薄汚れた白線の引かれた、ひび割れたアスファルト。それは常夏の島々を繋ぐように存在しており、潮風に晒されたガードレールが哀愁を漂わせる。
時折、海鳥たちが声を上げては、寂れた道路へと打ち寄せる波音にさらわれていた。
迷宮七階層。通称、常夏群島。この階層には深い深い青色の空と、目が痛いほどに真っ白な雲、そして、果ての見えない大海原が広がっている。出現する魔物は二足歩行をするずんぐりとした蜥蜴で、リザードマンと呼ばれており、極まれにリヴァイアサンと呼ばれる強大な魔物が姿を現す。
七階層はこれまでの階層とは一線を画す広さを誇り、野営をしなければ攻略は不可能と言える。しかし、幸いにも一定間隔にある島々はセーフエリアであるため、休息自体は容易であった。
自然の美しさと同時に自然の厳しさを知ることができる。七階層の攻略は数年後に異世界へ飛ばされる転移者たちにとって、良き経験となるのかも知れなかった 。
夏空とも取れる空が頭上に広がる中、シアンは次から次へとやってくるリザードマンたちに手を焼いていた。真っ直ぐに伸びた道路の端、その先に広がる大海原から続々とリザードマンたちが這い出てくるのだ。
「〈コール・ライトニング〉。……くそ、切りがないな」
天より降る雷にて、数体のリザードマンは倒れる。しかし、数は数十体はくだらない。また、先ほどから途切れることなくリザードマンはやってきており、シアンは自身の魔力量は勿論、パーティーメンバーの安否も気になっていた。
「ぬお〜‼ ワイの活躍は凄いで〜‼」
シアンの少し前方、道路の中央ではジェイが矢継ぎ早に矢を放っていた。可能な限り前衛に横槍が入らぬように優先順位を決めているようで、こちらへやってくるリザードマンに対しても丁寧に対処をしている。しかし、処理が間に合わない場合は自らが盾となり、シアンへ迫るリザードマンの侵攻を防いでいた。
「むう、地味に賢いのがムカつくでよ!」
ジェイを越えた先では、マルが大立ち回りをしていた。得物である大太刀を自由自在に操り、槍を突き出すリザードマンたちを翻弄しては一刀の元に斬り捨てている。
マルの周囲は返り血に塗れ、倒れ伏したリザードマンたちの黒い霧によって視界の悪い戦場へと変わっていた。あまり良くない兆候と言えるだろう。
「予想以上にヤバいね! あーしも頑張るから、皆もあと一息頑張って!」
最後にメイスと盾を駆使する一人の少女が、果敢にもリザードマンと張り合っていた。彼女は鉄兜を被っており、その彼女の動きに合わせてサーコートがひらめく。連携を取るリザードマンに対しても、彼女は冷静に盾で防いでから一体ずつ処理をしているようだった。
なんとか凌げそうだな。そう呟いたシアンはリザードマンの数が減ってきた事に気付くと、安堵をした。そして、魔力を出し惜しみする必要がなくなったと判断し、自らもまた前進して反撃に出る。
「〈ライトニング・ボルト〉。ジェイ、あと一息だぞ」
「そうかいな! なら、ワイも出し惜しみせえへんで!」
大気を貫く電撃がリザードマンたちを屠り去り、ジェイの強弓より放たれた矢もまた彼らを幾度となく貫く。やがて、前衛の少女たちの活躍もあり、シアンたちはリザードマンの猛攻を凌ぎ切ることに成功した。
ざざん、ざざんと、砂浜に打ち寄せる波音が海岸に響く。見渡す限りの大海原、それがシアンの前方に広がっていた。
無事にセーフエリアの島へと辿り着いたシアンは、砂浜に刺したパラソルの下で休んでいた。ちびちびと魔力回復ポーションを飲みながら、潮風に吹かれては大きく息をつく。
「シアン〜! こっち来て遊ぼうや〜〜‼」
「楽しいでよ〜〜‼」
水着姿のジェイとマルが、惚れ惚れするほど綺麗な海から手を振っている。同じく水着姿のシアンは彼らに手を振り返すが、動こうとはしない。そこへ今回の同行者がやってきた。
「ジェイくんとマルちゃんは元気だね! あーしはちょっと疲れたよ」
「ツムギは泳がないのか?」
「あーしはシアンくんたちに雇われた身だし、羽目を外すことはしないよ」
「別に誰も気にしないと思うぞ」
淡い金髪に、青く澄んだ瞳。鉄兜を脱いだ彼女、ツムギは小柄な少女であった。しかし、彼女は優秀な探索者であり、様々な探索者パーティーを渡り歩いてきた猛者だ。
今回の七階層攻略にあたってシアンたちは人手が必要だと判断し、優秀な回復役を欲した。そこに白羽の矢が立ったのが自称クレリックのツムギである。
彼女は契約書を片手によく迷宮の入り口で商売をしており、契約金や報酬金額が高いという欠点はあるが他の探索者からの評判も良い。そのため、シアンが今回の七階層攻略に招待をしたわけだ。
「あいつらはよく遊ぶ元気があるな」
「あはは、それだけ強いってことじゃない?」
「つまり、俺は弱いと」
「そうは言ってないよ! 魔法使いは魔力を消費するからね。身体の疲労とは違うんだよ」
「それを言うなら、ツムギは魔法を使いながら武器を振るってる。俺には真似できないことだ」
「もしかして褒めてる? ありがとう」
麻のシャツに身を包んでいたツムギは微笑むと魔法の袋より折りたたみ椅子を取り出し、シアンの隣へ設置。そして、腰を掛けた。
海鳥の鳴き声、砂浜に打ち寄せる波音、ジェイとマルの楽しげな声。シアンは頂点に位置する太陽を確認した後、ツムギに一つ声を掛けてから昼寝をすることにした。
突如として晴れ渡った青空は姿を消し、突風が吹き荒ぶ。続けて、先ほどまで美しかった青い海が瞬く間に黒く濁っていく。
急激な天候の変化により、再度リザードマンたちと戦闘をしていたシアンたちは、新たな環境に対応しなければならなかった。眩しいほどに輝いていた太陽が分厚い雲に覆われ、大雨が降り始める中、リザードマンたちは絶え間なくシアンたちへ襲い掛かってくる。
「一度引け! 態勢を整えるぞ!」
「マル〜! ツムギ〜! 援護するで〜〜‼」
大粒の雨が滝のように降り注いではシアンの全身を濡らしていく。肩ほどにまで伸びた白髪は勿論、身に纏っていた和服がびしょ濡れとなり、シアンは身動きが取りづらかった。
前衛であるマルやツムギも同様だろうと、シアンが顔を上げた時。マルが、リザードマンの凶刃に倒れてしまったのだ。
マルの太ももを抉った鋭利な槍。飛び散った鮮血。大雨に晒されながらも、苦痛に顔を歪めるマルの表情。視界が雨粒に埋め尽くされる中、シアンにはそれが鮮明に見えていた。
「ぐう、一生の不覚でよッ‼」
「マルちゃん‼」
すかさずツムギが援護に入るが、リザードマンも馬鹿ではなかった。手負いのマルを仕留めるように、我先にと襲い掛かったのだ。
「うおおおっ! 男を魅せる時が来たやで〜‼」
ジェイがマルたちに特攻していく。しかし、それは愚策だろう。ならばどうする、このままマルを見殺しにするのか? シアンの脳裏には様々な考えが浮かんでは消えていく。だが、その時。シアンの心臓が大きく跳ね、自分が何者なのかを思い出させたのだ。
心臓が強く脈動する度に、身体中を太古の大洪水が駆け巡る。感情が高ぶる度に、災いたる嵐が全てを吹き飛ばせと囁いてくる。
「俺は、嵐の化身なんだ……困難は与えられる側なんかじゃない、与える側なんだ……‼」
雷鳴が轟き、眩い閃光が世界を包んだ。そして、再び薄暗い世界が戻ってきた時。シアンの全身には、嵐が渦巻いていたのだ。
雨粒が畏怖をするかのように彼を避け、先ほどまで吹いていた暴風ははたと止む。シアンの周囲には、恐ろしいほどの静寂が支配している。しかし、シアンの魔法によって、時は動き出した。
「〈ライトニング・ボルト〉……!」
神鳴り。そうとしか思えない轟音とともに、眩い閃光が世界を貫いた。それは走っていたジェイを稲妻の速さで回避し、マルやツムギたちさえも通り過ぎ、彼女たちに襲い掛かっていたリザードマンたちに死を与える。
だが、それだけでは危機を脱することなどできはしない。そのため、シアンは周囲に渦巻く嵐を意識し、自らを風とした。
疾風迅雷を体現するが如く、シアンは猛烈な速さで空を駆けた。まるで水を得た魚のように生き生きとし、これこそが真の姿ではないかと錯覚するほどにシアンは高揚感に包まれる。
「な、なんや⁉ シアン空飛んでるやん⁉」
「元々飛べた。だが、これほどまでに自由じゃなかった」
「あかん⁉ 速すぎてついてけ──」
何かを話していたジェイを通り過ぎ、シアンはマルたちの元へと辿り着いた。濡れたアスファルトの上を滑りながら、シアンは手を突き出し、魔法を唱える。
「〈ガスト・オブ・ウィンド〉!」
シアンの両手より放たれた突風は、マルたちに群がっていたリザードマンの尽くを吹き飛ばすことに成功する。しかし、中には耐える者もいた。シアンは油断することなく、追撃をする。
「〈ショッキング・グラスプ〉」
こちらへ襲い掛かってきたリザードマンにシアンが手を向ければ、稲妻がリザードマンの心臓を貫く。雨に濡れていたこともあり、リザードマンは派手に感電し、そのまま物言わぬ骸となっていた。
「ツムギ、頼んだ」
「任せて! 〈キュア・ウーンズ〉!」
一時的に余裕が出来たため、ツムギが『傷治療』を唱える。それによって、外傷を負ったマルの太ももは綺麗さっぱり完治した。マルが早速とばかりに足を動かすが、問題はないようだ。
「かたじけないっ!」
「マル、いけるか」
「任せるでよ!」
ニッと笑みを浮かべたマルは、大太刀を拾い上げて構えをとった。それに続くようにツムギがマルの横へ並び、追いついたジェイがぜえぜえと息を荒らげながらも、その反対側へ。シアンは空気を読んで、ジェイの隣へと並んだ。
「〈クルセイダーズ・マント〉。……皆の武器に、聖属性を付与したよ。気持ち程度だけど、少しは力になると思う!」
「ありがとうでよ!」
「はあ、はあ、助かるで‼」
「ありがとう」
優しい光に包まれたシアンたちだが、戦況が変わる訳ではない。未だに大海よりリザードマンたちが這い出てきており、無数の目がシアンたちを射抜いている。しかし、彼らは不思議と不安を覚えなかった。それは雨脚が弱まり、分厚い雲の隙間から陽光が差し込んできたからなのか。それとも、頼もしい仲間に勇気を貰えたからなのか。答えは分からないが、シアンたちはこの困難を乗り越えられると心の何処かで信じていたのだ。