魔法科高校の異端魔術師   作:もやしになりたい

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義務教育

 あれから、約二年が経った。

 

 雄馬も十歳になった。

 

 この二年で、生活の中心はほとんど鍛錬になっていた。

 

 剣、刀、パンクラチオン、魔術、魔法。

 

 もちろん一日で全部をやるわけにはいかない。今週は剣、来週は刀、その次は体術――そんなふうに週ごと、あるいは月ごとに比重を変えながら、少しずつ積み上げてきた。

 

 剣はアルトリアに。

 刀は沖田に。

 体術はアキレウスに。

 魔術はエミヤに。

 魔法だけは明確な師がいるわけではなく、皆の意見を借りながら、自分で試行錯誤する形だった。

 

 その結果として、雄馬は確かに強くなっていた。

 

 剣も刀も、最初の頃のように何もできずに終わることはなくなった。

 パンクラチオンも、ただ投げられて終わるだけではなくなった。

 魔術も、最低限の循環と行使なら安定してできるようになった。

 

 だが、それでも“最低限”でしかない。

 

 以前は、相手に二割、三割を出させるだけで精一杯だった。

 今はようやく三割強。

 それだけ聞けば十分成長しているように思えるが、当の本人からすれば、差が少し縮んだだけで、なお遠いままだった。

 

 何度か、皆が軽く身体を慣らす程度に手合わせしているところを見たことがある。

 

 そのたびに思う。

 

 ――次元が違う。

 

 速いとか、重いとか、巧いとか、そういう言葉で片付けてはいけない何かがそこにはあった。

 踏み込み一つ、視線一つ、間合い一つで空気そのものが変わる。

 自分がようやく掴みかけているものを、彼らは呼吸するように扱っている。

 

 それでも、落ち込んだままではいなかった。

 

 悔しいとは思う。

 遠いとも思う。

 だが、届かないからやめようとは不思議と思わなかった。

 

 もっと頑張ろう。

 次はもう少し先へ行こう。

 

 そう思えてしまう辺り、ある意味ではそれが雄馬の才能なのかもしれなかった。

 

 魔術の方は、エミヤが相変わらず献身的に見てくれていた。

 

 魔術回路の扱いも、基礎の強化も、無理のない範囲で少しずつ。

 厳しいが、放り出しはしない。

 失敗しても原因を切り分け、次に繋げる。

 その積み重ねのおかげで、少なくとも魔術師として何も分からない状態からは抜け出していた。

 

 そして、魔法。

 

 こちらはまた別の意味で厄介だった。

 

 単一系統の魔法なら、もう難なく出せる。

 発動の精度もだいぶ上がってきた。

 

 だが、それ以外が駄目だった。

 

 複数の要素を組み合わせると、どうしてもタイムラグが生まれる。

 発動してほしいと思った瞬間から四秒。

 遅い時には、十秒近く遅れて出る。

 

 戦闘中なら致命的だ。

 いや、戦闘中でなくても困る。

 

 この日も、雄馬は庭先で試していた魔法がワンテンポどころか数拍遅れて発動し、目の前の的ではなく、少し横に積んであった木箱だけを妙に綺麗に吹き飛ばしてしまっていた。

 

「……またずれた」

 

 肩を落として呟くと、少し離れた場所で腕を組んで見ていたエミヤが、短く息を吐く。

 

「単一なら問題ない。組み合わせた途端に処理が遅れる。原因は分かりやすいな」

 

「分かりやすい、で済ませていいやつかな、それ」

 

「よくはない。だが、分からない不調よりはマシだ。改善の余地が見えるからな」

 

 そう言ってから、エミヤは倒れた木箱の方へ視線をやった。

 

「少なくとも威力そのものが抜けているわけではない。遅れてでも成立はしている。組み立ての速度と安定性、その二つを詰めればいい」

 

「言うのは簡単なんだけどな……」

 

「簡単だとは言っていない」

 

 淡々と返される。

 

 それでも、完全に駄目だと切り捨てられないだけ気は楽だった。

 

「ま、腐るなよ」

 

 アキレウスが笑いながら近づいてくる。

 

「出ねえんじゃなくて遅いだけなんだろ? なら縮めりゃいい」

 

「アキレウスさん、それを簡単に言えるのはたぶんアキレウスさんだけです」

 

 沖田が苦笑しながら言った。

 

「でも、前よりはちゃんと前に進んでますよ、雄馬さん」

 

「そうだな。止まってるわけじゃねえ」

 

 クー・フーリンも頷く。

 

「厄介なのは厄介だが、伸びてる最中の詰まりってやつなら、越えりゃ済む」

 

 アルトリアも静かに口を開く。

 

「焦りは禁物です。焦って形を崩せば、かえって遠回りになります」

 

「はい。いずれは安定しますよ」

 

 ジャンヌが穏やかに微笑んだ。

 

「今は、できることを積み上げていきましょう」

 

 慰めというより、確認のような言葉だった。

 

 雄馬は吹き飛んだ木箱を見てから、小さく息を吐く。

 

「……分かった。もう一回やる」

 

「今日はそこまでだ」

 

 即座にエミヤが止めた。

 

「え」

 

「君、今ので三回続けて術式を乱しているだろう。これ以上は雑になる」

 

「でも――」

 

「でも、じゃない。休め。頭が煮えたまま続けても精度は上がらない」

 

 そう言われてしまうと、反論はしづらい。

 

 結局その日の鍛錬は、いつもより少し早く切り上げることになった。

 

     ◇

 

 夕食の時間だった。

 

 食卓にはいつものようにエミヤの作った料理が並び、皆がそれぞれの調子で箸を進めている。

 

 アキレウスとクー・フーリンはよく食べ、

 アルトリアは静かだがやはりよく食べ、

 沖田とジャンヌは会話の合間に上品に食べ、

 雄馬はそんな光景を見ながら、なんとなく白いご飯を口に運んでいた。

 

 食卓は賑やかだった。

 

 そのはずなのに、ふとした瞬間、雄馬の視線がリビングの端に置かれた日めくり式のカレンダーへ向いた。

 

 四月。

 

 その数字を見た瞬間だった。

 

「……あ」

 

「どうした、雄馬」

 

 アキレウスが訊く。

 

 雄馬は箸を持ったまま、妙に間の抜けた顔になっていた。

 

「いや……その……」

 

 喉の奥で一度言葉が引っ掛かる。

 

 だが、次の瞬間にはもう口から出ていた。

 

「俺、学校行ってなくないか?」

 

 食卓が静まった。

 

 本当に、一瞬で。

 

 さっきまでの賑やかさが嘘みたいに、ぴたりと止まる。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 誰も何も言わない。

 

 雄馬は嫌な予感を覚えながら、順番に皆の顔を見た。

 

 アキレウスは固まり、

 クー・フーリンは目を逸らし、

 沖田はぱちぱちと瞬きを繰り返し、

 ジャンヌは困ったように微笑み、

 アルトリアは真顔で沈黙し、

 エミヤは額に手を当てていた。

 

「……おい」

 

「……今、私も同じことを考えていた」

 

 エミヤが低く言った。

 

「いや考えてたじゃなくて」

 

「忘れていたな!」

 

 アキレウスが勢いよく言った。

 

「よくそんな元気に言えますね!?」

 

 沖田が思わず突っ込む。

 

「い、いえ、その、私も完全に盲点でした……! 鍛錬のことばかり考えていて……!」

 

「そこは私も否定できません」

 

 ジャンヌが少し申し訳なさそうに言う。

 

「生活の基盤は整っていましたし、つい安心してしまっていました」

 

「安心していいところじゃないだろ……」

 

 雄馬は遠い目になった。

 

 言われてみれば当然だ。

 当然すぎる。

 

 十歳。

 どう考えても小学生だ。

 

 しかもこの二年間、剣だの刀だの魔術だの魔法だのばかりで、学校らしい学校には一度も行っていない。

 

「義務教育です」

 

 アルトリアが静かに言った。

 

 その一言が妙に重い。

 

「軽視していい話ではありません」

 

「ごもっともすぎる……」

 

「人の社会で生きる以上、学ぶ場は必要です」

 

 アルトリアは続ける。

 

「剣や刀だけでなく、知識、常識、年相応の人間関係もまた、今の雄馬には要るでしょう」

 

「同年代の連中と話す機会もあった方がいいだろうしな」

 

 クー・フーリンが言う。

 

「家の中でばっか鍛えてたら、変な育ち方するぞ」

 

「すでにちょっとしてる気がするんだけど」

 

「否定はしねえ」

 

「否定してくれよ」

 

 思わず返すと、アキレウスが吹き出した。

 

「まあでも、学校か。面白そうじゃねえか」

 

「面白がるなよ……」

 

「いや、実際大事だろ。勉強もそうだが、同年代と遊ぶのも必要だ。お前、周りが俺たちばっかで感覚ずれそうだしな」

 

「それは確かに否定しづらいですね……」

 

 ジャンヌも苦笑した。

 

「人との距離感や日常の感覚は、訓練だけでは身につきませんから」

 

 沖田が、おずおずと手を挙げる。

 

「あの、雄馬さん」

 

「ん?」

 

「勉強、嫌いですか?」

 

「嫌いではないけど……得意かって言われると普通」

 

「でしたら良かったです! もし苦手でしたら、皆さんで何とかするしかないかと!」

 

「何とかなるのか、それ」

 

「勢いで!」

 

「ならないやつだそれ」

 

 少しだけ、食卓の空気が戻る。

 

 だが問題自体が消えたわけではない。

 

 雄馬は箸を置いて、改めてエミヤの方を見た。

 

「……で、どうする?」

 

 その問いに、エミヤはしばらく黙っていた。

 

 指先で机を軽く叩き、頭の中で順番に何かを並べているようだった。

 

「まず確認すべきは、住民登録と保護者欄、それから就学状況だな」

 

「そんなのあったのか?」

 

「家も口座もあった。なら、表向きの身分もある程度は整っている可能性が高い」

 

 エミヤは淡々と続ける。

 

「問題は、その先だ。二年分の空白をどう説明するか。どの形で学校へ入れるか。通常の編入でいけるのか、別の手続きが要るのか。その辺りをまず調べる必要がある」

 

「……面倒そうだな」

 

「面倒だ」

 

 きっぱり言い切られた。

 

「だが、放置はもっと面倒になる」

 

 それからエミヤは、雄馬へ視線を向けた。

 

「君は明日から勉強も始めろ」

 

「うげ」

 

「露骨に嫌そうな顔をするな。鍛錬を減らすとは言っていない。学校へ入るにせよ入らないにせよ、学力の確認は必要だ」

 

「はい……」

 

「それと、一般常識もだな」

 

 クー・フーリンがにやりと笑う。

 

「言われてるぞ」

 

「誰のせいで一般常識から遠ざかってると思ってるんだよ」

 

「半分くらいはお前自身だろ」

 

「否定しきれないのが嫌だな……」

 

 そこへ、アルトリアが静かに言葉を挟んだ。

 

「シロウ」

 

「分かっている」

 

 エミヤは短く答える。

 

 そして一度、小さく息を吐いた。

 

「手続きは私がやる」

 

 その声はいつも通り淡々としていたが、妙に頼もしかった。

 

「必要書類の確認、学校側との接触、保護者としての表向きの立場の整理――そこは私が手配する」

 

「エミヤが?」

 

「他に適任がいるか?」

 

 そう言われると、誰もすぐには返せなかった。

 

 アキレウスは豪快すぎる。

 クー・フーリンは自由すぎる。

 沖田は勢いで押し切ろうとする未来が見える。

 アルトリアは真面目すぎて逆に目立つ。

 ジャンヌは丁寧すぎて断られそうだ。

 

 消去法でも何でもなく、たしかに一番向いているのはエミヤだった。

 

「……頼んでいいのか?」

 

 雄馬がそう訊くと、エミヤは肩をすくめた。

 

「今さらだろう。君の生活基盤の確認も、金の管理も、結局こちらが見てきた」

 

「まあ、そうだけど」

 

「学校もその延長だ。問題ない」

 

 少し間を置いてから、エミヤは続けた。

 

「もっとも、簡単に通るとは限らない。時間はかかるかもしれん。その間、君は君で準備をしろ。勉強も、生活習慣も、対人面もだ」

 

「対人面って」

 

「同年代の中に放り込まれても、浮かない程度にはなってもらう」

 

「それ、今の俺けっこう危ないってこと?」

 

「危ないな」

 

 即答だった。

 

 沖田が「あっ」とした顔になる。

 

 アキレウスが笑いを堪えきれず肩を震わせる。

 クー・フーリンは露骨に笑った。

 ジャンヌは「大丈夫ですよ、きっと」とやんわり補足し、

 アルトリアは「努力次第です」と妙に真面目に言った。

 

「なんか誰もちゃんと否定してくれないんだけど」

 

「現実は時に厳しいものです、雄馬さん」

 

 沖田がしみじみと言う。

 

「お前がそれ言うのか……」

 

 だが、不思議と嫌な気分ではなかった。

 

 問題は増えた。

 しかも、わりと大きい。

 

 剣も刀も魔術も魔法もあるのに、今度は学校だ。

 

 頭が痛い。

 正直面倒だ。

 でも、それもまた、この世界で生きるということなのだろう。

 

「じゃあ、決まりですね」

 

 ジャンヌが穏やかにまとめる。

 

「シロウが手続きを進めて、その間、雄馬は勉強の準備をする」

 

「はい」

 

 アルトリアが頷く。

 

「鍛錬との両立になりますが、不可能ではありません」

 

「むしろ忙しくなりそうだな!」

 

 アキレウスが楽しそうに笑う。

 

「学校終わりに鍛錬とか、なかなか熱いじゃねえか」

 

「熱くはあるけど、聞いてるだけで疲れる……」

 

「ま、やること増えたなら前に進んでるってことだろ」

 

 クー・フーリンが軽く言った。

 

「止まってるよりはマシだ」

 

「その理屈で全部押し切るのやめろよ……」

 

 食卓に、また笑いが戻る。

 

 その輪の中で、雄馬は小さく息を吐いた。

 

 剣も、刀も、魔術も、魔法も。

 追いつきたいものは山ほどある。

 

 その上で、今度は学校まで加わるらしい。

 

 忙しいなんてものじゃない。

 けれど――

 

「……まあ、任せた。エミヤ」

 

 そう言うと、エミヤは短く頷いた。

 

「ああ。任せておけ」

 

 それだけで十分だった。

 

 たぶん次の戦場は、訓練場でも庭先でもない。

 

 教室だ。

 

 そう思った瞬間、雄馬は木刀よりも魔術回路よりも別の意味で、少しだけ遠い目になった。

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