アークナイツの短い話   作:十羽せろん

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ドロシーと正しさについて語ろう


【夢の都】

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「善って、何かしら?」

 

 

 

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 ドロシー、本名:ドロシー・フランクスはライン生命アーツ応用課主任である。そして「ライン生命とロドス・アイランドの共同プロジェクトリーダー」という肩書でロドスへと合流し、多くの研究プロジェクトで助力してくれている。ドロシーは、ライン生命に所属する数多の研究者の中でもトップクラスの優秀な人材であり、現在のライン生命アーツ応用課の主任であると言う事は、アーツ自体への理解の深さは疑い様もなく深いもので、同時にアーツ応用についても熟達しているのは多くの人が知る通りである。

 

 ドロシーとロドス一般職員やオペレーターとの交流は、”極一部”を除けば和気藹々としたものだった。彼女がロドス艦内の上映室にて、モノクロ映画を鑑賞するのがお気に入りであると知った映画愛好会が声をかけ、そこの正式な一員にもなっている。またラボにおける意見交換や技術交流的な場面であっても、一度として剣呑な雰囲気になる事は無く終始穏やかに過ごしていた。また世話好きで優しく親しみやすい性格の彼女から、多くの職員やオペレーターに対して温かいアドバイスを貰っている事もあり、”極一部”以外の大半から好かれ、歓迎されているのは疑い様の無い事実である。

 

「ドロシーは良い人」

 

 それがロドスに所属する、一般職員やオペレーター大半からの評価であり評判だった。実際この評価は間違ってはいない。ドロシーを前にして彼女と数分話をすれば、彼女の魅力を十分に理解出来る上に、その優しさに疑念等を忘れ去り、すっかり心を許してしまうだろう。実際に彼女と特別関りが有った訳でもない職員が、悩み事の相談の為に彼女のラボに足を運ぶと言う話は今では特別珍しい事でもないのだ。その後すっかり落ち着いた様子でラボから出てくる人々を見れば、その評価や評判は高まっていく一方になるだろう。一部では『メンタルケアの担当医として、是非ともドロシー女史を登録して欲しい』と声も出ているとか。因みにこの話については、医療チームであるケルシー大先生や問題を度々引き起こすワルファリン先生、偉大なるガヴィル先生に却下されている。

 

 研究員としてだけでなく、戦闘オペレーターとしても登録されているドロシーは、戦場においても高い評価を得ている。彼女の扱う独立稼働する共振装置は、戦闘面においても幅広い応用性を持っており、ドクターの作戦指揮能力も合わさる事で数多くの成果を上げている。少しばかりも問題点を挙げるとするならば、同行したオペレーターに危険が迫った時に、彼女が必要以上に「みんなを守る」と言う行動を取りがちな所だろう。オペレーターは当然素人ではない。危険が迫った時にどう対処すれば良いかと言う技術と知識は持っている。だからこそ彼女の暴走とも言える行動が起きる事については、我々の中でも注意点として記録されている。とは言え、彼女が仲間の事を思ってその様な行動を起こしてしまうと言うのは、間違いなく彼女の信念及び優しさに起因するものなのだろう。

 

 

 やはり、ドロシー・フランクスは良い人である。

 

 

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 ドクターが執務室にて今後の方針について思案していた時、意外な訪問者がやってきた。オペレーター:ドロシー、本名:ドロシー・フランクス。ライン生命アーツ応用課主任で現在は「ライン生命とロドス・アイランドの共同プロジェクトリーダー」としてロドスの方で働いている。様々な研究分野にて彼女の助けを借りる事は多いが、ドクターが行っている源石研究の方とはあまり接点は無い。元々他の研究者がその内容にあまりついてこられず、ドクターが個人で半ば趣味の範囲で行っているものだからである。オペレーター:ドロシーとしての接点はそれなりにあるとしても、研究者としての彼女とは実はあまり関りがなかったりするのである。

 

 ドクターが訪問者用のソファーに座る様に手で示すと、ドロシーはそれに従い座った。

 

「ドクター、忙しいのにごめんなさいね」

「構わないよ、特別何かを集中してやっていた訳ではないからね」

「それなら良かったわ。もし何かをしている時に邪魔をしたりしたら、他の人に怒られてしまうもの」

「そんな事は無いと思うが……それよりドロシー、君が私の所に来るとは珍しいね。何か急いで解決しないといけない問題でも発生した?」

「ううん、トラブルとかそう言うのではなくて……」

「?」

「私がずっと考えていた事があったの。本当にずっと考えていたのだけど、答えが出ないの……だからドクターの意見が聞けたら良いなと思って」

「ふむ……君がそこまで悩んで答えが出ない問題を私が解決出来るかどうかは分からないが、取りあえず聞かせて欲しい」

「ありがとう、ドクター」

「まだお礼には早いよ。それにオペレーターの相談に乗るのも私の仕事の一部だ」

「あの……あのね。笑わないで聞いて欲しいのだけれど……」

 

 ドロシーはそこまで言った所で一旦言葉を切った。言うべきかどうかを悩む様に口を閉じ、どうすれば上手く伝わるかを考えている様子だった。ドクターはそこに口を挟む真似はせずに、ドロシーが次の言葉を選び終えるのを黙って待っている。少しの時間をおいて纏まったのか、ドクターの方を真っ直ぐに見る。その様子を見てドクターはそのまま話す様に、黙って頷いて続きを促した。ドロシーの口から出た言葉は驚く程に短く、単純で、そして難解なものだった。

 

「善って、何かしら?」

「ぜん?」

「善、善悪の善よ」

「……」

 

 ドロシーからの思いも寄らぬ質問にドクターは驚いていた。まさかこの様な質問をされるとは思ってもいなかったからだ。彼女が行っている研究や、共同プロジェクトの方についての質問かと思っていた。そしてこの質問をしたドロシーは、今までオペレーターとして接してきた彼女とは違う様に感じられた。一般職員や、数多くのオペレーターから聞いている彼女の雰囲気とは大きく異なっている。世話好きで優しく親しみやすい性格のドロシーでは無い。正にライン生命に多く存在する、どこか尖った感じのする研究者の気配だった。

 

 ドクターはオペレーター:ドロシーでは無く、研究者:ドロシーとこの時に真の意味で相対した。

 

 正に、ドロシー・フランクスは研究者である。

 

 

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『善とは何か?』

 

 この質問に対して答えを出すのは並大抵の事ではない。現在に至るまで数多くの人々が問いを投げ、答えを探り、未だに正解と言えるものが出ていないのである。間違いなくドロシーは『善とは良い事である』とか『善とは悪の反対である』とかそう言った子供騙しを聞きたい訳ではない。過去から現在に至るまで多くの人が考えてきた同様の意味での、『善とは何か?』と聞いてきている。幾つもの前提が存在するならば、ある程度話を進める事は出来るだろうが、ドクターはドロシーがどれ程の前提を持っているのか判断が出来ないでいた。

 

「あぁ、ドクター……ごめんなさい。急に質問だけ投げられても困るわね」

「確かに、簡単に答えられる質問ではないかな」

「そうねぇ……善の反対は悪であるとか、そう言った分類の質問でないのは、ドクターには勿論分かって貰えているわよね?」

「うん、そこは理解している」

「けれど説明しようとしても、中々上手く言葉に出来ないわ」

「ふむ……ならばそこから話を組み立てていこう。そうすればきっと筋道を見つけて行ける筈だ」

「分かったわ」

 

 ドクターは紙とペンを用意し、幾つかの内容をメモする事にした。

 

「時間はあるからゆっくりと進めて行こう。ドロシー、まず君が私の所に質問に来た理由を教えて欲しい」

「ライン生命からロドスに来て、色々な人達と話をしたの。本当に色々な人達と。そして大抵の人達が私の事を”良い人”って言ってくれたわ」

「うん」

「私が以前やってきた研究とその成果については、危険な物として処理された事をドクターは知っているわよね。つまり多くの人が言う”危険な実験”を繰り返して、その結果を追い求めた私は”良い人”と言う評価を受けられるのかしら?」

「……」

「きっと怒る人も居ると思うけれど、私はあの研究の結果を悪いものだとは思うつもりは無いの。あれは間違いなく私の夢の結晶だったし、小さな時から追い求めて来たものだったわ」

「……」

「私は私の夢を正しいものとして、良いものとして、善性を信じていたわ。けれど他の人から見たら、それは善で無かったの。ロドスでもあの研究の続きはさせて貰えないでしょう? だから私、分からなくなっちゃった」

 

 黙って聞いてメモを取っていたドクターの手が止まる。ドロシーの知りたい”善”とは何か。それはきっと万人にとっての否定し様の無い、”善”なのだろう。きっと誰からも否定される事なく、全ての人々が『良い事だ』と言ってくれるものの事を指している様な気がした。その執念と意識は彼女が経験した出来事に由来し、根深い問題であるが故に、簡単な答えを出す事等は出来ない。『善とは何か?』、この短い質問の中に彼女の、ドロシーの今後がかかっている様にドクターには感じられた。

 

『善とは何か?』

『善と悪とは何か?』

『人にとって、他人の善とは悪になるのか?』

『なるのであれば、全ての人が求める善とは何か?』

『そしてそれは、善と呼べるものなのだろうか?』

 

 ドクターは考える。

『善とは何か?』

 

 ドロシーは答えを求める。

『善とは何か?』

 

 

 ”善”の答えを求める、ドロシー・フランクスは夢見る乙女である。

 

 

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 ドロシーの求める”善”とは、いわば完全性の”善”だ。一切の否定を許さず、妥協も無く、誰もが肯定しうる絶対の”善”。そんなものが存在するのだろうか? 単純な”善”ですら多くの人々が考え悩み、そしてお互いの”善”を衝突させながら生きている。どう考えても、今この世界に完全性の”善”と言うものは存在しない。そもそも”善”と言うもの自体が、曖昧で不安定で答えが見つかっていないのだから。

 

「ドロシー、残念だが私では君が満足する答えは出せそうにない」

「ドクターにも分からない事があるのね」

「分からない事の方が多いと思うよ。恐らく今現在、君のその質問に確かな答えを返せる人は、いないのかもしれない」

「そうなの……困ったわね」

「だが、それでも”善”とは何かと考え続ける事は良い事だと思う。それはきっと、今まで多くの人達が通って来た道で今に受け継がれてきたものだから」

「考え続ける事は良い事なの?」

「良い事だと思う。決めつけず、多くの人達と言葉を交わし、皆が納得する答えを求める事はきっと正しい事の筈だ。考え方や価値観、生き方を重ねて行けばきっといつかは、皆が納得する”善”に辿り着けるかもしれない。……勿論時間は沢山必要だろうけど」

「……」

「少し、休憩にしよう」

 

 ドクターはそう言うと椅子から立ち上がり、二人分の紅茶を入れる。片方をドロシーの前に置き、その正面のソファーへと腰掛ける。何かを考える様な表情のまま、出された紅茶を飲むドロシー。微かに広がる紅茶の波を見ている様で、実際は遥か遠くを見ている様な眼をしている。それが何を見ているのか、何処を見ているのか、それはドクターには分からない。その眼が再びドクターの方を見た時、この話の続きが始まる。

 

 ドロシーはポツリと言葉を落とす。

「……考え続ける事は……良い事」

「考え方や価値観、生き方を重ねて行けば、皆が納得する”善”が見つかる……」

「分かり合う事、理解しあう事、お互いを尊重する事……」

 

 ドロシーが真っ直ぐ、ドクターを見る。

 

 

「ねぇドクター、あなたは戦争は好き?」

 

 

 議論の続きを始める、ドロシー・フランクスは現実を知る科学者である。

 

 

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「ねぇドクター、あなたは戦争は好き?」

「……好きではない」

「戦争は無くなった方が良いと思う?」

「当然だ。戦争は多くの人達に犠牲を強いて、不幸にする」

「争う事は良い事だと思う?」

「断定するのは難しいな、争わないで済む方が良いとは思うが」

「……」

「ドロシー?」

「ドクター……私はこれから嫌な質問を沢山すると思うけれど、怒らないで答えて欲しいの」

「分かった」

「ありがとう、ドクター」

 

 ドクターとドロシーは机を挟んで相対する。

 

「人々の生活の中に格差はあった方が良いと思う?」

「極端な格差は争いの種になりうる。とは言っても、全く無いのもまた別の問題になるかもしれない」

「何も考えず、進歩も努力もない停止した生活に埋まってしまうから?」

「そうだ。人とは進み続ける生き物だから。現にこのテラの大地に生きる人々は、苦しい現実の中でもよりよい明日を求めて努力し続けている」

「確かに、素晴らしい事ね」

「……ああ」

 

「あなたは『考え方や価値観、生き方を重ねて行けば、きっといつかは皆が納得する”善”に辿り着ける』と教えてくれたわね」

「”かもしれない”が付くけどね。確証も保証も出来ない。だがそれでも過去から現在、そして未来へと人々は考え続けて繋いで来ている」

「あらゆる価値観は、お互いに尊重出来ると思う?」

「出来ない事は無いと思う。もし出来ないのであれば、それは争いや戦争へと繋がり、どちらかを滅ぼす事になるだろう。それは選んではいけない悲しい道だ」

「でも、現実にはそれは起きている。過去から現在まで、歴史の中に」

「悲しい事にね。だがそれでも、お互いの妥協点をどこかで見つけられているからこそ、幾つもの文明が現在まで存続し、私達はこうして生きている」

「ドクター……この先、戦争が好きな人達と、戦争が嫌いな人達は共存出来ると思う? 戦争がないと生きていけない人達と、戦争が無くなった方が良いと思っている人達は? 人を苦しめるのが好きな人達と、人を苦しめるのが許せない人達は? 誰よりも優れた存在で居たい人と、誰もが同じ様な存在で居て欲しい人はどうなのかしら? 片方を善とするなら、もう片方は悪と言われるわね。この場合、善悪はどうなるの?」

「それは……」

 

 ドロシーの質問は決して嫌味でも屁理屈でも言葉遊びでもない。間違いなく実在する事実なのだ。ドクターは戦争は好きではない。戦争は無くなった方が良いと思う。しかし、ロドスの活動の中で争いは絶えず存在し、多くの犠牲者を出してきた。犠牲者を出さない為の、犠牲者が必要になっている。更に実際、戦争の中でしか生きられない人達はいる。戦いの中でしか存在出来ない人達が。その人達から戦争を取り上げた時、果たしてその人達は生きていけるだろうか? 戦争の外側で生きて来た人達の中に入っていけるのだろうか? 

 

 誰よりも優れた存在で居たい、他者よりも上に立つ存在で居たい。

 そう思う事、野心を持つ事は悪い事では無い筈だ。

 野心を持つ事、それが争いへと発展していく。

 争いは無くなった方が良い。

 だが争いが無くなった時、人々は前に進めるのだろうか? 

 

 あらゆる価値観は共存するべきである。

 だが、戦争が好きと言う価値観とそうではないという価値観は? 

 

 極端な例だ。だが実在する例だ。

 戦争は悪である。人殺しは悪である。

 では、戦争がなければ生きられない人達にとって戦争は悪なのか? 

 では、人を殺さなければ生きられなかった人達は悪なのか? 

 それしか選べない人達は、非難されなければならないのだろうか? 

 

 ”善”とは何か? ”悪”とは何か? 

 ”良い”とは何か? ”悪い”とは何か? 

 

「ドクター……”善”と”悪”って、なんなのかしら?」

 

 

 答えを求める、ドロシー・フランクスは迷える人間である。

 

 

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 ドクターは考える。ロドスのこれまでの活動はどれも争いと近い所にあった。多くの物事と戦い、多くの仲間を失って前へと進んで来た。それがより良い未来を創ると、鉱石病の人達を救う為だと信じているから。ロドスの信じる”善”がある様に、これまで衝突して来た全ての人達にも信じる”善”がある。受け入れる事が出来なかったとしても、彼らは彼らの中で選べる一番の選択をしたのだ。暴力で訴えるしかなかった、奪い取るしかなかった、怒りの声を上げるしかなかった。選べる手段がそれしかなかった。そうする事でしか、少しでも未来へ道を続ける事が出来なかったから。多くの人達に理解されなくても、間違っていると批判されても彼らは行動に移した。自分達と同じ立場にいる存在の希望になれる様に、後に続く道を作る為にも突き進むしかなかった。

 

 ロドスも彼らも未来の為に選び行動した。

 ロドスも彼らも未来の為に戦った。

 ロドスも彼らも正しさを”善”を信じて来た。

 全ては未来に、明日に少しでも希望の光を残せるように。

 

「ドロシー……”善”とは繋げる事なのかもしれない」

「繋げる事?」

「そう。今ある自分達の考えや思いを未来に繋げていく事。大勢から非難されようとも、考えた中での正しさを信じ、世界にほんの少しでも良いから証を残し影響を与える事。自分達の後に続く者達の為に、より良い未来の為に」

「間違っていると批判されても? 誰からも分かって貰えなくても?」

「乱暴な言い方をしてしまえば、”善”とか”悪”とか正しいとか間違いとかそれぞれの尺度でしかないんだ。私だって間違う事もあるし失敗だってする。何かを”悪”だと判断する事もあるだろう。だがそれは私の尺度の話でしかない。その行動を選んだ人達はその正しさを、そこに存在する”善”を信じている。それらが衝突して片方が消え去る事になっても、残った方に影響を与える事になる。どんなに僅かでも、どれだけ些細な事でも繋がって行くんだ」

「……」

「どの様な結果であろうとも、どの様な選択であっても、何かを考え未来に繋げて行く事。その繋がったものから更に先へ、誰かに或いは何かに続いて行く事こそが”善”と呼べるのかもしれない。少なくとも私はそう思うよ」

「僅かでも影響を与え、繋げる事。考えて行動し、信じる事が”善”……」

「少しは君の質問に対する答えになれば良いんだが……」

 

 ドロシーは暫く考える様に眼を閉じる。

 そして眼を開く。

 その瞳は輝いていた。

 

「あぁ、ドクター。私、今ね。物凄く晴れやかな気持ちなの。ドクターの答えは私の中にすとんと納まったのよ。『”善”とは何か』それに対して確かな答えを得られた様な気がするわ」

「あくまでも私個人の意見で、参考程度にして欲しい」

「勿論分かっているわ。でもドクターのお陰で、私の中の深い霧が消えた気分だわ。あなたきっと私が知る誰よりも、”善”について深く考えているのね」

「ドロシーの質問があったから、私も”善”について深く考えたのかもしれない。君が今日こうして私の所に来なかったなら、私もこんな答えは出せていなかった気もするよ」

「ねぇ、ドクター。これから先、私が考えや研究で悩んだ時にあなたに相談しても良いかしら? 私はまだ自分の考えや研究が、”善”って信じられないの。だからドクターが『”善”だ』って言ってくれたら、私も自信が持てる気がするのよ。……ねえ、だからドクター、私の支えになってくれる?」

 

 ドロシーは身を乗り出して、ドクターに問う。

 

「……あくまでも参考に。最終的に判断するのは、君自身にするのであれば引き受けよう。特に研究や実験に関してはね」

「ありがとう、ドクター。私は精一杯歩み続けるわ、待ち受けるものが批判だろうと死だろうとね」

「……」

 

 

 ”善”とは何かと答えを得た、ドロシー・フランクスは生まれ変わった研究者である。

 

 

 

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「ドクター、居るか? 私だ」

 

 ドクターとドロシーの話が終わったタイミングで、執務室の扉に備え付けられている小型モニターが点灯し、それと同時にスピーカーから声が聞こえる。小型モニターに映った人物は、冷静さと強さを兼ね備えたドクターもよく知る優れたオペレーターだった。ドクターは手元の端末を操作し、扉のロックが解除されたのを確認すると入る様に声をかける。その人物は例え扉のドアが解除されたとしても、返事があるまで決して部屋に入ろうとしない厳格な性格の持ち主でもあるからだ。

 

「大丈夫だ、入ってくれ」

「邪魔をする、ドクター。こんな時間にすまない、お前への届け物を頼まれていてな」

「ありがとう、サリア」

「……他に誰か居るとは思っていたが、お前か。随分と珍しいな」

「そうね、あなたとロドスの中で会う事はあまり無いものね」

 

 サリアは執務室内にドロシーが居る事を確認すると、僅かに警戒する様子を見せる。サリアはドロシーに対する”極一部”側の人物だった。サリアはライン生命で関わる事が殆ど無かったが、あの事件に関連して強い警戒心を持っており、その事を当人に対して隠す気は毛頭無い様子だった。秩序と摂理を重視する彼女からすれば、ドロシーのあの時の行いは決して許せるものではないのだろう。ドクターはサリアにだけ見える様に、大丈夫だとサインを送った。

 

「そんなに警戒しないで。私はただドクターとお話ししていただけよ?」

「話だと?」

「そうよ、『”善”とはなにか』って聞いていたの」

「……”善”? ”善”についてだと? お前が?」

「……サリア」

 

 広がる剣呑な空気に思わずドクターは口を挟む。

 恐らくこの二人の相性は、色々な意味であまり良くは無いのだろう。

 

「私はお邪魔な様だから、お暇するわねドクター」

「……ああ」

 

 ドロシーは立ち上がると、サリアの横を通って扉へと向かう。

 扉を開けて廊下に出る前にドクターの方をもう一度見る。

 

「ドクター、またお話しましょうね」

「いつでもどうぞとは言えないが、歓迎するよ」

「それと次は、ドクターに認めて貰える様な成果を持ってくるわ」

「……分かった」

 

 ドロシーは笑顔を浮かべて、微かに手を振ってから廊下へと姿を消した。

 その後ろ姿には部屋に入って来た時の、悩んでいた様子は微塵も見られなかった。

 

 

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 ドロシーが去った後、ドクターはサリアから受け取った届け物の内容を確認していた。それは研究チームからの成果報告の様なもので、膨大な資料とそれらについて研究者のコメント等が記載されていた。本来は研究結果についてドクターに最初に伝える必要は無いのだが、これは元々ドクターが個人趣味の範囲で行っていた研究内容から着想を得た物だった為に、律儀にもこちらに最初に持って来てくれたのだろう。これもまた、研究を行った人物が真面目であるからなのだろう。

 

「私の方に持ってこなくて良いと言ったのに、サイレンスは真面目だね」

「着想元はお前がやっていた研究だ。であれば、お前の所に最初に報告するのは当然だろう」

「大詰めだとは聞いていたけど、随分早く結果を取りまとめたね」

「早く報告したくなる程の、満足出来る結果だったのだろう。私が受け取った後、チーム揃って倒れこむ様に寝ていた」

「後で医療チームに怒られるだろうね……」

「奴らも医療チームだ。超えてはならない限界点までは迎えていないだろう。それとフィリオプシスから伝言を預かっている」

「フィリオプシスはなんて?」

「”ドクターがメモしておられた結果予想の通りでした。感服です”、だそうだ」

「結果は私の予想通りになったかもしれないが、過程の組み立てとこの成果は間違いなく彼女達のチームの努力によるものだ。私はそのきっかけになったに過ぎないよ」

「……そうか」

 

 今回の研究結果は、鉱石病の治療に役立つものだろう。鉱石病の治療は完治出来ないにも拘らず、負担が大きい事により治療行為自体を拒否する人も居る。治療を受けるにしても、進行度合いによって治療方法や取り扱う薬も大きく異な上に、場合よっては強い副反応を示すものもあり、患者の中にはそれが大きなストレスになっている場合も多い。この研究でサイレンス達が導き出した新たな薬品は、それらを大幅に緩和する事が出来るものになる。特にまだ幼い子供達に対して、大きな効果を見込めるものだった。

 

「……うん。これなら結果内容と一部の数値を手直しして申請すれば、ケルシーとワルファリンの許可も早めに出るだろう。その前に本人達にはしっかり休んで貰う必要があるけどね」

「そうか、サイレンス達も喜ぶだろう」

「サリアも届けてくれてありがとう。確認も済んだし、戻って貰って大丈夫」

「……あぁ」

 

 返事はするもののサリアは何かを考える様子を見せ、直ぐに動こうとはしなかった。それは今言うべきかどうかを悩んでいる様にも見える。ドクターは彼女が何について考えているか、おおよその検討が付いていた。

 

「そんなに心配しなくても良いんじゃないかな?」

「前にも言ったが、ああいう人間は、『素晴らしい』理想のためなら何でもするものだ。特に諦めの悪いタイプは、一度目よりも二度目の方が手に負えない事の方が多い」

「それは推測? それとも経験?」

「経験だ」

「『”善”とは何か』、ドロシーの質問はこれだけだった。唯々”善”についての答えを求めていたよ」

「”善”には必ず”悪”が付いて回る。奴の事だ、どうせ”悪”についての深い言及は無かったのだろう?」

「それはそうだね。ドロシーにとって重要視する部分ではないのかもしれない」

「だから危険だと言っている」

「でも私としては、彼女にも選択肢を与えてあげたいかな。一回目が失敗に終わったとして、二回目も同じ様な結果になるとは限らないだろう? それにドロシーがあそこまで悩んで、考えて答えを求めた”善”についての彼女の答えを知りたいとも思う」

「……相変わらず、お前は部下に甘すぎる」

「耳が痛いね」

「まぁ良い。奴がまた何か起こす様であれば、”多少”痛い目に遭って貰おう」

「そうならない事を願うよ」

「では私も戻るとしよう。邪魔をしたな」

 

 サリアはそう言うと、ドクターに背を向けて扉へと向かう。

 扉を開けて廊下に出る前に、ドクターは彼女に質問を投げる。

 

「サリア、君にとって”善”とは何か?」

「秩序に則り、摂理を踏み外さない事だ」

 

 

 迷い無く出された、その言葉と同時に扉は閉じた。

 

 

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 ドロシーはドクターから答えを得た後、自分のラボに戻りこれからの研究の方向をどうするかを考えた。『”善”とは何か?』この質問から得られたものを、これから生み出していく存在に落とし込まなければいけない。ドクターは『選び繋げる事』だと言っていた。以前自分が作り出したものには何が足りなかったのか? 確かに以前の夢の結晶には、彼らの諦めによる選択しかなかった様にも思える。であれば、次は前向きに選択してくれるものになっていれば、大きく違った結果になるのかもしれない。

 

「諦めの果ての選択ではなく、自分で考えて未来の為に選んでもらう事……」

「”皆”が幸せになれる様に……」

 

 長い時間、本当に長い時間、ドロシーは独り考え続けていた。やがて答えを出すと、新たな夢の実現に向けて必要な要素と計画を立てる。新たなドロシー個人のプロジェクトとして、ドクターに申請しそれは問題無く受理された。それ以降、殆どの時間をそのプロジェクトに注ぎ込んでいる。他の業務以外の時間は全て切り詰めて、必要最低限の休眠、必要最低限の食事。彼女がラボに籠りきり、外部に殆ど顔を出さなくなるのはあの事件以降初めての事だった。

 

 ドロシーは自身のラボの仮眠用の長椅子に寝そべっている。その傍には数多くの測定器が設置されており、忙しなく大量のデータを記録していた。眠っている様に見えるが、彼女は自身が作り上げた成果について確認を行っている所である。たった独りで考え続け、たった独りで作り上げた新たな夢の結晶。その中に、ドロシーは居た。

 

 ドロシーの前には、見慣れた荒野が広がっている。

 幼い日から現在に至るまで、決して忘れる事のない風景。

 都市とは無縁の荒野を切り拓く「開拓者」達が、ずっと見て過ごしてきた風景。

 吹き抜ける風、ゆれる黄金色の植物、それ以外は何も無い。

 ドロシーと言う人間の記憶、脳内に深く刻まれた光景。

 

「何度試しても、何回やり直しても私の始まりはここになるのね……」 

 

 風の吹き抜ける荒野を彼女は歩く。どれだけ進んでも終わりの無い様に思える大地が広がっている。夕日が大地を暖かに照らす。ドロシーは周りを見渡した後、何かをイメージする様に眼を閉じる。眼を開くとそこには小さな建物が存在していた。何も無かった荒野に突如して現れたそれに驚く事なく、扉を開けて中に入れば見慣れたラボがあった。彼女がロドスで利用しているのとまったく同じものだ。

 

「ライン生命や最初に持った方じゃなくて、今のロドスにあるラボが再現されるなんてね。私は意識した事はあまりないけれど、今の環境が一番良いって思っているのかもしれないわね」

 

 それから彼女は数多くの物を出現させ、また同時に消していった。

 何もなかった荒野はすっかり姿を変え、様々な物が存在している。

 ドロシーは多くの事を試した後に全てを消し、元の荒野へと戻す。

 そして現実に戻る前、意識が覚醒する前の僅かな瞬間。

 荒野の奥に、彼女が決して忘れる事の無い人々が立っている様に見えた。

 

「……」

 

 見慣れた天井が目に入る。ドロシーは体を起こすと、周囲に設置した測定器の結果をチェックした。全ての結果は問題無しと表示しており、それは最後の課題がクリアされた事を示している。この瞬間、ドロシーが長い時間を掛けて独りで作り上げた、新たな夢の結晶が完成した。彼女は手元のボードと端末に記録を書き込む。数々の試作と数々のテスト、膨大な数の”失敗”と記された項目に遂に”成功”の文字が刻まれた。ほっとした息を吐きながら、新たな夢の結晶が保管されているケースを撫でる。

 

「あなたの名前は何が良いかしらね……」

「どうせなら、皆に親しみを持って貰える様な名前が良いかしら?」

「うーん……」

 

 少し考える様な様子を見せた後、ドロシーはケースに名前を書き加える。

 手元のボードと端末にもそれを追記すると、彼女は久し振りにラボの外へと出て行った。

 

 

 保管ケースに記された名前は、『OZ(オズ)』。

 

 

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 ドクターは随分前にドロシーの新しい個人プロジェクトが申請された時、難色を示す一部を説得し承認した。今回その成果が見せられる段階まで来たと言う事で、ドロシーのラボを直接訪れていた。長い間ラボの方から出て来ていないと言う報告を受けていた事も有り、多少の心配はしていたのだが彼女を信じて待つ事にしていた。本当に手詰まりになった時や、危険な状態になった時は周囲に助けを求めるだろうと思っていたからだ。今日に至るまでその様な報告は上がってはいなかったのと、現在の綺麗に整頓されたラボの様子を見て、心配していた様な事は起きていなかったのだと安心した。

 

「よく来てくれたわね、ドクター。急に呼びつけてしまったけれど、大丈夫だったかしら?」

「大丈夫、問題ないよ」

「ちょっとだけ待って頂戴ね。最後に少しだけ調整を加えておくから」

「その保管ケースに入っているのが、今回の君の成果なのか?」

「えぇ、そうよ。名前は『OZ(オズ)』と言うの」

「オズ?」

「可愛い名前でしょう? 何とか装置とか、何とか制御装置とか、そんな堅苦しい感じより親しみを持ってもらえると思ってつけたのよ」

「ふむ、確かに」

 

 ドロシーは手元の端末にて『OZ(オズ)』の設定を終えると、保管ケースのカバーを一段階解除する。そこには特殊な構造の透明な立方体の中に収められた、翠玉色の球体が静かに回転していた。透き通った内部には砂時計の様な物体があり、定期的に上下反転を繰り返している。それは恐ろしさも空虚さも感じさせる事なく、むしろある種の美しさを備えていると言えた。ドロシーが『OZ(オズ)』と名付けたそれを、ドクターは様々な角度から眺めている。

 

「これは……基礎理論部分は以前の”伝達物質”と同じか? いや、違うな……」

「流石ね、ドクター。確かに共通している部分はあるけれど、殆ど別物よ。あれの応用発展を更に進めたものと言えば分かり易いかしら?」

「あれは液体に近く、更に増殖や膨張を繰り返していたが……これは完全な固体だね。それに思っていたよりも小さい」

「物体としての外見は、これ以上小さくするのは難しかったの」

「『OZ(オズ)』についての資料を見せてもらっても?」

「勿論よ」

 

 ドクターは渡された資料を読み必要な情報を整理していく。そこに記されている内容は正に、ドロシーがこの分野において凄まじく優秀であると言う事を証明するものだった。”伝達物質”のより安全な制御、内部空間における活動について、『OZ(オズ)』接続時の身体に与える影響について等々。数々の実験と幾度にも及ぶテストの結果、必要な内容とドロシーの道のりが全て記載されている。そしてそれらの内容はドクターを概ね満足させるものでもあった。

 

「それでドクターにも、これから『OZ(オズ)』に接続して貰おうと思うのだけれど大丈夫かしら?」

「この資料によれば被検体は1名となっているが、これは君か?」

「そうよ。ロドスの中で私個人の実験の被検体になってくれる人はいないでしょう」

「そんな事は無いと思うが……」

「勿論何度もテストを行う中で実験動物も使っているし、私自身が何度も状態を変えて確認しているから。今はドクターが接続したとしても、私の様に鼻血が止まらなくなったり、気絶したり、心停止したりしないから安心して」

「聞き捨てならない単語が出て来たんだが?」

「……? そんなに珍しい事かしら?」

 

 人を被検体として使う以上、何かしらのトラブルや想定外の結果によって負荷がかかる事がある。それによる、意識の喪失や出血はそこまで珍しい事では無いかもしれない。だが心停止となると話は別だ。それにこのプロジェクトはドロシー個人で進められている。つまり心停止した場合、最悪の事態ではそのまま蘇生出来ずに死亡していたと言う事になる。それをドロシーは珍しい事でも無さげに言った。こう言う所は彼女もまた、ライン生命の主任の地位についている人物らしいと言えるのかもしれないとドクターは思った。

 

「その心停止等について少し詳しく話してくれ」

「うーん……基礎構成が固まって、最初の試作品が出来た時に試しに接続テストをしてみたの。その時は最初の接続時点で焼ける様な感覚がして、暫く鼻血が止まらなくなっちゃった。それと似た様な事は何度もあったわ」

「……」

「『OZ(オズ)』に接続出来るようになった後は、負荷調整が上手く行っていなくて切断時に気絶を繰り返していたわね。気が付いた後に、三日近く眠って居たと分かった時はちょっと驚いたわ」

「……」

「被検体が私しかいないから、色々な状態でデータを取る為に負荷調整を極端にした時に心停止したの。勿論そうなるのが分かっていたし、別に初めての事でもないから念入りな準備をしておいたわ。人って死ぬって分かっている事をする時は、物事を冷静に捉えて備えておくから意外と怖くないのよ? 最初から蘇生装置を身に着けて起動設定をしておけば、心停止してもタイミングを指定して蘇生出来るわ。お陰で多くのデータを収集出来たから、今は人体への影響はほぼ心配ないの。それから……」

 

 すらすらと何があったのかを話すドロシーは特に何も気にしていない様だった。

 実験の為に自分の心臓すら止める事に躊躇がない。

 狂気とも言えるその姿勢は、彼女が独りでやりきると決めたからなのだろうか? 

 いや、きっと彼女は、ドロシーは元々こうなのだろう。

 彼女の人生を決定づける出来事が起きた時から、ずっとこうなのだ。

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

「ドロシー、もし君がこの先で負荷の高い実験を行い場合は必ず助手をつけてくれ。今回は全て終わった後になってしまったが、この条件を受け入れられない場合は今後実験を禁止する必要が出てくる」

「ドクターがそう言うなら受け入れるしかないないわ。本当は誰も居ない方が自分の体を使って自由にしても、何も言われないから楽なのだけれど……」

「……ドロシー」

「ふふ、冗談よ。本気にしないでドクター」

 

 ドロシーの言葉に嘘は無い。ドクターの言う通り今後は助手をつけるのも本当だ。同時に誰も居ない方が、自由に実験する事が出来るので楽と言うのも本当だった。ドクターもその事は分かっているが、今はそれについて深く追及する気は無い。彼女は提案を受け入れ今後は助手をつけると言った以上、そこが守られるのであれば本音の部分はそこまで重要ではないのだ。それにそこを追及した所で、ドロシーの中で何かが変わる訳でも無いも分かっていた。

 

「じゃあ、ドクター。これを受け取って頂戴」

「これは?」

「『OZ(オズ)』に接続する為の子機の様な物よ」

「想像していたのと随分と違うな。もっと頭に付ける様な物を想像していた」

 

 ドロシーから渡された物は手のひらに収まる程度の大きさで、うっすらと中が透けて見える小さな翠玉色の立方体だった。中には『OZ(オズ)』本体と同じ様な砂時計の様な物が見える。この見た目からは何かの子機とは思えず、そのままアンティークとして机の上に置いてあっても違和感の無いものだった。

 

「最初はそう言うのを想定していたのだけど、使う人や周りの人に圧迫感を与えてしまうでしょう? だから直接身に着けるのではなく、子機の制御範囲に収まっていれば使える様にしたのよ。本体と中継機と言えばイメージしやすいかしら?」

「成程、確かに見た目と言う点で良いアイディアだね。手のひらに収まる程度の大きさと言うのも素晴らしい。因みにこれは個人単位での制御になるのか?」

「そうね。初回接続時に使用者の一部データが登録される事になるから、他の人と混同する事にはならない様になっているの。子機の見た目は同じだから、管理は所有者側でやって貰わないと駄目ね」

「立体物として目立つと言うのは紛失防止にもなるし、小型化に拘って耐久性が犠牲になったりするものだが……これは問題なさそうだね」

 

 ドクターは興味深げに子機を様々な角度から確認するとそう評価した。まだドロシーから渡された資料の内容を確認しながら、何を考えてこの形に行きついたのかについての記述や、この小さな立方体にどの様な技術が使われていて、どの様に機能するのかについての部分を熱心に読み込んでいる。

 

「ふふっ」

「?」

「いいえ、ドクターがあまりにも楽しそうだったから。製作者として嬉しいなと思って」

「……すまない、つい夢中になってしまった」

「気にしないでドクター。私も新しい技術や道具を見ると、ついつい夢中になってしまうもの。あなたって本当に……私と似てるみたいね」

「そうだろうか?」

「えぇ、きっとね。それじゃあドクター、そろそろ『OZ(オズ)』の方に接続してみましょう」

「私は何をすれば良い?」

「そこの検査台に横になって、子機をその横において頂戴。初回接続だけ設定の書き込みが必要だから、私もドクターが『OZ(オズ)』に入ったのを確認した後に追いかけるわ」

「分かった」

 

 ドクターは言われた通りに、子機を置いて検査台に寝そべる。

 ドロシーが端末を操作すると『OZ(オズ)』本体が微かに発光する。

 

「本当に何の機器もつけないのは、逆に落ち着かないな」

「こう言うのは色々身に着けたりする事が多いものね。準備が出来たわ、ドクター。何も考えないで目を閉じていてね。向こうに着いたら私が迎えに行くまで、じっとしていて頂戴ね」

「少し緊張するね」

「安心して頂戴、何も起きないわ」

「未知との遭遇だ」

「楽しそうね、ドクター。始めるわね……3、2、1、接続開始」

 

 

 その声が聞こえると同時に、現実のドクターの意識は眠りについた。

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 ドクターの目の前には見知らぬ部屋が広がっていた。しかし何処か懐かしさを感じる風景だった。知らないのに知っている、知っているのに知らない。そんな矛盾した感想を持つ事に、ドクターは多少の戸惑いを覚えている。机の上に置かれている物を手に取ってみても、それが何なのかについて理解する事は出来ない。だが無意識の内にそれを動かしてみれば、すんなりとそれはその通りに動いた。身に染み付いた様な感覚で動かした事にドクターは驚いている。何も知らない筈なのに、この体にはこれを動かす方法が記憶されているのだ。

 

「これは一体……?」

 

 立ち尽くしたまま思わず呟いたその時、後ろの扉が開き誰かが入ってくる。その人物は大きな荷物を抱えている様で、背中で扉を押して入って来ていた。体に似合わぬ大荷物に苦労しながら中に入りその大荷物を床に下ろすと、ドクターの存在に気が付いた様にこちらを見た。その人物の事をドクターはとてもよく知っている様な気がする。覚えていないが確かに知っている様な気がするのだ。

 

「君は……」

 

『君は誰なんだ?』と言おうとした瞬間、世界が暗転した。

 

 

 気が付くとドクターの目の前には再び見知らぬ風景が広がっている。警報が鼓膜を突き破るように鳴り響く廊下に立っていた。止まる事の無い警報は、非常事態が起きていると言う事をドクターに嫌でも認識させた。ただこの警報が鳴り響く廊下を知っている気がする。一人では無く、誰かと一緒にこの廊下を必死に走っていた気がするのだ。何かに追い立てられるかの様に廊下の奥へと走り出す。先の見えない廊下を奥へ奥へと走り続け、現れた扉を開けた。

 

 広い空間で見知らぬ機械が並んでいる。

 部屋の真ん中に唯一、見覚えのある機械があった。

 その機械の傍に跪き、中に横たわっている人の手を握っている女性の姿が見える。

 

 ドクターはこの光景を見た記憶がある。

 あれは石棺の傍に立った時の事だろうか。

 今、あの時の記憶を別の角度から見ているのだ。

 声が聞こえる。

 

「私たちは再会できるわ。暗闇の中、星の光で彩られた文明の果てで私たちは再会する……きっと」

「その日を待つわ。何があってもその日を待ち続ける。だからあなたも待っていて。私のことも、待っていてね」

「……Dr.■■■。私のこと、忘れちゃだめよ」

 

 そちらに一歩踏み出すと同時に、世界が暗転した。

 

 次々と世界が切り替わっていく、様々な記憶が過ぎ去っていく。

 知っているのに知らない風景が現れては消えて行く。

 それらはきっと、忘れてはいけない何かだった筈だ。

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 気が付くとドクターは空を見上げていた。正しく言えば地面に転がって居る様だった。暖かな日差しと吹き抜ける風の音が心地良く、もう暫くこのままで居たいと思えたが、近くに人の気配を感じ体を起こす。

 

「ドクター、良かった気が付いたのね」

「……ドロシー、此処は何処だ?」

「此処は『OZ(オズ)』中、その内に存在する私の空間よ」

「良い所だね」

「ごめんなさいドクター、あなたは記憶喪失だったのよね。その場合にどう言う現象が起きるかどうかについて、想定とテストが十分に出来ていなかったわ」

「気にしなくて良い、記憶喪失のパターンまで想定するのは無理があるだろう。それよりも私が見ていた物は何だったんだ?」

「本来『OZ(オズ)』に接続した時、個人の一番印象に残っている記憶が出発点になるの。言い換えるなら個人空間になるかしら。私の場合はこの場所になるのだけれど、ドクターは接続すると同時に大量の個人空間が生まれたの。そしてその中をドクターは次々と移動して行ってしまったわ。時間にして一分程度だったけれど、安定した瞬間を狙って私の個人空間の方へ繋げたの」

「つまり見た光景は全て、私が忘れてしまっているだけで頭の中にあると言う事か?」

「ドクターが何を見たかは私には分からないけれど、頭の中、脳の中にしまわれている物しか『OZ(オズ)』では再現出来ないの。だからドクターが見た光景や風景は、全てあなた自身が知っている物の筈……になるかしら」

「……ふむ」

 

 つまりそれはドクター自身が覚えていない事でも、この空間内であれば再現可能と言う事だ。何を示すものなのかを理解出来なくても積み重ねと分析を何度も行っていけば、いずれ失われた記憶を取り戻す手助けになるかもしれない。そう言う意味ではドクターにとって、早くもこの『OZ(オズ)』はある種の大きな価値を持つ事になった。何かしら知っている人物達は過去のドクターについて揃って口を閉ざす、であれば自分自身の力と選べる方法を使って、過去の自分を知りたいと思うのは当然の事ではないだろうか。ここでなら、『OZ(オズ)』であればそれが可能なのだ。

 

「ドロシー、君の個人空間は固定だと言っていたね」

「えぇ」

「その場所を意図的に、別の場所に切り替える事は出来るものなのか?」

「つまりこの荒野では無く、例えば私のラボにすると言う事かしら?」

「そうだ」

「うーん……私も何度か接続して試しているけれど、ここ以外になった事は無いかしら。潜在的、無意識的な物だから自分の意志で変えると言うのは難しい気がするわ。ドクターの場合、記憶喪失やその中に含まれる強烈な印象がある事で、瞬間的に多くの場所が再現されたと推測は出来るかしら……」

「では私が再接続をした時、先程の様な事が再び起きると言う事か」

「そうなると思うわ。ドクターの場合は何が起こるか分からないから、止めておいた方が良いかもしれないわね。私の方でもう少し安定動作する様に調整とテストを重ねて……」

「いや、このままで良い」

「ドクター?」

「現状恐らくこの影響が出るのは私だけだろう。それにこれを上手く使えば、私の忘れ物を探し出す事が出来るかもしれない」

「ドクターの失った記憶を取り戻すのに、役立つと言う事かしら?」

「上手く使えばそう言う事も出来るかもしれないと言う話だ」

 

 多くの人は忘れているが、ドクターは本来研究分野の人間である。その延長線上に戦術指揮、戦闘指揮等の能力が存在する。未知への探求、新技術の研究、新しい理論の確立、それらが本来の仕事である筈だった。だからこそ『OZ(オズ)』と言う、新たな選択肢に心惹かれるのはある意味当然とも言えた。元々『OZ(オズ)』の基本理論を見た時に、忘れた記憶の再現が可能なのではないかと言う発想はあった。そしてそれは幸運にも、再現可能であると分かってしまった。

 

 多くの人は分かっているが、ドロシーは本来研究分野の人間である。その延長線上にオペレーターとして戦場に立っている。未知への探求、新技術の研究、新しい理論の確立、それらが本来遂行すべき仕事である。だからこそ『OZ(オズ)』と言う、新たな夢の結晶を生み出した。そして新たな使い方や自分の考えの及ばない何かを思いつくドクターに、強い同族意識を覚えるのは当然とも言える。作った本人が考えもしなかった方法は、常に利用者が生み出してきているのだ。

 

 ドクターとドロシー、この二人はよく似ていた。

 周りの人々は否定するだろう。

 しかし方向性に多少の違いがあるだけで、限りなく似た者同士である。

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 ドクターとドロシーは『OZ(オズ)』の中で、様々な物を作り出しては消していき、この空間で出来る事を思いつく端から試していった。ドクターの発想は斬新かつ柔軟で、ドロシーが思いも寄らない方法で多くの事をやってみせる。その中の幾つかはある種の危険があると言う事で、機能的制限等を掛ける事を話し合った。二人は『OZ(オズ)』の中で時間を忘れて話し合い、議論を重ね、実験を行う。これにより『OZ(オズ)』はより良い物へと進化する事となる。

 

『OZ(オズ)』の中では多くの事が出来る。現実で歩けない人が歩く事が出来る、目が見えない人が物を見る事が出来る。一時的な身体機能の回復、現実で体に起きている制限の解除が可能だった。それは元々脳内に染み付いている基本的な記憶と機能、言わば本能の一種の様な物だからだ。そしてそれぞれの脳内に存在する多数の記憶、本人が忘れてしまっていてもここであれば再現が可能だった。そして『OZ(オズ)』の中での出来事は新たな記憶として残り、現実に戻っても忘れる事は無い。植物を育てる事や生き物を飼う事だって出来る。現実で出来る事の殆どを再現する事が出来る。つまり究極的な話、『OZ(オズ)』の中で人生を生きる事が可能だ。ドロシーが生み出した『OZ(オズ)』とは脳の機能を拡張、共有する物なのだから。

 

「この空間は多くの人の助けになるかもしれない」

「危険だって言われないかしら……」

「どんな道具だって使い手次第で変わってしまうものさ。人の生活を豊かにする為に生み出された物が、気が付けば戦争の道具になっている様にね」

「それはそうだけれど……」

「ドロシー、君は自分が作った物に自信が無いのか?」

「……」

「これは多くの人々に、特に中々病室から外に行く事の出来ない、鉱石病の人達に新しい選択肢を与えるものだ。本物では無いが限りなく近い物に触れる事が出来る、自分のやりたい事を出来る様になる。治療の為にずっと病室のベッド上に居るよりも、有意義な時間になるかもしれない。何も出来ないよりも何かが出来ると言う状況の方が、人間と言うのは遥かに前向きになれる筈だ」

「ドクターは私の作り出した『OZ(オズ)』を良い物だって、信じてくれるのね?」

「少なくとも君が以前作り出したアレよりはね。私が『OZ(オズ)』の中で一番気に入っているのは何だと思う?」

「色々な事が出来る事?」

「違う、現実との繋がりがある事だ」

「現実との繋がり?」

「そう『OZ(オズ)』は現実では無い。言ってしまえば夢の世界の様な物だ。しかし現実で経験した事や覚えている事、やりたいと思っている事が無ければここに来ても何も出来ない。そしてここで経験した事は現実へと持ち帰る事が出来る。流石に運動した所で筋力はつかないが……知識や経験としては十分だろう」

「……」

「更に言えば『OZ(オズ)』の中で生活し続けたとしても、いずれは現実に帰る時が来る」

「ここにずっと居たいと思う人達が出てきたら?」

「夢と現実の区別がついているのならば、それも良いだろう。例えば現実で鉱石病の治療は辛い物だ。だから症状が良くなるまで、こちらで過ごすと言う選択を私は良いと思う。一番あってはならないのは現実に絶望してしまう事だからね」

 

 ドクターは、ドロシーの生み出した『OZ(オズ)』について高く評価していた。これは選択肢を奪うものでは無く、新しい選択肢を与えるものだからだ。何も考えず何も選ばない人間が接続した所で、ここでは何もする事が出来ない。そしてここは神になれない。あくまでも現実の自分の延長線上なのだ。突然全知全能の存在になる事なんて出来ないし、出来ないものはそのままでは、当然出来ないままだ。集合体としては無く、それぞれの個人として活動すると言う所に、ドロシーの研究者としての進歩を見た。

 

「私としては、『OZ(オズ)』を成果として全体に公開しても良いと思う」

「本当に良いのかしら?」

「以前の『善とは何か?』と言う問いに対して、生み出した答えがこれならば十分だろう」

「じゃあ、これは”良い事”として皆に認めて貰える? ”善”って分かって貰えるの?」

「恐らくね。少なくとも君に感謝する人達は必ず居るよ」

「ありがとう、ドクター」

 

 

 ドロシーはドクターに心の底から感謝している。

 以前、ドクターはドロシーの問いに言葉で答え。

 今回、ドロシーはドクターの問いに成果で答えた。

 ドクターの答えはドロシーに大きな変化を与え、

 ドロシーの成果はドクターを十分に満足させるものだった。

 

 

 現実に戻った後、幾つかの修正を加えたドクターの提案で『OZ(オズ)』に最後の安全弁を追加する事になった。それは最も単純な内容で、最も効果のあるものだった。幾つかの手続きを進め、必要であれば辛抱強く説明を続けたドロシーとドクターの助力もあり、『OZ(オズ)』はロドス全体に公開された。最初の反応はそれ程良くは無かったが、後々特に鉱石病患者から好評を得ていた。『OZ(オズ)』を利用する事で、現実への希望と明日の自分について考える様になったのだ。

 

『OZ(オズ)』の中で活発に走り回る子供達。理想の自分の家を作ってみる患者、自分の空間で密かに新たな分野について勉強をする職員。実践的なトレーニングを試す訓練生、気分転換に大音量で楽器の演奏をするオペレーター。思い思いに『OZ(オズ)』を利用している。使い方は人によって違っていたが、新しい選択として確かに人々に受け入れられていた。ドロシーが生み出した物は、利用者にとって”良い”物として確かに存在していた。

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 争いの始まりの大半は、意見の食い違いである。

 意見の食い違いの大半は、価値観の違いである。

 善悪とは、人によって大きく異なるものである。

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 ロドスで無視出来ない問題が発生していた。それは一部の患者や職員、オペレーターが眠ったまま目を覚まさないと言う問題だ。特に重症患者に多くみられるもので医療チームからの報告でその事が発覚した。しかし患者は眠った状態のままではあるものの、身体状態は眠った状態になる前よりも良好になっている。更に眠った状態でもあるにも関わらず、脳は活発に活動しておりその数値は健康な人間の通常活動時よりも、高い数値を叩き出していた。彼らは単純に眠って居るのでは無く、何か別の場所で活動を続けているのだ。

 

 眠ったままになった人々には共通点があった。1つ目は、鉱石病の重症患者やオペレーターの戦闘活動等で、現実生活に強いストレスを感じていたと言う事。2つ目は、それぞれの個人が『これをしたい』『病気が良くなったらあれがしたい』等と前向きに目標を掲げて生きて来た人達である事。3つ目は、ドロシーの研究成果である『OZ(オズ)』に接続した事があると言う事だ。だが3つ目に関しては『OZ(オズ)』に接続経験がある人でも、変わらず現実世界で生きている人々がロドス内で大勢いるのも事実である。

 

 

 彼らは何故、眠ったままなのか? 

 眠ったままと言う事は、彼らは何処に生きているのか? 

 彼らにとって眠ったままと言う事は、不幸な事なのだろうか? 

 

 

「あら、あなたがここを訪ねてくるなんて珍しいわね」

「私が来た理由について、お前は分かっているだろう」

「眠ったままになっている人達が居る事についてかしら?」

「……この件について、お前が無関係であるはずがないからな」

「幾らあなたでも、決め付けが過ぎると思うわ」

「言った筈だ、二度目は無いと。去ったとは言え古巣の新参者が引き起こした騒動に対して、私には解決する義務と責任がある」

「あなたの辞表は統括に受理されてないって聞いているわ」

「話を逸らすな」

 

 ドロシーのラボに入る時にサリアが扉を吹き飛ばさなかったのは、彼女がこの件に冷静に対処しようと言う責任感の表れだった。そしてドロシーもまたサリアがこうして、自分のラボに乗り込んでくる事を予想していた。だからこそ、彼女達は誰にも邪魔されずにこうして一対一で向かい合っている。ドロシーもサリアも、方向性は違うが頭の回転は速く、また他人をよく観察し、起きるかもしれない物事に対して前もって備えて置けるタイプの人間だ。

 

「お前は前回の事件から、結局何も成長しなかったようだな」

「そんな事は無いわ。私は多くの事を経験したし、あの時とは違った考え方を持っているの」

「いいや、お前は何も変わっていない。他人の尊厳を踏み躙り、自分の夢を押し付けるだけの狂人だ」

「あなたは私が彼らを、『OZ(オズ)』に閉じ込めていると言いたいのね?」

「他に何がある」

「残念だけれど、私は彼らに何もしていないの。彼らが自分達で選択しただけなのよ」

「私はお前の言葉を信用しない」

「……だったら、彼らの言葉を直接聞きに行くと言うのはどうかしら? ここで私と話し合っていてもきっと平行線だもの。直接話を聞ければ、あなたもきっと納得してくれるでしょう?」

「……良いだろう。だが、もしも何かあれば容赦はしない」

「心配しないでサリアさん。だって私は何もしていないし、彼らにも何もしないもの」

 

 

 サリアは『OZ(オズ)』に初めて接続する。

 全ては、間違いを正す為に。

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 サリアの目の前にはかつてクリステンと共に設立した、当初のライン生命のオフィスが広がっていた。それは忘れる事の出来ない風景で、切り捨てたと思っていても今なお、心の何処かに引っ掛かっているものだった。目の前に広がっているオフィスは、備品から細かな置物まで全く同じで、思わず手を伸ばせばそれはしっかりと手に取る事が出来た。『OZ(オズ)』による再現だとしても、この空間はあまりにも現実味が在り過ぎる。この空間は危険だとサリアは即座に判断した時、後ろから声が聞こえる。

 

「最初期のライン生命って今と随分違うのね、驚いたわ」

「これはどう言うつもりだ? 私を動揺させようとても考えたか?」

「『OZ(オズ)』に接続した時、最初に目撃する風景は皆違うのよ。サリアさんの場合、ここが一番印象に残っていて、何かの原点となっていると言うだけなの。これはプライベートな事だし、本当なら一緒に入ったりしないのだけれど……私が一人で何処かに行っていたら、ここでサリアさんが何するか分からないもの」

「こんなものは、所詮まやかしだ。私が何か思うわけでもない」

「あなたがそう思うなら、私はそれで良いわ。着いて来て、皆はきっとこっちに居る筈よ」

 

 ドロシーが先導し、サリアが続く。

 扉を開けた先には別の空間が広がっていた。

 それは森であったり、湖であったり、山であったり様々だった。

 幾つもの空間を抜けた先、突如として小さな町が現れた。

 そこには沢山の人々の姿があり、誰もが活力に満ちた顔をしている。

 ドロシーとサリアに気が付いた子供が駆け寄ってくる。

 

「ドロシー先生、こんにちは!!」

「こんにちは、皆元気にしている?」

「うん。皆毎日元気だよ」

「ここも随分と大きくなったのね」

「色々新しいのも出来たんだよ。驚くから先生も見てみてよ」

「勿論見せてもらうわ。その前にサリアさんを案内してあげて欲しいの」

「良いよ!! ここは初めてだよね、着いて来て!!」

「おい、待て」

 

 子供はそう言うなり、サリアの手を取って走り出した。子供はサリアを引っ張りながら、町を案内する。驚く事に町には本当に多くの物があった。それぞれの家があり、学校があり、畑があり、交易場までもあった。そしてそこには眠ったままになっている人々の、現実とはかけ離れた活気に溢れた生活があった。ここは『OZ(オズ)』の中であり、現実ではない。現実ではないのに、何の違和感もない位に同じだった。空気の流れる感じも、吹き抜ける風も、人々の生活も確かにここには存在しているのだ。

 

「こんな事が……」

「凄いでしょ!! ドロシー先生のお陰なんだ」

「お前は今自分がどうなっているのか、分かっているのか? お前を含め、ここにいる人々は目を覚まし、現実に帰るべきだ」

 

 サリアがそう言うと、子供の表情からスッと笑顔が消える。

 

「やだ、帰らない」

「何故だ?」

「目を覚ましたら苦しいだけだもん。ずっとベッドの上で色々な物に繋がれて薬を飲むだけ。病気が進んで歩けなくなったし、目もどんどん見えなくなって行くんだもん。現実の私は何も出来ないんだよ。歩く事も本を読む事も、病気を診てくれてる先生の顔だって分からないんだ。病気になる前は出来ていた事が、どんどん出来ない様になっていくのは、もう嫌だよ……」

「……」

「でも、ここなら自分で歩けるし走れるんだよ!! 勉強だって教えて貰える、友達とだって遊べるんだ。やりたい事、病気になってから出来なくなった事が全部出来るの!! ドロシー先生が言ってたよ、『ここでの生活は無駄にならない』って、目を覚ました時はここでの経験は全部持って帰れるって。それに約束してくれたもん。病気の治療が進んで良くなったら、ちゃんと教えてくれるって。一緒に現実に帰ろうって約束してくれたもん!! だから病気が良くなるまで、皆とここにいるの!!」

「……」

 

 

 サリアは何も言えなかった。

 現実が辛いからと夢に逃げる、それは間違っていると思う。

 だがこの子供は逃げている訳ではない。

 辛い現実がいつか良くなると信じ、その時の為に出来る事をここでしている。

 強制された訳でも無く、自分で選んでここに残りこの空間で生きている。

 

「こらこら、あまりサリアさんを困らせるのはやめなさい」

「お前は……」

 

 声をかけて来た人物をサリアは知っていた。

 何度もオペレーターとして共に戦場に立った事がある人物だった。

 そして彼は少し前に、戦場で重傷を負い体の一部を失っていた。

 

「お久しぶりです、サリアさん」

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 彼はサリアと話していた子供に、他の所で遊んで来る様に言った。その後少しばかり移動した後、サリアを近くに椅子に座る様に示す。そこはこの小さな町の離れた休憩所の様な場所だった。ここからは町の様子がよく見え、そこで生活している人々の姿も同じ様によく見えた。ここが現実ではないと分かっていても本物と全く変わらない風景に、サリア程の人物であっても脳が錯覚を覚える程だった。

 

「お前の名前もリストに載っていたな」

「ここにいる以上、そうなるでしょうね」

「ここは現実では無い。ただの拡張空間である夢の中だ」

「勿論分かっていますよ。現実の俺はこうして歩いたり出来ませんからね。今でも自分の体が爆発の炎に包まれ、手足が千切れて吹き飛んだ感覚は覚えています。あれはもうずっと忘れる事が出来ないでしょう。だからこそ、この場所が現実では無い事は良く分かっているんです」

「……」

「あれは油断した自分が悪い。完全な自己責任ですから、そんな顔しないで下さいよ」

 

 穏やかに落ち着いて話す彼は、作戦行動中に敵の仕掛けた爆発物にかかり、全身を焼かれ手足を失っている。医療チームの必死の治療により死こそ免れたものの、以前と同じ様な生活は出来ないのは明らかだった。目を覚ました当時の取り乱す様は相当なものだったと、彼の相棒からサリアは聞いている。

 

「サリアさん、あなたは強く正しい人だ。あなたを俺は本当に尊敬しています。だからあなたから見れば、ここにいる俺や他の人達は間違っている様に、ただ辛い現実から逃げている様に見えるでしょう」

「……否定はしない」

「現実の俺はベッドの上で寝転がっている事しか出来ないんです。誰かの助けがなければ食事も出来ない、もうオペレーターとして誰かを助ける事も出来ないんです。意識が戻って自分の現状を知った時、いっそ死んでいればと思いましたね」

「生き残った以上、出来る事はある筈だ」

「あなたはそう言うでしょうね。でも実際俺は何も出来ないんです。ここに居る殆どの人達がそうです。さっきの子だって同じだ。現実では人間らしい事が何も出来ない、苦痛と絶望だけが残って、ただ時間が過ぎて行くのを待つだけなんです。今日よりも明日、明日より明後日、日を重ねる度に死が身近なものになる。そんな毎日を生きていると言えるのでしょうか?」

「だからここに居ると?」

「ここは現実ではありません。でもここは現実よりも人間らしい生活が出来ます。現実では何も出来ない俺が、ここでは子供達に勉強を教え、畑を耕し、他の誰かを助ける事が出来る。夜になったら明日何をするか考えながら眠って、朝になったら一日の始まりを感じる。生きているって実感出来るんですよ」

「……」

 

「サリアさん、全部分かってくれとは言いません。ですが、ここに居る人達は現実から逃げている訳ではないんです。俺は違いますが鉱石病の患者、特に子供達は現実がきっと良くなると信じています。ロドスの事を信じているんです。その良くなる日を迎えるまで、ここで自分に出来る事をする。現実で何も出来ず苦しい日々を過ごすだけよりも、ここで自分達の未来の為に、少しでもやれる事をやっておきたいだけなんです」

「……」

 

「何も出来ない俺達にドロシー先生は選択肢をくれました。そして俺達は全員選んでここに居ます。何時の日か現実に帰る日が来るでしょう。もしかしたら帰る前に、現実の方で体が死ぬかもしれません。でも何もしないまま死ぬより、ここで未来に生きるかもしれない人達の役立つ事をしておきたい。未来の為に何かを残しておきたい。善悪で言えば、悪い事なのかもしれません。でも、ここの人達の選択を、彼らにとって最善だと思った選択を全て否定する事だけはしないで欲しいです」

「……私はここに居る事が正しい事だとは思わない。どれだけ苦しくても、現実の中で懸命に生きるべきだ」

「……やっぱり、俺とは違ってあなたは強く正しい人だ。だからあなたがここを閉じたとしても、きっと誰も恨まないでしょう」

 

 サリアはここに居る人々が何を思っているのかは理解出来た。だがそれが正しい事だとは思わない。この選択を選べるのは、彼らが『OZ(オズ)』と言う選択肢を与えられたからだ。更に言えば『OZ(オズ)』を利用しつつも、それに溺れる事なく現実で生きている人々も数多く存在している。しかし、ここに居る人々を全否定するのも間違っている気がした。彼らは自分達で選び、自分達の為にここで生きている。彼らなりに未来を信じ現在を生きようとしている。それは否定する事の出来ない、間違いない事実なのだ。

 

「……ドロシー先生には感謝しています。苦しみながら無為に生きるしかないと思っていた人達に、別の選択肢をくれました。子供達はドロシー先生の事を尊敬も込めて、別の名前で呼んだりしていますね」

「別の名前?」

「えぇ、ドロシー先生の前でそう呼ぶ事はありませんが『魔法使い』と」

「『魔法使い』だと?」

 

 

「『OZ(オズ)の魔法使い』ですよ」

 

 

 彼はそう言うと町の方へ歩いて行った。

 サリアは座ったままそれを見送る。

 町の中で人々と話すドロシーの姿が見える。

 

 彼女はこの世界の神でも無く、支配者でも無い。

 ただ人々に新しい選択肢を与えた、善意の魔法使いなのだ。

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 サリアはあれから何人もの話を聞いて、現実に戻って来た。話内容は多少の違いはあったものの、思っている事は殆ど同じだった。現実から逃げ出した訳でもない、押し付けられたわけでも無く、強制された訳でも無く、彼らは全員選んであの場所で生きている。これまで想像も出来なかった新しく与えられた選択肢をそれぞれが考え、そしてどうするかを決めたのだ。彼らの選択は確かに尊重されるべきだとは思う。しかしその事が正しい事であるとは、どうしても思えなかった。

 

「私の言っていた事は本当だって、分かって貰えたかしら?」

「確かに私が想定したものと、異なっていた事は認めよう。だがこれは決して正しい事でも良い物でもない。間違いは正すべきだ」

「……ドクターは、皆の役に立つ良い物だって言ってくれたのよ」

「そのドクターが眠っていても、同じ事が言えるか?」

「……どこまでの人達が知っているかは分からなかったけど、やっぱりサリアさんは知っていたのね」

「今はまだ影響は出ていない、しかし放置していい問題でも無い」

「つまりロドスの上層部の人達にとって、眠って居る人達はおまけでドクターが本命ね」

「……」

「残念だけれど、私はドクターが何をしているのか知らないの。作った側の人間としてはとても恥ずかしいのだけれど、ドクターの『OZ(オズ)』に対する理解度は私を超えてしまっているから」

「ドクターはお前の手に余るのは分かっていた筈だ」

「何かをしようと言う考えは無いの。ただ、私とドクターは良く似ているもの……」

「お前とあいつは違う」

「あなた達にはそう見えるのかもしれないわね」

 

 見ている物が違う以上、話は平行線にしかならない。

 だからどちらかが選択し、物事を進めなければならない。

 

「ドクターが眠って居るのは、ちょっと現実に疲れちゃったのね。だから少しだけ、お休みしているだけだと思うわ」

「適当な事を言うな」

「間違っているとも言えない筈よ。絶える事なく終わらない戦い、遅々として進まない研究。どれだけ立派な精神や志を持っていても、少しずつ擦り切れて行ってしまうもの」

「あいつは夢に逃げる様な奴ではない」

「PRTSによる作戦立案や戦闘指揮も安定しているのだから、もう少し休ませてあげれば良いのに」

「必要とされているのは機械では無く、ドクターと言う人間だ」

 

 ドクターが眠りにつく前から、PRTSによる作戦立案や戦闘指揮の安定性は大きく増した。それらはドクターが事前にそうなる様、数多くの経験を積ませたと言う事でもある。ドロシーの言った事に大きな間違いは無い、絶える事なく終わらない戦い、遅々として進まない研究と言うのも事実である。しかし、一つだけドロシーが言わなかった事がある。それはドクターが『OZ(オズ)』を使って休んでいる訳ではないと言う事。ドクターは『OZ(オズ)』の中で自分の忘れた記憶を探して旅をしているのだ。

 

 

 だがその事をドロシーが誰かに教える必要は無い。

 ドクターが選択した事を言いふらす必要なんて無いのだ。

 何故ならドクターとドロシーは同類であるから。

 自分自身の探求を抑える事なんて、きっと出来はしない。

 

 ドクターは必ず何時の日かサリアが現れると読んでいた。

 その事を前もってドロシーに伝えている。

 最終的に彼女達がどの様な選択をするのかを、分かっているのかもしれない。

 

 

 ”善”とは繋げる事なのだから。

 

 

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「皆には言っていないのだけれど、『OZ(オズ)』には最後の安全弁があるの」

「なんだと?」

「夢が夢だと認識出来なくなった時、その人は強制的に『OZ(オズ)』から切断され二度と利用する事は出来なくなるわ。どれだけ新しい子機を持ち出そうと、再接続を試みても『OZ(オズ)』の中に戻る事は出来ないの。これはドクターが決めた条件よ」

「……」

「だからあなた達が心配する『OZ(オズ)』に依存しきってしまう様な人間は、とっくに現実に戻っているの。眠ったまま残って居る人達は全て、夢と現実の区別がついている人達だけよ。ドクターの想定した通り、正しく選択している人達……現実の為に生きている人達なの。サリアさん、私達は話し合えばきっと、お互いを分かり合えると思うわ」

「お前と話し合う事は無い」

「……残念だわ。でもドクターはケルシー先生じゃなくて、きっとあなたが来るだろうって言っていたものね」

「私が来るのが分かっていて、あいつは放っておいたと?」

「そうね、ドクターはケルシー先生の事を『未来を信じ、現実に疲れている人』だって言っていたわ。だからあなたが来るだろうって。きっとドクターは自分の選択と、私達の選択を尊重しているのね」

「私から見れば、それは無責任と言うべきものだ」

「人によって捉え方は違うものよ? でも仕方がないわね、ドクターの言っていた通りになっちゃった」

 

 ドロシーはそう言うと手元の端末を操作し、『OZ(オズ)』の機能停止装置を取り出した。それを手に取り少し見つめた後、そっとサリアの前に置く。

 

「これはなんだ?」

「『OZ(オズ)』の機能停止装置よ。これを押せば全機能が停止して、中に居る人々は強制的に現実に帰る事になるわ」

「お前は邪魔してくるものと思っていた」

「私だって皆を守ってあげたいけれど、それだけじゃ駄目だって分かったの。それにサリアさんに争いで勝てると思わないし、物理的に破壊されるより私だって納得出来る気がするのよ」

「……一つ訂正をしよう。以前と比べ、お前は少し成長した様だ」

「私はサリアさんの選択を尊重するわ。あなたが彼らの事を考えて正しいと思った結果なら、きっとドクターも皆も分かってくれるもの」

 

 

 サリアは『OZ(オズ)』の中の人々の事を考えた。

 彼らの選択は否定されるべきなのか、彼らの選択は間違っているのか。

 私の選択は肯定されるべきなのか、私の選択は正しいのか。

 

 OZ(オズ)の魔法使いが作り出した、翠玉色の夢の都。

 多くの人々に選択肢を与え、希望を与えた善意。

 多くの人々に選択肢を与え、惑わした元凶。

 

 ドロシーの信じる善とは何か? 悪とは何か? 

 自分の信じる善とは何か? 悪とは何か? 

 そしてドクターの信じる善とは何か? 悪とは何か? 

 ドロシーが見守る中、サリアはその『OZ(オズ)』の機能停止装置を……

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

「あなたにとって”善”って、何かしら?」

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 ドロシー・フランクスは悪意の無い善人である。

 

 

【夢の都】 終

 

 




別サイト(Pixiv)に投稿していたもの
友人からこっち向きじゃないかと言われたのでお試しです。
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