第四十三話【白い恋人達】
ヴァレンがシャインと共に、光の塵となって消滅してから数時間後。
空中要塞フユーンの内部に
ナギサ: 「やぁ。……体の調子はどうだい?」
ナギサの声は、いつもと変わらず穏やかだった。けれど、その微笑みの奥には拭いきれない
ナギサ: 「空中要塞フユーン。……かつて支配のために造られた、偽りの楽園の内部さ」
ナギサにしては短い解説に、ワンダはようやく自らの状況を把握した。だが、すぐに別の、もっと切実な記憶が彼女の回路を駆け巡る。彼女は
ナギサ: 「漆黒の魂。……君の旧友たる者だね。彼は一時的に君の身体を借り、神と戦ったのさ。……その間、君の意識は深い眠りの中にあったようだ」
ワンダ: 「あ!! やっぱり!!」
ワンダはベッドから弾かれたように跳ね起きた。一気にいつものテンションを取り戻し、身振りを交えて
ワンダ: 「夢の中にヴァレンが出てきてさ! 結婚しただのなんだの言って、ずっと
勢いよく喋っていたワンダの動きが、不意に止まった。彼女は遠くを見つめるように視線を彷徨わせると、重力に逆らうことも忘れ、ゆっくりとベッドの縁に腰を下ろした。
ワンダ: 「最後に言ったの。……本当の、さよならだって」
ナギサは何も言わず、ワンダの隣に静かに腰掛けた。そして、壊れ物を扱うような優しさで、彼女の頭の上にそっと手を置く。ワンダが「え……」と小さく声を漏らして見上げると、ナギサは穏やかに目を瞑っていた。
ナギサ: 「彼に言われたよ。……君のことを頼んだとね」
ワンダ: 「え、えぇ……! な、なんでナギサさんが……わ、私のこ、こ、ことを……」
ワンダの頬の装甲が、急激な温度上昇によって淡い紅潮を帯びた。もじもじと指先を動かし、視線を泳がせる彼女。そんな姿を、ナギサはいつもの爽やかな笑みで見つめ直す。
ナギサ: 「……嫌なのかい?」
ワンダ: 「い、嫌じゃないけど……」
いっそう頬を赤らめ、ワンダは顔を俯かせた。ナギサは目を瞑ったまま、満足げな微笑みを浮かべて沈黙を守る。
静寂。
要塞の空調が鳴らす微かな唸り音だけが、二人の間を通り過ぎていく。顔全体を真っ赤に染めたワンダは、その気恥ずかしさに耐えきれず声を上げた。
ワンダ: 「な、なんか……喋ってよ……!!」
ナギサ: 「フフフ。……話が長いと、いつも怒っているのは君だろう?」
ワンダ: 「そ、そうだけど……」
再び訪れる静寂。
ワンダは慌てて話題を探し、最も大切な「気がかり」を思い出した。彼女は何度も言葉を詰まらせながら、問いかけた。
ワンダ: 「そ、そうだ! コ、コスモス!! コスモスは、ど、どどど、どうなったの!?」
あまりの動揺に、自分でも呆れるほど支離滅裂な喋り方になってしまった。笑われる、とワンダは肩をすくめたが、その問いはナギサの顔から長く続いていた笑みを一瞬で拭い去った。
ナギサは顔を伏せ、ワンダから目を逸らす。その重苦しい沈黙が、ワンダの
ナギサ: 「コスモスは……。今――――」
―
カヲス: 「設備が…………少々……不十分……かもな」
空中要塞フユーンの内部、かつて研究室として使われていた一室。ワンダとナギサを除く全員が、そこに集まっていた。
カヲスは周囲に散乱する鉄屑や剥き出しのコードを、実体化したゴーストの腕で疎ましげに退けながら、独りごとのように毒づいた。彼の三本の角は、微細な放電を伴って苛立たしげに震えている。
竜: 「やはり、一度エデン国にメダルを持ち帰るべきだと思いますが? 」
竜の至極真っ当な進言。しかし、カヲスはそれを即座に、氷のような声で撥ね退けた。
カヲス: 「駄目だ……。もし今、私が公に姿を現せば……。コスモスを救う前に、私は『不都合な生存者』として両国に捕捉されてしまうだろう」
ディスト: 「別にカヲスが行かなくても、エデンの科学者の人たちがやればいいじゃない。その方が確実だよ」
ディストが深い意図もなく口にしたその瞬間、カヲスの瞳の奥が、沸騰した血液のような禍々しい「紅」に染まった。
カヲス: 「…………ッ!!」
凄まじい威圧感。ディストは蛇に睨まれた蛙のように硬直すると、あまりの恐怖に二、三歩後ずさった。カヲスは自身の殺気を辛うじて抑え込むと、震える声で、けれど断固とした意志を告げた。
カヲス: 「私でしか……。このメダルの修復は無理だ。……それに。私は…………彼女と、約束したのだからな」
カヲスは掌に載せた、深い傷を負ったメダルを愛おしげに見つめた。
あの日。教会の地下で、咲き誇る秋桜の花に囲まれながら、自らの存在が消えることを怯えていた彼女に、彼は誓ったのだ。
――私が、戻してやる。だから、心配するな、と。
『……やらせてあげて!!』
部屋の入り口から、凛とした声が響いた。
振り返れば、そこにはナギサに支えられたワンダが立っていた。
ローラ: 「ワンダ! 身体はもういいのか?」
ワンダ: 「うん……。もう大丈夫。それよりも、カヲスにコスモスを直させてあげて。……私からも、お願い!!」
ワンダが深く頭を下げる。かつて自らの手で死神を葬った天使の切実な訴え。
ナギサ: 「僕たちは教会で、カヲスとコスモスの様子をずっと見てきたからね。少しばかり、情……アフェクションが移ってしまったようだ。僕からも頼むよ」
ナギサもまた、恭しく礼を尽くす。
その光景を前に、ローラたちは顔を見合わせた後、静かに頷き合った。全員の意志を汲み取り、竜が代表して口を開く。
竜: 「……仕方がありませんね。カヲスさん、貴方に託しましょう」
その言葉に、ワンダの顔がパッと明るくなった。彼女がカヲスに向けて力強く親指を立ててみせると、普段は無愛想な彼も、僅かにレンズを伏せて軽く会釈を返した。
カヲス: 「本来なら……。私一人の力で完遂すべき手術だが。……ここは、設備が不十分すぎる。……すまないが、貴様らの力を借りるぞ」
タイン: 「さり気に当たり前だろうが!! 水臭ぇこと言ってんじゃねぇ!」
リーブ: 「言うときますけど、コスモスさんを心配してんのはカヲスさんだけやありませんからね!」
カヲス: 「…………。すまない」
カヲスは短く感謝を口にすると、修復台へと向き直った。
かつての敵、かつての仲間。その垣根を越えた、命を繋ぐための「共同作業」が始まった。
―
見渡す限りの、白。
地に足をつけているのか。
あるいは、ただ宙を漂っているのか。
上下左右、そして前後すらも、何一つとして理解できない空虚な空間。
生きているのか。
あるいは、既に死の淵を越えたのか。
自身の意識が彼方へと消失したかのような、絶対的な静寂。
そんな不可思議な領域に、彼女は独り、取り残されていた。
コスモス: (ここは……? 私は……?)
自分という存在の輪郭以外、世界には何の色も、何の音も、何の熱も存在しなかった。コスモスはただ、この果てのない白の中を、当てもなく彷徨い続ける。
コスモス: (視界のすべてが、白……。あの人と同じ色、ですね……)
意識の底で思い描くのは、三本の漆黒の角を持つ白い龍の姿。
自分を孤独から救い、名前を呼んでくれたカヲスの色。その記憶だけが、凍てつきそうな意識を辛うじて現世へと繋ぎ止めていた。
『貴殿が、今のエデンの長……コスモス殿かな?』
ふいに、その静寂の海に、しわがれた老人の声が響いた。
コスモスは弾かれたように辺りを見渡したが、声の主の姿は見当たらない。ただ延々と、どこまでも純白の虚無が続いているだけだ。
コスモス: 「そう……。私は、コスモスです」
どこに向けて声を発すれば良いのかも分からなかった。けれど、彼女は直感に導かれるまま、頭上にあるはずの「空」へと向かって言葉を紡いだ。
すると――。
その場所から、何かが染み出すように現れた。
白い空間そのものが凝縮され、再び固体としての形を成したかのような。物理的な出現とは全く異なる、奇妙で不気味な具現化。
『そうか。お会いできて光栄だ』
現れた者は、その掌をコスモスの手に合わせたかのように、僅かに収縮させて形を整えた。そして、優雅な所作で彼女へと右手を差し出し、握手を求める。
コスモス:(この方は……。本当に、初めて会う人なのだろうか……?)
そんな疑問が、コスモスの回路を過る。
記憶には存在しない。だというのに、自らの
抗いがたい衝動に突き動かされ、コスモスはおずおずとその手を握り返した。冷たいはずの金属の掌から、不思議な安らぎが伝わってくる。彼女は震える声で尋ねた。
コスモス: 「貴方は……。だれ、ですか?」
彼は、年老いた紳士のように落ち着いた笑みを口元に湛えると、静かにその名を告げた。
『私は神……。名はNight・God・ライト』
第四十三話【白い恋人達】終わり