魔法科高校の異端魔術師   作:もやしになりたい

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1週間ぶりで申し訳ないです。インフルエンザで寝込んでました。


軋む日常

翌朝、雄馬は昨日より少しだけ遅い時間に家を出た。

 

入学式という山場を一つ越えたせいか、初日ほどの張り詰めた重さはない。

校門の位置も、講堂までの導線も、昇降口の混み方も、ひとまず身体で覚えた。

だがその代わりに、今日は別の意味で気が重い。

 

昨日は“入学”だった。

今日は、もう“学校生活”が始まる。

 

玄関では、昨日と同じように全員が見送りに出ていた。

 

「行ってらっしゃい、雄馬さん」

 

最初に口を開いたのは沖田だった。

声は明るいが、やはりどこか少しだけ落ち着かない。

 

「行ってらっしゃい、雄馬さん。昨日よりは慣れているでしょうけれど、気を張り過ぎないようにしてくださいね」

ジャンヌが柔らかく続ける。

 

「分かってる」

 

「慣れたと思った頃が、最も隙を生みます」

アルトリアは静かに言った。

「油断は禁物です」

 

「朝の見送りにしては、だいぶ重いな」

 

「必要なことです」

 

即答され、雄馬は苦笑した。

 

エミヤが短く言う。

 

「端末は持ったな」

 

「持った」

 

「ならいい。昨日より人と話すことになる。余計なところで消耗するな」

 

「朝から容赦がないな」

 

「事実だ」

 

壁にもたれていたクーフーリンが笑う。

 

「ま、昨日よりは楽だろ。クラスも分かってんだしな」

 

「どうだろうな」

雄馬は肩をすくめた。

「むしろ、今日からが本番って気もする」

 

「だったら尚更だ」

アキレウスが口元を上げる。

「帰ったら身体を動かせ。頭で溜めたもんは、身体で抜くのが一番早い」

 

「覚えとく」

 

そう返して、雄馬は家を出た。

 

春の朝はまだ少し冷たい。

だが、足取りは昨日よりわずかに軽かった。

 

 

第一高校の校舎へ入り、一年E組の教室へ足を踏み入れる。

 

昨日の講堂とは違う種類のざわめきがあった。

 

席に着く者。

近くの相手と小さく話し始める者。

まだ互いの距離感を測っている新入生同士の、半端な静けさが教室全体に漂っている。

 

雄馬は自分の席へ向かいながら、さりげなく周囲を見た。

 

昨日の時点では、教室まで来ていない。

講堂でも後ろの方だったから、顔と名前がきちんと一致している相手はほとんどいない。

それでも、名簿で見た名前と雰囲気が重なる相手はいた。

 

静かに席に着いている司波達也。

控えめな空気を纏う柴田美月。

大柄で目立つ西城レオンハルト。

 

そして――

 

「あ」

 

不意に、横から声が飛んだ。

 

振り向くと、千葉エリカがこちらを見ていた。

何かを思い出したように目を細め、それからすぐに得心した顔になる。

 

「昨日、掲示の前にいた人だよね?」

 

雄馬はわずかに目を細めた。

 

「掲示の前?」

 

「クラス分けのやつ。ちょっと離れたところにいたでしょ」

エリカは気安く言う。

「見覚えあるんだけど」

 

そこまで言われて、雄馬も思い当たる。

昨日、クラス発表の掲示を確認した時、自分の近くにいた女子生徒の一人だ。

 

「ああ……いたな」

 

「やっぱり」

エリカは満足そうに頷いた。

「同じE組っぽいとは思ってたけど、名前までは分からなかったんだよね」

 

そのやり取りに反応したのか、美月がこちらを向いた。

 

「お知り合いなんですか?」

 

「知り合いってほどじゃないよ」

エリカは首を振る。

「昨日ちょっと見かけただけ。顔を覚えてただけ」

 

「なるほどな」

 

達也は何も言わず、静かに雄馬へ視線を向けていた。

少なくともこの場では、雄馬を昨日から認識していたのはエリカだけらしい。

 

エリカは改めて雄馬へ向き直る。

 

「で、せっかくだし今のうちに聞いとこ。名前、なんていうの?」

 

「佐藤雄馬だ」

 

「私は千葉エリカ。よろしく、佐藤君」

 

「よろしく」

 

それに続くように、美月も軽く頭を下げた。

 

「柴田美月です。よろしくお願いします、佐藤さん」

 

「よろしく、柴田さん」

 

「西城レオンハルト。レオでいい」

レオが片手を上げる。

 

「よろしく、レオ」

 

最後に、達也が短く名乗った。

 

「司波達也だ。よろしく、佐藤」

 

「ああ。よろしく、司波」

 

ひと通りの自己紹介が終わったところで、雄馬は少しだけ考えてから口を開いた。

 

「……それと、呼び方だけど」

 

エリカが首を傾げる。

 

「ん?」

 

「佐藤だと多いだろ」

雄馬は軽く肩をすくめた。

「全国にいくらでもいる姓だ。紛らわしいなら、下の名前で構わない。雄馬でいい」

 

一瞬だけ間が空く。

 

先に反応したのは、やはりエリカだった。

 

「へえ。じゃあ遠慮なく、雄馬君って呼ぶね」

 

「ああ」

 

美月も少し控えめに続ける。

 

「では……私も、雄馬さんって呼びます」

 

「好きに呼んでくれていい」

 

「なら雄馬だな」

レオが気軽に言った。

「そっちの方が楽だ」

 

達也は一拍置いてから、静かに頷いた。

 

「分かった。雄馬」

 

それだけのことだった。

だが、苗字だけだった輪郭に、少しだけ温度が通った気がした。

 

「よし」

エリカが満足そうに腕を組む。

「これでちょっと同じクラスっぽくなった」

 

「基準が分からないな」

達也が淡々と返す。

 

「こういうのは雰囲気が大事なの」

 

悪びれもせず言い切るエリカに、レオが呆れたように肩をすくめる。

美月は小さく笑い、雄馬はその空気を見ながら、少しだけ肩の力を抜いた。

 

昨日の時点では、ただ名簿の中に並んでいただけの名前だった。

だが今は、そこに少しずつ人となりが宿り始めている。

 

その空気を、次に崩したのはレオだった。

 

「それで、何を見に行くんだ?」

 

「見に行く?」

雄馬が聞き返すと、達也が静かに答えた。

 

「今日と明日は、実際の授業や施設を見学する時間が設けられているらしい。魔法科教育に馴染みの薄い新入生向けの配慮だろう」

 

「ああ、昨日そんな話があったな」

 

「だったら工房に行ってみねえ?」

レオが言う。

 

「闘技場じゃないのか?」

雄馬が思わず聞き返す。

 

レオはにやりと笑った。

 

「そう見えるか?」

 

「見えるな」

エリカが即答する。

「どう見ても、工房で精密機械いじるより、闘技場で暴れてる方が似合うでしょ」

 

「勝手に決めつけるな」

レオはむっとした顔になる。

「硬化魔法は武器術とも相性がいい。だったら、自分で使うもんの構造や整備を知っとくのは別に変じゃねえだろ」

 

その答えに、達也がわずかに目を細めた。

軽そうに見えて、進路や適性についてはそれなりに考えているらしい。

 

「工房の見学でしたら……私も行きたいです」

美月が言った。

 

「柴田さんも?」

達也が尋ねる。

 

「はい。私、魔工師にも興味がありますから」

 

「へえ」

エリカが美月を見る。

「何か分かる気がする」

 

「お前が言うな」

レオがすぐに返す。

「見た目だけなら、お前の方がよっぽど肉体労働向きだろ」

 

「あんたにだけは言われたくないんだけど」

 

「何だと」

 

「二人とも」

達也が少しだけ声を低くした。

「会って初日だぞ」

 

その一言で、エリカとレオは一度だけ互いを睨み、それからほとんど同時にそっぽを向く。

完全に収まったわけではない。だが、これ以上引っ張る気もないらしい。

 

「雄馬さんは?」

美月が遠慮がちに尋ねた。

 

「行く」

雄馬は短く答えた。

「この学校がどういう場所か、見られるなら見ておきたい」

 

「じゃ、決まりだな」

レオが立ち上がる。

 

「言い出しっぺが先導してよ」

エリカが顎をしゃくる。

 

「何で俺なんだよ」

 

「言い出しっぺだから」

 

結局、それで押し切られる形でレオが先に歩き出し、五人は教室を出た。

 

 

工房は、名前から受ける印象よりも遥かに大きかった。

 

建物へ入った瞬間、雄馬は思わず足を緩める。

 

工作室というより、小規模な工場。

あるいは研究施設。

整然と並ぶ設備、厳重な安全区画、ガラス越しに見える実習スペース。

ここが高校の一施設だと言われても、すぐには実感が湧かない。

 

「工房というより、実験棟だな……」

達也が小さく呟いた。

 

「すごいですね……」

美月は目を丸くして周囲を見回している。

 

レオもエリカも、さっきまでの応酬を忘れたようにしばらく黙っていた。

その反応も無理はない。大学にもそう多くはない規模の魔法工学施設だと、素人目にも分かる。

 

見学用の通路へ上がってから、達也が何気なく言った。

 

「思ったより見学者が少ないな」

 

確かにその通りだった。

もっと新入生であふれているかと思っていたが、通路は意外なほど空いている。

 

「……あれじゃない?」

レオが顎をしゃくる。

 

その先には、教師に率いられた一団がいた。

胸元の花弁章を見れば、一科生だとすぐに分かる。

 

「へえ。ブルームには先生がつくんだ」

エリカが言う。

 

「千葉さん」

達也が小さく窘める。

 

「聞こえるように言ったわけじゃないでしょ」

エリカは肩をすくめた。

「ただ、大袈裟だなって思っただけ」

 

「全員に引率がついているわけでもないんだろう」

達也が静かに言った。

「第一科は魔法師志望が多いらしい。魔工師志望の一科生は、それだけ重く見られているのかもしれない」

 

「なるほどね」

エリカはあっさり納得し、すぐに別の設備へ目を向けた。

 

雄馬は黙って実習室を見渡した。

 

魔法。

それはこの世界では、神秘の残滓ではなく、理論と機材と調整の上に成立する技術だ。

 

設備の一つ一つが、その事実を突きつけてくる。

 

訓練する者。

設計する者。

整備し、改良し、運用する者。

この学校は単に戦う魔法師を育てるだけの場所ではない。技術そのものの担い手を育てる場でもある。

 

「見てると分かるね」

エリカが機材の列を眺めながら言った。

「この学校、魔法が使えればそれでいい、って感じじゃ全然ない」

 

「そういうことだろうな」

雄馬が応じる。

 

「雄馬君もそう思う?」

エリカが振り向く。

 

「思う。強いだけじゃ足りないんだろう。この学校は」

 

その答えに、達也の視線が一瞬だけこちらへ向いた。

何かを測るような、しかしすぐに引いていく視線だった。

 

そうしてしばらく見て回るうちに、時間は思ったより早く過ぎていた。

 

「次を見に行くには、中途半端だな」

達也が端末を見て言う。

 

「だったら、少し早いけど昼でいいんじゃない?」

エリカがすぐに答えた。

 

「賛成」

レオが頷く。

 

「私も」

美月も小さく続ける。

 

雄馬も異論はなく、五人はそのまま食堂へ向かった。

 

 

食堂へ続く並木道は、すでに昼のざわめきに呑まれ始めていた。

 

早めとはいえ、人の流れは絶えない。

第一高校の食堂はかなり広いと聞いていたが、新入生ばかりのこの時期は勝手が分からず、どうしても混みやすいのだろう。

 

「今のうちなら、まだ何とかなるかな」

エリカが周囲を見ながら言う。

 

「ならないと困る」

レオが即座に返した。

「この人数で立ち食いは御免だぞ」

 

実際、五人まとまって座れる席はなかなか見つからなかった。

ようやく確保できたのは、対面式の長椅子がついた四人がけのテーブルだった。

 

「四人分しかないな」

雄馬が言う。

 

「とりあえずここ押さえる!」

エリカは迷いなく言った。

 

「早いな」

雄馬が半ば感心して言うと、エリカは肩越しに振り返る。

 

「なくなるよりいいでしょ」

 

結局、達也、エリカ、美月、レオがそのテーブルにつき、雄馬は少し離れたカウンター席を確保した。

同じ食堂の中で、四人の様子も見える位置だ。

 

「悪いな」

達也が言う。

 

「気にするな」

雄馬は短く返した。

「席が分かれただけだ」

 

そうして昼食が始まった。

 

半分ほど食べ進めた頃には、レオはもう食べ終えていた。

雄馬もカウンター席から、何とはなしに四人の方へ目を向けていた。

 

その時だった。

 

「お兄様」

 

凛とした声が、食堂のざわめきの中でも妙にはっきり届いた。

 

視線を向けると、深雪がいた。

クラスメイトを連れて、真っ直ぐ達也たちのテーブルへ歩いていく。

 

達也の顔に目立った変化はない。

だが深雪の方は、最初からそこへ来るつもりだったのがよく分かった。

 

「ご一緒してもよろしいでしょうか」

 

深雪の声に、テーブルの空気が変わる。

達也は一度だけ席を見た。

 

四人がけの長椅子。

細身の女子なら片側に三人座れなくはない。

 

「……座れるなら構わない」

 

そう答えた直後、深雪の背後にいた一科生の空気が変わった。

 

最初は遠回しだった。

 

狭いのではないか。

邪魔になるのではないか。

今から別の席を探した方がいいのではないか。

 

だが深雪が引かないと見るや、言葉の包み方は急速に薄れていく。

 

相応しくない。

けじめがある。

そういうことは考えるべきだ。

 

そしてついには、食べ終えていたレオに席を空けるよう求める者まで現れた。

 

少し離れた席から見ていた雄馬は、そこでようやく確信する。

 

――席の話じゃない。

 

最初から問題にされているのは、そこではない。

深雪が誰の隣に座るのか。

深雪が誰を選ぶのか。

それだけだ。

 

エリカの目が、見るからに険しくなる。

美月も、普段の柔らかさからは想像しにくい強い調子で言い返していた。

レオは今にも立ち上がりそうな顔をしている。

 

達也は、そこで初めて急いで残りを口に運んだ。

 

「レオ」

 

短い声だった。

それだけで十分だったらしい。爆発寸前だったレオが、舌打ちこそ飲み込んだものの、椅子から離れるのを堪えた。

 

達也は食べ終えると、そのまま席を立つ。

 

深雪は一瞬、美月たちの方へ視線を向けた。

謝るように、あるいは気遣うように。

それから達也と反対側の通路へ歩いていく。

 

一悶着は、それで一応収まった。

 

だが、空気は重いままだった。

 

エリカが露骨に不機嫌そうな顔で、トレーの端を指先で叩く。

 

「……何なの、あれ」

 

「分かりやすすぎんだろ」

レオが吐き捨てる。

 

美月はまだ言葉を選ぶように沈黙していたが、その表情は明らかに沈んでいた。

 

そこで、雄馬が自分の席から立ち上がり、四人のテーブルの近くまで戻ってくる。

正確にはもう三人だが、今はそれを口にする気にもならなかった。

 

「見てた」

雄馬は短く言った。

 

エリカが顔を上げる。

 

「だったら分かるでしょ」

 

「ああ」

雄馬は頷く。

「席の問題じゃない」

 

その一言に、レオが鼻で笑う。

 

「だよな」

 

美月は小さく息をついた。

 

「深雪さん……困ってました」

 

「深雪もね」

エリカが言う。

「司波君が引いたから収まったけど、あれ以上続いたらもっと面倒になってた」

 

雄馬は否定しなかった。

達也が席を立ったのは、譲ったというより処理したのだ。

深雪もそれを理解していたからこそ、あのままついて行ったのだろう。

 

 

昼食後、午後の見学時間に五人が向かったのは射撃場だった。

 

正確には、魔法実技の一環として使用される射撃訓練施設。

昼の工学実習室とはまた違う、ひりつくような緊張感を持った場所だった。

 

入口には見学希望者の列ができていた。

人気があるのだろう。実技科目の見学の中でも、派手で分かりやすい部類だ。

 

「やっぱり多いな」

レオが言う。

 

「そりゃそうでしょ。見学って言われて、一番“魔法科っぽい”のはここだもの」

エリカがあっさり返した。

 

達也は表示を見ていた。

 

「三年A組の実習らしいな」

 

「三年A組……」

美月が小さく繰り返す。

 

言葉にはしないが、その意味は全員分かっていた。

第一科の上級生。しかも三年。

腕の見せ場としては十分すぎる。

 

見学席に通されると、最前列にまだ空きがあった。

 

「あそこ」

エリカが即座に言った。

「行くよ」

 

「ちょっと待て」

レオが言いながらも、結局そのままついていく。

 

達也は小さく息をつき、美月は少し戸惑い、雄馬もその後ろにつづいた。

 

結果として、五人は最前列へ並ぶことになった。

 

座ってすぐ、雄馬は周囲の視線に気づいた。

 

二科生の一年が、何のためらいもなく最前列を取る。

目立たないはずがない。

 

「……見られてるな」

雄馬が低く言う。

 

「今さらでしょ」

エリカは気にした様子もない。

「見たいから前に座った。それだけ」

 

「それで済まない空気があるって話だろ」

レオが鼻を鳴らした。

 

やがて、実習が始まる。

 

防音処理された広い空間。

標的設備。

起動領域の調整表示。

実弾ではない。だが、そこにあるのは明確に戦闘技術の訓練だった。

 

三年A組の生徒たちが順に前へ出る。

CADを起動し、照準を合わせ、術式を発動する。

 

速い。

しかも安定している。

 

「やっぱり上級生は違うな」

レオが小さく漏らす。

 

「精度が高いですね……」

美月も感心したように言った。

 

雄馬は黙って見ていた。

発動速度だけではない。

姿勢、無駄のない照準、術式起動までの流れ。

全部が積み上げのある動きだった。

 

その時、実習区画の端で一人の女子生徒が前へ出た。

 

周囲の空気が少しだけ変わる。

 

ただの見学者でも分かる。

場の中心に立つことに慣れた人間だ。

 

「やっぱり目立つな」

エリカが小さく言った。

 

「生徒会長だからな」

レオが応じる。

 

「昨日も見ましたけど……やっぱりすごいですね」

美月が言う。

 

達也は短く補う。

 

「七草先輩だ」

 

雄馬も、もうその名を知っていた。

昨日、本人と直接話している。

だがここでわざわざ口にすることはしなかった。

 

実習が始まる。

 

起動は滑らかで、発動は速い。

結果に迷いがない。

 

「……すごい」

美月が思わず呟く。

 

「さすが生徒会長、ってとこか」

レオも素直に言った。

 

「納得はできるわね」

エリカも珍しくあっさり認める。

 

雄馬も同意していた。

ああいう相手は、ただ華があるだけではない。

基礎が深い。

 

実習そのものは問題なく進んだ。

問題は、その見学席に座っていた五人の方だった。

 

周囲の視線は、最後まで消えない。

 

二科生。

しかも一年。

その集団が、第一科三年の実習を最前列で堂々と見ている。

 

面白くない者がいるのは当然だった。

 

実習を終えて立ち上がる頃には、昼食の時とは別のざらついた空気が、確かに周囲へ残っていた。

 

「……悪目立ちしたな」

雄馬が呟く。

 

「したわね」

エリカは否定しない。

「でも、別に間違ったことしてないでしょ」

 

「間違ってるかどうかと、面倒を呼ぶかどうかは別だ」

達也が言う。

 

「どっちにしろ、今さらだろ」

レオが笑う。

 

その通りだった。

 

昼食の時点で、もう目はつけられている。

射撃場でそれがさらに強くなっただけだ。

 

 

放課後。

 

昇降口へ向かう流れの中で、達也は足を止めていた。

深雪と一緒に帰る約束があるのだろう。

 

雄馬も、その場に残った。

エリカ、美月、レオも同じだ。

 

たまたま方向が同じ、というだけではない。

今日一日でできた妙な連帯感が、自然とその場に全員を留めていた。

 

やがて、深雪が現れる。

 

だが一人ではなかった。

同じクラスの生徒たちに囲まれるようにして、こちらへ歩いてくる。

 

それを見た瞬間、エリカの目が細くなる。

レオも面倒そうに眉をひそめた。

 

深雪は達也を見つけると、表情を和らげる。

 

「お兄様」

 

だが、その前にクラスメイトの一人が言葉を差し挟む。

 

「司波さん、今日はちょっと――」

 

「申し訳ありません」

深雪は丁寧な声のまま、その言葉を遮った。

「今日は兄と一緒に帰りますので」

 

それで引けばよかった。

 

だが、相手は引かない。

 

「少しくらいいいじゃない」

「相談したいことがあるのよ」

「別に、ずっと引き止めるわけじゃないんだから」

 

口調だけを拾えば穏当だった。

けれど、深雪の意思を優先するつもりがないのは明らかだった。

 

達也は静かに見ている。

深雪もまた、口調を崩してはいない。

 

その均衡を破ったのは、美月だった。

 

「いい加減にしたらどうなんですか」

 

その場にいた全員が、思わずそちらを見た。

 

普段の柔らかな雰囲気のまま、美月は一歩だけ前へ出る。

 

「深雪さんは、さっきから何度もそう仰っています。お兄さんと一緒に帰りたいって。それなら、それでいいじゃないですか」

 

相手の生徒たちが目を見開く。

最初に強く出るのが美月だとは思っていなかったのだろう。

 

だが、美月は止まらない。

 

「お話があるなら、別の時でもできるはずです。深雪さんが嫌だと仰っていないからって、それを都合よく受け取るのは違うと思います」

 

「僕たちは彼女に相談があるんだ!」

男子生徒の一人が言い返した。

 

「相談なら、本人の都合を聞いてからにしなさいよ」

エリカが即座に返す。

「深雪の意思、全然関係ないみたいに聞こえるけど」

 

「自活中(自主活動)に時間はあるだろ」

レオも吐き捨てた。

「放課後に囲んでまでやることかよ」

 

「うるさい!」

別の男子生徒が叫ぶ。

「他のクラス、しかもウィードごときが僕たちブルームに口出しするな!」

 

その一言で、空気が変わった。

 

美月の表情からためらいが消える。

 

「同じ新入生じゃないですか」

静かな声だった。

「今の時点で、あなたたちブルームが何をそんなに誇れるんですか?」

 

達也がわずかに目を細めた。

理は美月にある。

だが、その理屈は相手の一番痛いところを正確に刺している。

 

「……どれだけ優れているか、教えてやる」

 

吐き捨てるような声。

 

その直後、男子生徒の一人が腰のホルスターから特化型CADを抜いた。

 

速い。

抜き打ちの手際は悪くない。

狙いは真っ先に前へ出ていたレオだった。

 

「だったら見せてやる!」

 

「レオ!」

達也が声を発した、その瞬間にはもう――

 

レオ自身が先に動いていた。

 

ためらいなく踏み込む。

相手の懐を潰しにいく動き。

 

だが、そのレオよりさらに先に、横から別の影が飛び込んだ。

 

乾いた音が響く。

 

特化型CADが、男子生徒の手から弾き飛ばされていた。

 

伸縮警棒を振り抜いた姿勢で立っていたのは、エリカだった。

 

「この間合いなら、魔法使うより動いた方が早いのよね」

 

「それは同感だがテメエ今、俺の手ごと叩き落とすつもりだっただろ!」

危ういところで巻き込まれかけたレオが怒鳴る。

 

「そんなことしないわよ」

エリカは涼しい顔だった。

「かわせるかどうかくらい、見れば分かるし」

 

「分かるで済ませるな!」

 

「だってアンタ、そういうのは得意そうじゃない」

 

「雑なんだよ評価が!」

 

「でもバカそうに見えるわりには、身体の動きは悪くなかったわよ?」

 

「今バカって言ったよな!?」

 

「言ってないわよ。バカそうって言ったの」

 

「同じだろうが!」

 

目の前で始まる、緊張感を踏み抜いたような応酬。

 

一瞬、その場の全員が呆気に取られた。

 

――その一瞬に、もう一つの術式が立ち上がる。

 

雄馬は、それに気づいた。

 

特化型CADを弾かれた男子生徒のすぐ後ろ。

別の生徒が、焦った顔のまま腕輪型CADへ指を走らせている。

 

狙いはエリカでもレオでもない。

二人の足元だ。

 

組み上がりかけていたのは、局所加重の術式だった。

床に立つ二人の脚へ一時的な荷重をかけ、体勢を崩す。殺傷目的ではない。だが、転倒させるには十分危険だ。

 

達也もそれを認識した。

だが、その時にはもう、雄馬が動いていた。

 

消えた、ように見えた。

 

実際には一歩。

だが普通の一歩ではない。

 

地を滑るように間合いを詰め、視線が追いつくより先に、その生徒の懐へ入り込む。

 

「な――」

 

驚愕の声は最後まで続かなかった。

 

雄馬の右手が相手の手首を制し、左手が腕輪型CADを抜き取る。

奪うというより、そこにあった物をそのまま持ち去ったような動きだった。

 

次の瞬間には、雄馬はもう元の位置へ戻っている。

 

手の中には、奪い取った腕輪型CADだけが残っていた。

 

何が起きたのか理解できず、その生徒は空になった手首を見下ろしたまま固まる。

 

「……足を止めるつもりだったんだろうが」

雄馬は低く言った。

「それでも十分、やり過ぎだ」

 

その静かな声が、場を一段冷やした。

 

だが、まだ終わらない。

 

今度は、そのさらに横。

別の女子生徒が、青ざめた顔のまま汎用CADへ指を走らせていた。

 

起動式が展開する。

 

「――やめなさい!」

 

鋭い声と同時に、空気を裂くような想子弾が飛んだ。

 

女子生徒のCAD上で構築されていた起動式が、正確に撃ち抜かれる。

魔法は発動前に霧散した。

 

階段の上に立っていたのは、七草真由美と渡辺摩利だった。

 

二人の姿を見た瞬間、空気が完全に凍る。

 

「自衛目的以外の魔法による対人攻撃は、校則違反である以前に、犯罪行為です!」

 

真由美の声は厳しかった。

柔らかさを残していても、それで緩むような場ではない。

 

摩利が一歩前へ出る。

 

「何があったか、順を追って説明してもらおうか」

 

低い声。

それだけで、誰も軽口を叩けなくなった。

 

その中で、達也が深雪を伴って前へ出る。

 

「すみません、悪ふざけが過ぎました」

 

摩利の眉がわずかに寄る。

 

「悪ふざけ?」

 

「はい」

達也は静かに頷く。

 

「森崎一門のクィックドロウは有名ですから後学のために間近で見せてもらうつもりだったんですが、思った以上に真に迫っていたもので、こちらも反射的に手が出ました」

 

特化型CADを抜いた男子生徒が、今度は別の意味で絶句した。

 

レオは口の端を引きつらせ、エリカは危うく吹き出しかけた顔をしている。

だが、二人ともここで口を挟まない。

 

摩利は冷えた目のまま、今度は閃光魔法を起動しかけた女子生徒へ視線を向けた。

 

「では、あちらの女子が魔法を起動していたのも、その“悪ふざけ”の延長か?」

 

「驚いたんでしょう」

達也は淡々と答える。

「条件反射で起動しかけた、と見えます」

 

「きみの友人は、魔法によって攻撃されかけていたように見えたが」

摩利の声は低い。

「それでも、まだ悪ふざけだと言い張るのか?」

 

「攻撃といっても、最後に編成されていたのは閃光系の目眩ましでした。危険がないとは言いませんが、致命的なものではありません」

 

摩利の目が細くなる。

真由美も、面白いものを見るような顔で達也を見た。

 

「ほう?……どうやら君は、起動式が読めるらしいな」

 

「実技は苦手ですが、分析は得意です」

達也は事もなげに返した。

 

「誤魔化すのも得意らしいな」

 

値踏みするような視線。

だがそこへ、深雪が一歩前に出る。

 

「兄の申した通り、本当に行き違いだったのです。先輩方のお手を煩わせてしまい、申し訳ありませんでした」

 

深く下げられた頭に、摩利は一度だけ視線を逸らす。

真正面から謝られると、それ以上踏み込みづらい。

 

「摩利、もういいじゃない」

 

真由美が柔らかい声で口を挟んだ。

 

「達也君。本当に、ただの見学だったのね?」

 

達也は真面目な顔のまま頷く。

 

「そのつもりでした」

 

真由美は、わずかに得意げな笑みを浮かべる。

 

「生徒同士で教え合うこと自体は禁止されていませんけど、魔法の行使には起動するだけでも細かな制限があります。一学期のうちに授業で教わる内容だから、それまでは発動を伴う自習活動は控えた方がいいでしょうね」

 

「……会長がそこまで仰るなら」

摩利が小さく息をつく。

「今回は不問にする。以後、このようなことのないように」

 

その言葉に、その場の一年生たちが一斉に頭を下げた。

 

だが、摩利はそこで終わらなかった。

 

今度は達也ではなく、雄馬へ視線を向ける。

 

「そこの君」

 

空気が、もう一度だけ張る。

 

「今の取り上げで、君も魔法を使ったのか?」

 

エリカが小さく目を見開く。

レオも黙ったまま横目で雄馬を見る。

美月は息を止めたように固まっていた。

 

雄馬は摩利の視線を正面から受ける。

 

「使っていません」

 

短く、それだけ答える。

 

摩利は表情を変えない。

 

「そうは見えなかったが?」

 

「間合いを詰めて、手首を押さえて、CADを抜き取っただけです」

雄馬は声を変えない。

「少なくとも、CADは起動していません」

 

「“だけ”で済ませるには、随分と妙な速さだったな」

 

そこで真由美が口を挟んだ。

 

「魔法行使の感触は無かったわ」

雄馬を見て、少しだけ面白そうに目を細める。

「速かったのは確かだけど」

 

摩利はなお数秒、雄馬を見ていたが、やがて小さく息を吐いた。

 

「……今回は、それでいい」

 

そこでようやく、張り詰めていた糸が少しだけ緩む。

 

深雪が改めて頭を下げた。

 

「申し訳ありません。兄のことで、クラスの皆さんに余計な感情を抱かせたことも、原因の一つです」

 

「深雪、お前が謝ることでは――」

達也が言いかけるが、深雪は静かに首を振る。

 

「いいえ、お兄様。少なくとも、わたくしはそう思います」

 

美月は唇を引き結び、エリカはまだ不満を残した顔のまま、それでも黙っていた。

レオも腕を組んで苦い顔をしている。

 

雄馬は、奪い取ったCADを前へ差し出す。

 

「これ」

 

摩利が受け取り、持ち主へ冷えた視線を向ける。

 

「返してもらえるだけ、ありがたいと思え」

 

男子生徒は顔を強張らせたまま、小さく頷いた。

 

真由美がその場を見回す。

 

「今回は正式な問題にはしません。でも次はありません。特に一年生は、魔法が感情の延長で済むものじゃないことを、もっと真面目に考えなさい」

 

誰も反論しなかった。

 

摩利は背を向けかけて、ふと足を止める。

振り返った視線は、まず達也へ、それから雄馬へと移った。

 

「そこの二人」

 

空気がもう一度だけ張る。

 

「君たちの名前は?」

 

達也が先に答えた。

 

「1-E、司波達也です」

 

続けて、雄馬も口を開く。

 

「同じく佐藤雄馬です」

 

摩利は二人を見比べるように、短く視線を置く。

 

「覚えておこう」

 

それだけ言って、今度こそ摩利は踵を返した。

真由美もまた、どこか含みのある笑みを残して、その後に続く。

 

残されたのは、ようやく息をついた一年生たちだけだった。

 

エリカが最初に息を吐いた。

 

「……何なのよ、今日一日」

 

「こっちが聞きてえよ」

レオが返す。

 

「でも」

美月が小さく言う。

「終わってよかったです……本当に」

 

達也は深雪へ視線を向けたあと、短く言った。

 

「帰るか」

 

「はい、お兄様」

 

雄馬は、ようやく小さく息を吐いた。

 

入学二日目。

自己紹介をして、見学に行って、昼に揉め、射撃場で目立ち、放課後にはついに魔法まで飛びかけた。

 

穏やかとは到底言えない。

だが、何が火種になるのかは、もう十分すぎるほど分かった。

 

第一高校は、やはり簡単な場所ではない。

 

それでも。

 

ただ押し潰されるだけで終わるつもりもなかった。

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