模擬戦を始めてから、二週間ほどが過ぎた。
たった二週間。
そう言ってしまえば短い。だが、雄馬にとってその二週間は、ただ日が過ぎたというにはあまりにも濃かった。
最初の頃は、一本取られるまでがあまりにも早かった。
構えて、踏み込んで、打ち合ったと思った次の瞬間には、もう木剣を突きつけられている。頭では見えていても、身体が追いつかない。形をなぞっているつもりでも、ほんのわずかな綻びをアルトリアは見逃さない。
だが、今は違った。
中庭で向かい合う二人の木剣が、乾いた音を重ねる。
一合。
二合。
三合。
さらに踏み込み、受け、流し、返す。
半月前なら、その三合に届く前に終わっていた。今は違う。まだ勝てない。まだ一本は遠い。それでも、一本取られるまでの時間は確かに長くなっていた。
「長くなってきましたね」
少し離れた場所で見ていたジャンヌが、静かにそう言った。
「ええ。最初の頃は、本当に一瞬でしたから」
沖田も頷く。
「今はちゃんと討ち合いになってます。……まあ、雄馬さんはかなりきつそうですけど」
その言葉通りだった。
打ち合える時間が長くなったということは、そのまま消耗する時間が伸びたということでもある。
息は上がる。腕は重い。足も熱を持つ。木剣同士がぶつかるたびに指先まで痺れる。一本取られるまでが長くなれば長くなるほど、それは雄馬にとって消耗戦でしかなかった。
正直、楽ではない。
むしろ以前よりつらい。
あっさり終わっていた頃の方が、体力だけを考えればまだましだったのではないかと思うほどだ。
だが、それでも。
長く討ち合えているという事実そのものが、成長の証だということも分かっていた。
木剣がぶつかる。
踏み込み、受け、半歩ずらし、返す。
アルトリアの剣は相変わらず重い。正面から受け止めれば、そのまま押し切られそうになる。だからまともには受けない。真正面で受けず、流し、ずらし、角度を変えて返す。
それは、最初の頃にはできなかったことだった。
「そこまで」
乾いた音と共に、ついに木剣が首元へ止まる。
一本。
雄馬は肩で息をしながら、どうにか構えを解いた。
「……また負けた」
「はい」
アルトリアの返答はいつも通り簡潔だった。
だが、すぐに続く。
「ですが、今のは悪くありませんでした」
その一言に、雄馬は少しだけ顔を上げる。
「本当か?」
「ええ。三合目までは特に良かったです。以前なら真正面で受けていたところを、今日はきちんと逃がせていました」
「最後は押し切られたけどな」
「最後は、四合目で足が止まりました」
アルトリアは木剣を下ろしたまま、真っ直ぐ雄馬を見る。
「受けた後、返す前にほんのわずかですが、身体が迷っています」
「……そこまで分かるんだな」
「分かります」
やはり即答だった。
「今のあなたは、もう型そのものは崩していません。ですが、判断の途中で止まる瞬間がまだあります。止まれば、そこを取られます」
雄馬は息を整えながら、その言葉を頭の中で繰り返した。
止まるな。
迷うな。
型をなぞるだけではなく、身体から出せ。
これまで何度も言われてきたことだ。
だが、その変化を客観的に見る余裕など、当の雄馬にはなかった。
いま意識の中心にあるのは、目の前のアルトリアだけだ。
踏み込みの深さ。
剣先の位置。
受けた後の返し。
呼吸の乱れ。
視線の置き方。
ただそれらを追い、食らいつき、次の一本に繋げることだけで頭の中は埋まっている。周囲で誰が何を話しているのかなど、耳に入る余地はなかった。
「本当に、修正が早いですね」
感心したように言ったのは沖田だった。
「さっきアルトリアさんに言われたことを、次にはもう直してるんです。普通は分かっていても、そう簡単にはできませんよ」
「ええ」
ジャンヌも頷く。
「同じところを何度も取られる、という感じではなくなっています」
それは、おそらく雄馬の才能だった。
だが、当の本人にその自覚はない。
ただ必死に目の前の一本へ食らいつき、取られた理由を身体で飲み込み、次では同じ崩れを出さないようにしているだけだ。
ここで止まった。
なら、次は止まらない。
ここで肩に力が入った。
なら、次は抜く。
ここで踏み込みが深すぎた。
なら、次は半歩抑える。
そうした修正が、頭で順序立てて考えるより先に、無意識のうちに身体へ反映されていく。
だから一本終えるごとに、討ち合いの質が少しずつ上がる。
「……言われてみれば、前と同じ負け方はしてないか」
雄馬がようやく息を整えながら呟くと、アルトリアは静かに頷いた。
「はい。そこは明確に成長しています」
その言葉は、雄馬にとって何より重かった。
「最初の頃は、同じ綻びを何度も突けば終わっていました。ですが今は違う。一度指摘した点は、次にはかなりの精度で修正されている」
「褒めてるのか?」
「事実を言っているだけです」
そう言いつつ、ほんの少しだけ目元が柔らかい。
それだけで十分だった。
「ですが」
と、アルトリアはすぐに続けた。
「修正が早いことと、完成していることは別です」
「だろうな」
「ええ。いまのあなたは、崩れを直すのが早い。だから一本ごとの質が上がる。ですが、まだ“最初から整っている剣”ではありません」
「後から直してる、ってことか」
「そうです」
端的だった。
「本当に自分の型になれば、修正そのものが減ります。最初から、その形で立てるようになる」
雄馬は小さく息を吐く。
遠い。
だが、前よりは近い。
そんな位置に来ている気がした。
「もう一本です」
アルトリアが木剣を構え直す。
雄馬も、それに応じて構えた。
足を置く。腰を落とす。肩の力を抜く。視線を近くしすぎない。呼吸を乱さない。
以前なら、ここでいくつも指摘が飛んでいただろう。
だが今は、何も言われない。
それだけで、自分の身体に型が根を張ってきたことだけは分かった。
踏み込む。
アルトリアも動く。
木剣がぶつかる。
受け、返し、流し、半歩ずらす。
今度はさっきより止まらない。
四合。
五合。
そこで、また一本取られた。
だが。
「……さっきより長かったな」
肩で息をしながら雄馬が言うと、アルトリアは頷いた。
「はい。今度は四合目で止まりませんでした」
「でも最後は取られた」
「最後は、返しの時に剣先がわずかに浮きました」
「そこか……」
「そこです」
やはり、誤魔化せない。
だが、その指摘が嫌ではなくなっていた。
もちろん痛い。厳しい。すぐ直せと言われるのもきつい。
それでも、何を直せば次へ進めるのかがはっきりしているのは、ありがたかった。
だから雄馬は、また構える。
また打ち合う。
また一本取られる。
また反省点を告げられる。
そのたびに、身体が少しずつ直る。
同じところは、もう取られない。
同じ止まり方は、もうしない。
以前と同じ崩れ方は、もう出ない。
「すごいですねえ……」
沖田がぽつりと漏らした。
「何がだ?」
汗を拭いながらアキレウスが問うと、沖田は雄馬の動きを目で追いながら答える。
「一本終わるたびに、ちゃんと変わってるんです。さっきまで弱かったところが、次にはもう薄くなってる」
「たしかにな」
アキレウスも感心したように頷く。
「飲み込みが早いっていうより、戦いながら身体が勝手に覚えていってる感じか」
「それは大きいですね」
ジャンヌも柔らかく続ける。
「指摘されたことを、その場で次へ繋げられるのは簡単なことではありません」
クー・フーリンが口元を吊り上げた。
「そういうやつは伸びる。しかも厄介だ。見つけた綻びを、次にはもう塞いでくるからな」
「エミヤもそう思うか?」
アキレウスが振ると、クー・フーリンは肩を竦めた。
「思うさ。こういうのは見れば分かる」
エミヤも視線を外さずに言う。
「無意識で修正が入るのは強い。頭で理解してから動く段階を越え始めている証拠だ」
「それは、かなり良い傾向ということでしょうか」
ジャンヌが少し嬉しそうに問いかけると、エミヤは静かに答えた。
「いい傾向なのは間違いない。ただし、こういう手合いは自分で気づかないうちに無理もする」
だが、そんなやり取りも、雄馬には届いていない。
聞こえているのは木剣のぶつかる乾いた音だけだ。
見えているのはアルトリアの剣筋だけだ。
次の一本でどう食らいつくか。
どうすれば今の崩れを減らせるか。
そのことだけで意識は細く鋭く絞られている。
「ええ。成長しているのは確かです」
アルトリアが構えたまま、静かに言う。
「ですが、伸びる時ほど雑になる危険もあります。修正できるからといって、崩れていい理由にはなりません」
「分かってる」
「なら次です」
「分かってるって言った直後にそれか……!」
「止まっていい理由にはなりません」
やはり厳しい。
だが、その厳しさが今の雄馬には必要なのだろうとも思う。
修正できる。
だから伸びる。
だが、その伸びをきちんと型に定着させるには、見てくれる目が要る。
アルトリアはその目を、一切曇らせない。
そして、その日もまた何本も打ち合った。
一本ごとに、雄馬の動きは少しずつ変わる。
同じミスは繰り返さない。
指摘された箇所は、次には直す。
突かれた綻びは、次には塞ぐ。
だから討ち合いの時間が伸びる。
だから消耗も増える。
けれど、それでも。
木剣を構えたまま、雄馬は思う。
きつい。
正直、かなりきつい。
一本が長くなればなるほど、体力も削られる。息も上がる。腕も脚も重くなる。
それでも、前より確かに戦えている。
前より、ずっと“自分で立っている”。
それが分かるから、やめようとは思わなかった。
木剣がまたぶつかる。
乾いた音が中庭に響く。
一本を終えるたび、少しずつ自分の剣が研がれていくような感覚があった。
まだ未完成だ。
まだ荒い。
それでももう、ただアルトリアの形を借りているだけではない。
修正し、積み上げ、討ち合いの中で磨かれていくその剣は、少しずつ、確かに雄馬自身のものになり始めていた。