魔法科高校の異端魔術師   作:もやしになりたい

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今回は少し長いです


選ばれた者と、外にいる者

 その場に残っていた緊張が、ようやく少しだけほどけた。

 

 選ばれたのは達也だった。

 

 結果だけ見れば、それで話は終わっている。

 

 雄馬は一度だけ息を吐き、肩の力を抜いた。

 

(……まあ、そうなるよな)

 

 達也が選ばれるのは納得できる。あの場で必要とされたのが、前へ出て押し切る人間ではなく、起動式を見て危険度を読み、場を収める人間ならなおさらだ。

 

 それに、自分が今このまま委員会だの何だのへ引っ張り込まれたいかと問われれば、答えは決まっている。

 

 勘弁してほしい。

 

 胸の奥へ広がったのは、悔しさではなく妙な安堵だった。

 

「達也くん」

 

 摩利の声が、短く場を切る。

 

「今日はここまでにする。事務室にCADを預け直したら、生徒会室へ来てくれ。話の続きはそこでだ」

 

「分かりました」

 

 達也はいつもの調子で頷いた。

 

 その横で、深雪がわずかに眉を寄せる。

 

「お兄様、わたしも――」

 

「深雪さんは一緒に戻りましょうか」

 

 真由美が柔らかく割って入った。

 

「あーちゃんが端末のことを教えてくれるって言っていたでしょう? ちょうどいいし」

 

「ですが……」

 

「心配はいらんよ」

 

 摩利が淡々と言う。

 

「達也くんは逃げない」

 

 その言い方に、達也がほんの少しだけ眉を動かしたが、何も言わなかった。

 

 服部は相変わらず不機嫌そうに黙り込み、鈴音とあずさも余計な口を挟まない。ここで話を広げる気は、誰にもないらしい。

 

 なら、もう自分が残る理由もない。

 

 雄馬はそう判断して、鞄へ手を伸ばした。

 

 その動きに気づいたのか、達也が一瞬だけこちらを見る。

 

「帰るのか」

 

「呼ばれてないしな」

 

 雄馬が肩をすくめると、達也は「そうか」とだけ返した。

 

 それ以上は何も言わない。

 

 変に気を遣われない方が、むしろありがたかった。

 

「では、失礼します」

 

 誰へともなく一言だけ残し、雄馬は踵を返す。

 

 その時、ふと背に視線を感じた。

 

 振り向くほどではない。だが、気づかないふりもできない。

 

 摩利だった。

 

 本当に一瞬だけ、こちらを見ている。

 

 値踏みするような、確かめるような、そんな静かな目だった。

 

 けれど、彼女は何も言わなかった。

 

 呼び止めもしない。

 

 ただ、その一瞬だけで十分だった。

 

(……やっぱ、終わってねえな)

 

 そう思いながらも、雄馬はそのまま歩き出した。

 

 少なくとも今日は、これで帰れる。

 

 それなら、それでいい。

 

 背後では、真由美が何事もなかったように場を動かし始め、達也たちは生徒会室へ戻っていく気配がした。

 

 自分はそちらへは加わらない。

 

 昇降口へ向かう足取りは、思っていたより軽かった。

 

 選ばれなかったことそのものに未練はない。むしろ、面倒の中心へ踏み込まずに済んだことに、ほっとしている自分がいる。

 

 もっとも――

 

 摩利のあの目を思い出す限り、それがいつまで続くかは分からない。

 

「……ま、今日は知らん」

 

 小さく呟いて、雄馬はそのまま校舎を後にした。

 

◇◆◇◆◇◆◇

 

 事務室にCADを預け直し、達也が再び生徒会室を訪れると、入った途端に腕を取られた。

 

「逃がさないよ、達也くん」

 

 見れば摩利だった。

 

 壁際ではあずさが深雪へ端末の扱いを教えている。その深雪がこちらを見て、露骨に眉を吊り上げる。達也は無言で、これは不可抗力だと目で訴えてみせたが、納得された気はしなかった。

 

 反射的に振り払わなかったのは理性の勝利だが、その一瞬を逃さず捕まえてくる辺り、摩利の体術も相当なものらしい。

 

「予定外は色々あったが、予定そのものは変わらない。行くよ」

 

「どこへです?」

 

「風紀委員会本部。さっきの続きだ」

 

 深雪がわずかに身を乗り出したが、摩利はそちらへ視線を向けない。達也も余計な説明は挟まず、そのまま後を追った。

 

 服部は相変わらず机に向かったまま顔を上げない。どうやら、無視を貫くことで感情に区切りをつけたらしい。

 

 真由美だけが、何が面白いのか分からない笑みで、ひらひらと手を振っていた。

 

◇◆◇◆◇◆◇

 

 生徒会室の奥、目立たない扉の先に、風紀委員会本部へ抜ける専用階段があった。

 

 一般生徒の動線とは明らかに切り離された構造だ。いかにも“緊急時はこちら”と言わんばかりの造りではなかったが、逆にそれが、最初から限られた者しか使わない通路だと物語っていた。

 

「便利ですね」

 

「便利じゃなければ作る意味がない」

 

「消防法的にはどうなんでしょう」

 

「火事になれば、法令より先に魔法師が動くさ」

 

 もっともらしい返答だった。達也も否定はしなかった。

 

 本部の扉が開く。

 

 中へ入った瞬間、達也は何とも言えない顔になった。

 

 狭くはない。汚いというほどでもない。だが、落ち着かない。

 

 書類、端末、予備CAD、訓練記録らしきデータパッド、古びた魔法書、用途の分からないケース類。必要なものが必要な場所にないわけではないのだろうが、“整理された部屋”とは言い難かった。

 

「少し散らかっているが、適当に座ってくれ」

 

「少し、ですか」

 

「少しだよ」

 

 言い切る辺りに、悪気はないのだろう。

 

 達也は椅子を引きかけて、机上のCADへ視線を落とした。

 

「先に、少し触っても?」

 

「何をだい?」

 

「これです。スリープのまま放置されている端末が幾つかありますし、予備機も裸で置かれている。魔工技師志望としては、見て見ぬ振りが少し難しい」

 

「魔工技師志望、ね」

 

 摩利は面白そうに目を細めた。

 

「私はてっきり、達也くんは実戦畑へ進むものだと思っていたが」

 

「自分の適性くらいは把握しています」

 

「その体術があって?」

 

「体術があっても、魔法師として上へ行けるとは限りませんから」

 

 さらりと返されて、摩利は妙な顔をした。

 

 達也の口振りに自虐の色は薄い。本気で卑下しているというより、単に現実の線引きを済ませているだけだと分かるからだ。

 

「……いいよ。好きにしてくれ」

 

「ありがとうございます」

 

 達也は上着を脱ぎ、袖を軽くまくった。

 

 そこから先は早かった。端末は状態を確認して落とすものを落とし、CADはケースごとに分け、紙束はざっと目を通して分類し直す。乱雑に見えていた机の上から、みるみるうちに空いた面が増えていく。

 

 見ているだけなのも癪だったのか、摩利も反対側から手を出した。

 

 しかし、ほどなく差がついた。

 

 達也の前は片付き、摩利の前はあまり変わらない。

 

 達也の視線が、ほんの一瞬だけそちらへ流れる。

 

 そして、小さなため息。

 

「……悪かったね」

 

「口にはしていません」

 

「顔に出てるよ」

 

 摩利は諦めて机の縁へ腰を預けた。

 

「こういうのは、どうも昔から苦手でね」

 

「見れば分かります」

 

「遠慮がないな、達也くんは」

 

「事実確認です」

 

 達也はそう言って、机の隅へまとめた端末群を棚へ収める。

 

 その手際を眺めながら、摩利はふいに口を開いた。

 

「君をここへ連れてきた理由は二つだ」

 

「風紀委員の件、ですね」

 

「そう。未遂の段階で口を出せる人間が欲しかったのと、もう一つは見栄えだ」

 

「二科生を前に出す意味ですか」

 

「言い方は悪いが、そういうことになる」

 

 摩利は頷いた。

 

「今の風紀委員会は、外から見ると一科生の身内組織に見えやすい。実際がどうであれ、そう見えるならそう扱われる」

 

「そして、自分を入れれば分かりやすく形が変わる」

 

「頭が早い」

 

 達也はCADケースを棚へ差し込みながら、やや薄い声で返した。

 

「ですが、表に出るのが自分である必要はなかったのでは?」

 

「例えば?」

 

「今日の場だけで言えば、雄馬の方が印象は強かったでしょう」

 

 摩利は、そこで初めて笑みを消した。

 

 達也は振り向かない。整理の手を止めず、ただ言葉だけを置く。

 

「腕もある。目を引く。少なくとも、分かりやすさで言えば自分より適任だったはずです」

 

「……気にしているのかい?」

 

「確認しているだけです」

 

 平坦な声だった。

 

 だが摩利は、その平坦さの奥にあるものを見誤らなかった。

 

「なら、はっきり言おう」

 

 摩利は腕を組む。

 

「雄馬君は悪くなかった。むしろ良かったよ。踏み込みも、崩された後の立て直しも、あの場で見せた分に限れば十分に買える」

 

 達也の手が、そこでようやく止まった。

 

「それでも、自分を選んだ」

 

「選んだ」

 

 きっぱりした声だった。

 

「今の委員会に足りないのは、まずそっちじゃない。踏み込んで止める人間は、もういる。私もそうだし、他の奴らもそうだ。」

 

「……」

 

「だが、起動式を見て危険度を読む人間は少ない。誰が本当に越えてはいけない線を踏んだのか、どこで割って入れば一番揉めずに済むのか、そういうのをその場で捌ける頭はもっと少ない」

 

 達也は黙って聞いている。

 

「今日必要だったのは、雄馬君じゃなくて達也くんだった」

 

 その言葉は真っ直ぐだった。

 

 おためごかしも、気休めもない。だからこそ達也も否定はしなかった。

 

「では、雄馬は切ったんですか」

 

 それは問いというより、確認だった。

 

 摩利は鼻で笑う。

 

「そんなに物分かりが良く見えるかい?」

 

「いえ」

 

「なら答えは分かるだろう。切っていない。ただ、今日じゃなかった。それだけだよ」

 

 短い沈黙が落ちた。

 

 達也は机上のCADをケースへ収めながら、淡々と口を開く。

 

「本人は、選ばれなくて少し安心しているように見えましたが」

 

「そうだろうな」

 

 摩利も否定しない。

 

「だから今は呼ばなかった。あの場で無理に引っ張り込めば、余計な反発だけが残る」

 

「……そこまで見ていたんですか」

 

「あたしを誰だと思ってる」

 

 少しだけ得意げな声だった。

 

「伊達に上に立ってないさ」

 

 達也は小さく息を吐いた。

 

「それを聞いて、安心すべきかどうか迷いますね」

 

「安心していいとも、するなとも言わん」

 

 摩利は笑う。

 

「ただ、君には知っておいてもらった方がいいと思っただけだ。君を選んだ理由と、君を選んだからこそ見送ったものの違いをな」

 

 達也はしばらく黙っていたが、やがて手元の整理を再開した。

 

「なるほど」

 

「納得したか?」

 

「ええ。少なくとも、切り捨てたわけではないと分かりましたから」

 

「そういうことだ」

 

 摩利は満足げに頷いた。

 

「君は君でこっちに入る。雄馬君は雄馬君で、まだ外にいる。今はそれだけの話だ」

 

「その“今は”が、いずれ面倒になりそうですが」

 

「だろう?」

 

「否定しません」

 

 達也の返答に、摩利は声を立てて笑った。

 

「やっぱり屈折してるな、達也くん」

 

「先輩にだけは言われたくありません」

 

 その返しに、今度は摩利が一瞬だけ言葉を失う。

 

 それから、可笑しそうに肩を揺らした。

 

「違いない」

 

◇◆◇◆◇◆◇

 

 玄関の扉を開けた瞬間、雄馬は小さく息を吐いた。

 

 疲れていないわけではない。だが、身体が重いというより、妙な意味で気が抜けている。

 

 選ばれなかった。

 

 その事実に、思った以上の安堵を覚えている自分がいた。

 

「ただいま」

 

 少し力の抜けた声が、広い玄関に落ちる。

 

 すぐ奥の方から足音が聞こえた。

 

「お帰りなさい」

 

 最初に姿を見せたのはジャンヌだった。穏やかな笑みはいつも通りだが、雄馬の顔を見るなり、その表情にほんの少しだけ案じる色が差す。

 

「今日は、何かありましたか?」

 

「いや、まあ……あったっちゃあ、あった」

 

 そこで誤魔化しきれないと悟ったのか、ジャンヌはそれ以上は問わなかった。

 

「皆さん、食堂にいらっしゃいます。お話はそこででも」

 

「あー……そうする」

 

 靴を脱いで廊下を進む。

 

 家の中は、いつも通りだった。

 

 食事の匂いがして、誰かの話し声がして、生活の気配がある。学校にいる時とは違う、神経を張り詰めなくていい空気。そのはずなのに、今日に限っては妙に落ち着かない。

 

 食堂へ入ると、既に皆が席についていた。

 

「お、帰ったか」

 

 気安く声をかけてきたのはアキレウスだった。

 

 その隣ではクーフーリンが椅子にもたれ、面白がるでもなく、ただ様子を見るような目を向けている。アルトリアは食卓の上を整えている最中で、エミヤは湯気の立つ皿を運んできたところだった。少し遅れて、沖田も台所の方から顔を出す。

 

「お帰りなさい、雄馬さん」

 

「ん」

 

 短く返して席につく。

 

 だが、座ったところで、皆の視線がさりげなく集まっていることに気づいた。露骨ではない。けれど、誤魔化せるほど鈍くもない。

 

 最初に口を開いたのはエミヤだった。

 

「学校で何かあったな」

 

 断定だった。

 

 雄馬は顔を上げる。

 

「そんな分かりやすかったか」

 

「分かるとも。君は隠すのが上手い方ではない」

 

 淡々とした口調だったが、責める響きはない。

 

 クーフーリンが鼻を鳴らす。

 

「しかも、面倒ごとだろうよ。その顔は」

 

「言い方」

 

「外れてねえだろ」

 

 その通りなので、反論できない。

 

 アキレウスが頬杖をつきながら笑った。

 

「で? 今日は何があった」

 

 雄馬は箸を取る前に、今日一日の流れを頭の中で並べた。

 

「ざっくり言うと、司波のとばっちりを食らった」

 

「最初の一言から酷いですね」

 

 ジャンヌが苦笑し、エミヤは呆れたように息をつく。

 

 雄馬は肩をすくめた。

 

「事実だしな。昼休みに司波から、風紀委員の生徒会選任枠が空いてるって話を聞かされてさ。会長が司波を指名したらしいんだけど、司波が断った」

 

「そこまでは自然ですね」

 

 アルトリアが静かに頷く。

 

「彼が素直に引き受けるとは思えません」

 

「だろ? で、そこで終わらなかった」

 

 雄馬はため息混じりに続けた。

 

「司波が、自分より適任がいるって言って、俺の名前を出した」

 

 一瞬、食堂が静かになる。

 

 次いで、クーフーリンが吹き出した。

 

「はっ、そいつぁ災難だ」

 

「笑い事じゃない」

 

「いや、そこは笑うところだろ。そんな巻き込まれ方あるかよ」

 

 アキレウスまで肩を揺らしている。

 

 エミヤだけが額を押さえた。

 

「……なるほど。確かにとばっちりだな」

 

「だろ?」

 

 ちょっとだけ味方が増えた気がして、雄馬は少し気が楽になった。

 

「しかも昼休みだけじゃ終わらなくて、放課後に持ち越し。会長が話を続けることにして、副会長も噛んできて、気づいたら話がどんどんでかくなってた」

 

「副会長、ですか」

 

 ジャンヌが静かに確認する。

 

「そう。で、そこから色々あって……最終的に、司波が試されて、そのあと今度は俺まで比較対象にされた」

 

「比較対象」

 

 アルトリアが復唱する。

 

 ほんの僅かに眉が寄った。

 

「いい気分はしませんね」

 

「だろ?」

 

 雄馬は即答した。

 

「俺もそう思った。司波と並べて、じゃあ次はこっちも見てみよう、みたいな流れでさ。委員長が直々に相手してきた」

 

 沖田が少し目を見開く。

 

「委員長ご本人が、ですか」

 

「そう。あの人、試すって決めたら早いな。手加減はあるけど容赦はしないって感じで、そのまま始まった」

 

 アキレウスの目が面白そうに細くなる。

 

「で、どうだった」

 

「負けた」

 

 そこはあっさり言った。

 

「まあ、普通に考えりゃそうだろ。勝てるとは思ってなかったし」

 

「それで落ち込んではいない、と」

 

 エミヤの声は静かだった。

 

「ないな」

 

 雄馬は首を横に振る。

 

「むしろ逆。終わったあと、委員長に『悪くなかった』とは言われたんだけど、それでも選ばれたのは司波だった」

 

「妥当だな」

 

 クーフーリンが言い、すぐに肩をすくめる。

 

「悪く取るなよ。役目の話だ」

 

「分かってる」

 

 そこに引っかかりはなかった。

 

 実際、雄馬自身も同じことを思っている。

 

「委員長もそんな感じだった。俺は現場で力づくでねじ伏せる側として使える。でも、今の委員会に足りないのはそっちじゃないって。必要なのは、展開中の起動式を読んで、発動前の魔法を見抜ける目と頭脳だってさ」

 

「なるほど」

 

 エミヤが小さく頷く。

 

「それは確かに、司波の領分だ」

 

「だろ? だから選ばれなかったこと自体には、わりと納得してる」

 

 雄馬はそこで、ようやく箸を手に取った。

 

「納得してるっていうか……安心した、の方が近いかもな」

 

 その一言に、皆の空気が少し変わった。

 

 驚いたというより、腑に落ちたという変化だった。

 

「悔しくはないんですね」

 

 ジャンヌが穏やかに訊ねる。

 

「ない」

 

 雄馬ははっきり答えた。

 

「少なくとも、選ばれなくて悔しいって感情は全然ない。むしろ、ああいう面倒の中心に入らずに済んだって意味じゃ、助かったって思ってる」

 

「それでいいでしょう」

 

 アルトリアが即座に言った。

 

「向いていることと、望むことは別です。結果に納得していて、なお安堵しているなら、それが本音なのでしょう」

 

「そういうもんかな」

 

「そういうものです」

 

 きっぱりだった。

 

 その言い切り方に、雄馬は少しだけ笑う。

 

「簡単に言ってくれるなあ」

 

「簡単なことだからです」

 

「そういうところだぞ、アルトリア」

 

 思わずそう返すと、アルトリアはほんの少しだけ目を細めた。機嫌を損ねたわけではない。むしろ、いつものやり取りに戻ったことを確認したような顔だった。

 

 だが、そこで話が終わるほど単純でもなかった。

 

 エミヤが、雄馬の顔を見て言う。

 

「ただ、それだけではないんだろう?」

 

 箸を持つ手が止まる。

 

 雄馬は少しだけ顔をしかめた。

 

「……まあな」

 

「何が残っている」

 

「委員長の目」

 

 短く答える。

 

「選ばれなかった。それ自体は終わってるはずなのに、あの人だけ全然終わってない感じでさ。今日は呼ばなかっただけ、みたいな空気があった」

 

 クーフーリンの口元が吊り上がる。

 

「目ぇつけられたか」

 

「やっぱそう見える?」

 

「そうとしか聞こえねえな」

 

 アキレウスも笑みを消した。

 

「切った相手を見る目じゃねえ、ってことだろ」

 

「そんな感じ」

 

 雄馬は頷く。

 

「だから、選ばれなくて安心してるのに、これで終わった気がしない」

 

 沖田が控えめに口を挟む。

 

「でも、それは今日の結果とは別のお話ではありませんか?」

 

「別?」

 

「はい。今日、選ばれなかったことに安心している。それはそれで、もう答えが出ていますよね」

 

 雄馬は少し考えてから頷いた。

 

「……確かに」

 

「残っているのは、その先があるかもしれない、という予感だけです」

 

 ジャンヌも穏やかに続ける。

 

「でしたら、今日の結果そのものまで、無理に曇らせなくてもよろしいのではありませんか」

 

 エミヤが腕を組む。

 

「要するにこういうことだ。君は今日、望まぬ場所へ引きずり込まれずに済んだ。それで安心している。だが、相手はまだ君を視野から外していないらしい。今はそれだけだ」

 

「綺麗に分けるなあ」

 

「分けて考えた方がいいからだ」

 

 理屈としてはその通りだった。

 

 アキレウスが笑う。

 

「ま、来るなら来るで、その時考えりゃいいだろ」

 

「雑だな」

 

「細かく悩んでも、先のことなんざ決まらねえよ」

 

 クーフーリンも肩をすくめる。

 

「しかも、今日の時点じゃ何も起きてねえ。だったら安心できる方を先に取っとけ」

 

「それは……そうか」

 

 雄馬は苦笑した。

 

 無理に悔しがる必要はない。

 

 選ばれなくて安心した。それが本音だ。

 

 問題があるとしたら、それとは別に、委員長の視線だけが妙に先を見ていたことだった。

 

 エミヤが皿を一つ、雄馬の前に置いた。

 

「考えるのは食べてからにしろ」

 

「……腹減ってるように見える?」

 

「減っているだろう。君はそういう時ほど分かりやすい」

 

 またそれだ。

 

 だが、今度は少しだけおかしくて、雄馬は口元を緩めた。

 

「分かったよ」

 

 ようやく一口目を口に運ぶ。

 

 温かい湯気が顔に当たって、ようやく本当に帰ってきた気がした。

 

 今日は選ばれなかった。

 

 そして、それでよかったと本気で思っている。

 

 そこに嘘はない。

 

 ただ、たぶんこれで終わりでもない。

 

(ま、来るならその時考えるか)

 

 今はそれで十分だった。

 

 雄馬は二口目を口に運び、今度こそ本当に、肩の力を抜いた。

 

  食事を終えたあと、雄馬は一人、地下の訓練室に籠もっていた。

 

 今日の一件で妙な迷いが生まれたのか、普段よりも手が止まる――そんなことはなかった。むしろ逆だ。いつも以上に黙々と、学校で使う魔法の鍛錬に打ち込んでいる。

 

 簡易CADを起動し、術式を展開。照準の固定、発動速度の確認、干渉強度の調整。派手さのない反復を、何度も、何度も繰り返していた。

 

 壁際の観測窓越しにその様子を眺めながら、英霊たちはそれぞれに無言を保っていた。

 

 だが、その沈黙を最初に破ったのはアキレウスだった。

 

「……なあ」

 

 腕を組んだまま、彼は訓練室の中央を見下ろす。

 

「やっぱり、まだ信じられねえんだが」

 

 誰にともなく投げられた言葉だったが、意味は全員に伝わっていた。

 

 アルトリアが視線を外さぬまま返す。

 

「雄馬が本当に負けたのか、ということですか」

 

「そうだ」

 

 アキレウスは即答した。

 

「いや、委員長ってやつが強かったんだろうってのは分かる。分かるが……それでも、あれだけ積み上げてきた雄馬が、そんな簡単に負けるか?」

 

 クーフーリンが壁にもたれたまま鼻を鳴らす。

 

「簡単にゃ負けてねえだろ。話を聞く限りじゃ、向こうも“悪くなかった”とは言ったんだ」

 

「そこじゃねえんだよ」

 

 アキレウスは首を振った。

 

「勝った負けたって結果だけ見りゃ、雄馬は負けてる。だが、オレにはどうにも、それがそのまま“下”って意味には思えねえ」

 

「それは私も同意します」

 

 静かに口を開いたのはジャンヌだった。

 

「雄馬さん自身、今日のことを悔しがってはいませんでした。むしろ、選ばれずに済んで安心しているようでした」

 

「だから余計にだろうよ」

 

 クーフーリンが苦笑混じりに言う。

 

「勝ちに執着してたなら、まだ分かりやすい。だがあいつぁ最初から“できれば関わりたくない”って顔してた。そういう時の負けなんざ、どこまで本当の意味での負けか怪しいもんだ」

 

 沖田がこくりと頷く。

 

「私も、そう思います。雄馬さん、別に勝ちを取りにいったわけではありませんでしたし」

 

「そのうえ、相手が見ていたものも違うでしょう」

 

 エミヤが淡々と言った。

 

 視線は窓の向こう、術式を組み上げる雄馬から一度も外れていない。

 

「委員長が見ていたのは、純粋な優劣ではない。今の風紀委員会に必要な人材かどうかだ」

 

 アキレウスが振り向く。

 

「アーチャーは、雄馬の方が強いと思ってるのか?」

 

「強い、弱いで片付ける話ではない」

 

 エミヤは即座に切り返した。

 

「少なくとも、今日の勝敗をそのまま戦闘能力の序列に置き換えるのは早計だ。雄馬はあの手の選別で勝ちを拾うより、別の場所で真価を出す」

 

「別の場所、ですか」

 

 ジャンヌが問う。

 

「間合いが崩れた後の粘り、躊躇いながらも踏み込む度胸、そして何より――」

 

 そこでエミヤは僅かに目を細めた。

 

「自分が勝たずとも構わない場で、必要以上に前へ出ない判断だ」

 

 クーフーリンが肩をすくめる。

 

「はっ。言いてえことは分かる。あいつ、勝ちを拾いに行く顔じゃなかった。むしろ“ここで勝ったら面倒だ”って顔してたな」

 

「してましたねえ」

 

 沖田が苦笑する。

 

「かなりしてました」

 

 アルトリアはそこでようやく窓から視線を外した。

 

「では、結論は単純でしょう。雄馬は“委員長の求める役”には負けた。ですが、それだけです」

 

「それだけ、ねえ」

 

 アキレウスは顎に手を当てる。

 

「オレとしては、どうにも引っかかるんだよな。委員長ってやつ、本当に雄馬を切ったのか?」

 

「切ってはいないでしょう」

 

 ジャンヌが静かに言った。

 

「今日の話を聞く限りでは、少なくとも完全に興味を失ったようには思えません」

 

「そこは同感だ」

 

 エミヤも頷く。

 

「呼ばなかっただけだ。呼べなかった、あるいは呼ぶには早いと判断した可能性の方が高い」

 

「つまり、あの委員長さんは“今回は司波”と決めただけで、“雄馬はいらない”と決めたわけではない、ということですね?」

 

 沖田の確認に、アルトリアが答える。

 

「そう見ます」

 

 短い沈黙が落ちた。

 

 窓の向こうでは、雄馬がまた一つ術式を走らせている。決して派手ではない。だが、集中は途切れない。外でどんな話が交わされているかなど知らぬまま、ただ黙々と、同じ工程を反復していた。

 

 アキレウスがふっと笑う。

 

「だったら、なおさら妙な話だな」

 

「何がです?」

 

 ジャンヌが問うと、アキレウスは訓練室を顎でしゃくった。

 

「本人は安心してる。けど、周りから見りゃ全然終わってねえ」

 

「本人にとっては不本意でしょうけれど」

 

 ジャンヌも微笑を浮かべた。

 

「ええ、まったくだ」

 

 クーフーリンが肩を回す。

 

「だがまあ、あいつが本当に負けたかって聞かれりゃ、答えは微妙だな。少なくとも、今日一日だけで“雄馬はその程度”って話にはならねえ」

 

「同意します」

 

 アルトリアが言う。

 

「むしろ問題は逆でしょう。相手がそれを理解しているかどうかです」

 

「理解してるだろうさ」

 

 エミヤの返答は静かだったが、妙に断定的だった。

 

「でなければ、あんな目にはならない」

 

 その一言で、誰のことを指しているのか、全員が理解する。

 

 委員長の目。

 

 今日、雄馬が最後に引っかかっていた、あの視線だ。

 

 沖田が小さく息を吐いた。

 

「では、やっぱり終わっていないのですね」

 

「終わっていませんね」

 

 ジャンヌも頷く。

 

「少なくとも、向こうはまだそのつもりでしょう」

 

 アキレウスがからりと笑った。

 

「なら、答えは出てるじゃねえか。雄馬は“負けた”んじゃねえ。“今回は外に置かれた”だけだ」

 

「言い方は乱暴ですが、概ねその通りかと」

 

 エミヤの声音はいつも通り淡泊だったが、その内容にははっきりとした評価があった。

 

「次に声が掛かるかどうかは分からない。だが、今日の結果だけで雄馬を測るのは見当違いだ」

 

 アルトリアが再び窓の向こうを見る。

 

「本人は、その方がありがたいのでしょうけれど」

 

「間違いなくな」

 

 クーフーリンが笑う。

 

「だが、そういう時ほど面倒は向こうから来るもんだ」

 

「違いありません」

 

 沖田が苦笑した、その時だった。

 

 訓練室の中で、雄馬の魔法が一瞬だけ乱れた。

 

 ほんの僅か。気を抜けば見逃す程度の誤差だ。

 

 だが、観ていた者たちには十分だった。

 

 エミヤが口元を緩める。

 

「……聞こえているな」

 

「聞こえてますね」

 

 ジャンヌが苦笑する。

 

 アルトリアは小さく息を吐いた。

 

「集中しきれていない証拠です」

 

「なら、話は終わりだな」

 

 アキレウスが立ち上がる。

 

「これ以上やると、あいつが意地張る」

 

「そうですねえ」

 

 沖田も頷いた。

 

「雄馬さん、こういう時だけ妙に真面目ですから」

 

 クーフーリンが最後にもう一度だけ訓練室を見た。

 

「ま、結論だけ言やぁ――」

 

 そこで彼は、わざと聞こえるような声音で言った。

 

「雄馬が本当に負けたかなんざ、まだ誰にも分からねえってこった」

 

 今度こそ、訓練室の中で雄馬の肩がぴくりと揺れた。

 

 だが振り向かない。

 

 振り向かないまま、もう一度だけ深く息を吸い、術式を組み直す。

 

 それを見て、英霊たちはそれぞれに小さく笑った。

 

 少なくとも、まだ折れてはいない。

 

 そしてたぶん――本当に面倒になるのは、これからだ。

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