魔法科高校の異端魔術師   作:もやしになりたい

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転生後編
転生


 その日、佐藤雄馬は本屋で真剣な顔をしていた。

 

 学校帰り。制服のまま立ち寄った駅前の大型書店で、彼は棚の前に腕を組み、人生でもそうそうないくらい悩んでいた。

 

(賭ケグルイにするか……いや、ぐらんぶるも捨て難い)

 

 財布の中身は千円ちょっと。

 どちらも一冊六百円前後。片方なら買える。二冊は無理だ。

 

 しばらく悩んで、雄馬は深々と息を吐いた。

 

(……いや、金ないなら買うべきじゃないな、これ)

 

 我ながら堅実な判断だ、と思いながら店を出る。

 欲望に勝った達成感はあったが、心はちょっとだけ負けていた。

 

 自動ドアを抜け、信号待ちの列に並ぶ。夕方の空はまだ明るく、人通りも多い。どこにでもある、平凡な一日の終わり――のはずだった。

 

 ふいに、反対側の歩道が騒がしくなった。

 

(なんだ? 祭りか何かでもあったっけ)

 

 青信号が点滅し始める。

 その直後、悲鳴が上がった。

 

 空気が変わった。

 ざわめきではない。もっと切羽詰まった、皮膚を粟立たせる音だった。

 

 顔を上げた雄馬は、そこで男を見た。

 

 黒のパーカー。黒のズボン。深く被った帽子の下、のぞいた目だけが異様に爛々としている。右手には鈍く光るコンバットナイフ。

 

 男は、まっすぐこちらへ走ってきていた。

 

(……は?)

 

 頭は理解した。

 だが、身体がついてこない。

 

 逃げろ、と脳は叫んでいる。

 けれど足は、路面に縫い付けられたみたいに動かなかった。

 

(嘘だろ、おい。動けって。動けよ……!)

 

 恐怖が全身を掴んでいた。

 呼吸が浅くなる。心臓が暴れる。視界だけが不自然なくらい鮮明だった。

 

 ようやく足に力が入った時には、もう遅い。

 

 男の影が目の前に迫り、次の瞬間、腹に灼けるような痛みが走った。

 

「――っ」

 

 声にならない。

 

 何かが体の内側に入り込んで、熱いものが一気に零れ出していく感覚。膝から力が抜け、雄馬はその場に崩れ落ちた。

 

 遠くで悲鳴が聞こえる。

 誰かが逃げる足音。

 誰かが通報しろと叫んでいる。

 

 男はまだ止まっていなかった。雄馬を刺したあとも、なおナイフを振り回しながら次の獲物を探している。

 

(……止め、ねえと)

 

 痛みで意識が霞む。

 息を吸うたび喉が詰まる。けれど、ここで倒れていたら、誰かがまた刺される。そんな考えだけが、妙に鮮明だった。

 

 理解できない。

 正義感なんてたいそうなものを持っていた覚えもない。喧嘩だってしたことがないし、自分がヒーローの器だとも思わない。

 

 それでも、身体は動いていた。

 

 雄馬は血に濡れた手で地面を押し、ふらつきながら立ち上がる。近くの電柱にもたれ、息を整える間もなく、男の背中へと歩き出した。

 

 足が重い。

 一歩ごとに、命が抜けていくみたいだった。

 

 それでも距離を詰める。

 三メートル。二メートル。もう少し――

 

 その気配に気づいたのか、男が振り返った。

 

 一瞬だけ、目が合う。

 その目には驚きはあっても、躊躇いはなかった。

 

 再び、刃が雄馬の腹に突き立った。

 

「が……っ」

 

 今度こそ、足が折れそうになる。

 けれど雄馬は歯を食いしばり、男の右腕を両手で掴んだ。

 

「捕まえた、ぜ……!」

 

 渾身の力で捻る。

 男が呻き、ナイフが地面に落ちた。

 

 そのまま顔面へ拳を叩き込む。喧嘩慣れなんてしていない、素人の一発だ。派手に吹き飛ばすことなんてできない。それでも、怯ませるくらいはできた。

 

「てめぇッ!」

 

 次の瞬間には殴り返され、雄馬の身体は軽々と吹き飛んだ。背中からアスファルトに叩きつけられ、肺の空気が全部抜ける。

 

 男が馬乗りになろうとした、その時。

 

「動くな!」

 

 怒号とともに、警官が横から男に飛びかかった。周囲にはいつの間にかパトカーが停まり、何人もの警官が駆け寄ってきていた。

 

「大丈夫ですか!? 聞こえますか!?」

 

 女性警官の声が近くでする。

 だが雄馬は返事をする気力もなく、首をわずかに振るだけで精一杯だった。

 

「救急車が来ます、もう少しだけ頑張って!」

 

 その言葉を最後に、意識は闇に沈んだ。

 

     ◇

 

 次に目を開けた時、そこは真っ白な空間だった。

 

 病院ではない。

 天井も壁も床も、あるようでない。ただ白だけがどこまでも続いている。

 

 そこにぽつんと椅子が一脚。

 そして、いつの間に現れたのか、見覚えのない男が立っていた。

 

「お目覚めですか、佐藤雄馬さん」

 

「うぉっ!?」

 

 反射的に飛び退き――かけて、腹の痛みがないことに気づく。

 

 制服は刺された時のまま。なのに、穴も血も傷もない。

 

 雄馬は自分の腹を触り、何度か瞬きをした。

 

「……夢?」

「残念ながら、夢ではありません」

「じゃあ病院?」

「でもありません」

「となると……あれか。よくある死後の世界的な」

「はい。皆さんの言うところの“神”と呼ばれる立場の者が、今あなたの前にいます」

 

 雄馬は数秒、黙った。

 

「……紙?」

「神です」

「ですよね」

 

 軽口を返しながらも、頭の中は妙に冷えていた。

 こういう時、人間は逆に冷静になるのかもしれない。

 

「俺、死んだんすか」

「はい」

 

 あっさりと告げられた。

 

 思ったよりショックはない。いや、ないわけではない。けれど実感が追いつかない。さっきまで本屋で漫画を悩んでいたはずなのに、次の場面で死後の世界なのだ。感情が追いつく方がおかしい。

 

「……で、なんで神様がそんな申し訳なさそうな顔してるんです?」

「本来、あなたはあの場で死ぬはずではありませんでした」

「はい?」

「こちらの手違いです。正確には、あなたの死期は九十年ほど先でした」

 

 雄馬は目を見開いた。

 

「九十年!? じゃあ百歳超えコースだったの、俺!?」

「ええ。かなり健康に長生きする予定でした」

「それを通り魔で雑に回収したと」

「……返す言葉もありません」

 

 神は本当に申し訳なさそうに頭を下げた。

 ここまで神様らしさのない神様もどうなんだ、と思ったが、土下座されると逆に困る。

 

「いやまあ、やっちまったもんは仕方ないですけど」

「許していただけるのですか?」

「許すも何も、今さら殴っても生き返るわけじゃないでしょ」

 

 そう答えると、神は少しだけ表情を和らげた。

 

「その代わり、償いとして別の人生を用意しました」

「……別の人生?」

「転生です」

 

 思わず目が輝いた。

 

「マジで? それって、異世界?」

「厳密には、あなたの知る創作世界の一つです」

「おお……」

「転生先は『魔法科高校の劣等生』の世界になります」

 

 そこで雄馬の顔が少し引きつった。

 

「うわ、よりにもよってバトルものか……」

「危険な世界ではあります。ですから、相応の補填も用意しています」

 

 神が指を鳴らすように手を振ると、白い空間に淡い光が浮かんだ。

 

「一つ、あなたには強い“縁”を持たせます。あなたがよく知る英霊たちとの縁です」

「……サーヴァント?」

「はい」

「それ、かなりデカいですね……」

 

 雄馬は腕を組み、真剣に考え込んだ。

 

 最強の力を一つ貰う。

 確かにそれも魅力的だ。だが、いきなり自分が万能になれる気はしない。なら、自分よりずっと強く、しかも背中を預けられる相手がいる方が生存率は高い。

 

(ギルとかヘラクレスとかは扱い切れる気がしない。だったら――)

 

「扱いやすいサーヴァントを、六騎くらいお願いできます?」

「こちらで選定して構いませんか?」

「そっちの方が安心です。俺の趣味で選ぶとたぶん偏るんで」

 

 神は苦笑して頷いた。

 

「では、そのように」

「あともう一個あるんですよね」

「ええ。身体能力の底上げを」

「最初から最強、じゃなくていいです。ちゃんと鍛えた分だけ伸びる感じでお願いします。どうせ行くなら、置いていかれるだけってのは嫌なんで」

 

 それは雄馬の本心だった。

 強い仲間に守られるだけの人生は、たぶん楽だ。けれどそれでは、いざという時に誰も守れない。

 

 神は少しだけ目を細めた。

 

「……あなたらしい願いですね」

「俺らしい、ねえ」

 

 自分ではよく分からない。

 ただ、死ぬ間際に身体が動いた理由と同じものが、きっと今も胸の奥に残っているのだろう。

 

 神は最後に、事務連絡のような口調で続けた。

 

「なお、英霊たちと縁を結ぶ以上、あちら側の神秘に触れるための素地はこちらで整えておきます」

「素地?」

「気にするのは、向こうで学ぶ時で構いません」

「雑だなあ、チュートリアル」

「そこは、第二の人生のお楽しみということで」

 

 神がそう言った直後、雄馬の足元に光の輪が広がった。

 幾何学模様が重なり、複雑な紋様を描いていく。いかにも“転生します”と言わんばかりの魔法陣だった。

 

「それでは、良い第二の人生を」

「……はい」

 

 雄馬は一度だけ、深く息を吸う。

 

 もう元の世界には戻れない。

 家族も、友達も、学校も、本屋の棚も、もう手の届かない場所にある。

 

 寂しさがないわけじゃない。

 怖くないわけでもない。

 

 それでも。

 

「行ってきます」

 

 その一言を合図に、光が弾けた。

 

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