魔法科高校の異端魔術師   作:もやしになりたい

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本日2話目の投稿となります。


残り火

 一週間が過ぎた。

 

 新入部員勧誘週間は、達也にとって嵐のような日々だった。

 

 風紀委員の中で、一番忙しかったのは彼だろう。

 

 ――それも、本来の活動とは少し違った方向性で。

 

 初日、達也が取り押さえた桐原武明は、対戦系魔法競技では当校有数の有望株だったらしい。

 

 その桐原が、一年生の、しかも二科生である達也に組み伏せられた。

 

 結果として鎖骨にヒビまで入ったという話は、細かい経緯を知らない生徒たちの間で、半ば尾ひれをつけて広まっていた。

 

 達也本人からすれば、違反行為を止めるために必要な措置を取っただけだろう。

 

 だが、事情を知らない対戦系魔法競技者にとっては、一年生のウィードにレギュラー選手が叩き伏せられた、という事実だけで十分面白くないに違いなかった。

 

 その結果、達也は勧誘週間の間、妙な意味で有名人になっていた。

 

「達也、今日も委員会か?」

 

 帰り支度中の達也に、鞄を手にしたレオがそう訊ねた。

 

「今日は非番。ようやく、ゆっくりできそうだ」

 

「大活躍だったもんなぁ」

 

「少しも嬉しくないな」

 

 達也の声は、冗談ではなく本気で疲れていた。

 

 それがかえって面白かったのか、レオは噴き出す寸前の顔をしている。

 

「今や有名人だぜ、達也。魔法を使わず、並み居る魔法競技者を連破した謎の一年生、ってな」

 

「誇張が過ぎる」

 

「でも、そういう噂になってるのは本当でしょ?」

 

 エリカが机の端に腰を預け、面白そうに口を挟んだ。

 

「桐原先輩の件だけじゃなくて、その後も何人か返り討ちにしたんでしょ?」

 

「返り討ちにした覚えはない。違反行為を止めただけだ」

 

「結果だけ見ると、あんまり変わらないと思うけどね」

 

「変わる」

 

 達也は短く断言した。

 

 そのやり取りを聞いていた雄馬が、端末を閉じて顔を上げる。

 

「司波らしいな」

 

「どういう意味だ?」

 

「勝った負けたじゃなくて、終わらせただけって顔してるところ」

 

 雄馬の言葉に、レオが「おっ」と声を上げた。

 

「分かるぜ、それ。達也って、相手を倒してやったって感じが全然しねぇんだよな」

 

「だから、そういう話ではないと言っている」

 

「でも、相手からすりゃ同じじゃない?」

 

 エリカが肩をすくめる。

 

「叩き伏せられた側が『これは敗北ではなく、違反行為の停止です』なんて納得するわけないでしょ」

 

「それもそうだな」

 

 雄馬があっさり頷いた。

 

 達也は少しだけ目を細める。

 

「納得が早いな」

 

「事実だろ。司波がどう思ってるかと、周りがどう見るかは別だ」

 

「ずいぶん冷静ね、雄馬君」

 

 エリカがからかうように言う。

 

 雄馬は軽く肩をすくめた。

 

「この一週間、嫌でも見えたからな」

 

「見えた?」

 

 美月が小首を傾げる。

 

「ああ。司波を見てる奴らの目とか、噂の広がり方とか。面白がってる奴もいれば、苛ついてる奴もいる。勝手に期待してる奴もいる」

 

「期待?」

 

「二科生なのに一科生を倒した、みたいな話にしたがってる奴がいるってことだ」

 

 その一言で、教室の空気がわずかに変わった。

 

 レオの笑みが少し薄くなる。

 

 エリカも口元の軽さを消した。

 

 美月は、不安そうに視線を伏せる。

 

「……そういう言い方をしている人も、いましたね」

 

「美月?」

 

 レオが振り返る。

 

 美月は少し迷ってから、控えめに続けた。

 

「その……達也さんがすごい、というより、一科生も大したことない、みたいに言っている人がいて」

 

「うわ、感じ悪っ」

 

 エリカが顔をしかめた。

 

「達也君本人は、そんなつもりないのにね」

 

「本人の意図なんて、噂にはあまり関係ないだろ」

 

 雄馬はそう言ってから、達也を見た。

 

「司波は面倒だろうけどな」

 

「分かっているなら、からかわないでほしいものだ」

 

「俺はからかってない」

 

「さっきの顔は、少し楽しんでいたように見えたが」

 

「気のせいだ」

 

「……そういうことにしておこう」

 

 達也がそう返すと、レオがこらえ切れずに笑った。

 

「なんかお前ら、妙に会話噛み合うよな」

 

「そうか?」

 

「そうだぜ。二人とも言い方が回りくどい」

 

「レオ、それ褒めてないわよね?」

 

「褒めてねぇな」

 

「レオくん……」

 

 美月が困ったようにたしなめる。

 

 レオは悪びれずに肩をすくめた。

 

「いや、でも本当のことだろ。達也も雄馬も、考えてることの半分くらいしか口に出してねぇ感じがする」

 

「半分も出しているつもりはない」

 

 達也が即答した。

 

「認めたな」

 

 雄馬がぼそりと言う。

 

「雄馬も同類だろう」

 

「俺はそこまで隠してない」

 

「自覚がない分、性質が悪いな」

 

「司波に言われると納得いかないな、それ」

 

 今度はエリカが笑った。

 

 美月も、少しだけ緊張が解けたように小さく笑みを浮かべる。

 

 だが、雄馬の視線はすぐに窓の外へ流れた。

 

 新入部員勧誘週間の喧騒は、すでに過去のものになりつつある。

 

 廊下を走り回る上級生も、過剰な勧誘の声も、無理に新入生を連れて行こうとする騒ぎも、もうない。

 

 それでも。

 

 この一週間で生まれた熱が、すべて冷めたようには思えなかった。

 

 一科生。

 

 二科生。

 

 ブルーム。

 

 ウィード。

 

 誰かを区分する言葉は、便利だ。

 

 便利だからこそ、人の顔を見なくても済んでしまう。

 

「雄馬君?」

 

 エリカの声で、雄馬は意識を戻した。

 

「どうかした?」

 

「いや」

 

 短く答えてから、少しだけ間を置く。

 

「静かになったな、と思っただけだ」

 

「そりゃ、勧誘期間は終わったしね」

 

「ああ」

 

 雄馬は頷いた。

 

「終わったはずなんだけどな」

 

 その言葉に、達也がわずかに反応した。

 

「何か気になるのか?」

 

「気になるというほどじゃない」

 

 雄馬は曖昧に答える。

 

「ただ、騒ぎが終わった後にしては、妙に熱が残ってる気がする」

 

「熱?」

 

 レオが首を傾げる。

 

「喧嘩の後の空気みたいなものだ。終わったのに、まだ誰かが拳を握ってる感じがする」

 

 レオはよく分からないという顔をした。

 

 エリカは、少しだけ真面目な表情になる。

 

「……雄馬君、そういうの分かるんだ」

 

「分かるというか、気になるだけだ」

 

「ふぅん」

 

 エリカはそれ以上深く訊かなかった。

 

 だが、彼女の表情には、何か思い当たるものがあるようにも見えた。

 

 達也は何かを考えるように視線を落とし、すぐに顔を上げる。

 

「いずれにせよ、こちらから騒ぎに首を突っ込む理由はない」

 

「司波が言うと説得力が薄いな」

 

「不本意だ」

 

「俺もそう思うぜ」

 

 レオが笑う。

 

「達也の場合、首突っ込まなくても向こうから来るからな」

 

「レオくん、それは笑い事じゃないと思う」

 

「美月の言う通りだ」

 

 達也が即座に同意した。

 

「おい、達也。そこで真顔で乗るなよ」

 

「事実だ」

 

「事実なら仕方ないわね」

 

 エリカがさらりと追撃する。

 

「お前らなぁ……」

 

 レオが唸る。

 

 そのやり取りに、雄馬は小さく笑った。

 

 いつもの面子。

 

 いつもの教室。

 

 いつもの放課後。

 

 そう呼んでしまえば、確かに平穏な時間だった。

 

 けれど雄馬には、どうしても引っかかるものがあった。

 

 笑い声の奥に、別の音が混じっている。

 

 誰かの怒り。

 

 誰かの焦り。

 

 誰かの劣等感。

 

 それらがまだ、校舎のどこかで燻っている。

 

 そんな気がしてならなかった。

 

「さて」

 

 達也が鞄を手に取った。

 

「俺はそろそろ行く」

 

「深雪さんか?」

 

 雄馬が訊ねる。

 

「ああ。待たせている」

 

「相変わらずねぇ」

 

 エリカがにやにやと笑う。

 

「何がだ?」

 

「別にー?」

 

 達也は軽く眉を寄せたが、それ以上追及しなかった。

 

 雄馬は椅子の背に掛けていた鞄を手に取りながら、達也へ声を掛けた。

 

「司波」

 

「何だ?」

 

「気をつけろよ」

 

 唐突な言葉に、レオが目を瞬かせた。

 

「何にだよ?」

 

「さあな」

 

 雄馬は曖昧に答える。

 

「俺にも分からない」

 

「分からねぇのに気をつけろって言ったのかよ」

 

「分からないからだろ」

 

 レオはますます分からないという顔をした。

 

 だが、達也だけは一瞬、雄馬を見返した。

 

 ほんの短い沈黙。

 

 そして、わずかに頷く。

 

「覚えておく」

 

「そうしてくれ」

 

 それだけだった。

 

 達也は教室を出て行く。

 

 その背中を見送ってから、エリカが雄馬の横顔を覗き込んだ。

 

「雄馬君、何か知ってる?」

 

「知らない」

 

「本当に?」

 

「本当に知らない」

 

 雄馬は窓の外を見た。

 

 放課後の校舎は、勧誘週間の騒がしさが嘘のように静かだった。

 

 静かになったからといって、火が消えたとは限らない。

 

 灰の下で燻るものは、音を立てない。

 

 だからこそ、厄介なのだ。

 

    ◇

 

 達也が教室を出てから、少し遅れて雄馬も席を立った。

 

 レオやエリカたちと適当に言葉を交わし、鞄を肩に掛けて廊下へ出る。

 

 昇降口へ向かう途中、カフェテリアの前を通りかかったところで、何気なく中へ視線を向けた。

 

 そして、足を止める。

 

 窓際に近い席。

 

 向かい合って座る二人の姿が目に入った。

 

 一人は、司波達也。

 

 もう一人は、上級生らしき女子生徒だった。

 

 黒髪を整えた、背筋の伸びた少女。

 

 雰囲気だけなら、真面目な優等生といった印象だ。

 

 ただ、達也と二人で向かい合っているというだけで、雄馬の好奇心は十分に刺激された。

 

(……司波が女子の先輩と二人でカフェ?)

 

 それだけなら、後でからかいの種にする程度の話だった。

 

 だが、達也の表情が妙にいつも通りだったことが、逆に引っかかった。

 

 照れている様子はない。

 

 かといって、完全に気を抜いているわけでもない。

 

 いつもの無表情に近いが、わずかに意識を張っているようにも見える。

 

(面白そうな展開だな)

 

 そう思った時点で、雄馬の足はカフェテリアの中へ向いていた。

 

 もちろん、堂々と二人の席へ行くほど無粋ではない。

 

 雄馬は入口近くの購入端末で適当な飲み物を選び、カップを受け取ると、二人から少し離れた席へ腰を下ろした。

 

 真正面ではない。

 

 かといって、声が届かないほど遠くもない。

 

 観葉植物とパーティションの陰に半分隠れる位置。

 

 偶然を装うには少し不自然で、盗み聞きするにはちょうどいい席だった。

 

(……何やってんだろうな、俺)

 

 自覚はある。

 

 褒められた行動ではない。

 

 だが、好奇心が勝った。

 

 それに、先ほど教室で感じていた妙な熱の残り香が、どうにも頭から離れなかった。

 

 雄馬はカップに口をつけるふりをしながら、二人の会話へ意識を向けた。

 

 最初に聞こえてきたのは、女子生徒の少し慌てた声だった。

 

「……えっと、改めて。先週はありがとう、司波君」

 

 達也が小さく応じる。

 

「礼には及びません。あれは風紀委員として必要な対応でした」

 

(先週……?)

 

 雄馬の目が細くなる。

 

 先週。

 

 風紀委員。

 

 その二つの単語で、思い当たる出来事は限られていた。

 

 桐原武明の件だ。

 

 つまり、向かいに座っている女子生徒は、あの騒ぎの関係者ということになる。

 

(あの人が、壬生紗耶香か?)

 

 エリカから名前だけは聞いていた。

 

 剣道部の実力者。

 

 桐原と対峙していた先輩。

 

 話だけ聞いた時には、もっと硬い人物を想像していた。

 

 しかし今の様子を見る限り、達也に礼を言う姿は思ったよりも柔らかい。

 

 真面目で、少し不器用で、年上らしく振る舞おうとしている。

 

 そんな印象だった。

 

「桐原君を止めてくれたことだけじゃないの」

 

 紗耶香の声が、少し真剣味を帯びる。

 

「あの時、司波君が大事にしないように言ってくれたんでしょう? だから、剣道部も剣術部も大きな処分にならずに済んだって聞いたわ」

 

「騒ぎ立てるほどのことではなかっただけです」

 

 達也は淡々と返す。

 

「怪我人も、当事者以外には出ていませんでしたから」

 

(……そういうことにしてるのか)

 

 雄馬はカップの縁を指でなぞった。

 

 達也らしい答えだった。

 

 自分がどう評価されるかより、状況がどう収まるかを優先している。

 

 それ自体は分かる。

 

 だが、あの桐原武明が達也に組み伏せられ、鎖骨にヒビまで入ったという事実は、すでに校内で別の意味を持ち始めている。

 

 達也がどう考えているかは関係ない。

 

 周囲が勝手に意味をつける。

 

 それが、雄馬には少し気持ち悪かった。

 

「武道をやっていれば、あのくらいの衝突は珍しくないわ」

 

 紗耶香の声が続く。

 

「強さを認めてほしいとか、試したいとか、そういう時期は誰にでもあると思うの。司波君にも、覚えはない?」

 

「……分かります」

 

 達也の返事は短かった。

 

 雄馬は思わず、心の中で首を傾げる。

 

(本当に分かってる顔じゃないな)

 

 声だけで分かる。

 

 達也は、相手の言葉を否定しないために頷いただけだ。

 

 強さを見せたい。

 

 自分を認めさせたい。

 

 そういう衝動とは、達也は少し違う場所にいる。

 

 少なくとも雄馬には、そう見えていた。

 

「それなのに、風紀委員は何でもかんでも問題にしたがるのよ」

 

 紗耶香の声に、熱が混じった。

 

「点数稼ぎみたいに摘発して、騒ぎを大きくして……そういうやり方が嫌なの」

 

「俺も一応、その風紀委員ですが」

 

「ち、違うの! 司波君のことを言っているんじゃなくて」

 

 紗耶香が慌てたように言葉を重ねる。

 

 雄馬は少しだけ口元を緩めた。

 

(司波、わざとだな)

 

 達也の声に、責める響きはなかった。

 

 ただ、相手が自分で話の矛盾に気づくよう、静かに言葉を置いただけ。

 

 紗耶香はそれに見事に引っかかっていた。

 

 風紀委員会は嫌い。

 

 だが、達也は違う。

 

 自分が言いたいことと、感情の向かう先が整理しきれていない。

 

 そんな印象だった。

 

(悪い人じゃない。けど、危うい)

 

 雄馬はそう判断した。

 

 怒りがある。

 

 不満がある。

 

 ただし、それは明確な悪意ではない。

 

 むしろ、自分の中にある正しさを信じたいがゆえの焦りに近い。

 

 だからこそ、危ない。

 

 怒りだけなら、まだ分かりやすい。

 

 だが、正しさを伴った怒りは、人を止まりにくくする。

 

「それで」

 

 達也の声が、会話を本題へ戻した。

 

「話というのは?」

 

 少しだけ間が空く。

 

 紗耶香は覚悟を決めるように息を吸った。

 

「司波君、剣道部に入らない?」

 

 雄馬は危うく飲み物を噴き出しかけた。

 

(そっちか)

 

 思わずカップを置き、咳を誤魔化すように軽く喉を鳴らす。

 

 幸い、二人はこちらを見なかった。

 

 いや。

 

 一瞬だけ、達也の視線がこちらへ動いた気がした。

 

 気がしただけかもしれない。

 

 だが、雄馬は直感的に理解した。

 

(……気づいてるな、これ)

 

 入店した時点で気づかれていた可能性が高い。

 

 それでも達也が何も言わないのは、紗耶香の話を優先しているからか。

 

 あるいは、雄馬が聞いていても問題ないと判断しているのか。

 

 どちらにせよ、今さら席を立つ方が不自然だった。

 

 雄馬は端末を開き、画面を見るふりをする。

 

 耳だけは、二人の会話に向けたまま。

 

「せっかくですが、お断りします」

 

 達也の返事は、あまりにも早かった。

 

 紗耶香が一瞬言葉を失ったのが、離れた席からでも分かった。

 

「理由を聞かせてもらってもいい?」

 

「逆に、俺を誘う理由を聞きたいですね」

 

 達也の声は穏やかだった。

 

 だが、その穏やかさの下には逃げ道を塞ぐような鋭さがある。

 

「俺が使っているのは剣道ではありません。系統が違うことくらい、壬生先輩なら分かるはずです」

 

 紗耶香はすぐには答えなかった。

 

 その沈黙で、雄馬も察した。

 

 剣道部の戦力として欲しいわけではない。

 

 少なくとも、それだけではない。

 

 達也を誘う理由は別にある。

 

 この一週間で有名になった、二科生の風紀委員。

 

 一科生を抑えた二科生。

 

 その肩書きが必要なのだ。

 

(……なるほど。これはただの部活勧誘じゃないな)

 

 雄馬は端末の画面を見つめたまま、指先だけを止めた。

 

 紗耶香が、小さく息を吐く。

 

「魔法科高校だから、魔法の成績が重視される。それは分かってるし、納得して入学したつもりだった」

 

 声が、先ほどより低い。

 

 照れや慌てた様子は消えていた。

 

「でも、学校生活の全部が魔法の腕で決まるのはおかしいと思わない? 授業ならまだ分かる。でも、クラブ活動まで魔法競技中心で、非魔法競技は軽く見られる。そんなの、変よ」

 

 雄馬は、そこで少しだけ目を伏せた。

 

 言いたいことは分からなくもない。

 

 魔法科高校という場所で、魔法の価値が最優先される。

 

 それは当然だ。

 

 だが、当然だからといって、その下で傷つく人間がいないわけではない。

 

 問題は、紗耶香がその傷をどこへ向けようとしているかだった。

 

「剣道部だけじゃないわ。非魔法競技系のクラブで連帯して、部活連とは別の形で学校へ意見を伝えるつもりなの」

 

 紗耶香は続ける。

 

「魔法だけが、あたしたちの価値じゃないって」

 

 その言葉は、強かった。

 

 少なくとも、本人は本気で言っている。

 

 だからこそ、雄馬には引っかかった。

 

(言ってること自体は、そこまでおかしくない)

 

 魔法だけが人間の価値ではない。

 

 それは正しい。

 

 だが、この学校でそれを訴えるなら、どう訴えるかが問題になる。

 

 誰に。

 

 どの手段で。

 

 どこまでを求めて。

 

 そして、それが通らなかった時に、何をするのか。

 

 そこまで考えているようには聞こえなかった。

 

 達也も同じことを感じたのだろう。

 

 少しだけ沈黙した後、彼は静かに口を開いた。

 

「考えを学校に伝えて、それからどうするんですか?」

 

 紗耶香の言葉が止まった。

 

 その瞬間、雄馬は端末の画面から目を上げた。

 

 空気が変わった。

 

 先ほどまでの熱が、急に行き場を失ったような沈黙。

 

 紗耶香は、自分の中にあった正しさを言葉にした。

 

 だが、達也はその先を訊いた。

 

 正しいことを言った後、何をするのか。

 

 伝えるだけで終わるのか。

 

 伝わらなかった場合はどうするのか。

 

 誰が責任を取るのか。

 

 その問いは、紗耶香の感情ではなく、計画の空白を突いていた。

 

(……司波、容赦ないな)

 

 雄馬はそう思った。

 

 同時に、少しだけ納得もした。

 

 これは、茶化していい話ではない。

 

 面白そうだと思って入ってきた自分を、内心で少しだけ反省する。

 

 だが、もう席を立つ気にはなれなかった。

 

 この話の先に、教室で感じた“残り火”の正体がある。

 

 そんな気がしていた。

 

 ――学校側に自分たちの考えを伝えて、それからどうしたいのか。

 

 達也の問いに、紗耶香は答えることが出来なかった。

 

「それは……」

 

 そう口にしたきり、言葉が続かない。

 

 唇が何度か動く。

 

 けれど、そこから出てくるのは「あ」とか「う」とか、意味を持たない音ばかりだった。

 

 学校側に、自分たちの考えを伝える。

 

 非魔法競技系クラブの立場を訴える。

 

 魔法だけが価値ではないと認めさせる。

 

 そこまでは、彼女の中で形になっていたのだろう。

 

 だが、その先がなかった。

 

 伝えて、どうしたいのか。

 

 認めさせて、何を変えたいのか。

 

 学校が受け入れなかった場合、どうするのか。

 

 達也が問うたのは、感情の正しさではなく、行動の先だった。

 

(……痛いところを突くな、司波)

 

 少し離れた席で端末を見るふりをしながら、雄馬は内心でそう呟いた。

 

 紗耶香の言葉そのものを、雄馬は否定する気にはなれなかった。

 

 魔法だけが人間の価値ではない。

 

 それは正しい。

 

 一科生と二科生の壁が、必要以上に人を傷つけていることも、この一週間で嫌というほど見えている。

 

 だが、正しいことを言っているからといって、正しい道を選べるとは限らない。

 

 そのことを、達也は静かに突きつけていた。

 

「……ごめんなさい」

 

 紗耶香が、ようやく絞り出した言葉はそれだった。

 

「まだ、そこまでは……考えられていなかったわ」

 

 声に、悔しさが滲んでいた。

 

 恥じている。

 

 怒っている。

 

 けれどそれは、達也に対してではなく、自分自身に向けられたものに見えた。

 

 達也は責めなかった。

 

「でしたら、考えがまとまってからで構いません」

 

「え……?」

 

「壬生先輩の考えがまとまったら、もう一度聞かせてください」

 

 紗耶香が目を瞬かせる。

 

 突き放されたと思ったのかもしれない。

 

 だが、達也の声は冷たくなかった。

 

 同調はしない。

 

 安易に頷きもしない。

 

 けれど、話を聞かないとは言わない。

 

 それが、達也なりの誠実さなのだろう。

 

「それは……宿題、ということ?」

 

「そう受け取ってもらって構いません」

 

 淡々とした返事。

 

 紗耶香はしばらく達也を見つめ、それから小さく笑った。

 

 困ったような、悔しいような、少しだけ救われたような笑みだった。

 

「分かったわ。もう一度、考えてみる」

 

「はい」

 

「今日は、急に呼び出してごめんなさい」

 

「いえ」

 

 それで会話は一区切りついたらしい。

 

 紗耶香が席を立つ気配がした。

 

 雄馬は反射的に端末へ視線を落とす。

 

 まるで最初からずっと画面を見ていたかのように、指先で適当にスクロールする。

 

 紗耶香がこちらに気づいた様子はない。

 

 彼女はカップを片づけ、達也へ軽く会釈してから、カフェテリアを出て行った。

 

 その背中を、雄馬は横目で見送る。

 

(黒幕って感じじゃないな)

 

 少なくとも、彼女は誰かを騙そうとしている顔ではなかった。

 

 むしろ、何かを信じたいのに、その中身をまだ言葉にできていない。

 

 そんな危うさがある。

 

 自分の怒りに、自分の言葉が追いついていない。

 

 それは、悪意よりも厄介かもしれなかった。

 

「盗み聞きは、あまり褒められた趣味じゃないな」

 

 不意に、すぐ近くから声がした。

 

 雄馬は端末を持つ手を止めた。

 

 顔を上げると、いつの間にか達也が隣の席の横に立っていた。

 

「……気づいてたのか」

 

「入ってきた時から」

 

「だよな」

 

 雄馬は観念して、端末を閉じた。

 

「悪かった。面白そうだと思ったんだ」

 

「悪びれないな」

 

「一応、悪いとは思ってる」

 

「一応か」

 

 達也は呆れたように言ったが、本気で怒っている様子はなかった。

 

 雄馬は少しだけ視線を、紗耶香が出て行った入口へ向ける。

 

「でも、途中からは面白いだけじゃなくなった」

 

「何が気になった?」

 

「壬生先輩だよ」

 

 達也は黙って続きを促した。

 

「言ってることは、分からなくもない。魔法だけが価値じゃないってのは、その通りだと思う。けど……あの人、自分がどこへ行きたいのか、まだ分かってないだろ」

 

「そうだな」

 

 達也は否定しなかった。

 

「だから、考えてもらうことにした」

 

「優しいな」

 

「俺が?」

 

「少なくとも、突き放してはいない」

 

 達也は少しだけ目を細めた。

 

「そう見えたか?」

 

「ああ。安易に頷くより、よほど誠実だと思う」

 

 雄馬がそう言うと、達也はしばらく黙った。

 

 その沈黙に、照れや困惑はない。

 

 ただ、雄馬の言葉を判断しているようだった。

 

「雄馬」

 

「何だ?」

 

「壬生先輩の話を、どう思った?」

 

 問われて、雄馬は少し考えた。

 

 答えはすぐには出せない。

 

 紗耶香の怒りを、間違いだと切り捨てることはできない。

 

 だが、あのまま進めば危ういとも思う。

 

「正しいことを言ってる部分はある」

 

 雄馬はゆっくり答えた。

 

「でも、正しいことを言ってる人間が、正しい場所に向かってるとは限らない」

 

 達也の目が、わずかに細くなった。

 

「なるほど」

 

「それに」

 

 雄馬は声を落とした。

 

「自分の怒りに、誰かの言葉を混ぜられてる感じがする」

 

「誰かの言葉?」

 

「上手く言えない。ただ、あの人の中にある怒りは本物だと思う。でも、それをどこに向ければいいのかを、誰かに教えられてるような感じがした」

 

 達也は何も言わなかった。

 

 否定もしない。

 

 肯定もしない。

 

 ただ、その情報を頭の中に置いたようだった。

 

「感覚の話だ。証拠はない」

 

「証拠がないことを、断定するつもりはない」

 

「だろうな」

 

「だが、覚えておく」

 

 その返事だけで、雄馬には十分だった。

 

 カフェテリアの外は、もう放課後の光が薄くなり始めていた。

 

 紗耶香の姿は、もう見えない。

 

 だが、彼女が残していったものは、まだこの場にある。

 

 怒り。

 

 迷い。

 

 そして、誰かの言葉。

 

 雄馬はカップの中に残った飲み物を見下ろし、小さく息を吐いた。

 

 新入部員勧誘週間は終わった。

 

 桐原の騒ぎも、表向きには終わった。

 

 けれど、終わったはずのものが、別の形でまた動き出そうとしている。

 

 そんな予感がした。

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