目を覚ました歌姫が最初に見たのは、
「あ、起きた?」
「きゃああああぁぁ!!!」
高専の敷地内に、歌姫の悲鳴が響き渡った。
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「あのさあ」
上半身だけを起こしてベッドに横たわっている歌姫に対し、五条は不満を吐き出す。
現在医務室には、歌姫の悲鳴を聞いて駆け付けた夏油、夜蛾、城崎がいる。それから、歌姫の様子を診ていた家入もだ。
「せっかく人が心配してやったのに、グーはねえだろグーは」
五条の左頬には、歌姫の右ストレートの痕がついている。起き抜けに殴られるとは思わず術式を解いていたらこれである。夏油はもちろん爆笑したし、目の前で見ていた家入は鼻で笑った。
「うっ……悪かったとは思ってるわよ。でも起きて目の前にアンタの顔面があったら誰だって驚くでしょ」
「だからってグーで殴るこたねーだろ」
「確かにね、せめてパーであるべきだ」
「そういう問題じゃねーよ」
歌姫の様子は死にかけていたとは思えないほどである。少なくとも、体調が悪いようには見えない。心配していた家入や夜蛾は一息ついた。五条や夏油もふざけているように見えるのは、歌姫が何事もなく元気にしているからこそだ。
「任務は日下部*1が引き継いだ。先ほど完了の知らせが届いたから安心しろ」
「……はい」
夜蛾の声掛けにしかし、歌姫の表情は優れない。それもそのはずだ。三級呪霊討伐任務など今まで何度も繰り返してきた。にもかかわらず、囲まれてなす術なく敗北した。
事前の報告では呪霊は一体で、群れの存在は確認できていなかった。だがそれは言い訳にはならない。敗北は敗北。幸いにも早く発見されたからよかったものの、あのまま死んでいてもおかしくはなかったのだから。
(五条や夏油なら事前報告にない不測の事態でも切り抜けられてたはず…私が死にかけたのは単純に弱いからだ)
「あのー」
重苦しい空気を断ち切るように、家入が挙手する。落ち込む歌姫を見かねての助け船だ。
「そろそろ説明が欲しいんだけど、その子はなんなの?」
彼女の視線はこの場にそぐわない少年―――城崎に向けられている。
「そういやゴタゴタしてて言ってなかったっけ? コイツが呪術師X」
あっさりと告げる五条。夏油と夜蛾を除いた2人は驚愕する。
「マジで!?」
「呪術師Xって、あの!?」
(え、あのってどの? そんな噂になってんの?)
歌姫も呪術師Xとやら―――つまり自分自身のことを知っているらしいということに、城崎は内心焦った。確かに呪術師と接触する目的で活動していたが、まさか呪術界で噂になるほど広まっているとは思いもしなかったのである。
「俺も報告を受けたときは耳を疑ったが。反転術式を扱う正体不明の呪術師Xの正体がこの少年だ。庵がこうして生きていることが何よりの証拠だろう」
「そうそう。俺らが捕まえてきたんだから、感謝しろよー?」
「うっさいわね! アンタはいつも二言三言余計なのよ!! …でも、そうね」
口を開けば煽る2人にキレるのもいつものことだ。歌姫は城崎のほうを向く。
「名前はなんていうの?」
「城崎丈…です」(歌姫先生…だよな。今はまだ学生だけど。死にかけてたってことは、既に原作から離れ始めてるのか?)
「私は庵歌姫。あなたのおかげで助かったわ、ありがとう」
真正面からストレートに言われ、城崎は面食らう。前世を含めれば25年生きてきたが、こうも飾り気なしに感謝の言葉を伝えられるのはいつぶりだったか。
「いや、俺は俺にできることを全力でやっただけなんで、そんな感謝されるほどのことじゃあ……」
「それでも命が助けられたのは事実だから。お礼くらい言わせてよ」
「…はい。俺も、お姉さんを助けられてよかったです」
歌姫は感激した。
呪術界にいると、多くの呪術師や呪詛師と遭遇する。呪詛師は言わずもがなだが、呪術師にも人格破綻者は多い。強さとイカレ具合は比例しているのではないかと歌姫はひそかに思っていたりする。主に
そうした人格破綻者とばかり接していると、至極まともな感性を持つ歌姫のほうがマイノリティになりがちだ。果ては「もしかしておかしいのは自分のほうなのでは?」とまで思ってしまう始末である。
端的に言うと、歌姫は癒しを欲していた。
「お姉さん」と言われた瞬間、歌姫の脳内には記憶が溢れ出した。
歳の離れた弟。苦しい家計のために共働きの両親は家を空けることが多く、幼い頃から歌姫が面倒を見ていた。弟もそんな歌姫に一番懐いており、何をするにも後を付いて回ったものである。そんな弟ももうすぐ小学生。歌姫が必死で貯めたバイト代で購入したランドセルに目を輝かせて、毎日のように背負う姿を見せにくる。そして屈託のない笑顔を浮かべて言うのだ。「お姉ちゃん、ありがとう!!」―――
ちなみにすべて存在しない記憶、もとい彼女の妄想である。歌姫は疲れていた。
「ちょっと私のこと“お姉ちゃん”って呼んでみてくれない?」
「えっ」
「一度でいいから!! “姉さん”でも“姉ちゃん”でもいいから!!」
「え、えぇ…?」(なんかいきなりどっかの長男みたいなこと言い出したぞこの人)
「おい、落ち着け庵」
「ああ! 私の弟ぉ!!」
「おい本当に落ち着け!!?」
客観的にみれば一回り歳下の男児に詰め寄る女子高生の図である。流石に夜蛾が割って入ったが、歌姫はいまだ興奮冷めやらぬ様子である。
まさか初対面の男児の姉を名乗る不審者になってしまうとは。五条と夏油は、まさか彼女がそれほどまでに追い詰められていたのかと戦慄した。「おい歌姫のヤツ様子がおかしーぞ」「呪霊の毒にやられたのかもしれないね、頭とか」「もっかい丈に反転かけてもらったほうがいいかもな、頭とか」などとコソコソ言い合っている。なお、元凶の9割はこの2人である。
「ところで、その子は帰んなくていいの?」
城崎を指さす家入の言葉に、全員が「あ」と間抜けな声をあげる。現在時刻は20時過ぎ。未就学児が外にいるには遅い時間だ。
ということで、その場は解散となった。城崎は夜蛾と手隙の補助監督が車で送り届けた。
歌姫は最後まで姉呼びを頼んでいたので、家入が眠らせた。
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城崎が初めて高専を訪れてから2週間後、彼はまたも高専の敷居を跨いでいた。
前回は五条と夏油に半ば連行される形で来て、歌姫の治療をしてと慌ただしかった。そのためにできなかった事情聴取を受けるため、再度来訪したのである。
事情聴取といっても、呪術はいつから使えたのかといった質問や、呪術規定の説明といった軽いものだ。その後、夜蛾の立ち会いのもと総監部の前で反転術式のアウトプットを実演してみせた。
これらを通じて城崎丈は正式に「呪術師の候補」として認められ、義務教育修了後は高専への入学が確定した。
なお、総監部の中には「中学卒業を待たずに高専で呪術師として教えを受けさせるべき」と主張する者もいた。貴重な反転術式のアウトプットを習得している人材を少しでも目の届く範囲に置いておきたいという目論見である。こればかりは日本の現行法と本人の意思の尊重を主張した夜蛾が認めさせなかった。
とはいえ城崎が既に呪霊を多数祓った実績もあることを鑑みて、野放しにしておけないのも事実。落としどころとして、月に一回以上は高専を訪れて訓練を受けるという“縛り”を締結することとなった。厳密には城崎に訓練を受けさせる縛りを夜蛾と総監部の間で結んだのではあるが。
そうした所用が終わって、城崎は現在暇していた。
もろもろの手続きを夜蛾がやっている間、することもないために高専敷地内を散歩している最中であった。
「あ」
「お、天才少年じゃん」
建物の陰にいた家入と目が合った。
家入は壁に背中を預け、煙草をふかしている。彼女も城崎に気が付き、ヒラヒラと手を振ってみせた。
「こんにちは、城崎丈です」
「知ってるよ、2週間ぶりだねー」
(…なんか、距離感ある? 嫌われるようなことしたか?)
家入の様子に、城崎は違和感を覚える。
うまく説明できないのだが、どことなく避けられているような気がするからだ。その証拠に、最初にお互いに気づいた瞬間を除いて一度も目が合わない。城崎が名乗ったにもかかわらず名乗りを返さないことも、まるで「お前と仲良くする気はない」という意思の表れに思えた。
(まあ、この人はパーソナルスペース広そうだしこんなもんか)
そう内心で結論付けたその時。
「訊かないんだ?」
「え?」
「未成年喫煙してていいのか、って訊かないんだね」
突然投げかけられた質問の意図がわからなかったために訊き返したが、その続きに「そういうことか」と納得する。
家入硝子というキャラクターが喫煙しているのは城崎にとって当然のことだったためになんとも思わなかったが、本来なら高校生が喫煙など法的に許されないことだ。
「あー……、言われてみればそうですね。まあ、別にいいんじゃあないですか? 俺に止める権利とかないですし」
「権利て。ほんとに6歳?」
「……6歳デス。4月から小1デス」
「…ふはっ。良い子ちゃんかと思ったけど案外ワルだね」
(…? なんか機嫌よくなった?)
「私は家入硝子。よろしくねー」
家入は短くなった煙草の火を壁にこすりつけて消し、携帯灰皿に吸い殻をしまう。そのまま新たな煙草を咥えて火を点ける。
ゆらゆらと立ち昇る煙を見て、城崎は蝶が飛ぶ姿を思い浮かべた。
「丈君だっけ? 君さ、どうやって歌姫先輩を治したの?」
「え? どうやってって…、反転術式ってやつですよね? 家入さんも使えるって聞きましたけど…」*2
「使える。けど、あの出力では使えない。反転術式で他者を治療するのは自分を治すよりメチャクチャ効率悪いんだよ。先輩の抉られた傷なんて、普通に治そうとしたら3日は反転術式流し込み続けないと無理なはずだった。でも君は一瞬で治した。どういうタネがあるのか気になってさ」(それに呪霊の残穢も一瞬で洗い流すほどの出力…絶命の縛りもなしにできる芸当じゃないはずなんだけどな)
「ああ、そういうことですか」(五条さんと夏油さんは何も話してないのか。…話してなさそーだな)
「俺、生まれつき自分だけは治せないんです。だからそのぶん人を治すのが得意なだけですよ」
「…は?」
家入は驚きのあまり開いた口が塞がらない。
城崎はこともなげに言い放ったが、「自分自身を治せない」というのは相当に重たい縛りだ。呪術戦では命に関わる大怪我をすることもままある。そういうとき、反転術式で自己治癒ができれば生存率は格段に上がる。
それを生まれつき捨てるという呪縛。城崎にしてみればクレイジー・ダイヤモンドと同じなだけ、ただそれだけだ。しかし周囲が受ける印象は違う。
あれだけの呪力出力。天与呪縛がなくとも治療師としてやっていくには十分な才能だ。そして天与呪縛がなければ、自分自身の死を遠ざけられるはずだ。でもそれはできない。世界に奪われて生まれてきたからだ。
「じゃあさ、君がもし致命傷を負ったらどうするわけ?」
「死ぬでしょうね」(今のセリフ、東方仗助っぽいな……決まった……)
「……!!」
6歳。これから小学校生活を迎える少年がしていい覚悟ではない。
呪術の才能がなければ、城崎はただの少年として成長していっただろう。だがそれは世界が許さない。圧倒的な治療の才能を総監部が手放すことはないだろう。彼がいるだけで呪術師の死亡率は大幅に下がる。呪術界を変えることができる。
では、もしもその城崎自身が傷を負うことがあれば?
城崎丈は自分自身を治せない。ならば、彼を治せるのは―――
「じゃあ、そのときは私が治すしかないってわけだ」
「! そうですね、頼りにしてます」
ニヤリと笑い、家入は煙をフーッと吐き出す。唇の隙間からまっすぐ放たれた煙は、飛行機雲のように尾を曳いたかと思うとすぐに空中に溶け込んで消えた。
家入硝子
自分にしかできないことを自分よりできる少年の存在にモヤモヤしてはそれで先輩の命が助かってるのにモヤるのは違くないかとまたモヤモヤしてた人
庵歌姫
どうやら私たちは姉弟のようね…
城崎丈
え、違うと思いますけど…
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