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イベリア、グランファーロ。狂人号の事件以降、ここには裁判所の人員が多数やって来て、日々慌ただしく動いている。見慣れないエーギル人達も、その中に混じって話し合う姿が頻繁に目撃されていた。そんな場所に、裁判所では無い別の組織が、多くの物資を持って到着した。事前に決められていた場所へと次々と運び込み、総指揮を取っている人物と話し合いをしながら、機材の組み立て等も行われている。裁判所、エーギル、そして物資を運んで来たロドス・アイランドが、本部と決めている教会の扉を怪しい人物が開いて中に入って来た。
「ケルシー、調子はどうかな?」
「……何故、君がここに居る? ドクター」
「海に関する事は、何時も報告書でしか知らされないからね。偶には自分で確認する為に、足を運んでみようと思った訳さ」
「……」
「私がここに来ている時点で、問題無いと君は理解しているだろうが、一応ちゃんと言っておこう。ロドスの業務について、私の方で対処が必要な物は完了している。私が2、3日不在だった所で、業務の方に支障が出る事は無い。考えうる事態についての対処も、想定の範囲内に収まる様に手配済みだ。他に何か言う必要はあるかな?」
「……結構だ、それ以上は必要無い」
相変わらず不機嫌そうな顔をしていたケルシーは、手元の資料の方へと視線を戻した。机の上には、既に大量の資料や報告書が並べられており、海への関連が疑われる事件、狂人号での出来事についての物が多くを占めていた。『見ても良いか』と手で示せば、勝手にしろとばかりにケルシーは僅かに肩を揺らした。幾つかを手に取り、内容を流し読みしてみれば、思っていた通りロドスに届いた報告書よりも、遥かに詳細な内容が記されていた。必要以上の情報が洩れ出さない為に、意図的に抜き取った内容にしたのだろう。ケルシーは、彼女は多くの情報を自身の頭の中に収め、正しく整理する事が出来ている。
必要以上の情報を私の方に回して来ないのは、普段からよくある事ではある。だが今回の事件について、私は正確な全ての情報を知っておきたいと思い、こうして現地へと足を運んだ。勝手に抜け出して来たのではなく、必要な手続きを踏み、あらゆる手順と対処を行ってしまえば、追い返される事は無い。配慮か嫌がらせなのかは不明だが、ケルシーから私の方に渡される海関連の資料は情報の抜けが多い。恐らくは配慮なのだろうが、大規模な組織間での対処が必要な事態となってしまった以上、私にも詳細に知っておく権利はある筈だ。
多くの資料を読み漁ってみれば、手間をかけてここまでやって来た価値は大いにあり、特に裁判所が保有している資料は、私を満足させる内容だった。幾つかの情報を手帳の方にメモを取り、内容を整理していく私を、ケルシーは相変わらず不機嫌そうな顔で見ていた。
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「何処に居ても、やっている事は変わりありませんのね」
突如、頭の上から声がしたので手元の資料と手帳から顔を上げれば、そこにはエーギル事務責任者が、静かに自分を見下ろしていた。同じ部屋に居たケルシーは何時の間にか居なくなっていた。
「資料に夢中で気が付かなった。お疲れ様、グレイディーア」
「ごきげんよう、ドクター」
「確かに、やっている事自体は普段と変わらないが、得られている情報量は、ロドスで閲覧出来る物よりも遥かに多いよ。お陰で君に声を掛けられるまで、普段以上に時間も忘れて資料を読み耽ってしまったよ」
「ロドスの重要人物が2人も本艦を離れていて、あなた方の本業に影響ありませんの?」
「ケルシーは普段から、ロドス本艦を離れる事が多いのは知っているだろう? そう言う意味では問題ないと言えるね。それに私が居ないと困る事と言うのは、実は殆ど無いんだ。戦闘指揮に関しても、今はまだ完全再現に至っていないが、PRTSの精度が上がればいずれ、私が居なくても、指揮を構築出来る様になるだろう」
「……」
「それに現状記憶が戻らず、鉱石病の研究についても出来る事が少ない私は、通常業務において、居ても居なくてもあまり変わらないのさ」
「……その物言い、相手にあまり良い印象を与える事はありませんのよ」
「君の様な人が、そう言うならば気を付けよう」
グレイディーアは微かに笑みを溢すと、部屋の中にあるソファーに身を沈めて目を閉じた。眠っている訳では無いが、短時間の間に色々と物事が動いている事も有り、流石の彼女も多少の疲れはあるのだろう。狂人号の一件で目の前まで辿り着いたのに、陸へと引き返す事になったのも、多少は影響しているのかもしれない。その様子をちらりと見た後、私はまた別の資料を手に取り、これまでの仮定と結び付け、自身の中にある情報をより正確な物へと整えて行く。海の出来事について、私が知らない事はあまりにも多過ぎるのだから。
数ある資料の中で、特に興味を惹かれたのは恐魚、シーボーンについてである。彼らは何処で産まれ、何を思い、どの様な意識を持っているのか、その点が非常に気になった。独特な進化の方向性、凄まじい拘束力を持つ同族への仲間意識、他種族ですら同族へと変貌させる影響力。人の言語を理解し、意思の疎通すら可能と言うのは、単純な怪物や化物と言う範囲に収めて良い物では決してない筈だ。単純な『排除すべき敵と言う認識』を持っていない人物の話が聞けないのは……非常に残念だった。
「……残念だ」
「何が残念ですの?」
「聞こえていたのか。君達の同僚、いや元同僚になるのかな? 報告書にあるハンター、ウルピアヌスの話が聞けないのが残念だなと。彼らならば、今の私に足りない部分について、話を聞く事が出来たのにと思ってね。彼が見たモノ、経験した事は私の仮定や推測の裏付けになるかもしれない」
「……それは?」
「シーボーンについてさ」
「……」
「君があれらに対して、良い印象が全くないのは承知の上だ。しかし、単純な暴力、排他的なアプローチだけで解決出来る問題では無いのは、既に君は理解しているのだろう? シーボーンは既に私達の社会の中に入り込み、人を受け入れ、人を理解している。それに比べて私達は、知っている事があまりにも少ない。情報は時に、単純な強さにも勝る武器になる」
「……確かに彼ならば、ドクターとは話が合いそうですわね。出来るのであれば、ですけど」
「出来れば、次に彼と会う時は、是非武器を置いて話し合ってみて欲しいね」
あの後、会議が有ると言う事で、ケルシーがグレイディーアを呼びに来た。私の方も必要な資料は読み終え、知りたかった情報については、大体は得られたと言っても良かった。私自身は会議に出席する必要は無いので、ケルシーに散歩に出ると告げて、グランファーロの街並みを見て回っていた。今は随分と物寂しい雰囲気になってはいるものの、きっとここは……活気にあふれ黄金時代を代表する街だったのだろう。街の中にある灯台の彫刻の前に立ち、それを見上げていると、何とも形にするのが難しい感情が溢れた。かつての街の住人達が現状を見たらどう思うのだろう? 怒り、嘆き、諦めと言った物なのか、復興させようと言う強い意志を持ち立て直しを図るのだろうか。
自分で言うのもあれだが、流石に長時間、怪しい格好をした人物が彫刻前に立っていると人の目に付く様だ。多くの人々が訪れる様になり、今迄居なかったタイプの人間が現れる様になったとしても、他者から見ると不審者に見えるらしい。トラブルになる事は無いだろうが、遠巻きに見られ続けると言うのはあまり気分の良い物では無いので、私は広場を去り海の方へと歩く事にした。向かって行く先の方から波の音が聞こえ、少しべたついた風が私を包んだ。
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砂浜に降り立ち、海を見る。そこにはシエスタの人工海の様な美しさも無ければ、暖かさも無かった。黒く濁った海水、灰色で泥の様な砂浜を見た時、私はまたしても何とも言えない感情が胸中に渦巻いていた。だがほんの僅かにこの打ち寄せる波の音と、吹き抜ける風の音を聴いた時、何とも言えない懐かしさがあった。だがその懐かしさも直に消え、結局目の前に広がるのは黒く濁った不気味な海の風景でしかない。そんな海を眺めながら、部分的に泥の様になっている砂浜を歩いて、何処か座れそうな場所を私は探した。
それなりの距離を歩いた後に、何とか座れそうな場所を見つけ、そこに腰を降ろした。黒い海を眺め、潮風を浴びながら私は再び思案に耽る。海の先に広がっている霧の向こう側で沈んだ狂人号の事、そして海の中で進化し続けているであろう、シーボーンの事を考える。彼らは何処から生まれ、何を思い、最終的に何を目指すのかを考えてみる。理由も目的も無く、他者に対して攻撃をする生物は基本的には居ない。理由も目的も無く、他者に対して攻撃するのは恐らく人だけだろう。
シーボーンは恐らく社会性生物だと思われる。下位個体は個々で思考していないだろうが、上位個体からの指示や思考の影響を受けて活動しているのだろう。上位の存在が思考し、下位の存在へとそれが伝達されその通りに動く。一部の虫にみられる社会性と言うべきか。そしてアビサルハンター達が、過去に討ち取ったと言う最上位の個体、あれが単体しかいないとは私は思っていない。少なくとも、2桁程度は同種か別種が居る筈だ。何の確信も無いが、私はこの仮説は間違っていないと思っている。
そして恐らく、彼らはずっと以前から海に存在していたのだろう。海は元々彼らの物だったのだ。そこにエーギル人達が生まれ、海を共有し、不干渉ながらも共存してきたのだろう。少なくとも、海の中に複数の都市が生まれ、陸よりも遥かに進んだ文明を築き上げるまでは。そうなると海に住んでいるエーギル人達が、彼らの存在を知らないと言う事は無いだろう。であるならば、何故エーギル文明は滅びる事になったのか? その切欠が分からなければ、根本的な問題解決には至らない筈だ。
そして種としてエーギル人達に勝っているとも言える彼らが、何の理由も無く襲い掛かるとは思えない。彼らの逆鱗に触れる様な、何かが有ったと考えるべきだ。私はその何かは、エーギル人側から持ち込まれたのだと思う。きっと、グレイディーアはこの仮説を否定するだろう。彼女は断固として、エーギル人側に問題があったとは認めない筈だ。エーギル文明に誇りを持っている彼女は、特定の方向について自身が思っている程には冷静では無い上に、感情的なのだから。
考えれば考える程、生き残りのハンター、ウルピアヌスの話が聞けないのが残念だった。彼ならば、私が知る誰とも違った目線での、意見を述べてくれる筈だ。それか暴力では無く、理性的で会話の出来るシーボーンでも、私の前に現れてくれたならば、彼らが何を考え、何をもってエーギルを滅ぼすに至ったのかを聞く事が出来るだろう。海の神とも言えるシーボーンの最上位個体は、一体どのような視点で物事をみているのだろうか? もしも許されるのならば、対面で質問をぶつけてみたいものだと思う。
そこまで考えて、私は息を吐き出した。
だがそんな事は、こんな願望の様な事はもう起こらない。
海と陸は、互いの全てを賭けて争う所迄来てしまっている。
私達はお互いを敵と断定し、打ち勝たなければならない。
戦い抜き、最終的に勝者として残った方が未来の決定権を得る。
後戻りも出来ず、この先の争いでしか解決出来ないのだから。
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そろそろ教会の方へ戻ろうと、長時間続けていた思考を切り上げ、衣服に付いた砂を手で払い落し砂浜から立ち上がる。随分と長く考え込んでいた所為か、辺りは随分と暗くなっていた。街の方へ歩いていた時、ふと何かを感じ取り海の方を見れば、少し離れた海面に何かが浮いているのが見えた。ソレは見知った人物が身に付けている帽子にとてもよく似ていた。波に連れられて徐々に離れて行こうとするソレを回収する為に、衣服が濡れるのも構わず海の中へと入って行く。幸いにも底が浅い場所であった為に、半身が海に浸かる一歩手前の所で無事に拾い上げる事が出来た。ソレはやはり、見知った人物が身に付けている帽子と同じモノだった。
(彼女が海から帰還する時に落としたのだろうか?)
ソレは海を漂流した後にここに流れ着いたとしても、些か汚れ過ぎている様にも見える。普段から被って居るのを何度も目撃しているが、常に奇麗な状態であったし、更に言えば彼女が落とすとも考え難い。途轍もない違和感をソレは放っていた。まるで永い時間をかけて変色したかの様な、海を漂流し続けて擦り切れたかの様な状態になっている。気になる点が多過ぎるが、このまま海に浸かった状態で思考を続けるのは良くは無い。既に随分と時間が経過してしまっている上に、ずぶ濡れ状態では間違いなく小言を言われてしまうだろう。それに教会の方へ戻れば彼女本人が居るのだから、これを持ち帰り直接聞けば済む話だ。
手元のソレから視線を外した時、遠くに"何か"が見えた。
(……海の上に人が立っている?)
かなり距離がある為、はっきりと判別する事は出来ないが、海の上に人型の"何か"が立って居る様に見えた。更に目を凝らして見てみれば、"何か"はまるで海の中からの光に照らされて居るかの様に輝いている。"何か"は白く輝く司教か祭司の様な衣装に身を包み、こちらに背を向けて海の上に立っていた。そうしていると、かなり距離がある筈なのに、その姿は突如として妙にはっきりと目に映った。"何か"は片手に杖を持ち、美しい銀色の流れる様な長い髪を微かに揺らしながら、まるで歌っているかの様に手を広げていた。その後ろ姿に既視感がある。よく知っている人物に余りにも似ていた。
「……」
「……スカジ?」
思わず確認するかの様にその名前を呟いた時、"何か"が振り向き此方を見た。
そして波の音が消えて、歌が聴こえた。
『あぁ、ドクター……そこに居たのね』
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今後の方針について各陣営代表者としての話し合いが一端の終わりを迎え、休憩を挟みつつ資料を纏めていたケルシーは突如として肌が粟立つのを感じた。同じく室内のソファーに深く座り、目を閉じて思考を整理していたグレイディーアも飛び起きるかの様に、横に立て掛けていた槍を手に取り立ち上がった。両者とも今迄に感じた事の無い、おぞましい気配を感じていたのだ。今、この世界には居る筈の無い、生まれている筈の無い厄災の気配。間違う事の無い全ての音が消え去った静けさ、想像をも超える在り得ない事が起きていた。"コレ"の原因に成り得る人物は、より適した調査を行う為に今現在も検査を受けている所なのだ。急いで二人は揃って屋外へと出る。
確かに風が吹いているのに、木々の揺れる音がしない。
海岸に打ち寄せる波の音がしない。
本来であれば聞こえている、自然の音が何も聞こえない。
「……」
「……」
余りにも突然過ぎる事態に、二人は言葉を発する事が出来なかった。
そしてまた、唐突に全ての音が戻ってくる。
確かに風が吹かれてに木々が揺れる音。
海岸に打ち寄せる波の音。
自然の音が聞こえて来た。
「一体何が起きていますの? 先程私が感じ取った気配はまるで……」
「不明だ。今現在、我々の想像もして無い事が起きているのは間違いない。直ちに事態の確認に当たる必要が有る」
「異論ありませんわ」
そこに更に2人の人物がそれぞれの得物を抱えてやって来る。
「隊長、今の不快な歌は何?」
「第二隊長、私も感じたわ。あれはまるで……」
「現時点では不明よ」
「私は観測機器の確認と各部署への確認を行う。ハンター諸君には周辺で異変が起きていないかを調べて貰いたい。今現在この場所に存在しているか誰かに聞き込みを行うと言うのは、不得手であろうから自身の感覚を優先してくれ。お互いに細かく連絡を取り合う事も忘れるな。間違いなく、我々にとって思いもよらない事象が起きているだから」
「心得ましたわ。スカジ、私と来なさい。サメ、貴女は自身の感覚に従って動きなさい」
「了解よ、隊長」
「何故? それぞれ単独で動いた方が、効率的な筈よ」
「いいえ、今は従いなさい」
「……了解」
やや納得出来ないと言う表情では有ったが、スカジはグレイディーアの言葉に従った。
「調査の最中にドクターを見かけたら、直ぐにでも連れ戻して来てくれ。何処かで思考に耽り座り込んでいるか、先程の事象を感じ取り何かを調べている可能性もある。単独で放っておくには危険な状態だ」
「手間が掛かりますわね」
「ドクターはひ弱なのに、直に何処かに行っちゃうんだから」
「任せて」
「よろしく頼む」
ケルシーは2人と1人に分かれて散って行くハンター達を見送ると建物内に戻る。確認しなければならない事が山の様にある。冷静に振舞いつつも、胸中には確かな動揺があった。"コレ"が起きるのは今では無い。我々に残された時間が限りなく少ないとしても、間違いなく今では無いのだ。それなのに"コレ"が起きた、起きてしまった。完全な形ではないにしてもその片鱗が発生した。自身の見立てが甘かったのか、思いもよらない別のトリガーが有ったのか。様々な考えが浮かんでは消えて行く。長い時間を過ごして来た中でも、これ程に動揺し恐れたのは数える程にしかないだろう。
(一体何が起きている……?)
次々と寄せられるであろう報告と、裁判所等への対応をする為に思考を割きながら、頭の片隅に黒いフードの人物の姿が浮かび、胸中密かに悪態をついた。
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海。海へと繋がる砂浜を歩いている。黒く濁った海、薄く汚れたかの様な砂浜を歩いている。周りには波によって打ち上げられた漂流物が、あちこちに積み重なっていた。それは生物の死体であったり、人工物の何かであったり、数や種類を問わず平等にそこに在る。絶え間なく波が押し寄せているにも拘わらず、本来であれば聞こえている筈の音は何も聞こえない。風の流れを感じるのに、風が発する音も少しも聞き取る事が出来なかった。
「直接、海を見てどう感じたの?」
隣を歩く人物から唐突に質問を投げかけられて、私は歩きながら答えを考える。海、海を見てどう思ったか。私はどう思ったのだろう? 落胆や違和感に近い物だったとは思う。しかし、何故その様に感じたのかまでは分からない。目が覚めてから本物の海を見るのは初めてだった筈だ。記憶を失う前、更にはもっと前、体の奥底に染み付いている記憶とでも言うのだろうか? それらを上手く言葉で説明するのは難しい気がした。だから浮かび上がる言葉で答える事にする。きっと横の人物は怒る様な事はしないだろう。
「最初に感じたのは、正直に言うと落胆だったと思う。そして、その次は違和感かもしれない」
「それは何故?」
「何故、何故か……それを説明するのは難しいな。私自身、どうしてそう感じたのか分からないんだ」
「……そう」
「ただ、そうだな……海の水はこんな黒く濁っていなかったし、砂浜もこんな薄汚れた灰色では無かった気がする。見た事は無い筈なのに、そう感じる」
「どんな色だったの?」
「一概には言えない気がするけど、透き通った青色だった気がする」
「青」
「……そう、その場の水質や深さ、光の当たり方によって色の見え方が変わった筈。透き通った青色に見える事も有れば、深い青に見える事も有るし、緑色に見える事も有ったと思う。本当にそうだったかは分からないし、見た記憶は無いのだけれど」
「……砂浜はどうだったの?」
今度は立ち止まって私は再び考える。海の水の色は青だったとすれば、砂浜は何色だっただろうか? 少なくともこんな泥の様な灰色では無かった筈だ。踏みしめた感触もこんな粘ついた物では無く、もっと感触を楽しめる物だった気がする。
「空からの光を反射する様な白色……? 薄い肌色だった気がする。正しく言い表せているか分からないけど、感触ももっとサラサラしていたと思う」
「よく知っているのね」
「分からないよ。実物を見た記憶が無いんだ。ただ何となくそう感じるだけさ。シエスタにある海はよく似ているかもしれないが、あれは本物ではないからね。そうすると今現在で私が知っている海は、目の前に広がるこの光景だけだろうね」
深く沈みかけていた足を引き抜きながら、再び歩き始める。隣を歩く人物は私の様に砂浜に沈む事も無く、只々ついて歩いている。そう、きっと海は美しい青色だったし、きっと砂浜も美しい白色だった筈だ。記憶にない、確証が無い事では有るがそんな気がするのだ。もしかしたら、■■■■に聞いたら知っているかもしれない。……■■■■? ■■■■とは誰だ? 私は誰に聞けば良いと考えた? ■■■■? ■■■■、■■■■……分からない。
「駄目よ■■■■、まだ早いわ。もっとあなたの海について教えて欲しいの」
「あ、あぁ……うん。分かったよ。■■■」
「まだその名前で呼んでくれるのね、嬉しいわ」
「まだ?」
「遘√↓莉倥>縺ヲ譚・縺ヲ縲√☆縺舌↓逹? 縺上°繧峨?」
大きな波が私達に覆いかぶさった。
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海。海へと繋がる砂浜に座っている。青く透き通った海、混じり気のない白い砂浜に座っている。周りには波によって打ち上げられた漂流物が、あちこちに積み重なっていた。それは生物の死体であったり、人工物の何かであったり、数や種類を問わず平等にそこに在る。絶え間なく波が押し寄せているにも拘わらず、本来であれば聞こえている筈の音は何も聞こえない。風の流れを感じるのに、風が発する音も少しも聞き取る事が出来なかった。
「この海を見てどう感じたの?」
隣を座る人物から唐突に質問を投げかけられて、私は座ったまま答えを考える。海、この海を見てどうか感じたか。私は間違いなく落胆や違和感、そして嫌悪感に近い物を感じていた。この海には違和感しかなかったからだ。何もかもが一致していない、まるで誰かから聞いた内容だけを当て嵌めたかの様な異物感。これは違う、間違いなく違うと思う。私は今、目の前に広がる光景を受け入れる事が出来ない、認める事が出来ない。気分が悪い、気持ちが悪い。
「……■■■■? どうして何も言ってくれないの?」
「……」
「何か言って」
「……違う。これは違う、こんなのは海じゃない」
「何が違うの? ■■■■、あなたが教えてくれた物なのに」
「君には分からないのか? ここには違和感しか無い。この海の水には何も感じられない、ただの奇麗なだけの何も生み出さないただの無の水だ。この砂浜も白いだけの砂だ。周りに打ち上げられている漂着物を見ても、何もおかしいと思わないのか?」
「私の知っている海はこうだったもの」
隣に座る人物は寂し気に視線を下に向ける。何故その様な事をするのか私には分からなかった。その様子は、自身が期待していた反応とは、まるで違った子供の様だ。自分で作った作品を、褒めて貰えなかった子供の様だった。それに私が教えたと言う点も気になる。私はこんな話をした事は無かった筈。いや、した事があるのか? したからこそ、隣の人物はこの光景を私に見せたと言う事か? 何か別の違和感がやって来る。■■■? 私が話しているのは■■■なのか? 私は何か大きな間違いをしている……?
「莉翫? 繧ゅ≧縲∫ァ√→縺ゅ↑縺溘@縺句ア? ↑縺?? 繧」
■■■の紅い眼が私を見る。
直後、深い水に沈む様な感覚が私を襲った。
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海。海へと繋がる砂浜を歩いている。黒く濁った海、薄く汚れたかの様な砂浜を歩いている。
「……■■■。私は君程、海と言う存在には詳しくは無い。私は海の中で生活をした事が無いからね。私が感じている海への印象や記憶だって、正しい物かは分からない」
「知っているわ」
「それでも海に対して感じる物と言えば、"きっと全ては海から始まった"と思う事かもしれない」
「……?」
「■■■、君はあまり興味のない分野かもしれないが、全ての命の始まりは水の中、海の中から来たと言われている。海の中で生まれた命がある時を境に陸に上がり、そこから更に幅広い範囲に進化していった。今の地上に居る多くの生物の原点は、海の中の小さな丸い生物だったわけだ」
私は泥の様な砂浜を歩きながら話を続ける。触手の生えた■■が潰れた様に転がっているのを避けた。更に視界の端では4つ足の■■が、群がって何かを捕食している様だった。海の中から現れた杖をついた老人の様な■■が陸地の奥へと向かって歩いて行く。空を飛んでいるのも鳥では無く、■■の様にも見える。
「……」
「だからこそ目の前に広がる海を見た時、多くの場合において懐かしさを覚えるらしいね。きっと私も白い砂浜に立ち、青い海を見た時にそう思う気がするよ。ここでは聞こえないが、打ち寄せる波の音も吹き付ける潮風も、生臭さを伴う海の香りも、命の始まりを想起させてくれるだろうからね」
「……■■■■、あなたは」
「本来、海とは恐怖の対象では無く、全ての生命の始まりの場所としての、畏敬や崇拝、感謝や恵みを受ける存在だったのだと思う。少なくとも私がうっすらと覚えている海の光景は、そんな印象だった気がするよ」
そう何とか海に対しての印象や考えを言葉にした時、近くに感じていた気配が遠くにある事に気が付くと、■■■は少し離れた場所に立っていた。白い祭司の様な姿は黒く濁った海、泥の様な砂浜では眩しい位に輝いて見える。波の音も風の音も聞こえないこの場所で、■■■は海の遥か向こうを見つめる様な目をしていた。その姿はまるで、遥か昔に失われた在りし日の姿を思い出している様にも見える。そんな■■■の周りを多くの魚影が蠢いていた。
「■■■■、あなたは世界が、最も美しかった頃の海を覚えているのね」
「■■■?」
「もう誰も覚えていない、私達ですら思い出せない、透き通る海を知っているのね」
「どういう意味だ?」
「私達がこんな姿になる前の、故郷の海を」
「それは……」
私が次の言葉を言うよりも早く、突如として大雨が降って来た。大粒の雨が体を叩き、砂浜を抉っている。それ程の勢いがあるにも拘わらず、音は何も聞こえないままだった。あっと言う間にずぶ濡れに私とは対照的に、■■■はまるで何かに守られているかの様に、雨粒を弾いていて濡れる様子は一切なかった。強過ぎる雨の勢いに、私は何処か雨を防ぐ場所が無いかと視線を巡らせる。すると少し奥に大きな人工物の影が見えた。少しばかり距離はありそうだったが、走って行けば直に辿り着くだろう。
「■■■、あっちへ行こう。この雨の勢いは私には強過ぎる」
私は人工物の方へ足を踏み出しながら、■■■に声を掛ける。
服は雨水を吸って黒くなり、ずっしりと重くなっている。
しかし、■■■は動く気配を見せなかった。
「駄目よ、■■■■。そっちは駄目」
「何故? このままここに居る訳にもいかないだろう?」
「あれを見ては駄目。ここに居て」
その言葉を受けて再度人工物の方を見る。
元の状態から、かなり崩れ落ちた様に見える建造物。
腐食し、触手の様な物体に絡みつかれたあの形。
溶けて、崩れている側面に描かれているマーク。
辛うじて読めるそれは、■■■■■■■■■。
■■■■■■■■■、■■■■■■■■■、ロドス・アイランド。
■■■が私の腕を掴むよりも早く、私は雨の中を走り出した。
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何度も転びそうになりながら、私はロドスへと辿り着いた。既に私の知る姿とは大きく異なっている。全体の半分近くがまるで抉られたかの様に崩れており、辛うじて形が残っている部分にも多くの穴が開いていた。絡みついている触手の様な物体は、まるで生きているかの様に僅かに震えている。ロドスの外側と同じ様に中も酷い有様になっていた。青い菌の様な物体が壁や廊下を覆いつくし、腐食している。崩れた壁、穴の開いた天井、壊れたまま放置されている扉。そしてそこに我が物顔で居座っている、■■。■■、恐魚。深い海の底よりやって来た、人類の敵。しかし、どの恐魚も私に手を出す事も無く離れて行く。
(まるで、手を出すなと指示されているかの様だ)
不気味に思いながらも私はロドス内を移動する、外から見ても分かる様に既に電気系統は完全に死んでいた。辛うじて使える階段を上り、動かす事の出来る扉を開ける。何処に行っても人の気配は無く、同じ様な光景ばかりが広がっていた。争った形跡のある部屋、大急ぎで逃げ出した様に散らかった部屋、巨大な何かが突き破った様な部屋。ロドス内に人の気配は無く、居るのは恐魚ばかりだった。全ては腐り落ち、汚染され、誰も居ない廃墟となっている。
多くの物資を保管していた倉庫も、
沢山のオペレーター達を迎えた帰還ゲートも、
日々の鍛錬に利用された訓練室も、
常に賑わっていた食堂も、
宿舎も、事務室も、応接室も、もう何も残ってはいない。
ここロドスにあるのは恐魚の住処だけだ。
私は最後の希望を求めて制御中枢の方へ向かう。■■■■、■■■■、そう彼女ならば、何かを策を残しているのではないかと思ったから。しかし私自身が受け入れられなかっただけで、現実は酷い有様だった。制御中枢は完全に破壊され、何かが腐った様な臭いばかりが残っていた。執念とも表現すべきレベルで徹底的に破壊された跡がある、恐ろしい怪物同士が争った跡がある。最終的にどちらが敗れ、その後どうなったのかは、もはや考えるまでも無い。最初から分かり切っている事なのだから。■■■■は死んだ、■■■■も死んだ、皆死んだ、ロドスは死んだ。
大きく穴の開いた壁の近くに立つ。
下を見ればそこは海。
雨は降り続けているが、何の音も聞こえていない。
海の彼方で、巨大な"何か"が、多数蠢いているのが見える。
それが何なのか、私にはもう分からなかった。
これが現実なのか、夢なのか、誰かの記憶なのか分からなかった。
次の瞬間、何かに背中を押されたかの様に私は海へと落ちて行く。
突然の事に、声を上げる間もなく落ちて行く。
海に叩きつけられ、深く沈んで行く。
意識が消えて行く瞬間に、声が聞こえた気がした。
「■■■■、君はまだ間に合う。選択を間違えず、最善の道を見つけ出せ」
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気が付くと私は教会の天井を見つめていた。どうやらベッドに寝かされているらしい。多少の気持ち悪さを覚えながら体を起こせば、よく知った不機嫌そうな声が聞こえて来た。
「目覚めたか。気分はどうだ?」
「ケルシー、私は何故ここで寝ていたんだ?」
「覚えていないか。ならば逆に聞こう、ドクター。君はどこまで覚えている?」
「グランファーロに物資を届けに来て、君達に挨拶をした後、散歩に出て……」
「……」
「砂浜で色々と考え込んでいたら、時間が随分と過ぎてしまったから、教会の方に帰ろうとした所までは覚えている」
ケルシーは腕を組んだまま黙って聞いている。
その顔は真剣だった。
「それから先は覚えてない。多分、何かを見つけた気がする」
「……そうか」
「ケルシー、私はどうなっていた?」
「君は海で溺れていた」
「私が? 海で?」
「そうだ、君は散歩に行くと言い、砂浜で長時間思案に耽った結果、海で溺れていた」
「何故?」
「それは私が君に聞きたい所だな、ドクター。君は大量の海水を飲んだ状態で海に沈み、危うく漂流する所だった。君を発見し、陸へと引き上げ、多少暴力的では有ったが、海水を吐き出させたスペクターに感謝するべきだな。もしも彼女が君を見つけていなければ、どうなっていたかについては、私が言うまでも無く理解出来るだろう」
「……すまない」
何故私は海で溺れていたのだろう? 深く海に入る様な所では無かった筈だ。何かを、何かを見つけてそれを拾い上げた筈だ。そしてその後に、何かを見た。何を見た? 何を見て来た? とても恐ろしい結末を見た気がする。だが重要な部分である筈の部分は、霧がかかった様に何も思い出す事が出来なかった。
「ケルシー、私は何かを持っていなかったか?」
「……」
「ケルシー?」
「あらぁ、ドクター目が覚めたのね」
「思ったよりも早かったですわね」
「……無事で良かったわ」
声がした方を見れば、アビサルハンターが揃って部屋の中に入って来ていた。それぞれの得物を握っていると言う事は何かあったのだろうか? 彼女達はケルシーと何かを報告をしている様子だ。観測機に記録されていなかった? 誰も起きた事に気が付いていない? 私が海で溺れている間に何かが起きていたのか? 覚えていないだけで、海に入る切欠か何かが有ったのかもしれない。
「君達が動く様な事があったのか?」
「それよりも、私に何か言う事があるんじゃないかしら? ドクター」
「あぁ、君が助けてくれたと聞いた。ありがとうスペクター」
「私もびっくりしちゃったわ。見知った物体が海に浮いていたんですもの。お陰でちょっと強めに叩いてしまったけれど、何処か折れてしまったりしていない?」
「問題無いと思う、たぶん」
「むしろ折れていた方が、反省材料になったかもしれないがな」
「……ケルシー」
けらけらと笑うスペクターと、何やら物騒な事を言うケルシー。
「そうだ、海から引き上げた時に私は何か持っていなかった?」
「そうねぇ……持っていたわね」
「あまりに強く握り締めているものですので、いっそ手首を切り落とした方が早いかと思いましたわ」
「グレイディーア、怖い事を言わないでくれないか。それで何を私は握りしめていたんだ?」
「ただの漂流物、ゴミよ」
「スカジ? 私はゴミを握りしめていたのか?」
「ゴミよ」
有無を言わさない様にスカジは断言した。他の二人も口を挟む様な事をしなかった。
「そのゴミについても既に私の方で処分した。故に君がこれ以上気にする必要は無い」
「処分する様なゴミ? それは一体?」
「君がこれ以上気にする必要は無いと言った筈だ」
「……分かったよ」
こう言う物言いをした時は、これ以上ケルシーに聞いた所で無駄だと分かっている。彼女とアビサルハンター達がゴミだと言うならばゴミと言う事にしておこう。その場合、私はゴミ拾いをした結果溺れると言う何とも情けない事をした訳になるのだが。これ以上踏み込まない方が良い事なのだろう。きっと時期が来れば、私にも知る時がやって来る筈だ。
「ドクター、君には直にロドスへ帰還して貰う。そして当分の間、この海には近づくな」
「今日来たばかりじゃないか。後一日位、ここで過ごしても良いと思うが……それに海に近づくなと言うのは?」
「あの様な浅い場所で溺れ、間抜けにも自身の命を危険に晒す様な人物は、此処では皆の邪魔になるだけだ。これは既に決定事項であり、君の迎えもまもなく到着する」
「そうねぇ、ドクターはロドスの水たまりで泳ぐ練習でもしていた方が良いわ」
「あの水たまりで鍛錬した所で、鈍才のあなたでは上達は難しそうですわね」
「二人ともせめて、プールと呼んでくれないか‥」
普段変わらない二人に比べて、スカジはやや静かだった。元々静かな方では有るが、今の彼女は何かを気にしている様だ。恐らく何かは有るのだろう、だがそれを私に尋ねる様な事はしてこない。彼女がしてこないのならば、私の方からも何もするべきでは無いのだろう。必要な事がある場合、彼女は自分から行動を起こすのだから。だから私も普段通りに努めるべきだ。
「スカジ、私はロドスに帰る事になったが君の方も気を付けて」
「えぇ、分かっているわ」
「必要な事があれば、何時でもロドスに連絡してくれ。私も含めてロドスの皆は、喜んで君達に協力するだろう」
「勿論よ」
大丈夫だ、彼女はちゃんとしている。
ちゃんと自身で立っている。
今はまだ私に出来る事は何も無いのだろう。
私が選ぶべき時は、まだきっと先の方なのだ。
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「ドクター、君の迎えが到着した」
「分かった、直に行くよ」
「早くしろ。彼女を、アーミヤを待たせるな」
「アーミヤが来たのか?」
「君が溺れたと聞いて、心配して来たのだろう。安心させてやれ」
「そうするよ。ケルシー、出発前に教えてくれないか?」
「教えるかどうかは、聞いてから判断しよう」
「■■■■■■■■■とは一体なんだ?」
「……ドクター、ソレを何処で知った? いや、君は、本当は海で何を見た?」
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私は鉄の車両の部屋の中で流れて行く景色を見ている。
出発前の問いに、ケルシーが答えてくれる事は無かった。
だがそれで問題ない、何か大きな意味がある名だと分かれば十分だ。
ケルシーが私にまだ隠している情報があると、知れただけでも意味がある。
ケルシーも私が何か隠している事には、最初から気が付いているだろう。
私が海で見た事は、本当に全部は覚えていない。
だが覚えている事もある。
■■■■■■■■■、■■、■■■。
これらは必ず、私達全員がぶつかる障壁になるだろう。
そしてあの、終わりの景色。
あの様な結末を迎えない為にも、私はより多くの事を知らなければならない。
私達はもっと海の底について、理解しなければならない。
何故、私はあの様な夢を見たのかは分からない。
だがきっと意味がある筈だ。
私は、私達は探さなければならない。
より良い選択を、より良い道を。
この大地に存在する全てが、力を合わせ向き合わなければならない。
そうしなければ、きっとあの終わりを迎えてしまうだろう。
「ドクター、考え事ですか?」
「あぁ、すまない。アーミヤ」
「いえ、何かを真剣に考えているのは分かりましたから。ですが無理しては駄目ですよ、ドクターは海で溺れたばかりなんですから」
「次は溺れない様にするよ」
「そうですね、その為にもまずはきちんと体を休めて下さい。ロドスに戻ったら、お仕事が沢山ありますからね」
「……覚悟しておこう」
「良かったです、少し元気になってくれたみたいで」
「……そんなに疲れて見えたかな?」
「さっき、考え事をしているドクターは、物凄く深刻そうな雰囲気でしたから」
「また心配を掛けてしまったね。ケルシーには内緒にしておいてくれ」
「分かりました」
アーミヤは笑って、そして外の景色を眺めた。
私も彼女につられる様に、再びその風景に目を向ける。
遠くに黒く濁った海が見えた。
あれは本当の海の色なのだろうか?
アーミヤは何と言うだろう?
「アーミヤ、本当の海の色は何色だと思う?」
「本当の海の色ですか?」
「そう、海をイメージした時、浮かび上がる海の色だ」
「うーん……ちょっと待ってくださいね。イメージしてみます」
アーミヤは目を閉じて、黙り込む。
きっと今、頭の中で海のイメージを浮かべているのだろう。
やがて彼女は目を開ける。
「ドクター、海はきっと青色だと思います」
「どんな青色?」
「シエスタの海は本物ではありませんが、あそこの青をもっと深く、大きく、そして暖かみのある青色だと思います」
「……成程、良い色だね」
「ドクターはどんな色ですか?」
「私は……そうだな、暖かさと冷たさを持つ、透き通った青色かもしれない」
「青色の部分は同じですね。嬉しいです」
「そうだね。今見えている暗い海では無く、そんな青い海があったなら、皆で観に行きたいね」
「はい、是非観に行きましょう。ロドスの皆で」
私にはやるべき事がある。
私達にはやらなければならない事がある。
どんなに苦しく、辛い道のりであったとしても、
私達は諦めずに前へと進んで行くのだ。
──────────────────────────────────────
……
…………
滝の様な雨が降っている。
大粒の雨が崩れた甲板を叩いている。
相変わらず何の音も聞こえない。
この状態になってどの位、時間が経過したのか覚えていない。
実はそれ程長い時間は経過していないのかもしれない。
異常な事態と光景に慣れてしまった結果、感覚が麻痺してしまったのだろう。
気が狂ってしまった方が幸せだと思う。
しかし、それを許さない責任感が私を支えている。
誰かに頼まれた訳でも無い、私が私でいる為の責任感。
恐らく世界にたった独り残されてしまった、人類としての責任感。
この厄災に、この悪夢に、この怪物達に屈する事は無いと言う意志表示。
また■■■が、いや■■■■■■■■■がやって来る。
私に付き纏い、同じ質問を投げ掛け、返事が無くてもそのままだ。
だが今日は、今日は久し振りに話しても良い気がした。
だから私は珍しく、■■■■■■■■■が来るのを待っている。
黒く濁った海を眺めながら、私はその時を待っている。
「■■■■、私の血族になってくれる?」
「……」
「また何も言ってくれないのね」
「……私と話をする気があるなら、まず歌うのを止めてくれないか」
「……」
「音が聴きたい」
「……」
暫くの沈黙の後、大雨の轟音が、甲板を叩く雨音が、打ち寄せる波の音が聞こえた。
久し振りに聞く音は、今の私の耳にはとても大きく聞こえている。
もうずっと長い間、■■■■■■■■■の声意外に聞こえる物が無かったからだ。
あぁ、雨の音はこんな感じだったなと思う。
波はこんな音だったなと思い出す。
吹き抜ける風の音はこんなにも美しかったと感じる。
全てが懐かしい。
「■■■■、泣いているの?」
「そうかもしれないな」
「何故、泣いているの?」
「私がまだ人間だと分かったからさ」
「……」
「その気があるなら、少し外を歩きながら話そう。今日はそう言う気分なんだ」
「外は雨よ」
「もうあの日から、もうずっと雨しか降っていないよ」
そう、あの日から強弱の差こそあれど、雨しか降っていない。
私は■■■■■■■■■の反応を待たずに外へ出る。
大粒の雨に打たれ、微かな痛みが全身を襲う。
しかし、そんな事はどうでも良かった。
泥の様な砂浜を恐魚が這い回っている。
空に適応した恐魚が空を飛んでいる。
恐魚にとって、既に空すら海と同義となった。
海から陸へと進出した恐魚は、既に陸上において新しい進化を遂げている。
恐魚は『進化の根源』だ。
この世界に、恐魚に生活出来ない場所は既に存在しない。
世界は海の物となった。
足元の恐魚を避けながら砂浜を抜け、海の近くの岩へと腰を下ろす。
やがて後ろからついて来ていた、■■■■■■■■■が隣に座った。
雨により、ずぶ濡れの脆弱な人間の隣に、
雨に濡れる事の無い、不滅の怪物が肩を並べて座っている。
「■■■■、私の血族になってくれる?」
「何度目になるか分からないが、お断りするよ」
「そう、ならまた待つわ」
「きっと答えは変わらないだろうが、そうしてくれ」
「時間は沢山あるんだもの、きっと変わる時がくるわ」
「そうかもしれないな」
人間と怪物は海を見つめ、波の音と風の音を楽しんでいる。
怪物にとって音等どうでも良かったが、人間が話してくれるのが嬉しかった。
「君は全てが海に沈んだ後、どうする?」
「生きて行くだけよ」
「目的も目標も無く、生きて行くだけか?」
「進化は続けるわ」
「先の見えない進化は袋小路しかない。遠い時の果てに滅びるだけさ。君達の進化は確かに恐るべきモノで、こうして一つの世界を統一するまでに至った。だがそれは、この世界を自分達のモノにすると言う、目標が有り、意識が有ったからだ」
「……」
「君達はこの世界の全てと戦い、勝った。そうして全てを統一した後、その次は? その後はどうする?」
「■■■■、あなたの話は難しいわ。私は考えるのは得意では無いの」
「なら、考える様にするべきだな」
再び人間と怪物は海を見つめ、海の向こうに見える複数の巨大な怪物の姿を見た。
うねる様に海を進むそれは、蛇の様に大きく白色で、ある種の美しさがあった。
「■■■■、何も思いつかないの」
「残念だ」
「して欲しい事はないの?」
「そうだな……時間がある限り、海を創ってみたら良いかもしれないな」
「海なら既にあるわ」
「ずっと前に話したと思うが、海とは本来、こんな暗く濁った恐ろしい場所では無い。もっと暖かく美しい場所の筈だ」
「"海は青かった"?」
「覚えていたのか?」
「分からないわ」
「……こんな怪物だらけの海では無く、君が美しいと思う海を創ってみると良い。もし君達の種族全体が、その方向へ進む事が出来たなら、滅びとは違った結果になるかもしれない」
「とても、永い、時間が掛かるでしょう?」
「どれだけ時間が掛かっても良いじゃないか。君達にはそれだけの猶予がある」
「もし、海が出来たら、私の血族になってくれる?」
「そうだな……そうなったなら、それも良いかもしれないね」
怪物は人間のその言葉を聞いて、目を輝かせると真剣に考える様な様子を見せた。
人間は怪物のその姿を見ると、力を抜いて遠い海の向こうを眺めた。
この怪物達の世界も、きっと、そう悪くない方向へと向かう筈だ。
そして海の向こう、そのずっと遠くの、
破滅を回避する為に託した相手の世界の事を考えた。
(大丈夫、きっと上手くやる。こんな結末を迎えなくて良い様に、とても厳しく辛い道のりであったとしても、仲間を信じ団結する事で回避する事が出来る筈だ)
私は隣の怪物に対しての、恨みと憎しみを捨てた。
自身に対して何故そこまで執着するのかは、結局分からないままではあった。
独りこの世界に残されて、無様に生き永らえて来た。
最期に■■■■■■■■■の中に残る、僅かな人間性を利用し賭けに勝った。
私の、人類の、最後の抵抗は、間違いなく勝利を収めたのだ。
この先は"ドクター"の仕事だ。
恐らく夢だと思うだろうが、それで良い。
「この結末があり得る」と言う事だけを覚えておいてくれたなら。
きっと、この様な終着点を迎える事は無いだろう。
「■■■■■■■■■、いや■■■。きっと、君は帰れるよ」
「……■■■■?」
「……」
人間と怪物は海を見つめ、波の音と風の音を楽しんでいる。
肩を並べて座る人間と怪物を誰かが見れば、海を楽しむ二人に見えたかもしれない。
世界は、人類は、抵抗者は、遂に海に屈し、最期の時を迎えた。
「……■■■■、ここは寒いわ」
「……」
波の音と風の音と、怪物達の動く音だけが聴こえている。
「ねぇ■■■■、あなたが居ないと、私はもう、海への帰り方も分からないの」
「……」
怪物達の動く音だけが聴こえている。
怪物は隣へとゆっくりと寄り添う。
「……とても静かね」
返事は無い。
返事は無かった。
【その海の色を知っている】 終
一番最初に書いたアークナイツの二次創作文章。