どうか、君の逝く先が極楽浄土でありますように   作:ブァッファイ小五郎

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二話目

 夜風が、二人の間を吹き抜ける。現代最強の呪術師と、極楽浄土を現出させる不可侵の少年。規格外の二人の手合わせが、今、静かに幕を開けようとしていた。

 ふっ、と五条の口角が弧を描く。ニヤリと笑った次の瞬間、彼の手にはすでに不可視の引力が収束していた。事前のモーションも、呪力のタメも一切ない。呼吸をするのと同じくらい自然な所作で、五条はそれを放った。

 

『術式順転「蒼』

 

 ――ゴアアアアアッ!!

 

 大気が悲鳴を上げた。空間そのものが、五条の指定した座標に向かって強制的に吸い寄せられる。それは小規模なブラックホールが現出したかのような、絶対的な引力の暴力だった。

 対象となった蓮音の華奢な身体は、抵抗する間すら与えられず、背後にそびえ立つ木々の群れへと猛烈な勢いで吸い込まれていく。

 

「えっ――!?」

 

 ――メキメキメキッ! ガガガガガッ!

 

 凄まじい轟音と共に、樹齢数百年はあろうかという大木が次々とへし折れ、その中心点に向かって圧縮されていく。蓮音の小さな身体は、無数の丸太と岩と土砂の塊の中に完全に呑み込まれ、圧殺されるように圧縮されてしまった。

 

「おい!! 死んじゃうよ!! 先生、やりすぎだよ!!」

 

 一部始終を見ていた虎杖が、血相を変えて叫んだ。相手は特級呪霊ではない。いくら不思議な力を持っていようと、見た目はただの子供なのだ。あんな質量に押し潰されて、無事で済むはずがない。虎杖が瓦礫の山へと駆け出そうとしたその時、五条は片手を上げてそれを制止した。

 

「まぁ見てなって」

 

 アイマスク越しの五条の声には、焦りなど微塵もなかった。ただ純粋な、未知の現象を観察する研究者のような好奇心が満ちていた。

 直後。

 木々が圧縮された巨大な瓦礫の山から、眩いほどの金色の光が漏れ出し始めた。

 

「……ッ! なんだ、あれ……」

 

 虎杖が足を止める。瓦礫の隙間から、まるで押し入るようにして、白と金を帯びた美しい蓮の花が無数に咲き乱れたのだ。花々は不気味なほどの生命力を誇示しながら咲き誇り、そして、ハラリと光の粒子となって散っていく。

 その光のシャワーの中から、蓮音がひょっこりと顔を出した。服の裾についた土埃をパンパンと払いながら、瓦礫の山を滑り降りてくる。

 

「ありゃりゃ……死んじゃうとか考える暇もなかったや。服が汚れちゃった」

 

 血の一滴すら流していない。骨折はおろか、擦り傷一つ、打撲の痕すら存在しない。文字通りの「無傷」であった。先ほどの漏瑚の炎と同様、木々に圧縮され肉体が損壊したという「事実」そのものが、蓮の花の開花と共に『極楽浄土』へと上書きされ、消去されたのだ。

 蓮音は困ったように苦笑いを浮かべながら、五条に向かって言った。

 

「目隠しのお兄さん……流石に、強すぎない? びっくりしちゃったよ」

 

「まぁね。僕、最強だから」

 

 悪びれる様子もなく、五条はケラケラと笑う。しかし、その内側では静かな興奮が渦巻いていた。彼の持つ『六眼』は、先ほどの回復する工程を克明に捉えていた。呪力による細胞の再生ではない。空間ごと肉体の状態を「無かったこと」にしている。防御力という概念を完全に無視した、理不尽極まりない回復。

 

(……なるほど。なら、質量による圧殺じゃなく、空間そのものを削り取る仮想の質量ならどうなる?)

 

 五条の悪癖とも言える、強者としての探究心が鎌首をもたげていた。こんな規格外の存在と手合わせできる機会など、そう滅多にあるものではない。彼がどこまで耐えられるのか、いや、どこまで「無かったこと」にできるのか。純粋に試してみたくなったのだ。

 五条はゆっくりと、黒いアイマスクの端に指をかけた。

 スッ、と布が持ち上がり、夜の闇の中に、宝石のように澄み切った蒼色の瞳――『六眼』が顕現する。その瞳が見開かれた瞬間、周囲の空気が重く沈み込んだ。ただそこに立っているだけで、世界が五条悟を中心に回り始めているかのような錯覚に陥るほどの圧倒的なプレッシャー。

 五条の両手が、ゆっくりと印を結び始める。右手には術式順転「蒼」、左手には術式反転「赫」。二つの無限が衝突し、仮想の質量を押し出すための詠唱が、冷たい夜の空気に紡がれ始めた。

 

「”九網(くこう)”――」

 

「”偏光(へんこう)”――」

 

「”(からす)声明(しょうみょう)”――」

 

「”表裏(ひょうり)狭間(はざま)”――」

 

 その瞬間、世界から一切の音が消え去ったかのような絶対的な死の気配が場を支配した。虎杖ですら、本能的な恐怖で一歩後ずさるほどの規格外の呪力収束。漏瑚を消し飛ばしかけた、――いや、あれ以上の規格外の大技が放たれようとしていた。

 

「ストーーーップ!!!」

 

 夜の山に、可愛らしい、しかし明確な焦りを含んだ声が響き渡った。

 蓮音が両手をクロスして大きくバツ印を作りながら、五条に向かって抗議の声を上げたのだ。

 

「流石にやり過ぎだよ! それ撃たれたら、僕の術式でも回復に時間かかっちゃうかもしれないし、なにより山の木が全部なくなっちゃう! 自然破壊はダメだよ!」

 

 ぷくぅ、と頬を膨らませ、ちょっと怒ったように睨みつける蓮音。その顔があまりにも愛らしく、そして同時に「これ以上はマジで勘弁してくれ」という切実なオーラに満ちていたため、張り詰めていた緊張感は一瞬にして霧散してしまった。

 

「あ、ごめんごめん。つい楽しくなっちゃってさ」

 

 五条はピタッと詠唱を止め、構築していた呪力を霧散させると、アイマスクを元に戻しながらペロリと舌を出した。子供がイタズラを見つかって謝るような、ひどく軽い謝罪だった。

 

「もう……本当にヒヤヒヤしたよ。死ぬかと思ったっ!」

 

「いや、君の術式なら死なないでしょ。でも、ごめんね」

 

 五条は蓮音の前に歩み寄ると、その華奢な肩にポンと手を置いた。アイマスク越しでも、五条が真剣な目をしているのが伝わってきた。

 

「ねえ、蓮音くん。君の術式、ものすごくヤバいよ。控えめに言って、呪術界の歴史が変わるレベルのイレギュラーだ。ねえ、高専――呪術高専に来ない?」

 

 唐突なスカウトだった。五条は続ける。

 

「そこに入れば、楽しい事がいっぱいあるよ。もちろん、強い呪霊と戦うことになるけど、君のその力なら、数え切れないくらい色んな人を救うことができる。僕の生徒たちも、君がいればどれだけ助かることか」

 

 その言葉に、蓮音は「うーん……」と困ったように眉を寄せた。

 人助け。それは蓮音にとって、自身の存在理由にも等しい。だが、彼には今の居場所があった。

 

「どうしよう……。僕、今の病院でムードメーカーとして居候させてもらってて。一応、お給料というか、お小遣いみたいなのもそれなりに貰ってるんだよね」

 

 指折り数えながら、蓮音は申し訳なさそうに断りの言葉を口にしようとした。

 

「もしかして、病院のみんなのことが心配?」

 

「うん、そう。今の病院での生活、すごく楽しいんだ。お医者さんも看護師さんも患者さんたちも、みんな優しくて。それに、僕がいることで、みんなの役に立ってる気がするから……離れたくないなって」

 

 蓮音の『極楽浄土』は、ただ怪我を治すだけではない。その存在そのものが、苦しみを和らげ、周囲に安らぎを与える。病院という、死と隣り合わせの場所において、蓮音はまさに希望の光そのものだった。彼自身も、それを自覚し、誇りに思っていたのだ。

 

「なるほどねぇ……」

 

 五条は少し顎に手を当てて考え込んだ後、ポンと手を叩いた。

 

「難しいとは思うけどさ、両方やってみようよ!」

 

「両方?」

 

「そう。平日は高専で呪術師としての勉強や任務をして、休みの日とか時間がある時は病院に戻る。どう? 一応、病院の方の偉い人には、僕から上手く事情を話して説得するからさ」

 

 無茶苦茶な提案だったが、五条の「僕に任せておけ」という絶対的な自信に満ちた声には、不思議な説得力があった。蓮音は目を丸くして少し考え込んだ。外の世界を見てみたいという好奇心、自分の力がどれだけ通用するのかという興味、そして何より、「色んな人を救える」という言葉が、彼の心を小さく揺さぶっていた。

 

「……わかった。じゃあ、一応経験ということで、両方やってみる!」

 

「よし、決まり! 歓迎するよ、蓮音くん」

 

 五条は満足げに笑うと、背後でポカンと立ち尽くしていた虎杖に向き直った。

 

「それじゃ、悠仁は一旦高専に送るねー。夜更かしは美容の敵だからねー」

 

「えっ? あ、ちょっと待っ――」

 

 虎杖の言葉が終わる前に、五条は虎杖の肩に触れた。瞬間、空間が歪み、虎杖の姿がフッと掻き消える。相変わらずのデタラメな空間跳躍だった。

 続いて五条は蓮音に向き直る。

 

「じゃ、蓮音くんも病院まで送るよ。案内して」

 

 五条が蓮音の手を引いた瞬間、先ほどまでの鬱蒼とした森の景色が一変し、消毒液の匂いが漂う、見慣れた病院の裏口へと移動していた。

 

「うわぁ、本当に一瞬だね。便利!」

 

「でしょ? じゃあ、また明日の朝迎えに来るから」

 

 ひらひらと手を振って暗闇に溶け込むように消えていく五条を見送った後、蓮音は病院のエントランスへと戻った。

 

「蓮音くん!!」

 

 自動ドアを抜けるなり、深夜の受付を担当していた職員が血相を変えて駆け寄ってきた。先ほどまで外出許可を出した看護師から引き継ぎを受けていたのだろう、ひどく心配そうな顔をしている。

 

「あんな遅くまでどこに行ってたの!? 何もなかった!? 怪我は!?」

 

「大丈夫だったよ! ちょっと山で面白いことが起こってただけ」

 

 蓮音が花が咲くような満面の笑顔で答えると、受付の女性は心の底から安堵したように、その場にへたり込みそうになって息を吐いた。

 

「よかったぁ……本当に心配したんだからね。さあ、もう遅いから早く寝なさい」

 

「はーい。おやすみなさい!」

 

 蓮音は自分のために特別に用意された個室のベッドに潜り込むと、今日起きた不思議な出来事に胸を躍らせながら、静かに目を閉じた。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 翌朝。

 漂白されたような静寂に包まれているはずの病院のエントランスが、異様な騒がしさに包まれていた。

 目をこすりながら蓮音が声のする方へと向かうと、そこには周囲から完全に浮きまくっている長身の男――五条悟が立っていた。昨夜のアイマスクではなく、真っ黒なサングラスをかけ、カジュアルだが明らかに高級とわかる服を着こなしている。そのモデル顔負けの容姿と、隠しきれないフェロモンのせいで、通りかかる女性の患者や看護師たちがこぞって足を止め、頬を染めてひそひそと囁き合っていた。

 

「あの、ここの一番偉い人を呼んできてくれる? ちょっとご相談があってさ」

 

 五条がサングラスを少しずらし、魅惑的な蒼い瞳を覗かせながら受付のお姉さんにウインクを飛ばす。

 

「は、はいっ!! ただいま!!」

 

 受付のお姉さんは完全に目をハートにさせ、パタパタとものすごい勢いで奥へと走っていった。どうやら看護師長を呼びに行ったらしい。

 

「あ、目隠しのお兄さん! おはよう!」

 

 蓮音が小走りで駆け寄ると、五条は「おはよー」と軽く手を挙げた。

 

「なんか、すごい見られてるね」

 

「まぁ、僕自信、グッドルッキングガイだからね。罪な男だよ」

 

「ふふっ、変なの」

 

 二人が他愛もない会話を交わしていると、奥からドタドタという足音と共に、恰幅の良い、ベテランのオーラを漂わせた看護師長がやってきた。彼女は蓮音を見ると一瞬安堵の表情を見せたが、すぐに五条の方へと鋭い視線を向けた。

 

「あなたが、蓮音くんの保護者を名乗る方ですか?」

 

「ええ、まぁそんなところです。実は彼を、僕が教師を務める全寮制の学校に転校させたくて」

 

 五条は持ち前の口八丁手八丁(くちはっちょうてはっちょう)をフル稼働させ、呪術という非日常の単語を一切出さずに、いかに蓮音が「特別な才能(ここでは特異な医療的才能やカウンセリング能力として説明された)」を持っており、それを伸ばすための専門機関が必要であるか、そして同時にこの病院への定期的な協力も約束するという、完璧なプレゼンテーションを行った。

 看護師長は静かに話を聞いていたが、その表情は徐々に寂しげなものへと変わっていった。彼女にとって、蓮音はただの患者ではない。この病院の太陽であり、それでいて我が子のように愛おしい存在だった。

 

「……蓮音くん。本当に、行きたいの?」

 

 看護師長がしゃがみ込み、蓮音と目線を合わせる。

 

「うん。僕、もっと色んな世界を見てみたい。それに、もっとたくさんの人を助けられるかもしれないから」

 

 蓮音のまっすぐな瞳を見て、看護師長は観念したように小さく息を吐いた。

 

「……そう。大きくなったわね」

 

 彼女はたまらなくなり、蓮音を思い切り抱きしめた。温かく、少しだけ涙の匂いがするハグだった。

 

「いい? 辛くなったら、いつでも帰ってきなさい。ここはあなたの家なんだから」

 

「うん、ありがとう。時間がある日は絶対遊びに来るからね!」

 

 優しく頭を撫でられながら、蓮音は満面の笑みで頷いた。

 病院のスタッフたちに見送られながら外に出た二人。五条は蓮音の肩に手を置いた。

 

「それじゃ、行こっか。新しい学校へ」

 

 再び空間が歪み、一瞬の浮遊感の後、蓮音の視界に飛び込んできたのは、重厚な木造建築が立ち並ぶ、寺院のような広大な敷地だった。

 

「うわぁ……! 山の奥にお寺があるみたい! ここが学校なの?」

 

 蓮音は目をキラキラさせながら、東京都立呪術高等専門学校の敷地を物珍しそうに見回した。カラスの鳴き声が響き、空気がどこか張り詰めているように感じる。

 

「そう、ここが呪術高専。あ、そうだ蓮音くん。一つ大事な忠告」

 

 五条は歩きながら、少しだけ声を落として言った。

 

「昨日会ったピンク髪の子――虎杖悠仁だけど、高専のみんなには『いろいろあって死んだ』ことにしてるんだ。だから、彼と一緒にいたことや、名前は絶対に出さないようにね。サプライズの準備中だから」

 

「え? 死んだことにしてるの? サプライズ?」

 

 蓮音はよくわからなかったが、死んだフリのドッキリか何かだろうと解釈し、ニコッと笑って頷いた。

 

「うん、わかった! 内緒だね!」

 

「よし、いい子。じゃあ、さっそく同級生に会いに行こうか」

 

 五条に連れられ、薄暗い木造の廊下を進む。やがて、一つの教室の前で立ち止まった。中からは、言い争うような若い男女の声が聞こえてくる。

 

「だーかーら! なんで私たちがこんな朝早くから教室で待機してなきゃいけないわけ!? 五条のバカの気まぐれに付き合うなんて御免なんだけど!」

 

「文句を言うな、釘崎。……まああの人が呼び出す時は、ロクでもないことか、極端に重要なことのどっちかだ」

 

 ――ガラッ!!

 

 突然、勢いよく教室の引き戸が開かれた。

 

「はいはーい! 朝から元気だね二人とも! 今日はビッグニュースを持ってきたよ!」

 

 ハイテンションで飛び込んできた五条に、中にいた一年生の伏黒恵と釘崎野薔薇は、あからさまに嫌そうな顔を向けた。

 

「なんですか、朝から……」

 

「ビッグニュースって何よ? また出張のお土産が買いきれなかったからパシリにするとか言わないわよね?」

 

 二人の冷ややかな視線を浴びながらも、五条は満面の笑みでビシッと入り口を指差した。

 

「なんと! 同じ一年生の転校生の紹介でーす!! さ、入っておいで!」

 

 五条の声に促され、入り口の影から、ゆっくりと、恥ずかしがりながら小さな人影が現れた。

 大きめのパーカーの袖を少し余らせ、上目遣いで教室内を覗き込むようにして入ってきたのは――蓮音だった。

 

「……えっ?」

 

「……は?」

 

 伏黒と釘崎は、完全に思考が停止した。

 呪術高専の一年生に転校生。どんなヤバい奴が来るのかと思えば、現れたのはどう見ても中学生以下にしか見えない、しかも「可愛らしい」という概念が服を着て歩いているような、天使のような少年だったからだ。

 

「あ、あの……。水瀬(みなせ)蓮音(れんね)です。えっと……よろしくお願いします」

 

 モジモジしながら、少し頬を染めて頭を下げる蓮音。その破壊力は凄まじかった。

 

「な、なななななッ!?」

 

 最初に反応したのは釘崎だった。彼女は椅子からガタッ! と立ち上がり、信じられないものを見るように蓮音を指差した。

 

「ちょっと五条先生! なにこの生き物!? めちゃくちゃ可愛いじゃない!! あんた、どこの事務所からスカウトしてきたのよ! いや違う、誘拐!? 警察呼ぶわよ!?」

 

「失礼だなあ。ちゃんと正規の手続きを踏んで編入してきた、立派な呪術師の卵だよ。年齢も……まあ一応君たちと同じ、15歳ってとこかな」

 

「15歳!? 嘘でしょ、どう見ても小学生……いや、中一にしか見えないわよ!」

 

 釘崎がズンズンと蓮音に詰め寄る。蓮音は少し驚いて後ずさったが、釘崎は目を輝かせながら蓮音の顔を至近距離で覗き込んだ。

 

「肌っやば! 毛穴ないじゃない! まつ毛長っ! なによこれ、どんなスキンケアしてるの!? ああもう、着せ替えたい! 原宿連れてってフリフリの服とか着せたい!!」

 

「ひゃっ!? あ、あの……えっと……」

 

 圧倒的なギャルオーラにタジタジになる蓮音。その様子を、伏黒は頭痛を堪えるようにこめかみを押さえながら見ていた。

 

「……釘崎、落ち着け。引いてるぞ」

 

 伏黒はため息をつきながら立ち上がり、蓮音の前に立った。鋭い三白眼で、蓮音を上から下まで観察する。

 

「俺は伏黒恵。こっちのうるさいのが釘崎野薔薇だ。……お前、本当に呪術師なのか? 呪力の総量はとんでもないが……なんだ、この澄んだ呪力は。気配が全く読めない」

 

 伏黒の禪院家の血を引く優れた感覚は、蓮音の異常性を感じ取っていた。強大な力を感じるのに、攻撃性や負の感情が一切ないのだ。

 

「えっと、伏黒くんと釘崎さんだね。うん、呪術師……って言うのかな? 僕は『極楽浄土』っていう術式で、怪我を治したりできるんだ。戦うのは苦手だから、サポート役として頑張るね!」

 

 蓮音がニコッと笑うと、その場の空気がフワッと軽くなり、春の陽だまりのような温かさに包まれた。伏黒すらも、無意識のうちに肩の力が抜け、警戒心が削がれていくのを感じていた。

 

(……なんだこれ。声を聞いただけで、呪力の乱れが整っていく……? 異常だ)

 

 伏黒が内なる驚きを隠せずにいると、釘崎が完全に母性に目覚めたような顔で蓮音の頭を撫で回し始めた。

 

「いいわ! アンタは今日から私の弟分よ! よからぬ虫がつかないように、私が守ってあげるからね!」

 

「えへへ、ありがとう釘崎さん」

 

「さん付けは禁止! 野薔薇姉さんって呼びなさい!」

 

 完全に蓮音のペース(本人は無自覚なのだが)に巻き込まれ、和やかな空気が教室を満たしていた。新入生というよりも、マスコットキャラクターを迎え入れたような雰囲気だ。戦場の過酷さなど微塵も感じさせない。

 

 その光景を満足げに腕を組んで眺めていた五条が、ふと、思い出したように口を開いた。

 

「あー、そうそう。言い忘れてたけど」

 

 五条の軽いトーンに、伏黒と釘崎が視線を向ける。

 

「この子、等級は『特級』だから」

 

 ボソッと、まるで「今日の昼ごはんはカレーだよ」とでも言うかのようなテンションで告げられたその一言。

 

 ぴたり、と教室の時が止まった。

 釘崎の、蓮音の頭を撫でる手が硬直する。

 伏黒の目が、これ以上ないほど見開かれる。

 

「……はい?」

 

「……は?」

 

 二人の声が見事にハモった。

 特級。それは、呪術界において国を単独で転覆させるほどの力を持つとされる、規格外のバケモノにのみ与えられる称号。現在、日本にたった四人しか存在しないはずの、異常事態の代名詞。

 

 目の前で首を傾げ、「とっきゅう?」と不思議そうに瞬きをしているこの天使のような少年が、そのバケモノの一人だというのだ。

 

「嘘だろ……」

 

「いやいやいや! 冗談キツいわよ五条先生! こんな可愛い子が特級なわけないじゃない!!」

 

 教室の中に、本日最大級の、二人の驚愕の絶叫がこだました。

 蓮音の波乱に満ちた高専生活が、今、賑やかに幕を開けたのだった。

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