魔法科高校の異端魔術師   作:もやしになりたい

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普通

摩利と真由美の姿が見えなくなってもしばらく、誰もすぐには口を開かなかった。

 

張り詰めていたものが切れたせいで、逆に身体の置き場を失ったような感覚だけが残っている。

 

最初に息を吐いたのはエリカだった。

 

「……何なのよ、今日一日」

 

「こっちが聞きてえよ」

レオが肩をすくめる。

「昼からずっと碌でもねえ」

 

「でも……終わってよかったです」

美月がほっとしたように言った。

「本当に」

 

達也は深雪へ視線を向ける。

 

「帰るか」

 

「はい、お兄様」

 

その一言で、ようやく全員が歩き出した。

昇降口を抜け、校門へ向かう流れに混ざる。

 

少し歩いたところで、後ろから慌てた声が飛んだ。

 

「ま、待ってください!」

 

全員が足を緩める。

 

振り向くと、さっき閃光魔法を起動しかけた女子生徒と、その隣にいた無表情な少女が駆けてきていた。

 

追いつくなり、先に口を開いたのはその女子生徒だった。

 

「光井ほのかです」

息を整えながら、彼女は達也と深雪の方を見る。

「さっきは……取り乱してしまって、ごめんなさい。魔法まで使おうとしてしまって……本当に、すみませんでした」

 

達也は一瞬だけ相手を見て、それから静かに答えた。

 

「気にしなくていい。未遂で終わった」

 

「でも……」

 

「七草先輩が止めてくださった。これ以上問題にするつもりはない」

 

その返答に、ほのかは少しだけ肩の力を抜いた。

それでもまだ完全には落ち着かないのか、隣の少女へ一瞬だけ視線を向ける。

 

「こっちは北山雫です。……同じクラスで」

 

「北山雫」

雫は短く名乗った。

 

「途中までご一緒しても、いいですか?」

ほのかがおずおずと続ける。

「その……ちゃんとお礼も言いたかったので」

 

深雪が先に頷いた。

 

「私は構いません」

 

達也も特に異論はなさそうだった。

そのまま八人で、駅へ向かう道を歩き出す。

 

しばらくは、やや気まずい沈黙が続いた。

謝罪は済んだ。だが、さっきまであの場にいたのだ。完全に空気が戻るはずもない。

 

その中で、ほのかが勇気を出すように口を開いた。

 

「達也さんって……深雪さんのアシスタンス、調整してるんですか?」

 

達也より先に、深雪が答える。

 

「ええ。お兄様にお任せするのが、一番安心ですから」

 

どこか誇らしげな声だった。

 

達也は苦笑する。

 

「少しアレンジしてるだけだよ。深雪は処理能力が高いから、CADのメンテナンスにはあまり手が掛からない」

 

「それだって、基礎システムを理解してないと無理ですよね」

美月が、少し身を乗り出すようにして会話に入ってくる。

「CADの基礎に触れるだけの知識も要るはずですし……」

 

「大したもんだ」

レオも感心したように言う。

 

「達也くん、あたしのホウキも見てもらえない?」

エリカがくるりと警棒を回しながら、振り返って言った。

 

「無理」

達也は即答した。

「あんな特殊な形状のCADをいじる自信はない」

 

「あはは、やっぱりすごいね、達也くん」

ほのかが少し明るい声になる。

「それがホウキだって、すぐ分かるんですね」

 

「そこなの?」

エリカが笑う。

 

「普通、そういう反応になると思います」

美月が真面目に答えた。

 

そこからは自然に、エリカの武装型CADの話になった。

刻印型だの、強度の上げ方だの、サイオン消費だのと、レオとエリカがやり合い、深雪がそこに補足を入れる。ほのかは感心したように聞き、雫は必要なところだけ短く頷いていた。

 

その流れの途中で、雫がふと雄馬へ視線を向けた。

 

「そういえば」

 

短い一言だったが、会話の流れが自然にそちらへ寄る。

 

「あなたの動き」

雫は平板な声で続ける。

「さっきの、あれは何?」

 

ほのかが少しだけ目を丸くする。

 

「雫、急にそこ行くんだ……」

 

「気になってたから」

雫は平然としている。

「魔法には見えなかった」

 

達也も、前を向いたままわずかに雄馬へ視線を寄こした。

エリカ、美月、レオも自然と会話の先を待つ形になる。

 

雄馬は少しだけ眉を寄せた。

 

「あれは縮地だ」

 

何人かが、揃って「なんだそれ」とでも言いたげな顔になる。

ほのかがそのまま口にした。

 

「しゅくち……?」

 

「剣術や刀術で使われる踏み込みの技術だ」

達也が静かに補足する。

「一気に間合いを詰めるための歩法、と考えればいい」

 

「へえ……」

レオが感心したように言う。

「そういうのがあるのか」

 

「名前だけなら知ってる」

エリカがそこで口を挟んだ。

「剣や刀をやってれば、聞いたことくらいはあるわ。でも――」

 

エリカは、じっと雄馬を見る。

 

「あれは普通の縮地じゃない」

 

「何がだ」

 

「何がも何も、そのままの意味よ」

エリカは即答した。

「縮地って分かるからこそ言ってるの。あんな詰め方、普通じゃない。見えた時にはもう終わってるとか、そういうレベルじゃなかったでしょ」

 

「私も……気づいた時には、もう戻ってきてました」

美月が小さく続ける。

 

「速かった」

雫も短く言う。

「異常なくらい」

 

「えぇ……」

 

雄馬は露骨に面倒そうな声を出した。

 

エリカが半眼になる。

 

「何その反応」

 

「いや、そういう話になると思ったから」

雄馬は小さく息をつく。

「普通じゃないとか言われても、俺にとっては普通だ」

 

「それが普通な時点でおかしいのよ」

エリカが即座に返す。

 

「知ってる技術だから分かるの。あれはただの“知ってる縮地”じゃない」

 

「だから、普通じゃないしか言ってないだろ」

 

「だって一番正確なんだもの」

 

「褒めてるのか?」

レオが横から聞く。

 

「半分は」

エリカは即答した。

「もう半分は、何その気持ち悪い踏み込み、って感じ」

 

「言い方」

美月が小さく笑う。

 

ほのかはまだ少し戸惑った顔だったが、それでも興味を隠せていなかった。

 

「じゃあ、本当に魔法じゃないんですか?」

 

「違う」

雄馬は短く答えた。

「何も使ってない。素でやっただけだ」

 

「素で……?」

ほのかが目を瞬く。

 

「えぇ……」

今度はほのかの反応に対してではなく、話が広がること自体にうんざりしたように、雄馬がまた面倒そうな声を出す。

 

レオが吹き出した。

 

「お前、ほんと露骨だな」

 

「面倒なもんは面倒だ」

雄馬は顔をしかめる。

「普通じゃないって言われても、そういうもんだとしか言えないだろ」

 

「開き直った」

エリカが呆れたように言う。

 

「開き直ってるわけじゃない」

雄馬は淡々と返した。

「お前が言う普通と、俺の普通が違うだけだ」

 

その一言に、美月が少しだけ黙り込む。

ほのかも、雫も、すぐには言葉を返さなかった。

 

達也だけが、前を向いたまま短く言った。

 

「少なくとも、魔法行使ではなかった」

 

その一言で、会話はいったん収まる。

 

雫が小さく頷く。

 

「ならいい」

言い方は素っ気ないが、納得はしたらしい。

「でも、変なのは変」

 

「雫まで……」

ほのかが苦笑する。

 

「事実だから」

雫は平然としていた。

 

そのやり取りに、ようやく場の空気が少しずつ和らぎ始める。

 

校門を出て、駅へ向かう人の流れに混ざる。

夕方の光は穏やかで、ついさっきまで魔法が飛びかけていたことが嘘みたいだった。

 

「……変な一日だったな」

雄馬が小さく言う。

 

「ほんとそれ」

エリカが即座に返す。

 

「でも、退屈はしなかっただろ」

レオが口元を上げる。

 

「それは否定しません」

美月が少しだけ笑った。

 

深雪がその横で、達也を見上げる。

 

「お兄様」

 

「何だ」

 

「今日は、本当に騒がしい一日でしたね」

 

「二日目にしては、な」

 

それだけの短いやり取りだったが、そこにようやく“帰り道”らしい空気が混じる。

 

家に着いた頃には、空はすっかり夜の色に沈んでいた。

 

玄関を開けると、いつもの匂いがする。

夕食の湯気と、家の中に満ちた落ち着いた気配。

学校から戻ってきたと実感するのは、こういう瞬間だった。

 

「戻ったか」

 

キッチンから顔を出したエミヤが短く言う。

 

「手を洗ってこい。ちょうど今、並べるところだ」

 

「分かった」

 

洗面台で手を洗って戻ると、食卓にはすでに料理が並び始めていた。

温かいスープに、香ばしい焼き物、野菜の副菜。

自然と腹が鳴りそうになる。

 

席に着くなり、沖田がすぐに身を乗り出した。

 

「どうでしたか、雄馬さん! 二日目!」

 

「落ち着け、沖田」

クーフーリンが笑う。

「帰ってきて早々、勢いがすげえな」

 

「だって気になるじゃないですか!」

沖田はきらきらした目のまま言う。

「今日はちゃんとお友達と話せましたか?」

 

「話せた」

雄馬は箸を取りながら答えた。

「昨日見かけたのをエリカが覚えてて、そこから話が繋がった。美月とレオともちゃんと話せたし、達也とも改めて自己紹介した」

 

「そうか」

ジャンヌが穏やかに微笑む。

「よい始まりでしたね」

 

「引っ張り込まれた感じだけどな」

 

「それで十分だろ」

アキレウスが口元を上げる。

「自分から無理に踏み込まなくても、輪に入れたなら上出来だ」

 

アルトリアも静かに頷いていた。

 

「その後は?」

 

「見学に行った。工房と、射撃場」

雄馬は簡潔に言う。

「思ってたより、学校全体がちゃんとしてた。魔法だけじゃなくて、整備とか理論とか、そういうのまで含めて回ってる感じだ」

 

「当然だな」

エミヤが皿を置きながら言う。

「技術体系として社会に組み込まれているなら、運用と整備がある。そうでなければ、ただの奇跡だ」

 

「それは分かった」

 

「で?」

クーフーリンが茶碗を手にしたまま言う。

「それだけで終わる面じゃねえだろ」

 

雄馬は小さく息をついた。

 

「終わらなかった」

 

昼の食堂で揉めたこと。

射撃場でも妙に目立ったこと。

放課後にはついに深雪絡みで騒ぎが爆発して、最後は魔法まで飛びかけたこと。

 

ただし細かい経緯までは一つ一つ説明しなかった。

今日は何があったかを順に話すというより、どういう空気の場所だったかを伝える方が先だった。

 

「思ってた以上に露骨だった」

雄馬は箸を止めずに言う。

「制度として線を引いてるだけじゃなくて、空気まで出来上がってる。誰がどっち側か、最初から決まってるみたいな感じだ」

 

アルトリアの目がわずかに鋭くなる。

 

「秩序の名を借りた選別、ですか」

 

「そんなところだな」

 

「見苦しいな」

クーフーリンが鼻を鳴らす。

「群れてなきゃ強く出られねえ連中ってのは、どこにでもいる」

 

「でも、雄馬さんはちゃんと輪に入れたんですよね?」

沖田が聞く。

 

「ああ」

雄馬は頷いた。

「そこは悪くなかった。エリカも、美月も、レオも、達也も、思ったよりやりやすい」

 

「ふむ」

ジャンヌが少し安心したように微笑む。

「学校そのものは厄介でも、人間関係まで悪いわけではない、と」

 

「そんな感じだ」

 

「あの学校の上級生たちも見たんだろ?」

アキレウスが言う。

「どうだった」

 

雄馬は少しだけ考えてから、肩をすくめた。

 

「……あの人たちは、ちゃんと見てる」

それだけ言った。

「軽く流してるようで、流してない。俺にも、何をしたのか聞いてきた」

 

「当然だな」

エミヤは平然としている。

「外から見れば、あれを技術だけでやったとは思わない」

 

「実際、説明が面倒だった」

 

「面倒そうな顔が目に浮かぶな」

クーフーリンが笑う。

 

「実際そうだった」

雄馬は顔をしかめた。

「縮地だって言っても、分かる奴ほど余計に納得しない」

 

「それは無理もありません」

アルトリアが静かに言う。

 

「知ってるからこそ、普通じゃないって言われた」

 

アキレウスが吹き出した。

 

「そりゃそうだ。分かる技術で、分かる範囲を越えられると一番気味が悪い」

 

「面倒だった」

雄馬は繰り返した。

「普通じゃないって言われても、俺にとっては普通だ」

 

「それを世間じゃ普通じゃないって言うんだよ」

アキレウスが笑う。

 

「納得いかない」

 

「納得する必要はないだろ」

クーフーリンが肩をすくめる。

「雄馬の普通が、向こうの普通と違う。それだけの話だ」

 

「それ、慰めになってるのか……?」

 

「半分くらいは」

ジャンヌが小さく笑った。

 

その返しに、食卓の空気が少し和らぐ。

 

「で、帰りは?」

沖田がまた身を乗り出す。

「そのまま今の方達と帰ったんですか?」

 

「帰った」

雄馬は答えた。

「途中で、深雪のクラスの二人も一緒になった。光井ほのかと北山雫」

 

「ほう」

アルトリアが目を細める。

「同級生の輪は、さらに広がったわけですね」

 

「まあ、そうなるのかもな」

 

そこまで話したところで、食卓にはいったん落ち着いた静けさが落ちた。

皿の触れ合う音。箸の動く音。

温かい食事の匂いが、学校で張っていた気を少しずつほどいていく。

 

エミヤの料理は今日も変わらず美味い。

気づけば空になった茶碗に、また自然にご飯が足されていた。

 

「で」

クーフーリンが食後の茶を片手に言う。

「飯も食ったし、風呂の前に一戦やるんだろ?」

 

「やる」

雄馬は短く答えた。

 

「今日は俺だ」

 

その一言で、場の空気がすっと締まる。

 

昨日の相手はアキレウスだった。

突きを主にした、一直線で爆発的な速さ。

 

だが、クーフーリンは違う。

同じ槍の使い手でも、あちらはもっと厭らしい。

間合いも、崩しも、呼吸の外し方も、全部が噛みつくように絡んでくる。

 

「庭に出るか」

エミヤが立ち上がる。

「片付けは後だ。先に済ませてしまおう」

 

 

夜気の残る庭へ出る。

 

空気は冷えていたが、動くにはちょうどいい。

昨日アキレウスと打ち合った場所に、今日もまた全員が集まった。

 

向かいで、クーフーリンが槍をくるりと回す。

 

赤い魔槍。

ゲイ・ボルク。

 

その穂先が月光を受けて鈍く光るだけで、庭の空気が変わったように思えた。

 

対して、雄馬の手にあるのは見た目だけなら約束された勝利の剣。

黄金の意匠をまとった聖剣の外見。

だが中身は、ただのなまくらの木剣だった。

 

それを見たアルトリアの表情が、ほんのわずかに和らぐ。

 

理由は自分でも分からないらしい。

けれど、雄馬がその意匠を手にして立つ姿を見た時、胸の奥で何かが静かに弾んだのは確かだった。

 

「……どうかしましたか、アルトリアさん?」

ジャンヌが小声で問う。

 

「いえ」

アルトリアは静かに首を振る。

「ただ……少し、嬉しくなっただけです」

 

「へえ」

クーフーリンがそれを聞き流しながら笑う。

「そいつはまた、気合いが入りそうな話だな」

 

「余計なことは言わないでください、クーフーリン」

 

「はいはい」

 

クーフーリンは軽く返し、雄馬へ視線を戻した。

 

「来い、雄馬」

 

雄馬は木剣を構える。

クーフーリンもまた、ゲイ・ボルクを低く構えた。

 

空気が変わる。

 

さっきまで軽口を叩いていた面々も、もう口を挟まない。

二人の間に張った糸が、庭全体の温度を持っていったようだった。

 

数秒。

 

ただ向かい合っているだけなのに、その数秒が妙に長い。

 

先に動いたのは雄馬だった。

 

指先だけの最短動作。

単一工程の魔術、ガンド。

 

殺傷ではない。

ほんの一瞬、気を逸らさせるためだけの小さな嫌がらせ。

 

「っ」

 

クーフーリンの視線が、刹那だけ揺れる。

 

その一瞬で十分だった。

 

雄馬は間合いを潰す。

 

踏み込み。

自分の距離へ引きずり込むための最短。

 

そのまま斬り込む。

 

だが、クーフーリンは余裕で躱した。

 

木剣の軌道を、半歩で外す。

大きく退いたわけではない。ただ、そこにいない。

 

「甘い!」

 

笑うような声と同時に距離が開く。

 

だが雄馬も止まらない。

踏み直す。

横一閃に振る構えを見せ、そのまま下へ沈む。

 

足を蹴る。

 

膝の外。

軸を崩すための、刃ではなく身体の一撃。

 

クーフーリンの体勢がほんのわずかに傾く。

 

驚きが走ったのは、その瞬間だけだった。

だが、雄馬にはそれで十分だった。

 

右足を軸にして回る。

足を蹴るために使った回転の勢いを、そのまま殺さずに繋げる。

 

一回転。

 

低い位置から、斬り上げる。

 

クーフーリンの足元から、えぐるように入る軌道。

 

――取った。

 

そう思った。

だが、同時に警戒もしていた。

 

相手はクーフーリンだ。

この程度でやれるわけがない。

 

予感は当たる。

 

クーフーリンは、死角に入った剣を避けた。

ただ避けるだけではない。自分の槍を地面へ突き、まるで棒高跳びのように身体を浮かせ、そのまま上から奇襲に転じる。

 

「はっ!」

 

「っ!」

 

雄馬は横へ転がるようにそれを避ける。

避けた勢いのまま反撃を狙う。だが、クーフーリンは引かなかった。

 

真っ向から打ち合ってくる。

 

槍が薙ぐ。

 

鋭いというより、重い。

長槍の間合いを活かした横薙ぎが、正面から圧を掛けてくる。

 

雄馬は守るので手一杯だった。

受け流したい。だが、クーフーリンがそれをさせてくれない。

 

昨日のアキレウスは突きが主だった。

一点を捌ければ、まだどうにかなった。

 

だがクーフーリンは違う。

薙ぎが主体だ。

避け切れない。

少しは受けるしかない。

 

木剣の腕が痺れる。

本物の槍と木剣では、重さも慣性も違いすぎた。

 

「どうした、雄馬!」

 

クーフーリンは笑っている。

楽しそうですらある。

 

だが、その笑顔の裏で、槍筋だけはまるで笑っていない。

 

受ける。

弾く。

また来る。

 

そして、雄馬の姿勢がほんの少しだけ上へぶれた時だった。

 

クーフーリンが消えた。

 

いや、背後へ回った。

 

しかも、さっきまでとは明らかに違う速度。

最大火力に近い踏み込み。

 

だが、雄馬もそれを読んでいた。

 

上にずれた姿勢を、無理に戻さない。

むしろそのまま使う。

 

跳ぶ。

 

身体を上へ逃がし、同時にバク転へ移る。

回りながら剣を振る。

 

死角を抜けて背後を取った相手に対し、空中から逆に刃を返すような軌道。

 

「おっ」

 

クーフーリンが低く唸る。

それでも防ぐ。

 

槍の柄で受け、前へ詰める。

また同じことが始まるかと思った。

 

だが今度は違った。

 

クーフーリンの槍をいなし、雄馬が一瞬で懐へ入る。

 

近い。

木剣でも届く。

今度こそ取った。

 

そう思った瞬間、直感が叫んだ。

 

引け。

 

そのまま斬りに行けば、合わされる。

 

雄馬はほとんど反射で引いた。

半歩、いやそれ未満。

だが、そのわずかな引きが命を拾った。

 

次の瞬間、クーフーリンの槍先が、さっきまで雄馬の首があった位置を薙いでいる。

 

「うわ、嫌だな今の」

アキレウスが笑う。

「踏み込ませてから合わせる気満々じゃねえか」

 

「その通りだ」

クーフーリンはにやりとした。

「で、勘づいて引いた雄馬も悪くねえ」

 

「悪くねえ、で済ませるには相当嫌なことをしているな、クーフーリン」

エミヤが腕を組んだまま淡々と刺す。

 

「勝つための工夫ってやつだろ?」

クーフーリンは悪びれない。

 

「工夫の方向が嫌なんだよ」

アキレウスが笑う。

「分かるけどな!」

 

周囲から軽いクレームが飛ぶ間にも、雄馬は息を整えきれずにいた。

 

重い。

 

体力そのものにはまだ余裕がある。

だが、クーフーリンの槍を受けるたびに、腕も肩も体幹もごっそり削られていく。

 

昨日のアキレウスは突きが主だった。

その分、まだ軌道を捌きやすかった。

 

だがクーフーリンは違う。

薙ぎが多い。

避けても避けても、結局どこかで受けなければならない。

 

木剣が軋む。

腕が重い。

呼吸が荒くなる。

 

それでももう一度踏み込もうとして、膝が少しだけ折れた。

 

「あ」

雄馬はそこで、妙に冷静に思った。

 

これは無理だ。

 

次の瞬間、そのまま庭に倒れ込んでいた。

 

芝の上に大の字。

夜気が火照った身体にやたら気持ちいい。

 

「参った……」

 

片膝どころではなかった。

そのままぜえぜえと息を吐く。

 

クーフーリンが槍を肩に担いで覗き込んでくる。

 

「諦めがいいな」

 

「無理なもんは無理だ」

雄馬は息を整えながら答えた。

「木剣で本物の槍受け続けるの、思ったよりきつい」

 

「思ったよりで済ませるのかよ」

アキレウスが吹き出す。

 

「昨日の俺の時より消耗してるじゃねえか」

 

「昨日は突きが多かったからまだ捌けたんだよ……」

雄馬は寝転んだまま顔だけ向けた。

「クーフーリンは薙ぎが多すぎる。避けても結局受けるしかない」

 

「そりゃそうだ」

クーフーリンは楽しそうに笑う。

「突きだけで付き合ってやるほど甘くねえよ」

 

アルトリアが静かに歩み寄る。

倒れたままの雄馬を見下ろし、その表情を少しだけ和らげた。

 

「ですが、よく食らいつきました」

その声はまっすぐだった。

「最初の踏み込みも、崩しも、その後の引き際も悪くありません。特に最後、退いた判断は見事です」

 

「……褒められてる気はする」

 

「褒めています」

 

「ただし」

エミヤが横から口を挟む。

「真っ向から付き合いすぎだ。クーフーリン相手に正面の打ち合いへ入る時間が長い。崩しは悪くないが、その後の選択がまだ素直すぎる」

 

「わかってる……」

雄馬は芝に転がったまま答える。

「わかってるけど、あの槍、素直にやらせてくれないんだよ」

 

「それが相手の強みだ」

クーフーリンが肩をすくめる。

 

ジャンヌが、少し屈んで雄馬の顔を覗き込む。

 

「お怪我はありませんか?」

 

「怪我はない」

雄馬は苦笑した。

「疲れただけだ」

 

「それならよかったです」

ジャンヌはほっとしたように微笑んだ。

 

沖田はその横で、いつものように目を輝かせている。

 

「でもすごかったです! 足を崩してからの斬り上げ、あれは『取った!』って思いました!」

 

「俺もそう思った」

アキレウスが笑う。

「そこから返してくるクーフーリンが嫌らしいんだけどな」

 

「嫌らしいで済ませるな」

クーフーリンが笑い返す。

 

庭の空気は、戦う前の張り詰めたものとはもう違っていた。

 

負けた。

参ったと言った。

息は上がっている。

 

それでも、不思議と悔しさだけでは終わらなかった。

 

今日、学校で見たもの。

第一高校の空気。

達也たちのこと。

あの二人の視線。

そういうものはまだ頭のどこかに残っている。

 

だが今ここで必要なのは、それとは別のことだった。

 

次にどう詰めるか。

次にどう崩すか。

次にどうやれば、この嫌な槍にもう一歩届くか。

 

芝の上に転がったまま、雄馬は大きく息を吐いた。

 

「……明日もやるか」

 

クーフーリンが口元を吊り上げる。

 

「おう。今度はもう少し汚く来い」

 

「その言い方だと人聞きが悪いんだよな……」

 

「勝つためなら気にすんな」

クーフーリンは笑う。

「綺麗に負けるより、汚くても食らいつく方が性に合ってるだろ?」

 

その言葉に、雄馬は寝転んだまま目を閉じた。

 

否定は、しなかった。

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