校門をくぐったところで、佐藤雄馬は少しだけ歩調を緩めた。
広い校地だった。
だが、印象に残るのは広さそのものではない。
視界に入る案内表示は整然と配置され、壁面の情報パネルは必要な情報だけを簡潔に映し出し、登校してくる新入生たちの荷物は驚くほど少ない。端末一つに多くを集約するこの時代らしい光景だった。魔法が発達した社会というより、魔法まで含めて社会基盤の一部に組み込まれた世界。そんな感触がある。
そんなことを考えながら歩いていると、前方でわずかに人の流れが鈍った。
視線を向ける。
理由はすぐに分かった。
司波達也と司波深雪。
原作知識のある雄馬にとって、見間違えようのない二人だった。
深雪が達也に何かを言っている。距離が近い。
達也は慣れた様子で受け流しているが、完全に流しているわけでもなく、兄妹らしい押し問答がそこにあった。
雄馬は一瞬だけその様子を見て、すぐ視線を外した。
やはり本物か、と思う。
だが、それだけだった。
わざわざ今ここで近づく理由もない。
むしろ、最初の接触はもう少し落ち着いた場面の方がいい。
それに、式までまだ少し時間がある。
せっかく早めに着いたのだ。構内を軽く見て回るのも悪くない。そう考えて歩き出したところで、
「新入生、よね?」
背後から声がかかった。
振り返った瞬間、雄馬は相手を認識する。
七草真由美。
第一高校生徒会長。作中でも強い印象を残す人物の一人だ。
画面や挿絵で知っていた顔が、実際に目の前に立っている。
その事実に、ほんの少しだけ現実感が揺れる。
「はい」
「迷子には見えないけど、講堂と逆の方へ行こうとしてたから」
「少し構内を見て回ろうかと」
答えると、真由美は面白そうに目を細めた。
「へえ。入学式の前に散策。案外、余裕あるのね」
「じっと待つよりは性に合ってるので」
「なるほど」
くす、と軽く笑う。
柔らかいのに、相手の返しをきちんと見ている笑い方だった。
そして次の瞬間、真由美は自然な調子で言った。
「でも、あなたが佐藤雄馬くんだったのは少し意外だったわ」
雄馬はそこで初めて、はっきりと表情を動かした。
「……俺を知ってるんですか」
「ええ。名前だけ、ね」
真由美は肩の力を抜いたまま続ける。
「新入生の資料って、全部を細かく見るわけじゃないのだけど。たまに印象に残る子がいるの。今年はその一人があなた」
「どういう意味です?」
「筆記がかなり良いのに、実技判定はぎりぎり。総合評価のバランスが少し珍しかったのよ」
言葉に棘はない。
本当に、興味の延長で覚えていたのだと分かる口調だった。
「それで、生徒会長が新入生の名前まで覚えるんですね」
「役得ということにしておいてくれる?」
少し茶化すように返してから、真由美はすぐに目元を和らげた。
「別に悪い意味じゃないわ。一科生か二科生か、その結果だけで人を決めるのって、私はあまり好きじゃないの」
その台詞に、雄馬はわずかに目を細める。
原作知識があるからこそ分かる。
七草真由美という人間は、制度の内側にいながら、制度そのものを無邪気に信じるような人物ではない。
「なら安心しました」
「安心?」
「名前を覚えられてる理由が、面倒事じゃなさそうだったので」
真由美は一拍だけきょとんとして、それから声を立てずに笑った。
「面白い返しをするのね、佐藤くん」
「よく言われます」
「それは初めて聞いた気がするけど」
短いやり取りだったが、空気は悪くなかった。
真由美は講堂の方へ視線を向ける。
「そろそろ始まるわ。私は準備があるから、ここで」
「案内、ありがとうございます」
「案内するほどでもなかったけどね」
そう言って一歩離れかけてから、真由美はふと思い出したように振り返る。
「佐藤くん」
「はい」
「入学初日から変に肩肘張らなくていいわよ。この学校、勝手に空気が張り詰めるもの」
それだけ言って、真由美は上級生たちのいる方へ去っていった。
雄馬はその背中を数秒見送ったあと、講堂へ向かう。
中へ入って、まず気付く。
席は本来、自由席のはずだった。
なのに空気はもう分かれていた。
自然と手前側に一科生が集まり、奥側に二科生が流れている。
誰かが指示したわけではない。
それでも、境界は最初からそこにあるみたいに見えた。
雄馬は内心で小さく息を吐く。
なるほど。
知識として知っていた一科生と二科生の隔たりは、こういう形で最初から可視化されるのか。
わざわざ逆らう理由もない。
雄馬はそのまま奥へ進み、二科生側の席に腰を下ろした。
少し前方には司波達也の姿がある。
近くには千葉エリカと柴田美月。こちらも見覚えのある顔だった。
やはりE組周辺になる面子は、この時点でもう近くに集まっているのかもしれない。そんなことを考えながら、雄馬は壇上へ視線を向けた。
式は始まった。
挨拶。祝辞。説明。歓迎の言葉。
内容は真っ当だった。真っ当すぎるほどに。
最初のうちは聞いていた。
だが、途中からさすがに長い。
話の区切りが似ているせいか、意識が少しずつ沈んでいく。
――少しだけなら。
そう思ったところで、意識が途切れた。
次に気付いた時には、周囲で椅子を引く音がしていた。
「……終わったか」
拍手はもう止み、人の流れができ始めている。
どうやら、入学式はきれいに終わっていたらしい。
雄馬は小さく息を吐き、人波に混ざって講堂を出る。
向かう先はクラス表の掲示だ。
表示された一覧へ視線を走らせ、自分の名前を見つける。
佐藤雄馬――一年E組。
「E組か」
小さく呟き、すぐ近くの名前へ視線が滑る。
司波達也。
千葉エリカ。
柴田美月。
やはり、と思う。
少し離れたところにいる本人たちへ視線を向ければ、講堂で前方にいた三人がそのまま掲示を見上げていた。
同じクラス。
雄馬は表示を見たまま、静かに口元を緩める。
入学初日。
真由美に認知されていたことも予想外だったが、それ以上に。
どうやら、この一年は最初から退屈とは縁がなさそうだった。