で? どれが実在する記憶なんです?   作:RGNGNO

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リュウイチが洗脳されているか否かについて。

 ─────実に大変な事態になってしまった。

 

 光輪(ヘイロー)を頭上に戴いた()()である橺山(くぬぎやま)リュウイチは、頭痛を訴える頭を抑えて溜息を吐いた。

 

「お前が! お前らが! リュウイチを洗脳したんだ!!」

「そうじゃないって何度言えばわかるのかしら!? 彼はずっと私たちと居たのよ!?」

 

 その小柄な体に見合わぬ大きな盾を携え、敵意を剥き出しにした顔でヒステリックに叫ぶ、腰辺りまで伸ばした桃色の長髪と黄と青のオッドアイが特徴的な少女は小鳥遊(たかなし)ホシノ。

 その反対側で、こちらも敵意を剥き出しにしつつ、しかしホシノに比べれば幾らか理性を保った声色で声を張り上げるのは、陸八魔(りくはちま)アル。

 

 そして、そんな彼女らの背後では、それぞれの味方とでも言うべき少女達もがリーダーの背中越しに睨みを効かせており、更にその背後……アルの側はリュウイチ、そしてホシノの側はこの場で唯一の大人である『先生』が、互いに困った顔で突っ立っていた。

 

 どうしてこうなったか。

 その経緯を説明するには、数日ほど前にまで遡る必要がある。

 

 陸八魔アルの率いる違法結社『便利屋68(シックスティーエイト)』は、キヴォトス有数の大企業集団であるカイザーグループの軍事担当、『カイザーPMC(プライベートミリタリーカンパニー)』からの依頼を受け、砂漠が大半を占める土地、アビドスにまでやって来ていた。

 その依頼の内容は至極単純。

 

「アビドス高校を完膚なきまでに破壊し、廃校にせよ」

 

 たったそれだけ。

 無論、それは違法というか戦争以外の何でもないわけだが、元々違法集団の便利屋68には関係のない話である。

 そして、その依頼を達成できれば、たったそれだけで何億という目の飛び出てしまうような大金を手にする事が出来るのだという。

 しかも、仕事に当たって連邦生徒会からの干渉はカイザーの方でインターセプトしてくれるらしいし、とんでもない額の前金まで用意してくれたのだから至れり尽くせり。

 これはもう受けるしかない。

 メンバー満場一致の可決で、依頼の受諾とアビドス高校への襲撃が決定した。

 

 しかし当然だが、学校の襲撃に生半可な戦力で挑むわけにもいかない。

 元々廃校寸前の零細学校ではあるものの、しかしそれでも少し大きめの不良グループを撃退、殲滅できるレベルの戦闘能力を持っているというのだから、当然、便利屋68としても最大限の準備を要求された。

 

 そこで、便利屋68は業務連携をしている────という名目ではあるがほぼ合併しているし、何なら普段から一緒に生活している─────個人事業主である橺山リュウイチにも出動を要請。

 共にアビドスへと移動して、周辺の地理やアビドスの戦力、そして事前に告知されていた存在であるシャーレの先生を確認した後、いざ襲撃を実行せんと攻撃を開始した瞬間である。

 

「リュウイチ!?」

「あ?」

 

 なんと小鳥遊ホシノがリュウイチの名を呼んだのだ。

 便利屋の面々は示し合わせたかのように一斉にリュウイチへ振り向くが、しかし生憎とリュウイチに彼女との面識は一切なかったし、その事は便利屋のメンバーも重々承知していた。

 

 というのも。

 そもそも橺山リュウイチという男子生徒は、キヴォトスには()()()()()()()()()()()人物だったのである。

 彼の存在はいわば世界のバグ、あるいはエラー。

 無数に存在する世界線の果てにポツリと生まれた特異点のような現象である。

 

 ……というのはカイザーの協力者とかいう極めて怪しい真っ黒黒すけの言葉を鵜呑みにするのならの話であるが、恐らくそれが正解なのだろうとリュウイチは思っているし、便利屋メンバーもまぁそれに近しいものなのだろうと納得している。

 

 何にせよ、リュウイチという男子生徒は学籍はおろか連邦生徒会のデータベースにも存在しなかった、データ上の透明人間であり。

 便利屋68がひょんな事からブラックマーケットで傭兵業を営んでいた彼を発見し、その生徒としての在り方を見出すまで、橺山リュウイチという名前すら確定していなかった虚な存在であって、そしてその時から現在に至るまで、彼は便利屋と行動を共にして来た。

 だから彼がこんな辺境も辺境であるアビドスの生徒と面識があるなど、万に一つもあり得ないはずなのだ。

 

「リュウイチ! リュウイチでしょ!? 帰って来てくれたんだね!?」

 

 しかしそう言って喜色満面の笑みを浮かべ、今にもリュウイチへ飛びついてしまいそうな彼女の様子は、演技であると断定するにはあまりにも真に迫ったものであった。

 というかそもそも、いくら連邦生徒会に所属する先生が居るからと言ってリュウイチの名前を知っている時点でそれは演技ではあり得ない事であり、だからこそ便利屋とリュウイチを悩ませた。

 

「リューくん、本当に面識は無いんだよね?」

 

 白髪をサイドテールにまとめた、どことなく小悪魔的な雰囲気を纏う便利屋68の室長、浅黄(あさぎ)ムツキが不安そうに問う。

 

「……りゅ、リュウイチさんの気分を害すなら、こ、殺してしまいましょう、か?」

 

 オドオドと、顔を青くしながら死ぬほど物騒な事を提案する、全体的に紫色の印象の目立った彼女は、平社員の伊草(いぐさ)ハルカ。

 

「やめなハルカ……色々ここで話すより、向こうに話を聞いた方が早いんじゃないの?」

 

 そんなハルカを制しつつ、真っ当かつ順当な両案を提示する、どこぞのロックバンドのパーカーを着た、どことなく怖い印象を抱かせる凶相の彼女は、課長の鬼方(おにかた)カヨコだ。

 

「……そ、そうね。まずは向こうの話を聞いて見なくっちゃ」

 

 そして、社長の陸八魔アル。以上の4名が便利屋68のメンバーであり、最近ではここにリュウイチを加えた5人がいつもの面子、略して『いつメン』と化していた。

 そんないつメンで出した結論を実行に移すべく、アルがゴホンと咳払いをしてアビドスの面々へと向き直る。

 

「あなたの言う通り、確かに彼の名前はリュウイチで合っているわ。でも、彼とあなたに面識があるなんて話、聞いた事がないのだけれど?」

「そんなわけないよぉ! だってリュウイチは、ずっと私と居たんだから!」

 

 ンな馬鹿な。

 便利屋の心の声が一致する。

 事実、そんなわけがなかった。

 確かにリュウイチが仲間になったのは、数ヶ月前、割と最近である。

 それより前にリュウイチが何処かにいた可能性を否定するわけではないが、そもそもその時期のリュウイチがリュウイチでなかった以上、彼女の発言は矛盾する。

 

「ちょ、ちょっとホシノ先輩!? そんなの初耳なんだけど!?」

「ん。セリカとアヤネは知らなくても無理はない。だってリュウイチ先輩が居たのは2人が入学する前」

「どこへ消えてしまったのか本当に心配でしたが、無事なようで良かったです〜☆」

 

 状況が悪化した。

 再び便利屋のメンバーはリュウイチの方を見るが、リュウイチも首を振るばかり。

 実際、リュウイチの記憶では便利屋に見出される以前の自分はずっと名もなき傭兵として、細々と暮らしていたはずである。

 というかやはり、その頃のリュウイチにはリュウイチという名前すら無いのだから、そもそもリュウイチという名前を知っていること自体が異常なのだ。

 

 ぞわり。

 えもいえぬ怖気が便利屋の背中を撫でる。

 一体、何が起こっているのか?

 アビドスの彼女達は、一体何と一緒に暮らしていたのか?

 わからない。わからないからこそ、恐ろしい。

 

「っていうか、私としてはキミ達こそリュウイチの何なのって聞きたいだけどな〜?」

 

 嬉しそうだったホシノの目が細められ、冷たさを帯びる。

 便利屋の面々が警戒を露わにし、リュウイチもすぐに身を乗り出せるように腰を落とした。

 

「……ビジネスパートナー、とでも言っておきましょうか」

「へぇ! じゃあ、キミ達もアビドス復興に協力してくれるって事でいいのかな?」

 

 チラリ。

 アルが判断を仰ぐようにリュウイチの方を見る。

 それに対して、リュウイチは首を小さく横に振った。

 あくまでもリュウイチ達はカイザーからの依頼を達成し、アビドスを廃校とするために訪れた。

 例え向こうがリュウイチと面識がありそうだろうと、リュウイチがアビドス復興のための助っ人を呼んできたのだと信じていたとしても、そこを曲げるつもりはない。

 何なら怖すぎるので依頼を早急に達成してさっさと逃げたい。

 

「残念だけど。彼はアビドスの復興を手伝いにきたわけじゃないわ。むしろ逆。アビドスを終わらせにきたのよ!」

「…………なにそれ」

 

 ゾッとするような威圧感がホシノから放たれる。

 瞬時にアルの前へ便利屋メンバーとリュウイチが立ち塞がり、射線を塞いだ。

 

「何その冗談。面白くないよ?」

 

 小鳥遊ホシノが窓から飛び降り、便利屋の前に立つ。

 その背後からは続々とアビドスの生徒達がやって来て、その背後にはタブレットを持った先生も居る。

 猫耳を生やした生徒と先生は状況がいまだに飲み込めていないらしく、若干困惑気味のようだがしかしその他の生徒達は確固とした敵意を便利屋の面々に向けていた。

 

「……アル。あとは俺が」

「…………た、頼むわね」

 

 アルと短いやり取りを交わし、リュウイチは二歩、前に出た。

 瞬間、あれだけ険しかったホシノの表情がパッと柔らかく変わり、朗らかな笑顔をリュウイチに向ける。

 その変貌も、リュウイチの中に揺らめく恐怖を煽った。

 

「……あー……何だ。ホシノ?」

「久しぶりだねぇ〜、リュウイチぃ。今までどこで何やってたのかな? おじさん、リュウイチが居なくなってからすごく不安だったんだよ?」

「……あぁ……そうか……その……」

「リュウイチが私に愛想を尽かしちゃったんじゃないかって。……ユメ先輩みたいに、なったんじゃないかって。……借金は無くならないし、ヘルメット団の連中は攻めてくるし……本当に不安だったけど、ずぅっとリュウイチが戻って来てくれるって信じてたんだぁ。ジッサイ、こうして帰って来てくれたわけだしねぇ?」

「……んー……」

「だから……アビドスを終わらせに来たなんて、勿論嘘だよね?」

 

 リュウイチは言葉に困窮した。

 依頼はもちろん達成させるつもりだ。

 便利屋の皆には、返そうにも返し切れないほどの恩がある。

 それを多大な違約金で借金まみれにするわけにもいかない。

 しかしやはり、この場でホシノの信じきっている、『アビドスを助けに来たリュウイチ』の虚像をこの手で完璧に破壊することに、罪悪感を覚えないわけではなかった。

 

「……残念だが」

 

 とは言え、虚像はやはり虚像。

 優しい嘘など、ついたところでいつか露見し、より大きな不幸となるだけだ。

 だったらむしろ、ここで破壊してやることこそ、彼女のためというものだろう。

 

「彼女の言う通りだ。俺はこのアビドスを終わらせに来た」

「………………ぇ」

 

 目の前で、少女の表情が凍り付く。

 黄と青のオッドアイが揺れ、口元は引き攣り、額からは汗が垂れた。

 

「……嘘、嘘だよね? そんなわけないでしょ? だって、だってリュウイチは、アビドスの事が大好きで……い、一緒に! アビドスの復興案を出し合ったりしたじゃん! どうやってお金を稼ぐのかとか……か、風邪引いてる中で賞金首を獲りにも……!」

「申し訳無いが、俺にそんな記憶は無い。というか、そもそもこのアビドスにいたと言う記憶すら無い。俺の知る橺山リュウイチという男は、ずっと彼女達と一緒にいた」

「…………ッ!」

「!!」

 

 ホシノがリュウイチの背後、便利屋の方を目掛けて走り出し、ショットガンを向ける。

 それに対して、リュウイチの対処は素早かった。

 非常に素早いホシノの動きをさらに上回る俊敏さで以てホシノの前へ回り込み、その射線を塞ぎつつホシノの小柄な体を完璧にロック。拘束し、無力化する。

 

「洗脳……っ、洗脳したな!! お前達が!! リュウイチを!!」

「はぁ!?」

 

 リュウイチに抑えつけられたホシノが、鬼気迫る表情で叫ぶ。

 

「洗脳って……そんなわけないじゃない!」

「それはこっちのセリフだよ!! リュウイチが、リュウイチがアビドスを終わらせに来るわけがない! そんな事をするはずがない!! お前達が! お前達がリュウイチを洗脳したんだ!!」

「……現実を見なよ、小鳥遊ホシノさん。リュウイチは、ずっと私達と一緒にいたし、その間アビドスの話なんて一度もしなかった。それが答えだよ」

「うるさい! それはリュウイチを洗脳したからでしょ!?」

 

 会話にならない。

 リュウイチはそれを察する。

 現在のホシノは完全に頭に血が昇っており、その上でリュウイチが洗脳されているのだと本気で思い込んでしまっている。

 リュウイチ達にしてみれば、妄想の世界に浸っているホシノに現実を知らせる全ての言葉であるが、しかしそれに対して『それは洗脳しているから』という、空虚だからこそ非常に強い反論のカードを手にしてしまった。

 ありとあらゆる言葉は、もはやホシノへは届かない。

 

「“……あの、ちょっとだけいいかな?”」

 

 そんな膠着状態とでも言うべき状況の中で、真っ先に動いたのは生徒達の後ろで控えていた、シャーレの先生だ。

 

「“えぇと……リュウイチ君? でいいんだよね?”」

「まぁ、はい。橺山リュウイチです。ブラックマーケットで傭兵業やってます。今は半分くらい便利屋68の……あぁ、彼女らと同じ会社の社員みたいなものなんですけど」

「“彼女らは……ゲヘナの子だよね? ゲヘナでは学生企業って……”」

「許されてないので完璧に違法ですね。風紀委員にも追われてますし。……まぁ、俺は学籍持ってないんで関係ないんですけど」

「“ああ、そうなんだ……”」

 

 何と言うか、不思議な雰囲気な大人だ。

 リュウイチは先生の事をそう評した。

 おっとりとした感じであるが、しかし頼れる大人のオーラを漂わせている。

 連邦生徒会長が見出した人物と風の噂では聞いていたが、その話も嘘ではなさそうだ。

 

「“それで……さっきから話を聞いている限りだと、リュウイチ君は……その、アビドスの生徒では無かった、って事でいいんだよね?”」

「何を言ってるの先生!? だって……!」

「“落ち着いて、ホシノ。今からその事を聞くから。……それで?”」

「……そうですね。俺の記憶では、俺はアビドスの生徒ではありません。少なくとも、今までは。そしてこれからも、そうなる気はありませんよ」

 

 正直に、リュウイチは言う。

 一瞬ホシノが暴れたが、男子生徒の膂力は女子生徒のそれと比べ物にならない。

 

「“うん、確かに。今私が確認した限りだと、君に学籍はないみたいだし、過去に君がアビドスにいたと言う記録もない。でもね? 君のいた形跡は、この校舎に残っているんだよ“」

「冗談でしょう?」

「”私も最近になってキヴォトスに来て、それからこの学校に関わり始めたから、詳しい事を知ってるわけじゃないんだけどね? 君の使っていただろう私物が残っていたり……あとは、いわゆる会報? っていうのかな? そう言うのに、君の名前が残ってるんだ“」

「……馬鹿な」

 

 そんなわけがない。

 そんな事があるはずがない。

 何故ならリュウイチがこの場に来たのは今回が初めてで、彼女らと面識は無い。

 何より、数ヶ月以上前のリュウイチは、リュウイチでは無かった。

 だから、こんなところにリュウイチの痕跡が残っているわけがないのだ。

 

「お、お待たせしました! こちらです! これが、リュウイチ先輩が使っていたとされる私物になります!」

 

 そう言って、メガネをかけた少女が持ち込んできたのは、黒い無骨なリュックサックだ。

 若干その表面が黄色く染まっているのは、四六時中辺りを漂っている砂のせいだろう。

 もちろん、そんなものにリュウイチは見覚えなんて無ければ、何かを思う事もない。

 中に入ってる物品を見せつけられても、それは変わらなかった。

 しかし、自らの筆跡で書かれた自らの名前を見ても、何も思わずにいるなんて事は到底不可能であった。

 

「馬鹿なっ!」

 

 思わずホシノの拘束を解放し、目の前に差し出された物品を手に取る。

 

 数学の教科書だ。

 当然、それの見覚えはリュウイチにはない。間違いなく今初めて目にしたものだ。

 あまり使われた形跡はないようだったが、しかし確かに使われてはいたらしく、その背表紙には、若干掠れたインクで橺山リュウイチの名が書かれている。

 当然、その筆跡はリュウイチのものだ。

 自分の筆跡であるからこそ、よくわかる。

 この教科書は、間違いなくリュウイチが自ら名を刻んだ代物だ。

 

「そんな……そんな馬鹿なことがあるかッ!?」

 

 理性がせめぎ合う。

 当然、リュウイチはこんなもの見た事もなければ、心当たりだって欠片も無い。

 数ヶ月前までリュウイチはリュウイチでなかったのだから、こんなものを残せるはずもない。

 しかし事実として、こうしてリュウイチが存在した証拠がきちんと残されている。

 それも、明らかな形で。

 

「ッ……馬鹿馬鹿しい! これこそ嘘に決まっている! 俺を騙そうとしているんだ!」

 

 そう言って教科書を地面に叩きつけるが、しかし既にリュウイチは自らの記憶を疑い始めてしまっていた。

 もしかしたら本当に自分は洗脳されているのか、と。

 しかしそれでも、便利屋の面々がそんな事をするとは思えない。

 あの出会いも、そしてそれからの日々も、何一つとして嘘ではない現実なのだ。

 だから俺は、洗脳などされていないのだ。

 

 リュウイチはそうして理論武装を展開するが、しかしそれが砂上の楼閣である事は明らかだ。

 だって、そうだろう。

 『元々許されざる存在で、不完全な形で世界に漂っていたところを見出されて形を得た』なんて論と、『元々学校に所属していたが何らかの要因で攫われ、洗脳され、学籍も抹消されていたが、ひょんな事から記憶の一部を取り戻した』という論。

 どちらの方が現実的に考えてあり得るかなど、火を見るよりも明らかで。

 そんな今にも崩れそうな論理へと、狙い澄ました雨が今まさに降ろうとしていた。

 

「嘘なんかじゃないよ」

 

 拘束から解放されたホシノが、ワナワナと震えるリュウイチの両手を取る。

 

「忘れちゃったかもしれないけど、私たちが過ごした日々は、決して嘘なんかじゃなかったんだ。だからさ、帰ってきてよ。今は苦しいかもしれないけど、リュウイチが帰ってきてくれたら百人力だよ。みんなも歓迎してくれるし……だから……ね?」

「……違う、違う! 俺は……!」

 

 ぐらり。

 リュウイチの心が、揺れる。

 

「そ、そうです! リュウイチ先輩! 帰って来てください!」

「そう。まだリュウイチ先輩とツーリングに行く約束、果たしてもらってない」

「え、えっと……よくわからないけど、先輩が帰って来てくれるなら、歓迎するわよ!」

「お願いします! リュウイチ先輩!!」

「……うぉ、あ……っ」

 

 どうしよう。

 リュウイチはもはや、自分がどうすればいいか、すっかりわからなくなってしまっていた。

 便利屋のメンバーには、恩を返したい。彼女達を豊かにしてやりたい。

 しかし、それはどうなのだ?

 こうして自らを歓迎してくれている、自らの古巣……と言っても、勿論そんな記憶はないのだが……しかし、非常に高い確率でそうである場所に帰るというのも、またアリなのではないか?

 

 というかそもそも、本当にここが自らの古巣と言うのならば、俺の保有している記憶は本当に誰かによって作られた、偽物の記憶なのか?

 元々自分は橺山リュウイチなのであって、何かしらの施術をされた結果、その記憶が薄れ、その存在すらも不確定なものにさせてしまったのか?

 

 俺は、アビドスに帰るべきなのか?

 

 そんな考えが、リュウイチの中に生まれた、次の瞬間だった。

 

「黙って聞いていれば。何なのかしら? さっきから」

 

 ホシノとリュウイチの間に、何かが差し込まれる。

 それは、実に見覚えのあるスナイパーライフルだった。

 横を見てみれば、今までにないくらいの怒りの表情を浮かべている陸八魔アルが立っている。

 

「私たちを悪党扱いして。私たちがリュウイチを洗脳した? 何を馬鹿な事を言っているの?」

「……うぉっ!?」

 

 強い力でホシノから引き剥がされたかと思えば、リュウイチを庇うようにして、便利屋のメンバーが立ち塞がる。

 

「……ええ、ええ。否定はしないわ。だって私たちアウトローですもの。受けた依頼は絶対に遂行する。当然、その中には悪党の誹りを受けても仕方がないものもあったわ。でもね?」

 

 ガチャリ。

 ライフルの銃口が、ホシノの額に照準される。

 

「彼は私たちの仲間よ。一蓮托生の関係の、良き友人なのよ。そんな彼を洗脳する? 馬鹿を言わないで頂戴。私たちには、仁義ってものがあるのよ!」

「……仲間? 友人? 仁義? 何を耳触りの良いこと言ってんのさ。人の友人を洗脳しておいてさ……そんなの、許せるわけないじゃん!」

 

 そこから始まったのは、聞くに耐えない論争だ。

 水掛け論、精神論、根性論。きちんとした根拠といえば互いの記憶と、ここ数ヶ月間を共に過ごした事実、それとアビドスに残されたリュウイチの痕跡。

 

「じゃあここに残ってるリュウイチの痕跡のことはどう説明するつもりなのさ!! これこそリュウイチがここで私たちと一緒にいた、何よりの証拠なんじゃないの!?」

「でもリュウイチはこんな所に来たことなんて無いって言ってるわ! そんなもの、あなた達が用意した偽物か何かなのでしょう!?」

「そのリュウイチの記憶だって! お前達が植え付けた偽物なんでしょ!? 返せよ! 私たちのリュウイチを! 返してよ!!」

「返すも何も、元々あなた達のなんかじゃないでしょう!? 彼は私達の仲間なのよ!? 今まで一緒に暮らして、互いに命を預けあった事もある一蓮托生の仲なの! それをむざむざ、あなた達のような人たちに渡すわけにはいかないわ!!」

 

 耳を塞ぎたくなる。

 頭が痛い。頭が痛い。

 どっちの言い分が正しいのかわからない。

 

 あの名前はきっと本物だ。あれはきっとリュウイチが書いたものだ。

 あれほど精巧な偽物を用意できるはずもない。だからリュウイチはきっと、あそこに居たのだ。

 

 だがやはり、便利屋との日々を共に歩んで来たのもリュウイチなのだ。

 何者にもなれなかった男が橺山リュウイチとなり、決して真っ当であるとはいえないものの、人並みの喜びと幸せの中で生きてこれたのは、間違いなく便利屋68のおかげで、それが嘘であるはずもない。

 

 ──────実に大変な事態になってしまった。

 

 リュウイチは、頭痛を訴える頭を抑えて溜息を吐いた。

 

「お前が! お前らが! リュウイチを洗脳したんだ!!」

「そうじゃないって何度言えばわかるのかしら!? 彼はずっと私たちと居たのよ!?」

 

 どうしよう。どうするべきなのだろうか。

 既にアビドスを襲撃して、廃校にしてしまおうなんて雰囲気ではない。

 

 橺山リュウイチは、どちらに所属するべきなのか?

 

 場を支配する話題はそこに収束していて、その決定権はリュウイチが握っている。

 であるのならばリュウイチがどちらかに決めれば良い話なのだが、しかし今のリュウイチにそんな事を決めるだけの気力は無い。

 

 何もわからないのだ。

 何もかもが自らを惑わす。何も信用できない。自分さえも。

 自分自身さえも信用することができないのだから、決断など下せるわけもない。

 ただただ自分の世話になった人物と、記憶こそないが自分と親しかったのであろう人物が、醜く言い争っている様を見ているしかなかった。

 

 だからこそ、それはリュウイチにとってはある意味、救いですらあった。

 

「……もう、何を言っても無駄みたいね……」

「……うん、そうだねぇ……」

「なら────」

「────やることは一つだよねッ!」

 

 2人が同時に動き出す。

 互いに銃口を相手に突きつけ、引き金を引こうとするが────リュウイチには見えた。

 実力の差……それとも、経験の差か、あるいは武装の差だろうか。

 ホシノの方が、アルのそれよりも2拍ほど速い。

 このまま見届けるのなら、アルはそのショットガンによる銃撃をその顔面に余すことなく浴び、吹き飛ぶだろう。

 そうなれば、いくらヘイローを持った生徒とて、タダでは済むまい。

 その事を理解した次の瞬間には、リュウイチの体は動き出していた。

 

「“……え?”」

 

 慌てて止めに入ろうとしていた先生が、間抜けな声を上げる。

 2人が今まさに引き金を引こうとした、その直後。

 瞬間移動でもしたかのようにリュウイチが2人の間に現れて、その銃弾の悉くを受け止めつつ、一切動じている様子が無かったからだ。

 

「……なんで?」

 

 ポツリと、ホシノが呟く。

 それに対して、リュウイチからの返答は無かった。

 

「逃げるぞ!」

「えっ……ひゃあっ!?」

 

 アルを持ち上げ、便利屋の面々も傍に抱えると、リュウイチは一目散に逃げてゆく。

 

「えっ、ちょっ!?」

「……はぁ、急すぎる……」

「お、お待ちください〜!?」

「……………っ!?」

 

 ホシノはほんの一瞬、何が起きたのか理解できなかったがすぐに立て直し、一拍ほど遅れてリュウイチの事を追った。

 そこから更に一拍遅れて、アビドスの生徒や先生もリュウイチ達の事を追い始める。

 

「待って! 待ってよリュウイチッ! ようやく……ようやく会えたのにっ!」

「待ってください……! 待って……! 私は、リュウイチ先輩に……っ!」

 

 しかし、男子生徒の圧倒的な身体能力の前に、その距離は広がるばかり。

 無理なのか? そんな諦念がアビドスの面々に湧き上がって来た時。

 くるり、と。突然リュウイチが振り返った。

 

「スマンな! アビドスの諸君! 正直未だに俺がどっちなのか、俺にすら理解できてないんだが……こうして体が勝手に動いてしまった以上、やはり俺は便利屋の仲間で居たいと思う! また今度、もっと証拠を集めて、互いに冷静になった時、もう一度話し合おう!」

 

 と、そう言って、リュウイチは更に速度のギアを上げ、アビドスの面々が見えなくなるまでの距離を一瞬で走り去る。

 

「相変わらず化け物じみた運動能力してるよねぇ〜、リューくんってさ!」

「……あんな事があったけど、私たちの仲間で居てくれるんだ」

「まぁ、恩義もあるしな」

 

 安全な場所を目指して走りながら、会話を交わす。

 そこには既に先程までの剣呑な空気はなく、いつもの便利屋の緩い空気感が戻って来ていた。

 

「それで? どうする? 何もせずに逃げちまったが」

「…………なんかもう、ドッと疲れちゃったわ。今日はもう休んで、明日また考えない?」

「あ、アル様がそう仰るなら、私も……そ、そうするべきだと思います……」

「了解」

 

 そうして、便利屋とリュウイチは泊まっていたアビドス近郊のホテルへと戻り、依頼主であるカイザーには予想外の事態が起こったため、後日改めて襲撃を実行するとだけ連絡し、疲れた体をベッドへと沈めた。

 

 まさか、ここまで面倒なことになるとは思わなかった。

 そんな事をそれぞれの胸の中で呟く便利屋とリュウイチであったが、しかし彼らはまだ知らなかった。

 これがまだ、リュウイチを取り巻く不可思議な人間関係の、ほんの氷山の一角であり、これからより面倒臭く、そして意味のわからない事態へと発展していく事など。

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