「玲奈ちゃん!」
佳織は反射的に声を上げた。佐々木はひどく驚いた様子で、玲奈から手を離した。玲奈は屋上の硬い石の床にマネキンのように崩れ落ちた。佳織は心臓が喉元で跳ねているような感覚になった。足が石化したかのように動かない。全身を膜が覆ってしまったかのように空気が入ってこない。
「佳織!なんでこんなと…いやこれは誤解だ」
佐々木が立ち上がって佳織に近づいてくる。ひどく焦っている様子だ。
「先生が、やった…」
佳織が思わず呟いた。佐々木は怒りとも困惑ともつかない表情を浮かべて立ち止まり、ゆっくりとしゃがんで彫刻刀を拾った。赤い血がそこから地面に流れ落ちた。
「彼女が自分で自分を刺したんだ!俺はそれを発見しただけなんだよ」
「屋上にいたのを偶然、なんてあるわけない!なんか目的があってきたんですよね…じゃないとこんな場所にはこない」
佳織が相手の声に被せるようにして叫んだ。佐々木の顔に徐々に血の気がさす。
「それは君だって同じだろう!何をしにここにきたっていうんだよ!」
佐々木は彫刻刀の刃の部分を胸元から取り出したハンカチで拭きながら一歩近づいた。佳織は本能的危険を覚える。逃げ出そうと思った。しかし同時に玲奈を置いていくわけにいかないとも思った。
その間に佐々木は正気に戻ったかのように額を手で押さえるようにして後ずさった。
「…もう帰れ!」
佐々木の怒声が屋上の空気に響いた。佳織はビクッと飛び上がる。それと同時に体の拘束が解けたような感覚がした。
「…玲奈ちゃんは…」
佳織が頬に涙を伝わせながら細い声で言った。佐々木は無言で佳織を見た。
「…俺が病院に運ぶ。もう邪魔しないでくれ」
佳織は感情の収拾がつかなかった。脳内でさまざまな憶測が渦巻いた。流れに任せるようにして夕日のさす階段を下っていった。佳織はそのまま無言で機械のように一階まで駆け降り、校門を出た。
佳織はその場で立ち止まってスマホを取り出す。メッセージアプリを開いてすぐに凛に連絡した。
『佐々木先生がやった。玲奈ちゃんが』
中途半端な文章だが伝わるだろう。それにこの段階で「殺した」なんて縁起でもないことを書くわけにもいかない。佳織の頭は玲奈のこと以外考えられなかった。散々自分を苦しめてきた犯人がほぼ判明したようなものなのに、それに対する怒りや恨みよりも、自分に寄り添ってくれた友人の身を案ずる気持ちの方がずっと強かった。玲奈ちゃん…どうか無事でいて…。
『行く』
凛からの返信がきた。佳織は危険と思って止めようかとも思ったが、自分が絶対に人のことを言えない状態だと気づいてスマホをしまった。
5分ほどで凛が息を切らして走ってきた。茶髪がめちゃくちゃに乱れて服装もチグハグで、焦っていることが目に見えるようだ。
「佳織ちゃん…!無事で…よかったけど…」
「屋上の階段が開いてたから行ってみたら…玲奈ちゃんが倒れてて…佐々木が…」
凛は静かに聞いている。考えているのかもしれない。天真爛漫な性格ながら、頭脳は高いらしい。どうしてこのタイミングなのか、かっこいいと思った。
「…どうしよ。玲奈ちゃんは今どこに…」
「佐々木が病院に運ぶって言ってたけど…」
佳織は思い出したように言った。
「え、それホント…?また…」
凛は言葉を区切った。しかし言いたいことは伝わった。佐々木は病院に行くと偽り、また遺体を遺棄しに行ったのだ、と佳織も気づいた。屋上でターゲットを殺し、その遺体を遺棄する。
「どうすればいいんだろ…」
佳織の目に涙が浮かぶ。自分があの場所を意地でも動かなかったら佐々木の行方を見失うこともなかっただろう。そう考えると自責の念が波のように襲いかかってきた。
「佐々木の居場所を他の先生とかに…いやそんな時間もない…!」
凛までもが珍しく焦り始めた。もはや方法はないかと思われた時、ふと道が赤いランプで照らされた。
校舎の前に一台の救急車が停車した。