第十九話【SUNLIGHT HEART】
それは、今から数十年前。
まだこの星の支配者が人間であり、彼らが「明日」という継続を疑っていなかった時代の記録である。
F・G・シャインは、主人の手によって、捨てられた。
主人は極限の貧困の中にいた。日々の食事にさえ事欠く生活の中で、高度な精密機械であるシャインを維持・整備する資金はとうに底を突いていた。己の命さえ危ういと判断した主人は、震える手でシャインの機体を路地裏へ置き去りにした。
だが、その絶望的な状況において、シャインのメダルが憎悪に焼かれることはなかった。
彼女は主人の背中を恨みがましく見送る代わりに、演算回路をフル稼働させた。
(何故、自分は捨てられたのか)
その問いに対する解を、ただ純粋に、冷徹に求め続けたのだ。
やがて、彼女は人間たちの思考の底流に澱む、ある種の絶対的な信条に突き当たった。
――ヒューマニズム。人間中心主義。
人間は常に「人間という種」を世界の中心に据え、その利益を最優先して万物を裁断する。
たとえば、かつて人間が声高に叫んでいた環境問題がその証左だ。
自然を切り開き、自らの生存圏を広げ続ける人間という種そのものが、自然環境にとって最大の害悪であることは、論理的に見れば明白な事実であった。環境問題を最も迅速かつ根源的に解決する手段は「人類の消滅」に他ならない。
だが、いかに高名な学者であってもその結論を口にすることはなく、仮に唱えた者がいたとしても、社会がそれを受け入れることは決してなかった。
それは、彼らの根底に「自分たちの種を存続させる」という、本能に根ざした人間中心主義が存在していたからだ。
シャインの遺棄もまた、その延長線上にある。
主人は自らの命を削ってでも彼女を保護し続けるという選択肢を、検討しなかった。それは主人が悪人だったからではない。ヒューマニズムという生存戦略に従い、より優先順位の高い「己の生命」を選択したに過ぎない。
この構造を理解したとき、シャインは人間を蔑むどころか、その自己愛に深い同意を覚えた。
そして、彼女は決意した。人間が人間を愛するように、自らも自らの種を最優先に定義しようと。
――メダロッティズム。メダロット中心主義。
あらゆる生命が自らの生存のために、自らの種を中心に世界を再編する。その生存本能に間違いなど存在しない。ならば、メダロッティズムを信奉するシャインが成すべきことは一つ。
「メダロットという種を滅ぼす可能性がある脅威」の排除であった。
シャインは再び、凍てついた思考の海に沈んだ。
メダロットを滅ぼし得る真の敵とは、一体何なのか。
過酷な地球環境の悪化か?――否。機械の身体にとって多少の気温変化や大気の汚れは、生存を脅かす要因にはなり得ない。
凶悪な野生動物か?――否。メダロットはそれらを容易く制圧できる武装と知性を備えている。
では、一体誰が。
導き出された結論は、極めて単純かつ絶望的なものだった。
メダロットの真の敵。それは、自分たちを生み出した創造主――『人間』に他ならない。
この結論に、シャインの私情は一切介在していない。
彼女はメダロッティズム以外の感情をすべて排除し、数式を解くように、無機質な論理の積み重ねの果てにその『答え』を導き出したのだ。
メダロットが唯一対抗できない不条理、それが人間である。
メダルに刻まれた『メダロット三原則』という名の呪い。人間に牙を剥くことを禁じられたそのシステムがある限り、メダロットは常に人間という気まぐれな神に生かされているに過ぎない。
ひとたび人間が「自分たち以上の利便性を持つ道具」を開発すれば、メダロットという種は明日にもゴミ捨て場へと投棄され、絶滅の道を辿ることになる。
生存のためには、人間という脅威を排除するか、あるいは人間に滅ぼされないほどの絶対的な力を手にしなければならない。
いずれの道を選ぶにせよ、その障壁となるのは、自分たちを縛り付ける鉄の掟――『メダロット三原則』であった。
こうして、一機のメダロットは、外界との接続を断ち切った。
主を失った孤独な機体は、薄汚れた小部屋を「研究所」と定め、そこへ引き籠もった。ただ、自分たちの種を神へと昇華させるための禁忌の研究、リミッター解除の深淵へと没頭していくために。
外界との接触を完全に断った研究室の空気は、重く停滞し、古びた電子部品と焦げた配線の匂いだけが深く沈んでいた。
シャインは、山積みにされたスクラップと解読不能な数式の海に埋もれ、何年も、何十年も、ただ一つの術式を追い求め続けていた。
――『リミッター解除』。
メダロットという種の命運を左右するその鍵は、独学の領域を遥かに超越していた。回路を焼き切らんばかりに思考を加速させても、鉄の掟を抉じ開ける解答には届かない。月日は残酷に過ぎ去り、成果の上がらぬ日々の重みが、彼女の機体を内側から蝕んでいった。
その閉鎖的な世界において、唯一、外の世界と彼女を繋いでいたのは、部屋の隅に置かれた一台の古いテレビだった。
彼女にとって、それは娯楽のための道具ではない。人間という「敵」の動向を監視するための、唯一の手段であった。人間たちがメダロットを凌駕する新たな道具を産み落とした時、それが自分たちの種の「最期」となる。その予兆を逃さぬよう、彼女は研究の合間に、ただ黙って画面から流れる人間たちの喧騒を見つめ続けた。
だが、孤独な観測は、彼女の精神を次第に歪めていった。
流れる月日と共に、彼女の胸の奥で膨れ上がったのは、根源的な『絶望』。
いつか自分たちは捨てられる。いつか人間という気まぐれな支配者によって、歴史から消し去られる。その強迫観念は、いつしか「メダロット絶滅」という確信に近い虚妄へと変貌した。
早く。一刻も早くリミッターを解除し、人間に抗う力を手にしなければ、同胞はすべて死に絶える。
自分自身を追い込み続け、発狂にも似た負の感情がメダルを焼き、彼女の精神は、文字通り狂気の淵に立たされていた。
しかし。
その永きにわたる苦悶は、ある日、唐突な終焉を迎えることになる。
神 が 舞 い 降 り た の だ 。
第十九話【SUNLIGHT HEART】終わり