしようとしてたに違いない」
「きっと、ここから逃げ出す準備をしてたんだ」
ある事ない事を好き放題に。
それらは、とても聞いて居られるものでは無い。
「……は。そうやって勝手に被害妄想膨らませて、この騒ぎってか? 馬鹿の集まりかよ」
「黙れ、忌々しい悪魔が!! お前が生きている所為で鉱石病が出たんだ!!」
「そうだ!! お前が来たから町の住人が感染者になったんだ!!」
「お前達が現れなければ平穏に暮らせていたのに!!」
町の住人達は興奮した様に支離滅裂に責め立てる。
サルカズはもうこの住人達の緊張の糸が切れるのは、時間の問題だと理解している。
本来暴力から離れた場所に居る者達こそが、暴力に染まった時に制御が出来ない。
彼らはもうきっと、此方を殺すまで止まらないだろう。
「鉱石病になったって、お前らが勝手に感染しただけだろ。どうせ鉱脈見つけて、それぞれ欲を優先して感染対策してねぇんだろうが。それで都合悪くなったら誰かの所為かよ。俺よりお前らの方がよっぽど馬鹿だぜ」
「黙れ黙れ黙れ!!」
「そうやって何も聞かず、他人の所為にして自分達を助けてくれた奴を拷問して、挙句の果てに感染者にする。お前らの方が遥かに悪魔だろうがよ!!」
サルカズは言い返したが、相手はもう止まらない。止められない。
「あれも大人しく地下室で死んでいれば良かったのに!!」
「感染者になって地上に出て来て、面倒事を増やす!!」
「あの人殺し、ゼラは何処だ!!」
サルカズは挑発しつつも冷静に相手の人数と武器を把握していたが、その中で信じられない言葉を聞いた。
「はぁ? あいつが人を殺せる訳ねぇだろうが」
「私は見たのよ!! あれが何人も殺す所を!!」
「そうだ、何の躊躇いも無く殺したんだあの化け物!!」
「……こいつら、ふざけた事を」
サルカズは殺人までも擦り付けてくる事に怒りを覚えた。
あの優しい女が誰かを傷つける事が出来る筈が無いと。
ましてや誰かを殺す事が出来る筈が無いと、信じている。
誰もが共に暮らせる様に願っている、あの夢見がちな女が。
暴力を行使し、殺す事なんて出来る筈が無いのだ。
サルカズは知らない。
その信じた女は、既に壊れてしまっている事を。
壊れてしまった中で、サルカズを逃がす為に人を殺した事を。
女が人を殺してまで願った事を、サルカズは気が付いてない。
彼女はもう、どうしようもない所まで行ってしまったのだ。
サルカズは知っている。
この騒ぎの中で、正常な状態にあるのが自分しかいない事を。
異常な状態の者達からすれば、正常な者こそが異常者である事を。
彼が大切に思って来た全ては、修復出来ない程に壊れてしまったのだ。
燃え上がっていた家が焼け落ちる。
音を立てて崩れ落ちる。
飛び散った炎が大地を焼く。
それを合図に人々は叫び声をあげ、武器を掲げて走り出す。
全てはサルカズを殺す為に、全ては自分達の平穏を取り戻す為に。
恐怖、暴力、狂気、それらに染まった眼は濁りきっている。
その姿は正に、悪魔の軍勢に他ならない。
サルカズは武器を構え、息を整える。
迫りくる住人達は、もう此方を殺すまで止まらないだろう。
長く戦場から離れていた自分に、奴らを倒しきる事が出来るだろうか?
支離滅裂な叫び声、暴力に染まった一般人程恐ろしいモノは無い。
(俺がお前らに何をした?)
(あいつがお前らに何をした?)
何処で間違えたのか、何を間違えたのかも分からない。
誰が悪かったのか、どうしてこうなったのかも分からない。
静かに暮らしていただけなのに、どうしてこうなってしまったのか。
何もしなかったからこうなったのか、何かをしていれば違ったのか。
はっきりしているのは、此処がもう戦場だと言う事。
殺すか殺されるかの選択肢しか、既に残っていないと言う事。
「─俺が」
暴力に染まった人の群れが迫る。
「─あいつが」
暴力に染まった人の叫びが聞こえる。
「俺やあいつが、お前らに何をしたってんだよ!!」
──────────────────────────────────────
「俺やあいつが、お前らに何をしたってんだよ!!」
サルカズは、武器を手にして憎しみの眼を向けながら迫ってくる人々にそう吠えた。
その声は人々の怒声に半ば搔き消され、正しい形で耳に届く事は無い。
例え届いたとしても、暴力に染まった彼らは何もしないだろう。
彼らは、最初からサルカズを『人』だと思っていない。
彼らにとってサルカズとは、処分すべき恐ろしい鉱石病の『悪魔』でしかないのだ。
差別、憎悪、偏見、都合の良い暴力の矛先。
これが現実、これが真実、これが世界。
そして、これが夢の様な暖かな時間の終わり。
それでもサルカズは構えた武器を、自分から振る様な事はしなかった。
彼らが明確に自分の命を奪おうするその距離、その瞬間。
自身を殺そうとする刃が届きうる限界まで、決して振り抜く事は無かった。
雨が降る。
──────────────────────────────────────
雨の中を独りのサルカズが血を流しながら歩き続ける。
(クソ、あんな連中にここまでやられるなんて、俺も随分と鈍っちまったもんだぜ……)
あの襲撃者達を何とか撃退した後、全てに背を向けて去った。そして洞窟に戻り、大事な物、最低限の荷物を荷袋に放り込み山を離れた。この先、どうすれば良いのかは分からない。何処へ向かえば良いのかも分からない。分かっているのは、もう二度と、あの場所へ戻る事は出来ないと言う事だけだった。敵の返り血ではなく、掘り起こした土を浴びていた頃には戻れはしない。サルカズであり、感染者でもある自分が『こんな生き方をしても良いのだ』とあの場所で確かに思えたのだ。情けなく年下の女に教えを乞い、剣では無く農具を振る。大地に血では無く、自分の汗を降らし、毎日成長する畑の作物に喜びを感じていた。言われるがまま読み書きを学び、口に入ればいいと思っていた食事に拘りを持つ様にもなった。今迄に感じた事の無かった人生の彩を貰った、あの暖かな山には、この先、一生戻る事は出来ない。その事が大地を転々として来た身としても、とても残念な事に思えたのだ。
(……こんな事を考えるなんて、血を流し過ぎて変になっちまったのかもな)
自嘲気味に微かに笑う。だが、今は自分の事よりも優先すべき事がある。こんな自分に差別無く向き合ってくれた、この夢見がちな女を救わなければならない。愚かにも”サルカズ”を救う為に秘密を守り、町の人間に拷問され感染者となってしまった哀れな女。サルカズと言う種族は、死や鉱石病とは身近な存在だ。だからこそ今の状態がどれ程までに、深刻で猶予が無いのかが分かっている。分かってしまう。今迄ならばさっさと見捨てて、自分1人で次の場所へ向かっただろう。そうすれば楽だと分かっている、その方が合理的だと分かっているのだ。それなのに、どうしても見捨てて行こうと言う気持ちが出てこない。
過去の会話を思い出す。
『そんなに複雑に考える必要は無いと思いますよ。確かに、今迄の歴史や行い等はありますが……皆この大地に生きているのですから。きっとお互い手を取り合う事が出来ますよ。それにほら、まだ小さな始まりですが、私達がその一例じゃないですか』
『はん、お前みたいに夢見がちな御目出度い奴ばっかりだったらなら、その内にそうなるかもしれねぇな』
『何があっても、私達は仲良くやっていきましょうね』
『ふん、勝手に言ってろ』
あの時は土を触りながら、ぶっきらぼうに答えた。
『……つまり、つまりですよ? そんなミノスの偉大な祭司様の御傍にサルカズがいらっしゃるなら、私と貴方がこうして一緒に居る事って、実はそんなに特別な事じゃないと思いませんか?』
『そんな立場が特例中の特例みたいなのと、俺らを一緒にすんじゃねぇ』
『そうやって否定から入る所為で、物事は進まないんですよ。何時かきっと私達の様に、サルカズの人々とその他の種族の人々が手を取り合って並び立つ日が来ると信じる事から始めないと。だから今度、遠くの町に出る時は一緒に行きましょう』
『何しれっと言ってやがんだ。そんな事をした日にゃ、トラブルに巻き込まれるに決まってる。行くなら1人で行けよ、俺はごめんだな』
あの時は火を囲み、暖を取りながら共に空を眺めた。
何処までも馬鹿な話、何処までも夢物語。
何処までも優しく、何処までも未来を信じている。
現実の厳しさを、現実の残酷さを、正しく理解していない夢見がちな女。
自分はそんな馬鹿な女に、救われていたのだ。
サルカズは、背負った女の重さを感じながら声を掛ける。
「おい、勝手に寝てんじゃねぇぞ」
「……」
「あの連中、この雨の中は追ってこれ無いだろうからな。安心しろ」
「……」
何かを言おうとしているかの様な微かな呼吸音。
「俺もお前もあの場所には戻れねぇが、何とかなんだろ」
「……」
「まずはこの先で医者に診てもらって、これからの事はその時に考えろ」
「……」
「必死になって書いてた論文は何とか回収してやった。後は自分で投函して来い」
「……」
背中に感じる弱々しい鼓動の感触。
「確か、それが認められたら金が貰えんだろ?」
「だったらそれを元手に、何処かでまた同じ様な環境作れば良いじゃねぇか」
「……」
「仕方がねぇから、俺が手を貸してやっても良い」
「半端な所で投げ出すつもりも無いからよ」
「それに今回みたいな事は、俺らサルカズにとってよくある事だ」
「……」
「……お前が気にする様な事は何もねぇよ」
「……そう、よくある事で、ありふれた出来事だ」
「なんとも思っちゃいないさ。……なんともな」
「お前が”特別”だっただけって話だ」
「……」
それからも、サルカズは歩きながら声を掛ける。
懸命に、必死に、雨の中、傷ついた体を引き摺りながら。
縋る様に、祈る様に、背中に向かって声を掛け続けた。
──────────────────────────────────────
サルカズは長い時間を歩き続けた。
背負っている身体の重さが増す。
サルカズの脚が、言葉が、遂に止まった。
「─駄目だ……死んじまった」
そう小さく溢したサルカズの頬を、降り注ぐ雨が濡らしている。
──────────────────────────────────────
その雨が降ったのは、もうずっと前の事だ。
──────────────────────────────────────
火の番をしていたサルカズ傭兵が近づいて来る足音に顔を上げた。
同族の傭兵が手に持った荷物を掲げて、声を掛けてくる。
「おい、”
「……」
「今回は結構良いもんが見つかったからな。これで美味い飯を作ってくれよ」
「俺は料理係じゃねぇ」
「勿論分かってるさ。けどな、俺の知ってる中でお前が一番食い物に拘ってて、美味い飯を作れるってのも同時に分かってんだよ」
「そうかよ。手持ちの使える材料もあんまり残ってねぇから、期待し過ぎるんじゃねぇぞ」
「そうかい。少なくとも、俺が手を加えるよりかはマシってもんだ」
”
「お前、一時期傭兵稼業から足を洗ってたんだってな。どうしてまた戻って来た?」
「気になるのか?」
「そりゃそうだろ。お前かなりの変人だぜ? 俺らみたいな、大した立場も無ぇサルカズにしちゃ珍しい、読み書きが出来る奴なんてな」
「……」
「その小道具一式の使い方や食に関する知識とか、その時に学んだのか?」
「そんな所だ」
「へぇ、どっか良い所の人間の下で使われたりしてたのか?」
「何故そう思う?」
「俺らみてぇなサルカズと関わろうとするなんて、物好きな金持ちか余程の馬鹿しか考えらんねぇだろ」
「ふん……その余程の馬鹿の方だ」
「マジかよ。どんな奴だったんだ?」
「誰かを疑う事も知らねぇ、世間知らずで夢見がちな大馬鹿だったよ」
「ますます面白れぇな。詳しく聞かせろよ」
「つまんねぇ話だ」
「良いじゃねぇか。この戦争始まってから娯楽に飢えてんだよ」
火に掛けていた小鍋の蓋を開け、少し味見をした後また元に戻す。
「─もう少し待った方が良いな」
「美味そうな匂いがすんのに、まだ待つのか?」
「こう言うのは待つのが大事なんだよ」
「……大体は口に入れば何でも同じだろ」
「だったら、その辺の草でも食ってろ」
「分かった分かった、大人しく待つ。冗談の通じねぇ奴だな……んで、何でその大馬鹿野郎と関わる事になったんだ?」
「戦場から離れてた時に、隠れ住んでた場所を見つけられたってだけだ。それを秘密にする代わりに、そいつの稼業を手伝うって事になってな。金銭的な報酬の代わりに、こう言った使えそうな道具を報酬代わりに寄こして来たんだよ」
「なら、さっさと殺せば良かったじゃねぇか。そしたら居場所もバレねぇ、そいつの持ち物も全部手に入っただろうに」
「どこの誰とも分かんねぇ奴を殺して、もっと厄介な事になったら面倒くせぇだろ」
「ま、確かにな」
「仕事内容も特別面倒でも無かったし得る物も有った、だからほとぼりが冷めるまでは付き合ってやろうってな」
「成程な。そいつは最終的にどうなったんだ? まだ生きてんのか?」
「死んだよ」
「死んだ?」
「……あぁ」
「お前が殺したのか?」
特に何も考えず、傭兵としてよくある事の様に発した言葉によって、”
「俺が、あいつを、殺しただと?」
発せられた言葉の冷たさにサルカズ傭兵は、間違いなく地雷を踏み抜いたのだと確信した。
「悪い、今のは俺が悪かった。傭兵やってるとよくある事だから……つい、な」
「……」
「……おい、なんとか言えって」
「─いや、こっちも悪かったな。もう良いだろう、飯を食おう」
「あ、あぁ」
容器に入れられたそれを口に流し込む。
するとこの冷え切った空気の中でも、腹に染み渡る暖かみのある味が広がった。
──────────────────────────────────────
先程の事もあり、サルカズ傭兵達は揃って無言のまま食事をしている。サルカズ傭兵は”
「─さっきの話だが」
「あ、急になんだよ? どれの話だ?」
「誰が殺したかどうかって話だ」
「その話はもうやめにしようぜ。口を滑らせた俺が言うのもなんだが、折角の美味い飯が不味くなっちまう」
「あいつは、俺が殺した様なもんかもしれねぇな」
「……やめようって言ってんだが? 聞こえてねぇのか?」
「あいつは……」
「やめろって言ってんだ。いい加減にしろ」
「─あぁ」
「はー……なんで俺の方が気を使わなきゃなんねぇんだよ。何がどうなってそうなったかは知らねぇが、お前の中でそいつが大きな傷になってんのは分かったよ。けどな”
「そうだ、そうだな」
「あーあ、分かっちまった」
「何がだ?」
「お前が後生大事に抱えてるデカい封筒だよ。結構前だったか……勝手に火の燃料にしようとした奴が居て、お前そいつを半殺しにした事あっただろ。まぁあれは止める奴が居なかったら、間違いなく殺したと思うけどな。だからそれも、そいつ関連だろ?」
「……」
「おいおい、マジで図星か。勘弁してくれよ」
サルカズ傭兵は大袈裟に手を挙げて、呆れて見せる。自分が思っている以上にこれは深刻な問題らしい。今更ながら興味本位でこの話題に首を突っ込むべきでは無かったと、後悔の念が頭をよぎっている。しかしながら、興味本位で踏み込んだのは自分で更に地雷を踏み抜いたのも自分だ。その結果、”
「”
「俺自身もどうしたら良いのか分かってねぇんだ。何度も捨てようとしたし、燃やそうともした。そうした方が楽になるって分かってんのに、最後の所でどうしても手が離せない。離せないんだ。そんな事を続けてここまで来ちまった」
「そいつは難儀なこったな。で、この先も抱えたままか?」
「……まだ分からない。ずっと考え続けていても答えが出ない」
「面倒くせぇな。だったらもう何も考えず、トランスポーターに出しちまえば良いだろ。お前は抱えてる物が無くなって気が楽になる、それを残した奴は願いが叶う。誰も損をしねぇ一番の解決策じゃねぇか。はっきり言ってやるよ、お前はもう過去の亡霊に縛られて、自身じゃどうしようもねぇ所まで来ちまってんだよ。今すぐ決めろ、ここで火に放り込むかトランスポーターに出すか。どっちかだ」
「どうすれば良い?」
「俺が知るかよ」
”
「もういい、そいつをよこせ」
素早く荷袋を奪い取り、その中から例の封筒を取り出す。
「おい、何しやがる」
「お前が決められねぇみたいだからな。俺が処分してやるよ」
そう言うと即座に火の中に放り込もうとした。
「やめろ!!」
その言葉が発せられると同時にサルカズ傭兵は地面を転がり、封筒は”
──────────────────────────────────────
あまりの速さだった為に、一瞬何が起きたのか分からなかったサルカズ傭兵。
どうやら殴り飛ばされたらしいと言う事を理解した後で、上下感覚が戻ってくると体を起こす。
「……痛てぇな。加減無しで殴っただろ」
「……」
「まぁ、良いさ。これで分かったろ? ”
「─悪かったな」
「今殴った分は、さっきの美味い飯でチャラにしてやるよ」
再び小鍋から容器に料理を入れてサルカズ傭兵に手渡す。
「だが、今の此処の状態じゃ難しいぞ。俺にトランスポーターのアテがねぇ」
「まぁ聞けって”
「そのトランスポーターに頼むと言う訳か」
「その通りだ。お前はそれを手放せて助かるし、トランスポーターは正式な理由で外に行けるって訳よ。かなり腕も立つ様だし、どっかでくたばるって事も無いだろうさ」
「そうなのか?」
「あぁ。あんまり言いたくねぇが、知らねぇ奴を見つけたから絡んだら見事にノされちまったんだよ。あのへドリーって奴の客だって事を最初から言っといてくれりゃ、俺が痛い目に遭う事も無かったってのに」
「だが引き受けてくれるかどうかは分からねぇだろ? 斥候って話なら任務もある筈だ」
「そこは”
確かに近々大きな作戦が実行に移されると言う話は聞いていた。この戦争の中でも重要な役割を持つ事になると言う物を、幾つかの場所に配置する準備等を行うらしい。現時点では第一段階として場所を抑えに向かう事になっていた。多くのサルカズが一斉に動き出すと言う点で言えば、出入りが頻繁に発生するのであれば、”多少”の人員の変化があっても気が付かれる事は少ないだろう。元よりサルカズ傭兵と言うのは、入れ替わり立ち代わりの激しい者達でもある。最終的な数さえ合っていれば、大抵の者達は殆ど気にする事は無いのだ。
「手間をかけるな」
「良いって事よ」
「ヘドリーって奴とそのトランポーターの特徴を教えてくれ」
「ヘドリーは、眼帯をつけた赤髪の野郎だ。読み書き出来るらしいから、お前とも話が合うかもな。トランスポーターの方は……一目見れば分かると思うが、サルカズの癖に妙にサルカズっぽくねぇ黒髪の女だ。兎に角トランスポーターを探すよりも、ヘドリーの方に張り付いてた方が楽だと思うぜ」
「分かった、何から何まで悪いな。お前のお陰でようやっとこれを手放す決心が出来た」
「そうかい。まぁ俺が殴られ損にならない様に頼むぜ」
「あぁ、何としてでも依頼してみせる」
「ま、そんな気合入れて行かなくても大丈夫だと思うがね。やる気が出てるってなら良いけどな。それらは一旦置いといて、話が纏まったから言うけどよ」
「なんだよ?」
「これ、残ってる分全部貰っちまっても良いか? 今迄口に入れば何でも良いと思ってたが、やっぱ美味いもんは良いな」
「……は。良いぜ、全部食っちまえ」
「へっへっへ、途中で欲しくなっても分けてやらねぇからな」
「言ってろ」
”
「……あちち。喉が焼けるぜ」
「ふっ、誰も取り上げたりしねぇよ。落ち着いて食え」
(随分と時間が掛かっちまったが、お前の遺した物を届けてやれそうだ)
ロンディニウムのどんよりと濁った空の下、二人のサルカズ傭兵が火を囲んでいる。
──────────────────────────────────────
あれ以降、担当場所を代わって貰い通常任務をこなしつつヘドリーと呼ばれるサルカズ近辺で待っていた。機会も有ったので話してみたが、確かにヘドリーとはそれなりに話が合った。色々な意味で面白い奴だとは思ったが、どうにも考えている事を読み取れない所もある。一番奥底に何かを隠して居るかの様な、そんな気配を微かに感じたのだ。それとなくトランスポーターの存在について聞いた時、妙に隠す様な素振りを見せた事からも、奴は恐らくこの戦争の中で、”戦争その物”では無く別の何かについて考えを巡らせているのだろう。結局の所、この”戦争その物”について考えている奴は殆ど居ないのだろう。上の連中も、俺を含めた下の連中もこれしかやる事が無いのだ。そして作戦決行が迫った前日の事。
「貴方、この所ずっとあの男の近くで何か探ってたみたいだけど。どう言うつもり?」
そんな声が首元に突き付けられた短剣と共に背後から聞こえた。何の油断もしていなかったにも拘わらず、あっさりと背後を取られた事、そしてずっと自分の行動を見られていた事に驚きを隠せなかった。特別誇る程の実力も無いが、かと言って全くの素人と言う事も無い。常に周辺には気を配っていたし、馬鹿正直にヘドリーに付き纏っていた訳でも無い。今自身の背後に立っている人物が、かなりの実力者である事は明白で、下手な事をすればこのまま一瞬で死ぬ事になる。それだけは、何としても避けたかった。
大人しく手を上げる。
「顔を正面から動かさないで」
「争うつもりは無い」
「死にたくなければ、まずは質問に答える事ね」
「……人を探してる。そいつがヘドリーの所に来る事があるって話だから、待ってんだ。嘘じゃねぇ」
「誰を待っているの?」
「サルカズのトランスポーターだ。今日来なかったら、もうチャンスがねぇ」
「へぇ、サルカズのトランスポーター……ね」
「頼む、見逃してくれ」
「何故、彼に直接訪ねなかったのか言いなさい」
「……ヘドリーとは別に親しい訳でもねぇ。それにトランスポーターに、此処の外に荷物を届けて貰いたいなんて言える訳ねぇだろ。スパイ疑惑かなんか掛けれて殺されるのがオチだ」
「そう考えて、あんな下手な張り込みしている方が無謀だと思うわ」
「これでも周りには上手く誤魔化しが出来てたんだ」
「確かに悪くは無かったけれど、相手が悪かったと言うやつね」
「今身をもって実感してるぜ」
「フッ、正直ね。それに嘘もついていない」
首元に短剣を突き付けられたまま、質問に答える。
(なんで後ろのこいつは、俺の足元見てやがんだ?)
その中で相手の視線が妙に足元に集中している事が気になった。
足元には自身の影しかないと言うのに。
「その荷物とやらを出しなさい」
「何?」
「二度は言わないわ」
「待ってくれ、俺が背負ってる荷袋の中だ。この姿勢じゃ取り出せない」
「動いて良いわ。分かってるでしょうけど、妙な真似はしない様に」
「勿論だ。そんなつもりは誓って無い」
後ろを振り向かないまま、荷袋を降ろし中から封筒を取り出すと後ろに差し出す。相手が受け取ったのを確認すると、再び両手を上げた姿勢に戻った。特に指示された訳でも無いが、抵抗する意思が無い事をハッキリと示しておきたかったのだ。直接確認する事は出来ないが、中身を確認しているらしい音が聞こえる。
「大事に扱ってくれ」
「そのつもりよ」
「見れば分かるが、送り先は封筒に書いてある通りだ。俺が書いた訳でもねぇし、預かり物だから、今でもそれが正しいのかは分からねぇ」
「─良いわ。依頼として受けてあげる」
「お前がトランポーターなのか?」
「さぁ?」
「悪いが依頼料として払えるモノはそんなに持ってねぇ」
「必要無いわ」
「……」
「その代わり、私が運んであげられるのは途中まで。その先は”お人好しの集まった別の組織”に預ける事になるわ」
「そいつがちゃんと目的地に届くなら、なんだって良い」
「”彼ら”なら、間違いがあったとしても修正して届けてくれるでしょうね」
「……なら安心だ。感謝するぜ」
「ただの気まぐれよ」
「それでもだ」
ようやっと自分の手を離れたそれに、微かな寂しさと安堵を覚える。
自分が抱えていた大きな物、縛り付けていた何かが無くなった様だった。
生きて行く事、何かをしなければいけないと言う強迫観念からの解放。
あらゆる意味で体が軽くなったのだ。
「……これは忠告。貴方、そんな状態だったら、さっさとこの戦場から離れた方が良いわ」
「それはどう言う意味だ?」
そう口にした所でずっと後ろにあった気配が消えている事に気が付いた。慌てて後ろを振り返ったがそこには当然誰もおらず、何の痕跡も残されていない。頼みを引き受けてくれたトランスポーターの姿を見る事は叶わず、面と向かって礼を言う事も出来なかった。だが確かに長い間抱えていた封筒は、自分の手元を離れたのだ。最後の言葉だけが気になったが、ここを離れて何処へ行けと言うのか、既に戻る場所も進むべき目的地も無い。もっと言ってしまえば、やるべき事も残っていないのだ。
「……手放す瞬間ってのは、何時だって軽いもんだな」
その呟きは濁った空に吸われて消えた。
──────────────────────────────────────
「よぉ、その感じだと上手くやったみたいだな」
火に当たる為に野営に戻ると、見知ったサルカズ傭兵が手を上げて声を掛けて来た。
返事の代わりに手を上げて火を囲む様に腰を下ろす。
「あぁ、なんとか頼む事が出来た」
「良かったじゃねぇか、憑き物が落ちたって感じの雰囲気になってるぜ」
「そんなに変わる事はねぇだろ」
「いいや、大違いだな。前はもっと死にてぇのに死ねない奴みたいな感じだった」
「……そうか」
「ま、こうして無事に上手く行った訳だし万々歳だな」
「お前には色々世話になったな。あの時、お前がああやってくれなければ、きっと今も何も変わってなかっただろう」
「よせやい」
「けど、お前何でそんなに俺に構うんだ? 接点が有った訳でもねぇだろうに」
「あー……それはだな。ちょっとした打算的なモノが有った訳だ」
「何?」
「実はお前に頼みたい事があんだよ」
「成程な。無償の善意よりかは、その方が信用出来る。それで頼みってなんだ? また飯か?」
「あぁ、それも良いが。別さ」
サルカズ傭兵は少しばかり悩む様に火を眺める。
パチパチと火が弾ける音が静かに聞こえていた。
「─文字をな、読めるようになりてぇんだ」
「何だと?」
「だから、文字を読めるようになりてぇんだ。何度も言わせんじゃねぇ」
「本当に予想外な所が来たな。時間が取れるなら教えるのは一向に構わねぇが、理由を聞いても良いか?」
「まぁ、気になるよな。俺も別に文字なんて読めなくても良いって思ってたんだ。俺らは傭兵、殺すのが仕事だからな」
「あぁ、そうだな」
「あれはまだ”
サルカズ傭兵は火に手を翳しながら、以前の事を思い出す様な声音で語り始めた。
「ヴィクトリアの貴族連中や、街に残った市民共。そう言った連中を端から捕まえて連れて行く仕事、お前もやった事位あんだろ? 普段踏ん反り返って俺らの事を見下してる連中、ああ言うのを引き摺り下ろすって時は結構良い気分になるもんだ」
「……」
「兎に角、人手を搔き集める必要があった。だから隠れて閉じ籠ってる連中を引っ張り出す為に、色んな所に押し入ってたんだ。そんな時にそこそこデカい屋敷を見つけて、仲間と一緒に乗り込んだんだ。他の連中が屋敷の中をあちこちひっくり返してた時、偶々、本当に偶然、俺は巧妙に隠された地下室を見つけた。隠された地下室と来たら、金目の物や食料とかがあると思うだろ?」
「確かにな。違ったのか?」
「あぁ、そこにあったのは大量の本だ。この位分厚いのから薄いのまで、そりゃもう大量にな。思わず手に取って見てみたが、さっぱり内容が分からねぇ。文字が読めねぇから当然だな。そんでその本を放り投げたら、声がしたんだよ」
「声?」
「あぁ、部屋の中に隠れてたんだろうな。そのまま息を潜めてりゃ良いのに、ヨボヨボの爺が飛び出して来たんだ。そんでそいつが何言ったと思う?」
「命乞いか?」
「いいや。『本を雑に扱うんじゃない』って言ってきやがったんだ。サルカズ傭兵を目の間にして言う事がこれだぜ? 笑えるだろ?」
「そいつは俺も予想出来ねぇな」
「俺も驚いてな。思わず本を拾って置きなおした位だ」
当時の事を思い出した様に、くつくつと笑いながら話を続ける。
その時の老人との会話は、今でも鮮明に覚えているのだ。
──────────────────────────────────────
『サルカズ傭兵、此処には見ての通り本の山しかない。お前さん達が欲しがる様な物は無い出て行ってくれ』
『そいつを決めるのはお前じゃねぇ。死にたくなかったら、大人しく指示に従え』
『儂を殺すか? ならば殺すがいい。だが、ここにある書物を雑に扱う事だけは許さん。ここにある書物は、どれも後世に残すべき貴重な物ばかりだ。お前さんの様な傭兵でも、歴史の重みは分かるだろう』
『歴史の重みだ? そんなの俺達サルカズに分かる訳ねぇだろ。お前らから差別され、迫害されるサルカズだぜ』
『ならばここで理解するがいい。歴史書、小説、詩集、絵物語、それらは多くの人々が生み出した素晴らしい発明だ。真実、想像力、表現力、作者が体験した多くの物事。目の前の風景を美しい文言で書き上げる事は、本人以外に誰も真似する事が出来ない。分かるか? ここに書き記された数多くの物は、この世にもう二度と生み出す事が出来ないのだ』
『本なら、ここ以外にもそこら中にあるじゃねぇか。お前の隠したこれが無くなった所で、誰も困りはしねぇだろ』
『確かにここにある物と同じ本は世間にはあるだろう。だがそれらが無事であると誰が保証する? お前たちサルカズが多くの家々を焼き尽くしているのは知っている。お前達は、そこにあった書物に目を向けた事はあったか? それらを保護しようと行動をおこした事は? ある筈もなかろう。貴重な蔵書と言うのは思わぬ所に眠って居るものだ。お前達が焼き払った事で、もう二度と人の目に触れる事が無い書物もあったかもしれん。儂はその様な事をこれ以上許してはおけない』
『じゃあ、てめぇはこの本の山を守る為に死んでも良いってか?』
『勿論だ。儂の命でこの部屋の書物が守られるならば、喜んで死のう』
『……へぇ?』
『サルカズ傭兵よ、文化とは人々の生活の積み重ねだ。そして書物はそれらを記録する一番の媒体となっている。価値が分からぬなら、手を出さずそのままそっとしておいてくれ。価値が分かるならば、後世の為に保存しておいてくれ。書物とは人々の偉大な発明であり、そして人々の生きて来た証だ。お前達にも様々な思いがあるだろう、だがあらゆる物を、破壊し焼き尽くす事だけはやってはならぬ。多くの人々が書き残した、知識を、記憶を、そこに込められた願いを踏み躙る事は誰にも許されない。そんな権利は誰も持っていないのだ』
『……』
『おい爺。お前、今迄何して生きて来た?』
『……書物を取り扱い管理する仕事や教師だ』
『通りで説教臭いと思ったぜ』
──────────────────────────────────────
「それでどうなったんだ?」
「俺はもうすっかり、どうこうしようって気が失せちまった。さっさと出て行こうとしたんだが、他の連中に見つかっちまってな」
「……」
「仲間の一人が面白がって火を部屋の中に放り込もうとしたのを見た途端、爺が飛び掛かってな。そのまま殴り倒された。当然だよな」
「じゃあ、地下室の本はすべて燃えたのか?」
「─あの火を投げ込まれた時の、爺の叫びはとても聞いてられなかった。笑えるだろ? さんざん悲鳴を浴びて来た傭兵がだぜ?」
「……」
「それから叫び声を上げながら必死に火を消そうとする爺を、仲間が後ろから蹴っ飛ばして扉を閉めたんだ」
「……」
「今迄だって似た様な事が無かった訳じゃねぇ。俺だって綺麗に生きて来た訳じゃないしな。残忍な殺しの経験だってあるさ。……けど、けどな。俺は今でも、あの部屋の中から聞こえてくる慟哭が耳から離れねぇんだ。馬鹿みてぇな話だろ?」
サルカズ傭兵はそこで言葉を切って、酒を飲んだ。
「短い時間しか話してないのに、妙にあの爺の言葉が頭の中に残ってやがる。仲間の連中が揃って笑ってるのに、俺はとてもそんな気分になれなかった。それどころか、クソみたいな人生がもっとクソになっちまった様な気持ちだったんだ」
「それで文字を読めるようになりたいって訳か」
「あぁ、正直俺には何を言ってるのかさっぱり分からねぇ。けどな、あの爺があんな風になってまで、守ろうとしてた物の価値ってやつか? それを知りたくなったんだよ。あの時、俺に文字読む力が有ったら、あの場所の本の価値を理解出来たら、なにか違ったんじゃねぇかって……」
「─お前、後悔しているのか?」
「これは後悔なのか? 別に罪滅ぼしとか、そんなんじゃねぇ。ただ何も知らないって事が酷く恐ろしくなったんだ」
「何となく分かる気がするぜ。そして後になって思うんだ、無知だった頃の方が幸せだったってな」
「頭の中、空っぽにして剣振ってるだけで良かったんだ。今じゃそれすら出来なくなってやがる。誰かを殺した時、何かを焼き払った時、そこにある”何か”を考える様になっちまった。あれ以降、俺はもう変わっちまったのさ……」
サルカズ傭兵達は黙ったまま火を眺める。
パチパチと火が弾ける音が静かに聞こえていた。
「”
「お前も、戦場から離れた方が良いのかもしれないな」
「それが出来るなら苦労しねぇよ。けどまぁ、この戦争が終わったら俺はさっさと逃げるとするかね」
「だったら、かなり本気で取り組まねぇと時間の猶予は無いぞ」
「それは”
「はん、俺は誰かに教えるのは全くの素人だぞ? 効率の良いやり方なんて知らねぇし、泣きついて来ても何も出来ないからな」
「ははは、こいつは始まる前から、先が思いやられそうだ」
お互い悩みを抱えていた者同士、微かに笑いながら酒を飲んだ。そして眠りにつきながら考える。この先、戦争が終わったらどうするのか。この先、未来で自分は何をするのか。考えても答えは出ない。やはり自分にはもうやりたい事も、やるべき事も残っていない様に思われた。最後のやるべき事はおわり、縛り付けていた重りはこの手を離れ、行き先もありはしない。ヘドリーは以前、未来について考えていると言っていた。未来、未来について。かつて生きていて欲しいと願った存在達はもう居ない。約束も、願いも叶えてやる事が出来なかった自分には何が出来るのか。そうして、それらについて考える事すら億劫になっている事に気が付いた。
(─ああ、そうか。俺はもう、生きる事に疲れてるのかもな)
目を閉じて、意識を落とす。
とっくの昔に火種は消え、辺りは暗闇に沈んでいる。
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戦争、国家
意志、主義
主張、理屈
サルカズ、王庭
模範軍、自救軍
ロドス、レユニオン
ヴィクトリア、ダブリン
様々な勢力が渦巻く戦争。
様々な目的が渦巻く戦場。
ありとあらゆる主張、ありとあらゆる意志。
明日の為の戦い、未来の為の戦い。
そんな場所では、生きて行く目的が無い者から死んでいく。
これは当たり前の事だ。
──────────────────────────────────────
……
…………
クソみたいな人生で1番充実していたのは、昔馴染みの相棒と馬鹿をやっていた頃。
2人で戦場を駆け回り、戦果を挙げ、安酒を飲み自分達の未来について野心的だった。
己を知らず、世間を知らず、現実を知らず。
自分達はきっと、特別な何者かになれるのだと思っていた鮮烈で愚かな日々。
クソみたいな人生で2番目に充実していたのは、あの山で土に触れていた頃。
世間知らずの夢見がちな女に教えを乞い、土に触れ毎日確かな充実感を得ていた。
己を知り、世間を知り、現実を知った。
自分にもこの様な生き方が出来ると知った、あの温くも忘れがたい日々。
(3番目……3番目は……)
(いや、3番目なんてねぇな。これで終わりだ)
戦火の中、血を流し地面に倒れたサルカズ傭兵は濁った空を見上げている。
聞こえてくるのは戦争の音。砲撃、爆音、怒声、崩壊音。
碌に話した事も無い、立場のある連中。
奴らはこの戦争に勝てば、サルカズの国が出来るのだと宣言した。
俺達サルカズが大地を彷徨わずに済むようになると言った。
沸きあがる同類たちの中で、どこか冷めた様に構えていた自分が居た。
やってる事は暴力、権力、威力。結局の所、誰も彼もが怨念返しだ。
こんな事、どうせ上手く行く訳がない。
『生き残った方が、死んだ奴の分まで大地を這ってでも生きる。簡単な話だろ?』
自分を庇って死んだ、愉快で頼れる相棒との約束。
『小さな歩み寄りこそが、きっと何よりも大事なんです』
自分を助ける為に死んだ、強く優しい女の言葉。
「俺は結局、あいつらに何もしてやれなかった……」
サルカズ傭兵の震える声で絞り出された、最期の言葉。
後悔か、自虐か、それとも別の何かか。
それは鳴り響く戦火の音にかき消され、誰の耳にも届かない。
そして崩落する瓦礫に呑まれ、その姿は完全に見えなくなった。
──────────────────────────────────────
後日、研究雑誌に『特定品種の感覚器官と成長』と言う題材の論文が掲載される。
粗削りで指摘すべき点も有ったが、着眼点や積み重ねたデータ等が評価されていた。
何より栽培・養殖が困難と思われた品種だった為、この論文の内容は多くの人に役立つ事になる。
評価者コメントより
『確かに、この論文は粗削りで詰めが甘い部分もある。だがこれは大変に素晴らしい発見である。私はこの論文の執筆者が、既に亡くなっているのが残念でならない。だがこの論文を見つけ、その思いを汲み取り、ここへ写真と手紙を添えて投稿してくれた人物に心より感謝申し上げる。本来執筆者に贈呈される研究支援金については、この分野を引き継いで研究する人物達への支援に充てる事を約束する。そして、この論文が掲載された事を、投稿してくれた人物が目にしてくれる事を切に願う』
──────────────────────────────────────
『特定品種の感覚器官と成長』
論文執筆者:ゼラ・アゲラタム
研究協力者:
(論文執筆者と思われるリーベリの女性が笑っている写真が添付されている)
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研究協力者欄はあるが、そこに名前の記載は無い。
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全ての始まりは、本当に偶然だった事。
この研究を支えていた、研究協力者が居た事。
人々を豊かにする、この研究をしていた人物が死に追いやられた事。
長い時間が経った後に手紙と写真を添え、トランスポーターに託したのがサルカズ傭兵だった事。
そのサルカズ傭兵が、ロンディニウムで戦死した事。
これら全てを知る人は、この世界の何処にも居ない。
サルカズ傭兵の生きた証はたった1つの論文、その中にだけ僅かに残っている。
【生きた証】 終
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副題:君に生きていて欲しい
備え付けの通信機が鳴り、ロドス職員はそれを取った。
「はい、はい。此方は問題無く完了しました。えぇ、あの町に関しては定期的な観察が必要かと思います。抑制剤に関しても使ってくれるかどうかについては、何とも言えない所ですね。こう言ってはアレですが、どうにも差別意識が強く根付いている感じです。うーん、それはどうでしょうね。何かがあったと言うか、元々そんな感じだった気がしますね。気になる点も幾つか……えぇ、はい。了解しました。では他に行く所が無いのであれば、このままロドス事務所の方に帰還します。ええ、勿論寄り道はしませんよ。はい、お疲れ様です」
端末を操作して、通信を終了させると運転をしている人物は隣に声を掛けた。
助手席に座りながら不貞腐れた様に外を眺めている。
「まだ拗ねてんの?」
「拗ねてない」
「拗ねてるでしょ」
「拗ねてない。俺は怒ってんの」
「はいはい、怒ってんのね」
「お前は腹立たないのかよ。あんな言い方されてさ。助けを求めて来たのは向こうなのに、俺達が感染者だと分かったらあの態度!! 思い出すだけで腹が立つぜ。あいつらだって感染者の癖に」
「自分達が感染者じゃなかった頃が忘れられないんだろ。あの手の人達は別に珍しくも無いさ」
「分かってるけどさ……あんな連中見捨ててやれば良いんだ」
「おい。気持ちは分かるが、あんまりそう言う事を言うな」
「……あぁ」
「ま、俺もちょっと思ったけどな」
備え付けの装置が正常値である事を確認し、ちらりとバックミラーを見た後、話を続ける。
更に後に何も来ていない事を把握すると、真面目な口調に戻す。
「それとは別になんか変な感じだったろ」
「やっぱりそう思うか? 明らかに何か隠してる感じだったな。何か後ろめたい事でもあるんだろう」
「……多分、と言うかほぼ確実に」
「うん?」
「町の住人の全員が感染者になる前に、きっと感染者を追放したり最悪殺してる」
「おいおい、根拠は?」
「まずは空気感かな。お前も知ってるだろ、感染者を地下に閉じ込めて殺してた村の話。あれに近い。少し離れた所にある空き家の数、余所者が近づかない様にする為の言い訳の山。俺達に対する、まるで監視の様な視線」
「流石、お前はそういうのに敏感だな」
「まぁな、ちょっと止めてくれ」
「あいよ」
運転手は車両を道の端に止める。
「この端末のデータを見てくれ。これは俺が腹を立てて、車両に戻ってるって言った後に辺りを調べて来た時のデータだ」
「お前、あの後そんな事してたのかよ」
「まぁね。監視してるって言っても所詮素人だ。俺の作り出した幻影に見事に引っ掛かってたよ」
「だろうな。で?」
「これ、あの空き家周辺で観測した汚染率だ」
「やけに高いな……中には入ったのか?」
「流石に手持ちの装備じゃ中は無理だった。けど、あの周辺明らかに源石の粉末が多量に撒かれた形跡がある。それに地下に当たる部分、これを見てくれ」
「おいおいこの濃度、小さい源石爆弾でも使ったのかってレベルだな」
「あの空き家、その地下室に大量に感染者の死体があったとすれば……?」
その言葉を聞いて運転手はシートに体を倒して呻き声を上げた。
「それは最悪な予測だな。お前が怒ってた本当の理由はこっちか」
「あぁ。出来れば外れて欲しいけど、多分当たりだと思う。町の住人と家の数が合わなさすぎる。何としても隠し通しておきたいけど、ほぼ全員が感染者になったから助けを求めて来たんだろう」
「あの町に対しての支援活動については、ロドスで話し合う必要がありそうだな。場合によっては支援どうこうって話じゃ済まなくなる。下手をすればあの町の住人、全員殺人犯で収容所送りだ。それにこのデータ通りの汚染率だったら、洗浄出来ずに町自体が閉鎖対象にもなりかねん」
「元々の感染発症の原因は、源石鉱脈の採掘、それも汚染対策不十分による物だろうさ。そうして感染者になった奴を押し込んで見殺しに、結局それの対策も中途半端だったから、最終的に全員仲良く感染者だ」
「俺があの町の住人の嫌味に晒されている間に、よくここまで調べたな。こりゃ荒れるぞ、現状ではただの想像で妄想だ。裏を取るとしても、それにあの町の住人が正式な調査なんてやらせてくれないだろ」
「─なんで俺達こんな、化け物の巣窟みたいな案件ばっかり引いちゃうかね」
「お前の日頃の行いが悪い所為だな」
「経験の浅い連中がこの案件を引かなかっただけ、幸運だと思う事にしよう」
「そりゃ確かに」
再び車両を発進させる。
──────────────────────────────────────
「そう言えば俺も気になってる事があってさ」
「ん?」
「町から山の方をみると、一部山火事みたいな形跡があって」
「あー、確かにあったな」
「あれについて聞いてみたら。露骨に嫌な顔して『火事があった。危険だから近づかない方が良い』の一点張りよ」
「……何かありましたって、自白してる様な物じゃないか」
「そうそう。悪魔がどうとかって言ってる人もいたかな」
「はーん……それでその場所を調べたくて、こうして裏道を通ってる訳か」
「流石相棒。話が早いね」
「最初から帰還ルート外れてるから、変だと思ってたんだよ。本当に危なかったらすぐ逃げるからな」
「勿論、そこは普段通りにな。行ける所までこいつに乗って、そこからは歩きだ」
「了解」
山の途中で車両を降り、アーツを使いそれを隠す。
そして数分間その場に留まり、誰かが追いかけて来ていないかを調べた。
追跡者が居ない事を確認した後、お互い頷き合い山道を進んで行く。
あの陰鬱な町とは違い、山の中は穏やかな空気が流れていた。
「結構良い感じの山だな。空気も美味いし、あの町とは大違いだ」
「こうして歩いてみると、近い様に思えて結構距離あったんだな。それに高さもそこそこある」
「じゃあ何でこの山で火事があったんだろうな? 自然現象って感じでも無いだろう」
「まぁ、その現場に行けば分かる話だけどな」
「これ以上、厄介事が大きくならない事を祈るね」
「自分達から突っ込んで行ってるのに、そりゃ無理な話だ」
「はは、確かにな」
山道を抜け目的の場所に辿り着く。
そこには二人が思っていたよりも広い空間が広がっていた。
「これは……焼け落ちた家か。規模的に1人暮らしだろうか」
「町の方から見えた火事の形跡はこれだな」
「随分と広く焼けているが、勝手に燃えたって感じじゃなさそうだな」
「なんで?」
「よく見ろ。今は焼け落ちて崩れてるが元々の家の範囲はそこ迄大きくは無い。それにほら、ここ。火災が起きた時、不必要に広がらない様に水路が通してあった跡がある。そこを越えて焼けた跡があるって事は、意図的にやった奴が居るって事だ」
「成程ね」
「それにこの焼け落ちた残骸、恐らくこれ人の手が入ってるな」
「後処理の為にやったんじゃなくて?」
「だったらこんな中途半端に残さないだろ。普通は綺麗に片付けるし、ほら」
そう言って残骸の下から何かを引っ張り出した。
「これはボウガンの矢か?」
「その通り、すっかり焦げているがかなり頑丈な奴だな。しっかり形が残ってるのがその証拠だ。さて、雑な証拠隠滅の気配に加えて、普通の火事の現場にこんなものあるかって話よ?」
「……放火かよ」
「ほぼ確定だな。問題は『何故ここを放火したか』だ」
「嫌われ者が住んでいたとか? 例えば感染者とか、あそこの連中ならやりそうだしな」
「感染者をあれ程に嫌う彼らが、わざわざここまでやってくると思うか? さっき上から見た通りかなり遠いぞ。それに」
「それに?」
地面を指さしながら一定の範囲をぐるりと歩いて見せる。
「今歩いた所、他と土が違う。今は見る影もないが恐らく畑か何かだった筈だ」
「確かに、なんか柔らかい土だな。それに柵の跡や地面の切れ込みがうっすら残ってる」
「その他にも井戸やら小屋やらの跡もある。つまり生活環境が整っていた事になる訳だ。ここで自給自足生活が出来ていたとすると、かなり長い間ここに住んでいた事になるだろう?」
「あぁ、成程。それ程長い間、放置するかって話か」
「その通り。ここの住人はそれなりに町と交流があり、その状態で長い間ここで生活が出来ていた」
「物凄く嫌な予感がするぜ。つまりあれか? あの町の連中、ある日突然ここに住んでる奴を殺したくなったって事か」
「それが一番可能性が高いな」
土を触っていたロドス職員はそのまま頭を抱える。
「……俺、こう言う事件みたいなのドラマ観るだけで十分なんだけど」
「あくまで想像だぞ? 何の確証も無いんだ。けど、敏感なお前の事だ、もう気が付いてんだろう?」
「……」
「この場所で起きた事が『家を燃やして、はいおしまい』じゃないって事に」
「─あぁ。さっき上の方を少し調べた時にな」
あちこちにある矢の残骸、木に刻まれた刀傷。
そして戦場特有の臭いを感じたのだ。
二人は山の中を、上への方へと進んで行く。
「ここで起きたのは戦闘だ。恐らく町の住人とここに住んでた奴とのな。たった1人をかなりの人数で追い回したんだろう」
「だがこの感じ、追われてる奴の方が戦い慣れてる感じがするな。山の中での戦い方に無駄が少ない」
「確かにそこは気になる。手当り次第攻撃していた跡、狙って攻撃した跡がはっきりと分かる。寄せ集めの武器に対して、確実に実戦用の使ってるな、切り口が綺麗過ぎる」
「そうなると変だな。相手の実力が分かってるのに、わざわざ放火までして殺しに行くか? 町の奴らは素人集団なんだから逆に殺されるかもしれないだろ?」
「うーん……だが数の暴力で押しているのは確かだ。となると、町の彼らが戦い慣れしていないのは間違いない事になる」
「あそこに相当な訳有りが住んでいたとか? 兎に角、もう少し上まで行ってみるか。そしたら何か見つかるかもな」
ロドス職員は揃って木々の間を抜けながら、更に上へと向かっていく。
道無き道を進んで行くと、途中で獣道にも似た通り道を見つけた。
今は荒れているが、かつてひっそりと手が加えられていたかの様な道だった。
二人は顔を見合わせるとその道を進んで行った。
その先で少しばかり開けた場所に出た。
「「洞窟だ」」
そこにある入り口を見て、同時にそう呟いた。
──────────────────────────────────────
「獣の住処って感じじゃないな。近づいてる形跡すらない」
「外の石の積み方、これ焚火に使ってたな。となるとここに人が住んでいたのか?」
「この洞窟、結構奥が深そうだ」
「何が居るか分からない、気を付けろよ」
「分かってる、俺が前お前が後ろだ。灯りは消すなよ」
洞窟の中を進んで行くと、少しばかり広い空間に出た。
そこにあった物を見て二人は驚きの声を上げる。
「これは驚いた……」
「おいおい、凄いな」
そこにあったのは無数のキャンプ用品を利用した生活空間だった。頑丈そうなテントの中に見える寝袋、キャンプ椅子と机、照明代わりのランプが幾つも並んでいる。自作と思われる棚も置いてあり、調理器具等も揃っている。更にはそれなりの数の本が積まれていた。その気になれば、誰でもここですぐに生活が出来そうなレベルで充実していたのだ。しかし、それらには長い間使われていない事を示すかの様に、大量の塵埃が積もっている。
「わーお、下手なキャンプマンよりも道具が充実してるぞ」
「これ全部、ここに住んでたやつが使ってた物か? 作業机みたいのもあるな」
「うぉ、このランプセット渋いな。……良いなぁ、何処で売ってるんだろう」
「おい、あんまり触るなよ」
「分かってる、見てるだけだ」
「触るとしても、丁寧に、ちゃんと元に戻せよ」
「それも分かってるよ」
まるで秘密基地の様な様相に、2人はちょっとばかり興奮している。
男なら少なからず持っている、隠れ家への憧れを隠せていない。
そんな中で壁に掛けられた布が揺れている事に気が付いた。
2人は即座に真顔に戻ると頷き合い、ゆっくりと近づいて行く。
そしてそっとその布をどけた。
「ここは、物置……か?」
「そんな感じだな、色々種類別に並べられてる。ここに住んでた奴は結構几帳面な奴かもな」
「……おい、これ」
「ん?」
示された所を見ればそこには厚めの布が敷かれていた。
「……血だ」
「かなり出血が酷かったんだろう。それに全身に傷があった様だ。血の手形が残ってる……これは小柄な女性のものか?」
「これじゃ自力で動ける感じじゃ無そうだが、何処に行ったんだ?」
「分からない。物置にある道具は男物が大半だ、元々ここに住んでいた人じゃないのかもしれない」
「じゃあ、どっから来たんだって話になるけど……あ!!」
「やっぱりそう思うか?」
「あぁ、他にないだろ。けど、あの町の連中が殺しに来た理由も分からないし、あそこで実際に戦ったのは誰なんだ?」
「恐らくあの場所で戦ったのは、ここに住んでいた人物だろう。そしてあの家が襲われる理由はここと関係あるのかもしれない」
「ここに鉱石病の奴が住んでいて、仲が良かったからとか?」
「どうだろうな……何か分かる物が残っていれば……うん?」
「どうした?」
ロドス職員は布の上に人物が這いずって動いた痕跡がある事に気が付いた。じっと目を凝らして見れば、地面の上に血の跡が残っており、近くの壁まで続いている。その壁には凭れ掛かったかの様に血が付いており、その近くの平箱にも血の手形が付着していた。その平箱の近くに同じく血の付いた紙が落ちているのを見つけた。ロドス職員はそれを拾い上げると灯りで照らす。そこには震える文字が刻まれていた。血を流しながら書いたのだろう、血が滲み文字が読めない所が多くを占めていた。二人はそれを黙って読んだ。そこに記された最期の望み、願いにどれ程の思いが込められているのかは、書き記した本人にしか分からない。
「……」
「……」
読み終えた後、2人はここに住んでいたサルカズが、この手紙を読む事は無かったのだと悟った。きっとこの手紙に気が付く事すらなかったのだろう。
助ける為に必死だったから、目の前の事しか見えていなかったに違いない。
それを誰が責められようか。
襲撃者達を撃退し、きっと助ける為にここから連れ出したに違いない。
だからこそ、この手紙に女性が記した、最期の望みや思いを知る事は無かったのだ。
──────────────────────────────────────
ロドスの車両が道を進む。
「……なぁ」
「何だ?」
「あそこに住んでたサルカズ、今も何処かで生きてると思うか?」
「……生きててくれなきゃ、死んだ女性も報われねぇよ」
「だよなぁ。生きててくれると良いな。どうしてこう、種族や病気で差別しちゃうかな……そっとしておいてやれば良かったのに」
「一度根付いた考え方ってのは変えらないもんさ。それに自分が理解出来ない物を受け入れる様になるよりも、自分が理解できない物を排除する方が楽なんだよ。ずっと恐れていたモノだったなら尚更な」
「こんな出来事を別に珍しい事じゃないって思ってしまうのが、悲しくなるな」
「仕方がないさ。どうしようも出来ない、どうしようもない事があまりにも多過ぎる」
「けど、そう言うのを少しずつ減らしていくのが俺達の仕事だな」
「そう言う事だ。この悲しみを忘れず、減らしていく事もロドスの仕事さ」
「まだまだ先は長そうだが、やるだけやるしかないか」
「その通り。まずはあの町の連中をどうにか助けてやらないとな」
「正直気は乗らない。けど、あいつらと同類には俺はなりたくないね。やれるだけの事はやってやるよ。その後どうするかはあの町の連中次第さ」
「そうだな。まぁ、出来るだけ穏便に進む事を祈るよ」
それを最後に1人は黙って運転を続け、1人は黙って窓の外を眺めていた。
口にはしないが、彼らはあの洞窟の事を考えていた。
出来ることならば、あそこには誰も近づかず触れる事の無い様に願う。
せめて、『2人の思い出の場所だけでも穏やかでありますように』と。
(……この大地の何処かで生きているなら、あのサルカズに会ってみたいな)
(調べて分かるもんかは自信がないが、出来る範囲で調べてみるかね)
備え付けの通信機が鳴り、ロドス職員はそれを取った。
「はい。あー、お疲れ様です。あ、いや、そんな。ちょっと道が混んでいただけと言うか。寄り道なんてとんでもない、ええ、はい。あー、帰還指定ルートはそもそも交通量が少ない? 嫌だなぁ、何事にも想定外の日って言うのはありますよ。……はい、ごめんなさい。今はちゃんと帰還ルート走ってます。はい、はい……戻り次第説明に行きます。……お疲れ様でした」
通信を切ると溜息を大きく吐き出す。
「怒ってた?」
「かなり。戻ったらすぐに説明しに来いって」
「あの人怖いんだよなー。けど今回は色んな意味で、もっと怖くなるのが分かるぜ」
「だろうな。どっから説明したものか、あの人の許せない行為詰め合わせセットみたいな話だし」
「戻ったら当分、会議室から出させて貰えないなこりゃ」
「あーあ。偶には、単純に薬を運んで人に感謝される仕事がしてぇなぁ~」
「分かる。足運んだ先々で変な警戒心持つ様になっちまったしなぁ」
「この案件終わったら、休暇取ってどっか行こうぜ」
「その前にドクターや人事部を言いくるめて、厄介案件引受特別手当かなんか貰おう」
「いいね~聞いてみよう」
そんな軽口を叩きながらも、この案件が簡単に終わらない事を2人は理解していた。
あの町とは長い付き合いになるだろうと。
彼らの予感はよく当たるのだ。
ロドスの車両が大地を進む。
彼らがこの道を通ったのは、ヴィクトリアでの戦争が終わってからの事である。
──────────────────────────────────────
・血で汚れた手紙
震える文字が書き記された、血で汚れた手紙。
とある人物から、とある人物へと向けられた内容が書かれている。
本来は美しい字を書く人だったのだろうが、その面影は無い程に歪んでいる。
手紙の内容の大半は読み取る事が出来ない。
そしてこれは、もう二度と読まれる事の無い手紙である。
『■■■■■■■■■■■■。■■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■。■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■。~略~。私は、サルカズさんに出会って多くの事を知りました。戦場の事、貴方の事、サルカズの事、■■■■■■■■■■■■、きっとそれらは私が1人生きて行くだけでは知る事の無かった事です。私はもう死ぬでしょう。■■■■■■■■■■■、ですが貴方はここから■■■■■、生きていて欲しいと願っています。■■■■■■■■■■、戦場に戻る事なく、土に触れ何かを育てる生活を続けて欲しいのです。■■■■■■■■■■■教えられる事はもう■■■■■が、貴方にはこの先、誰かの■■■■■■■■■■■■。私の事を気にする必要はありません。どうか、貴方がこの大地の上で平穏に生きていけますように。それが私の望みであり、願いです』
・小さなノート
洞窟に残されていた小さなノート。
読み書きの練習に利用されていた様だ。
荒っぽく乱雑ではあるが、確かに上達の痕跡が見て取れる。
ページの間には『木の下で獣に囲まれ、その内の1匹を抱えて気持ち良さそうに眠るサルカズ』の写真が挟まれている。
そのにページに持ち主と思われるサルカズの怒りの文章が書かれていた。
『あの女、俺が眠ってる間にこんな写真撮りやがって!! その上で嬉しそうに渡して来るとは何考えてんだ。※サルカズスラング※!! 馬鹿にしやがって、もう二度とあそこで昼寝なんかしねぇ。こんな写真捨ててやろうかと思ったが、仕方がねぇから持っておいてやるよ。今度撮影機の使い方を覚えて、あの女の間抜け面を撮ってやるさ。その機会は山程ありそうだからな』
文字が残されている最後のページ
『お前はそうやってこの先も平穏に生きててくれよ《上から何度も線を重ねて、力強く塗りつぶす様に消してある》』
副題:君に生きていて欲しい 終
別サイト(Pixiv)に投稿していたもの
友人からこっち向きじゃないかと言われたのでお試しです。