アークナイツの短い話   作:十羽せろん

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ネクラスの正体を見破ろう


【桔梗の炎、大地に問う】

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「答えは……最後に聞くとしよう」

 

 

 

 

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 大地の上に命が溢れていた。

 

 ある時、炎がやって来て、争い腐りゆく命を見た。

 炎は暫くそれらを眺めた後、自らの炎で全てを焼き払う事を決めた。

 紫の炎が大地を焼き尽くし、焼け果てた大地の上を死者が闊歩する。

 死者の群れを眺めた後、炎は満足そうに、その大地を離れた。

 

 そして……いつの日か、また炎がやって来る。

 

 

 大地の上に死が溢れていた。

 

 ある時、炎がやって来て、死者の群れを見た。

 炎は暫くそれらと過ごした後、自らの炎で全てを焼き払う事を決めた。

 黄金の炎が大地を焼き尽くし、焼け果てた大地の下に命の種が生まれる。

 生まれたばかりの種を祝福した後、炎は悲しみと共に、その大地を離れた。

 

 やがて、大地の下から命が芽吹く。

 大地は新たな生によって埋め尽くされるのだ。

 

 そして……いつの日か、また炎がやって来る。

 

 

 

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 私は彼女がロドスにやって来てから、一度だけ会った事があるわ。勿論、偶然を装った訳でもなく、私の方からタイミングを見計らって会いに行ったのよ。彼女は監視の目を気にもしないで、ロドス艦内にあるバーで寛いでいた……

 

 実際にそうしていた訳じゃないのは理解しているけれど、表現としては適切だと思うわ。グラスを片手で揺らしながら、バー内に流れている音楽に耳を傾ける……そんな感じね。

 

 今となっては、殆ど彼女専用と言っても良いスペースに近づいて、そっと声を掛けようとしたの。きっと……私が来る事を予見していたんでしょうね。そうしたら、彼女は私の方を見もしないでこう言ったわ。

 

『お前が話をしたいのはどちらだ?』ってね。

 私がなんて答えたかは……重要ではないの。

 彼女がどちらの答えに対しても、応じてくれる事が重要なのよ。

 あなたには、分からないかもしれないけれどね。

 

 ダブリンの幹部……ヴィクトリアのスパイ……ロドスのオペレーター……

 私の立場も色々と変わっているけれど、あの場で彼女と話した事は多くはないわ。

 ちょっとした近況報告の様なものかしら。

 

 私の知る『エブラナ・ダブリン』は既に死を迎え、この世には存在していない。死者についての思い出を話してあげる事もできるけれど、残念ながら私にその気はないの。既に消え去った組織について記録しておく事なんて、もう残っていないわ。

 

 ──それに『常識を打ち破る力』を……この目で見たという事だけで十分に満足しているのよ。

 

 あぁ、オペレーター:ネクラスについて、私が知っている事は殆どないわ。

 知っている事と言えば……時々艦内のバーで寛いでいる事位かしらね。

 そしてもう一つ、彼女を制御出来る存在は極僅かしかいないとう事よ。

 

 この先、私が彼女について知っている事が増える事はないでしょうね。何故か? 

 ……私と彼女、お互いにもう会う気がないからよ。

 さっきも言ったけれど、私がその背を追った『エブラナ・ダブリン』はもう存在しない。オペレーター:ネクラスが、その対象になる事は決してないもの。

 

 もうこの辺で良いかしら? 

 これ以上話す事はないし、話す気もないの。

 

 精々、あなたも気を付ける事ね。

 彼女の炎に焼かれない様に。

 

 

 

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『私はかつての従者達には全員暇をやってな。加えて、エブラナ・ダブリンは既に死んでいる。かつて亡霊部隊と呼ばれたダブリンも存在しない。縛るものは既になく、お前が気にする様なものは何も残ってはいないさ』

 

『今後、お前が向かうべき所があるとすれば……いや、やめておこう』

 

『過去の亡霊の言葉を伝えるならば、お前はとても優秀な部下だった』

 

『お別れだ、オペレーター:ハーモニー……もう会う事もないだろう』

 

 

『……さようなら、リーダー』

 

 

 

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 こんにちは、ドクター。君からの手紙に返事を書くのが遅くなってしまった事を、どうか許して欲しい。ナ・シアーシャでやるべき事がとても多くて、中々落ち着いて筆を執る時間がなかったんだ。でも今は大丈夫、慣れない事も沢山あるけれど……皆の助けもあって少しずつ、上手に出来る様になっているよ。

 

 君達から教えて貰った事は忘れていないし、これから先も忘れる事もない。『ラフシニー殿下』……そう呼ばれる事にも随分と慣れてしまったけれど、私が『リード』として過ごした日々の中で得た良心と勇気は、この胸の中で確かに燃えている。だからいつの日か、君達とまた会う事があったなら……あの頃と変わらず私と接して欲しいな。

 

 本当はもっと伝えたい事や書きたい事があるんだけど、今の私の立場で君達に密に手紙を送るのは良くないみたいなんだ。だから、私の話は一旦ここで終わりにするよ。

 

 やっぱり姉さん……エブラナは、オペレーターとして暫くロドスに留まる事にしたんだね。うん、そうなる気はしていたんだ。君が手紙に書いてくれていた幾つかの心配事に関しては、必要以上に気にしなくて良いと思う。彼女は不必要に自分の力を誇示する事はないし、無意味にその力を行使する事もない筈だから。注意すべきは彼女自身ではなく、その周りの人々だと思う。

 

 もしも……一時の感情で彼女に力に頼って歯向かうような……そんな人がいるなら、その人の方を止めてあげて。エブラナにとって、ちょっとした『遊び』に過ぎなくても、きっとそれは『遊び』では済まなくなるから。私も君達のいる場所が、彼女の炎で焼かれる所は想像したくないし、見たくもないんだ。

 

 ドクター……前の手紙でも伝えたけれど、あの人は嘘をつかない。その口から発せられる言葉はその殆どが事実であり、本心に近いものだと思う。でも、あの人は噓をつくよりも、巧妙に編み上げられた事実で他人を誤導することを好んでいる。君にこんな事を頼むのは心苦しいのだけれど、誰かが彼女の言葉に踊らされて、不幸な目に遭わない様に気を付けてあげて欲しい。

 

 ロドスには純粋な人達が沢山いるから、あの人の言葉一つを重く捉えて混乱してしまう事がないように。ドクター、エブラナの存在に一番頭を悩ませている筈の君に、こんな事をお願いする私を恨んでも構わない。でも……私の知っている中で、君にしかお願い出来ないんだ。

 

 エブラナに気をつけて。何があっても、あの人の甘言や語気を荒立てた言葉に惑わされないで。誰かが、あの炎に魅了されない様に気を付けて欲しい。勿論、君自身も。

 

 エブラナを……彼女を──

 

 

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「『必要以上に信用しない様に気を付けて』」

 

 

 

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「!!」

 

 ドクターは耳元で聞こえた声に驚くと、大きな音を立てて飛び上がる様に立ち上がった。その衝撃で机の上に置いてあった資料や端末が、大きな音を立てて崩れ落ちる。手に持った手紙を握りしめ、慌てて振り返れば、そこには声の主がゆらりと影の様に立っていた。今しがた読んでいた手紙の送り主に瓜二つの存在、同時に似て非なる炎がそこにいた。冷え切った眼をして微かな笑みを浮かべて、ネクラスは先程とは異なる声音で挨拶をする。

 

「随分な歓迎だな。私に会えて嬉しいか? 学者」

「……いつから、そこにいたんだ?」

「お前が私に気が付いた時から、と言っておこう」

「……」

 

 ネクラスの答えに対し、ドクターは己の不用心を悔いた。それはつまり、最初からそこにいたとも受け取れる言葉だからだ。リードからの手紙の内容は、あまり彼女の目に触れるべきではない。そう考え、立ったままのドクターの姿を気にする様子も見せず、ネクラスはドクターが座っていた席の反対側に腰を下ろしていた。

 

「どうした? 立っていないで座るといい」

「君の方こそ、相席して良いと言った覚えはないのだが?」

「ここでは着席一つに、お前の許可が必要なのか?」

「──」

 

 ドクターは隠す事もせず、大きく息を吐き出すと、床に散らばった資料や端末を拾い上げる。そうして拾い上げた、それらを机の上に戻そうとして、既に残りの分が机の上にのせられている事に気が付いた。

 

「驚いたな、手伝ってくれたのか」

「意外か? 全てを自分の手で拾わねば気が済まないと言うなら、元に戻してやっても構わんぞ」

「いや……その必要はない。ありがとう、助かるよ」

「……」

 

 ネクラスは感謝の言葉に対して、特に反応は見せなかった。握りしめてしまった事により、潰れてしまった手紙を整えるとドクターは丁寧に封へと戻す。

 

「その手紙はラフシニーからのものだろう? あれも随分と上手くやっている様だ」

「やはり、後ろから文章を読んだのか?」

「いいや? 私に分かるのは……その手紙に記されている美しい文字が、ラフシニーのものだとう事だけだ」

「まるで答えになっていないな」

「フフ、そう警戒するな……学者よ。その手紙に記された文章が、私を痛烈に非難する内容や、私の殺害を促す内容であったとしても……私が気にする事はないのだから」

「君はそうだろうな」

「あぁ……成程……」

「なんだ?」

 

 多少の苛立ちを含ませたドクターに対し、ネクラスは変わらず笑みを浮かべたまま言葉を続ける。

 

「お前は先程、私があれに寄せて声を掛けた事が気に入らないのだな?」

「……」

「素晴らしい……学者、お前は姿形に騙される事なく、私とあれを正確に切り分けて捉えている。通りであれも、お前を信用する筈だ」

「君とリードを同一視出来る人の方にこそ、私は問題があると思うけどね。かつて彼女が君の影武者として活動出来ていた位には、君達の姿や声はよく似ている。だが、それもあくまで似ているという範囲に収まる程度でしかない」

「ほう?」

「君達は全く別の存在だ」

 

 確かに先程、背後から聞こえてきた声はリードの物によく似ていた。ドクターが驚いたのは、本来ここにいない筈の彼女の声が聞こえたからではなく、よく知る彼女の優しさとも言える温かさを一切感じられなかったからだ。だからドクターは、別の何かがリードに成り代わろうとしたかの様な感覚に襲われ、その悍ましさに飛び上がる程に驚いたのだ。

 

 

 事実、ネクラスは冷え切った眼を向け、微かな笑みを浮かべたままだった。

 そこにリードの面影はない。

 

 

 

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「私とあれは違う存在……か。では何故多くの者達が、我々を同一視するかを考えた事はあるか?」

「多くの者達? ここでは最初の混乱こそあれど、君達を同一視する様な人はいない筈だ。もっと言えば、君がここにオペレーターとして登録されている事を知っている方が少ないだろう?」

「……」

 

「──もしかして君は、旧ダブリンやナ・シアーシャの人々の事を言っているのか?」

「理解が早いな、学者。そう、お前の言う通り……あれらの事を指している」

「旧ダブリン……君が率いていた軍団について私が知る事は多くはない。ただ君の影武者として、リードが前に立つ事が出来ていたという事実について、君と相対してからは認める事は難しいな。あまりにも違い過ぎる」

 

 その言葉に対し、彼女は興味深げな反応を返す。

 

「ほう? だが、それは認めるしかない事実だ。ラフシニーは不本意ながらも……いや……当時のあれには、自己主張等というべき意思はなかったか。あれは部隊を率いて街を襲撃し、人をも焼き尽くした。お前達の元へ転がり込むまでは、あれは確かにダブリンのリーダーだったさ」

「君の言うそれらは、半ば強制されたものだ。……だが、君のダブリンはもう存在しない。つまり、その事実は当時を知る者しか知らないという事だ。更に君は……そのダブリンの残党を残らず始末したのだろう?」

「残党を『残らず始末した』という点については否定しよう。残るべき者は残り、去るべき者は去り、消えるべき者は消えた……ただ、それだけの事だ。事実、このロドスにも幾らかダブリンの残痕があるではないか」

「……」

 

「フフ、だが……そうだな……学者、お前の言葉を借りるなら、『ダブリンの残党の残党』と呼ぶべきか。そんな物語にもならない、これ以上ない程の惨めな存在が生まれない様にしたのは、事実である事は認めよう。言うならば、私なりの慈悲だろうな」

「──命を奪っておいて慈悲と来たか」

 

 ドクターはネクラスの言葉に、嫌悪感を隠す様な事をしなかった。

 ネクラスはドクターの態度に対し、何の反応も示さない。

 

「生とは死へと続くものだ。であれば、それをどう扱おうとも私の自由だろう。元よりダブリンとは死すべき存在であり、奴らはその目的と理想の為に、私の配下となる事を誓ったのだからな。利用すべき者は最後まで使い潰し、身の程を知らない愚か者には相応しい応報が降るものだ。最終的な結末を決めるもまた……君主の務めだろう?」

「──『生がいずれ死へと続くもの』という点については否定しない。君の様に極めて例外的な一部を除いて、生の終着点とは死なのは間違いないからな。しかし、それらは自然の流れの中で迎えるものであり、他者が決定する事ではないさ」

 

「フッ……フフフ、他者が……他者が決定する事ではない……フフフ……」

「何がそんなに面白いんだ?」

「分からないか? やはりお前は、お前自身にとっても致命的だな、学者」

 

 一人で勝手に納得した様に、くつくつと楽し気に笑うネクラスに対し、ドクターは身を投げ出す様に背凭れに体を倒す。多少の苛立ちと疲労感、様々な要素が精神力を削っている事を自覚し、一旦思考を切り上げる事を選択した。僅かな時間、目を閉じ、思考整理を行い目を開ける。視線の先には変わらず、冷え切った眼をして微かな笑みを浮かべるネクラスがいた。

 

「──旧ダブリンについては……不本意ではあるが一旦認めよう。では、ナ・シアーシャの人々については?」

「ナ・シアーシャの人々は、当初私を伝説の『赤き龍』として崇め奉り、私の発する言葉を疑いもなく信じた。守る理由や意義……そんなものなど殆どないと言っていい様な制度に従ったのだ。『(吟遊家)』は私がナ・シアーシャに、活路を残すつもりがなかったと非難したが……その批判は的外れであると言わざるを得ない。元よりあの疲弊しきった都市の人々には、どうでもいい事でしかないのだからな」

 

「どうでもいいだって?」

「そうだとも。学者、お前は極限にまで疲弊し、困窮しきった人々に『考える力』が残っていると思うか?」

「……」

「答えないか? いいだろう、私はお前の沈黙を許そう。人々にとって重要なのは、ダブリンの都市に『赤き龍』が戻って来たという事実のみだ。故に私の盲目的に言葉に従い、自らを縛り付ける制度を受け入れ、その身を焼く炎を受け入れた……」

 

 そこまで聞いて、ドクターはネクラスの顔を指で示す。

 

「──ネクラス、君は『赤き龍』が何者であるか、どんな顔をしているかは重要でないと言いたい訳か。ナ・シアーシャにもう一人の『赤き龍』がやってきても、その人物の顔が、自ら崇拝する『赤き龍』と瓜二つであっても、何の疑問も持たないと?」

「概ね正しいと言っておこうか。あの夜、ラフシニーが炎の渦から帰還し、ターラー復活を宣誓しても誰も疑問に思いはしない。『赤き龍』の中身が丸ごと入れ替わろうと、全くの別人に変わったとしてもな。学者、ここまで言えば分かるだろう?」

 

「……困窮し、疲弊しきったナ・シアーシャにいる大多数の人々にとって、真に重要なのは『赤き龍』の伝説であり、そこに個人は求めていない。『赤き龍』が、『エブラナ』という名前であろうが、『ラフシニー』という名前であろうが気にする余裕がない。伝説が自分達の元へと帰還し、ターラーの悲願が果たされる……」

 

 ドクターはそこで言葉を切る。

 

「人々は自分達の『君主』の顔など覚えていないという訳か」

「学者、お前は正しい答えを導き出した」

「しかし、君の話は今回の例に限った話だろう? 人々は君主の顔を覚えているものだ。例えばガリア皇帝……かの存在は肖像画として未だ、その地方の人々の支えや信奉の対象となっている」

「鋭い指摘である事は認めよう。だが私の話はお前の言う、『今回の例』以外の事については考慮していない。何故ならばお前の問いは、ヴィクトリアの獅子に王座と権力を簒奪され、その一族を死へと追いやった結果……名前のみが残っている『赤き龍』の話だからだ」

「……」

「話の揺さぶりはお前の得意とする所だろうが、残念ながら今回は無駄に終わったな」

「……」

 

 エブラナの話の軸は間違ってはいない。だが、あのナ・シアーシャでの起きた出来事に関して、全て正確に話しているとは思えなかった。リードからの手紙の内容で幾らかは把握している。しかしそれらは、あくまでの彼女の主観と目撃した範囲の事しか分からないのだ。この目の前に座る紫の炎の持ち主が、何を考え、何を目的に、事を起こしたのかは本人にしか分からない。ネクラスは情報の扱い方、言葉の使い方を熟知している。正しい情報の順番を並べ変える事で、相手の理解と意識を思い通りに動かす。

 

 

「存外、お前のフードとマスクの下に隠されている顔が……別の誰かと入れ替わっていたとしても、大体数は気が付かないかもしれんぞ?」

 

 

 ネクラスの、彼女のやり方はドクターと似ている様で異なる。

 彼女は言葉の中に嘘は混ぜない。

 その口から放たれる言葉は、良くも悪くも全て事実なのだ。

 

 対して……ドクターの言葉には嘘が含まれている。

 

 

 

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「結局、君は何処まで行っても暴君という事か」

 

 ドクターはそう言うと、机の上に広げていた資料や端末を片付け立ち上がる。ネクラス、彼女に対するドクターの評価と方針は未だ定まってはいない。今回の会話の中でも、それらを見極めようとしたが、得られるものは殆どなかったのだ。荷物を抱え、早々に立ち去ろうとする背中に声が聞こえる。ドクターは何を言われても、振り向かず立ち去る選択肢を取るつもりだったのだが──

 

「当たり前の事を言ってくれるな、学者。この私が心優しい施政者という存在になれるものか。ラフシニーが暴君の道を進まず、正しき王道を望むように」

「……」

「お前が考えている様に、『正しさ』だけで何かが救えると思うか?」

 

 その言葉にドクターは思わず立ち止まり、振り返ってしまった。

 ネクラスは変わらず悠然と座ったまま、正面の空席を指で示す。

 ほんの僅かな逡巡の後、元の場所へと戻り席に着く。

 

「──賢明な判断だな」

「……」

「学者、お前は自らが抱える疑問や思考に関わる題材を投げられると、罠であろうと食いつかずはいられない。貪欲かつ強欲、それでいて躊躇がない。それはお前が持つ、素晴らしい素質であり……憐れな性質でもある」

「君が勝手に想像する、私の性質についてはどうでもいい。ネクラス、君は『正しさ』だけでは、何も救えないと考えているのか?」

 

「勿論だとも。正しさ、清廉さ、高貴さ……人々を魅了し求めてやまないこれらは、単体では何の役にも立ちはしない」

「それは何故だ? 『正しさ』というのは、それ単体でも十分に人々に救いを与える筈だ。正しい統制、正しい治世、強欲な暴君よりも……公平な君主の方が人々にとっても受け入れやすく、また信奉の対象にもなるだろう?」

「その問いは……既にお前自身が答えを述べている」

「なんだって?」

 

 想定していたような反応が返ってきたのか、ネクラスはつまらなそうに言う。

 

「お前は自分が信じたいものに対しては盲目的だな。狂信的と言ってもいい」

「言っている意味が分からないな」

「──まぁ、良いだろう。『正しさ』……あるいは『公平』とでも言おうか、これらが価値を持つのは『不公平』というものを人々が理解している事が前提になる。生まれてから死ぬまで外の世界を知らず、暴君の圧政の元で生活し続け、他の事を一切知らない人間達は、圧政に不満を持つようになると思うか?」

「……」

 

「思考停止した世界では反発は生まれない。何故なら、考える力が育つ事がないからだ。強欲な暴君による圧政、不平等な治世、権力者による搾取……これらが間違っていると知っているからこそ、人々は正しい統制、正しい治世、公平な君主を褒め讃えると言えるだろうさ」

「人々が思考し、変化を求めるには圧力の経験が必要であると?」

 

 ドクターは腕を組み、少しばかり考える様子を見せる。

 

「ネクラス、君の言う前提については分からなくもない。『不公平』を知っているからこそ、『公平』というものの価値が分かるという点についても同意しよう。しかし、『正しさ』という点で言えば、『不公平』という前提が無くても成立する筈だ」

「ほう? 『正しさ』だけがあれば人々は満たされた生活が送れ、同時に公平性と秩序が齎されると?」

「そうだ」

 

「……では教えて欲しいな、学者よ。今のこの大地の上に、お前の言う……正しい統制、正しい治世、公平な君主が治める国があるのか?」

「それは……」

「ないだろう? 存在する筈もない」

 

 この大地の上には様々な場所がある。

 その中に『正しい』と言える国はあるのだろうか? 

 

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 戦争の歴史:軍国のウルサス、王位の簒奪:権力闘争のヴィクトリア

 発達と戦乱:巨獣狩りの炎国、都市と荒野:分断のクルビア

 過去の栄光:腐敗のカジミエーシュ、裏切りと滅亡:廃墟のカズデル

 排他的な楽園:偽りのラテラーノ、雨と群れ:暴力のシラクーザ

 格差と搾取:差別のリターニア、偏見と弾圧:停滞のイベリア

 悪魔と穢れ:崩壊のサーミ、過信と破滅:傲慢のエーギル

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 多少の変化は散見するが、正しさからは程遠い大地。正しい統制、正しい治世、公平な君主……そう言ったものからは程遠い国々。過去の歴史の中では、確かに正しい統制の時代があったのかもしれない。しかし、現在ではそれらは過去へと消え、多くの部分が失われてしまった。

 

 人々が作り出した筈の黄金の時代、多くの人々が永遠に続く様に願った筈の時代。しかし歴史を振り返れば、人々はあっと言う間にその時代を食い尽くし、全ては過去の栄光と遺物に成り果てている。

 

 

 

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「人は欲に忠実だ……暴君を糾弾し、革命によって、その統治を終わらせた救世主が、新たな統治の先に新たな暴君となる事は珍しくない。繰り返される圧政の先に、比較的安定した統治が行われる。そして暫くの安寧を享受した後、人々はそれに飽きるのだ。あれ程に望んだ筈の正しい統制、正しい治世……名君による退屈な行いが煩わしくなり、新たな権力や利益を求め、高らかな主張の元に、自らが望んだ筈の『正しさ』を大衆が焼き払う」

「……」

「学者よ、人とはそういう生き物なのだ……残念ながらな」

 

「君の言う通り、今この大地の上に正しいと言うべきか……理想となるべき国が存在しない事は認めよう。それでも人々は常に前に進む事を選んでいる。争いを乗り越え、武器ではなく手を取り合う事で、少しでも良い方向へと進む努力をしている」

「それは大衆が現状を間違っていると、辛うじて認識出来ているからに過ぎない。正しい道は遅々として進まず、お前の言う間違った道は、短期間のうちに数多くを飲み込んで行く。私は言った筈だ……『正しさ』だけでは、何かが救えないとな。お前のその弁明は、私がこうしてお前の前に存在している時点で、私の発言を肯定する事にしかなりはしない」

「……」

 

 ネクラスはドクターの弁明を一蹴する。この哀れな生き物の為に、彼女は丁寧に道を潰して来たのだ。目の前の哀れな生き物は、『正しさ』だけが何かを救う事がないと理解している。理解しているにも拘らず、その事実から目を逸らし、『正しさ』という一点に縋っている。

 

『正しさ』単体では何も救わない。それは不便で厄介な枷に過ぎないからだ。

『正しさ』とは、力によって生み出された過去の遺産を整えたものでしかない。

 

 過去の『正しさ』とは、現在の『正しさ』ではない。

 現在の『正しさ』もまた、過去の『正しさ』ではない。

 そしてまた……未来の『正しさ』も異なるのだろう。

 

『正しさ』とは指標である。

『正しさ』を示す為には別の基準が必要になる。

『正しさ』はそれ単体では価値も意味も持たない。

『正しさ』、それは相反するものが存在して初めて主張を許される。

 

 ならば、『正しさ』を求める為に……力が必要だ。

 全てを焼き払い、新たな『正しさ』を生み出す為の炎が。

 

「大抵の場合において、暴君が荒れた大地を切り開き、圧政により道を作る。その後を公平な君主が整えるだけに過ぎない」

「……なら君もリードの為に、道を作ってやっただけだと言うのか?」

「面白い指摘だな。もしも、私が『そうだ』……と言ったら?」

「リードは王座を望んではいなかった。彼女が望んでいたのは、ほんの小さな田舎の小屋で足りる様な生活の筈だ。手に届く範囲の幸福、手に届く範囲での平穏な生活……それを君は無情にも焼き払い、ターラーの王座に座らせたんだ」

「お前らしい非難だ。しかし悲しいかな……残念ながら私達には必要な事だ」

 

「君『達』? 君にとって必要な事ではないのか?」

「──私は腐り切った大地を焼き払い、新たな炎を灯した。面倒で複雑な繋がり、権力を我が身に結び付け、炎と共に消し去った……多少血に濡れた王座ではあるが、そのまま明け渡すよりかは……幾分か座りやすくなったと言うべきだろう。幾つかの道を焼き払い、あれの選択肢を潰したのは認めよう。だがな、学者よ……あれは最後に自らの意思で、王座に座る事を決めた。そして今に至るまで王を名乗った訳ではないのは、お前も知っての通りだ」

「……」

 

 ネクラスは楽しそうに言う。

 

「学者、そう遠くない未来……ターラーから王座は消えるだろう。『伝説の赤き龍』もまた……あれが好む詩集や物語の中にしか存在しなくなる」

「断言するのか?」

「当然だ。あれは己と向き合い、気高さと強さを備えた、私の愛すべき妹なのだからな。決して認めようとはしないだろうが、君主としての素質は十分に備わっている」

 

「それが事実だとしても、君の行いは褒められたものじゃない」

「残念ながら、その批判は無意味だ。お前が何を思い、何と言おうとも……これは私とラフシニーの問題であるからな」

「余所者が口を挟むなと言いたい訳か」

「それは違うな」

 

 ネクラスは微かに首を振り、否定して見せる。

 

「学者……お前はラフシニーの可愛らしい夢と理想の為に、私がターラーの王座に就いた方が良かったと思うか?」

「それは……」

 

 リードの、ラフシニーの夢の為に、ネクラスは……エブラナが王座に就くべきだったのだろうか? 強過ぎる力で亡霊部隊を束ね、鉄公爵との繋がりを保ったままの状態で。あの変形者やナハツェーラーの王とも……互角に渡り合える実力を持ち、障害となる民間人を躊躇なく虐殺出来る暴君。そんな彼女が血にまみれた王座から、高らかにターラーの復活を世に知らしめるべきだったのか? 

 

 果たしてそれは、今よりも良い状況になるのだろうか? 

 

「答えは、既に分かり切っている事だ」

「……」

「喜ぶと良い、学者よ。お前の言う、『正しさ』が私とあれの犠牲によって証明されている」

 

 ネクラスは冷徹に命を数値として見る事ができる。

 犠牲、それによって得られる対価を正確に推し量っている。

 何を切り捨てるべきか、何を支払うべきかを知っている。

 

 リードは命を数値として見る事はしない。

 犠牲、それによって失われる対価を苦慮の果てに知る。

 何を差し出しているのか、何を支払ったのかを理解出来る。

 

 ネクラスは自らの命を犠牲として差し出し、リードも自らの夢を犠牲として王座へと差し出した。故に現在、最善と呼ぶ他にない形でターラーは収まっているのだ。過去の悪名を重ねた亡霊部隊は、ターラー国防軍の一部に統合され、もはや単独では存在しない。領土問題、交易、それらは前の『リーダー』からは想像もできない程に、慎重で柔軟になった外交姿勢は注目を浴びこそするものの、批判の声は上がらず、本来あるべき姿として捉えられている。

 

暴君(エブラナ)』が消え去り、『賢君(ラフシニー)』がやってきた結果、数々の汚名や不安、外交的摩擦、強固で暴力的な姿勢は『暴君(エブラナ)』に結び付けられ、既に存在しないのだから。

 

 これらは喜ぶべき事である事は間違いない。

 しかし、最初から『賢君(ラフシニー)』だった場合、こんなにも上手く行ったのだろうか? 

 

 そこでドクターは気が付いた。

 ネクラス……彼女の力は大地の全てに向けられている。

 暴力、権力、傲慢、策謀……彼女が積み重ねた『力』の全て。

 

 結局の所……彼女はそれらの使い方を示しただけに過ぎないのではないか? 

 ネクラスがリードに対して求めた事は、『リーダー』となる事ではない。

 姉の姿に隠れる事のない、『意志の強さ』だ。

 

「一つ、君について分かった事がある」

「ほう?」

 

 ドクターは、一つの答えに辿り着く。

 

「ネクラス、実の所……君が本当の意味で関心を持ち、気にかけているのはリードの事だけなんだろう?」

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

 ドクターの言葉に対して、ネクラスが大きな反応を見せる事はない。肯定するでもなく、否定するでもなく、ただ冷え切った眼をしたまま……微かな笑みを浮かべるだけだった。彼女が何も言わないのは、何も『言えない』のではなく、何も『言う必要がない』からに過ぎない。ドクターは知る由もないが、かつてのエブラナは、何も言わない何も求めないラフシニーに変化を求めていた。幾度も問い、遠回しな変化を促し、その意志を問う。

 

 ──────────────────────────────────────

 ──お前はどうだ、ラフシニー? お前は何を望む? 

 

 お前の血と教養はお前を高尚にさせた、これは素晴らしい事だ。だが、もし何も求めるものがないのなら、私はお前にどんな地位を与えてやればいい? 

 

 言うがいい。これは雪の夜の願い……どれだけ大きな野心だろうと許してやろう。

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 結局の所、望んだ結末とは……行きつく所迄、行ってしまわないと分からないものだったのだ。血に濡れた王冠も血に染まった王座も、最終的な結果でしかない。ただ……それだけ時間が掛かってしまったというだけだ。

 

「フフ……いつまでも、雪夜に震える子供のままではいられまい」

「もっと、やりようはあった筈だ」

「姉の影に甘んじて生きるようでは困るだろう? 己の力を自覚し、受け入れる必要がある」

「……」

 

「もしも……私達が『伝説の赤き龍』等という血統でなかったら、この様に壮大な物語の終わりには……ならなかっただろう。あれが己の出自が故に、力を抑え込んで生きる事を強いられ、両親を失い、『ワーウィック伯爵(先生)』の都合の良い手駒として育てられる事もない。教えて欲しいな……学者、この絵物語の様になっていた私達は、ほんの小さな田舎の小屋で足りる様な生活を夢見ただろうか? 手に届く範囲の幸福、手に届く範囲での平穏な生活を望んだのか?」

「──君はずっと……そんな事を考えて生きて来たのか?」

「さて……な」

 

 ネクラスはドクターの言葉をするりと避けて返事をする。

 

「……」

「随分と不満そうだな、学者? だが安心すると良い……姉とは妹の事を愛し、常に気に掛ける存在なのだからな」

 

 満足したのか、そう言うとネクラスは立ち上がり、そのまま去ろうとする。

 

 最後に発した言葉に、きっと嘘はないのだろう。リードは過去の手紙で、『死が訪れるその時まで会うつもりはない』と書いていた。だが……やはり、この大地の上で生きている以上、会って話をするべきではないだろうか? ネクラスはリードの事を『正しい』形ではないのかもしれないが、大切に思っているのだから。

 

 であれば、話し合う事で別の道を……正しい道を作る事が出来るかもしれない。

 ドクターは自身が持つ、善性的な考えに従って言葉を発する。

 

「ラフシニー……リードには、本当に会うつもりはないのか?」

 

 ネクラスの歩みが止まる。

 

 ──────────────────────────────────────

『お前は自分が信じたいものに対しては盲目的だな。狂信的と言ってもいい』

 ──────────────────────────────────────

 

 この時のドクターは、この言葉に込められた意味を分かっていなかった。

 

 彼女がゆらりと揺れる炎の様に振り返る。

 

「外でなら問題があるかもしれないが、ロドス内であれば場を用意する事も──」

 

 ドクターはそこ迄言って、ネクラスが冷たい眼を向けている事に気が付いた。

 これまでとは違う、心の臓まで凍り付きそうな程の眼。

 

 離れていた場所に立っていた彼女は、音を立てず滑る様な動きでドクターの前まで戻って来る。この時、ドクターは死が間近に迫っているのを感じた。

 

 座ったままのドクターを見下ろし、ネクラスが『普段の声音』で言葉を発する。

 

「……それは私『達』への侮辱のつもりか?」

 

 ドクターは直感的に自らの誤りを悟る。

 ドクターの善性的な考えは、ネクラスにとってはそうではない。

 ドクターの考える『正しさ』とは、ネクラスにとってはそうではない。

 

「……すまない、そんなつもりはなかった」

「──私はお前に対しては寛容だ。それに、誰にでも間違いはあるものだからな……今回は見逃してやってもいい」

「君の寛大さに感謝するよ。本当にすまな──」

「しかし……」

 

 次の瞬間、ネクラスはドクターの胸倉を掴み、細い腕からは想像も出来ない力で引き摺り立たせた。そしてドクターの耳元に顔を近づけ、恐ろしい程の低く冷たい声で囁いた。

 

「肝に銘じておけ、学者……二度目はない」

 

 返事を待たず、ネクラスは乱暴に手を放す。

 支えを失ったドクターは辛うじて、その場に倒れ込むような事にはならなかった。

 そんなドクターを一瞥する事も無く、彼女はその場を立ち去る。

 

「……」

 

 喉元に残る冷たさを感じ、自らの手で押さえる。

 彼女がその気になったなら、次の瞬間には確かに自分は死んでいた。

 

 一瞬にして体を萎縮させ、命の熱を奪う。

 ネクラスは……正に『死』そのものだと、この時はそう感じた。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

 あの出来事以降も、ネクラスは態度を変える事なくドクターと接している。

 それから暫く後、ドクターは一つの答えを出す為、行動を起こす事を決める。

 

「……私は、ネクラスに対し答えを出さなければならない」

 

 その為に必要な要素を整え、そして実行に移す事にしたのだ。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

「……本当に私が部隊長をやるんですか?」

 

 ロドスの作戦立案室の中で、比較的経験の浅いオペレーターは目の前のドクターに対し、困惑を滲ませた声音で、そう尋ねていた。部屋の中には二人しかおらず、目の前には様々な作戦記録やオペレーターのプロファイル情報が並べられている。

 

「何か問題が?」

「いや、問題という事は無いですけど。私そんなに経歴長くないですし、まだまだ未熟な部分も沢山あるじゃないですか」

「君は『将来的に皆を守れる部隊長を務められるようになりたい』と話していたと、人事部の方から聞いている」

「そうは言いましたよ? 確かに……そう言いましたけど……」

「自信がないか?」

「……率直に言うとそうですね」

「……」

 

 そう呟くとオペレーターは目線を下げてしまう。

 ドクターは手元の資料を見つつ、幾つかの情報を選び出し、目の前の若いオペレーターの前に並べて見せた。

 

「確かに君は若いし、経験も多くは積めていない。それは事実だ。しかし、君は君の目標に向かって日々努力をし、部隊指揮系の勉強、シミュレーションを利用した鍛錬に余念がない。その点は教官達からも高く評価されている事は伝えておこう」

「……」

「これらの評価は、決して見せかけだけではない。戦場や任務中における、君の視野の広さや発想の柔軟さは、確かに部隊長として必要な素質なんだ。これらの点を考慮して君には間違いなく、部隊長としての適性がある」

「本当に?」

「本当に」

 

 オペレーターはその言葉を聞いて、少しだけ顔を上げた。

 

「これは君だから話すという事でもないが、隊長を担える素質を持つ人材はとても貴重なんだ。だからこそ早くから経験を積ませ、ロドス外でも独立して状況判断できる様になっているチームを数多く作っておきたい」

「それって最近、慌ただしくやってる話の事ですか? 各地域に人材を多数派遣して、一時的に各支部で独立稼働させるって」

「……そうだな」

 

「もしかして……ロドス本艦に何か大きな問題でも起きるんですか?」

「──それは分からないよ。ただ……現実にそれが起きた時に、手遅れにならない状態にしておきたい」

「……」

「これはケルシーやアーミヤの方でも、それぞれ目的に合わせて行っている事だ。将来的にはケルシーが選出した医療チームと君のチームが、一緒に活動する事にもなるかもしれない。その時、君には……君の部隊と医療チームを守れる隊長となっていて欲しい」

「……」

 

「急な話で君に対して、困惑を与えてしまっている事は申し訳なく思っている。それでもどうか、この話を引き受けてくれないか?」

「──分かりました。やってみます」

 

 ドクターの言葉に対し、オペレーターは決心した様に正面を向いて答えた。

 

「ありがとう。君の決心と選択に心から感謝する」

「上手くできるかは……分かりませんけどね」

「勿論、最初から完璧を要求するつもりはない。これから着実に、実地での経験を積んで行く事が重要なんだよ」

「ドクターの言い方からすると、もう既に任務が決まっていそうですね」

「察しが良いな」

「先輩から似た様な話を聞いた事がありますから」

 

 オペレーターの言葉に頷きつつ、ドクターは端末を見せる。そこには作戦実行日と担当メンバー及び目的について、詳細な作戦内容が表示されていた。

 

「野盗となった感染者グループの身柄の確保……ですか?」

「そうだ。少し前、町に立ち寄ったオペレーターから聞いた話でね。元々感染者ではなかった人々が、感染者となった事で仕事を奪われ町から追い出された結果……野党となり近隣に被害を出している」

「……よくある話ですね」

「そうだな。彼らが活動を始めた時期から推察するに、まだ重度の感染状態となっていない筈だ。だからこそ、早めに身柄を確保し治療を受けさせたい。彼らの犯罪行為がこれ以上大きなものになる前に……全員生きて拘束するのが目標だ」

 

「全員、生きてですか?」

「相手はまだ、暴力行為に対する拒否反応が残っている。だから現状では『窃盗・強盗』行為で済んでいる。これが『殺人』行為に発達する前に、なんとしても確保するんだ。彼ら自身の為にもね」

「元々は健全な仕事に従事していた人達ですし、確かに多少の抵抗はあるかもしれませんが……確保自体は難しくないですね。此方の説得に応じてくれるかどうかは、今の段階では分かりませんけど」

 

「大まかな作戦内容は、そこに記載されている通りだ。あとは現場の判断で行動してもらいたい。君と選出したメンバーなら、十分に目標を達成できると、私は判断している」

「……」

 

 オペレーターは真剣に作戦内容を読み、作戦実施時における疑問点や対応法等を熱心にドクターへ質問した。自身の能力を過信せず、数多くの展開を想定するのは部隊長として必要な能力だ。

 

「他に疑問点がなければ、事前の打ち合わせはこれ位にしておこう。後は君が詳細を詰め、参加メンバーに説明してあげて欲しい」

「最後に一ついいですか?」

「勿論」

「この……バックアップには誰が入るのでしょうか?」

「──そこにはネクラスが入る予定だ」

「ネクラスさん……こう言ったら怒られるかもしれませんけど、あまりにも戦力過剰じゃないですか?」

「君の疑問は最もだろう。だがネクラスが君達の任務に対し、直接関わる事はない」

 

「と言うと?」

「君達の作戦行動中に、第三の勢力が現れた際の対処に彼女を使う。出来たばかりの野盗グループというのは、同業者にとっても、都合の良い獲物になりえるからね」

「……? まぁ、確かにそうですね」

「兎に角……君達は、ネクラスについては考えなくていい。最初から、いない存在だとでも思っておいてくれ」

 

「それは……作戦行動中にネクラスさんが行った事について、一切触れるなという事でしょうか?」

「──そう受け取って貰っても構わない。残念だが、彼女は君の手には余るだろう」

「……」

 

「そろそろ、私は次の打ち合わせに向かわなければならないが……君はどうする?」

「私はもう少し、この部屋で作戦の詳細を考えます」

「分かった、あまり無理はしない様に」

 

 ドクターは広げた資料を片付け、必要なものだけを抱えて部屋の出口へと向かう。

 その姿が扉の向こうへ消える前、オペレーターの声が響く。

 

 

「ドクター、どうして他の経験豊富なオペレーターではなく……あの人を選んだんです?」

 

 

 その問いに対し、ドクターが答える事はなかった。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

 部屋の中で若いオペレーターは、あらゆる要素を想定し作戦を考えている。

 大抵の事は問題ない、選出されたメンバーであれば十分に対応できる筈だ。

 例え、第三の勢力が現れたとしても。

 

 ネクラス……ドクターは何故、彼女を作戦に加えたのだろうか。

 本来想定される任務内容に対して、異常過ぎる選出。

 記録を見る限り、彼女は容赦がなく……戦場の支配者だ。

 

「──ドクター、この作戦……何か隠していませんか?」

 

 その問いに、答えられる人物はいない。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

 ──後日

 

 ネクラスは今回の任務における主戦場から、遥か後方に待機していた。彼女は既に、他の作戦参加者達の事を微塵も気にしていない。何故ならこの作戦、時間は掛かるだろうが、失敗する事等は決して有り得ないからだ。参加者達は誰もが若く、経験豊富とは言い難い。しかし、彼らは日々訓練を重ね、目的に対する遂行能力は間違いなくある。

 

 部隊長に選ばれたオペレーターもドクターの選抜で、部隊長として重要な素質と才能を持っている。そんな彼らが、最近暴力を使い始めた『野党崩れ(民間人)』という連中に後れを取る筈もない。彼らは確実に時間をかけて相手を宥め、落ち着かせ、説得し、全員を生かして確保するだろう。

 

 この作戦内における、ネクラスはバックアップだ。

 決して起こる事のない、不測の事態に対する暴力装置。

 

 ドクターが彼女をこの作戦に加えた事には、別の理由と目的がある。

 

 主戦場から遥か離れた後方にて待機していたネクラスは、視界の端で動く影を見た。その人影は一つではなく複数であり、何処か周囲を伺う様子を見せつつも、洞窟の中に入っていく。複数の戦場に立って来た彼女の経験から、彼らは今回の主戦場の方から流れてきた者達だと即座に断定する。そして彼らが入っていた洞窟こそが、隠れ家であり現在の本拠点なのだろう。

 

 何故、今回自分がこの退屈な戦場に配置されたのかを理解した。

 同時にドクターが、この状況において自身に何を求めているのかも理解した。

 あの人間達からは死の気配を強く感じたからだ。

 腰掛けていた岩から、ゆっくりと立ち上がると、滑る様に移動する。

 

「……その誘いに乗ってやろう」

 

 そう零した彼女の言葉は、一体誰に向けられたものだろうか? 

 

 

 ネクラスは見張りも何もない洞窟の中に迷う事なく踏み入り、この奥に隠れているであろう存在達に声を掛ける。彼女の紫の炎が、彼女自身をより恐ろしい存在のように照らす。洞窟の壁や天井に、彼女の影が大きく浮かび上がる。ゆらりゆらりと揺れる影は、これから全てを焼き尽くさんと口を開く龍の様だった。

 

「此処に隠れている憐れな者共に告げる。抵抗は無意味だ」

 

 彼女の冷たい声は洞窟の中によく響く。

 それは確かな、恐ろしさと冷酷さを伝えていた。

 

「一度だけ、お前達に投降する機会をやろう。『あれ』もそれを望んでいる様だからな」

 

 返事はない。

 彼女は一歩、洞窟の中へと踏み込んだ。

 

「考える猶予が必要ならば、少し位は待ってやっても構わんぞ」

 

 微かな反応。

 彼女は更に一歩、洞窟の中へと踏み込む。

 

「勿論、逃亡を選んでもいい。それが出来るならの話だが」

 

 死だ。死が近づいて来る。

 彼女が一歩進む度、洞窟の中の空気は冷えて行く。

 

「返答を聞こう」

 

 次の瞬間、突如として複数の矢がネクラスに向けて放たれる。

 彼女はそれを避けようともせず、ただ淡々と眺めていた。

 矢は彼女に届く前に悉く燃え尽き、灰となって地面へと落ちて行く。

 

「……これがお前達の判断か?」

 

 これから死に行く者達が驚き、息を呑むのを感じる。

 

「実に愚かな選択だ。自らの前に立つ相手が何たるかを理解出来ないとは」

 

 炎が膨れ上がる。

 

「選択には必ず代償が伴う。どの様な選択であってもな」

 

 ネクラスが手を上げると、龍が現れ口を大きく開く。

 

「お前達は選択を間違え続け、その代償として……ここで死ぬ定めとなった」

 

 彼女は掲げた手を軽く動かした。

 

「──実に残念だ」

 

 次の瞬間、紫の炎が洞窟を焼き尽くした。

 一切の躊躇も、一切の慈悲もなく、全ての存在を焼き尽くしたのだ。

 男も女も関係ない、大人も子供も関係ない、戦闘員も非戦闘員も関係ない。

 彼女の与える死は平等だ。

 温度のない炎は全ての痕跡を掻き消し、もう何も残ってはいない。

 

「……学者、これはお前が選択した結果だ」

 

 ネクラスは何の感情も籠っていない声音でそう呟く。

 洞窟の中は恐ろしい程の静寂に包まれ、生き物の気配は一切なかった。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

『あなたは待機場所を離れて……何をしていたんですか?』

『見るべきものを見ていただけだ』

『……あの洞窟には何もなかったんですね?』

『お前が来た時には何もなかったとも』

『……』

『……勘が良いのは結構な事だが、使い所を誤るべきではないな』

『……』

『あそこでは気にすべき事は、何も起きなかったのだから』

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

「ネクラス!!」

 

 大きな問題もなく任務より帰還し、各種手続きを進めていたオペレーター達の耳に、突如として聞こえてきたのは怒声だった。その場にいた大多数が、響き渡った声の主を探して視線を動かしている。そのあまりに怒りのこもった声の主が、誰であるかを瞬時に理解出来た人はあまりにも少なかったのだ。

 

「親愛なる学者よ、随分と熱烈な出迎えだな」

 

 怒りと共に名を呼ばれた当人は、こうなる事を知っていたかの様に悠々と返事をし、ドクターの方へと歩いて行く。この光景を見た事で、先程の声の主がドクターである事を理解した人々は、誰もが驚きの表情を浮かべていた。そしてすぐさま、あまりにも険悪な空気に、この後どうなるかを不安げに見守っている。

 

「ネクラス……一体どういうつもりだ?」

「何か問題があったか? お前の立案した作戦は、お前の選びだした者達の手によって『完璧』に遂行された筈だ」

「……『完璧』だって? よくも、よくも、そんな事を言えたな」

「フフ、私に怒りの感情を向けるのか学者? しかし……あまり慣れない真似はするべきではないな」

「なんだって?」

「短時間であれば……新鮮な気持ちで接する事もできるが、その後は滑稽にしか映りはしない」

「……」

 

「事実、作戦はお前の『想定した通りの犠牲』しか出ていない」

「君がした事については、どう説明するつもりだ?」

「説明が必要か? お前は既に理解しているだろう?」

「私は──」

 

 ドクターが何かを言おうとする前に、ネクラスは自らの口の前に人差し指を立てて見せる。そして周囲に聞こえない様、静かに言葉を続けた。この憐れな生き物は、現在自分達がどれ程の注目を集めているか……気付いていないのだから。

 

「まずは冷静になったらどうだ? 私としては、この場でお前の議論に付き合う事もやぶさかではない」

「……」

「だがこの場で、『それ』についての議論を行う事が……お前にとって有利に働くとは思えないがな」

「……」

 

「何故、この様な簡単な任務に私を加えたのか……あの場で何があったのかを、参加した無辜の者達に知らしめるのが、お前の望みか? そうであるならば、私は喜んでそうしよう。だが……その結果が何を齎すかを、お前は理解していない訳ではないのだろう?」

「──場所を変えよう」

「学者、お前は賢い選択をした」

 

 ネクラスの言葉を聞くとドクターは背を向け、早足で通路へと歩き出した。

 冷たい笑みを浮かべると、ゆっくりとした動作で彼女は後を追う。

 

 その姿に先程、多くの命を奪った事に対する呵責はなかった。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

 ドクターはネクラスを引き連れたまま執務室へと戻り、自身の椅子へと乱暴に座った。机の上にある機器の電源を入れ、次々と操作をしていくが、その最中で一度足りとも、ネクラスの方を気にする素振りを見せない。当のネクラスも部屋の主の行動など気にする事もなく、悠然と応対用の椅子に座り寛いだ様子を見せている。

 

 やがてドクターは作業の区切りがついたのか、大きく息を吐き出した後で言葉を放つ。

 

「……今回の作戦内における君の行動に関して、何か弁明等はあるか?」

「お前は何について、私に弁明して欲しいのだ? 作戦中に勝手に持ち場を離れた事か? それとも……『奴ら』を皆殺しにした事か?」

「……ネクラス」

「フフ、そう睨むな。あぁ、勿論……分かっているとも。お前が何に対して怒りを覚えているかを」

「それは?」

「簡単な事だ。学者……お前は私がこの作戦における、お前の意図について理解していたにも関わらず、私がその全てを一蹴した事について、怒りを覚えているのだろう?」

「……」

 

 ドクターはネクラスの言葉に大きな反応はしなかった。

 

「しかし、残念ながら……私がお前に対し、弁明する様な事はない。お前は多数の手間をかけ、私を作戦に加えた……その意図を理解し、可愛らしい願望を叶えてやっても良かったが……それはただ、お前の自己満足を満たす為の働きに過ぎない」

「私の自己満足?」

 

「そうだとも。お前は私に、あの場にいた連中全ての命を奪う事なく、無力化する事を望んでいた。多少の手間が増えるが、それ自体は難しい事ではない。そうしていれば、私は今こうしてお前に問い詰められる事もなく、今日以降もロドスの中で安寧の立場を享受する事が出来ただろう」

「何が言いたい」

「一度……互いの立場を、はっきりさせておこうと思っている」

 

 ネクラスはそう言うとドクターを指さす。

 

「学者、お前は勘違いをしているな」

「勘違い?」

「お前は『それ』に気付いていながら……見ないふりをし続けてきた」

「……」

「私がお前に頭を垂れるのではない」

「……」

「お前が私に頭を垂れるのだ」

 

 ロドスという組織においての立場の話をするなら、ドクターが上でネクラスが下である。しかし、現在ネクラスが示しているのは、ロドスという組織の話ではない。それはひどく個人的な、一対一の立場の話だ。

 

『私が上で、お前が下だ』と、そう伝えている。

 

「……発言の意図を聞こう」

「いいだろう。確かに私は現在オペレーター:ネクラスとして、ロドス内に一定の地位を築いている。これまでの作戦や行動についても、なるべくお前の期待に沿うようにしてきたつもりだ。だがその結果として、お前に誤った印象を植え付けてしまった。これは私のお前に対する甘さが招いた事だ」

「……」

 

「既に分かっているのだろう? 私は特別、ロドスの指針や方針に賛同している訳ではない」

「──その点については認めよう。だが君はそれでも……ロドスに対し一定の理解を示してくれていると思っていた」

「……『一定の理解(企業理念)』はな。ロドスもまた美しいところだ。どのような者でも、ここで己の命を自由に書き記すことができる」

「だからこそ、君がこうして私を話をする事も許されている」

 

「フフ、ここは……まるで無数の血肉と引き換えに生み出された想像上の都市のようだと思わないか?」

「ロドスは想像上の都市ではない、現実としてこの大地の上に存在している」

「素晴らしき理想、気高い信念……幻像は儚く脆い、なるべく長持ちさせねばな」

 

 ドクターの言葉の意味を理解しながらも、ネクラスはその核心から僅かにずらした言葉を放つ。

 

「ネクラス、君は何が言いたいんだ?」

「学者……お前は人という生き物全てが、特定の環境の中で生活してれば、その環境に染まって行くと思うか? 数多くの人間を葬って来た存在が、ある場所に居ついたからと……全ての隣人を愛す様になると思うか?」

「……人は変わる事の出来る生き物だ」

「同時に変わる事の出来ない生き物でもある」

 

 ドクターはネクラスの言葉に対し何も言わなかった。

 何も言えなかった。

 

 ネクラスは、ロドスの理念に触れても変わらなかった。

 ロドスという組織の元で活動した所で、その価値観が変わる事はなかったのだ。

 

 ──────────────────────────────────────

『私の臣下どもは他人の命運を操ることに夢中だ。中には独り善がりな陰謀家も、腑抜けた空想家もいるが、人の命を消費するとなると、どいつも冷血極まりない。私か? フフ、操る者だろうが操られる者だろうが、命の終点は私の元にある』

 ──────────────────────────────────────

 

 何故ならネクラスはもう、人という枠組みの中にいないのだから。

 彼女の血管に流れているのが血か、それとも彼女の炎なのかは分からない。

 その事実を知るドクターは、彼女に対し何かを言える立場ではないのかもしれない。

 

 一方、ネクラスはドクターの態度等を気にする素振りも見せず、言葉を続ける。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

「学者、お前は人を殺した事がないのだろう?」

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

 ドクターは、ネクラスが発した言葉の意味を考える。これまで自分の指揮や作戦において、数多くの位置を奪って来たという自覚はある。終わりを迎える必要のなかった命は、数多くあった筈だった。もっと深く話合えていれば、衝突する事もなかった人達も沢山いた。自らの信念の為に、踏み込まなくてもいい争いに割って入った事もあった。

 

 数多くの結果の先で死に直面する事は、決して珍しい事ではないのだ。ドクターは若干俯きつつも答えを出す。

 

「──命の終わりを見届けた事は沢山ある。私が命を奪ってしまった人々も……また大勢いるだろう」

「……」

 

 何の反応も示さないネクラスの方を見れば、彼女は無表情でドクターを見ていた。

 普段の冷たい笑みもなく、ただじっと見ていた。

 

「ネクラス?」

「──私はずっと疑問に思っていた」

「何を?」

「お前から発せられる濃厚な死の気配は、一体どこから来るのだろうとな」

「さっきの私の答えを……聞いていなかったのか?」

「勿論、聞いていたとも。だがその気配は、ロドスで命を落とした患者や、ロドスが殺した敵が発するようなものではない。学者、お前は優れたチェスの指し手だ。この大地の上で、お前と同等にそれを行える者は多くはない」

「……」

 

「だがその中でも、お前は人を殺した事がない。命を奪う存在であるにも関わらず、直接手を下す事がないのだ。他者を操り、謀略を巡らせ、必要な手駒を最適に操り……死に追いやる。お前は自身はいつだって、『死』を操りながらも、その外側にいるのだ。己の言葉一つで、他者を死に追いやる事が出来る。耳あたりの良い言葉を浴びせ、崇高な理念を謳い、正義の為だと他者を煽って、死に向かわせる。そしてお前は結果だけを……ただ見ているのだろう?」

「そんな事は……そんな事はない!!」

 

 ドクターの怒りの感情を含んだ言葉を、ネクラスはさらりと受け流した。

 

「では、聞こうか……学者……お前は一度でも己が殺すと決めた相手を、自分自身で手を下した事があるのか? 武器を手に取り、相手の臓物を引き摺り出した事は? 矢を放ち、それが相手の体を貫いた事は? 戦いの中で無我夢中に、相手が動かなくなるまで殴りつけた事があるのか?」

「……」

「ある筈もないだろう? お前はいつだって……自ら手を下さずに死を操り、他者を死に贈る側なのだから。お前は全身血に濡れているが、その手だけは未だに清潔さを保っている」

 

「指揮官というのはそう言う立場になる事もある」

「お前の主張を認めよう。学者……お前の様に指揮官と呼ばれる者共の中には、直接手を下した事のない奴もいるとな」

「なら──」

「しかし、しかしだ……学者よ。どうしてお前はそんな、幾度も戦場を生き延びた戦士よりも濃い死臭を纏っている?」

 

「──私は皆が思っている様な……善良な人間ではないというだけだ」

「この期に及んで、まだ『分からないと』言う真似事を続けるのか? それとも私の口から、全て語られる事を望むのか?」

「……」

 

 微かに呆れた様子をみせるネクラスに対し、ドクターは無言を貫いた。

 

「お前から発せられる濃厚な死の気配、その正体は幾度にも及ぶ裏切りだ。お前自身が既に覚えていなくとも、過去の選択と亡霊達は、お前を決して逃しはしない。学者……どれだけの裏切りを重ねれば『そう』なるのだ? 一体何を殺した? 共に歩んだ仲間全員を裏切りによって、闇へと葬り去ったのか? それとも一国を憂う善良な君主を、謀略によって死の淵へと追いやったのか?」

「……君に話す様な事はない。過去の私の行いについて、許されない事があった事は認めよう。だが今は……少なくとも、私は君の様に無意味に人の命を奪ったりはしない」

 

 

 その言葉を聞いて、ネクラスは深い笑みを浮かべる。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

「お前は今、『無意味に人の命を奪ったりはしない』と言ったな」

「それがどうかしたのか?」

「喜ぶべき事だ、学者。お前は最初の問いに戻って来た」

「最初の問い?」

「何故お前は今回の作戦において、私が奴らを皆殺しにした事に怒りを覚えている?」

「……」

「この作戦を立てた時点で、既に奴らが何者であるかを知っていた筈だ。これまで何をして来たのかもな。学者、お前は無意識的に判断したのだろう? 『奴らは死んでもいい人間だ』とな」

「……」

 

「黙秘するか? それは自白しているのと同じだ。罪を見逃された連中が、再び罪を犯す。泣いて詫び、許しを請い、人の善性を利用する連中は必ずいる。お前が望む様に、『誰にでもやり直す機会』は与えられるべきなのかもしれない。だが……その機会を与えられた人間が、正しい選択をするとは限らない」

「それでも、全ての人にはやり直す権利が与えられるべきだ。どれだけの罪を持っていたとしても……」

「崇高だな。しかし、その崇高さは皆に理解されるとは限らない。命乞いをした連中を見逃し、善性に目覚めてくれると期待するのは結構だ。だが、お前が見逃した連中が、次にまた他者の命を奪う」

 

「……君の言うそれは、極端な場合の話だよ」

「苦しい言い訳だな……私が皆殺しにしたのは、そういう連中だ。知った上で私をテストする為に、お前はその命を消費させた。そしてお前は、自分が考えた作戦が思い通りの結末を迎えなかった事に怒りを覚えているのだ」

「……」

「無意味に命を奪う事はしない……しかし、同時に意味があるならば躊躇なく奪う」

「……」

「素晴らしいな。お前はいつだって、他人の死を自らの采配で決めている」

 

 この時になって、ドクターは過去にネクラスが言った事を思い出した。

 

 ──────────────────────────────────────

『生がいずれ死へと続くものと言う点については否定しない。極めて例外的な一部を除いて、生の終着点とは死なのは間違いないからな。しかし、それらは自然の流れの中で迎えるものであり、他者が決定する事ではないさ』

『フッ……フフフ、他者が……他者が決定する事ではない……フフフ……』

『何がそんなに面白いんだ?』

『分からないか? やはりお前は、お前自身にとっても致命的だな、学者』

 ──────────────────────────────────────

 

 あの言葉は既に、こうなる事を知っていたから出たのだろうか? 

 あの時既に、自身の内にある傲慢と言うべき考えを見抜いていたのだろうか? 

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

「お前は多くの盤面において奪う側だ。しかし……そう遠くない未来、お前も奪われる側になるだろう」

「君に言われるまでもなく、私は既に多くのものを失っている」

「ただ漫然と『ずっとそこにある』と思っているもの程、失う時は一瞬なのだからな」

「何の話をしている?」

「死の気配というのは、その瞬間が訪れるよりも前に、眼に見える形で現れるものだ」

 

 その問いかけに応じる事もなく、ネクラスは懐から小さいナイフを取り出す。余りにも唐突な行動に、ドクターの警戒心は跳ね上がった。一瞬、その手にしたナイフで、自分の命を奪おうとするのかと考えたが、すぐさまその考えを捨て去る。何故ならば、彼女はその様な手間のかかる事をする必要もなく、一瞬で死を与える事が出来るのだから。

 

 しかし、彼女は椅子に座ったまま動こうとはしなかった。

 ナイフの刃を観察する様に眺めた後、口を開く。

 

「学者、私を恐ろしいと感じるか?」

「それは一体、何の真似だ?」

「お前は私が恐ろしいかと聞いている」

「……」

 

 ドクターは次の言葉を慎重に選んでいる。単純な話で言えば、確実にネクラスは恐ろしい存在だろう。彼女の操る力は絶大で、彼女自身も既に人という枠から外れている。しかし、本当に恐ろしいのは『それら』なのだろうか? 

 

 ナイフの刃に映る自分の顔を見ながら、ネクラスは語る。

 

「私という存在は、お前にとって恐らく理想の手駒だ」

「……理想だって?」

「目的が達成されるのであれば、死地に手駒を送り見捨てても構わない。目的が達成されるのであれば、勝てる見込みのない相手へ、時間稼ぎに手駒を使っても構わない。多数の敵が待ち構える場所に、手駒を放り込み、そのまま知らぬふりをしても構わない。幾重にも及ぶ理性によって隠された……お前の苛烈な指揮の根底にあるのは、そういう思考なのだろう?」

「……」

 

「主義主張に囚われず、下された命令に反しない純粋な暴力。犠牲者として数に加える必要もなく、戦場において死を操り、死を持って手駒を増やす……そして死の主たる炎は死ぬ事はない。広がり続ける炎は、死が存在する限り消えはしないのだ。死を振りまき、炎を分け与え、どれだけ弱り果てようとも、終わりには再び一つに戻り蘇る。酷使しようとも死なない存在は、お前にとって理想の筈だ」

「まるで『枯朽の王庭』の様な話だ。それに君が、素直に命令に従い続けるとは考え難い」

 

「──『理想である』と言う点については否定しないのだな。かの戦場で相見えたナハツェーラー・ネツァレム、あれもまた死を操る存在だったが……奴の力は死そのものではなく、死から新たな『生』を生み出す再生に近い。そしてあれは『現時点』では死に絶え、私は二度の死から舞い戻っている」

「君の言う、『それ』が本当かどうかは確証がもてない」

「なら……試してみるといい」

 

 そう言うとネクラスは椅子から立ち上がり、一瞬の内にドクターの手にナイフを握らせ、自らの首にその刃を当てる。突然の危険な行動にナイフから手を離そうとするが、ネクラスの手によって上から握られ、手放す事ができない。

 

 少しでも力を加えて手を引けば、その刃はネクラスの首を切り裂くだろう。

 

「これ以上は冗談では済まされないぞ。手を離せ、ネクラス」

「私は試してみろと言っている」

 

 そう言うと、更に力を籠めドクターの手を抑え込む。

 じわじわと冷たい灼痛が広がって行く。

 

「お前が手を引けば、この刃が私の首を引き裂くだろう。そこから噴き出すのが血か……あるいは炎か……お前も興味がある筈だ」

「手を離せ」

「無事に私が死ねば、お前達にとって厄介事を抱えた存在が一つ消える。喜ばしい事ではないか。もしも、私が生きていれば、お前は殺人の経験と……理想の手駒を手に入れられる」

「……手を離せ」

 

「私の生還を認められなければ、首から上を切り離し鉄箱にでもしまっておけ。この胸にラフシニーが置いて行った槍を突き刺し、牢の壁に縫い付けておくのでも構わんぞ」

「手を離せと言っているんだ、ネクラス!!」

 

 ドクターの叫びに対して、ネクラスが動じる事はない。

 冷静さを失い続けるドクターに対し、彼女には笑みを浮かべる余裕すらあった。

 

「学者、何をそんなに怯えている? 目の前に迫った死が恐ろしいのか? それとも……自ら手を下す勇気がないだけか?」

「君は……」

 

「さぁ、最後の機会だ……学者、私が恐ろしいか?」

「私は──」

 

 

 

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【冒険者達】の手によって、【強欲で傲慢な龍】の首が大地へと落ちた。それを見届けると【冒険者達】の大半は、洞窟の中に積まれていた財宝に夢中となっていて、無我夢中で財宝を漁り、これ以上入りもしないのに袋へ入れています。

 

【賢者】はそんな【冒険者達】には目もくれず、切り落とされた頭に近づきました。

 すると、首を切り落とされ、死んだ筈の【強欲で傲慢な龍】は目を開き問いました。

 

『これで満足したか?』

『……本当に首を落としても生きているとは』

『当然だ。この大地の上に死が存在する限り、私もまた死ぬ事はない』

『君を殺すにはどうしたらいい?』

『簡単な話だ。死そのものを取り除く、あるいは私の対となる龍の炎で焼き払うかのどちらかだ』

 

『対となる龍はそれを望んでいないのに?』

『死を操る炎と生を与える炎は元々一つだった。だが、ある時を境に二つに分かれたのだ』

『なら……いずれまた一つに戻る時が来ると?』

『そうだ。死とは即ち、生きている物が自然と迎える終着点の一つに過ぎない。であれば死を操る我が炎も、やがて自然と消えて行くのが道理だろう?』

 

【強欲で傲慢な龍】は目を動かし、歓声を上げ財宝に溺れる【冒険者達】達を見ました。

 

『なんとも愚かな事だ。正義や弱者の為、暴虐な龍を退治し民を救うと謳っていながら……この有様か。人の欲とはこうも心変わりさせるものなのだな』

『……彼らには何が見えている?』

『自らの終わりと欲望だ』

 

【冒険者達】は壊れた様に笑いながら、泥を巻き上げ、壁を掻き毟り、土を袋へと入れている。彼らは泥で手が汚れようと、壁を掻き毟る事で爪が剝がれても、袋が土の重さに耐えられず破けていようとも、気にする素振りを見せません。

 

 彼らの眼には現実は映っておらず、夢にまで見た金銀財宝しか映っていないのです。

 

『──さて』

 

【強欲で傲慢な龍】の首が燃え上り、自らを焼き尽くします。

 切り離された胴、地面に転がった首が燃えて落ちる。

 しかし、紫の炎は熱さを感じさせる事はなく、ただ冷たさだけを伝えていました。

 そうして炎が収まると、そこには【強欲で傲慢な龍】が無傷で居座っていたのです。

 

『強欲で狂気的な【賢者】よ、お前はこうなる事を分かっていたのだろう?』

『……』

『奴らがお前に便乗し、都合の良い名声を手に入れようとしていた事を』

『そうであっては欲しくなかった。だから彼らを信じ、こうして君の元へとやって来た』

 

『結果は……お前の予見した通りだったな。幾つも重ねた罪をまとめて裁いてやれば良かったのだ。そうすれば、まだ人として死ぬ事が出来ただろうに』

『彼らはもう助からないのか?』

『強欲と妄執に溺れた者共は、自らの炎に焼かれ灰になるだけだ』

 

【強欲で傲慢な龍】と【賢者】が再び【冒険者達】を見ました。あれ程にまで笑い続けていた【冒険者達】は、泥や岩、砂を抱えて、ふらふらと歩き回っているではありませんか。やがて彼らは膝から崩れ落ちると、聞き取れない譫言を繰り返すようになりました。

 

 そして目に炎が灯り、口の中から紫の炎が溢れ出します。

 溢れ出した炎は【冒険者達】の身を包み、灰となるまで優しく燃えていました。

 

『お前の優しさによって、奴らは人として死ぬ事も出来なかったな』

『──私は……人と人が分かり合う為に必要な事とは、話し合い、お互いを『許す』という事だと思っている。お互いの間違い、欠点、罪を許し合えれば、世界はきっと良い方向へと向かって行く筈なんだ。例え、どれだけ小さい範囲であっても、少しずつ周りへと広げて行く事ができれば……いずれは──』

『随分と傲慢な話だな』

 

【強欲で傲慢な龍】が欠伸をしながらそう言ました。

 

『……傲慢だって?』

『お前の言う『許す』とは、一体どの視点での話をしている? 人の良心や道徳に訴えかけるという考えは結構だが、それが本当に目に見える形で、効果を表す所を見た事があるのか? その場凌ぎの許しや話し合いの結果、後に起きた出来事をお前は数多く知っている筈だ』

 

【強欲で傲慢な龍】の顔が迫り、口を大きく開きます。

 その気になれば、【賢者】を呑み込み、容赦なく噛み砕いてしまうでしょう。

 

『……』

『一見そう見える時も、それはその場限りの粗末な演劇の様なものだ。幕が下り、役者が立ち去れば、それぞれが元の生活へと戻るだろうさ』

『君は『許す』という行いが、間違っていると?』

『そこがお前の愚かな所だ。何故、己が間違っていると考えない?』

『私が?』

『基準と判断を持たず、ただ『許す』という行いは無関心と変わらない』

『……』

 

『強欲で狂気的な【賢者】よ、お前は『正しくあらねばならない』という妄執に取りつかれている』

『……妄執』

『己を抑える必要がどこにある? お前に毀滅の欲望があるように見える。何も我慢することなく、全てさらけ出せばよいだろう』

『……欲望の制御は生きて行く上で必要な事だ』

 

【強欲で傲慢な龍】は微かに炎を吐き出しました。

 

『半端に正しく聞こえる分……頑なにもなるか。一番楽な道に逃げていれば、欲望や快楽に飢えを感じる事もあるまい』

『逃げている? 私が? 一体何から逃げていると?』

『理想と現実……あるいは、命に釣り合いを求める行為とでも言うべきか』

『……』

『お前は誰よりも強欲だ。だが、己の内に巣食う、その強欲さを認める事ができないでいる。それを認める事ができなければ、お前はいずれ自己破綻を迎えるだろう』

 

【強欲で傲慢な龍】の薄い緑の眼が、【賢者】を見つめます。

 その眼は【賢者】の中に眠る、欲望の炎を見通しているかのようではありませんか。

 

『お前は賢人ではある様だが、君主ではない。お前がどれ程に渇望しようとも、王道を行く存在になる事は永遠にない』

『死と犠牲を受け入れろと言いたいのか?』

『そうではない。死と犠牲、その果てに得られる生を……正しく掴む事を覚えるべきだ』

『……』

 

『──それが出来なければ……お前が私をもう一度殺すよりも前に、我が炎がお前に死を与えるだろう』

『君は──』

 

【賢者】が問いかけは、【強欲で傲慢な龍】の羽搏きによって掻き消されてしまいます。

 

『また会おう、強欲で狂気的な【賢者】よ』

 

【強欲で傲慢な龍】はそう言うと、炎に包まれ一瞬で姿を消してしまいます。

 洞窟の中にはただ一人、【賢者】が立ち尽くしていました。

 

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 ──ロドス艦内のバー 

 

「こんばんは。相席してもいいかしら?」

「ここ以外にも、空席がある様だが?」

「折角、こんなにも素敵な場所で、素敵な音楽が流れているのだから、誰かと共有すべきだと思うの」

「──噂に聞く、楽園の追放者か……好きにするといい」

 

【強欲で傲慢な龍】の返事を聞いて、【長い黒髪のサンクタ】は同じ卓に座った。メニュー表を手に取り、注文を決めると手を上げバーメイドを呼ぶ。

 

【どこかぼんやりしているリーベリ】は注文を聞くと、黙って頷きカウンターへと向かう。【表向きは爽やかなペッロー】は、【どこかぼんやりしているリーベリ】から注文内容を聞くと対象の作成に取り掛かる。

 

 バーには現在、ゆったりとした音楽が流れている。生演奏ではなく、蓄音機から再生されているものだったが、曲の良さが損なわれる事はない。

 

「……」

「……」

 

【強欲で傲慢な龍】は前に座る【長い黒髪のサンクタ】には目もくれず、バーの入り口付近に視線を走らせた。そこには【無表情のサンクタ】が、此方の様子を観察する様に立っている。あれが目の前にいる、これの監督係なのだろうと判断した。最も正しく制御出来ているとは……露程にも思っていないが。

 

 蓄音機から流れる音楽が、次の曲に切り替わる。【長い黒髪のサンクタ】は、バー内にいる他のオペレーター達を観察しながら、指でリズムを取っていた。対して、【強欲で傲慢な龍】は冷ややかに笑ったまま、目の前の人物だけを観察するかの様に、じっと座っている。

 

 それから間もなく、【どこかぼんやりしているリーベリ】が注文の品を持って来る。【長い黒髪のサンクタ】は礼を言って、それを受け取ると香りを楽しんだ後、口に含む。暫く無言の時間が過ぎた頃になって、ようやっと本題に入った。

 

「あなたの奏でる音は、とても落ち着いているのね。もっと激しい衝動か旋律が……渦巻いているのかと思っていたわ」

「人とは、他者に対して勝手なイメージをもつものだ。それは一種の願望でもある」

「願望?」

「そうだ。他者に対し、『こうであって欲しい』と思う勝手な願望だ。あるいは『思い込み』とも言えるだろう」

「あなたは他者に対して、そのような感情はもたないのかしら?」

「感情を否定する気はないが……私はお前ほど無礼ではない」

「──フフ、確かに今のは少し……無礼だったかもしれないわね」

 

【強欲で傲慢な龍】と【長い黒髪のサンクタ】は、揃って微かに笑う。

 

「ロドスの中で、あれだけの騒ぎを起こした人がどんな人なのか、とても興味があったの。だからどうしても……直接会って話をしてみたかったのよ」

「お前の勇気を認めよう。興味を持ちつつも、直接訪ねる意志のない者共ばかりだったからな」

「それは仕方のない事だと思うわ。あなた程の相手になると、萎縮してしまうのも無理はないもの」

「私を前に萎縮するのは、自身に対する自信がないからだ」

「あら? 自信を持っていると、あなたの前に座る事が出来るの?」

「追放者、お前がそうだろう?」

 

 そう言うと、【強欲で傲慢な龍】は自分のグラスに口を付けた。

 

「──お前は、ある分野においては、絶対の自信を持っている。違うか?」

「本当に、あなたの言葉に嘘偽りはないのね。あなたから発せられる音色は、どれも澄んでいるもの」

「……」

「そうなるまでに、あなたは一体何を経験してきたのかしら?」

「追放者……身勝手な親近感や、歪な感情の理解は……己の身を滅ぼすと知るべきだな」

「あなたの忠告には感謝するけれど、私がその程度で止まる事がないのは……知っているでしょう?」

「あの監督係も、随分と厄介なものを押し付けられたものだ」

「あら、彼は私の扱い方を誰よりも心得ているわ。そして、私の命が尽きる時は、あの愛しい弟の手によるものだと……確信しているのよ」

「──ほう?」

 

【長い黒髪のサンクタ】に対し、【強欲で傲慢な龍】はこの時になって、正しく意識を向けた。自らの終わりを、自らの血縁者に定めている……同じく傲慢な存在である事を理解した。方向性や問いかけ方が違うものの、目の前の人物もまた……死や終わりに対しての答えを探している。

 

「追放者よ、死を理解するつもりならば……一度死んでみてはどうだ?」

「とても素敵な提案だけれど、残念ながら……そこに私の求める答えはなさそうね」

「残念だ……お前なら、実践できるだろうに」

「誰でもあなたの様に、全てを自分の思うままに動かせるわけではないもの。私は私の望む方法で、この大地の上に問いかけて答えを得るのよ」

「ならば私も、お前が答えを得るのを待つとしよう」

 

 二人は揃って、この出会いが終わりを迎えるのを感じた。

 

「機会があれば、またあなたと話が出来ると嬉しいわ。その時は是非、あなたの妹さんの話が聞かせて欲しいわね」

「楽園の追放者(たびびと)よ、お前がそう望むなら……必要な時期に、炎が我々を引き合わせるだろう」

「次の演奏会には、是非あなたにも来て欲しいわ」

「フフ……気が向けば、そうしよう」

 

 そんな日が来ると本気で思っているのか、そんな日が来ると全く思っていないのか……【強欲で傲慢な龍】と【長い黒髪のサンクタ】は、再び揃って微かに笑った。それが二人の会話の終わりの合図であり、お互いの関心はそれぞれ別のものへと移ってゆく。【長い黒髪のサンクタ】は蓄音機から流れる音楽に、耳を傾ける事に注力していた。

 

【強欲で傲慢な龍】は席から立ち上がり、カウンターで清算を済ませる。加えて【表向きは爽やかなペッロー】に用件を伝え、前々から保持しているワインボトルを受け取った。彼女はこのバーテンダーが警戒心を持ちつつも、笑顔を貼り付けている事を理解している。恐らくは【どこかぼんやりしているリーベリ】を守る為の健気な行動なのだろう。ワインボトルを持ったまま、【無表情のサンクタ】の前を通り過ぎる。双方、一瞬視線を動かしたが何かを言う事はなかった。

 

 

「いつもの事ながら、ご苦労な事だ」

 

 

 ロドス艦内で常に感じる気配に【強欲で傲慢な龍】は、そう呟くと自身を監視するエリートオペレーター達を気にする事なく、悠々と歩みを進める。暫く廊下を進んだ後、立ち止まって窓から空を見た。残照により空は美しい黄金色に輝いている。

 

 きっと今夜は、月が美しく見えるだろう。

 

 

 

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『……では、いつなら良かったんだ?』

 

『よく晴れた昼下がりに、私と善悪を巡る議論をじっくりと重ねた末に、その槍をこの心臓に突き入れたかったとでも言うのか?』

 

『お前は戻り、私と共に踊ってくれた。それだけで十分だ』

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 ──■■■■

 

 ある日、ドクターは疲れた体を引き摺って、気分転換にロドスの甲板へと向かった。道すがら空を見れば、空気が澄んでいるのか星空がよく見える。若干息を切らしつつも到着した場所には、既に先客がいる様だった。甲板に置かれたテーブルセットに腰掛け、優雅に星空を眺めているその姿は、月明かりに照らされて美しく見える。

 

『美しさ』と『恐ろしさ』というのは、ある種では同一であるという話もある。ドクターはこの時、なんて事のない……そんな話を思い出していた。

 

「ネクラス、君も天体観望の趣味があったのか?」

 

 近づきながら声を掛けたドクターに対し、ネクラスは表情を変えずに応対する。

 

「疲れている様だな、学者。甘いものはどうだ? 準備してやってもいい」

「……あてはあるのか?」

「あての酒? もちろん用意している」

「……あんな事があったのにも拘らず、君は変わらないな」

「フ……私からすれば、あの様な事は些事に過ぎない」

「だろうな。どうせ私に拒否権はないのだろう? ご相伴にあずかるとするさ」

「素直さは美徳だな、学者」

 

 まるでドクターがこの場に現れる事を予見していたかのように、そう言いながら彼女は菓子に加えて、ボトルと二つのグラスを取り出した。

 

「ヴィクトリアの……いや、旧ガリア領の葡萄酒か?」

「そうだ。お前は『黄金の丘』を見た事があるか?」

 

 ネクラスはグラスに酒を注ぎながら問う。

 

「──『黄金の丘』? それは葡萄畑の丘の事か?」

「流石だな、よく知っている」

「実物を見た事はない。知識として知っているだけだ」

「葡萄畑の葉が紅葉に染まり、太陽の光を浴びる事で『黄金の丘』となる。そして風に揺られる様は、『黄金の波』とも呼ばれているな。あれは中々に美しい光景だ……機会があれば、お前も観ておくといい。最も過去の大戦によって、その多くは失われてしまっているが」

「……」

 

 ドクターは目の前に置かれたグラスを見る。その中に注がれた酒は、言ってしまえばただの葡萄酒という分類に過ぎない。しかし、そこには長い歴史と人々の進歩が刻まれている。過去から未来へと伝えて行く筈だったそれらは、現在では大多数が失われようとしている。この葡萄酒もそう遠くない未来には、一本も残っていないのかもしれない。

 

 グラスに注がれた葡萄酒をじっと眺めた後、ドクターはそれを口に含んだ。

 ネクラスは何も言わない。

 

 それから暫く両者は何も語らず、ただ星空を眺め、酒を飲む。

 ロドスの甲板から遠くを見れば、微かに灯りが灯っている場所が見える。

 きっと小さな村だろう。

 溢れかえる程には豊かではないが、貧しくはない満たされた生活。

 手に届く範囲の、手に収まる範囲の幸せ。

 人の生活とは……きっとそれで良かった筈なのだ。

 

「──ネクラス」

「なんだ?」

「私は君が恐ろしい」

「ようやく答えが出たのか? お前にとって、私の何が恐ろしいのだ? 力か? それとも死を飼い馴らしている事か?」

「──確かに、君の力は強大で恐ろしいものだろう。死を操り、死を乗り越えた事も脅威となり得る。だがそれらは、一番の脅威ではない」

「……」

 

「君という存在において、最も恐ろしいのは……死を操り、死を乗り越え、死を飼いならして尚、生に執着している事だ」

「……ほう、面白い着眼点だな? 私が死ではなく、生に執着していると?」

「そうだ。君は以前言っていたな……死や権力が君を作り上げたのではなく、死や権力が偶然、君の意のままに操れる様な形に育っただけだと」

「確かに、お前にもそう言ったな。だが、それがどうして、生に執着する事に繋がる?」

「君はまだ、現状に満足していないのだろう?」

「……」

 

「ネクラス、もし君が本当の意味で……現状に満足していると言うなら、君は死ぬべきだった。リードの偉大な冒険の幕開けを目の当たりにし、自らの暴君としての冒険譚に終わりを打った。その結果に満足しているなら、何故自らの炎を消し去る事をしない? 自らの生死すら決定権を持つ力で何故、混乱と騒乱を招く自分自身に終わりを与えないんだ?」

「……」

 

「それをしないのは……君がまだ現状に満足していないからだ。君の力は未だに、この大地に向けられている。リードがやがて君に追いつき、彼女の炎がその身を焼くまでに、君はまだ大地に生きる人々に対して……投げかけたい事があるのだろう?」

「フフ……そうだな。お前の言う通り、私はまだ現状に満足していない」

「強欲な君は、一体何を求めている?」

 

 ドクターの問いに直ぐに答える事はなく、ネクラスは葡萄酒を口に含んだ。

 

 

 

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「死はあらゆる者を嘲笑するが……私は、その死を嘲笑する」

「どういう意味だ?」

「これはかつて、ラフシニーに言った事だ」

「……リードに?」

 

「学者、お前は既に理解しているだろう? 死とは単純な終わりではない。身体的な死は、最終的な終わりではない。死して尚、数多くの物が残る。権力、財力、知識……歌や詩、そして物語……形は違えど、これらは常に生者へと影響を与え続ける」

「……」

「死の間際にこそ、人としての本性と価値を見出せると語る、愚か者がいる事は認めよう。だが、そう語る奴らは……決まって自らがその舞台に立った事がない。死を経験せず、また死ぬ事も出来ない弱い存在が、死への称賛を謳った所で響くものがある筈もないだろう?」

 

 ドクターは考える。決して死ぬ事のない存在が、死への素晴らしさを説いたとしても、それは虚しく響く虚言に過ぎない。何故ならその言葉は、実体を持たないからだ。

 

「学者、お前は伝記や騎士物語、冒険譚を好んで読む方か?」

「……いいや。昔からある有名な物であれば、多少手に取る事はあるかもしれないが……新しい創作物の方は、近頃殆ど読んでいないな」

「それで十分だ。過去の創作物において、『永遠の命』を題材にしたものが数多く存在している。だが、それらの多くは結末を書く事はない。ある物語は探索を諦めた所で終わり、またある物語は『永遠の命』に対する執着を失う。あるいは『永遠の命』を手にする前に命が尽きる……または更なる冒険への旅立ちで幕を閉じるかだ」

 

「それがどうかしたのか? 物語の結末としては珍しくもないだろう。『永遠の命』を得た時点で物語としては、これ以上の展開のしようも──」

 

 その時、ドクターはひどく当たり前の事に気が付いた。『永遠の命』に終わりはない。終わりがないという事は、この先に変化がないという事だ。変化も進歩もなく、ただ永遠に生きる事しか出来ない。何かに挑戦して失敗や成功を経験し、それらを糧とする事も、年齢を重ねて自らに衰えを感じる事もなく、出会いと別れを繰り返す事もない。

 

『永遠の命』という名の夢を追い求めている当時こそ、物語は活気に溢れ、人々を魅了し、冒険譚を生み出す。

 

 どれだけ『永遠の命』として、周囲を繋ぎ止め様としても限度がある。

 変わらないのは自分だけで、周囲のあらゆるものは変わって行く。

 生きて行く事だけが目的になった命に、一体どれ程の魅力と価値があるのだろうか? 

 

「……人の強欲さこそが、生きていく糧であると言いたいのか?」

「フッ……そのような言い方も出来るのかもしれないな」

「違うのか?」

「現実はお前の想像よりも遥かに単純で、『死ぬ事よりも生きる事の方が難しい』というだけだ」

 

 ネクラスは現状に満足していない。だからこそ、未だこの大地の上に立っている。

 死を操り、死を乗り越え、死を飼いならして尚、一つの終わりが決まった命として。

 彼女はこの大地の上で生きている、『生』ある命に問いかけているのだ。

 そこにある信念を。

 

『いずれ終わる命を使い、何を成すのか』 と。

 

 死とは単純な終わりではない。

 死がもたらす終わりとは、全ての終わりではない。

 命の終着点は死であるが、死そのものは終わりではない。

 

 死はあらゆるものを、躊躇なく奪い去る。

 しかし、奪い去られて尚、残る物は数多く存在する。

 

 それは記録であり、物語であり、継承だ。

 遺した何かが、他者へと繋がり続ける限り、終わりではない。

 

 あらゆる記録が失われた時、あらゆる記憶から消された時に、人は真の意味で死ぬのだ。

 

 故にネクラスは、死を嘲笑する。単純な事象の一つでしかない『死』が、全てを奪い去っていると勘違いしている事を。

 

『死』の間際こそ、人の欲望や願望が現れると謳う愚か者達を。

『生』がなければ、存在する事すら許されない……『死』そのものを。

 

 ──────────────────────────────────────

『フフ、操る者だろうが操られる者だろうが、命の終点は私の元にある』

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 死を操り、死を乗り越えた紫の炎、その灯りは人々の行く末を見守っている。

 

 

「──君は確かに……誠実なのかもしれないな」

「ようやく理解したのか? お前にしては時間が掛かったな、学者」

「私の思う誠実さとは、少々違う事は認める他にないが」

「フフフ……私は自らの約束を違えた事はない。たったの一度たりともな」

 

 ネクラスの言葉を聞きながら、ドクターは少しだけ余計な事を考えた。

 

(暴君エブラナ・ダブリンの冒険譚は既に終わり、残るはターラーの『リーダー(ラフシニー)』の影としてのネクラスか……)

 

 エブラナ・ダブリンとして、責任ある立場は既に終わりを迎えている。

 ダブリンの残党を処理してまわっていた事は、暴君としての最後の責務だった。

 

 もしも、この先でエブラナ・ダブリンの新たな冒険譚が作られるとしたら……

 彼女の物語の終わり、締めの言葉はきっとこうだろう。

 

 

 

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 ──────────────────────────────────────

 

『エブラナ・ダブリンは、誰よりも誠実であった』

 

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 ──────────────────────────────────────

 

 

 

「最後に教えて欲しい、ネクラス」

「何が知りたい?」

「どうして君は、私にそんな構うんだ?」

「──そんな事か。お前も分かっているのだろう、学者?」

「……」

 

 ドクターは答えず、酒を飲む。

 

「飼いならされた獣の群れの中に、それに似つかわしくない血に濡れた獣が紛れ込んで生活している。そいつは上手く己を騙し、知恵を使って群れに溶け込んでいた。そんな獣を見かけたら、この先、どの様に生きて行くのか、どの様な終わりを迎えるのか。また死に対して、どの様な反応をするのか気になるものだ」

「……」

「珍しいものを見かけたら、興味を惹かれるのは人の性質でもある。お前も『そう』だな、学者?」

「……」

 

 ネクラスはドクターに対し、忠誠がある訳ではない。

 ドクターを信頼している訳も、信用している訳でもない。

 ましてや愛情がある訳でもない

 何かしらの親愛がある訳でもない。

 間違っても好感を持っている訳でもない。

 

 彼女からすれば、ドクターも他と殆ど変わりはない。

 ただちょっとした……面白い気配を感じただけだ。

 その気配とは、ただの興味だ。

 

 エブラナは『生者の権力』という玩具に飽きた。

 ネクラスは『死者の権力』という新たな玩具を得ている。

 己の興味を引く別の玩具を……同時に見つけただけに過ぎないのだ。

 

 だから、ネクラスは言葉を囁く。

 親しみを感じているかの様に、信頼しているかの様に。

 必要だと判断すれば、きっと愛の言葉であろうと囁くだろう。

 嘘偽りなく吐き出された言葉に翻弄され、自ら炎に飛び込む様に仕向ける。

 

 ──────────────────────────────────────

『どうして私がここにいるか、だと? お前がここにいるからだ。私も聞きたいな、お前は私が垣間見たあの……死そのものすらも亡くなった未来について説明してくれるのか? お前が先に私に臣従しても、その未来が先に訪れても私は構わないぞ。喜んでそれを待とう』

 ──────────────────────────────────────

 

 ドクターがネクラスの興味を満たす限り、ネクラスはドクターに従い続ける。

 それを満たせなくなった時、ネクラスは躊躇いなく、飽きた玩具を捨てるだろう。

 

「死は、標的を選ぶ際には理不尽なまでに気まぐれだが、一度標的を定めたら、その命が尽きるまでどこまでも執拗に見つめ続けるものだからな」

「……それを聞いて安心したよ」

 

 

 そう言って、ドクターは微かに笑った。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

「最後に祝杯に付き合ってくれ」

「何に対しての祝杯なんだ?」

 

 ネクラスはドクターの問いを気にする事なく、酒をグラスに注ぐ。

 一つを自身の手元へ置き、もう一つをドクターの前へと置いた。

 彼女が手を翳すと炎が灯る。

 

「いずれ……死に行く者達に」

 

 そう言うとネクラスは手に持ったグラスを掲げた。

 酒の注がれたグラス、その上に紫の炎が揺らめいている。

 

「いずれ……私達を焼き尽くす炎に」

 

 ドクターは手に持ったグラスを掲げる。

 酒の注がれたグラス、その上に揺らめいている炎は何色だったのだろう? 

 

 

 僅かな沈黙の後、グラスがぶつかる小さな音が響いた。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

「私はそろそろ眠りにつくとしよう。明日もやる事が沢山あるからな」

「……深い眠りは死と同じだ。いつものように悠々と目覚められると良いな、学者」

 

 ドクターは返事をせず、ロドスの甲板から姿を消した。

 残されたネクラスは元から返事を期待していなかったかの様に、星空を眺めている。

 

 

 

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『このメダルはお前の信頼を表している。だが死とは連綿と続く命への裏切りだ。覚悟が決まっているのであれば、期限を切ってくれ。その時が来るまで、なるべく期待に沿うようにしよう』

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 深夜、ネクラスはロドスの甲板にて、まだ星空を眺めていた。

 夜空に雲は無く、美しい星々と月は煌々と輝いている。

 

 刃と嘘の中でいかに踊るべきかを理解してしまった愛する妹。

 与えた権力と力を上手く制御し、使いこなしている事は知っている。

 あれはきっと、素晴らしいターラーの『リーダー』して歩みを進めて行く事だろう。

 

 陰謀のやり方、奇跡の作り方、民草の操り方を教えてやった。

 竜の殺し方、権力の使い方、力の使い方を教えてやった。

 であれば……後は慣れて行くだけだ。

 慣れて、馴染んで……その全てを操る様になる。

 

 

 愛しい妹、ラフシニーの幻影がネクラスの前に現れる。

 

『姉さん、人と人が殺し合いをする時代は終わるよ』

「そうか」

 

『誰もが詩を読み、隣人を愛し、手を取り合って生きる時代が来るよ』

「喜ばしいことだな」

 

『全ての人々が正しく死を迎え、暖かい場所で眠りに付ける様になるんだ』

「素晴らしい話だ」

 

『誰もが笑って、互いを思いやれる世界が。皆が望んだそんな世界が……』

「実にお前らしい、素敵な理想だ」

 

『……』

「お前の言うそれは、優しく温もりに溢れ、大衆が望むものだろう」

 

『……姉さん』

「──だが、そこに私の居場所はない」

 

「死が私達を再び巡り合わせる時まで……お前は、お前の望む道を行くといい」

『──』

 

 

「そして全てが終わる時、私にお前の偉大な冒険譚を聞かせてくれないか」

 

 

 ネクラスは優しい笑みを浮かべてそう言った。

 

 ラフシニーの幻影は何かを口にしたが、もうネクラスに声は聞こえない。

 そんな事を気にもせず、ネクラスは幻影に向かって優雅に手を差し伸べる。

 いつかのナ・シーアシャの時と同じ様に。

 

「踊ろう、ラフシニー」

 

 幻影は彼女の手を取ったのだろうか。

 それとも何も言わずに消えてしまったのだろうか。

 

 

 

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 ネクラスはラフシニーの槍によって貫かれた時の事を思い出していた。

 炎となって消える前、倒れ行く体を支えた、愛する妹の手。

 ずっと触れていなかったそれはあの時、触覚が鈍く冷たい体に温かさをもたらした。

 

 

 

(ああ……ラフシニー……)

 

(お前の手は暖かいな……)

 

(その温もりは、まさに生きている者の証)

 

(命の炎だ)

 

 

 

 月明かりの下。

 死を操り、死を乗り越えた紫の炎。

 そして未だに、死に切れぬ死者が踊る。

 ただ独り、影は愛しのダンスパートナーの幻影を想い踊る。

 

 

 影は光の下でしか存在出来ない。

 全てを清算した孤独な影はもう……光に触れる事すら出来ないのだ。

 

 

 

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「ラフシニー殿下、間もなくお時間です」

「分かった。ありがとう、直ぐに行くよ」

 

 部屋の主が出て行き、明かりの消えた部屋。

 机の上に置かれた火の消えた蝋燭。

 

 その蝋燭に唐突に紫の炎が灯り──

 

 

 

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 消えた。

 

 

 

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 ──────────────────────────────────────

 

 大地の上に命が溢れていた。

 

 ある時、炎がやって来て、争い腐りゆく命を見た。

 炎は暫くそれらを眺めた後、自らの炎で全てを焼き払う事を決めた。

 紫の炎が大地を焼き尽くし、焼け果てた大地の上を死者が闊歩する。

 死者の群れを眺めた後、炎は満足そうに、その大地を離れた。

 

 大地の上に死が溢れていた。

 

 ある時、炎がやって来て、死者の群れを見た。

 炎は暫くそれらと過ごした後、自らの炎で全てを焼き払う事を決めた。

 黄金の炎が大地を焼き尽くし、焼け果てた大地の下に命の種が生まれる。

 生まれたばかりの種を祝福した後、炎は悲しみと共に、その大地を離れた。

 

 やがて、大地の下から命が芽吹く。

 大地は新たな生によって埋め尽くされるのだ。

 

 そして……いつの日か、また炎がやって来る。

 

 ──────────────────────────────────────

 

「そして──」

「ねぇ、私達の所にもこのお話みたいに炎が来るの? 来る炎は何色なの?」

「それは分からないわ」

「もしかしたら、紫の炎が来るの?」

「そうかもしれないわね。嘘をついたり悪戯したり、悪い事ばっかりしていると……私達を焼き払いに来るかもしれないわ」

「紫の炎は嫌だよ、怖い」

「だったら、悪い事をしないで、きちんと正しく良い事をして生きて行きなさい」

 

「そうすれば紫の炎は来ないの?」

「ええ、きっとね」

「本当に?」

「本当よ、伝説の赤き龍……そして黄金の炎はいつだって私達を見守っているもの」

「うん、赤き龍に約束するよ。だから、紫の炎から守って下さい」

「なら、もう寝なさい。今日のお話はここまでよ」

「……うん」

 

 母親は本を閉じる。

 枕元に置いてある照明の明るさが落とされ、微かな光だけが残っている。

 

「……」

「……」

「──ねぇ、お母さん。紫の炎と黄金の炎が元々は一つだったって本当? どうして二つに分かれてしまったの?」

「……寝るって言ったでしょう?」

「気になったんだもん」

「……きっと、ずっと一緒にはいられなかったのね。目指す所、やり方が違ったのかもしれないわ」

「……」

 

「でも……最終的に辿り着く所は同じなのかもね」

「そうなの? なんか分からないな……」

「簡単に分かる事じゃないのよ。あなたがこの先、色々な事を経験して生きる事で分かっていくものよ」

「……うん」

「……」

「……」

「……おやすみなさい。良い夢を」

 

 

 母親は子供の眠るベッドから離れ、暖かな光を放つ照明を消した。

 暗闇に沈んだ部屋には、眠りに落ちた子供の安らかな寝息が響いている。

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

 紫の炎と黄金の炎、その二つは最終的に死を迎え、一つに戻った。

 死と生の炎は共に『命の灯』となり、今でも大地を見守っているという。

 

 

 これは『伝説の赤き龍』と同じ位、この地域では誰でも知っている物語だ。

 

 

 

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『生と死は切り離す事は出来ず、元々は一つだった』

 

『生きるという事は、いつかは死ぬ』

 

『死ぬという事は、それまでは生きている』

 

『人の生き死にとは……どうにも、ままならないものだな』

 

 

 

 

 ──────────────────────────────────────

 

 

 

 

「──お前も……そうは思わないか?」

 

 

 

 

桔梗(せいじつ)の炎、大地(いのち)に問う】 終

 

 

 




別サイト(Pixiv)に投稿していたもの
友人からこっち向きじゃないかと言われたのでお試しです。
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