朝、目を覚ました雄馬は、しばらく天井を見上げていた。
見慣れない天井。見慣れない部屋。けれど、昨日ほどの混乱はない。
夢ではないのだと、もう頭では理解していた。
神の手違いで命を落とし、気が付けばこの世界にいて。
そして今、自分の家には、六騎の英霊がいる。
「……何回考えても、やっぱりおかしいだろこれ」
そう呟いてから身を起こし、寝間着のまま顔を洗いに向かう。
洗面台の鏡に映る自分は、昨日と同じ顔だった。けれど、昨日までの自分ではない気がした。
支度を終えてリビングへ向かうと、扉を開ける前から香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
中に入ると、案の定キッチンに立っていたのはエミヤだった。
「起きたか」
「おはよう、エミヤ」
「ああ。朝食は出来ている。温かいうちに食べろ」
簡潔で、無駄がない。
それでいて突き放しているわけではない辺りが、なんともエミヤらしい。
テーブルには既に全員が揃っていた。
アルトリアは姿勢よく座り、静かに皿を待っている。ジャンヌは穏やかな表情でこちらを見て、沖田はまだ少し眠そうだ。アキレウスは朝から快活で、クー・フーリンは椅子にもたれながら気楽そうに手を上げた。
「おはようございます、雄馬さん」
「おはよう、ジャンヌ」
「よぉ。今日はどうする? 昨日の続きで、さっそくしごくか?」
クー・フーリンが軽い調子で言う。
それに、雄馬は椅子へ座りながら少しだけ考えた。
「いや……その前に、聞いておきたいことがある」
「聞いておきたいこと、ですか?」
ジャンヌが首を傾げる。
「ああ。昨日は色々ありすぎて流されたけどさ。俺、自分がこれから何を扱うことになるのか、ちゃんと分かってないんだ」
そう言って、雄馬は一度全員を見渡した。
「魔術って、結局なんなんだ?」
その一言で、場の空気が少しだけ引き締まる。
最初に反応したのはエミヤだった。
「……そう来るか」
「悪いか?」
「いや、悪くない。むしろ順番としては正しい」
エミヤは皿を置きながら短く息を吐く。
「力の扱い方を学ぶ前に、それが何かを知りたい。真っ当な発想だ」
「では、今日は鍛錬より先に講義ですね」
アルトリアが静かに言った。
「知らずに力へ触れるのは危険です。基礎の理解なくして前には進めません」
「はい。私もその方が良いと思います」
ジャンヌも頷く。
「怖さの正体が分からないままでは、余計に身構えてしまいますから」
「よし、決まりだな!」
アキレウスが楽しそうに笑う。
「今日はお勉強の日だ。もっとも、最後はたぶん実践もすることになるだろうけどな!」
「最後の一言がいらないんだよなあ……」
雄馬がそう返すと、沖田が小さく手を挙げた。
「でも、お勉強は大事ですよ。知らないまま斬るより、知ってから斬った方がたぶん強いです!」
「その理屈、物騒だけど分からなくもない」
そんなやり取りを挟みつつ、朝食が始まる。
エミヤの作る朝食は今日もやたらと美味く、アルトリアの食べる速度も相変わらず上品なのに早かった。
ただ、今日は味よりもこれから聞く話の方が気になって、雄馬は自然と口数が少なくなっていた。
◇
朝食の後、雄馬たちはリビングのテーブルを囲んでいた。
立って剣を振るでもなく、外で走るでもなく、最初に始まったのは本当に“講義”だった。
正面に座ったエミヤが、腕を組んで口を開く。
「まず、いちばん大事なところから行こう。魔術と魔法は別物だ」
「……似たようなもんじゃないのか?」
「そこを一緒にすると、最初から全部ずれる」
即答だった。
「魔術は技術だ。超常現象を起こす手段ではあるが、何でも叶える奇跡じゃない。原理的には人がいつか到達できることを、別の手順で実現するものだ」
「別の手順で……実現する」
「ええ」
続けたのはアルトリアだった。
「たとえば火を起こす、身体能力を高める、遠くへ干渉する。そういった現象は魔術で届く範囲にあります。ですが、その時代の人類にとってどうしても代替できない奇跡だけが“魔法”です」
「つまり、魔術は万能じゃないってことか」
「そういうことだ」
エミヤが頷く。
「都合よく何でも出来る力ではない。制約があり、理屈があり、限界がある。そこを忘れるな」
雄馬は小さく息を吐いた。
少しだけ安心した。
自分がこれから学ぶものが、曖昧な奇跡ではなく、ある程度は理解できる“仕組み”の上にあるのだと分かったからだ。
「じゃあ、その魔術って、どうやって使うんだ?」
「まず必要なのは魔力です」
ジャンヌが柔らかく言った。
「そして、その魔力を扱うための通路――魔術回路が必要になります」
「魔術回路……」
「体の中にある、擬似神経のようなものだと思えばいい」
エミヤが説明を引き継ぐ。
「生命力を魔力へ変換し、術式へ流し込むための経路だ。数や質は生まれつきの要素が大きい。だから、魔術師の世界では才能差がそのまま戦力差になりやすい」
「随分シビアだな」
「甘い世界ではありませんから」
アルトリアの言葉は静かだが、重みがあった。
「積み上げがものを言う世界でありながら、出発点そのものにも差がある。理不尽ではあります。ですが、それが現実です」
雄馬は苦笑した。
「なんか、夢のある話のはずなのに、どんどん現実的になっていくな」
「魔術師というものは、案外そういうものです」
エミヤが肩を竦める。
「夢想家より、研究者や技術者に近い」
その言い方には妙な説得力があった。
「魔力にも種類がありますよ」
今度はジャンヌが続ける。
「自分の生命力から生み出すものをオド、自然界から取り込むものをマナと呼びます」
「へえ……外からも使えるのか」
「使える。ただし、どれだけ扱えるかは結局その人の器次第だ」
エミヤの声は淡々としている。
「外に大きな流れがあっても、受け取る側が細ければ意味はない」
「なるほどな……。蛇口ひねっても、管が細かったら大量には流れない、みたいな?」
「悪くない例えです」
アルトリアが頷いた。
「少なくとも、“外に多くあるのだから自分も無限に使える”という勘違いは避けられます」
「なお、無茶をすると痛いです!」
沖田が元気よく補足した。
「痛いんだ……」
「痛いですね!」
「そこは元気よく言うところじゃないだろ」
思わず突っ込むと、クー・フーリンが喉の奥で笑った。
「ま、最初は大体そうだ。自分の中の回路なんざ、普段から意識してるもんじゃねぇからな。急に起こせば違和感も出る」
「違和感で済むのか?」
「済まねぇこともある」
「怖いことをさらっと言わないでくれ」
「でもよ、逆に言えばそこを越えりゃ、自分の中の力が“ただの曖昧なもんじゃない”って実感できるぜ」
アキレウスが笑いながら言う。
「痛みも含めて、本物だって分かる」
それは励ましなのか脅しなのか、判断に困る。
だが、少なくとも嘘は言っていないのだろうとも思えた。
「魔力と回路があるだけじゃ、まだ魔術にはならない」
エミヤは指を一本立てた。
「次に必要なのが術式だ。呪文、手順、印、儀式――そういった工程を組み上げて、初めて現象になる」
「詠唱とかって、そういうことか」
「ああ。そして、その術式は何もない場所で勝手に成立するわけじゃない」
エミヤが少し間を置く。
「多くの魔術は、魔術基盤に接続して動く」
「……基盤?」
「世界に刻まれた理論の土台です」
ジャンヌが言葉を継いだ。
「宗教、神話、思想、土地の歴史。そうした大きな積み重ねが、術を支える“背景”になるのです」
「もっと雑に言えば、魔術回路が電源、魔力が燃料、詠唱が起動手順、魔術基盤が土台だ」
エミヤはそこでほんの少し考え、
「……君の感覚に寄せるなら、“OS”のようなものだと思えばいい」
「おお、分かりやすい」
「分かりやすさを優先しただけだ。厳密にはもっと複雑だがな」
「いや、それでもだいぶ助かる」
雄馬は素直に頷いた。
ようやく輪郭が見えてきた気がする。
魔術は、ただ力任せに出すものではない。回路があり、魔力があり、手順があり、それを支える理論や土台がある。
「つまり、ゲームみたいに“MP消費して技名を叫べば発動”じゃないんだな」
「それに近いノリで踏み込むと、大抵ひどい目を見るでしょうね」
アルトリアが即答した。
「……やっぱりそうか」
「魔術師の世界は家系や継承も重いですし」
アルトリアが静かに続ける。
「刻印、研究、理論、継承。個人の才覚だけで完結するものではありません。長い時間をかけて家ごと積み上げたものが、力の差になることも多い」
「家の資産、みたいなものか」
「近いですね」
ジャンヌが頷く。
「ですから、魔術師はしばしば一般的な善悪よりも、家の存続や研究の継続を優先します。価値観がずれて見えるのは、そのためでもあります」
「……思ったより、面倒な世界だな」
「面倒だとも」
エミヤはそこで目を細めた。
「だからこそ、君は最初に理解しておくべきだ。魔術は便利な力じゃない。体質、家系、理論、土地、組織、そういうものが絡み合った技術体系だ」
「技術体系、か」
「ええ。奇跡というより、積み重ねです」
ジャンヌの言葉は穏やかだった。
「もちろん、外から見れば十分に不思議でしょう。ですが、使う側がそれを“よく分からないすごいもの”として扱ってはいけません」
その一言に、雄馬は少し背筋を伸ばした。
確かにそうだと思った。
自分がこれから触れるものを、曖昧な憧れのままで持つべきではないのだろう。
「じゃあ……俺は何から始めればいい?」
問いに答えたのはアルトリアだった。
「自分の内側を知ることです」
「内側」
「はい。貴方の中に何があり、どのように流れ、どこで詰まるのか。それを知らずして、術だけ真似ても意味はありません」
「焦らず、ひとつずつです」
ジャンヌが優しく続ける。
「怖いのは当然です。ですが、理解すれば恐れ方も変わります。必要以上に怯えることはなくなるでしょう」
「俺もそう思うぜ」
アキレウスが口を開く。
「理屈を知るってのは、臆病になるためじゃない。踏み込む場所と、踏み込んじゃいけねぇ場所を見分けるためだ」
「お、珍しく真面目だな」
「失礼だな、俺だって真面目な話は出来る!」
「長くは続かねぇけどな」
クー・フーリンが茶々を入れると、アキレウスが「言ったな」と笑う。
少し空気が和らいだ。
けれど、そのおかげで雄馬も呼吸がしやすくなった。
張り詰めすぎていたものが、少しだけ解ける。
「さて、基礎はこんなところか」
エミヤが椅子から立ち上がる。
「え、もう終わり?」
「終わりじゃない。ここから確認に入る」
「確認?」
「自分の中の回路と魔力を、実際に感じ取れるかどうかだ」
雄馬の顔が引きつった。
「……実践か」
「講義だけで終えるつもりだったのですか?」
アルトリアの問いはもっともすぎて反論できない。
「いや、そういうわけじゃないけど」
「安心してください!」
沖田がぱっと笑う。
「最初はたぶん、ちょっとすごくかなり嫌な感じがするくらいです!」
「全然安心できない!」
「でも、皆さんいますから!」
「そこだけは安心材料だな……」
苦笑すると、ジャンヌが柔らかく微笑んだ。
「はい。私は、ここにいます」
短いその言葉は、妙に心へ沁みた。
エミヤが扉の方へ向かいながら、振り返りもせずに言う。
「来い、雄馬。理解したなら、次は確かめる番だ」
「……分かった」
雄馬は立ち上がる。
まだ何も出来ない。
今聞いたことだって、ようやく入口が見えた程度だ。
それでも昨日までの自分とは違う。
魔術は曖昧な奇跡ではなく、知るべき仕組みのある力だと分かった。
そして、その入口に立つ自分を、六人が見てくれている。
「行きましょう、雄馬」
アルトリアの凛とした声が背中を押す。
「焦らずに、ひとつずつです」
ジャンヌも続く。
「ま、気負いすぎんな。最初から上手くやれる奴ぁいねぇよ」
クー・フーリンが気楽に言い、
「駄目なら駄目で、次だ!」
アキレウスが豪快に笑う。
「私もお手伝いしますからね!」
沖田が元気よく言い、
「……無茶はするなよ」
最後にエミヤが、いつもの調子でそう釘を刺した。
その言葉に小さく笑ってから、雄馬は頷く。
「ああ」
こうして雄馬は、自分がこれから扱う“魔術”という技術の、本当の意味での第一歩を踏み出した。