古代魔法の詠唱がAVタイトルなんだが、犯人出てこい 作:匿名さん
瞼を開くと、樹々の隙間から暴力的なまでの陽光が差し込んでいた。
風が吹くたびに枝葉がざわめき、視界を焼く光が暴れる。あまりの眩しさに一度瞼を閉じ、俺は思考を開始した。
おかしい。俺は、高校の教室にいたはずだ。
三時限目。物理の授業の真っ最中。
あまりに退屈で、この場から逃げ出したいとは願っていた。スマホを取り出してSNSの海にダイブしていた方が、百倍は有意義な時間を過ごせる確信があった。
だが、無意識に教室を脱走し、どこかも知れぬ森で昼寝をキメるなんて芸当が、物理的に可能なのだろうか。
再び瞼を開く。目の前に手をかざしてみる。どこからどう見ても、自分の手だ。
親指と人差し指で、両頬を思い切りつねり上げる。
「痛い。現実じゃん……」
思考が冷える。夢ではない。ここは現実だ。事態の深刻さに突き動かされ、慌てて上半身を起こした。
見渡す限りの森。だが、明らかに「日本」ではない。植物の趣が違いすぎる。不気味なほど鮮やかな緑や、見たこともない形状の葉。
「南米……? 行ったことないけど」
肌にまとわりつく湿度の高さに、自分が嫌な汗をかいていることに気づく。まさか、ここはブラジルの密林か何かなのか。
「授業中に地球の裏側に転移した? 幾ら物理の授業中だからって……」
あり得ない。
状況を把握できるにつれて、鼓動が激しくなる。どう考えてもおかしい。
どこかに「ここが日本である」という証拠はないかと、目を凝らす。周囲を見渡す。
カサリ。
下草の揺れる音がした。視線が茂みに固定化される。
カサリ、カサリ。
少し向こうに、何か生物がいる。震える膝をなんとか奮い立たせ、中腰になる。
ガサ、ガサッ!
立ち上がり、いつでも走り出せるように身構えた。
「ギャギャギャッ!」
現れたのは、俺の腰ぐらいまでの背丈の、汚い顔をした生物だった。肌は緑で、額には小さな角が生えている。右手には棍棒のようなものを持ち、明らかにヤバイ奴だ。
「ギャ、ギャギャギャッ!」
ブラジル語、むじい。何言ってるか分からない。おまけに棍棒を振り上げ、威嚇まで始めた。もしかしてこの森、このヤバイ奴の土地なのか?
「あっ、すみません。不法侵入するつもりはなくて、すぐ出ていきますから」
「ギャッ!!」
ブラジル人が乱杭歯を剥き出しに、棍棒を振り上げて走り出した。外国人は自衛意識が凄いな。
俺は心臓をバクバクさせながら、逃げ出す。
どの方角に逃げるのが正解か分からないが、とにかく樹の密度が低い方を目指す。
ブラジル人はジャングルを守っているのだろうから、早く外に出た方がいい。
柔らかい腐葉土を巻き上げながら、走る、駆ける、逃げる。
ちらりと振り返ると、少しづつ距離は開き始めていた。
どうやら、ブラジル人はそんなに足が速くないらしい。そういえば、オリンピック陸上とかでブラジル人がメダル取ってるイメージないな。サッカーとサンバにリソース全振りしているのかもしらん。
少し、余裕が出たのが良くなかった。
右足に引っ掛かりを覚え、「あれ?」と思った途端に、視界がグルリと回った。強かに背中を強打し、肺の空気がヒュウと抜けて、代わりに痛みがやってきた。
「ギャギャギャ~」
緑の汚い顔をしたブラジル人が俺を見降ろしている。ヤバイ。顔を見ればわかる。こいつ、俺をやる気だ。
ブラジルが親日国っていうのは都市伝説だったのだ。くそ、セルジオ越後許せない。
「あら、人」
絶望に目を閉じた瞬間、別の声がした。日本語ではないけれど、何故だか言葉が理解できる。どういうことだ……?
「変な服装ね」
ウチの高校のブレザーは県内でも人気が高いのに、「変な服装」とは、どういうことだ?
少しむっとして、女の声の方に首を捻る。
そこには、現実離れした光景があった。
陶器のような白い肌、翠の瞳。なびく銀髪の間から覗く耳の先は、ピンと尖っている。ファンタジー世界の「エルフ」そのものの風貌だった。
「ギャ……ギャ……」
女の登場に、ブラジル人は後退りする。陽気さがウリの彼等にしても、突然現れたファンタジー世界の住人に驚いているようだ。
「駆除しないとね。ゴブリンはすぐ増えるから」
そう言うと、女エルフは右手に持っていた杖をブラジル・ゴブリンに向けた。
「スマタ・デイク」
ビュンと空気を裂く音がして、次の瞬間にブラジル・ゴブリンの股間が盛大に弾けた。少し時間を置いて、膝が落ち、そのまま地面に沈む。
目の前で殺人? があったにも関わらず、現実味がない。
女エルフ=創作の世界の住人なので、なんとなく、本当に起ったことのように思えない。
「どうしたの? ぼーっとして」
「えっ、あっ、助けてくれたんですか?」
女エルフは俺の前に立ち、見下ろす。その視線は爪先から頭の上まで、這うように何度も俺の身体を往復した。
「もしかしてあなた、異世界からの落ち人?」
「落ち人って?」
「別の世界から、この世界に落ちて来た人のこと」
俺はブラジルではなく、異世界へ転移していたらしい。
#
「私はリュカ。古代魔法を専門とする魔法使いよ」
女エルフ――リュカは、長い耳を揺らしながら淡々と語った。
彼女はこの世界の各地に点在する遺跡を巡り、失われた大昔の書物や石版を収集・解析することを生業としているらしい。いわば考古学を修めたエリート魔法使いといったところか。
俺を見つけたのも、ちょうど近くの遺跡での調査を終えた帰り道だったという。
「……で、どうして俺の面倒を?」
「この国では、落ち人を最初に見つけた者がその保護責任を負うことになっているの。面倒だけど、法なんだから仕方ないわ」
リュカは心底面倒くさそうに溜息をつくと、すらりとした杖を掲げた。
「とりあえず私の家へ行くわよ。――『トビッコ・デ・デート』」
その清廉な響きがを聞いた途端、視界が真っ白に染まった。そして、頭の中は違和感でいっぱいになった。今、トビッコって言わなかったか?
俺の疑問を無視して、身体がふわりと浮遊感に包まれる。
次に目を開けたとき、そこはブラジル顔負けのジャングルではなく、石畳の道とレンガ造りの建物が並ぶ、いかにも中世風の街並みへと変貌していた。
#
リュカの住まいは、街の喧騒から少し離れた場所にある、古びた、けれど手入れの行き届いた石造りの一軒家だった。
出された食事――妙に香草の効いた肉料理――を胃に収めると、ようやく人心地がついた。
「少しは落ち着いたかしら。それなら、私の仕事場を見せてあげる」
彼女に促されるまま、二階にある研究室へと足を踏み入れた。
天井まで届く本棚には、今にも崩れそうな羊皮紙の束や、奇妙な幾何学模様が刻まれた石板が所狭しと並んでいる。
部屋の中央にある机には、一枚の石板が置かれていた。
リュカはその石板を指差し、眉根を寄せた。
「今、これを分析しているの。三千年ほど前に君臨したとされる『聖魔王』が遺した、伝説の生活魔法の一つなんだけど……。一部の文字が欠落していて、発動条件が満たせないのよね」
どれどれ、と俺は机に身を乗り出した。
石板に刻まれているのは──見慣れた、日本語だ。
『トナリノ・ヘヤノ・ワ・▽・●・○・ノ・シタギガ・ベランダニ・トンデキタ』
俺の背中に、嫌な汗が伝う。
文字の掠れ具合からして、▽と●と○には、一文字ずつ入るはずだ。
「この『ワ』の次がどうしても分からないの。何を当てはめても、魔力のラインが繋がらないのよ」
リュカは大真面目に悩んでいる。聖なる真理を探求する学者の顔だ。きっと難問なのだろう。
だが俺にはわかる。
物理の授業は退屈だったが、深夜のネットサーフィンには、全精力を注いできた自負がある。
「……あー、リュカさん。これ、たぶん……『カヅマ』じゃないですかね」
「カヅマ……? ワカヅマ……?」
リュカが疑いながらも、全ての詠唱を完了する。途端、部屋の空気が変わった。
「っ、魔力の回路が……結合した!? 詠唱の補完、完了! ――顕現せよ!」
彼女が杖を振るう。
パシィィンッ! と空間が弾ける音がして、俺たちの目の前に、どこからともなく『白い布切れ』が召喚された。
それは、どう見ても――女性用の下着だった。
それも、やけにフリルのついた、生活感溢れるタイプ。つまり、「隣の部屋の若妻の下着がベランダに飛んできた」のだろう。
「な、なんてこと……! 完璧に発動したわ。まさか『特定の属性を持つ衣類を座標転送する』高等魔法だったなんて……!」
リュカは召喚されたパンツを手に取り、感極まった様子でプルプルと震えている。
「『ワカヅマ……シタギ』……。なんて荘厳な響きなの……。これは神の衣ね」
そんなことはない。それはたぶん、どっかの家のベランダから盗んできただけだ。今すぐ返してこい。
リュカはパンツを大切そうに机に置くと、獲物を狙う猛禽のような鋭い眼差しで、俺を凝視した。
「……貴方、何者なの!? 歴代の賢者たちが解明できなかった聖句を、どうして一瞬で……!」
「俺はただの学生です。名前だって、佐藤ヒロシって平凡そのものですし」
「そんな訳ないでしょ! ヒロシ、本当のことを言いなさい!」
リュカが詰め寄ってくる。エルフ特有のいい匂いと、パンツの持ち主の柔軟剤の匂いが混ざり合う、最悪にカオスな状況。
俺は、確信した。
この世界の「古代魔法」を作った奴は、俺と同じように日本からの落ち人だ。しかも、俺と同じ世代を生きていた奴に違いない。
「犯人……出てこい……」
俺の異世界生活は、異常に低いテンションで幕を開けた。