生徒会室での昼食は、最初の頃に比べれば随分と賑やかなものになっていた。
もっとも、賑やかと言っても、教室や食堂のそれとは質が違う。
七草真由美がにこやかに笑い、渡辺摩利がそれに軽口を返し、中条あずさが時折おろおろしながら二人の会話に挟まれる。
その横で深雪が静かに箸を進め、達也は必要最低限の相槌だけを返す。
華やかでありながら、どこか張り詰めた空気もある。
それが、生徒会室という場所だった。
「達也くん」
昼食が一段落した頃、摩利が箸を置き、いかにも何気ない口調で声を掛けた。
「何でしょうか、委員長」
達也はその声の裏に含まれたものを察しつつ、平静に応じる。
摩利の表情には、隠しきれていない好奇心があった。
「昨日、二年の壬生をカフェで言葉責めにしたというのは本当かい?」
空気が一瞬止まった。
あずさが飲みかけていたお茶を危うく吹き出しそうになり、真由美が口元を押さえる。
深雪は、ほんの少しだけ目を細めた。
達也は、食べ終わっていて良かった、と内心で思った。
「……先輩も年頃の淑女なのですから、あまりはしたない表現は控えられた方がよろしいかと」
「おや、私を淑女扱いしてくれるのかい?」
「少なくとも、女性として扱う程度の礼儀は持ち合わせているつもりです」
「ふむ。なかなか言うじゃないか」
摩利が面白そうに笑う。
真由美は完全に笑いを堪える姿勢に入っていた。
あずさは、どう反応すればいいか分からず、視線を泳がせている。
そして深雪だけは、静かに達也を見ていた。
「お兄様」
その声は柔らかい。
だが、柔らかいだけではなかった。
「昨日、壬生先輩とお会いになったのは存じておりますが……一体、どのようなお話を?」
「誤解を招くようなことはしていない」
「では、誤解を招かないようにご説明ください」
深雪の笑顔は美しい。
美しいが、達也はその奥にある温度の低下を正確に感じ取っていた。
室温が下がるほどではない。
だが、空気の圧は確実に変わっている。
「分かった。説明する」
達也は小さく息を吐き、昨日のカフェテリアでの会話を順を追って話し始めた。
壬生紗耶香が剣道部への勧誘という形で接触してきたこと。
その背後に、非魔法競技系クラブの不満があること。
風紀委員会に対して、点数稼ぎのように摘発を行っているという反感があること。
魔法だけが人間の価値ではない、という主張が出てきたこと。
達也は余計な感情を混ぜなかった。
相手を褒めるでもなく、貶すでもなく、ただ聞いた内容を必要な範囲で再構成して伝える。
その淡々とした説明が終わる頃には、真由美と摩利の表情から、先ほどまでの茶化す色は消えていた。
「……風紀委員会が点数稼ぎ、ね」
摩利の声は低かった。
「少なくとも、この一週間に関して言えば、委員会の対応はかなり抑制的だったと思います」
達也はそう言った。
「むしろ、騒ぎの規模に対して処分が軽いと感じた場面もありました」
「わたしも、そう思います」
深雪が静かに続ける。
「モニター越しにしか確認できていない場面もありましたが、勧誘期間中の混乱を考えれば、風紀委員会の皆様は随分と寛容に対応されていたように見えました」
「……身内にそう言われると、少し複雑だな」
摩利は苦笑したが、すぐに表情を戻した。
「だが、壬生がそう感じているというのは事実なんだろう」
「はい」
達也は頷く。
「少なくとも、本人は本気でそう思っているようでした」
「本人は、か」
真由美がその言い回しに反応した。
「達也くんは、壬生さんの言葉が本人だけのものではないと思っているの?」
真由美の問いに、達也は少しだけ間を置いた。
「断定はできません」
「つまり、可能性はあると考えているのね?」
「はい」
達也は否定しなかった。
「壬生先輩個人の不満としては、理解できる部分があります。非魔法競技系クラブが軽く見られているという感覚も、本人にとっては切実なものなのでしょう。ですが、風紀委員会への反感や、一科生と二科生の対立構造への結びつけ方が、少し整いすぎているように感じました」
「整いすぎている?」
あずさが不安そうに問い返す。
「不満そのものは自然です。ですが、それをどこへ向ければいいのかという部分だけ、誰かが方向を与えているように見えます」
達也の言葉に、生徒会室の空気が重くなった。
真由美は目を伏せる。
摩利は腕を組み、何かを噛み殺すように眉を寄せた。
「……学校の現体制に不満を持つ生徒はいるわ」
真由美が静かに口を開いた。
「一科生と二科生の扱いの違い。生徒会や風紀委員会の人選。部活動への予算配分。そういうものに反発する声があることは、私たちも把握している」
「それだけなら、校内問題で済む」
摩利が後を引き取る。
「だが、問題はそれを利用しようとする連中がいることだ」
達也は、摩利と真由美の顔を見比べた。
「正体は分かっているのですか?」
その問いに、真由美はわずかに息を呑んだ。
摩利も、すぐには答えない。
達也は二人の沈黙を見て、質問の角度を変えた。
「個人の特定ではありません。組織、あるいは思想的な背景の話です」
深雪が机の下で、そっと達也の袖を引いた。
踏み込みすぎだ、と言いたいのだろう。
だが、達也はそこで退かなかった。
「例えば――ブランシュのような組織ですか?」
その名前が出た瞬間、生徒会室の空気が凍った。
あずさだけが、事情を飲み込めない顔で真由美と摩利を見る。
深雪は静かに目を伏せたまま、兄の横顔を見ていた。
「何故、その名前を」
真由美の声には、明確な動揺があった。
「極秘情報というほどではありません。報道では大きく扱われませんが、噂を完全に消すことはできませんから」
「……そうね」
真由美は小さく息を吐いた。
「反魔法組織、ブランシュ。魔法能力による社会差別の撤廃を掲げている団体よ」
その説明に、あずさが目を丸くする。
「反魔法、ですか……?」
「表向きはね」
摩利が苦い顔で言う。
「魔法師が社会的に優遇されていると主張し、その是正を求める。言葉だけなら、聞こえはいい。だが実際には、かなり過激な活動も確認されている」
「魔法師が優遇されている、ですか」
達也の声は冷めていた。
「現実には、魔法師は国家や組織に便利な戦力として扱われることも多いはずです。高い報酬があるとしても、それは危険と過重労働の対価であって、単純な優遇とは言い難い」
「達也くんの言う通りよ」
真由美は苦い表情で頷いた。
「だからこそ、厄介なの。彼らの主張は、完全な嘘ではない部分を含んでいる。魔法の有無で人が傷つくことはある。一科生と二科生の間に壁があるのも事実。だから、不満を抱えた人間には届きやすい」
「正しい痛みを、間違った方向へ誘導する」
達也が静かに言った。
真由美が顔を上げる。
「……達也くん?」
「壬生先輩の不満は、本人のものだと思います。ですが、その不満に与えられている言葉が、本人の中だけで作られたものなのかは疑問です」
その言葉に、深雪はわずかに目を伏せた。
達也の脳裏にも、昨日のカフェテリアでの会話が蘇る。
魔法だけが価値ではない。
その言葉は、間違っていない。
だが、そこから何を変えたいのか。
どう変えるのか。
変わらなかった時に、何をするのか。
壬生は答えられなかった。
答えられないまま、怒りだけが先に形を与えられているのだとしたら。
それは、危うい。
「達也くん」
摩利が真剣な顔で言った。
「壬生と、もう一度話すつもりか?」
「返事を待っているのは、こちらです」
「返事?」
「昨日、壬生先輩に問いを返しました。学校へ考えを伝えて、それからどうしたいのか。考えがまとまったら、もう一度聞かせてほしいと」
「……なるほど」
摩利は目を細める。
「説得でも拒絶でもなく、考えさせたわけか」
「俺が答えを出す話ではありませんから」
達也の返答は淡々としていた。
真由美が、少しだけ表情を和らげる。
「達也くんらしいわね」
「そうでしょうか」
「ええ。冷たいようで、突き放してはいないもの」
そう言われて、達也は少しだけ居心地悪そうに目を逸らした。
摩利がにやりと笑う。
「ほほう。真由美、随分と達也くんの理解者になったじゃないか」
「摩利」
「いやいや、悪い意味じゃないぞ。自分で追い込んで自分でフォローする。なかなか器用な手口だと思ってね」
「その言い方は誤解を招きます」
達也が即座に返す。
「既に誤解を招いていますわ、お兄様」
深雪が静かに告げた。
その笑顔に、達也はほんの少しだけ沈黙した。
あずさは、部屋の隅で小さくなっている。
少しだけ場が緩んだが、話の本質は変わらない。
ブランシュ。
反魔法組織。
そして、校内に燻る不満。
それらが繋がっている可能性がある以上、これは単なる部活動の揉め事では済まない。
「達也くん」
真由美が改めて口を開いた。
「壬生さんのことで何か分かったら、教えてもらえるかしら」
「可能な範囲であれば」
「十分よ」
摩利も頷く。
「私からも頼む。壬生は剣道部の中心だ。本人が思っている以上に、周りへ影響力がある。もし誰かが彼女を利用しているなら、早めに手を打ちたい」
「分かりました」
達也は短く答えた。
「もっとも、今の段階では何を頼まれているのかも分かりませんが」
「出来る範囲で構わないさ」
摩利はそう言った。
真由美も、静かに頷く。
昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。
「そろそろ戻ります」
達也が席を立つ。
深雪もそれに続いた。
「お兄様」
「何だ?」
「……壬生先輩のこと、無理はなさらないでくださいね」
「無理をするつもりはない」
「お兄様の“無理をしない”は、あまり信用できません」
達也は反論しかけて、やめた。
深雪の言葉には、少なくとも一部の真実が含まれていたからだ。
「気をつける」
「はい」
その返答で、深雪はようやく小さく微笑んだ。
生徒会室を出た二人の背を見送り、摩利は椅子にもたれた。
「多分、あれが一番いい」
「壬生さんを、達也くんに任せること?」
真由美の問いに、摩利は頷いた。
「私たちが正面から言えば、上から押さえつけたように見える。二科生同士の話なら、まだ届く可能性がある」
「……そうね」
真由美は窓の外へ視線を向けた。
「届けば、いいのだけれど」
その呟きに、誰もすぐには答えなかった。
春の光は柔らかい。
けれどその下で、校内に残った熱は、まだ冷めきってはいなかった。
◇
教室へ戻る途中、達也は廊下の先に見知った姿を見つけた。
佐藤雄馬だった。
廊下の壁に背を預け、何かを待っているようにも、たまたまそこにいたようにも見える立ち方をしている。
達也が近づくと、雄馬は軽く手を上げた。
「司波」
「何だ」
「昨日の件、何か分かったか?」
深雪がわずかに雄馬を見る。
雄馬は少しだけ視線を逸らした。
「いや、盗み聞きした俺が聞くのもどうかと思うけどさ」
「自覚はあるんだな」
「一応な」
達也はその返答に、ほんの少しだけ目を細めた。
雄馬の声には、いつもの軽さがある。
だが、目は笑っていなかった。
「お前が言っていた違和感は、外れていないかもしれない」
達也はそれだけ言った。
具体的な組織名は出さない。
廊下で話す内容ではないし、雄馬を無用に巻き込むべき段階でもない。
だが、その一言で雄馬には十分だったらしい。
「壬生先輩の言葉が、全部あの人だけのものじゃないって話か」
「可能性の話だ」
「だろうな」
雄馬は短く息を吐いた。
「でも、可能性があるだけでも厄介だ」
「同感だ」
達也がそう返すと、雄馬は少しだけ驚いたように瞬きした。
「司波が同感って言うと、重いな」
「そうか?」
「ああ」
軽口の形を取ってはいるが、雄馬の表情はすぐに引き締まった。
「壬生先輩、悪い人には見えなかった。怒ってるのは本物だと思う。でも、あのままだと、その怒りを誰かに持っていかれそうだ」
「……そうだな」
達也は否定しなかった。
深雪も口を挟まない。
雄馬は、少しだけ拳を握った。
「俺は、壬生先輩の言葉を全部間違いだとは思わない。魔法だけが全てじゃないってのは、その通りだと思う」
「それで?」
「だからこそ、変な方向に使われるのは嫌だ」
その言葉は、妙にまっすぐだった。
達也は雄馬を見た。
この少年は、魔法科高校の生徒としては異質だ。
魔法師としての評価軸だけでは測りきれないものを持っている。
だからこそ、壬生の言葉に引っかかったのかもしれない。
「まだ断定はしない」
達也は言った。
「だが、注意はしておく」
「分かった」
雄馬は頷く。
「俺も、気にしておく」
「首を突っ込みすぎるな」
「司波に言われると説得力がないな」
「不本意だ」
短いやり取りに、深雪が小さく微笑んだ。
だが、その笑みはすぐに消える。
校内は、昼休み明けのざわめきに包まれていた。
誰もがいつも通りに歩き、話し、笑っている。
それでも雄馬には、その奥で何かがまだ燻っているように思えた。
魔法だけが全てではない。
その言葉は、間違っていない。
だが、正しい言葉ほど、人を間違った場所へ連れていくことがある。
壬生紗耶香の怒り。
校内に残る反感。
そして、その背後にあるかもしれない何か。
雄馬は廊下の先を見た。
消えたと思っていた火は、まだ灰の下に残っている。
誰かがそこへ息を吹きかければ、すぐにまた燃え上がる。
そんな予感がしていた。