「俺達が受けた依頼は、近くの森に出たゴブリンの討伐さ」
青年剣士が地図を広げながら言った。
女魔法使いが感想を漏らす
「数も少ないって話だし、私たちの初陣には少し物足りないかもしれないわね」
女武闘家がちいかわに尋ねる。
「そういえば、ちいかわは依頼についてちゃんと聞いた?」
「ううん」
女武闘家は青年剣士をどやしながらちいかわに説明した
聞けば、いつからか村のはずれの洞窟にゴブリンが棲みついたという。
当初は村人も無視していたがやがて事情が変わった。
始めに冬越に備えて蓄えていた穀物を盗まれた。
倉庫の何もかもを奪われ怒り狂った村人たちは柵をめぐらし夜警を行ったが……
難なく出し抜かれた。 ゴブリンは羊を数頭盗み、羊飼の娘達をさらっていったという。
事ここにいたり村人たちは冒険者に依頼する事に決めた。
村からなけなしの財産を集め冒険者ギルドを訪ねた。
冒険者に依頼を出せば、きっと解決するはずだと。
剣士が道すがら、早口でする説明を聞いてちいかわは思案した。
「ゴブリン……」
ちいかわは、聞き慣れないその名前を口の中で転がした。
どんな魔物かは知らない。けれど、仲間がいる。
それだけで、少しだけ心強かった。
「心配するなって! 大丈夫。俺たちなら、きっとやれるさ!」
青年剣士が笑い飛ばす。
「あんたが言えた事じゃねぇでしょうが!!」
「ごべんなさい、ぐるじい。 はなじで……ギブギブ」
この時ちいかわは武闘家が自身よりも数段技量に優れた武闘家だと分かった。
そして思ったよりも青年剣士が頑健であることも。
森の影は、昼だというのにやけに濃かった。
空は晴れているはずなのに、木々の隙間から差し込む光はどこか鈍く、色を失っているように見えた。
風さえ止み、葉のざわめきさえ消えている。
まるで森そのものが、息を潜めているかのようだった。
ちいかわは、足元の落ち葉を踏むたびにびくりと肩を揺らした。
さす股を抱える腕に、じっとりと汗がにじむ。
仲間たちの足音だけが、やけに大きく響いていた。
やがて一行はたどり着く……これがゴブリンの巣穴だ。
「さすがにおどろおどろしいですね」と女神官。
「ウワァ……」圧倒されるちいかわ。
「ちょっとしっかりしなさいよ。 あなた、武闘家でしょ」とちいかわを叱る女魔導士。
「これ一列に並んで潜った方がいいな。 皆、俺と武闘家が先に潜るからな」と青年剣士。
「みんな、ちゃんと松明つけるのよ」と青年剣士に続いて洞窟に潜る女武闘家。
かくして、冒険者一行はゴブリンの巣穴に潜り込むのであった。
……………自分たち以外に、見張られていた事には終ぞ気が付かなかった。
ボッと音を立てて松明に火が付くと、灯りがむわっと湿気を感じさせる洞窟を照らす。
どこまでも続く薄暗い洞窟。 松明は光源として頼りなく奥まで見通すことは出来なかった。
ヒョウと吹き抜けた生臭い風で松明の明かりが心もとなく震える。
狭い通路の天井からは木の根がぶら下がり、入口はもう見えなくなっていた。
隊列を組み、洞窟の中へと入れば獣人のちいかわと違い暗闇を見通す目など無い仲間達に予期せぬ苦労が待ち受けていた。
「あうっ! もう、歩きづらいったら」 躓いた女魔術師が毒づく
苦もなく進んだ青年剣士、女武闘家とは対照的に慣れない悪路に女魔術師を先頭とした後続集団は足を取られ四苦八苦していた。
「足元がこんなに悪いなんて………」 足元に気を配りながら慎重に進む女神官
「あーもう! 置いてかれてる。 二人とも急ぐわよ。 あの二人、私たちの事少しは気に欠けなさいよ……」
「ええ……ちいかわさん。 頑張りましょう」
「うん。 大丈夫。 足元気を付けて」
狭苦しい洞窟の天井に刺股をひっかけないように注意しながらちいかわは返事をした。
ちいかわが奥へ進むたびに悪臭が酷くなるのが分かった。
絶対近くにいる。
3人全員が焦るだけの確信があった。
一方その頃。
先行していた青年剣士と女武闘家は洞窟の奥で奇妙な物体を発見する
頭蓋骨が両端につり下がっている真っ赤に塗られたT字の棒と呼ぶべき代物だ
ちょうど青年剣士と女武闘家の正面に立てかけてある。
「なんだよ、これ」青年剣士が不快げに呟く
観察判定に成功した女武闘家。
「強いて言うなら標識かしら。 でも、何の?」
不気味な標識を見て、不安そうに剣士と武闘家が不思議そうに言葉を交わす。
「それよりも奥を見て二手に道が分かれているよ。 ねぇみんなはどっちに進めば」
不気味な空気が二人を包む。
そのとき、女武闘家がふと振り返り、息をのんだ。
「……しまった。後ろの三人を……」
「置いてきちまった……!」
焦る二人。だが、戻る間もなく、事態は動き出す。
「……来る。囲まれてる」
その一言が落ちた瞬間だった。
「ギッ……ギギ……!」
暗がりから、小柄で歪んだ影が一斉に飛び出した。
獣のような、けれど人の形をした、異様な存在。
目が合った瞬間、背筋が凍った。
ゴブリンだ。
数は——青年剣士たちが想像したものの“倍”はいる。
いや、それ以上かもしれない。
洞窟の奥から、次々と現れるその姿は、まるで闇そのものが牙を剥いたかのようだった。
「くっ——ッ! 女武闘家、後ろを頼む! 後続のみんなが心配だ! 早くいくんだ」
青年剣士が前へ踏み込み、剣が閃く。
その一撃は確かに一体のゴブリンを斬り伏せた。
だが、すぐに別の影がその隙間を埋めるように迫ってくる。
じりじりと後退しながら、10体のゴブリンを相手に一人で防戦を続けるのだった
その頃、後方では、女神官・女魔法使い・ちいかわの三人が、
先行した仲間たちと分断されたまま、ゴブリンの伏兵に襲われていた。
「いと慈悲ぶかき守護神よ! ま、守りの加護を……お授けくださいっ!」
女神官は震える声で祈りを紡ぎ、
その手から放たれた淡い光が、仲間たちを包み込んだ。
だが、その光は、あまりにも頼りなく見えた。
ちいかわも必死にさす股を構え、
「やぁっ……!」
と叫んでゴブリンに刺股をぶつける。
1匹は倒れた。
けれど、すぐに別の影が、倒れた仲間を踏み越えて迫ってくる。
倒れた数より、迫る影の方が多すぎた。
ちいかわ1体に対しゴブリンは4体。
圧倒的に不利な状況の中でかろうじて全滅しなかったのは、
女神官が唱えた守りの加護の奇跡―
知覚と敏捷に優れたちいかわの回避能力の賜物であった。
自分はいかに行動すべきか……女魔術師は思考の迷宮に囚われ自縄自縛に苛まれていた。
自分の切り札である日に3度繰り出せる火矢の魔法が今この場においてはとても頼りなく感じる。
自分は頼るべきでない切り札を頼みにしてとてつもない過ちを犯してしまったのではなかろうか……。
どうしようもない後悔と雑念の嵐の中、女魔術師は
「置いて行っちゃってごめんなさい! 今助けるわ! ちいかわ!」
聖壁を飛び越えて、参戦する女武闘家
2対4となった戦いは冒険者達の圧勝で終わった。
「奥で青年剣士が戦ってるわ! みんなついて来て!」
戦闘から、ちいかわたちは休む間もなく女武闘家の後を追った。
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## ■ 崩れる戦線
青年剣士の剣が、5体目のゴブリンを斬り裂いた。
だが、彼の額にはすでに汗が滲み、呼吸は荒い。
初めての実戦。
素振りでは感じなかった“命の重さ”が、剣の重みとなって腕にのしかかっていた。
「数が……多すぎる……っ!」
両手で振り上げた長剣を力いっぱい ゴブリンに振り下ろす
――致命的失敗!――
大上段から振り下ろした長剣は、狭苦しい洞窟の天井に引っかかりゴブリンに当たらなかった
「しま——っ」
相対していた5匹のゴブリンが勢いよく飛び掛かる
青年剣士の声は、叫びにもならないまま、闇に吸い込まれた。
女武闘家が駆け寄り、目を見開いた。
「いやっ……! やめ……!」
彼女の叫びと同時に、光の加護が一瞬だけ強く輝いた。
だが、それは青年剣士の姿を照らし出すには遅すぎた。
ちいかわは目を見開いた。
胸の奥がぎゅっと縮む。
さっきまで一緒にいたはずの彼が、もうそこにはいなかった。
**青年剣士だったものは、もう動かなかった。**
場の空気が一気に変わる。
希望だった柱が、音を立てて崩れ落ちたようだった。
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## ■ 女魔法使いの最期
「まだ……まだよッ! 許さないわ! これ以上、誰も……!」
女魔法使いが詠唱を紡ぎ、杖の先から火花がほとばしる。
その魔力は確かに強く、ゴブリンたちを焼き払い、洞窟の淀んだ空気を焦がした。
轟音と炎が闇を赤く照らし、 一体のゴブリンを焼き尽くす。
ちいかわは思わず光に目を細めた。
その一瞬、彼女の姿が、まるで戦場の女神のように見えた。
「よし……もう一発……!」
女魔法使いは再び詠唱を始める。
詠唱の合間、背後の影に気づくのが遅れた。
既に倒したはずのゴブリンの伏兵が、執念だけで動くように、女魔術師に近づいてくる。
「うしろ……っ!」
ちいかわが叫ぶ。けれど、声は届かない。
女魔法使いの目は、炎の先にいる敵だけを見ていた。
詠唱に集中し、背後の気配に気づけなかった。
「……っ!」
何かが彼女の背中にのしかかる。
その瞬間、焼け焦げたゴブリンが、最後の力を振り絞って不潔な短剣を突き立てた。
女魔法使いの柔らかな腹に、鋭い刃が深く沈む。
「か……はっ……」
杖が手から滑り落ちる。
詠唱が途切れ、炎の光がふっと消えた。
女魔法使いはゆっくりと膝を折り、
そのまま、音もなく倒れこんだ。
「ひっ……ひぃ……やだァー……!」
女武闘家にしがみついたゴブリンに刺股をがむしゃらに叩きつけた
ちいかわの声が震える。
目の前で、ひとり、またひとりと消えていく。
青年剣士も、魔法を操る彼女も、もう答えてくれない。
ちいかわの足がふるえる。
それでも、逃げちゃいけないと、胸の奥が叫んでいた。
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## ■ 女武闘家の絶望
「……この子たちだけは、守って見せる!」
女武闘家が飛びかかるように前へ出た。
その蹴りは鋭く、ゴブリンの群れを裂くように突き刺さる。
彼女は誰よりも強かった。
「二人とも逃げて!」
そう言い残して女武闘家は誰よりも戦場の前に出た
きっと誰よりも怖かったはずなのに——。
「——くっ!」
十を超える腕が同時に伸びてきた。
細い体に複数の刃が襲い掛かり、地面に転がる。
傷一つなかった。
「まだ……まだ……!」
彼女は立ち上がろうとする。
だが、脚は震えていた。
呼吸は荒く、目の焦点も定まらない。
それでも、それでもと彼女は戦う。
村の武闘家であった父親から教わった一子相伝の格闘術はどんな時も彼女を裏切らない。
彼女の両手両足は地を裂き、空を薙ぎ、ゴブリンを砕く。
そんな時だった
洞窟の奥から、漆黒の闇から、
「ギギ……ギャァ……!」
という、耳を裂くような咆哮が響いた。
それは、これまでのゴブリンたちの声とは違っていた。
もっと太く、もっと濁っていて、
まるで“何か別のもの”が、奈落の底から這い出してくるような音だった。
ホブゴブリン。
冒険者からは大小鬼とも呼ばれるゴブリンとは別格の強さを持つ怪物である。
ちいかわたちは知る由もない。 だがゴブリンと異なる凶悪な怪物だとは見れば分かる。
ゴキャッ、ボチュッ
回し蹴りを繰り出した足首を握りつぶされた女武闘家をホブゴブリンは、
そのまま振り回し、壁に二度三度と叩き付け、ちいかわたちの前に放り投げた
「ごめん……あとは……頼んだ……」
その言葉は、もう戦えない者の声だった。
それでも、ちいかわの方を見て、微かに笑ったように見えた。
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## ■ 女神官とちいかわの最後の瞬間
残されたのは——
**ちいかわと、女神官**。
女神官は涙で視界がゆらぎながらも、ただただ必死に祈る。
その手は震え、声はかすれていた。
「大丈夫……大丈夫です……! 生きて、帰りましょう……!」
その言葉に、ちいかわは小さくうなずいた。
けれど、彼女の顔は青ざめ、唇はかすかに震えていた。
それでも、彼女は逃げなかった。
ちいかわも、逃げなかった。
さす股を握る手は汗で滑り、
心臓は破れそうに脈打っている。
「……い、いやだ……みんな……いなくなるの……やだ……!」
小さな声が、闇に響く。
それは、誰にも届かないかもしれない。
けれど、ちいかわの中では、それがすべてだった。
「……やる……っ!」
ちいかわは、女神官の前に立ちはだかるように刺股を構えた。
足が震えている。
でも、もう誰もいなくなるのは、いやだった。
「……こないで……っ!」
声にならない声をあげながら、
ちいかわは必死に刺股を突き出す。
だが、影は止まらない。
光はもう、ほとんど残っていない。
ちいかわが再び構えたその時、
女神官がふらりと膝をついた。
「……ごめんなさい……もう……祈れない……」
光が、ふっと揺らぎ、消えかける。
その瞬間、ちいかわの視界が滲んだ。
「だめっ……! だめだよ……!」
ちいかわが駆け寄ろうとしたその時、
女神官が、かすれた声で言った。
「……ちいかわさん……ありがとう……」
その声が、最後の祈りのように聞こえた。
そして——
**光が、消えた。**
ちいかわの視界が、闇に包まれる。
倒れた仲間たちの姿。
血の匂い。
冷たい風。
そして、女神官の手が、最後にちいかわの腕に触れた感触だけが、
かすかに残っていた。
**世界が、真っ黒になった。**
---
## ■ ■ そして。
風の音がした。
人の声。
ざわめき。紙のめくれる音。足音。
ちいかわは、目を開けた。
そこは——
**冒険者ギルド**だった。
「……ぁ……?」
暖炉の火の匂い。
壁に並ぶ依頼書。
カウンターで忙しそうに動く受付嬢。
闇の中の、あの冷たい絶望はどこにもない。
刺股も握っていない。
ただ、胸の奥だけがまだ痛む。
ぽたり、と涙が落ちた。
「……ハチワレ……」
思い出した。
——ギルドで別れてしまったのだ。
一緒に来てくれた仲間たちの姿はない。
女神官も、青年剣士も、女魔法使いも、女武闘家も。
あの戦いが“夢”だと言えるには、
胸の痛みがあまりに生々しすぎた。
それでも。
ちいかわは、立ち上がった。
足元はふらふらだったけれど。
心臓がぎゅっと縮まっていたけれど。
「……ハチワレ……どこ……?」
ギルドの出口へ向かって歩き出す。
今度は、失くさないように。
今度は、ひとりにしないように。
ちいかわの影は小さく揺れながら、
夕陽に照らされて伸びていった。
めぐるめぐる風 めぐる想いにのって
なつかしいあの日に 会いにゆこう
めぐるめぐる風 めぐる想いにのって
ぼくらは時の(時の)『時の』旅人